ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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UNLOCK

 がやがやと喧騒が続く町中を歩いて、周囲の光景は圧巻である。

 航路屋と呼ばれる店を目指す三人はアニタに先導されていた。

 

 普通に見ればひどく荒れた町中にしか思えない。汚らしいと言えるほど地面や建物の壁が汚れている。酒、残飯、或いは誰かの血がこびりついているようだ。

 死体が転がっていないのが不思議なほどの様相だろう。

 ただ歩いているだけでも殴り合いをしている人間や、或いは剣をぶつけて殺し合っている人間さえいくらでも目にすることができた。そのせいで新鮮な血液が地面に滴りもする。

 

 今やすっかり戦闘に慣れ、血にも慣れたはずのシルクでさえ眉をひそめる光景。

 まだ歳も若く、これほど濃密な海賊の風景に慣れていないビビは、今頃どれほどの衝撃を受けているだろうか。イガラムを筆頭に二人まで心配するのは不思議ではなかった。

 

 「えげつねぇ場所だな。島民全員がこれか」

 「うん。一度来たら忘れないだろうね……キリはここに慣れてるのかな」

 「あぁっ、ビビ様、今頃恐怖で言葉も出なくなっているのではないだろうか。まさか海賊たちの島がこれほど危険な場所だったとはっ。やはり私がお傍でお守りした方が……!」

 「いい加減腹括れおっさん。そりゃおれだってビビちゃんを守ってやりてぇが、今更何言ったところで遅いだろ。ルフィに任せときゃ大丈夫だ」

 

 やはり心配するなというのは無理なのか、相変わらずイガラムは嘆いてばかりだ。サンジもそろそろ嘆きの言葉に飽き飽きしている顔。雰囲気は決して良くはない。

 変わるきっかけを与えなければと、シルクが前を歩くアニタを見た。

 彼女は一定のペースで進み続けており、背後のやり取りに興味を示さない。

 打ち解けたいとの思いもあってやさしく声をかけてみる。

 

 「アニタちゃん、だよね。キリとはどういう関係なの?」

 「別に。ただの知り合い」

 「確かキリ兄ぃって呼んでたよね。仲良いんでしょ?」

 「仲良いって言うか、変な人だよ。よくわかんない。ふらっと来てふらっと帰るだけだし」

 

 アニタの態度は決して友好的な物ではなかった。単純に興味を持たないのだろう。

 仲間の話題とあって気になった様子でサンジも耳を傾け始める。

 シルクはめげずに笑顔で話しかけた。

 

 「キリとはどうやって知り合ったの?」

 「ミー姉ぇとマー姉ぇが知り合いだったんだって。昔は生意気だったらしいよ」

 「へぇ。アニタちゃんと会った時は?」

 「もう今の感じ。ふにゃふにゃしてるし、本心は見せようとしない。本人も小さかった時とは変わったって言ってた」

 「そっか……アニタちゃん、お姉さんが居るんだね」

 「血は繋がってないけどね。あの二人よりはキリ兄ぃの方がめんどくさくないよ」

 

 やれやれと首を振ってアニタが嘆息する。

 姉が居る、との言葉に反応したのはシルクだけでなく、サンジも同じだった。明らかに目の色が変わって期待感が表情に表れている。想像するだけですっかり頬が緩んでいた。

 そのことに気付いてシルクもまた、呆れた調子でやれやれと首を振って溜息をつく。

 

 「お姉さんが居るのか。どんな人なんだ?」

 「ただの変人だよ。ミー姉ぇは根明で、マー姉ぇは根暗。どっちもバカが付くほど本好き」

 「そうか……一度会ってみたいな」

 「あっそ。会ったらがっかりすると思うけど」

 

 あくまで感情を感じさせない様子で話していた。

 道案内を頼まれただけ。そんな態度で歩くアニタはつまらなそうな顔である。

 

 可愛い顔をしているのだが態度は素っ気なく、服もボロボロで薄汚れている状態。もったいないとシルクが思うのも当然だろう。せっかくの素材が生かされていない。

 気になった彼女は素直に問うてみた。

 自身も人のことは言えないとはいえお洒落に興味がないのは少女らしくないと思う。

 

 「そういえば、どうしてボロボロの服着てるの? 他に持ってないのかな」

 「持ってる。家に帰ったら着替えるよ」

 「え? それじゃなんでその服を?」

 「見た目が弱そうだった方が敵が油断するってキリ兄ぃが言ったんだ。小奇麗な格好してるよりこういう方が相手に舐められるし、もしもの時襲い掛かるなら油断させた方がいいから」

 「そ、そうなんだ。そんな理由で」

 「悪影響だな。あいつの言葉は」

 

 聞いていたシルクが苦笑してサンジが眉をひそめる。

 話を聞いていればやはり仲が良いのだろう。

 微笑ましく思うシルクは肩をすくめ、振り返ろうとしないアニタに笑いかけた。

 

 「本当にキリを慕ってるんだね。それとも、好きなのかな」

 「そんなんじゃない。あの人もめんどくさい人だし、それに……あたしを置いて行ったしさ」

 

 背を向けていて見られなかっただろうが、わずかに顔が曇って俯く。そう言ったアニタはどこか寂しげな表情に変わり、多少とはいえ声色も変化していた。

 何やら事情がありそうだ。

 シルクやサンジのみならず、冷静さを取り戻したイガラムも空気の重さを知る。

 

 かくして、細い路地へ入り込んでついに目的地を発見した。

 アニタが指し示して説明する。掲げられた看板は砂時計のような形であった。

 

 「あれが航路屋だよ。エターナルポース専門で売買してる」

 「そんな店まであんのか」

 「探せば変わったお店もありそうだね」

 「シルクちゅわ~ん! あとでデートがてら回ってみなぁ~い!」

 「あはは。面白そうだけど、用事が済んだらみんなと合流しないとね」

 

 若干空気も変わって和やかになりながら、扉を開けて店へと足を踏み入れる。

 こじんまりとした店内だった。

 薄暗い店内の明かりは壁に掛けられた数本の蝋燭。小さな火が店内を照らしている。店内には四つの棚が置かれていて、そこには砂時計型の物、エターナルポースが無数に並べてある。

 入り口から真っ直ぐ伸びた通路の先にはカウンター。

 そこに一人の老人が座っていた。

 

 アニタが先頭となって棚の間を歩き、カウンターへ足を運ぶ。サンジ、シルク、イガラムも後ろから続いた。店主の男は声もかけずにじっと彼らを見ている。

 最初にアニタが到着し、手を上げて声をかけた。

 それからようやく店主が口を開く。

 

 「じいちゃん、客連れてきたぞ」

 「いらっしゃい。うちなら大抵の航路は手に入るぜ。どこへ行きたい?」

 「はい。我々はアラバスタ王国へ向かいたいのですが、サンディ島へのエターナルポースは」

 「ない」

 

 イガラムが前へ出て口を開くと同時、店主が簡潔に返答した。

 その一言で三人の表情が変わる。

 

 「ない? それは本当ですか?」

 「本当だ。嘘なんかつかねぇ」

 「な、なぜ」

 「あいつだよ。例の七武海のせいだ。クロコダイルがサンディ島に拠点を置いてからエターナルポースの流通がダメになった。近頃は一つも見てねぇな」

 「どういうことだ?」

 

 イガラムが動揺する一方、事情が知れずにサンジが首をかしげる。

 反応したのはシルクだった。海賊になる前から新聞を読んで世界の動きを知っていた彼女は、高名なクロコダイルに関する噂も耳にしている。多少は情報も持っているらしい。

 

 「クロコダイルは七武海として、拠点にしているサンディ島に来た海賊を狩ってるんだよ。だからここ数年間、アラバスタ王国が海賊の被害にあった回数はゼロ」

 「まるで英雄だな。その話だけを聞いてりゃ、だが」

 「そうだ。クロコダイルは国を守ることで英雄の仮面を被り、自らの素性を隠したのだ」

 

 後を追うようにイガラムが説明する。バロックワークスに潜入して情報を集める内に理解した。かの男は狡猾で、計画のために敢えて海賊ではなく英雄になろうとしたのだろう。結果から見ればそれが功を奏している。バロックワークスは、海賊島にすら知られていないようだ。

 イガラムの言葉を聞いた店主は訳が分からないと首をかしげている。

 その表情から見ても情報は届いていないらしかった。

 

 話を理解したサンジが顎に手を添え、真剣な顔で頷く。

 理解の早い彼は言葉を受け取って、確かめるため呟いた。

 

 「なるほど。この島は海賊しか居ない場所だ。狩られると知ってて行くバカも居ねぇし、売れもしねぇならわざわざ用意する気も起きねぇか」

 「そういうこった。今のアラバスタじゃ商売ができねぇ」

 「そ、そんな……なんとかなりませんか店主」

 「ねぇ物はねぇんだ。どうしようもねぇな」

 「でしたらせめて、アラバスタに近い島のエターナルポースを頂きたい。急を要するのです。それならばあるのではないですか?」

 「まぁなくはねぇが」

 

 店主はカウンターに頬杖をつき、やる気のない態度であった。しかし何かを考えている素振りはあるようで、すぐには返答を出さずにしばし黙り込む。

 イガラムを見て、次いでサンジとシルクを見やり、ふむと頷く。

 口を開いた彼は初めて笑みを見せた。

 

 海賊島に住む以上、彼もまた海賊。

 すでに海に出ることは無くなっていたが生き方は変わっていない。

 正面から頼んで素直に頷く人間ではなかった。

 

 「どうだいあんたたち。取引しねぇか?」

 「取引、ですか」

 「何だってんだ急に」

 「おーいばあさん、客人だ。例のあれ持って来い」

 

 店主が背後を振り返って言う。すると幾ばくもせず扉が開いて老婆が現れた。

 身長は低く腰は曲がり、歩む速度も遅い。だが足取り自体はしっかりしている姿。皺くちゃの顔には眼鏡があり、白髪は頭の天辺でお団子を作っている。

 

 老婆は眼鏡の位置を直し、客人の顔をざっと確認する。

 それから店主を見た。

 

 「なんだい、この子たちに任せる気かい?」

 「ほれ、新聞で見ただろ。ビロードんとこの紙坊主と写ってた奴らだ」

 「あぁ~そうだったね。それなら腕のない連中よりはマシかね」

 

 顔を見回してすぐの言葉である。

 まさか気付かれているとも思わず、シルクとサンジは驚いて顔を見合わせた。

 

 「知ってたんですか? 私たちのこと」

 「知られたくないなら情報の取り扱いには気を付けなよ、かまいたちのお嬢さん。世界中どこにでも目と耳があるもんさ。特にこの島は情報の坩堝だからねぇ」

 「シルクちゃんの能力まで知ってんのか? あんたら、何もんだよ」

 「なぁに、今はすっかり枯れちまった元海賊だ。おかげで海に出るのも億劫になっちまった」

 

 低く笑う店主が言い終え、奥の戸棚から何かを取り出した老婆がカウンターへやってきた。

 そこへ置かれたのは一通の手紙とエターナルポース。

 頼みがある、と彼女が話し始める。

 

 「私らもう操船なんざ厳しいからね。ある島に私の古い友人が居るんだけど、何がきっかけか、殺し合いを始めちまった。やめろと言ったけど掟だの誇りだの言ってちっともやめようとしない。多分今頃はまだやり合ってる頃だろうねぇ。そいつらにこの手紙を渡して欲しいんだ」

 「そうすりゃアラバスタ付近の島のエターナルポースをやる。代金はいらねぇ」

 「どうか届けてやってくれないかねぇ。ついでに言ってやっておくれ。親友同士で殺し合うのはいい加減やめろ、海賊にとっちゃ掟なんざクソ食らえだってね」

 

 店主と老婆、夫婦揃って頭を下げた。

 三人は顔を見合わせて困惑し、答えに詰まる。

 大した用事だとも思わないため良い提案だろう。普通に考えれば受けるべき。しかし忘れてはならないのは彼ら二人も海賊であって、その言葉の裏に何が潜んでいるかわからないということ。

 危険な可能性はある。尚且つ急ぐ旅の中で寄り道がどれほどの影響を生むかわからない。

 

 最も問題視すべきだったのは三人の中に決定権を持つ者が居なかったことだ。この話をルフィかキリが聞いていればすぐに決断するだろうが、サンジとシルクはその二人に対する気遣いがあって即決しきれず、イガラムはビビの意見を知りたいと逡巡した。

 

 伸るか反るか、二つに一つ。

 迷う二人を見て真っ先に口を開いたのはサンジだった。

 

 「わかった。しっかり送り届けてやるよ」

 「サンジ、いいの?」

 「他に方法がないようだしな。ルフィとキリが聞いても多分同じ決断をするさ」

 「うん。私もそんな気がしてた」

 「わかりました。では私も同意しましょう」

 

 前に出たサンジが手紙とエターナルポースを受け取ると、すぐに店主が新たなエターナルポースをカウンターへ置いた。そちらはシルクが手に取る。

 彼らが受け取ったのを見て店主と老婆が笑う。

 友好的で、一方では危険な何かを感じる笑みだった。

 

 「いいかい、受け取ったからにはやり遂げなよ。約束を違えれば良くないことが起こるからね」

 「その場に居なくても確認できるって意味か?」

 「そういうことさ。海賊の世界舐めんじゃないよ。こっちはもう百年近くやってんだ」

 「おっかねぇな」

 

 煙草の煙を天井へ向けて吐き出し、サンジが苦笑する。

 おそらくハッタリではない。初めて会ったシルクの能力まで言い当てたのだ。どんな方法で誰に聞いたのか、すでに麦わらの一味に関する情報を掴んでいると思われる。

 

 この先、常に気をつけなければならない。それを教えられたようだった。

 サンジは表情を引き締め、笑みを浮かべたままでひやりとした物を背筋に感じる。

 

 砂時計に似た台座の中に透明な球体があり、その中に指針があるエターナルポース。これには必ずどこを指しているのか、島の名前が台座に刻まれている物だ。

 シルクは自身が持つ物の行先を見た後、サンジが受け取ったそれをちらりと見る。

 老婆の友人が居るという島。

 一体どんな場所なのか。気になった彼女が老婆を見て尋ねた。

 

 「おばあさんの友達が居る島、なんて名前なんですか?」

 「名はリトルガーデン。なぜそう呼ばれたのかは行けばわかるよ。あの二人に会えばね」

 

 笑みを深めた老婆の姿にはなぜかぞっとするものの、シルクは頷くことで反応した。

 行けばわかる。結局はいつも通りということだ。

 

 アラバスタへ直行できるエターナルポースは手に入らなかったが、近くまで行ける航路はなんとか手に入れることができた。用を終えた三人はアニタを連れて店を出る。

 自らの役目は済ませて、次はどうしようかと店先で足を止める。

 まずは目的の物が手に入らなかったことを仲間たちに伝えなければならないだろう。そう提案したシルクは三人の顔を見回した。

 

 「アラバスタの前にちょっと寄り道だね。みんなに教えないと」

 「受けちまった以上は仕方ねぇか。ルフィは確か酒場に向かったはずだな。アニタ、この島で一番でかい酒場の場所、わかるか?」

 「また案内? そりゃわかるけど」

 「どうかした?」

 

 サンジの問いにアニタが渋い顔をしたのを見て、思わずシルクが尋ねる。すると彼女は頭の後ろで手を組み、出会ってから初めて笑みを浮かべたというのに、それが妙に悪そうな顔だった。

 

 「あそこは行かない方がいいと思うけどね。今の時期は特に」

 「どうして?」

 「だって荒れてるから」

 

 にやりとした笑みを見て、咄嗟にイガラムの顔色が変わる。

 

 「荒れている? ハッ!? ビビ様っ!!」

 

 やっと落ち着いたというのにアニタの一言で再び火が点いたらしく、焦りを抱いたイガラムはまたしても大袈裟にビビを心配し始めた。

 これにより他の三人は必要以上にせっつかれ、一行は酒場を目指し始める。

 

 なぜ荒れるのか。特に今の時期が最も顕著なのだという。

 当然道中その質問はされた。

 答えたアニタは悪戯っぽく笑い、元来の性質が現れたのか、物おじせずに言い切った。

 明日には島中が楽しみにするほど大きなイベントがある、と。

 

 

 *

 

 

 「ゾロには話しておこうかと思って」

 

 人目に付かない細い道を歩きながら、キリが隣を歩くゾロへ話しかけた。

 喧騒は遠くになり、彼らが居る道は薄暗く、広い道に居た頃よりもずっと静かになっている。おかげで声も聞き取りやすい。二人は会話に集中していたようだ。

 

 緊迫した空気を感じ取っている。ゾロは厳しい表情であった。

 キリの過去を知り、変化を感じたのはつい最近のことだ。

 時にはこうして二人になる瞬間もあったとはいえ、過去について説明されたことはなく、本人の了承があって明かされた今では以前までの雰囲気とも違う。居心地が良いとは言えない。

 真剣な声に耳を傾け、微笑をそのままに語るキリの言葉を受け止める。

 

 「この先は正攻法だけじゃ生き残れない。ボスの件だけじゃないんだ。ボクはこれから、この一件が終わった後のことを考えて動くよ」

 「具体的には」

 「まだ決めてない。チャンスがあればって感じかな。でもこの島に来たのはそういう意味合いもあるんだ。ここなら名のある海賊に会うのも簡単だ。その中で話のわかる奴を見つければいい」

 「海賊に会う気だったのか? 何するつもりだよ」

 「生き残る術を見つけようと思って。使える人間が居ればね」

 「使える人間、か」

 

 含みのある言い方だ。すでに何か考えている。

 伊達に傍で見てきた訳ではない。ゾロは尋ねずとも理解している顔だった。

 

 「この先、状況次第によってはボクが船を離れることがあるかもしれない。その時はゾロとサンジに任せるよ。ルフィを支えてやって欲しい」

 

 視線を感じてそちらを見れば、呑気に見せて真剣な視線だと思った。

 しかし承諾して良いものか。

 不思議と嫌な予感を覚えて柄にもなく心配してしまい、舌打ちの後で苦々しい顔になる。

 

 「そういうのはおまえの仕事だろ。あいつの傍に居んのが役目じゃねぇのか」

 「もちろんそのつもりだけどさ。未来がどうなるかなんて誰にもわからない」

 「おまえ、妙なこと考えてねぇよな」

 「心配しなくても危ない橋なんて渡らないよ。ボクだって命は惜しいんだ。ただ、支えるために敢えて離れなきゃいけない状況があるかもしれないでしょ? もしもの話だって」

 「おれとコックに任せるってか」

 「二人はうちの二枚看板だ。サンジは女好きが玉に瑕だけど頭が回るし、冷静に最善策を選べる判断力を持ってる。仲間のバランスも取ってくれるしね。サンジがみんなを指揮する分、ゾロは一歩下がったところから状況を見てくれればいい」

 「……そこまで考えといて、なんで」

 

 また舌打ちを一つ。がしがしと乱暴に頭を掻く。

 吐き出しかけた言葉を飲み込み、ゾロは大きく溜息をついた。

 

 「ルフィは信頼してるかもしれねぇがな、おれはおまえを信用しきれねぇ。バカな真似するつもりならぶん殴って止めるぞ。忘れんな」

 「あはは、ありがと。ぶった切るって言わない辺りやさしいよね」

 「うるせぇ。斬るぞ」

 「うん、そっちの方がらしいや」

 

 歩を進めて目的の場所を見つけ、軽やかな足取りで扉の前に立った。

 人間一人がやっと通れるだろう道の半ば、曲がりくねった壁に木製の扉がある。目立つような看板は掲げておらず、人が住む家屋にも見えない。ひどく異質な光景であった。

 当然の反応としてゾロは訝しむ顔つきになる。

 しかしキリはその扉を見て足を止めた。

 

 「着いたよ。ここだ」

 「店に行く予定じゃなかったのか。こりゃ店じゃねぇだろ」

 「普通の人にとってはね。入るためには癖があるんだ」

 

 そう言ってキリは扉をノックし始めた。

 最初に二回。次いで三回。最後に五回。リズミカルに、且つはっきりと間を空けて叩く。それが終わると先に左側へドアノブを捻り、すぐに右側へ捻った。

 本来なら開かないはずの扉が開き、二人の前に薄暗い空間が現れる。

 視界に入ったのは地下へ向かう階段だった。

 

 「開けるにはコツがあるんだよ。覚えた?」

 「隠れた名店ってやつか」

 「そんな感じ。暗いから足元気をつけてね」

 

 一人通るのがやっとという細い階段を、キリが先頭になって降りていく。

 その後ろからゾロが続いた。

 

 明かりがないため通路は暗い。足元を確認することすら困難なほどだ。

 体感では二メートル程度の距離を降りて次の扉に辿り着く。

 慣れた動作でキリが扉を開けて、一気に視界へ光が飛び込んだ。

 

 狭い店内だ。

 入り口から見てすぐの場所にL字の形でカウンターがあって、人が座れる席は九つ。いくつかの照明があるがやはり薄暗くて雰囲気はある。店内には蓄音機による音楽が小さく鳴っていた。

 どうやらバーのようだ。

 カウンターの後ろに置かれた棚に酒瓶が並び、その前に妙齢の美女が立つ。

 

 ドレスを身に纏い、金髪をボブカットにしており、男なら誰もが見惚れるほど美しい。しかし彼女の正確な歳を知る者はおらず、また本名も知られていない。

 謎に包まれた人物はマダム・ナンシーと呼ばれていた。

 扉が開いてキリが現れたことに気付いた彼女は、少し驚きを含んで微笑む。

 

 「あら、いらっしゃい。話題の男がやってきたわね」

 「こんばんはマダム。久しぶり」

 

 軽く手を上げて挨拶する。その程度は当然と言えるほど顔見知りだったらしい。

 促したことで先にゾロが席へ着き、その隣にキリが座る。入り口に近いのはキリになった。

 

 腰を落ち着ければすぐにナンシーが声をかけてきた。

 どことなく嬉しそうな笑顔で、二人を歓迎する態度がある。店の状況や入店条件を考えればよほど暇だったのかもしれない。早くもグラスを準備する動きさえあったようだ。

 

 「しばらく見ないと思ったらイーストブルーに居たのね。どうやって戻ったの?」

 「政府の人間がレッドラインを越えるって聞いたんだ。ちょっと忍び込ませてもらったよ」

 「そう。それだけで大冒険だったでしょうに。ふふ、まさかまた戻ってくるなんて」

 「今度は海賊としてだよ。前みたいに放浪の身じゃない」

 

 背筋を伸ばして座るキリは笑顔でそう言う。

 ゾロはちらりと彼の横顔を見た。放浪の身と発したからには、おそらくバロックワークスに所属していたことは知らせていないと予想される。やはり秘匿されているのだろう。

 敢えてバラしてやる必要もないと考え、視線を切って口を噤んだ。

 

 グラスを二つ持ったナンシーは二人へ振り返る。

 ただのバーに来たかったのか。そう思ってしまうほど普通の光景だった。

 

 「何か飲む? 時間はあるのかしら」

 「いや、今頃仲間が暴れてるだろうからね。早い内に合流したいんだ。早速で悪いんだけど本題からでいいかな?」

 「久しぶりなのにつれないわね。仲間って麦わら帽子の彼よね?」

 「うん。中々危険な人なんだ」

 「そっか。できればゆっくり話も聞きたいけど、仕方ないわね」

 

 苦笑して肩をすくめれば納得してくれたらしい。

 話を聞く準備ができて、カウンターに両肘をついてキリが問いかけた。

 

 「ロギアに対抗する術が欲しい。できれば急ごしらえで使える物」

 「ロギアねぇ……何かあった? あれは希少種だから、食べた人間なんて限られるけど」

 「うちの船長が海賊王になる。そのために邪魔する奴は排除しないと」

 「大きく出たわね。あなたはそれを承諾したの?」

 「でなきゃわざわざここに来ないよ」

 「フフ、それもそうかしら」

 

 ナンシーもまたカウンターに手を置き、彼の顔を覗き込む。

 

 「あるにはある。だけど何の能力者であれ、実力者たちは対抗策を持っていたとしても仕留められるとは限らないわ。彼らはそういう次元じゃないの」

 「だろうね」

 「ここを頼るのはその場しのぎ。本気で王を目指す気なら考えを改める必要があるわよ」

 「噂で聞いた、覇気って力のこと?」

 「ええ。“新世界”に居を置く海賊の大半がその力を使える。言い換えれば覇気を操れない者が彼らを倒し、王になるなんて絶対に不可能。そのこと、ちゃんと理解してる?」

 「時間ならある。今は前に進む力があれば十分」

 

 いつしかキリの目の色が変わっている。笑みはそのまま、空気が張り詰めていた。

 狂信的。或いは狂気的と言えばいいのか。

 ゾロは静かに目を伏せ、数々の海賊を見てきたナンシーも思わず笑みを消す。

 

 「必要になるならいずれ手に入れるさ。とにかく今はルフィが前に進むって決めてる。それならその道に立ち塞がる奴をどけるのがボクの仕事だろ? 七武海だろうが海軍大将だろうが、四皇だろうが、全部排除してルフィを王にするって決めてるんだ」

 「あなた……変わったわね。すっかり私好みの海賊になって」

 

 ナンシーも一瞬目を伏せ、改めてキリの姿を見て笑みを浮かべる。

 理解しているのならば多くは言うまい。正直に言えば今の彼らを見ても脅威とは感じない。それを本人が理解しているのならばまだ伸び代はあるだろう。

 手を貸してやることを決めた顔つきだった。

 

 「ちょっと待ってて」

 

 そう言ってナンシーは店の奥へ姿を消す。

 店内に沈黙が降りた。音楽は流れているが空気の重さがあり、今まで通りではない。

 ゾロは腕を組んで目を閉じたまま。

 その隣でキリは自身の口元に手を当て、元に戻る努力をした。

 

 感情を露わにするタイミングは考えなければならない。すぐに熱くなってしまうようでは武器としては使えないと理解している。これではまだ半人前だ。

 

 しばしの沈黙の後、再びナンシーが戻ってきた。

 その手には古びた木箱が握られていて、それがキリの前に置かれる。ナンシー自らが蓋を持ち上げて中身を見せ、その頃になってゾロも目を開けて二人揃って覗き込む。

 入っていたのは一丁のピストル。

 しかしそれ以上に大事だったのは、脇に置かれた小さな袋。弾丸にこそ意味があった。

 

 「裏のルートで通ってきた。海楼石の銃弾よ」

 「海楼石? あれは政府しか扱えないはず」

 「つまり、政府も海軍も一枚岩じゃないってこと。政府しか扱えないってことはそれだけ希少性が高いってことよ。必要な場所に流せば高値で売買される」

 「いくら?」

 「宝払いでいいわ。あなたの船長が本当に海賊王になれたら返しに来て」

 

 ナンシーは胸の下で腕を組んで朗らかに笑った。

 拒否はせずにキリが笑みを深めて箱の中身を受け取る。当人たちにとってはその行動自体が決意の表れとなったに違いない。その後多くを語ることはなかった。

 

 「でも気をつけて。海賊王はそんなに簡単な道じゃない。苦労するわよ」

 「上手くやるさ。もう諦める気はないから」

 「応援してるわ。これは投資。いつか倍返しにして返してね」

 「覚えとくよ。なんなら三倍返しで約束する」

 「フフッ」

 

 ちょうどキリが懐へピストルと銃弾が入った袋を仕舞った直後。

 店の扉が開けられ、チリンとベルが鳴った。

 

 新たに店へ入ってきた人物が居たらしい。目を向ければ髪の長い女性がヒールの音を響かせてカウンターまで歩み寄ってきて、キリのすぐ傍まで来た。

 手に持っていた手配書が置かれる。

 それから間を置かず、唐突にナンシーへ質問し始めるのである。

 

 「人を探しているの。彼を見たことはある?」

 「あら珍しい。ジョーカーの部下がわざわざここへ来るなんて」

 

 ナンシーが呟いたことでキリが顔を上げた。改めてまじまじと女性を見る。

 整った顔をしている。しかし気になるのはそこではない。

 今しがた耳にしたジョーカーという一言。

 他を差し置いてもそれだけは聞き逃すことができなかった。

 

 女性は煙草の煙を燻らせ、取りつく島もない態度。

 ナンシーが会話を試みようとしても聞く耳を持たないのか、声は冷ややかな物だ。

 

 「質問に答えてくれるかしら。この島に彼が来ているはず。調べて欲しいの」

 

 念を押すように手配書を持ち上げ、ナンシーへ見せる。

 彼女が何かを言うより先にキリがそれを覗き込んだ。当然名も知らぬ女性もそれを見、今まで興味を持たなかった彼の存在に気付く。

 

 見せられた手配書は“死の外科医”トラファルガー・ローの物だ。

 見覚えのあったキリは思わず口を開いて尋ねる。瞬間、女性は眉を動かした。

 

 「ノースブルーのトラファルガー・ローか。へぇ、グランドライン入りしたんだね。それは知らなかった。つい最近だったのかな」

 「何、あなた……」

 「ねぇ、ここ座りなよ。君の話が聞きたいんだ」

 

 自らの隣の席を軽く叩き、座るよう促す。唐突なのは彼の行動も同じであった。

 意味が分からず、だが浮かべた笑みと態度から何か考えているらしいと気付いたゾロは、厳しい表情で彼に声をかけた。気を使って声は小さくなっている。

 

 「おい、今度は何するつもりだ」

 「ジョーカーって名前、ちょっと気になってね。知ってる?」

 「いいや、知らねぇが」

 「裏の世界じゃ有名だよ。これを無視する訳にはいかないでしょ」

 「よくは知らねぇが面倒なことになるんじゃねぇのか」

 「それはそれ。使える手は使っておかないと」

 

 顔を突き合わせてひそひそしゃべり、話し終えると再び女性に顔を向ける。

 にこりと笑いかければ、なぜか彼女は固まっていたようだ。

 手配書を持つ手がわずかに震える。

 一瞬のそれも観察しながら問題ないとして指摘せず、あくまで友好的に声をかけ、自身に危険性はないことを暗に主張しながら座るよう促した。

 

 「一杯奢るよ。無理にとは言わないけど、時間あるならどうかな?」

 「あ、あなた……私を必要としてるのね」

 「そうだよ。君がいいんだ」

 

 些細な反応であっても見るからに挙動不審だ。視線は忙しなく動き、しかし確実にキリを意識して見つめて、理由はわからないがなぜか目は潤んでいるらしく、頬も紅潮してくる。

 どうやら男に対する免疫がないのだろう。

 好機とばかり、歯の浮くような科白を吐いた上で、そっと彼女の手を握る。

 びくっと反応した女性はそれでも振り払おうとしなかった。

 

 「君の名前は?」

 「え、えっと、あの……ベビー5、です」

 「ボクはキリ。よろしく」

 「は、はい……」

 

 変わった名前ではあるものの、ベビー5と名乗った女性はしおらしくなって席に着く。

 物腰の柔らかい態度でキリが話しかけ、ベビー5はどこか心ここに在らずの姿で耳を傾ける。

 

 情報を欲した故だろうがサンジのことは言えない光景だ。

 頭を抱えたゾロはやれやれと溜息をつき、ナンシーは海賊らしくなったキリの成長を目にして、微笑ましそうに見守っているのだろう、まるで母親のような顔になっていた。

 


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