ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

139 / 305
海軍要塞ナバロン編
Go For It


 電伝虫が鳴った時、ラウンジにはサンジとシルクの姿があった。

 想定では夜通しの航海になると言われている。そのため交代で仮眠を取り、数名が甲板で見張りを続けて、二人は体力を持続させるため夜食を準備している最中だった。

 

 ぷるぷるぷる、と電伝虫の口から発せられる声に気付き、自然な様子でシルクが手を洗う。

 反応していたのはサンジも同じだが彼を制止するように動き出していた。

 

 「あ、私出るよ」

 「悪ぃシルクちゃん。頼む」

 

 軽い靴音を鳴らして電伝虫の傍へ。

 殻の上に乗っている受話器を持ち上げ、口元へ近付けた。

 今まで目を閉じていた電伝虫はカッと目を開き、何やら見覚えのある風貌に変わる。通信相手の特徴を捉えて真似をする習性があるからだ。

 

 「もしもし」

 《シルク? こちらキリです、どーぞ》

 「キリ?」

 

 その声に応じてシルクが目を見開き、聞こえたサンジも振り返った。

 

 「無事だったんだね。連絡がないから心配してたんだ」

 《んん、それは悪かった。そっちは無事?》

 「うん。色々あったけど、今は大丈夫。こっちはキリにもらったエターナルポースでゴールに向かってるよ。キリは今どこ?」

 《それがさ、もうゴールに着いてるんだ。パルティアっていう島》

 

 あっけらかんと言っているが、中々に信じ難い言葉だ。

 彼はすでにゴールへ到着している。

 そもそもレースに参加しているかどうかさえ知らなかったのに、その事実だけを聞かされては驚きが隠せなかった。思わず漏れ出た声はキリにも伝わったようで、サンジも料理の手を動かし続けながら些か驚きを隠せず、時折シルクの方を窺っている。

 

 素直に疑問を口にするシルクはキリへ問う。

 彼が何をしていたかが知りたかった。

 

 「ゴールって、いつの間に。キリ、何があったの?」

 《まぁ色々とね。話すと長いから》

 「そう……それじゃ、合流はできそうなの?」

 《うん。こっちに来てくれればだけど》

 「わかった。今向かってるところだから」

 《待ってるよ》

 

 顔が見えないため妙に胸がざわめくものの、声色や口調はいつも通りである。

 何から聞けばいいかもわからず、話そうとしなかったこともあって、どうしていいものかわからなくなる。眉間に皺を寄せて少し困惑してしまっていた。

 なんとなく聞いてはいけないような。

 今までにない感覚に戸惑い、不思議と口を閉ざす自分に気付いた。

 

 思えば、違和感の始まりは海賊島を出る時から。

 これまで傍に居たはずの彼だけが一人で船を離れてしまい、行先も航海の方法も告げず去った。

 些細なことだが大きな変化には違いない。指示を出す人間が居なくなってしまい、よくよく考えればなぜかゾロも難しい顔をしている瞬間が多く、口数も少なかった。

 

 いつも通りに過ごそうとして、目に見えない何かは確かに変化しそうになっている。

 そのことに彼が気付いているかは定かでないが、空白ができそうな一瞬にキリから質問した。

 

 《ところで唐突なんだけどさ、アナグマって子供知らない?》

 「え? どうしてキリが知ってるの?」

 《どういうこと?》

 「アナグマならメリーに乗ってるよ。ルフィの首を狙いに来たんだって」

 《ほんとに? えっと、外見は……ツナギ着て帽子かぶってるって》

 「うん、そうだよ」

 《奇跡的だなぁ。一発目で探す手間が省けた》

 

 唐突な質問。それも答えを受けて勝手に納得している。シルクには訳が分からなかった。

 そうと気付いたのかキリは説明を始める。

 彼が何をしていたのか、ますますわからなくなる瞬間で、それでも自身のことは語ろうとせず、ただアナグマに関する質問についてを語った。

 

 《実はこっちでアナグマのおじいさんを助けてね。悪いんだけど確認のために代わってもらっていいかな。こっちも代わるから》

 「ほんと? おじいさんって、確かガスパーデの船に居たはずじゃ――」

 《ガスパーデは倒した。だからゴールに居るんだよ》

 

 言葉を止めてしばし呆然としてしまった。彼がメリー号を離れた理由の一つに、ガスパーデとの戦闘があったということだろう。これで余計にわからなくなった気がする。

 なんとか返事を出したシルクは、ひとまず考えるのを後回しにして同意した。

 

 どちらにしろアナグマにとっては良い事だ。

 家族を助けたい一心で必死に動いていた以上、その報告は吉報以外の何物でもない。

 

 声を聞けば落ち着くだろうと考えて、笑みを緩めたシルクが肩の力を抜いた。

 

 「うん、わかった。待ってて。すぐに呼んでくる」

 《頼むよ》

 

 受話器を傍らへ置いて、通信を切らずにその場を離れる。

 少々サンジが心配そうにしていた気がするものの、仕方ないことだろう。

 気付かないふりをした彼女はラウンジを後にして甲板へ出た。

 

 長い時間の航海に備えて部屋で休んでいる者も居る。しかしアナグマはずっと甲板に居て、冷えるからと言ってもラウンジには来なかった。まだそこに居るのだろうと思う。

 

 探してみればやはりまだ甲板に小さな影があった。

 欄干に腰掛け、海の方向を向きながら俯き、肩が落ちている姿に見える。

 隣には釣竿を持ったルフィが居て、しばらく一緒に居たのだろう。今はアナグマも逃げ出さずにそこへ座っている。ただ会話はないようだ。

 シルクは階段を降りて二人の下へ近付いていく。

 

 先にルフィが気付いて振り返った。

 ちょうど餌を取り換えるタイミングだったらしく、糸を引っ張り上げる瞬間と同時だった。近くを通る釣り針にアナグマがわっと声を出し、シルクは苦笑して注意する。

 

 「大丈夫? 気を付けなきゃだめだよルフィ」

 「わりぃ。なんか勢いついちまった」

 「もう、危ねぇな」

 

 唇を尖らせるアナグマはルフィを睨むが、彼は笑みを見せて肩を揺らす。

 それを見ても怒ったりせず、どうやら以前より険の強さは無くなった様子だ。

 

 「ねぇアナグマ、ちょっと来てくれるかな。おじいさんが見つかったって」

 「じいちゃんが!?」

 「私たちの仲間の、キリが見つけたの。今電伝虫で話せるから」

 「キリ?」

 「ど、どこで!」

 「こっちだよ」

 

 話した途端、アナグマの目は喜色で輝き出した。希望を取り戻した顔をしている。ひどく興奮した面持ちで欄干から降り、先導するシルクの後へ続いて足取りが弾んだ。

 ルフィも二人と共に行く。キリの名を聞いたからだろう。

 彼の連絡があったとなれば、気になるのも当然だった。

 

 ラウンジへ戻ってすぐ、慌てて駆け出すアナグマが電伝虫の受話器を取る。

 咄嗟に叫び、そこに居るだろうビエラを呼んだ。

 

 「じいちゃん!」

 《おおっ、アナグマか! よかった、無事だったんじゃな!》

 

 元気な声が返ってきて思わず安堵する。

 同じくビエラも喜んでいる様子で、よほど心配していたらしいとわかった。

 ラウンジに居た他の三人は静かに二人のやり取りを見守る。

 

 「じいちゃんこそ大丈夫だったのかよ! 今もガスパーデの船に居るのか?」

 《いや、船は沈んだ。海賊に助けられてな。命からがらなんとか逃げ出したよ》

 「それじゃ……おれたちもう自由なのか?」

 《そうだ、自由だっ。もうおまえが命を賭けて戦う必要はない》

 

 弾む声でそう言われて、不思議とアナグマは目を潤ませた。

 感情が抑えられなくなって歯を食いしばるも堪えきれず。

 はらりとわずかに涙を流し、小さく嗚咽を漏らした。

 

 「そっか……おれ、自由なんだ」

 《泣くなアナグマ。新しい船出じゃ。もっと喜べ》

 「うん、うん……!」

 《おまえには悪いことをした。すまんかった。だがまだやり直すことはできる。これからわしらは目一杯自由を謳歌して生きるんじゃ》

 「うん!」

 

 涙を零しながら頷くアナグマは、今できる精一杯で笑顔を作った。表情は電伝虫の向こうまで伝わらないが、それは決意でもあったように思う。少なくとも見ていた者はそう受け取った。

 

 《生きていればいいこともある。諦めなくてよかったなぁ》

 「おれ、もうちょっとで諦めるところだった。いつ死んでもいいって、思ってた」

 《わしも一度は死を覚悟したよ。しかし案外死ねんもんじゃ、ハッハッハ!》

 「あ、でもじいちゃん、病気は? おれ、まだ薬を買う金も手に入れてないし……」

 《それなら心配いらん。助けてもらったついでに診てもらったんでな。ちゃんと薬ももらった》

 「ほんとに!? それじゃ」

 《ああ、問題は全部解決ってことじゃよ》

 

 してやったりといった声。アナグマは喜色満面で笑みを強めた。

 

 「ほんとに、信じられないや。ガスパーデが負けるなんて」

 《まったくじゃ。まぁ、色々話したいこともあるが、今はキリもおる。詳しいことは会ってから話そう。島で待っておるぞ》

 「わかった! あとでな、じいちゃん」

 

 言った後で受話器が渡されたのだろう、電伝虫の目つきが変わる。

 発される声はキリの物になった。

 

 《積もる話もあるだろうけどまた後でね。シルク、居る?》

 「ちゃんと居るよ」

 「おれも居るぞキリ」

 《あ、ルフィ? 悪いね、色々迷惑かけて》

 「ししし、いいさ。おまえ今どこに居んだ?」

 《ゴールに着いたよ。みんなを待ってるところ》

 

 話し終えたアナグマは電伝虫の傍を離れて、テーブルの前にあるイスへ腰掛けた。今までは自らそこへ赴こうとしなかったが、安堵した影響は大きいらしい。

 サンジが近付き、完成したばかりの軽食をテーブルへ置く。

 少々戸惑った様子を残しつつ、今度はアナグマもその厚意を受け入れ、素直に礼を言った。

 

 アナグマへ渡し終えたサンジはシルクとルフィの傍へ向かう。

 ルフィには先に皿を渡してやり、受け取った途端に嬉しそうに食べ始めた。

 そうなって当然という顔。気にせずサンジもまた電伝虫に目を向ける。

 

 《レースは終わりだ。ほとんど中断って形かな》

 「何があったの?」

 《ボクより先に島に着いてた海賊が居たんだよ。何かあったんだろうけど、町は崩壊。かなり強烈な攻撃があったみたいだね。ほら、ルフィが戦ったって言ってたキャプテン・キッドだよ》

 「あの燃え頭か」

 《でも色々あって、一億ベリーだけ手に入れた。ナミにはそう言っといて》

 「町を攻撃した海賊に会ったのか? よく無事だったな」

 《戦わなかったからね。適当に喋ってたらやる気失くして帰っちゃった》

 

 のほほんと言う口調はいつも通りだ。少しも緊張していない。

 仲間が相手なら当然だが今は少し状況も違って。

 サンジとシルクは少々緊張した様子を残して、受話器に向けて声を発している。一方でルフィは受け取ったばかりのサンドイッチを頬張り、こちらも全く緊張しない面持ちである。

 

 《そういうわけで、もう急ぐ必要はないよ。もう連中も居ないし》

 「こっちは結構急いでたんだがな。今も交代で船進めてるとこだぞ」

 「どうしよっか。一旦停める? やっぱり夜の航海は危険だよ」

 「このままじゃナミさんもしばらく寝れそうにないしな。キリも居ねぇし、他の連中に針路任せていいとは思えねぇ。おれも停泊には賛成だ」

 《朝になってから来ても平気さ。もうこの島に脅威はない》

 「安全に越したことはねぇか。どうだルフィ?」

 「んじゃそうしよう。一回寝て、明日の朝に向かうか」

 

 この場に居ない仲間も居るがどうやら決定したらしい。

 急な変更はキリの報告が無ければできなかった。

 それは救いか、もしくは大差ないかもしれないとはいえ、休めるのならば休んだ方がいい。彼らは一日中航海を行い、海戦も経験して、ひどく忙しない時間を過ごした。できることなら休息を取りたいというのはおそらく皆の総意だったはずだ。

 

 ルフィが決定したことにより予定は変更されそうだ。

 話も纏まったと判断したのか、キリは通信を終えようとする。

 

 《ボクもそろそろ休むよ。流石に疲れたしね》

 「おう。そんじゃ明日な」

 《また明日》

 

 終わり方は素っ気なく、あっさり受話器を置かれてしまう。通信が切れて電伝虫が眠り始めた。一同は肩の力を抜いて小さく息を吐き出す。

 

 想うところあってか、サンジがぽつりと呟いた。

 サンドイッチを食べ終えたルフィは気にしないものの、シルクも同じような表情。

 二人ともどことなく真剣な色を濃くしている。

 

 「結局、詳しい説明はなしか」

 「うん……」

 「心配いらねぇよ。だってキリだぞ」

 

 全く心配しないルフィに視線が集まり、発される声は異論を唱えるようである。

 

 「だってって、ルフィは気にならないの? キリが何してたか」

 「うん」

 「そんな簡単に」

 「別にいいよ。どこで何してようがキリはおれの仲間だ。あいつは絶対裏切らねぇ」

 

 簡潔に、素っ気なくも思えるがその実強い言葉であり、言い終えたルフィは踵を返す。

 逃げる訳でもなく、気まずくなった訳でもない。ただ今日の航海は終わりだと認識して、他の仲間に教えてから自分も寝ようと思っただけなのだろう。そんな気軽さが足取りにあった。

 しかし入り口に体を向けた彼はぴたりと足を止めてしまう。

 

 いつの間にかシュライヤが立っていた。

 入り口を塞ぐように直立不動で、ポケットに手を突っ込んで俯いている。

 何やら今までと雰囲気が違っていて、否が応にも注目せざるを得ない。

 

 正面に立ったルフィが不思議そうに尋ねた。

 まるで気を使わない素直な様子で、相変わらずだと背後でシルクが苦笑する。

 

 「どうした? なんかあったのか」

 「さっきの電伝虫は」

 「ああ、おれの仲間だ。キリっていうんだよ」

 「不穏な言葉が聞こえたが……ガスパーデが、負けたとか」

 「そうらしいんだよ。キリがやったんだってよ。もうレースも終わっちまったみてぇだ」

 「そうか」

 

 力もなく呟いたシュライヤは入り口のすぐ傍、壁に背を預けて座り込む。

 項垂れるかのようで。それを見たルフィは腕を組んだ。

 

 「いやぁ~残念だなぁ。一位になりたかったのに負けちまった。んん、やっぱりあの足止めが痛かったかな。あれがなかったらなんとかなったと思うのに」

 「そうかよ……」

 

 ルフィの声に反応する声は小さく、覇気がない。

 すっかり別人のようだった。

 座り込んでしまった彼は動こうとはせず、むしろできないといった様子。

 表情も暗くなって落ち込んでいる姿に見えて仕方ない。

 

 「で、おまえどうすんだ? ガスパーデをぶっ飛ばしたかったんだろ。結局間に合わなかったけどよ、やっぱりおれと戦うのか?」

 「いや、もういい。そんなことしたところで意味はねぇ」

 「そっか」

 「あいつを殺すことだけを考えて生きてきた。おれの人生全てを捧げたんだ。奴を殺せりゃ死んでもいいとさえ思ってた……それがまさか、先を越されちまうとはな」

 

 自嘲気味に笑い、俯いて視線を落とす。

 がっくりと肩が落ちて全身に力が入っていない。まるで打ち捨てられた人形だ。

 見ていたシルクは心配になり、割り込む形で彼へ尋ねてみた。

 

 「そこまで思うなんて、何があったの?」

 「……ガキの頃、奴に全てを壊された。おれが住んでた町、家族、友達、全部一夜の襲撃で失くしちまったよ。奴が乗ってた船はおれの町で作られた物だったんだ」

 

 ぴくりと、アナグマの眉が動いた。

 しかしシュライヤの話に集中していた一同はそのことに気付かない。

 

 「あの蒸気船が目的だったのか、他のもんが目的だったのかはわからねぇ。金か、女か、宝か、人員か。海賊が欲しがるもんなんざいくらでもある。ただはっきりしてるのは、あいつは自分が欲しい物を手に入れるためだけに町に火を放って、徹底的に破壊し尽くした」

 「ひどい……」

 「おれには妹が居た。大事な、たった一人の妹だ。だがおれはあいつが海賊に斬られかけた時、助けようと思って強く押しちまった。川のすぐ傍だったんだ。海賊に斬られて死なずに済んだが代わりに溺れて、流されちまって、結局守ってやれなかったんだよ」

 

 右手で帽子を押さえ、目元を隠して。

 深い後悔を灯す声はやけに静かな物だった。

 

 おそらく、失意の底に落とされたことから話し始めたのだろう。質問しても答えなかった過去を今になって朗々と語り始めている。

 胸に詰まっていた物が取れたのかもしれない。

 一度話し始めればとめどなく溢れてくる言葉があり、もはや自分でも止められなくなる。

 だがそれは、決して彼にとって幸せな状態ではなかった。

 

 生きる目的を失った。もう仇敵は居ない。

 そう知った男の姿はひどく空虚で見ていられなかった。

 それでも彼には語るしかなく、シュライヤの声だけがラウンジに木霊する。

 

 「家族はもういない。帰る場所もねぇ。生きる理由を見つけるためにはあいつを恨むしかなかったんだよ。それが愚かだってのはよくわかってる。だがわかってたってどうしようもねぇんだ。何かに縋らなきゃ、一人で生きるなんてのは無理だった」

 

 シルクの顔が辛そうに歪み、Tシャツの胸元を強く掴む。

 煙草を銜えたサンジはそこに火を点け、静かに煙を吐き出し。

 そしてルフィは片時も目を離さず彼を見つめていた。

 ただアナグマだけが、奇妙に腕を震わせ、驚愕している様子でシュライヤを見る。

 

 「横取りされちまったんじゃ、もう生きてる理由はねぇ。あいつが居なくなって、おれはどうすればいい。自由になったって行く当てもねぇ。おれの生きがいは無くなっちまったよ」

 「また探せばいいじゃねぇか。海は広いんだ。きっと何か見つかる」

 「探すって、何を探せばいい。復讐しか知らねぇおれが何かできるとは思えねぇんだ。この手はもう血で汚れちまってる。今更カタギに戻れるわけもねぇし……」

 「じゃあおれと一緒に海賊やろう。海賊は楽しいんだぞ。お宝探して、冒険して、そんで宴して思いっきり騒ぐんだ。つまんねぇこと考える時間だって無くなるさ」

 「フッ、バカ言え。おれの人生を狂わせた海賊に、どうしておれが」

 

 ルフィとシュライヤが話している最中だ。

 カタン、とイスが揺れてアナグマが地面に降り、自分の足で立つ。何やら目は大きく開かれて驚いている表情。明らかに顔色が変わっていた。

 不審に思う一同の目を意に介さず、というより視界に入っていないのだろう。

 アナグマはシュライヤだけを見て口を開いた。

 

 「あんた……名前は?」

 「あぁ、おれか? シュライヤだ。シュライヤ・バスクード。賞金首として多少知られたが、もうその名を知ってる奴は誰も――」

 「シュライヤ……妹の名前は、アデル・バスクード……」

 

 アナグマの言葉に、シュライヤが驚愕して顔を上げた。

 少し離れた位置に立つアナグマを見つめ、なぜ知っているのだろうとその顔をじっと見つめる。

 数秒して、息を呑んだ。

 なぜか問おうとした言葉が出てこなかったらしい。

 

 「おまえ……」

 

 メリー号に乗って初めて、アナグマがそっと帽子を脱ぐ。

 パサッと、まず最初に長い髪が降りてきた。肩を少し越えて背に届く程度の、あまり手入れがされていない栗色の髪で、外見の印象が一気に変わる。

 その様はまさに、女の子といった様相だったのだ。

 

 確かによく見れば男にしては可愛らしい顔をしている。しかしそうではない。おそらくは帽子を被って女であることを隠していた。

 

 シュライヤの目が見開かれる。

 驚いていたのは彼だけではない。ルフィやシルク、サンジまでもが驚きの声を発し、今まで気付かなかった自分を恥じるほど、その姿は可憐な少女に変わったのである。

 

 「うそっ!?」

 「マジか!?」

 「おまえ女だったのかァ!?」

 「あ、当たり前だろ。誰も気付いてなかったのかよ」

 

 少し恥ずかしそうにそっぽを向き、アナグマ――アデル・バスクードはそう呟いた。

 

 呆然としていながら彼女を見ていたシュライヤは気付く。

 間違いない。彼の妹だ。

 死んだと思ったのは今から八年前。もうずっと昔の顔しか知らず、何の準備もせずに急に成長した姿だけを見たのだが、間違えるはずがない。確かに面影はあってあの頃を思い出す。よく後ろをついて歩いてきた妹が確かに目の前に居た。

 

 喉が震え、声が出せなくなる。

 驚きは凄まじい物で、この八年間で最も大きい。

 嬉しいと判断する余裕さえ消え、今はただ正常な思考が取り戻せないほどだ。

 

 しかし、確かにアデルなのだ。彼女は本物のアデル・バスクードだった。

 体勢を変えて、彼女の方へ身を乗り出したシュライヤは恐る恐る声を絞り出す。

 

 「本当に、アデルなのか……? てっきり、死んだものだと」

 

 躊躇いがちにではあったが、数秒見つめ合った後、こくんと小さく頷かれる。

 その瞬間すっと全身から憑き物が落ちるかのようだった。

 探す必要は無くなった。二度と戻らないと思っていた物が、ようやく見つかったのだ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。