雨の勢いが強くなり、雷鳴が轟き、徐々に環境は悪化しているらしい。
町中を走るルフィとキリは空の状態を確認して、危険が迫っていることを知った。
「雨強くなってきたな」
「今頃海は大荒れだね。せっかくグランドラインに挑戦する日なのに」
「いいじゃねぇか。盛り上がってきた」
「気楽だねぇ。危ないかもしれないのに」
「ししし。危なくても大丈夫だぞ、おれは。そっちの方が面白そうだろ?」
「まぁ、そう言えなきゃ処刑台なんか登らないよね」
相変わらず上機嫌で笑うルフィに溜息をつきつつ、キリもまた苦笑する。
敵が現れないため順調に進んでいる。
キリが案内すれば道に迷うこともなく、着実にメリー号へ近付いていただろう。そのキリが雨に濡れたことで弱っているが速度としてはそう遅過ぎる訳でもない。
このままなら逃げきれる。そう思うのも不思議ではなかった。
変化が見えたのはちょうど安心した頃だ。
前方、向かう先に、人影が立って待っている。傍には大型のバイクが止まっていて何やら物々しい雰囲気。身に着けている服からしておそらく海兵だった。
待ち伏せていたらしいスモーカーを見つけて二人の表情が変わる。
明らかに普通の海兵ではない。それは一目でわかった。
ふてぶてしい態度といい、背負った七尺十手といい、雨で火が消えているとはいえ葉巻を二本銜えている姿といい、何から何まで目に付くほど特別な物だ。
嫌な予感を感じてキリがルフィへ声をかける。
「なんか危なそうな人だね。もしかして白猟のスモーカー?」
「誰だそれ?」
「この町で最強の海兵。本物だとしたらまずいけど……」
道を塞がれているため足が止まり、一定の距離を置いて相手を見つめる。
彼は厳しい目で二人を見ていた。明らかにこの二人を待っていた風貌であって、無視することも気軽に挨拶して素通りすることもできそうにない。
先に口を開いたのはスモーカーだった。
二人を見据え、重々しく口を開く。
「来たな。麦わらのルフィ」
「おまえがスモーカーってやつか」
「ああ、そうだ。おまえを捕まえる男の名を覚えておけ」
「ルフィ、この道はだめだ! 回り道しよう!」
スモーカーが答えたことでキリが焦りを見せた。考えるまでもなく逃走の意志を固めてルフィに進言する。しかしルフィ自身はそのつもりがなさそうだ。
今はキリが弱っている。守らなければという気持ちが強い。
前に立って拳を構え、自らスモーカーと向かい合った。
「いいや、ここでいい。こいつに勝てなきゃ海賊王にはなれねぇだろ」
「だからってあれはそういう次元じゃない……! あいつには――」
「ゴムゴムのォ!」
考えるより先に動き出してルフィが拳を振りかぶった。
思い切り伸ばしてパンチを放ち、離れた位置から攻撃を行う。
「ピストル!」
「だめだ! それじゃ当たらない!」
伸ばされた拳は真っ直ぐ進み、狙い通りに顔面へ迫る。そして避ける素振りが見られず、回避行動を行う気さえ持たずにそのまま顔へ直撃した。
確かにスモーカーへ当たったはず。
不思議だったのは接触の瞬間、手応えがなかったことだ。
触れた直後に驚愕する。
ルフィの拳はスモーカーの顔面を貫き、消し飛ばしてしまった。
周囲には煙が漂い、肉片すら飛び散らない。まさかの感触と光景にルフィは絶叫するが、その様子を目にしたキリは噂通りだと判断し、思わず歯噛みする。
やはり、触れてはいるが当たっていなかったらしい。
「うわぁぁ~っ!? か、顔がぶっ飛んだぁ!?」
「違う、当たってないんだ。奴にダメージはない」
「え? どういうことだ?」
「奴は、白猟のスモーカーはモクモクの実の煙人間。ロギアの能力者だ」
首を失ったスモーカーの体は立ち続け、辺りにあった煙が動き出す。
徐々に体へ集まっていく煙は顔の形を模り、やがて元通りの姿となる。肌の色も以前のまま。パラミシアとは明らかに性質が違う光景をその目にしていた。
敵の攻撃が当たってもダメージを受けない異様な体。
白い煙が体から噴き出す様から見ても能力者には間違いない。
ただ、ルフィにとって
ロギアは悪魔の実の中で特殊な種類にある。同じ悪魔の実の能力でも、あくまで人間の形を基に特異な能力を持つパラミシアと比べても異質だった。
ロギアの能力者は肉体その物が自然界の力を得る。自然のエネルギーで体が構成され、攻撃は実体を捉えることができなくなり、弱点をつかない限りはダメージを全て受け流してしまう。このことから三つの種類に分けられる悪魔の実の中で最強種と呼ばれていた。
モクモクの実はその中の一種。
全身が煙で構成され、殴られたところで実体を捉えられなければ痛みは感じない。
ゴム人間のルフィに殴られた場合でも同じだ。直撃はしてもただ煙を殴っただけであり、それだけではダメージを与えられずに、何一つ悪影響がない様子で立っている。
スモーカーは相も変わらず厳しい目で二人を見ていた。
「効いてねぇのかな」
「だから言ったのに……あいつから逃げるのは難しいよ」
「どの道逃がしはしねぇよ。おれから逃げられるとは思うな」
そう言ってゆっくりと両腕が持ち上げられた。
簡潔に告げてスモーカーは身構え、腕を突き出し、そこから凄まじい勢いで煙を吐き出す。
攻撃は突然。何より避けようのないほど広範囲に広がる一撃である。
煙とは思えぬほどのスピードで迫ってきて、二人は驚愕して身を硬直させた。
「ホワイトアウト!」
「うわっ、煙出た!」
「やばっ」
二人は地面を蹴ってその場を離れ、かろうじて迫る煙から逃れることができた。だが回避のために離れ離れになってしまい、スモーカーはそれを見逃すほど馬鹿ではない。
まだ放たれた煙が滞空する中、スモーカーが元に戻した右腕を構え、パンチを繰り出す。
煙の推進力を利用して拳が飛び、キリへと襲い掛かった。
「ホワイトブロー!」
「うっ――!?」
普段ならばいざ知らず、弱った彼に避けられる速度ではなかった。
直進してきた拳を腹に受け、キリの体が飛ばされる。素早く壁まで運ばれて背から激突した。
衝撃で呼吸が詰まったらしい。
崩れ落ちた彼を見てルフィが目の色を変え、スモーカーを睨む様子が一変する。
「キリ!? おまえ、おれの仲間に何してんだ!」
「気合いだけは一端か。だがおまえじゃおれには勝てねぇ」
「ゴムゴムの!」
怒りを見せてルフィが素早く蹴りを放った。
「スタンプ!」
勢いをつけて伸びた足は回避しようとしないスモーカーの腹へ突き刺さり、だが煙の体を捉えることはできずに、勢いが弱まることなく通り過ぎただけである。
驚いて反応するも遅く。
スモーカーの左手に足を掴まれて捕まった。
足を引こうとしても引っ張り合いになって逃げられない。
苦心するルフィを冷徹に見やり、素早く動いたスモーカーは先程同様右腕を飛ばした。
噴き出す煙の推進力で攻撃は素早い。見えていようがそう簡単に避けられる物でない様子。
今度は殴らず、首を掴むと力ずくで引っ張って、地面へ引き倒す。
ルフィは抗えずにうつ伏せに倒れてしまった。
「うわっ!?」
「おまえらが3000万と2000万だと? 海軍の基準はどうなってんだ」
冷たく告げてスモーカーの全身が煙に変わって、素早く飛んで移動する。
気付けば倒れたルフィの背へのしかかり、胡坐を掻いて座っていた。
「ぐへぇ!? くそ、降りろおまえェ!」
「フン、悪運尽きたな。終わりだ」
動けないらしいルフィの上でスモーカーが十手を握る。
勝敗は決した。もうこれ以上の番狂わせはない。そう判断する。
どこか漠然と、不思議な失望感を味わいながら彼に最後の鉄槌を下そうとした。
その時、背後から誰かに十手の柄を掴まれる。
振り返る前にぐっと違和感が生まれて、スモーカーの顔が強張った。
「そうでもなさそうだが」
「何ッ……!?」
気付かれることなく背後に立つとは、相当の腕前。
あくまで冷静さを崩さずに、とはいえ、多少焦りを抱きながら振り返れば、外套に身を包む高身長の男が立っている。フードをかぶって顔を隠すが、下から見上げるせいでその顔はよく見えた。
スモーカーの目が驚愕に染められる。
出会ったことはないが写真で見覚えのある人物だったようだ。
「てめぇは――!?」
「海賊か。それもいいだろう」
「なんだ!? 誰だ!? なんだぁ!?」
その顔を見つめて我を忘れたほんの一瞬。
突如、突風が吹き荒れた。
まさに神風。耐えることを許さない圧倒的な勢いで多くの物を飛ばした。
道端にあった看板、木箱、樽、或いは強度が弱まっていた家屋の一部でさえ運んでしまう。
当然人間に耐えられる規模ではなかった。煙であるスモーカーの体が飛び、その下に居たルフィでさえも飛ばされ、常人より体重が軽いキリもあっさり空中へ放り出されている。
全ての物が空を飛ぶ状況下、突如現れた男だけが冷静にその場で突っ立っていた。
ルフィとキリが地面を転がる頃、すでにスモーカーとはかなりの距離が離れており、状況だけを見れば彼ら二人を逃がすかのような風だった。
不思議だとは思うものの、何にしても逃げるチャンスが巡ってきたのだろう。
二人は迷わず立ち上がって走り出し、その場の状況を確認する余裕もなく逃げ出した。
「ルフィ、行こう! あれを相手にしてたら島から出れなくなる!」
「なんだったんださっきの風! まぁいいや、おれもまだ冒険してぇし!」
一瞬で二人と引き剥がされ、逃げ出す彼らを見たスモーカーだが動揺を隠し切れていない。
不思議と彼らを追うより先に自分を止めた男に目を向けた。
男は笑って二人の背を見送る。或いは、片方だけなのか。
「なぜだ! なぜ奴らを逃がそうとする! ドラゴン!」
「男の船出を邪魔する理由がどこにある」
ドラゴンと呼ばれた男、自身を睨むスモーカーなど意に介さずに腕を伸ばした。
去っていく新たな風に道を示すかのよう、手向けの言葉を持って送り出す。
「さぁ、行ってこい。それがおまえの選んだやり方ならな」
走る二人の姿はすぐに見えなくなり、背を押す風に身を任せてぐんぐん速度を上げていく。
肩を並べてはぐれないよう気をつけて、目的地は見る見るうちに近くなった。
その途上、道端で二人の男女とすれ違う。
どちらも外套を着て顔を隠して怪しいが気にしていられない。キリはちらりと目で確認し、危険ではないと判断して無視することにした。相手もこちらには注目していないらしい。
ただし、ルフィだけは違っていた。
すれ違ってしまった先程の人物へ振り返り、完全に足を止めてしまう。
慌ててキリも足を止めた。
なぜか彼は呆けている様子で去っていく二人を見つめている。いつもと表情が違っていた。
まるで何かを思い出そうとしているようにも見える。
キリが声をかけるまで、彼はぼんやりしたまま動こうとはしなかった。
「ルフィ、また敵が来るかもしれない。急がないと」
「ああ……わかった」
「どうかした? 今の、知り合い?」
「いや……でもなんか」
ぐっと唇を噛んで、そんなはずがないと知りながら寂しげに呟かれる。
「懐かしい感じがしたから」
「懐かしい? 知り合いじゃないのに?」
「う~ん、よくわかんねぇ。わりぃ、急ぐぞキリ! みんなも待ってるかもしれねぇ!」
「あ、うん……」
普段滅多に感じない、胸の中にもやもやした何かを感じるが気にしないことを決め、ルフィは振り返って走り出した。戸惑う素振りのキリもすぐに続く。
走り出す直前、ちらりとすれ違った二人を確認した。
嵐の中を急がず歩く二人の内、青年もわずかに背後を見て何かを確認している。
果たしてそれが何を意味するのか。
視線の意味には気付けぬままキリも走り、ルフィと共にその場を離れた。
町を出て岩場に到達し、すぐにメリー号を発見することができた。
錨を上げて、強風で破れる危険性も顧みず帆を張っている最中。おそらくナミの指示だろう。慌ただしくクルーが動いている様は遠目でも確認できた。
視界に入ってすぐルフィが声を上げ、手を振りながら仲間を呼ぶ。
強風の中でも聞こえたのか、ウソップやシルクがすぐに手を振って反応していた。
「お~いみんなぁ! 全員居るか!」
「ルフィ、キリ、急げ! おまえらで最後だ!」
「早くこの島を出よう! 敵が追ってくる前に!」
「わかった!」
ルフィが手を伸ばしてメリー号の欄干を掴み、左手をキリの腰に巻き付けた。
しっかりと抱き寄せて地面から足を離す。
腕が縮む力を利用して一気に船へ接近。激突さながらの勢いで甲板へ滑り込む。
これで全員が揃った。
指示を出していたナミが船上を見回し、仲間の姿を確認すると声も高らかに出航を告げる。
幸いにも追い風。これを利用すれば海軍の追手が差し向けられる前に逃げられる。
機は熟した。
今こそグランドラインへ向かうべき最高のチャンス。吹き荒れる風に乗って行くことを決める。
「船を出すわ! ルフィ、このまま行くわよ、グランドライン!」
「おう!」
キリと共に転がったままだったルフィが答え、クルーの操船によってメリー号が動き出す。
アーロン一味の船と肩を並べ、荒れ狂う海へと漕ぎ出した。
向かうべき地は定まっており、海図も持っている。
吹き付ける風や嵐などなんのその。なぜかはわからないが恐怖心など欠片も無い。
ナミは上機嫌に海を眺めていた。
「天候最悪。でも行けるわ。どんな海でも私が航海してみせる」
「でもよ、この嵐だぞ。本当に大丈夫なのかよ。方角だってわかんねぇし……」
「見て」
不安に思ったウソップが尋ねれば、ナミは前方を指差した。
示されたのは灯台である。嵐の中でも見失わない光が彼らの目にも映っていた。
「導きの灯よ。あの光の向こうにグランドラインの入り口がある」
「そ、そうか……いよいよなんだな」
納得した様子で頷き、ウソップは緊張した面持ちで喉を鳴らした。
今まではどこか夢物語のように思っていたのかもしれない。
船が前へ進み、転覆することもなく灯りの方へ向かっていれば、急激に実感がわいてくる。いよいよ目的地へ到着するのだ。世界で最も危険な海、グランドラインへ。
実感した途端ウソップがぶるりと体を震わせる。
「きゅ、急に武者震いが……」
「頼もしいなウソップ。せっかくだ、偉大なる海に船を浮かべる進水式でもやるか」
「お、いいなそれ。やろう! キリは動けるか?」
「今ならまだなんとか~」
船内から樽を持ち出したサンジが皆に声をかけ、船首付近までそれを運ぶ。
快く答えたのはルフィだ。ただの験担ぎだが面白そうだとは思って、クルー全員を呼ぶ。ずいぶん弱っているらしいキリは限界が近く、シルクに肩を借りて近寄ってきた。
七人全員が集まり、円になって樽を囲む。
そしてその後、一人ずつ誓いを掲げて樽の上に足を置いていく。
「おれはオールブルーを見つけるために」
「おれは海賊王!」
「おれァ大剣豪に」
「この一味を、海賊王の物にする」
「私は、世界一のピースメインになる」
「私は世界地図を描くため」
「お、お、おれは勇敢なる海の戦士になるためだ!」
全員で息を合わせて足を上げ、そして振り下ろした。
「いくぞ!
ガコォンと大きな音が鳴り、それをきっかけに誓いが立てられた。
その直後、高らかなルフィの叫びは雨風にも負けずに空へ響き渡る。
傘下を引き連れ、嵐の中、ゴーイングメリー号は進んでいく。
後方にはローグタウン。置き去りにした数多の視線を受けて偉大なる航路へ向かい、やがて辿り着くことになる。ルフィにとっては待ち望んでいた海だ。
シャンクスと再会する場所。そして海賊王になるための航路。
胸が高鳴り、期待と希望を抱いて、彼らは導きの灯を目指した。