ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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偉大なる航路突入編
リヴァースマウンテン


 大荒れの波を乗り越えて進む船。海は尚も嵐で荒れていた。

 決して簡単な航海ではないはずだが、航海士の腕によるものか、船は問題なく進んでいる。

 

 二隻の内、先頭を走るメリー号の船首にはルフィが居た。

 波が荒れ狂っていることなど意に介さずに、どれだけ揺れようが羊の頭の上に座り、帽子が飛ばされないよう手で押さえて楽しそうにしている。

 そのせいだろう、船首の近くに立ち、船の状態を常に確認するナミは心配そうにしていた。

 

 「ルフィ、そんなとこ居ると危ないわよ! 早くこっちに来なさい!」

 「ん? なんで?」

 「なんでってだから、危ないから!」

 「あ、わかった。ナミもメリーに乗りたいんだろ。でもだめだ。おれの特等席だぞ」

 「誰が乗りたがってるか!? 海に落ちたらどうする気よ!」

 「落ちねぇから大丈夫だよ」

 「あんたがそう思ってても私はそう思えないの! 心臓に悪いから戻ってきなさい!」

 「え~?」

 

 能天気な彼は海に落ちかねない危険な姿勢で居たが、注意しようと戻ってくる気がない。

 泳げないのになぜ自ら危険を望むのか。思わず呆れてしまうものの、思い出せば彼は危険こそ好んでいた気もして、そんな注意も今更かと嘆息してしまう。

 荒れ狂う海では泳ぎが得意でも溺れてしまうだろうに、厄介な状況だった。

 

 結局彼を引き戻せぬまま、ウソップがやってきたことで会話の方向が変わる。

 メインマストの上から望遠鏡を使い、前方を眺めていたばかり。そうして見つけたのが巨大な山、というより壁だ。

 グランドラインの入り口を探していたはずが行き止まりを見つけてしまっていたらしい。

 嵐の中では声を張り上げても聞き取り辛い。そこで直接ナミへ報告に来たようである。

 

 「おいナミ、前方になんかあるぞ。でっけぇ岩壁みてぇのだ。道間違えたんじゃねぇか?」

 「いいえ、それであってるのよ。私たちの目的地は山」

 「山ぁ? だってグランドラインに向かうんだろ? 山に向かったってよ」

 「だからその山に入り口があるの。しょうがない、説明してあげるわ」

 

 話を理解できずに首をかしげるウソップと、船首に座ったまま興味津々に見つめてくるルフィを相手に、ナミが現在向かっている航路の説明を始めようとした。

 

 ちょうどその時、甲板の中央から鋭い叫び声が聞こえてくる。

 暴風にも負けずにずいぶんな声量だ。どうやらサンジが騒いでいるらしい。

 自然と三人はそちらに注意を向け、話が一度途切れてしまった。

 

 「おまえ何やっとんじゃキリィ! なにシルクちゃんに抱き着いてんだコラァ!」

 「抱き着いてるんじゃなくて肩借りてるだけだよ。力抜けてるし」

 「その腰に回した手はなんだ!?」

 「いや掴まってないと危ないから。別にいやらしい意味じゃないって」

 「嘘つけェ! いやらしい意味もなくレディの腰に手を回すはずがあるかこの野郎ッ! 仲間の立場を利用して気安く触ってんじゃねぇぞクソ野郎ォ!」

 「嫉妬からのヒートアップが凄いね、今日は。シルク、サンジが怖いんだ」

 「よしよし」

 「ぐぉおおおおおっ!? おれも紙になって弱りたい! いやそれよりも! 今すぐシルクちゃんから離れろキリィ! おれが海の底まで蹴り沈めてやる!!」

 

 シルクを巡ってキリとサンジが言い合っているらしい。取り合う、という状況とは違うがふざけた二人のせいでサンジが怒り狂っているのは事実だろう。

 強烈な嵐にも負けない勢いと熱意を感じる。

 遠目にその姿を見たナミはだからこそ溜息をつき、呆れ返って肩をすくめる。

 

 「何やってんだか。この緊迫した状況下でよく遊んでられるわね」

 「いやルフィもおんなじようなもんだぞ」

 「しっしっし、サンジはおもしれぇやつだなぁ」

 

 このまま放置する訳にはいかないだろう。

 堂々巡りになって終わりそうにない予感がして、気遣ったナミが声をかけてやった。

 サンジは男にこそ厳しいが、女性には例外なくやさしくなる。キリが冗談交じりで反論するのとナミが注意するのでは全く効き目が違うはずだった。

 

 「サンジくん、バカやってる場合じゃないわよ。船が転覆しないように注意しなきゃ」

 「止めないでくれナミさん! おれはどうあってもこの紙みてぇに軽薄な野郎を蹴り飛ばさねぇと気が済まねぇ! 立場と弱点を上手く利用しやがって!」

 「失敬だなぁ。言っとくけどボクはサンジほどエロくないよ」

 「ふざけんな! エロくねぇ男が存在するとでも思ってんのか!」

 「ルフィとか」

 「あいつはまだガキなだけだ! おまえくれぇ頭が回る奴が考え付かねぇはずがねぇだろ! 合法的にレディの体に触れる方法を!」

 「すごいイメージダウンを狙われてる気がする。シルクはどう思ったのさ」

 「私? えっと、別に嫌だとは思ってなかったけど」

 「ちくしょうっ! あいつの分厚い面の皮を剥いでやりてぇ! 純真無垢なシルクちゃんのやさしさを利用しやがってド外道め!」

 「これボクが悪いのかな」

 「あーもう、めんどくさい」

 

 四肢を床について地面を叩く彼は嫉妬で狂っているらしい。言っても聞かなそうだ。

 キリは困った顔で首をかしげ、ナミは頭を抱えてしまう。

 無理もないと思うのは、シルクに肩を借りるキリが元々の性質故か、妙に甘えている素振りに見えているのが問題なのだろう。また、予想外にシルクが鈍感だった。

 

 親しげな態度も絵になっている気がして悔しくなる。

 嘆くサンジには同情するが、彼自身ある程度大袈裟過ぎてキリが呆れるのも当然。

 

 なんにせよ一段落した様子になった。

 ナミがやれやれと首を振って二人への説明に戻ろうとする。

 その前にシルクが声をかけてきて、抱えたままだったキリをどうするかで困っていたようだ。

 

 「ねぇナミ、キリがもう限界だよ。どうしようか」

 「部屋の中に捨てときなさい。船から落ちられても困るから」

 「うん、わかった」

 「シルクちゃん、邪魔だったら海に捨ててもいいからね」

 「みんなひどいね。扱い悪くない?」

 「ったりめぇだクソ紙野郎。おまえはあとで絶対オロス」

 「やめなさいよサンジくん。嫉妬する男なんて私嫌い」

 「そりゃ誰にでも得意不得意はあるよな。気にすんなよキリ。おまえはよくやってる」

 「う、うん……それ、やってて恥ずかしくないの?」

 

 いい加減面倒だと感じたナミが適当に言い、たったそれだけでサンジの表情が変わる。あまりの変貌ぶりに加え、簡単過ぎるほどあっさり切り替えた様子にキリが困るほどだ。

 

 サンジの追及が終わったことでやっと動き出せる。

 キリはシルクに運ばれて船内へ消えて、動けないため回復まで休むことになった。

 再び二人に向き直ったナミは説明を始めるため、些か真剣な顔で話し始める。

 

 「ハァ、もう。山に向かう理由だったわね。それはね、山にある運河がグランドラインの入り口になってるからなの。キリにも確認したから間違いない」

 「山が入り口? まさか船で山登りしようってんじゃねぇよな」

 「船で山登りか! おもしろそぉ~!」

 「そのまさかがあるみたい」

 「マジか!」

 

 驚くウソップとルフィが声を上げ、頷いたナミが続ける。

 自身の想像をキリに話して確認していた。彼はせっかくなら自分の目で見ればいいと口にしつつ一度も否定はしていない。つまり正解しているはず。

 確認する時は遠くないと考え、自分自身で再確認するためにも語った。

 

 「あれは赤い土の大陸(レッドライン)の一部で、リヴァースマウンテンって呼ばれてる。今のところグランドラインへ入るために一番簡単に入れる場所よ」

 「なんで? 他に入り口はねぇのか?」

 「ないわね。グランドラインは凪の帯(カームベルト)に挟まれてて、理論上はこのカームベルトさえ越えればどこからでも入れるって言われてる。だけど問題もあるわ。カームベルトは大型海王類の巣。船が入って無事に出られることなんてまずあり得ない」

 「へぇ~、危険なのか」

 「おいルフィ、興味持つな」

 

 危険と聞いて目を輝かせたルフィをウソップが押し留め、もしもの展開を阻止する。

 ナミは気にせず話を続けた。

 

 「四つの海の海流があの運河に集まって、グランドラインへ入る道筋になるみたいね。説明するより見た方が早いけど、レッドラインを越えるにはあの山へ向かうしかない」

 「要するに不思議山ってことだよな」

 「まぁ、そうなると思ったからやっぱりいいわ。答えは自分の目で見なさい」

 「おう!」

 

 話しても理解しないだろうと思っていたのか、説明は適当にやり過ごされ、あとは自分で見ろと言う。ナミもすっかり船長の扱い方を覚えてきたらしい。

 

 船は徐々に天まで届こうかという巨大な大陸、レッドラインに近付いている。

 巨大な影は徐々に見えてきて、近付くにつれて嵐も弱まっている様子。

 メリー号とアーロンの船は着実に目的地へ接近していた。

 

 いよいよ緊張も高まってきた頃、ウソップは後方に目を向けて呟く。

 メリー号の後ろへ続くようにしてアーロンの船があった。彼らも元々はグランドラインから来たと聞いている。ならばリヴァースマウンテンを越える航海は経験しているのか。

 色々と気になるが今更だ。今まで真面目な話をしようとはしていなかった。

 試しにナミへ聞いてみることにしたものの、彼女も肩をすくめるだけである。

 

 「ナミ、あいつらには説明しなくていいのか? まぁおれたちもいまいちわかってねぇけどさ、後ろのあいつらちゃんと知ってんのか?」

 「さぁ」

 「さぁって、おまえ」

 「心配しなくてもついて来いって言ってるんだから大丈夫よ。メリー号が上手く運河に入れればあいつらもついてくる。それに向こうはモームが引っ張ってるからこっちより簡単に動けるし、むしろ自分たちの心配してなさい。失敗したら海の藻屑よ」

 「ま、マジかっ!? おまえ、そういうの先に言えよ!」

 「言っても同じでしょ? 大丈夫よ、成功するもん」

 「そんな能天気なっ」

 「今更よ。ルフィを見なさい」

 

 言われてウソップがルフィを見れば、すでに彼は船の前方を見ていて聞いていない。

 拳を握って体を震わせ、出てくる声は期待に満ち溢れた物。

 表情が見えなくてもわかる。この先の航海を楽しみにしているのは明らかだった。

 

 「不思議山を越えてグランドラインか。ししし! おもしろくなってきた!」

 「ね? もっと能天気」

 「ハァァ~……そういやそうだったな。ウチの船長が誰よりもこうなんだもんな。心配するだけ無駄ってことか」

 「諦めなさい。気持ちはわかるけど」

 

 波の変化によるものか、船の揺れは小さくなり、徐々に弱まった雨が止んだ。

 ウソップが溜息をつく頃、楽しそうに微笑んだナミは甲板へ振り返った。

 

 すでにシルクも戻っている。ゾロが舵を取ってサンジは周囲に目を光らせていて、全員服が濡れたまま。一度着替えたいとは思うが今はその時間がない。

 赤い土で構成された大陸が近付いてくる。

 そして船上に居た者は巨大な山をその目にした。

 

 「あれが、リヴァースマウンテン……」

 「でっけぇ!」

 「いやそれよりも、本当だったじゃねぇか、あれ」

 

 目を輝かせるルフィを諫めるようにウソップが呟く。

 

 「本当に海が山を登ってやがる……」

 

 リヴァースマウンテンをその目にした。

 巨大な運河が凄まじい勢いで水を運んでおり、その水は山の頂上を目指している様相。水流は天を目指そうとしているかのようである。

 常識外れの光景に言葉を失くし、じっと見つめる。

 

 船はそこへ向かっている。間違いではない。これからそこへ入るのだろう。

 レッドラインへぶつかるようにして波が荒れている。

 

 海賊たちの多くがグランドラインへ入る前に全滅してしまうのは、この地の航海を失敗するからに他ならない。それだけ難しい場所だ。見るだけでもその危険性が伝わる。

 自然とナミも表情を引き締め、仲間たちへの指示は的確に行われた。

 

 「ゾロ、しっかり舵取ってよ! みんなも集中して! ここが正念場よ!」

 「あ~いナミさぁん!」

 「よっしゃ~!」

 

 船上は一気に慌ただしくなり、操船に余念がない状態となる。

 今からでは船を停めることもできず、海の状況を見れば速度を緩められる余裕もない。このまま行くしかなかった。

 

 だがナミの航海術が長けているためか、波乱も起きずにメリー号は運河へ入る。後続のアーロン一味の船も同じだ。二隻は一列に並んでリヴァースマウンテンへ突入した。

 

 「入ったぁ~!」

 

 拳を突き上げてルフィが叫ぶ。

 思いのほかあっさりした様子だったが喜びは一入。

 ウソップやサンジもまた喜びの声を上げ、シルクとナミも諸手を上げて笑顔になる。

 

 勢いは凄まじく、海流に乗っただけで見る見るスピードが上がっていく。

 やがて船は頂上へ到着し、海流の勢いそのままに空へ飛び出す。

 

 四つの海から来る海流が一所でぶつかり、必ず決まった方向へ船が進むのである。

 船は再び運河を走る海流に乗った。

 その時、すでに彼らはグランドラインへ入っていたのだ。

 

 「いやっほぉ~! グランドラインだァ!」

 「すげぇ~! 山を越えたぞ!」

 「さぁ、あとは下るだけ。もうこの航海は成功ね」

 

 二隻の船は運河を下り、長い下り坂を終え、やがてグランドラインの海を視界に入れる。

 

 ついに運河を抜けて海へ出た。

 坂を終えて勢いよく着水し、高く水が跳ね上がる。

 同時にルフィは跳び上がって喜び、他の者たちも同様に歓喜を露わにしていた。

 

 「着いたぞ! グランドライン!」

 「っておい!? キリ居ねぇよ! せっかくグランドラインに来たのにまだ船の中だぞ!」

 「それはだめだろ! キリにも見せてやらねぇと!」

 「キリは前までグランドラインに居たんでしょ。今更じゃない」

 「んなことねぇって! キリだって見たいだろ!」

 

 到着して早々、うきうきした様子でルフィがキリを呼びに行こうとする。

 それほど最初の海は穏やかな様相を湛えていた。空は快晴、波はリヴァースマウンテンを越える前とは違ってひどく穏やかであり、余裕を持って肩の力を抜ける。

 危険な海だと聞いていたのだが予想と違って拍子抜けした感覚すらある。

 誰もルフィの行動を咎めようとはせず、笑顔で見送ろうとしていた。

 

 そんな頃に海へ変化が起こる。

 巨大な何かが海水を押し上げて浮上してくる。目にした途端、海王類かと予想して身構えるものの違っていたらしい。頭を出したそれは、外見だけはそう目立った物ではなかった。

 

 勢いよく顔を出したのはクジラだった。ただしその巨大さは知識として知る物とは大きく違い、まるで山のようなサイズ。海面から現れただけで海が荒れるほどの外見であった。

 当然海だけでなく船もまた一瞬で大荒れになり、様相が一変する。

 メリー号の上では複数の悲鳴が重なった。

 

 「クジラだァ!」

 「で、ででで、でっけぇぇっ!?」

 「なにこのサイズっ!? あり得ない!」

 

 レッドラインには遠く及ばないが、それでも規格外の巨体。

 メリー号を踏み潰すにはほんの一瞬で終えられる大きさにしか思えず、アーロン一味の船を引くモームですら一口で丸呑みにされてしまうだろう。

 かつて見た事が無いクジラに驚愕し、魚人たちでさえ声を抑え切れていなかった。

 

 波が荒れて船体を大きく揺らす。その様は直前まで感じていた嵐よりもずっと大きい。あわや転覆というところでなんとか立て直すことに成功して、二隻はクジラの傍を離れる。

 

 クジラは天を見上げて、突如咆哮を始めた。

 鼓膜だけでなく全身を震わす絶叫。無視できないほどの迫力だ。

 間近で見ていた二隻に居るクルーは耳を押さえ、言葉を失くしてただ見つめる。

 

 それ一つでグランドラインの異常性を知れたと言っていいだろう。

 額に無数の傷跡を持つ、山より大きなクジラ。

 ルフィは驚いた表情から徐々に笑みを浮かべていき、未知なる世界に来たのだと、恐怖心を抱く前に喜んでいる様子。喜んでいるが佇まいは穏やかでじっと立ち尽くしている。

 その傍ではウソップが尻もちをつき、不意に視線を動かした拍子に何かに気付いた。

 

 「すげぇ……ははっ。やっぱグランドラインはすごいとこなんだ」

 「お、おいっ、あの灯台! なんか出てきたぞ!」

 

 クジラの咆哮によって船体がビリビリ震えている中、声を張り上げて仲間へ伝える。すると彼らも気付いてウソップが指し示した方向へ顔を向けた。

 灯台から誰かが出てきている。おそらくは人間。

 ただし思いのほか奇抜な外見だったようで、サンジが驚いた顔で思わず言い出していた。

 

 「花だ!」

 「は、はなっ!? 歩いてるのに!?」

 「いや違う、人間か……紛らわしい髪型しやがって」

 

 リヴァースマウンテンの麓には人が上陸できる場所があり、灯台が設けられていた。

 船を寄せれば上陸できそうな足場で、その上をすたすた歩くのは一人の老人。花に見間違えるのも無理はない特徴的な髪型をしているが人間だ。間違いはない。

 

 老年の男は赤い土の陸地を歩いて移動し、クジラへ向かっていく。

 そしてあろうことか、巨大クジラに襲われる危険性を考慮せず、戸惑う素振りもなく海へ飛び込んだのである。水柱を立てて彼の姿は海中に消えてしまった。

 

 「おぉいっ!? おっさんが飛び込んだ!」

 「なに考えてるのよ、死ぬ気!? 助けなきゃ」

 

 ウソップとナミが叫び出すがあまりの威容に近付けず。

 徐々に海の状態は治まったところで軽々しく助けに行ける光景ではなかった。

 

 クジラが鳴き続ける状況で、時が止まったかのように動きが消える。

 麦わらの一味とアーロン一味はクジラに圧倒され、その姿に、その声に、天へ向かって吠える光景に何か感じ入る物でもあったのか、ぴくりとも動けなくなっていたようだ。

 

 しばらくの時が経って変化が起こる。

 クジラの咆哮は驚きを含む様子で止まり、すぐに静かになってしまう。

 落ち着いた、とも言えるだろうか。

 どことなく不自然な姿には見えたものの海には静寂が戻った。クジラは落ち着きを取り戻して海の中へと沈んでいき、やがて姿が見えなくなってしまう。

 

 驚きは大きく、平静を取り戻せないまま。

 しばし全身が黙り込んだ状態で海を眺めていると、先程飛び込んだ男が陸の上へ戻ってきた。

 怖がってはいない。驚いてもいない。

 怪我もせずに平気な顔で戻ってきた後、彼は灯台の近くにある小屋へ足を運んだ。

 

 おそらく彼の家だろう。

 置かれていたタオルで簡単に体を拭いて、小屋の前に置かれた椅子へ腰掛け、新聞を手に取る。

 海賊旗を掲げる船に気付いたのはそれからだった。

 

 「海賊がまた来たか……」

 「おっさん、さっきのクジラなんだ!? すんげぇでけぇな! あいつおっさんの友達か!」

 

 小さな呟きだったが海が穏やかとあって聞き取れた。

 真っ先に反応したルフィが欄干の上へ飛び乗り、男へと声をかけ始める。男は冷静な面持ちで彼の目を見やり、新聞を広げながらルフィを見つめて返答を出した。

 

 「フン、名乗りもせんのか。質問の前にまず自ら名乗るのが礼儀じゃないのか?」

 「ああ、悪かった。おれは――」

 「私の名はクロッカス。双子岬の灯台守をしている。歳は71歳。双子座のAB型だ」

 「おいっ!? 先に名乗れって言ったのおっさんだろっ! なんで自分からしゃべってんだ!」

 

 苦言を呈した割に自ら名乗り始め、出鼻をくじかれたルフィが怒気を露わにする。

 真面目な顔をしてふざけた態度だった。思わずウソップもずっこけており、ナミやシルクも毒気を抜かれたらしく、力が入らなくなって転びかけている。

 状況を見たサンジが歩き出す。欄干へ歩み寄り、男を見て話しかけた。

 

 「まぁ待てルフィ。落ち着け。こういう時は相手のペースに乗せられずに話すべきだ」

 「おっさんが言えって言ったのにっ。おれの話聞かねぇで」

 「だから落ち着け、冷静に話を進めろ。おいおっさん、いくつか聞きてぇことがあるんだが」

 「海賊か……略奪でもするつもりか? やめておいた方がいい。死人が出るぞ」

 「へぇ、興味あるね。誰が死ぬって?」

 

 男は、睨みつけるような視線だった。

 威圧感を感じて自然とサンジの面持ちが緊張していく。

 そして男は、静かにその一言を放った。

 

 「私だ」

 「おまえかよっ!?」

 

 聞いた途端にサンジもまた冷静さを失って気付けば叫んでいた。

 

 ペースは男の物である。

 先程の緊張感とは裏腹な空気が漂っていた。

 

 深く溜息をつき、頭を抱えたナミが空気を変えるためにも話し始める。

 入ったばかりで何もかもわからないが、一度仕切り直して、せっかく出会えた人間に質問したいこともある。この場はすぐに出発という訳にはいかないだろう。

 グランドラインの航海は危険だと聞いている。慎重になり過ぎて損はない。

 

 その前にまず着替えだ。嵐の中を越え、休む暇もなくリヴァースマウンテンを越えた。いまだに服が濡れたままで気分は良くない。変えるならばまず服からだ。

 キリが弱って倒れている今、指揮を執るのは彼女の役目のようだった。

 

 「あぁもう……よくわからないけど、とにかく一旦着替えましょ。あのおじさんに話を聞くのはそれから。まずは落ち着かないとね」

 「そうだな。キリにも教えてやらなきゃいけねぇし」

 

 ナミの一言にルフィも同意し、船上の雰囲気は些か変化したらしい。

 二隻は陸地へ隣接して足を止め、その後麦わらの一味は船内へ入り、着替えを始めたのである。

 


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