「椛ちゃん、月ちゃん、どうだった?」
「「すごかった……!」」
年相応の語彙力しかなくなってしまったが、本当に凄かったからそれしか言いようがなかった。
「ふふっ、二人とも旭君の大ファンになっちゃったのね」
「うん……! もっともっと、あさひおにいさんのおはなし、ききたい……!」
「つぎ、いつこれる……!?」
「二人ともいい子にしていたら、きっとまた招待してくれるわよ。……と言っても、二人はいつもいい子だったわね」
今日は神谷旭さんから招待された彼の朗読劇の公演日だったのだ。
初めて絵本の読み聞かせをしてもらった初対面のあの日から既にファンになってしまっていた私たちは、彼に対して色々と思うことがありつつも嬉々として朗読劇に招待された。
(やっぱり、すごかった……!)
本当に何が違うのだろうか。上手く言語化出来ないのはきっと私の語彙力が追いついていないからだとは思うのだが、とにかく凄いのだ。
(……ねぇ二人とも)
座席に座ったまま余韻に浸る私とお姉ちゃんに、ママがこっそりと囁きかける。
(旭お兄さんに、直接お礼を言いに行く?)
((……っ!))
一瞬、私とお姉ちゃんは目を合わせ、そしてコクコクと無言で首を縦に振った。
この感動を直接伝えたい……というオタクとしての本能もあるのだが。
それ以上に、私とお姉ちゃんは旭さんに対して思うことがあった。だからもう一度、直接会ってみたかった。会って確認をしたかった。
――どうして旭さんは、私たちに
「ねぇ、ママ」
「ん? なぁに、月ちゃん」
「あさひおにいさんのおはなしって、なおおねえさんもかれんおねえさんもりんおねえさんも、みんなだいすき?」
劇場の関係者にママが自身の正体を明かすことで通してもらった関係者以外立ち入り禁止エリアを、ママと手を繋いで歩きながら、私はそんなことをママに尋ねた。
「えぇ。加蓮ちゃんも凛ちゃんも旭君の朗読劇に大ファンよ。妹の奈緒ちゃんも、昔はよくお兄さんに絵本を読むのをせがんでたんですって」
(……やっぱり)
――私たちも旭さんの演技大好きなんだ。
あの日、加蓮さんは旭さんのことをそう称した。まるで今の私たちのように無垢な笑顔を浮かべる加蓮さんが嘘を言っているとも思えなかった。そしてママの言葉によってそれは裏付けられ……そうして、旭さんの『二つ目の嘘』が明らかになった。
――どうせアイツは来ませんし。
旭さんのその言葉は、まるで『奈緒さんが旭さんの朗読劇に全く興味がない』と言っているようだった。しかしママと加蓮さんの言葉が正しければそれは嘘だ。
もしかして用事があって来れなかっただけかもしれない。チケットを私たちに譲るための方便だったのかもしれない。
だけど何故か、この嘘が私たち姉妹の心の片隅に残っていた。
「こんにちは、旭君」
「「こんにちわー」」
「こんにちは、楓さん。……そしていらっしゃい、モミジちゃん、ユエちゃん」
楽屋まで挨拶をしに来た私たちを、旭さんは笑顔で迎え入れてくれた。……とても優しくて、見るだけで安心してしまうような、そんな素敵な笑顔だった。
「二人が遊びに来てくれるって言うから、お兄さん二人のためにお菓子を用意しちゃった」
旭さんが「じゃーん」と言いながら手で示した先には、なんとテーブルの上に並べられたケーキがあった。
「「けーき!」」
精神が体に引っ張られるというのは本当のようで、嗜好がすっかり四歳児の私たちは目を輝かせてしまった。
「卵を使ってない低アレルゲンケーキなので、きっと二人も食べられると思うんですけど……どうでしたか?」
「わざわざすみません、二人のためにこんなものまで用意していただいて……」
「いえいえ。たまたま差し入れにピッタリなものがあったので、二人におすそ分けです」
旭さんに促されるままテーブルについた私とお姉ちゃんはパチリと手を合わせた。
「「いただきます!」」
「はい、どーぞ」
……はぁぁぁケーキうまぁぁぁ……!
いや実を言うとコレ四年ぶりのケーキなのだ。乳幼児時代はケーキなんて食べれるわけがないし、アレルギーとか色々な関係で口にすることが出来なかった。
卵を使っていないとはいえ……この甘さは本物! 本物のショートケーキ!
……あっ、今ふと我に返ったけど、私たちのこれって初めてケーキを食べる子どもの反応としては間違っているのでは……!?
(………………)
「俺が選んだ絵本、気に入ってもらえてますか?」
「はい。椛ちゃんの絵本と月ちゃんの絵本、毎日交代で読んでもらっているみたいです」
「それはよかった」
どうやらママは気にしていない様子だった。セーフ。
しかしそんなママと旭さんの会話を聞いて……今度は旭さんが『三つ目の嘘』が気になってしまった。
それに気が付いたのは、旭さんが私とお姉ちゃんのために絵本を選んでくれたときのことだった。
旭さんは『モミジちゃんとユエちゃんの名前が入っているから』という理由で二冊の絵本を選んでくれた。それは花の絵本と月の絵本だったのだけれど――。
――どうして旭さんは、私の名前が『月』という漢字だと知っていたのだろうか。
私は気に入っているからいいのだけれど、ぶっちゃけ『月』と書いて『ユエ』と読む名前はキラキラネーム一歩手前。ユエというのは月の中国語読みなのである。
私のようにオタク知識として月をユエと読むことを知っている人はいるだろう。だが知識と知っていたとしても真っ先に月をユエと読む人はいないし、ましてやユエという読み方から月という漢字なんて普通は連想しない。
そもそもお姉ちゃんの名前であるモミジだって『紅葉』の可能性も『黄葉』の可能性だってあったのに、旭さんは迷うことなくお姉ちゃんの名前の漢字を『椛』だと断定した。
これが旭さんが『三つ目の嘘』。
……そもそも。
――どうかな、モミジちゃん、ユエちゃん。
旭さんは、
「……どうおもう?」
「……つぎはやっぱりもんぶらんがたべたいなっておもった」
「わたしはちーずけーき……じゃなくて」
今日も今日とて深夜姉妹会議。議題は四年ぶりに食べたことで火が付いてしまったケーキ欲……ではなく。
「あさひさん、なんでわたしたちにうそついたんだろ」
「なんでだろうね……」
結局、旭さんが私たちについた嘘は大きく分けて二つ。
奈緒さんたちが旭さんの演技に興味がない……という嘘は、まだなんとなく理由を想像出来る。きっと私たちに朗読劇のチケットを渡すための方便だろう。しかしそれが理由だとすると、今度は『何故そこまでして私たちにチケットを渡そうとしたのか』という疑問が生まれてきてしまう。
そしてそれ以上に、大きな疑問が残る旭さんの嘘。
――私たちのことを知っているにも関わらず、知らないふりをしたという嘘。
「とつぜんママがわたしたちをじむしょにつれていったのは、あさひさんにあわせるためだった……とか?」
「あらかじめママからわたしたちのことをきいていたってこと……?」
彼が私たちの存在を知ることが出来る方法なんてそれぐらいだろう。しかしその場合、今度は『何故ママは本来隠すべき私たちの存在を旭さんに教えたのか』という疑問が生まれてきてしまう。
ママがわざわざ私たちの存在を教えるほどの人物。そしてそれを知っても私たちとの繋がりを作らないように知らないふりをする必要がある人物。
そんな条件に当てはまる人物なんて、一人しかいない。
「「……あさひさんが――」」
――高垣椛と高垣月の父親。
「「……いやさすがにそれは……」」
自分たちで出した仮説だというのに、私たち自身で即座に却下されてしまった。
だって旭さんは現在十七歳である。仮に父親だったとしたら、私たちは旭さんが十三歳のときの子どもということになってしまう。いくら生物学的には可能性があっても、あまり信じたくない仮説である。場合によっては二十一歳のママが十二歳の少年と一夜を共にしたということになってしまうのだ。
そもそもの話、神谷旭が
以上のことから『神谷旭=私たちの父親』説は保留となった。完全に却下しないのは、生物学的に判断していない以上可能性がゼロではないからだ。
「でぃーえぬえーかんていとかできたらはやいんだけどね」
「おかねがないよ」
ちょっとだけ調べてみたんだけど、あれ一回の検査で数万円するんだってね。四歳児にそんな大金捻出できないし、そもそも検体が存在しない。旭さんの髪の毛一本ですら手に入れることは、今の私たちには難しかった。
「「せめてわたしたちに、じゆうにつかえるおかねと、じむしょにひんぱんにいけるりゆうがあればよかったのになぁ」」
そして、月日は流れ――。
「「……え、今、ママなんて言ったの?」」
それは初めて346プロダクションの事務所に訪れてから二年後。私たち姉妹が小学校に入学した直後にもたらされた……ママからの突然のお誘いだった。
「うん。椛ちゃんと月ちゃん、アイドルやってみない?」
・神谷旭は姉妹のことを