ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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置き去りの仲間

 メリー号の男子部屋では男性陣が集まり、濡れた服を着替え終えた頃だった。

 ルフィやゾロ、ウソップとサンジは問題なく自身の手で着替えた。問題なのが水に濡れてだらけているキリである。彼は全く自分で動く気がなくて、仲間の手を煩わせていたようだ。

 自身はさほど動かず、悪戯するつもりのルフィとウソップに着替えさせてもらって騒がしい。

 その様を見ていたゾロは腕組みをして溜息をつき、やれやれと首を振っていた。

 

 「面倒な奴だな、おまえは。いい加減その弱点どうにかできねぇのか」

 「自分でもどうにかしたいんだけどねぇ。二年くらいもらえれば克服できそうな気がする」

 「まだ先は長ぇな。期待しねぇで待つしかなさそうだ」

 「そうしてよ。それまで迷惑かけることになるけど」

 「なぁキリ、早く外行こうぜ。おもしれぇもんあるんだぞ」

 

 キリもなんとか着替えを終え、上機嫌のルフィが笑顔で語り掛ける。

 彼にはまだ外で見た光景を話していていない。大きなクジラに花みたいな髪型の男。きっと見れば驚くだろうと思い敢えて黙っていた様子だ。

 

 長い間グランドラインに居たのならすでに見た可能性もあるが、それはそれで面白そうだろう。

 どうやらキリの反応を楽しみにしている様子だった。

 

 「そうだね。でもボク動けないからおぶってよ」

 「しょうがねぇな。キリは甘えんぼなんだな」

 「ありがとせんちょー。愛してるよ」

 

 しししと笑って戸惑いもせず、ルフィがキリを背負ってやる。

 体重が軽いせいで苦にもならない。不思議と彼にだけは甘い態度があったようだ。

 男同士なら顔を険しくしてしまったらしく、その様を見ていたサンジはぽつりと呟く。

 

 「今のセリフをナミさんとシルクちゃんが言ったら、おれがすぐおぶって差し上げるのに。なんでこいつなんだ、ちくしょう」

 「おい、残念な声が漏れ出てんぞ。それは心の中に隠しとけよ」

 

 呟きを聞いたウソップが言い、先に扉を開けて甲板へ出ていく。それから間を置かず他の面々も外へ出ていき、今度こそ乾いた服で太陽の日差しを受け止めた。

 

 リヴァースマウンテンの麓で運河を傍に置き、赤い土で構成された陸地へ上陸する。

 そこは双子岬という場所だった。

 船が一つ通るのが限界だろう運河を挟んで二つの灯台があり、片方には先程見た老年の男が居る小屋が建っている。一行はそこを目指していた。

 女性陣はまだ着替えているようだが先に灯台の近くへと足を運ぶ。

 

 同じく船を停泊させたアーロン一味は上陸する気がないらしい。

 傍を通り過ぎて騒がしい様子だけを窺って、今はまだ慌てて声をかける必要はないと判断する。

 五人は老年の男、クロッカスが居る場所へ辿り着いた。

 

 「おっさん、来たぞ。まだ二人着替えてるけどな」

 「そうか。別に待ってはいなかったが、まぁいい。それより私に何の用――」

 

 読んでいた新聞を下ろしてクロッカスの目が彼らを捉えた。

 その途端、声を発したルフィを見て、その背に乗って大人しくしているキリもまた視界に入り、不意に表情が変わった。変化は自分で思う以上に大きく、誰の目にも明らかになる。

 それは見覚えのある顔だった。

 

 くすんだ色の金髪はかつて見た物。忘れるはずがない。

 顔立ちもよく似ていて、子供の頃に会ったことを覚えている。今よりずっと背丈が小さく、あどけない様子で、多少生意気だった少年が成長した姿でそこに居た。

 

 リヴァースマウンテンを越えてやってきた時にもひどく驚いた物だった。

 言わば今は、その時の感覚をもう一度味わっているかのよう。

 

 まさかと思って見つめていれば、徐々にキリの表情も変わってくる。

 心の奥へ押し込めていた記憶が蘇り、かつてこの地へ来た当時を思い出す。

 確かに仲間とやってきた。

 そして彼とも出会っていた。

 蘇る記憶に驚き、彼も目を大きくして驚いていた様子である。

 

 「クロッカスさん……?」

 「おまえ、キリか? 大きくなったな。だが、なぜここに……ビロード海賊団は、もう」

 

 クロッカスは動揺している。先程見た際のおどけた素振りは一切見られなかった。

 複雑そうな目でキリを見つめ、きつく握った拳が彼の心境を表していた。

 同じくキリも見るからに平静を失っていて、唐突に真剣な顔でルフィの肩を軽く叩き、下ろしてもらう。まだ体の力が抜けている。おかげで自分の足で立てば体がふらついた。

 

 すぐにルフィが肩を貸し、俯く彼の顔を覗き込む。

 ほんの一瞬だが顔色が変わっている。明らかに青ざめていて呼吸が荒れかけていた。

 

 思い出さないようにと封じ込めていた記憶が脳裏を支配して、クロッカスを、この地に居た巨大なクジラを、そしてグランドラインの先で見た物を思い出す。

 目は見開かれて指先が震え、見ていて心配せずにはいられない姿だ。

 

 「そうか……そうだった」

 「キリ? 大丈夫か、おまえ。体調悪いのか?」

 「ラブーン、大きいクジラは?」

 「あ、やっぱ知ってたのか。そうなんだよ、ここ山みてぇなクジラが居てさ。さっき――」

 

 ちょうどルフィが話していた時に、大量の水を押し上げてクジラが顔を出す。

 怒るような乱暴な素振りは消えており、比較的穏やかな顔で陸地を見る。

 目線は初めて見る五人を捉えていたらしく、クジラを見た途端、キリがひゅっと息を呑んだ。

 

 そのクジラの名前を憶えている。

 ラブーン。

 ウエストブルーからグランドラインへ入った海賊たちが付けた名前で、海賊たちが当時はまだ小さかった彼を仲間として迎え入れて、だが危険な航海を前に別れを告げたのだ。以来、ラブーンはずっとこの地で仲間たちを待ち続けており、再会の時を待っていた。

 

 教えられずとも理解している。否、理解していたはずだった。

 仲間が死んで以来、グランドラインでの記憶の多くは頭の奥へ押し込み、大半を思い出さないようにと努めていた。それでも仲間が死んだ瞬間はフラッシュバックする機会もあったとはいえ、長らく彼らのことを思い出さなかったのも事実。

 

 ラブーンの目を見て全てを思い出した。

 その頃になってナミとシルクも上陸して、近付いてくるとキリの様子がおかしいと気付く。

 彼は今、これまで見たことがないほど呆然としていたようだ。

 

 ルフィの傍を離れ、一人で歩き出す。

 キリはラブーンだけを見つめて前へ進み、危なげな足取りでゆっくり近付いていった。

 

 「霧の海域。生きる骸骨。なんで忘れてたんだろう……君のことも覚えてたはずなのに。でも、そうか、忘れようとしてたんだっけ。あの頃のことは、思い出せば辛くなるから」

 

 仲間たちは静かにその背を見送る。

 普段の冷静さなどまるで見られない、言ってしまえば異常な姿。足取りはおぼつかない物で今にも転びそう。語る声もなぜか空虚で、それなのに悲しげだと感じられた。

 止める術を見つけられずに見送るしかなかった。

 

 キリは海へ落ちる寸前、陸地の縁で足を止め、ラブーンを見上げた。

 顔に笑みが張り付けられているが今にも泣き出しそうで。

 脳裏に浮かぶ光景を見つめ、揺れ動く心が落ち着く暇もなく、やさしく話しかけた。

 

 「ラブーン……ブルックのこと、覚えてるかな」

 

 つぶらな瞳でキリを見ていたラブーンは、たった一言で佇まいを変えた。

 山のように大きな体がびくりと反応し、彼にとって些細な挙動で海が荒れて、高い波が起こる。

 

 反応は確かな物だ。彼は憶えている。

 それだけに後悔が大きくなり、キリは自らの行いを後悔する。

 現実逃避をして、自分だけ逃げようとしていた。ラブーンがずっと待ち続けていることさえ忘れてしまい、自分だけ楽になろうとするなど愚かしいことだ。なぜ今まで気付けなかったのか。

 思い出した以上は無視することはできない。今一度、最期の時を見なければ。

 

 数秒目を伏せ、呼吸を整えてから目を開いて語り出す。

 その名を聞いて驚いていたのはラブーンだけではなかった。クロッカスも同じだ。もう聞くことはないだろうとさえ思っていた名を耳にし、思わず身を乗り出してしまっている。

 しかし背後を気遣う余裕もなくて、キリはあくまでもラブーンへ語り掛ける。

 

 「おまえ、なぜその名を……!? あの時にも教えたことはなかったはずっ」

 「霧の海域で、舵が壊れた幽霊船を見つけた。今から五年前のことだ。その船にはヨミヨミの実を食べて、一度死んだのに生き返った男が居て、白骨化したのにトレードマークのアフロは生きてる時のままでさ。ここに来ることを何よりも願ってた。仲間がみんな死んで、約束を破ってしまったことを謝りたいって」

 

 ラブーンが震えて、海が荒れる。

 いつしか彼は目に涙を溜めていて、感情が高ぶっているようだった。

 それを見てキリも強く拳を握りしめる。

 微笑みを消さぬよう堪えているが、彼にも込み上げる何かはあったらしい。

 

 「ブルックのことだよ。彼はずっと、一人で生き続けていた。ラブーンにもう一度会うために、何十年も孤独に耐えて、自分の口から謝りたいって言ってたんだ」

 

 感情が抑えられず、ラブーンが空を見上げて咆哮を上げた。

 今だけは先程打たれた鎮静剤すら関係なく。今は喜びと悲しみと、その両方を噛みしめて叫ぶ。

 仲間は死んで、だけど生きていた。

 ラブーンはひどく混乱し、それでも必死に理解しようとして、叫び声を上げ続けた。

 

 信じられないという顔をするクロッカスが前に出て、慌てた素振りで尋ねる。

 ルフィたちは混乱したまま、何も理解できていないが彼だけは違う。その名に覚えがあって自分の足で探しにも出た。それでも見つけられなかった人物だ。

 

 「どういうことだ、ブルックは生きているのか? だがルンバー海賊団は、カームベルトを抜けてグランドラインから逃げ出したはずでは……!」

 「それは一部の話です。船長が伝染病にかかって、一味を守るために船と一部の仲間を連れて、危険を承知で脱出を試みることになったと」

 「ブルックが、そう言ったのか……?」

 「はい」

 「なんてことだ――」

 

 クロッカスは呆然と呟き、叫ぶラブーンの姿を見つめる。

 待ち望んでいた。以前にも仲間たちは死んだと教えて、その時は受け入れられないと聞く耳を持たなかったが、たった一人でも生きていたのだと知ってやっと受け入れられたらしい。

 様々な要因で驚きが大きく、クロッカスもまた言葉を失っていた。

 

 彼ら二人は理解しているようだが他の面々は理解できていない。

 困惑は大きくなるばかり。自然にウソップが口火を切って質問を始めた。

 

 「お、おいおい、おまえらだけで話進めんなよ。おれたちには何がなんだかさっぱりだ」

 「そうよ。私たちにもわかるように説明して」

 「キリ、大丈夫?」

 

 ナミとシルクも口を開いて尋ね、答えたのはクロッカスだ。

 ラブーンを見つめてぼんやりした声。

 まだ驚きが引かず、半ば信じられない心地である。

 

 「ラブーンはアイランドクジラと呼ばれる種類で、主にウエストブルーに生息するクジラだ。ある時、海賊たちと共にリヴァースマウンテンを越えてやってきたのだが、この先の航海は危険だと判断して、必ず再会すると約束してラブーンを残して行ったのだ」

 「へぇ、リヴァースマウンテンを越えたのか」

 「だがいまだに海賊たちは戻っていない。もう五十年になる」

 「ご、五十年!? それじゃこのクジラは五十年間も待ち続けてんのか!」

 

 驚いてウソップが声を大きくする。だが空へ向かって叫ぶラブーンの声には到底及ばなかった。

 五十年も仲間との再会を待ち続けた一匹のクジラ。それも仲間は同じ種類のアイランドクジラではなく、おそらくどこかで出会っただろう人間の海賊たち。

 どこで出会い、どんな関係で、どれほど寂しかったのかは知らないが、胸が熱くなる話だ。

 そう聞かされれば叫び声も不思議と先程とは聞こえ方が変わる気がした。

 

 言葉を失くす面々の中でふとシルクが気付く。

 ついさっきキリが語った言葉を思い返せば違和感を感じる。

 彼女は静かにラブーンを見つめるキリの背へ声をかけた。

 

 「ちょっと待って。それじゃ、キリは五十年前に生きてた人と会ったってこと? そういえば、ヨミヨミの実って言ってたけど」

 「ラブーンの仲間はみんな死んだんだ。その中で唯一、一人だけ、悪魔の実の能力で死んだ後に生き返った人間が居る。それがさっき言ったブルック。海賊で船長代理、音楽家だった」

 

 ゆっくり振り返ったキリは微笑んでいた。

 寂しげで、心を苛まれていたのかもしれない。今では鮮明に過去を思い出している。

 脳裏には陽気な声で語る骸骨と、彼と別れる瞬間の風景があった。

 

 「グランドラインには“魔の三角地帯(フロリアン・トライアングル)”って呼ばれる海域がある。深い霧が立ち込めているせいで方向がわからなくなる特徴があって、遭難者が後を絶たない。優れた航海士も技術より勘と運に頼るしかない海域さ。ブルックは五十年、そこで彷徨い続けていた」

 「五十年も……一人で?」

 「なんでそんなこと知ってんだ。まさか、おまえ」

 「そうだよ。ボクの仲間が死んだのもその海だった」

 

 Tシャツの胸の辺りをぎゅっと掴んだシルクが呟き、悲痛そうな表情を浮かべる。五十年間一人で生き続けていたのだ。想像するだけでも恐ろしい。

 直後に顔をしかめたゾロが尋ねる。

 彼はあまりにも知り過ぎている。出会って話したのだろうと思っていたが、予想通りだった。

 それは彼にとって忌まわしい思い出でもあったのだ。

 

 ふぅと息を吐いて、キリがわずかに俯く。

 話しにくいことだっただろう。忘れたいと思っていたほどだ。しかし彼は再び顔を上げると迷わず告げて、疑念を表す皆に説明した。

 

 「やったのは七武海、ゲッコー・モリアの部下が率いる“死体狩り”って部隊。もっと詳しく言えば襲ってきたのはその隊長だけだったけど、圧倒的な強さだった。仲間が次々殺されていく状況でボクを逃がしてくれたのがブルックだったんだ」

 「そうだったんだ……」

 「一緒に居たいって駄々をこねたけど、命は大事にしろってさ。一度死んだ人がそう言うんだ。ハハ、今にして思えば、説得力のある言葉だよね」

 

 視線を落としてぽつりと告げられる。渇いた笑い声が印象的だった。

 無理に笑ったところで表情は暗く、顔色は悪い。

 やはりキリには思い出すことさえ辛い記憶だったようだ。

 

 初めて見る顔に仲間たちの表情が歪む。同情するのか、気付けば悲痛な面持ちとなっていた。

 その中でルフィだけは眉間に皺を寄せていて、何やら様子が違っている。

 歩き出した彼はキリへ歩み寄り、足を止めた後、幾ばくかの距離を置いて向かい合う。真剣な顔でじっと見つめて話し始めた。

 

 「そのブルックって奴、もう死んだのか?」

 「さぁ、どうだろう……ボクを小舟で逃がした後、船は海へ沈んだ。どうなったかまでは」

 「おまえはどう思うんだよ、キリ。ブルックが死んだと思うか?」

 

 いつの間にかラブーンの声が止まっている。

 冷静になったらしく、大事な話だと知って真剣に聞いていたのだろう。今も尚涙が溢れ出てくる目はキリの背と、向かい合うルフィを見ていた。彼は人間の言葉を理解している様子だ。

 

 少し悩む素振りを見せ、やがてキリが答える。

 冷静に考えたつもりとはいえ、それは大いに彼の希望を含んだ意見だった。

 

 「モリアの狙いは人間の死体だ。ブルックは生き返る時に事情があったから、白骨化して利用できる肉体を持たない。そういう意味じゃ連れ去られたとしても殺される心配はないと思うけど」

 「ちょ、ちょっと待てよ。色々聞きたいことがあるぞ。死体狩りとか、白骨化とか」

 「モリアの能力が関係してる。奴はゾンビを作って私兵にしてるらしい」

 「ゾンビを作る!? そんな奴が居んのか、この海に!?」

 

 怯えた顔でウソップが悲鳴を発した。

 今は反応する余裕もなく、ルフィはキリだけを見つめる。

 

 「ブルックを利用するとすれば、影を奪う方がよっぽど効率的だ。死んでない可能性もある」

 「ずいぶん詳しいな。それもその頃知ったことか?」

 「……しばらくした後に調べたんだ。結局、復讐には走らなかったけどね」

 

 サンジに問われて首を振り、その頃の知識ではないと否定する。自分の意志で情報を集めたのはずっと後のことだ。しかし今日に至るまでその情報を利用しようと思ったことはない。

 

 ルフィに出会うまでのキリは人生を諦めていた。

 命を落とすことはなかったが空虚な日々を過ごし、心が摩耗していく感覚に耐えかね、自身の死すら望むほどにどこかが壊れていた。記憶を封じたのもそのためであろう。

 死ぬな。そう言われて逃がされたことは彼の選択肢から自殺を奪い、呪いのように作用する。

 だから今日まで生きていたのだと今更になって理解した。

 

 もう一度溜息をつく。

 意識せずとも気分が沈むよう。精神からの影響で体調にまで変化をきたしそうだ。

 そんなキリを見てよしと頷いた後、ルフィは人知れず覚悟を決めた。

 

 「わかった。それじゃブルックを探そう」

 「え?」

 「おいラブーン」

 

 大人しく話を聞いていたラブーンへ声をかけ、前へ進んだルフィはキリの隣へ並んだ。

 辺りは緊迫した空気に包まれている。真剣な目でルフィがラブーンを見据えて、キリも疑問を抱いて彼の横顔を窺い、先の発言の真意を問おうとしていた。

 しかし問いかけるより先にルフィがラブーンを相手に話し始める。

 

 「おまえ、ブルックに会いたいか?」

 

 待つ暇もなくラブーンは頷く。何度も何度も、熱望してやまないと言うように。

 

 「そうか。でも今も生きてるかどうかわからねぇんだよ。だからおれたちが探してくる。キリの恩人みてぇだし、おまえに会いたがってんだ。おれたちが探して見つけてくる」

 

 見た目にも明らかにラブーンは喜んでいる。

 大粒の涙を流して、そうしてくれと伝えるべく力強く頷いた。

 

 「おれは海賊王になってこのグランドラインを一周する。もう一度このリヴァースマウンテンの向こうから飛んでくるから、その時はブルックも一緒だ。約束する」

 「ルフィ、でも、そんな約束……」

 「なぁキリ。そいつってさ、音楽家なんだろ?」

 

 ラブーンとは対照的にキリは戸惑っている顔だった。

 そうしてくれるのならば有難いが、自身の個人的な用事に巻き込んで迷惑をかけるのでは。

 心配する彼に向かってルフィはにかっと笑みを見せた。悩む必要はないと言うように。

 

 「おれずっと音楽家欲しかったんだ。いい奴だったら仲間にしよう」

 「はは……」

 

 あくまでも自身が欲しいから。そう言っているのだろう。

 余計な心配はするなと言外に告げられて、小さく笑ったキリは思考を変える。

 

 余計な考えだった。

 ルフィは誰かに命令されて動く人間ではない。確かに仲間のために動くことはあっても、やりたくないことははっきりとそう言う性格。嫌だと思うならそんなことは言い出さない。

 キリは心配することをやめ、申し訳なかったと心中で謝る。

 どうやらルフィを軽視してしまったようだ。

 

 ラブーンは再び咆哮する。今度は喜びに満ちた声だ。希望は再び戻ってきた。

 一方、待ったをかけたのがクロッカスである。

 彼は冗談を許さぬ気迫でルフィに問いかけ、その覚悟を見極めようとし始めた。

 

 「小僧、本気で言っているのか。ラブーンをからかうつもりなら私が許さん」

 「からかったりしねぇよ。本気だ」

 「ビロード海賊団も約束していた、必ず帰ってくると。だが結果は聞いての通りだ。この海はそれほど危険な場所だぞ。絶対に約束を破らないとなぜ言える」

 「おれは海賊王になるって決めたんだ。逃げもしねぇし諦めもしねぇ」

 「根拠もなしに軽々しい言葉を――」

 

 言いかけたクロッカスが不意に言葉を止め、ルフィがかぶる麦わら帽子に気付いた。

 見覚えのあるそれに一瞬で表情が変わる。

 

 「小僧、その帽子……まさかシャンクスの物か」

 「え? おっさんシャンクス知ってんのか?」

 「そうか、あいつが言っていた子供はおまえだったんだな。以前聞いたことがある」

 

 腕を組んでううむと唸り、知らない人間だとも言えないため、それだけで思い悩む。

 不思議と警戒心は薄れるが念を押すように言った。

 

 「ラブーンは二度、約束を破られてしまっている。これ以上あいつを失望させる気はないな?」

 「当たり前だ」

 「では多くは言うまい。シャンクスが認めた男だ、信じる価値はあるかもしれん。どうにも頑固そうな男で、何より、ラブーンが信じるようだしな」

 

 応じるようにラブーンが鳴いた。

 彼はすっかり信じ切っているようで疑う素振りがない。

 苦笑したクロッカスはラブーンを見やり、呆れた口調で注意した。

 

 「それならラブーン、待っている間はもうレッドラインに頭をぶつけるのをやめろ。これからまた何年か待たなければならないんだ。怪我をしている場合ではないぞ」

 「怪我? 頭のあれか」

 

 首をかしげたルフィがラブーンの頭を見る。そこには無数の傷跡が刻まれていた。

 

 「待ち続けたラブーンはいつの頃からかレッドラインへ吠え、頭をぶつけるようになった。まるで自分を責めるようにな。いつまで経っても戻らない仲間たちの行方は理解していたのだろう。おそらくそうしなければ耐えられなかったのだ」

 「うん、わかる気がする……頭で理解しても、心が受け付けない時があるから」

 「ふぅん」

 

 キリの呟きにルフィが頷き、数秒もすれば何かを思い付いた様子。

 パッと笑顔が輝いてウソップを呼んだ。

 

 「ウソップ、ペンキ取りに行こう!」

 「は? ペンキ? そんなもん何に使うんだ?」

 「いいこと思い付いたんだ。やってみりゃわかる」

 「しょうがねぇな」

 

 うきうきした顔で走り出す彼にウソップが連れられ、二人はそそくさとメリー号へ向かった。

 それを見送ってからキリがクロッカスへ向き直る。

 

 前に会ったのはもうずいぶん前。確か十歳にもなっていない小さな頃だ。

 まさかもう一度会うことになるとは思っていなかった。気まずい気分になるのも仕方なく、無視はできずに複雑そうな顔で頭を下げる。

 今更頭を下げたところで何も戻ってこない。だが忘れるための努力をしていたのは事実だった。

 

 「すみませんでした、クロッカスさん。報告もしないで、今日までずっと――」

 「謝るな。一応とはいえ私も船長を失った身だ。理解しない訳でもない」

 「本当はもう、戻らないつもりでしたから。自分はあの日に死んだものだと思って」

 「……仲間はいくつで失くしたと言っていた」

 「十二の頃です。忘れもしない」

 「幼い時分に失くしたな」

 

 クロッカスも溜息をつき、やれやれと首を振って嘆かわしく思う。

 

 彼は灯台守であり、医者でもあった。一時は海賊の船に乗っていた経験もある。

 そのせいか、キリの表情や仕草を見て状態が理解できたようだ。

 

 「心に負った傷は肉体のそれよりもずっと治りにくい物だ。ましてや子供、依存していたならその傾向はより強くなる。その様子ではまだ克服していないだろう。それなのにまた挑むのか? 仲間を失ったこの海へ」

 「仕方ないんです。無理やり連れ出されちゃいまして」

 「止めはしないし、責めもしない。だがそんな状態で本当に行けるか?」

 

 クロッカスはひどく真剣な顔つきで問いかける。

 心配の色が濃くなり、顔見知りとしてというより、医者としての意味合いが強い。

 思い出すだけで指先を震わせた彼の姿は、決して大丈夫だと言える状態だとは思えなかった。

 

 「そんな状態で旅を続ければ、いずれどこかで壊れてしまうかもしれん。この海の恐怖を知っているのなら尚更だ。傷ついた心を治すのは容易ではないぞ」

 

 キリは何も言わずに両手をポケットへ突っ込んだ。

 そしてにこりと笑って答える。

 

 「なんとかしますよ。幸い、これでも意外と我慢強いんで」

 

 欲したはずの答えではない。だがそれ以上キリは何も言おうとしなかった。

 クロッカスは静かに目を伏せる。

 ルフィとウソップを除き、仲間たちはその様相を目にしていた。

 


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