とある島に、一隻の船が停泊していた。
アヒルを模した船首を持つその船は、メインマストの天辺にジョリーロジャーを掲げており、一目で海賊船なのだということがわかるだろう。
幸いにと言うべきか、誰も近寄らない無人島を拠点とするのは辺りで有名な海賊団であった。こうして停泊して休息を取ることも少なくはなく、だから人が近寄らなくなったとも言えるが、今日は珍しく島内へ上陸して休息を取ろうとしていたらしい。普段はきれい好きな船長が野宿など好むはずもないため、自然の中で一日を過ごそうとしなかったはずだが今日は気分が違ったようだ。
海賊団の船長は女性である。
その首にかけられた懸賞金は500万ベリー。“金棒のアルビダ”と言えばこの近海では誰もが縮み上がるビッグネームだった。
見た目は丸々と太った大柄な人物で、頬にはそばかすが目立ち、トレードマークだと言わんばかりに大きな金棒を手に持っている者こそ彼女である。
きれい好きでだらしない物が許せず、ミスをすれば手下でさえその金棒で殴りつけ、海賊らしいとも言える危険さを持ち合わせるため近隣の村々から恐れられていた。とはいえ、大した事件を起こすことはなく、せいぜいが略奪と称して近隣から金や食料を巻き上げるのみ。
自らを美しいと語って献上せよと要求する。それが彼女の日常だった。
イーストブルーの中ではそれなりに有名。しかし世界的に見れば名も広まらぬ小さな海賊団。
森の中でキャンプの準備をしているというのに、どこかギスギスとした空気を醸し出す彼らは、傍目から見ても何かに怯えていた。船長こそ知らないものの、その恐怖の対象が自分たちの船長だということは仲間内では周知の事実だったのである。
「きびきび動きなぁ! 夜が来る前には宴を始めたいからねぇ!」
「は、はいっ。了解です、アルビダ様」
大きな木の幹を背に、運ばれた椅子に座って腕組みをするでっぷり太った女性がアルビダだ。
彼女の指示で動く男たちは皆屈強な者たちばかりだが、この中に一人として彼女に勝てる者はいない。それだけ強いのだ。従って力に屈した男たちは蟻の如くせっせと働き、女王のご機嫌を取ることに必死。この状況に異論を唱える者など一人もいない。居てはいけない。
逆らう者には例外なく自慢の金棒を。力による圧政は明らかだった。
その虐げられる者たちの中に、一際弱々しそうな少年が居るのが、この一味の奇妙な点だった。
「おいコビー! 頼んだ物はまだかい!」
「す、すみませんアルビダ様っ。今すぐに……!」
少年の名はコビー。どう見ても海賊とは思えないひ弱そうな人物である。
背丈は小さく、中肉中背で鍛えられた肉体とは思えない。頭髪はピンク色で眼鏡をかけており、見るからに気弱だとわかる顔つきと仕草。アルビダに呼ばれただけで肩がびくりと跳ねていた。
彼女を恐れているのは明確な事実。そればかりか周囲の男たちにすら怯えている。
善良な市民だと言って疑われないだろう彼は、手に持つワインとグラスを彼女の下へ送り届け、媚びへつらうように恭しく頭を下げた。礼儀はなっているが気に入らないらしく、鼻を鳴らしたアルビダはひったくるようにしてそれらを受け取る。
椅子の傍に置かれたテーブルの上にグラスを置き、ワインの瓶を眺め始めた。
「まったく、あんたはグズだねぇ。もっと速く動けないのかい。いつまで待たせる気だよ」
「す、すみません。急いだつもりだったんですけど……」
「フン、どうだか。それにねぇコビー、あんた、またミスったね?」
「な、なにを、ですか」
「とぼけんじゃないよッ!」
アルビダは突然ワイン瓶をコビーへ投げつけ、咄嗟に頭を庇った彼の腕に当たって割れてしまう。中身が頭から上半身を濡らして、白いシャツが赤く染まってしまって、破片で肌を切ることはなかったがぶつけられた痛みが鈍く残る。
尻もちをついたコビーに対し、アルビダは立ち上がって怒り出した。
「アタシが持って来いって言ったワインと銘柄が違うじゃないか。とろいだけならともかく人の話すら聞けないのかい」
「ごめんなさい……で、でも、探したんですけど、見つからなくて」
「それでアタシを騙そうとしたんだね」
「ち、違いますっ! もう船には残ってなかったので、代わりの物をお持ちして、きちんと理由を説明しようとしただけで、決してそんなことは――」
「それじゃあんたは何かい、アタシが人の話も聞けないと言うわけだ」
「そ、そんなつもりは……!?」
「良い度胸してるよ、おまえ」
金棒が振り上げられてコビーが反射的にきつく目を閉じる。しかしそれは振り下ろされず、代わりにアルビダの足が彼の頬を思い切り蹴りつけた。
小さな体が軽々飛んで激しく転がる。
体の至る所を地面へぶつけて、強かに打ったため鈍い痛みが全身を襲った。
両手で頬を押さえ、わずかに呻いて体を小さくし、コビーは必死に耐える。
なぜこんなことになったのだろう。なぜこんな目に遭わなければならないのだろう。
世界はなんとも理不尽で救いがない。これだけ辛い目に遭っても助けられることはない。
周囲からの嘲笑と侮蔑する視線を感じる。
なぜ、こんな目に。
そう考えても口に出すことはできず。
健気にも黙ったまま、うずくまって耐える彼に唾を吐きかけ、興味を失ったのか、苛立った様子のアルビダは再び椅子に座り直した。蹲っていつまでも動かないコビーを睨みつけて心配することすらない。早くそこから退けと冷たく吐き捨てる。
「無くなってたんなら近くの町から略奪してきな。あんた、自分がどの船に乗ってるかわかってるだろう」
「あ、アルビダ様の船です」
「そういうことじゃない。海賊船に乗ってるって意味さ。つまり、あんたも海賊なんだよ」
言われた言葉にコビーの肩がぴくりと反応する。
気付きもせずにアルビダは続けた。
「一人くらい殺せば少しは度胸がつくだろう。こいつを貸してやるよ。町へ行ってきな」
アルビダの手からぽんっと放り投げられたのは一丁のピストル。それがコビーの足元へ落ちて、勢いが止まらず靴に当たる。思いのほか軽そうだと初めて身近に感じて思った。
それが武器だということは知っていて、見た事だってある。しかし自分が持ったことはない。
持てと言われて体が震え上がった。
与えられた雑用ならば何でもやってきたが、まさか人を殺せと言われるだなんて。それだけは承諾できない。蹴られるのも雑用を任されるのも耐えられるが人殺しだけは。
襲い掛かる衝撃に耐えきれず汗が噴き出した。自覚した途端に痛みさえ忘れてしまう。明らかに呼吸が速くなって息切れを起こし、動いていないのに疲労や憔悴さを感じさせ、ついには顔色まで変わり始める。今まで感じていた物とは違う恐怖によって腕の震えが止まらない。
それでもアルビダは一度出した命令は引っ込めずに、歪んだ笑顔で彼への命令を下した。
「アタシが飲みたいワインの名は覚えてるね? あんたが度胸を見せたらさっきの蹴りの分を謝ってやるさ。ただし、できないなんて言ったら――」
「できませんっ。略奪だなんて、しかも、ひ、人を、殺すなんてこと……!」
「だったらあんたが死ぬかい?」
ゆっくりとアルビダが立ち上がった。反射的にコビーの体が震える。
金棒を肩に担ぎ上げ、時を待つかのようにぽんぽんと肩を叩く。
振り下ろされれば死。
それで殴られた屈強な男が一瞬で意識を刈り取られる様を何度も見てきた。
恐怖はすでに植え込まれている。以前から構えられただけで全身が硬直して動けなくなる程度には恐れていて、自らの死を幻視してしまって背筋が震えた。
わざと歩調を遅く歩いて目の前に立たれる。
その姿を見上げたコビーはこの世の終わりを感じ、震え上がって声すら出ない。
凶悪な笑みを浮かべたアルビダが言った。
「何をやってもだめだが航海術はそれなりだったからねぇ。今日まではどんなミスでも見逃してきてやった。でもこの辺りの海はずいぶん航海したし、あんたが口答えするなら、生かしておくってのも癇に障る。ここらが潮時じゃないかい?」
「そ、そんな……!」
「何をやっても役に立たないグズだったんだ。せめて死ぬ時くらい逃げずに逝きな」
「ひぃっ!?」
金棒が掲げられて、無慈悲にコビーを見下ろす。
彼はこの瞬間、死にも等しい絶望を味わった。
周囲に助けを求めることもできず、自分の力でどうすることもできずに、死は確実なものとされていた。これを理不尽だと想いながらも一番に責めるのは自分のこと。
なぜこんなことになったと考えながら、やはり原因は自分にあると知っていて。自らを殺そうとするアルビダや虐げてきた彼女の手下を恨むより先に情けない自分自身をきつく叱った。
もっとやりようはあったはずだ。賢く立ち回れば逃げることだってできたはず。
ほんの少しの勇気があったならきっと未来を変えられた。
やりたくもない海賊家業をやらず、自分の夢を追う未来だってあった。それを無下に捨ててしまったのは自分自身の勇気の無さ。怖がるばかりで一歩さえ踏み出そうとしなかったせいだ。もしも勇気があったなら、力はなくとも戦おうという姿勢があったなら。
自らの最期を感じ取ったせいか、後悔は尽きることなく胸の内から溢れ出して、彼の全身を一瞬で駆け抜ける。それは彼自身も理解していた。
もしもやり直せるのなら。恐怖の中で強くそう考えた。
アルビダの形相が変化して、力強く金棒がまさに振り下ろされそうとしたその一瞬。
「んまほーっ! でっけぇ肉だなぁ~それ!」
救いであったか、破滅であったか。
その声が割り込んできて全ての時が止まった。
聞き覚えのない声に空気が変わり、誰もが言葉の出所を探して顔を動かし、視線を走らせる。知らない誰かが確実にこの広場に存在する。おそらく仲間の誰でもない者だ。
想像通り、部外者らしき少年はすぐに見つかった。
まず目についたのは麦わら帽子と、網の上でじゅーじゅー音を立てて焼かれる肉の塊を前によだれを垂らしている口元。この緊迫した状況下に颯爽と現れた理由は腹が減っていたかららしい。コビーやアルビダには目もくれず、料理に精を出していたコックの隣に立っている。
振り上げた金棒はぴたりと止まって、そんな状況で能天気な質問がコックにぶつけられた。
「なぁなぁ、これってもう食えんのか? やっぱ肉がいいよなぁ。うまそうだっ」
「は? あ、あぁ、まぁできちゃいるが――」
「そうか! いっただきまーす!」
骨についた肉を持ち上げ、がぶりとかぶりつく。思い切りが良くて見ている方が美味そうと思える姿だ。にんまり口角が上がって上機嫌な様子、この場の緊張感とそぐわない。
呆気に取られる一同はしばし彼の食事風景を眺める羽目となってしまった。
だが、何かがおかしいと気付いて時が正常に動き出す。
すぐさま近くの手下を見たアルビダは厳しい声で問いかけた。
「あれはいったい誰だい」
「さぁ、おれたちも知りませんぜ。どこから紛れ込みやがったのか」
「だったらなんでアタシらのメシを食ってんだい!」
「ひぃっ!? お、おれに言われましても……」
一喝によって手下が怯えるが気にしてもいられず。
もはやコビーのことなどどうでもよくなったアルビダはその少年に向かって歩き出し、金棒で指しながら荒々しく声を発した。叫ぶようなそれは無視できずに二人の視線がぶつかる。
「ちょっとあんた、どこから来たんだい。人様の料理に勝手に手を出しておいてただで済むと思ってるのか。出すもん出せるんだろうねぇ」
「ん? おれはルフィ。海賊王になる男だ」
「ルフィ? 海賊王? ハッ、どこのバカかと思ったら大バカ者だったみたいだね。聞いたこともない海賊が、ご大層な夢語ってんじゃないよ」
「んーが。んまらっぴぃっぽぅ」
「食うのをやめねぇかぁ!」
いよいよアルビダの怒りが抑えきれないものとなってきた様子だ。思い切り振り下ろされた金棒が強く地面を叩き、めくれ上がった土が宙を舞った。
怯え始めたのは手下たちの方で、彼らは巻き込まれないようにと素早く動き出して広場を抜け、木々の陰に隠れ始める。アルビダの金棒にかかれば人体すらその地面のようになってしまうのは何度も見ている。威圧するには十分過ぎるほどの力があった。
そんな光景の中でルフィの食事は終わらず、ますますアルビダの怒りが大きくなる。
手首を回して金棒を振り回し、準備しつつも一歩ずつ彼に近寄っていった。
「海賊の物を奪うとどうなるか、知っておいた方がいいんじゃないかいルーキー。見たところあんた武器を持っちゃいないようだ。それでよく海賊王だと大口叩けたもんだねぇ」
「んびっ。おーほれぴぐっくもー」
「何言ってんだかわかんねぇんだよ! ふざけた小僧だ、しつけが必要だね」
あっという間に骨付き肉を食べ終えたルフィの手は他の料理に狙いを定め、次々拾い上げて口へ運んでいる。網で焼かれていた、串に刺された肉や野菜も、刺身となって皿の上にあった魚も、好き嫌いはなく全て美味いと食される。
そのスピードは常人とは思えず目を見張るものがあった。しかし仲間でもない彼がそうすることに問題があって、この場においては感心するどころか怒りに火を注ぐばかり。
速ければ速いほどアルビダの額の青筋が目立つようになる。
ここから金棒を投げてやろうか。ルフィのスピードに耐えかねたアルビダが考えた。
ちょうどその時、意を決した様子のコビーが立ち上がって顔を上げ、一心にルフィを見つめて大声を上げた。全身にだくだくの汗を掻いていたがその声は辺りに木霊する。
「に、にに、逃げてくださいっ!」
「んあ?」
その一言に気付かぬはずはない。
アルビダの厳しい視線がコビーに向けられる。彼はそれだけで怯えながらも口を閉じなかった。
「てめぇ、コビー……どういうつもりだい! 誰の味方しようってんだ!」
「アルビダ様、お、お願いです。ぼくのことはどうしてくれても構いません。ですから、どうか、あの人だけは助けてあげてくださいっ」
腰を折って頭を下げ、緊張と恐怖で脚が震えているのに、コビーははっきりと言い切った。
一度死にかけたせいか、開き直ったとも思える強気な声で、先程とは違う姿である。やけになっているとも言える。おそらく自分が何を口走っているかわからない状態でアルビダの視線を受け止めていた。そのせいで今にも失神してしまいそうなほど精神状態は危うい。
死ぬほど怖いと思っているのは嘘ではない。
しかし、今この時だけは退いてはならないと思っていた。
かつて自分が夢見たものはなんだっただろうか。今になって鮮明に思い出していた。
震えているのに強い声で、自分の意思を乗せてしっかりとアルビダに対して放つ。
ほんの些細な、殴られれば途端に潰される小さな勇気。
それはコビーなりの初めての抵抗であった。
「ぼ、ぼぼ、ぼくは、子供の頃から海兵になるのが夢だったんです。今の今まで、怖くて、何もできなかったけど……何の罪もない人が殺されようとしてるのに逃げ出したら、ぼくは本当に弱虫だっ。グズで役立たずで、あなたたちみたいな、海賊と同じじゃないですか!」
「コビー、てめぇ……誰に口利いてるかわかってるんだろうね」
「略奪も、人殺しもしません。いいえ、できないんです。ぼくはそれでいい。あなたたちみたいな海賊じゃないから……ぼくは、海賊じゃありません!」
肩を震わせ、額に青筋を浮かべ、激怒するアルビダに見つめられて尚コビーは退かなかった。
言うべきことを言うのだと強い意思を感じる。今までそんな彼を見た事がない。
ある瞬間、ふっと笑みを浮かべた。
唐突に表情が変わったアルビダはルフィへ向かう足を止め、代わりにコビーの方へ振り向く。なぜか奇妙なほどにやさしく見え、驚いたコビーの震えが止まった。
痛いほど握りしめていた両手も緊張感から解放される。しかしそれはわかっていないから。
やさしい眼差しでコビーを見るアルビダは、今まで一度も聞いたことがない声で語る。
「よく言ったねぇコビー。それがあんたの本音かい?」
「は、はい……」
「アタシにこき使われてたこの二年間、ずっとそう思ってたってことだね」
「は、はい……」
「そうかい。本当に、よく言ったじゃないか」
言い終えた途端、一瞬で形相が変わって、まるで鬼のよう。
噴き出すような強烈な怒りを感じ取ってコビーは卒倒しそうになった。表情を変えたアルビダに睨まれただけで脚の力が抜けて腰砕けになり、転ぶようにその場へ尻もちをついて動けなくなる。
かつてこれほど己の死を間近に感じたことがあっただろうか。
死の恐怖は先程とは比べ物にならなくて、あぁ、もうだめなんだと理解した。
嫌になるほど冷静になって彼女の動きがつぶさに観察できる。それが余計に怖い。いっそ楽に死なせてくれればいいのに、一歩一歩近づいて来る姿を見なければならないのは、心臓をぎゅっと痛くさせる。彼は大絶叫を上げながらアルビダから目が離せなかった。
「アタシに盾突いてタダで済むと思ってんのかよ! 人を舐めるのも大概にしなッ!」
「うわああああああああぁぁっ!?」
もう死ぬ。そう理解していた。
金棒を振り上げて走ってくる彼女から逃げることはできず、力が入らなくて立ち上がることさえできない。ここで死ぬのだ。後悔が残る短い人生だった。
押し潰されそうな恐怖に支配されながら、けれどこれでいいのだと思う。
自分は言うべきことを言った。素直になって恐怖心に打ち勝ち、たった一瞬、されど確かに、ただの弱虫をやめて自分の意思を貫き通せた。あの一瞬だけアルビダに勝った。
悔いはない。叫びながらも自分に言い聞かせるようにそう想う。
(ぼくは言った! 言ったんだ! アルビダに逆らうことができた! ぼくは変わったんだ!)
アルビダの足が止まり、コビーの目の前で思い切り金棒を振り下ろし始める。
悲鳴は響き渡り、必死の絶叫は生きようとしているかのよう。
無慈悲に金棒は落下してくる。目をつぶることすらできなくなっていて、その光景を嫌でも見続ける羽目となった。自らの死をしっかり視認しようとしている。
しかし振り下ろされる最中、アルビダの金棒が吹き飛んだ。
彼女の後方から飛んできた何かに激突され、手からすっぽ抜けたのだろう。突如飛んだ金棒はくるくると回りながらコビーの傍を通って、頬を掠り、わずかに血を流させて飛んでいく。
キャンプの荷物に激突した金棒は重さのせいで地面にめり込み、もうもうと土煙を上げた。
コビーは泡を吹いて気を失った。精神の限界だったようで、体は大の字で倒れてしまう。
アルビダが気にするのはそんな彼のことではなかった。
何かがぶつかってきた。当たったのは金棒で彼女の手ではないが、衝撃から右手がわずかな痺れを感じている。強烈な勢いでぶつからなければそうはならない。
手下がそうするはずがないだろう。ならば考えられるのは一つ。
ゆっくりと振り向いたアルビダが見たのは、もぐもぐと口を動かし続けるルフィの姿。
周囲の手下たちは先程の光景を見ていたようで、いまいち理解できていなかったアルビダに代わるかのようにぽつぽつと、口々に驚愕の光景を言葉にしていた。
「う、腕が、伸びたぞ」
「なんだったんだ、今のは……幻覚か? いや、でも」
「アルビダ様の金棒は吹っ飛んじまったぞ」
「なんで腕が伸びるんだ――」
「そうかい、悪魔の実ってやつだね。そのシリーズを口にした奴が本当にいるとはねぇ」
手下たちが口々に言う話から推測し、アルビダがほくそ笑む。
楽観的な様子で食事を続ける姿は間抜けだが、腕が伸びたという話を信じる限り、彼は悪魔の実の能力者に違いない。どんな能力かはわからずとも厄介であることは確か。
おもむろに歩き出したアルビダはコビーの傍を通り過ぎ、気絶しただけの彼には目もくれず、飛ばされた金棒のところまで歩いて拾い上げる。
彼女の腕力にかかれば鉄さえ砕くこの金棒を殴り飛ばしたというのか。
実際に自分の目で見ていた訳ではないので信じ難いが、だとしたら驚くべき行為だ。
戦慄したアルビダはルフィを振り返り、能天気な表情の彼をじっと見つめる。
只者ではない。その顔を見て不思議とそう思う自分が居た。
「あんた、何者なんだい……?」
「うんん、んぐっ。さっき言っただろ。海賊だ」
食事の手を止めずに端的に言って、ルフィの目はアルビダを見ていた。しかし倒れたコビーを忘れたわけではなく、言葉だけで彼を指して言う。
「さっきは助けてもらったからな。今度はおれがそいつを助ける」
「助けた? ハンッ、コビーのことかい? とんでもない皮肉だね。こいつはビビッて気絶しちまっただけだ。あんたを助けてなんていない」
「でも逃げろって言ってくれたじゃねぇか。それで十分だ」
微塵も恐れを感じさせない、平然とした声。それが彼のまだ見ぬ強さを示すようだった。
黒々とした眼はアルビダを見つめており、敵と認識しているのかそうでないのか、何を考えているのかわかりにくい。ただ彼女を恐れず、怯えを持たずに見つめ合い、視線を外さずに時を過ごすなど振り返ってみてもきっと初めてのことだ。
なぜ、彼は彼女を恐れないのか。アルビダ本人が一番不思議に想う。
「おれは決めたぞ。そいつを守る。だからおまえら、そいつを殺したかったらまずおれを倒せ」
あくまでも両手を食事のために動かし続けながらそう言って。
「よし、どっからでもかかって来い」
こんがり焼けた骨付き肉にかぶりつきながら、ルフィは堂々とその場に立っていた。