ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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“宴へようこそ、プリンセス”

 夜が更けてきた。

 頭上を見上げ、浮かぶ月を眺めてやっと気付いたキリは苦い顔をする。

 少し集中し過ぎたのかもしれない。もっと早く帰る予定だったのに、予定が狂ってしまった。今頃になってみんなはどうしているだろうかと思いを馳せる。

 

 現在、彼の傍には血を流して倒れる男が複数居た。

 

 「まずいな、思いのほか時間経っちゃった。これじゃルフィやゾロのこと言えないな」

 

 呑気に呟いて手の中にあるエターナルポースを眺める。

 指針は一つの島を指している。正常に機能している証だ。

 満足げに懐へ閉まって、その頃になってようやく背後へ近付く気配に気付いた。

 

 振り返った先に、長身の女性が立っている。

 黒髪でツンツンした髪型が目につき、男より高い長身であることもあって、一目見ただけでは女性というより男性だと考えられてもおかしくない体型と服装。おっとりした顔をしているが、どこか覇気に欠けていて、なんとなく間の抜けた印象を与えられる。

 

 以前から知っている顔だった。

 キリは多少の驚きを露わに、即座に彼女の名を呼んだ。

 

 「キリさん」

 「マギーじゃないか。久しぶり」

 「どうも……」

 

 感情の起伏が無い平坦な声。

 背は丸まっていて、身長は高いが弱気な様子が伝わってくる。

 それを見てキリは気分を害すことはなく、変わらぬ性格に苦笑した。

 

 ミシェールの下でアニタの上、三姉妹の真ん中、マギーという女性である。

 引っ込み思案で人付き合いが苦手。照れ屋な一面もある。久々に会ったキリに対しても恥ずかしそうに赤面しており、何も変わっていないところを見ると安心できた。

 声が小さく、ぼそぼそとしゃべるのも普段通りで、立ち上がったキリは彼女の方を向く。

 こうして向かい合うと懐かしさが込み上げてきた。

 

 「どうしたの、こんなところまで。あっ、アニタに聞いたのか」

 「えっと、姉さんが探してて……キリさんの仲間を、宿に招待したいからって」

 「あーなるほど。ミシェールさんね」

 「あの、案内するんで、ついてきてもらえれば」

 「わかった。みんなもう今頃着いてるんだろうなぁ」

 

 素直に頷かれて安堵したのか、ホッと息を吐き出して、先にマギーが歩き出す。二階建ての建物の屋上から飛び降り、身軽な様子で地面に降り立った。

 キリも続いて飛び降りる。

 どちらも怪我することなく通りに立って、人混みの中を歩き始める。

 

 先頭をマギーが行き、後からキリがついて来た。

 位置は大体把握しているとはいえ、案内してもらえるならそれでいいと思ったのだろう。

 

 歩きながら街並みを眺め、改めて感想を抱く。

 用を全て終えてやっと落ち着ける頃合いだ。仲間たちも同じだと思う。

 肩の力を抜いたキリはマギーの背中へ語り掛ける。

 

 「ここは何も変わらないね。言っても前来た時からそんなに時間経ってないけど、初めて来た頃からずっとこのままだし。良いんだか悪いんだかわからないや」

 「みんな、思い思いに過ごしてるだけですから」

 「まぁね。君らもそんな感じだった」

 「まぁ、その……姉さんが」

 「みんなは変わってない? アニタとはちょっとだけしゃべったけど」

 「はい、大体は。でも……アニタ、寂しがってました」

 

 周囲の喧騒の中でもマギーの声は聞こえていた。

 その言葉に少し申し訳なさそうにして、わかっていたのかキリが頬を掻く。

 

 「やっぱりか。予想はしてたけどさ」

 「私も、あんまりわからなくて。どうして、海賊に復帰したんですか?」

 「イーストブルーに行ってたんだ。帰ったつもりだったんだけど、あの船長に出会っちゃって」

 「やっぱり、原因はあの人なんですか」

 

 うん、と素直に頷かれる。

 

 「軽くなった気がするんだ。些細なことだったけど助かった。すごく感謝してる」

 「だから、一緒に海賊を……」

 「だってさ、海賊王になりたいって言うんだよ? しかも自分だけじゃ無理なんて言って、しつこいくらい誘ってくるし。根負けしたのもしょうがないってくらいだった」

 

 少しだけ振り向いてキリの顔を確認する。

 彼は微笑んでいた。以前会った時の姿とは全く違う気がする。

 些細なことでこれほど変わるものかと、無表情ながらも彼女は少し感心したようだ。

 

 「また、航海するんですね」

 「うん。今度はラフテルまで行くよ」

 「そうですか……」

 

 よっぽどの自信だと思って、言葉を呑んだ。

 思い起こせば、ここまではっきりと物を言うキリは久しぶりだったかもしれない。

 

 幼い頃は直情的な、割と分かり易い性格をしていた。それがビロード海賊団の全滅が噂となって囁かれる頃、再び姿を現した時、すでにのらりくらりと自分を見せない人間になっていたのを覚えている。幼い頃を知っていたマギーとミシェールはずいぶん驚いたものだ。

 出会っていない空白の期間に何かがあったのだろうと思っていた。

 けれど今この瞬間、その一言だけは、あの日の彼を見つけ出せた気がする。

 

 マギーが黙ってしまったことをきっかけにして、しばし無言のまま歩き続ける。

 懐かしい風景の中を飄々と歩き、誰に気を取られるでもなく、ただ真っ直ぐ歩くだけ。普通ならつまらないとも思うだろう時間は二人にとって苦ではない。

 

 坂道を歩いて山を登るような道へ入り、宿の位置を思い出してきた。

 しかしキリは敢えて何も言わず、自分が先を行くこともせずマギーに従う。

 今はマギーが案内役だ。

 何も追い抜いてまで宿へ向かう必要はないと思った。

 

 およそ十分ほど歩いて目的地に到着する。

 山の斜面に作られた、外観からは大きな洋風の屋敷にも見える宿屋であった。

 

 マギーが扉を開いて先に入り、次いでキリが宿の中に入る。すると一秒も経たずに慌ただしい足音がやってきた。お盆に大量の皿を乗せたミシェールである。

 慌てて走る彼女は二人にも気付かず、別の部屋へ向かおうとしているらしい。

 相変わらずの様子でキリがくすりと笑う。

 それを止めようとしてマギーが控えめに声をかけた。

 

 「あー忙しい忙しいっ。急がなきゃ」

 「あの、姉さん……」

 「あら? マギーちゃん? いつの間に帰って――」

 

 勢いよく足を止めた彼女の両手でガチャンと音が鳴り、奇跡的に空の皿は落ちなかったようだ。

 ミシェールの目はすぐにマギーとキリを見つける。

 途端に顔中が喜色に染まって、嬉しそうに口元に笑みが描かれた。

 

 「あ~っ、キリちゃ~ん!」

 「どうも。久しぶり」

 「まぁまぁまぁ、どこに行ってたのよも~。みんな心配してたのよ。また海賊になったりして」

 「色々あってね。話すと長くなるんだ」

 「姉さん、お皿、危ないから……」

 

 身じろぎする度にガチャガチャと危険な音が鳴って、今にも皿が落ちてしまいそうだった。苦笑するキリの傍らマギーが心配そうに身を乗り出して、それでもミシェールは気付かない。

 結局、彼女にも幾分手渡して二人で持つことになった。

 

 喜ぶミシェールはうずうずと話したそうにしていたものの、急いでいるため時間もない。

 空にされた大量の皿を見ればなんとなく想像できる。キリから先に彼女へ言った。

 

 「まぁ、積もる話はあとでもできるし」

 「そ、そうね。それじゃあっちの食堂に行って、みんな集まってるから。みんなすごい食欲でもう戦争なの。あ、マギーちゃんは手伝ってね」

 「うん」

 「キリちゃんも毎日大変ね」

 「あはは。だから楽しいんだよ」

 

 朗らかな笑顔を見てミシェールが驚いた。

 それは彼の心からの笑顔。嘘偽りのない素直な感情。

 考えるまでもなく久しぶりに見た気がしてしまい、動揺はそのためなのか。

 心底幸福そうに微笑む彼女は、小さくよかったと呟いた。

 

 「キリちゃん、今、楽しいのね」

 「楽しいよ。最高さ」

 「そう……うん。そっちの方が、お姉さんは好きだな」

 

 くすくす笑ってそう言われ、少し居心地の悪さを感じたようでキリが肩をすくめる。やり取りを見ていたマギーはいまいち理解できず、困惑して眉がへの字になっていたが、当人たちは満足しているらしく、あまり多くを語ることはなかった。

 

 ミシェールが踵を返して、弾む足取りで歩き出す。

 名前を呼ばれてマギーも慌てて後ろへ続き、二人してその場を離れていく。

 

 「行きましょマギーちゃん。まだまだ忙しいわよぉ」

 「う、うん。わかった」

 「あとでねキリちゃん。落ち着いたらみんなで話しましょ」

 「りょうか~い」

 

 手を振って見送ってやった後、広大なエントランスに一人になる。

 二人が見えなくなってからようやく彼も歩き出した。

 

 示された一室へ赴き、扉を開けた瞬間、騒がしい音がいくつも聞こえてくる。怒声、会話、食器が触れ合う音や、椅子が倒れたり皿が割れたり、数多の音が重なっている。

 呆れ返るほどの大騒ぎだった。

 見ている人間は決して良い気分にならないかもしれないが、それでも楽しげに過ごしている仲間たちの姿を見て、入り口に立ったキリはしばしそこから皆を眺める。

 

 部屋の中央に長い机が一本。

 そこに人数分の椅子を置いて皆が座っている。

 机から落ちそうなほど料理が乗った皿を置いているとはいえ、まだ足りていない様子だ。

 

 騒がしい理由の一つにやはりルフィが居た。

 長い机には無数の皿が置かれており、その全てに腕を伸ばして、口いっぱいに料理を放り込む彼の姿は下品の一言。いつも通りだが食事に関してはやはり人一倍執念を感じる。

 しかしこれで被害を受ける者も居るのは当然で、今はウソップが叫んでいる最中だった。

 

 「おぉいルフィ!? おまえまたおれの皿から取ったな! そっちから取れよ、こんだけあるんだからよぉ! いやむしろ自分の皿から食え!」

 「んーばっ!」

 「うおっ、飛ばすなぁ!?」

 

 文句を口にするウソップと、反論の際に口から食べかすを飛ばすルフィ。

 二人のやり取りは普段の宴と何も変わらず、むしろ騒がしさは増すばかり。

 楽しんでいるな、と見てしまうのは、付き合う時間が長いせいか。

 

 気付けばルフィの魔の手はゾロの皿にも伸びていて、手に持ったフォークが勢いよくステーキに突き立てられる。しかし反射的にゾロのフォークもステーキを刺し、それぞれ違った力の入れ方をして、ルフィは奪おうと全力を尽くし、ゾロは必死に押さえていた。

 多少の怒気を醸し出し、ゾロの目はルフィを睨みつけている。

 負けじとルフィも肉を奪うべく死力を尽くしていたようだ。

 

 「てめぇ、そう毎度毎度奪えるとでも思ってんのかよ……!」

 「んがぁっ!」

 「いいから離せ! 散々食ってんだろうが!」

 「よし、今の内だ! 今の内にできるだけ腹に入れとかねぇと……!」

 

 ルフィとゾロが肉の奪い合いをしている最中、チャンスとばかりにウソップが猛スピードで食べ始める。ますます戦場と呼ぶに相応しい雰囲気が強まってきていた。

 楽しげにも見えるが面倒そうでもあり、キリは思わず苦笑してしまう。

 

 喧嘩しているような三人を心配することもなく、不意に視線の先を変えてみる。

 

 戦場の雰囲気を醸し出すテーブルの一角、和やかな場所もある。やはりそちらもルフィたちの騒がしさには参っているようだが、少なくとも落ち着こうとはしているようだ。

 その最たる例がナミとシルク、ビビの三人である。

 男たちの騒ぎを無視するようにして、比較的落ち着いた食事はできていたらしい。

 

 「あいつら、またくだらないことやって。少しは落ち着けないのかしら」

 「あの、止めなくてもいいの?」

 「大丈夫だよビビ、いつものことだから。みんなこっちの方が慣れてるの」

 「そう、なのね……あ、カルー。慌てなくていいから。まだいっぱいあるから大丈夫よ」

 

 比較的穏やかだが、時折余波が来ることも少なくはなく、食べかすが飛んできた時にはナミが隣に居るルフィの頭を殴る。しかし効いていないのか反応はない。

 シルクはそれを見て苦笑するも、止める素振りはなかった。

 ビビは隣に座るカルーが慌てて食べるため、心配や世話をしたりと気を抜け無さそうだ。

 

 食事時になんという騒がしさだろう。

 改めて俯瞰的に眺めてみるとその異常性が理解できる気がする。

 

 部屋の中、或いはキリの隣を通って、宿で働く女性たちが給仕に忙しそうだ。

 次から次へ料理が平らげられ、追加の料理を運ばねばならず、調理に給仕にと常に全力疾走を続けているような物。彼女たちの苦労には涙を禁じえない物がある。

 

 それでもキリは笑って眺めていた。

 

 しばし合流せずにその光景を見つめ、今一度噛みしめてみるのだ。

 昔とは違う、新たな仲間。

 今やすっかりこれが当たり前になって、胸を張って海賊島に来れたのもそのせいかもしれない。

 

 突っ立ったままで居ると後ろからサンジの声が聞こえた。振り向けば料理を盛りつけた皿を両手と頭に乗せ、給仕の手伝いをしているらしい。さらに後ろにはイガラムも居る。

 いつの間にか現れていたキリを見て驚いた表情。

 それも一秒経てば笑顔に変わり、穏やかに受け止めてくれる。

 応じてキリも朗らかに笑った。

 

 「ようキリ、おまえどこ行ってたんだ? さっさと食わねぇと無くなるぞ」

 「相変わらずすごいね、ここは。ちょっと気圧された」

 「よく言うぜ。いつもはおまえもあの中に居んだよ。ほれ、無くならねぇ内に食え」

 「はいよ」

 「いやしかし、海賊の宴とはなんと凄まじい……ビビ様はよくあの輪に入れるものだ」

 「美人だからな。そりゃ慣れも早いさ」

 「それって関係ある?」

 「あるさ」

 

 軽快なやり取りを行って共に部屋へ入り、次第に騒ぎながらも仲間たちがキリに気付いた。

 反応は明らかである。

 ルフィは咀嚼を続けながら両手を上げて喜び、ウソップとゾロはその隙に料理へ集中し、一気に頬張って、呆れるナミが溜息をつく一方でシルクとビビが苦笑する。

 

 見ていて楽しい面々だ。

 軽く手を上げ、給仕をするサンジやイガラムとは別に、キリは空いてる席へ歩いた。

 

 「キリッ! おまえどこ行ってたんだよ! んぐっ、さっき、もがっ、おまえの友達に――」

 「話はあとでいいから、とりあえず食べるかしゃべるかどっちかにしなよ」

 「ん~ばばっ」

 「やれやれ」

 

 苦笑したキリも入り口から一番近い席に着き、ひとまず食事を始める。

 再びルフィが数多の料理を掻っ攫い、騒動が起きるも、慣れた様子の彼は自分の分だけ確保するのも慣れていた。料理を口に運ぶのは席に着いてから早かった。

 

 目の前にはビビが座っていて、料理を運んできたサンジが皿を置くついでに話しかけている。

 どこか戸惑った様子ながら、彼女もこの雰囲気を拒んではいないようだった。

 

 「大丈夫かいビビちゃん。あいつらうるせぇだろ。もし嫌だったら蹴り飛ばしてくるけど」

 「ううん、平気。すごいのね……みんなはこれが日常なんでしょ?」

 「船長があれだからかな、すっかり慣れちまった。今となっては文句を言う奴も一人も居ない。ナミさんやシルクちゃんも楽に過ごしてるし、まぁ、ビビちゃんも慣れるよ」

 「ええ……」

 

 確かに今まで体感したことの無い騒がしさではある。しかしそこに参加する人間に、給仕する女たちも含めて、辛そうにしている顔など一つもなかった。皆がその騒がしさに愛着を持ち、いつの間にか引き込まれてしまっている。これを楽しいと思ってしまっている。

 どうやらルフィには、或いはこの一味には、そんな不思議な力があるようだ。

 心が動くままに生きる彼らは誰よりも自由を体現していて、ただそれだけで周囲の人間にまで笑顔を生み出す。この場で再認識させられた気がした。

 

 「国を心配する気持ちもわかるが、少しはおれたちにも預けてくれ。なぁに、こんな連中だ。軽く持って運んであげるからさ」

 「え?」

 「もう仲間だってことさ」

 

 食事時とあって煙草を銜えておらず、にこりと笑う彼の顔を見た。

 ビビはしばし言葉を失くす。

 そう言えばルフィやナミにも気遣われた気がする。ようやくその時の言葉を思い出したのだ。

 

 子供のように叫んで、騒いで、遊んで。

 笑って、怒って、料理の取り合いなんて小競り合いをして、けれど彼らは子供ではない。ただ自分に素直なだけで、他人を気遣うだけの余裕があった。

 やっと理解できたと思う。

 みんな、ビビに肩の力を抜けと伝えてくれていたのだろう。

 

 国を心配する気持ちは当然。それとは別に余裕を持っていなくてはいけない。

 自分の身一つで、精一杯感情を表す彼らの自由に、今なら気持ちの整理ができる。

 

 くすりと微笑むビビは騒がしい宴を眺め、やっと肩の重荷を下ろせたらしかった。

 

 目の前にあったわずかな変化を見て、ふと目を伏せたキリは考える。

 女好きなサンジは、女性の前では腑抜けになっていると思われがちだが、決してそうではない。女性にやさしい彼は誰よりも素直にその人を見ているし、迷っているのなら導き、困っているのなら助け、悲しんでいるのなら笑わせようとする温かさがあった。

 時には素直過ぎて下心を見せてしまうこともあるものの、そこも愛嬌だろう。

 聡明で気遣いのできる彼は、一味で最も紳士的で、尚且つ頼りにできる人物なのだ。

 

 少なくとも、緊張しているビビを安堵させたのは誰よりも早く気付いた彼の功績。

 他の男たちではできないことを率先してやってくれた。

 キリはサンジの気遣いに感謝し、視線をくれてやると少し勝ち誇るような笑み。どうだと言わんばかりに笑っていて、意図が違っていたのか、不思議とビビを取り合うかのようだった。

 

 やはり下心は消し切れないのだろう。それさえなければ完璧なのだが。

 苦笑したキリが食事を続けようと手を動かし、自身の皿に目を落とした。

 

 「私も、海賊船に居る今は海賊かしら」

 「そうさ。祖国の人間なんてどこにも居ない。いずれは王女にならなきゃいけなくても、今はおれたちの仲間の海賊。少しくらい羽目を外したって構わないだろ」

 「あのぅ、私はここに居るのですが……」

 「クエー」

 

 ビビは何かを決意したような顔で俯く。

 その背を押してやるため呟いたサンジの言葉には、イガラムとカルーが揃って反応するが、すでに何かを考えているらしいビビの耳には聞こえていなかったかもしれない。

 

 パッと顔を上げ、彼女は騒々しい面々を見る。

 席を立ってしまい、驚くナミやシルクには目もくれず、戦場のようなそこへ近付く。

 

 相変わらずルフィが数多の料理に手を伸ばして暴れていた。応戦するウソップとゾロも手を止める暇がなく、次第に激化していく様相は凄まじい。

 ビビはその中へ突入したのだ。

 にこっと笑ってルフィに笑いかけ、唐突にその名を呼ぶ。

 

 「ルフィさん」

 「ん? なんは?」

 「えいっ」

 

 思い切って身を乗り出し、精一杯手を伸ばして掴んだのは、骨の付いた肉の塊。

 ルフィの目の前に置かれていたそれを奪い、大口を開けてかぶりつく。

 まさかだった行動で彼の目が大きく開かれて、咀嚼の最中だった口からは悲鳴が漏れ出た。同時に別の場所からはイガラムの野太い悲鳴が発せられる。

 

 「あ~~っ!? もいぴぴっ、おはえなにすんらっ!!」

 「ビビ様っ!? なんとはしたないっ!」

 「えへへ……これがこの一味のルールでしょ?」

 「よ~しいいぞビビっ! そのまま一気に攻め込め! 形勢逆転だ!」

 「おいおい、おまえもかよ……」

 

 ゾロは呆れた顔で呟くものの、ウソップは誰よりも先に好意的な声を飛ばし、指示を送る。

 猛威を振るう敵はルフィだけだ。彼さえ大人しくなれば食事は平穏無事に終わる。

 そのためビビとウソップが協力してルフィの皿を奪おうと動き出し、ゾロも意趣返しのためか時折協力し、イガラムがそんなビビを止めようとする。そしてルフィは前にも増して料理を口へ放り込んでいき、喧騒はさらに大きな物となっていった。

 

 最初こそ驚いた。だが数秒もすればナミとシルクは苦笑して見守り、サンジは頬を緩める。

 海賊なのだからこれでいい。

 少々ビビがはしゃいだところで、品が無いと怒るのはイガラムを除けば誰も居なかった。

 

 たまにはそんな経験をしてみるのも大事だろう。そう思えただけで僥倖だ。

 楽しくて仕方ない、といった顔で笑うビビを見て、ついにはカルーもそこへ飛び込んでいった。

 

 その光景を見ることはきっと特別だったに違いない。

 まだ若い少女が心を殺し、敵と見定めた組織に潜入して、祖国のためだけを想って孤独な戦いを続けてきた。傍にはイガラムが居たとはいえ、その心労は計り知れない物である。

 きっとその笑顔こそ彼女の本当の顔だ。

 

 キリはサンジに目をやり、手を止めて称賛する。

 

 「良い顔になった」

 「バーカ、元々良い顔なんだよ。可愛いし美人で可憐だ」

 「あはは、そうだね。でもあっちの方がずっと良い。気を使って笑ってるよりは」

 「そりゃ警戒すんのも無理ねぇさ。それでも傍に居りゃ伝わるもんはある」

 「そうだとしたら助かるよ」

 「おまえもビビちゃんに悪いと思ってるなら、信頼に足る働きをするしかねぇな」

 「ま、ぼちぼちやるさ。多分先は長いから」

 

 彼自身も肩の力が抜けた気がして、再び食事を始めようとする。

 ルフィやビビ、ウソップやイガラムが騒ぐ声が不思議と耳に心地よく、やはりこの空気こそ肌に合っているようだ。どんな音楽よりも顔が緩む気がする。

 フォークを持ち上げる前に、最後にちらりと彼らの姿を眺めた。

 

 その時、唐突に飛びついてくる影があった。

 

 「あなたっ!!」

 「は?」

 

 右側から抱き着く人影。

 思い切り衝突して両の腕に捕まり、動けないまま椅子と共に倒れていく。

 訳も分からずキリが倒れると、真上には目を潤ませる女性が居た。

 

 少し前に別れたはずのベビー5だ。

 ゾロを酒場まで案内するよう頼んだ後、もう会うこともないかと思っていたがどうやら違っていたらしい。彼女はどこか悲しそうに、同時に嬉しそうに、しかとキリを抱きしめている。

 胸に顔を押し付け、ぐりぐりと顔を擦り付ける様は見ようによっては恋人のようだ。

 

 しかし彼女の言葉はそれ以上の意味を持っていて、聞いていればそれは簡単に伝わる。

 まずいと気付いたのはその時だ。

 

 「ひどいわあなたっ、あとで絶対会えるからって言っていたのに!」

 「あ、あなたって。その呼び方はちょっとどうかなぁと思うんだけど……ほら、誤解されるし」

 「どうして? 私が必要なんでしょう? なんでも言って、あなたのためなら命も惜しくない。だって私……あ、あんなに強く求められたのは、初めてだったから……♡」

 「いやいやいや、その言い方は語弊があるし、ちょっとここではそういう話は――」

 

 困惑した顔で冷や汗を垂らし、ますますまずいと感じる。

 話しながらもキリはなんとか彼女を引っぺがそうとしていたものの、彼の物より細い両腕は万力のような力でキリを捕らえて離さず、性別の差があっても全く勝てる見込みを感じないほど。そのせいで焦りはさらに大きくなり、室内にある異様な空気が肌に痛かった。

 

 いつの間にか一室は沈黙に包まれている。

 穏やかに話していたナミやシルクは仕方ないとしても、大騒ぎしていたルフィやビビやウソップまで動きを止めて、床に倒れて折り重なる二人を見ている。

 何とはなしに事情を知っているゾロは頭を抱えて我関せず。溜息だけはっきり聞こえる。

 もはや動物のカルーでさえ空気を読み、鳴き声一つ発さずに硬直していた。

 

 それよりもっと恐ろしいのが、気付けば俯いているサンジの姿。

 一切の言葉を失って異様な雰囲気を醸し出しており、ありありと怒りの念が伝わってくる。

 美女に抱き着かれている現状では、仕方ないと判断するしかなかった。

 

 顔を上げた彼の目は嫉妬で狂っている様相。

 あぁ、と小さく声が出て、ついベビー5の背に回した腕へ力を入れてしまった。

 

 「キリィ、てめぇ……! 一体どこで何してやがったァ! おれたちが航海の準備してる間に、一人だけ抜け駆けでナンパしてやがったわけかゴラァァッ!!」

 「まぁ……普通そうなるよね」

 「はぅぅ、こんなに強く抱きしめられるなんて。そんなに私が必要なのね……」

 

 サンジの怒声をきっかけにして、室内は一気に騒がしくなった。

 どこの誰だ。どうやって知り合った。何がどうなってる。様々な質問がキリにぶつけられ、げんなりしている彼は何から答えたものかと戸惑うばかり。

 ゾロも助け船を出すつもりがなく、しばし彼が答えに詰まるという珍しい光景があった。

 再び騒がしくなるが先程とは種類が変わり、給仕の女たちも混乱している様子だ。

 

 宿屋の食堂は喧騒に包まれ、一時食事の手が止まる。

 そのため給仕と料理人の女たちもわずかな休憩が得られた。

 

 いつの間にか食堂の入り口に立っていたアニタは、そこにある光景を見ていた。

 怒る人、戸惑う人、からかう人、笑う人。

 色々な人が居る中にキリも居て、前とは違ってよく笑う。

 やさしくてクールで、どこかふざけていて、でも遠い。そんな彼の姿ではなかった。

 

 彼女の後ろからマギーとミシェールがやってくる。

 心ここに在らずといった姿で、無感情にキリを見る目は何を想うのか。予想することもできず、ただなんとなく感じることはできる気がして、三姉妹が寄り添って室内を眺めた。

 

 「キリ兄ィ、楽しそう」

 「うん」

 「きっと色々あったのよ。ここに来るまで色々」

 「海賊やめるって言ってたのに」

 「理由があったんだ。彼に、救われたって言ってたから」

 「彼?」

 「船長さん」

 

 マギーの呟きに反応し、ルフィの顔を見る。

 能天気そうな顔で、驚いたり怒ったり、笑ったり、忙しそうに表情を変えている。

 なぜ彼なのだろうと思わないでもない。

 アニタは難しい顔をしてわずかに唸った。

 

 「よくわかんない。やっぱりキリ兄ィって変な人」

 「そうね。結局それが一番彼らしいのよ」

 「うん」

 

 ミシェールが後ろからアニタを抱きしめ、肩にはマギーの手が置かれる。

 よくわからない。不思議な人たちだ。

 でも否定し切れる人たちではないらしくて、それが悔しかった。

 

 「あとでたくさんお話しましょう。その前にお客様にご奉仕しなくちゃ」

 「う~い」

 「大浴場、準備しなくちゃ……」

 「さぁみんな、頑張るわよ。三しま~い、ファイッ、オーッ!」

 

 ミシェールが元気よく拳を突き上げたことで、反応は薄いが、三姉妹が動き出す。

 一応とはいえ彼女たちの宿。

 給仕や料理人は雇っているとはいえ、本当に信頼できるのはこの三人で、協力して動き出せば誰にも負けないだけのチームワークがある。とはミシェールの言だ。

 客人が騒がしいなら彼女たちは姦しく、それぞれ違ったテンションで仕事へ向かった。

 

 一方、食堂では尚も騒がしくなるばかり。

 いつもとは違って、いつも通りだが、やはり彼らのペースに変化はなく。騒ぐサンジを諫めるのはナミで、けれど新たに騒ぐのは決まって仲間の誰かだった。

 

 「表に出ろキリィ! 不埒なおまえの性根を叩き直してやる!」

 「それ、サンジにだけは言われたくないなぁ」

 「やめときなさいよサンジくん。男の嫉妬は見苦しいわよ」

 「そうだよねぇナミさん。おれにはナミさんが居るわけだし……♡」

 「そういう意味じゃないから、勘違いしないでね」

 「おいキリ、おまえ船長に断りもなく結婚すんのはだめだろ。そういうのはまずおれに言え。おれはメリー号の船長なんだぞ」

 「いやいや結婚してないから」

 「えぇっ!? してないの!?」

 「そ、そんなに驚くとこかな。別にそれっぽいこと言った覚えもないんだけど」

 「なんだ? 結婚しねぇのか?」

 「これからしますっ」

 「そんな勝手に……はぁ。とにかく、一回ゆっくり話そう」

 

 決着のつけ方もわからず、まだ食事すら終わっていない段階。

 混乱も完全に消えてしまった訳ではなく、説明を求める声もいまだ多かった。

 明日があるとはいえ、一日を終えるにはまだ早く、夜が更けても彼らの時間は続くようだ。

 


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