ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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“海賊処刑人”

 怒り心頭といった面持ちのナミが、バンっと強く音を立てて机を叩いた。

 

 「参加料五十万ベリー!? ふざけんじゃないわよ!」

 「別にふざけちゃいねぇよ。それがレースに参加する条件だ」

 

 広大な酒場の最上階、その一番奥。

 幅広のテーブルを挟んで向き合うでっぷり太った男は、葉巻を吸いながらそう答えた。

 

 レースの胴元である彼は参加者を募り、参加料を徴収しているらしい。それを聞いた時点でナミは不服そうにしていたものの、耐えられなくなったのは額を聞いてからだ。

 デッドエンドに参加するには五十万ベリー支払わなければならない。

 そう言われた瞬間には目の色が変わって、我慢もせずに異論を唱え始めたのである。

 

 彼女の後ろでは他の三人が困った顔をして見守っていた。

 レースに参加したいルフィはそれくらい構わないだろうという表情で、ウソップは参加を回避するチャンスかもしれないと喜色を表し、ビビはただただ困惑している。

 

 「五十ベリーにまけて」

 「ハハハ、おもしれぇお嬢ちゃんだ。だがこれは海賊の中の勇者を募るレースだぞ。おままごとならお母ちゃんと家でやりな」

 「参加料なんて納得できないわ。だってレースにも参加しないあんたが得するだけじゃない」

 「そりゃあそうだろう。おれたちゃ海賊、金にならねぇことする訳ねぇだろ。レースの参加者は賞金を求め、観戦する奴は賭けのために金を出し合って賞金を作り、おれたち主催者は参加者から参加費を集めて懐を潤わせる。長年そうして続けられてきたんだよ」

 「だからって五十万ベリーなんて!」

 「ねぇならエターナルポースは渡せねぇな。レースにも参加させねぇ」

 

 にやけた顔で胴元が告げるため、苛立つナミが表情を険しくする。

 とにかく感じの悪い男だ。レースには参加したいが、今はそれ以上にこの男の鼻を明かしてやりたいと思う。彼女の頭脳はそのために使われていたらしい。

 いじわるそうに笑って、こちらも黙っていないとナミが告げる。

 

 「フン、それならこっちにだって考えがあるわ。エターナルポースだって必要ない」

 「果たしてそう上手くいくかな」

 

 したり顔で胴元が言う。

 何も言わずとも彼女の考えがわかったのか。ナミは不意に表情を歪めた。

 

 「おまえの考えは大体わかる。他所の船を追うか、エターナルポースを盗もうって腹だろ。大体の奴がそうするのさ。こっちもそうさせねぇために護衛を雇ってるんだがな」

 「ぐっ、えっらそうに……」

 

 低く唸るが強く出ることはできなかった。腹に隠し持っていた策を言い当てられてしまって、対策までされているのなら考え直さなければならないと思ったところだ。

 こういう場合、海賊らしくぶっ飛ばしてやりたいと思うものの、深呼吸して心を落ち着ける。

 それではそこらの海賊と同じだろう。確かにそのしたり顔はムカついて、思わず歪めてやりたくなるが、ルフィが目指すのは海賊王。世間一般で居ていいはずがない。

 

 冷静に対処しようとナミが必死で落ち着こうとする中、ウソップは対照的に笑顔だった。

 輝きを放たんばかりの上機嫌さは恐怖心が和らいだせいだろう。このまま参加できなければ危険なレースに参加せずに済む。それを喜ぶ素振りがあった。

 

 「だっはっは、まぁ金がないんなら仕方ないな。こりゃ参加は無理だぞルフィ、諦めてアラバスタに急ごう。ほら、うちにはビビも居るわけだしよ」

 「えぇ? おれは嫌だぞ。絶対参加するんだ、海賊レース」

 

 軽快な足取りで歩み寄った後、ウソップの腕はルフィの肩に回された。

 妙に上機嫌な様子で笑いかけられるのだがルフィの表情は優れず、参加を心待ちにするため、彼の言葉には素直な疑問と異論で応えることとなった。

 その間もナミは考え続けており、何やら譲れない一線があるらしい。

 

 「つってもナミは参加料払いたくねぇみたいだし……なぁ?」

 「ナミ、払ってくれよ。三億ベリーだぞ。おまえだって欲しいだろ」

 「ちょっと待ちなさい。そりゃ欲しいけど、それとこれとは話が別なの」

 「なんで」

 「だって払いたくないでしょ、こんな奴らに」

 「それだけか? 金がないとかじゃなくて?」

 「お金はそれなりにあるわよ。でも参加料だけで五十万ベリーなんて癪じゃない。いくら三億ベリーのためだからって、私の五十万は返ってこないのよ?」

 「え~!?」

 「それだけのために……おまえ」

 

 あっけらかんと言うナミの顔を眺め、驚かずにはいられない。予想外である一方、子供のような意見にはルフィだけでなくウソップでさえ開いた口が塞がらなかった。

 

 金銭的に困窮している訳ではなく、ただ単純に払いたくないだけだという。

 それなら払ってくれてもいいのではないかとも思うのだが、彼女なりの拘りがある様子。

 すぐさまルフィは支払いを頼み始めて、しかしやはりナミは納得していない顔だった。

 

 「なぁ~ナミ、払ってくれよ。あとで三億ベリーもらえるんだからいいだろ」

 「確かに払うしかなさそうだけど……やっぱりムカつくのよね、あいつの態度とか」

 「そんなの気にすんな。明日はレースなんだぞ。おもしろそうじゃねぇか」

 「う~ん、三億ベリーのための投資か……でも」

 

 頭を抱えてしまったナミは苦い顔で考えていたようだ。

 これはまずいとウソップが慌て始める。このままならば参加を避けることもできる可能性はゼロではない。しかし彼女が考えを変えてしまったら参加することになる。

 できる限り平静を装い、考えを変えさせないよう、ウソップが意見を口にし始めた。

 

 「ま、まぁでもいいんじゃねぇか? 別にここで三億ベリー手に入れなくてもよ、ビビは王女なんだから、アラバスタに着きゃ王様からお礼とかあるかもしれねぇし」

 「わ、私?」

 「そうだよなビビ? 頼む、ここは穏便に進めるためにも……」

 「そ、そうね。国のお金のことは今すぐ決められないけど、私個人の貯金ならなんとか」

 「だそうだ。だからここは先を急いでだな――」

 

 なんとか注意を引いて、この場を立ち去ろうと考えていた。すると振り返ったナミはきょとんとした顔でウソップとビビを見る。

 

 「何言ってんの、そんなの当たり前じゃない。そこに関しては心配してないわ」

 「ええっ!? すでに考慮済み!?」

 「わ、私にも言ってなかったのに……」

 「王女を送り届けるんだからそれくらいあって当然よ。それとこれは別問題。三億ベリーを見逃すっていう手は絶対にない」

 「だったらもう払えよ、おまえ……五十万ベリーくらい」

 

 期待が裏切られて肩を落としてしまう。

 力の抜けてしまったウソップは溜息をつき、投げやりな態度で呟いた。

 ビビもまた自身が知らなかった企みをあっさり明かされ、どことなく困った顔で俯く。

 

 二人にとっては残念なことだが、意見を聞き入れられることはなさそうだ。

 話は停滞しかけていた。

 

 そんな頃を見計らい、どこぞより近付いてきた人影が彼らへ声をかけたのである。

 長身の青年だった。黄色いジャージを身に着け、七分丈の黒いズボンの真下には同色のブーツを履き、コツコツと足音を立てている。

 黒のシルクハットをかぶり、髪はわずかに赤みがかった色。

 鋭い目つきは一心にルフィを捉えていて、周囲の者とは纏う空気が違っていた。

 

 「金がないならおれが立て替えてやろうか?」

 「ん?」

 

 何気ない一言。警戒心を感じさせず気楽にルフィへ問いかけた。

 嫌な予感がしたのか、即座にウソップが割って入って青年の前に立つ。まるでルフィの姿を隠そうとするような素振りは、間違いなく答えがイエスになるだろうと予想したからだ。

 

 「うぉおおいっ!? いきなり出てきて何言ってんだてめぇ! 余計なこと言わなくていいぞ! こっちはやっと話が纏まりそうなんだよ!」

 「ただしその代わり条件がある。レースの間、おれをおまえらの船に乗せろ」

 「話聞いてんのかてめぇ!? おれを無視すんな!」

 「おまえが払ってくれんのか? しっしっし、いい奴だなぁ」

 「やめろ~ルフィ! おまえはおまえで疑わなさすぎだろ!」

 

 ウソップの必死な叫びにも耳を貸さず、ルフィと青年は視線を合わせていた。

 いつも通りと言えばそれまでか。

 全く疑わずに彼の提案を受け入れようとしている。

 

 「じゃあとで返すからよ、貸してくれよ」

 「船に乗る件は?」

 「ああ、いいぞ」

 「ちょっとルフィ、こいつが誰かもわからないのに、そんな条件……!」

 「そうだぞルフィ~! よく考えてから答えろって!」

 

 慌ててウソップだけでなくナミまで止めようと肩を掴む。

 海賊だらけの島で、明らかに雰囲気が違う人物。これを警戒しないのはルフィくらいのもの。常人ならば何か裏があると思うのは当然だった。

 

 外見を確認しただけでもどこか威圧感のような何かを感じる。

 しかし手配書で見た覚えのない顔だ。

 

 警戒するのはそのせいか。

 全く知らない相手だからこそ、手配書で見た顔と出会う時とは違った緊張感を覚える。

 少なくともこの風貌で弱いとは思えない。自分一人で近寄ってきたところを見てもそれなりに胆力はあるのだろう。だが、一人で来たと確証を持てた訳でもなく、どこかに仲間が隠れているかもしれない。二人は騙し討ちを警戒していたようだ。

 

 仲間たちの警戒心も知らず、ルフィは笑顔で問いかけた。

 

 「おまえ名前は?」

 「いやいやだから! 乗せねぇぞ!? こんな怪しい奴メリーに乗せるっておまえ!」

 「シュライヤ……シュライヤ・バスクードだ」

 

 帽子を手で押さえつつ、含みを感じる笑みと共に告げられる。

 その一言を聞いて周囲ではわずかに動きがあった。

 

 明らかに顔色を変えた者たちが居る。

 近くのスペースに居た海賊が飲食の手を止め、聞こえていた胴元も笑みを消してしまい、一瞬で音が消えてしまったかのような状況となる。言わば空気の重みが増していた。

 先にルフィ以外の三人が気付いて、危険を感じたのはそれからだ。

 

 見れば数多の海賊たちが武器を手に取り、席を立って歩いてきていた。

 すでに薄れたはずの戦闘の気配を感じたのは、彼らの目が血走っていたからか。

 三人はそそくさと身を寄せて縮こまり、素早くルフィの背へ隠れる。

 

 「シュライヤ・バスクードォ?」

 「そいつは有名な賞金稼ぎの名前じゃねぇか」

 「確か、“海賊処刑人”とか呼ばれてたか?」

 「五千万ベリーの賞金首を一人で討ち取ったっつってたなぁ。ありゃ本当なのかねぇ」

 「しっかしおかしな話だよなぁ。海賊の島になんで賞金稼ぎが紛れ込んでんだ、おい」

 「まさかおれたちを“処刑”しに来たとかぁ?」

 「ハハハッ、笑える」

 

 ぞろぞろ集まってきて二十人近くは居ただろう。

 瞬く間に青年、シュライヤが取り囲まれてしまい、ついでにルフィたちまで囲まれた。

 一人の男がサーベルの腹でシュライヤの顎を撫でて、脅すように呟く。

 

 「ヨゥ、答えろよ。どういうつもりでこの島に来てんだ? 自殺志願じゃねぇよな」

 「うるせぇな。おれがどこに居ようとおれの勝手だろ」

 「ところがそうでもねぇのよ。海賊の島にゃ海賊しか入っちゃいけねぇ決まりなんだ。おまえは海賊か? 違うよな。じゃあここに居ちゃいけねぇ人間だろうが」

 「正規のルートで入ったんだ。文句を言われる筋合いはねぇ」

 「チッ、どこぞの船にでも忍び込んでやがったか。それならよう」

 

 二メートルを超える大男がサーベルを握り直した。

 一度手元へ引き寄せ、筋肉が一層盛り上がる様相を見せる。

 力を入れて、シュライヤ目掛けて振り下ろそうとしていたらしい。

 

 間近で見ていたビビやナミ、ウソップは小さく息を呑んだ。しかしルフィは敢えて反応せずに表情さえ変えない。涼しげな目で見つめている。

 

 「おれが判断してやるよ。てめぇはここで、死ぬべきだろうが!」

 

 大上段から振り下ろされる。

 サーベルはシュライヤの脳天を割ろうと迫り、思わずビビが目を瞑る。

 

 誰もが同じ結果を予想したのだが、男たちの視界にはそれらを裏切った光景が映った。

 サーベルを振るった男の体が宙を舞ったのである。

 二メートルの巨体が細身のシュライヤに負けたらしく、鋭い回し蹴りが腹へ突き刺さって、気付けば地面を転がっていた。

 流石に意識を失うほどではなかったようだが、それにしても本人でさえ驚く状況だ。

 

 ぱちくりと瞬きを繰り返し、蹴られた男が腹を押さえながら起き上がる。

 シュライヤの姿勢が変わっていた。男を蹴った仕草の後、右足は伸ばされたまま、嘘ではないのだぞと伝えるような姿。その足を下ろして、ポケットから両手を出す。

 敵に囲まれた状況下で彼は笑っていた。

 

 やっと状況が理解できたようで、武器を掲げて吠える音に包まれた。

 取り囲んでいたはずのルフィたちさえ忘れ、彼らはシュライヤにのみ注意を向けていたようだ。

 

 「この野郎……図に乗ってんじゃねぇぞ」

 「てめぇ誰を相手にしてんのかわかってんのか? あ?」

 「おれたちゃ泣く子も黙るガスパーデ海賊団だぞ」

 

 手に手にサーベルや棍棒、斧を持つ男たちを周囲に置き、シュライヤは少し俯いてほくそ笑む。

 

 「へぇ、そりゃ好都合」

 「この島に来たのを後悔しろ!」

 

 また別の男が右側から襲い掛かってきた。

 これを認識したシュライヤは軽やかに跳び、背後に居た男の肩に手をついて、バック転の要領でその場から大きく飛び退く。包囲すらも易々と飛び越えてしまった。

 誰も居ない場所まで逃げ、無傷で着地する。

 

 彼は自ら帽子を脱いで手に持った。薄く赤を感じさせる髪が露わとなる。

 端正な顔立ちをしていた。

 精悍で意志の強さを伝える目つきだ。複数の敵に対して怯えていない。

 

 何を想ったか、彼はルフィ目掛けて帽子を投げた。回転するそれは軌道を変えることなくルフィまで届き、その手へ納まる。

 受け取ったはいいものの意味がわからず首をかしげた。

 敵が肩を怒らせているのを知りながら、シュライヤはルフィへ言う。

 

 「悪いな、持っててくれ。話を続けるにはこいつらが邪魔だろ」

 「わかった。いいぞ」

 「余裕ぶっこいてる場合かコラァ!」

 

 同じフロアに居た男たちまでもがぞろぞろ集まってくる。

 その数、百人はくだらないだろう。

 もはやガスパーデ一味だけではない。シュライヤに恨みを持つ者、生意気な態度に腹を立てて割り込もうという者、或いはただ喧嘩に参加したいだけの者。それぞれ思考は違っていたが、武器を手にする以上はシュライヤの命を狙う人間ばかりであった。

 

 続々と集まってくる人の波を確認して、肩を回したシュライヤは笑みを深める。

 盛大な喧嘩は望むところか。

 怯える素振りも見せずに集団の視線を受け止めていた。

 

 「この野郎、調子に乗りやがって」

 「てめぇに相棒をやられた」

 「せっかく来たんだ。楽しんで帰れよ」

 「へへっ、面白そうだな。おれにもやらせろ」

 

 武器を担ぐ男たちが歩み寄る最中、突発的にシュライヤが膝を曲げて力を溜めた。

 その瞬間に無数の海賊がどっと押し寄せ、戦闘が始まる。

 

 「やっちまえェ!」

 

 酒場中に怒号が響くほどの迫力だった。

 前後から迫る人の姿はもはや壁のように感じられ、逃げ場を見つけられる隙などない。しかしその場で軽く跳ねたシュライヤは、地面を低く駆けて前へ走った。

 

 自分から敵へ駆け寄り、地面に手を着く姿勢で足が跳ねあがる。

 先頭に居た男が顎を蹴り上げられてたたらを踏んだ。

 意識を失うほどのダメージではなかったようで、姿勢は崩れかけるがなんとか立て直す。ただし気付いた時には手に持っていたはずのサーベルが奪われていて、それはシュライヤの手の中に。

 

 左手に逆手で持ち直して構える。

 尚も海賊たちは猛然と襲い掛かってきて、彼はその全員に立ち向かった。

 

 蚊帳の外となった位置から見るルフィは好奇心から思わず唸った。

 彼の動きは身軽の一言だ。長い腕や脚を活かして敵を寄せ付けないばかりか、必要があれば地面を転がり、予備動作もなくバック転をして、軽やかに敵の攻撃を避けている。

 それだけでなく周囲の環境さえ利用していた。

 敵は大勢、味方はゼロ。そんな絶望的な状況さえ自らの武器としたらしく、数多の海賊団が入り混じるせいで連携が取れない敵を置き去りに、次々居場所を変えて移動していく。

 

 大勢の人間を倒すことに慣れている戦い方だった。

 一人で賞金稼ぎとして生きてきた経験だろう。逃げながら戦う、奇妙だが確かに有効的だ。

 

 広い場所に居ては不利だと判断し、シュライヤは敵の間を駆け抜け、つい先程まで宴が繰り広げられていたスペースへ飛び込み、料理やグラスが並ぶテーブルを飛び越える。

 直後、一面に並んだ海賊がピストルを構えていた。

 これを回避するためテーブルをひっくり返して盾とする。発砲はその直後だった。

 

 「撃て撃てェ! 殺せェ!」

 「いやっほ~っ!」

 

 即席ながら協力して攻撃のタイミングが合わせられた。

 銃弾を放つ軽やかな音が連続して、辺りには硝煙が漂い、放たれた弾はテーブルを貫通する。

 隠れていたシュライヤは危うく当たりかけて、冷静な表情だが幾分肝を冷やしていた。

 

 「おっと。流石に数が多いな」

 

 左手にはサーベル。

 使い慣れていないが唯一の武器。何もないよりはマシだろうと考えて握りを確かめながら、発砲音が消えた瞬間にテーブルの陰から飛び出す。

 気付けば眼前には三メートル近い大男が立っており、すでに斧を振り上げていた。

 

 「うおっ、でけぇな」

 「死ねコラァ!」

 

 両手で柄をしっかり握り、全力で振り下ろされてくる。強固な斧はテーブルを叩き割って、ついでと言わんばかりに陶器の皿さえ両断してしまっていた。

 それでもシュライヤの体には傷一つない。

 素早く身を回転させた彼が斧を握る手首を切り付け、鮮血が舞うと同時に男の体が反射的に斧を手放した。肉体の反射を利用している様子である。

 

 小さな悲鳴。しかしそれさえ最後まで聞かず、顔面に蹴りが叩き込まれる。

 斧を手放してしまった男は無様に地面へ背をつけ、転がってしまった。

 

 「ぐおおっ!? 痛ぇぇぇっ!?」

 「バーカ。ザコは引っ込んでろよ」

 

 倒れた大男に代わるよう、地面を蹴った小男がシュライヤへ飛び掛かる。

 両手には短刀。使い込まれた様はボロボロの刀身から伝わった。

 身長こそ低く、脅威と感じようもない姿だが、奇妙にも両腕が長い。まるで関節が二つあるような外見をしていて、その不気味な小男は素早く腕を振るった。

 

 「ヒャオッ!」

 「へぇ、手長族か」

 

 逆手に持ったサーベルで刃を受ける。

 軽快な音を立てて通り過ぎていき、受け止めるまでもなかったらしい。

 間を置かずに次の攻撃が来て、体は遠いのに腕だけが伸びてくる。妙な感覚だった。存在こそ前々から知っていたが、初めて対峙する人種“手長族”に多少の困惑を抱き、シュライヤの体は後ろに下がりつつ警戒心を抱く。

 

 二度、三度と刃を受け流し、表情が歪む。

 細く長い腕は見た目に反してかなりの筋力だ。片腕で受けていては感じる疲労感が凄まじい。

 

 防御すらまずいと感じたのはその時だ。

 周囲の環境を見やり、判断するのは一瞬。

 シュライヤの体を挟み込むように両腕が振るわれた瞬間、彼はサーベルを順手に持った。

 

 「ヒャオォ! もらったァ!」

 

 瞬時の判断で地面から足を離した。自身の判断で背中から地面へ倒れていき、手長族の男はまさかの回避行動で目が点になり、反対にシュライヤは笑みを浮かべていた。

 

 倒れ込む最中、左腕を振ってサーベルを投げつける。

 体勢は悪かったが、くるくる回るそれは空気を切り裂いて宙を駆け。

 一秒と経たず標的の肩へ突き刺さって悲鳴を発させた。

 

 「ぎゃあっ!? な、な、投げっ……!?」

 

 狼狽したせいで背中から地面へ倒れ込む。

 その隙にシュライヤは先に倒れ、素早く立ち上がり、駆け出した。

 敵へ向かう前に先程の大男が落とした斧を拾い、それから手長族の男を目指す。

 

 彼もすぐに起き上がってきた。しかし時を狙ったかのように、起き上がった瞬間の彼へシュライヤが駆けつけてきて、両手で持った斧を振るおうとしていた。

 避けようとは考える。だが体が言うことを聞くほどの時間はない。

 男の体は分厚い刃で切り裂かれて、バッと勢いよく血が噴き出した。

 

 悲鳴さえ噛み殺して意識を失う。

 その傍を通り過ぎ、ふぅと一息つくシュライヤは前方を睨みつけて敵を牽制した。

 

 かなり戦闘に慣れていなければできない芸当だ。一端の海賊として航海を続ける面々は一連の動作で彼の実力を感じ取り、認識を改めて表情を引き締め直す。

 多くの者がそうする中、先に倒された大男が起き上がっていた。

 鼻を押さえて鼻血を流しているが、意識は失っていなかったらしい。シュライヤの背後で立ち上がり、おそらく気付いていないだろう彼を睨みつけ、思い切り拳を振りかぶった。

 

 「この野郎っ、それはおれんだろうが!」

 「なんだ、もう起きたのか? 寝てりゃよかったのに」

 

 全力で拳が振り抜かれるものの、軽い様子で屈んで避けられ、完璧に見切られていた。

 あっさりした様子でシュライヤが斧を捨てる。

 重い武器が手に合わなかったのだろう。無手になった直後、地面に落ちていた酒瓶を拾った。

 

 しゃがみ込んで頭上を拳が通り過ぎ、カウンターの要領で腕を振り上げる。

 顎を捉えた酒瓶が砕け、凄まじい衝撃が体を襲い、今度こそ意識を失って背から倒れた。

 

 中身が入っていなかったのが幸いだった。割れた瓶の破片が頭から降り注ぐが、彼の体が傷つくことはなく、冷静な面持ちですんなり立ち上がる。

 右手には割れた瓶の飲み口の部分。

 鋭利な先端は武器の代わりにもなると考え、今度は敢えて捨てず。

 二人同時に向かってくる敵の姿に目をやった。

 

 「ハ~ッハッハ! そんなもんで戦えんのかァ!」

 「止めれるもんなら止めてちょ~だいよ!」

 

 棘が付いたナックルダスターを装着する細身の男と、槍を構える小太りの男がやってきた。

 冷静に見据えるシュライヤは即座に対処する。

 

 手に持っていた瓶を投げつければ、真っ直ぐ飛んだそれが小太りの男の顔に当たった。

 尖った先端によって皮膚が裂かれて鮮血が飛ぶ。重症と呼ぶほどではないが身を仰け反らせずにはいられず、当然隙を生む結果となり、シュライヤはそこを狙った。

 敵から素早く槍を奪い取ったのである。

 

 「あっ、相棒――ぶおっ!?」

 

 奪った槍をバットのように振り抜き、柄の部分で細身の男が顔を殴られた。勢いに負けて体が一回転し、浮遊感を感じたかと思うと、後頭部を地面に打ち付ける。

 どうやら彼は気を失ってしまったようだ。

 手で顔を拭った小太りの男もそれに気付いて、狼狽すると同時に怒りを露わにした。

 

 「なんだぁてめぇ! ふざけた真似しやがって――おぼぉ!?」

 

 文句を口にした途端、槍の石突が顔面に激突した。

 めり込むようにして男にダメージを与え、膝から力が抜けてしまい、倒れ込む。

 小太りの男も気絶した様子で、シュライヤは肩に槍を担いでほくそ笑んだ。

 

 大した脅威とは思っていない顔だ。ほんの数秒の攻防でも余裕を感じさせ、身軽で素早く、的確な行動により多を相手取っている。敵に対して全く遅れを取ってはいなかった。

 

 まだ続々と敵が迫る。だが彼は慌てずに迎え撃とうとしていた。

 傍観していたルフィは目を輝かせて見つめる。

 武器を選ばず、その場にある物を使って攻撃を繰り出し、その身軽さは驚嘆に値する物。

 かつて見たことがない戦法は好奇心を掻き立てる物だったらしい。

 

 ルフィは今にも飛び出しそうな姿で呟いた。

 

 「あいつすげぇな、めちゃくちゃ身軽だ。賞金稼ぎっつってたな」

 「ええ……海賊処刑人よ。有名な賞金稼ぎ。五千万ベリーの賞金首を一人で倒したって」

 

 ルフィの問いに答えるよう、ナミが言葉を吐き出す。

 苦々しい表情で不安が色濃く見える姿だった。

 同意すべくウソップも口を開く。

 

 「そいつなら聞いたことあるけどよ、あんなひょろい奴なんだな……てっきりもっと大男だと。でもほんとに強ぇぞ」

 「この辺りでは最も有名ね。私も姿を見たことはなかったけど」

 

 ビビも続けて言う。グランドラインで暮らし、一時的にとはいえ賞金稼ぎとして身分を偽っていた彼女でさえ実物を知らなかったようだ。

 

 高名な賞金稼ぎ、尚且つ実力は本物。

 迫り来る敵の波を受けて次々と倒しており、武器さえ選ばなかった。

 見ていたルフィはいよいよ動き出そうとしている。何かを考えているらしく、持っていた帽子をウソップに預けたのが良い証拠だった。

 

 「ウソップ、これ頼んだ」

 「待てぇい! まさかおまえ、いやまさかとは思うが……」

 「しっしっし、おれも行ってくる!」

 

 楽しげに言ったルフィは颯爽と走り出そうとした。その挙動にあらかじめ嫌な予感を感じていたのか、素早くウソップが腕を掴む。しかしゴム人間である彼は掴まれた腕が伸びてしまい、距離はどんどん開いていってしまう。

 止めるのは難しく、叫ぶウソップの声は届いてはいなさそうだった。

 腕を伸ばしながらもルフィの足は前を目指し続けて、全く影響はなさそうだ。

 

 「なんでそういう展開になるんだよ! おまえが加わったらまためちゃくちゃになるだろ!」

 「だっておもしろそうじゃねぇか」

 「そんな理由だけで混乱させんなって! いいからやめとけ!」

 「まぁ心配すんなよ。すぐ戻るから」

 

 そう言って喧嘩に参加しようとする彼を止め切れず、ついには手が離れてしまう。

 ウソップの声も空しくルフィは駆け出していった。

 

 大立ち回りを見せるシュライヤを眺めつつ、さてどこから始めるかと辺りを見回した。

 遠くでバズーカを構える人影を見つける。標的としているのは当然シュライヤ。別段彼を助けようというつもりもなく、ただ興味があったというだけの理由で、そちらに目をつけたらしい。

 笑顔になったルフィはバズーカを持つ男を目掛けて走る。

 

 「バカな奴らだ、一気にぶっ飛ばしちまえば終わりだろ」

 

 体格の良い男が引き金に指をかけた。

 その頃に気付いた大勢の人間が騒ぎ始め、巻き添えを喰らうのを恐れて声を出す。

 

 「おれがぶっ飛ばしてやる! 死にたくねぇ奴ァ逃げ出せよ!」

 「バカッ、おれたちまで巻き込む気か!?」

 「おいやめろっ! 余計なことすんじゃねぇクズ野郎!」

 「あとでてめぇもバラされてぇのか!」

 

 一気に騒がしくなる野次も気にせず、引き金が引かれた。

 バズーカからは特大の砲弾が飛び出し、火薬の詰まったそれはシュライヤを目指して空を進む。

 

 「そら行けェ! ぶっ飛ばせェ!」

 「ゴムゴムのォ~……風船!」

 

 直進する軌道上へ、突如ルフィの姿が現れる。軽くジャンプした彼は体の正面で砲弾を見据え、素早く大量に息を吸い込むと腹を膨らませ、砲弾を受け止めた。

 ゴムの体にダメージはなく、力を溜めるように受け止める姿は多くの者を驚愕させる。

 後に、砲弾は跳ね返され、全く同じ軌道を通って元の位置まで帰っていった。

 バズーカを持つ男に直撃すると、盛大な爆発と共に轟音が鳴り響く。

 

 悲鳴を上げて男が倒れた。

 直後にルフィが着地し、突き刺さる視線を受けながら、にかりと笑って拳を握る。

 

 「にっしっし! 楽しくなってきた!」

 

 ただ純粋に楽しそうな笑顔で、一見すれば子供のようだ。しかし多くの者が知っていた、彼はつい先程までキャプテン・キッドと互角に殴り合っていた人物だと。

 興味が半分、警戒心が半分。

 彼もまた敵として迎え入れられ、騒ぎの中心地へ降り立った。

 


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