とある夏の日の神谷家
休日の早朝だというのに、窓の外から聞こえてくる蝉の喧騒に少し溜息が出そうになる。
「今日も暑くなるんだろうなぁ」
七月でこれなのだから、一体八月になればどれだけ暑くなるのだろうか。
「おはよ~」
「おはようございます……」
「おう、おはよう」
そんなことを考えながら今朝も愛する妻が用意してくれた朝ご飯を食べていると、愛する娘二人がユラユラと身体を揺らしながらリビングに入ってきた。いつも朝はちゃんと起きる二人にしては珍しく、なんとも眠そうな雰囲気だった。
「おはよう。どうしたの二人揃って、今日はまだまだ眠そうね?」
対面式のキッチンから顔を覗かせた楓が、二人の様子にクスクスと笑った。
「んー、なんか変な夢見ちゃって~」
「私も……ちょっと変な夢だった」
ほう、変な夢とな。
「どんな夢だったんだ?」
「お父さんとお母さんが高校生になった夢」
「お父さんだけ子どもになった夢」
「……それは……まぁ、なんとも変な夢だな」
自分が子どもに戻った夢ならば分かるが、流石に自分の両親が若返る夢というのは変な夢と言わざるを得ない。
「へぇ、それはとても楽しそうな夢ね」
若干リアクションに困った俺に対して、キッチンから聞こえてくる楓の声は随分と楽しそうだった。
「それで、具体的にはどんな夢だったの?」
椛と月にそれぞれの朝食を乗せたプレートを引き渡してから、既に朝食を食べ終えている楓も食卓に付いて二人の話を聞く姿勢になった。時間が時間なので流石に自重しているが、これが夕方だったならば迷うことなく夢の話を肴にしてお酒を飲んでいたことだろう。
「えっと、私が見たのはお父さんとお母さんが高校生で、お母さんがお父さんの通う高校に転校してくるところから始まるラブコメだった」
「ラブコメ!?」
「しかも実は二人は子どもの頃に結婚の約束をするぐらいの幼馴染で、二人はそのことに気付かず再開するんだけど、なんとお互いにそこで一目惚れをしちゃって……」
「夢の割には設定がしっかりしてるな!?」
普通、夢って起きたらその内容があやふやになってすぐに忘れるものだと思う。もしかしてよく覚えてないからって、勝手に内容を盛って話してるんじゃないだろうな?
「それでそれで? 二人はどうなったんですか?」
疑いたくはないけれど若干の疑惑の念を長女に抱きつつある俺に対し、楓は興味津々といった様子で続きを促した。
「えっと、別に喧嘩とか仲違いとかライバル出現とかそーゆーのは別になくて、比較的順風満帆に二人は恋人になりました、めでたしめでたし……って感じかな」
別に悪くはないが、山なし谷なしは好き嫌いがハッキリと別れそうなシナリオだな。少女漫画的展開とは程遠いから女性受けはしなさそう。
「私は我ながら良いシナリオだったって思うよ。結ばれるべくして結ばれる二人って、運命感じちゃうじゃん?」
「そりゃあ、お前が見た夢の内容なんだから自分好みなシナリオなんじゃないか?」
「私も好きですよ、そのシナリオ。……いいですねぇ、旭君と高校の同級生に……」
楓はうっとりとした表情で物思いに耽る。どうやら『もしも高校の同級生だったら』という妄想に思いを馳せているらしい。
「ちなみに他に同級生としてはぁとさんや美優さんもいたよ。奈緒さんは変わらず妹だったけど、お父さんの二つ下っていう設定だった」
随分と登場人物が知り合いで固められている上に、年齢設定も現実と改変されているよく出来た夢である。
「うふふっ、面白いお話を聞かせてくれてありがとう、椛ちゃん」
「え、うん。ただ夢の話をしただけだけど……どういたしまして?」
「それじゃあ、椛ちゃんには特別に……」
席を立って再びキッチンへと向かった楓は、何かを冷蔵庫から取り出して戻ってきた。
「はい、暑中見舞いで送られてきたフルーツの缶詰を使って作ったフルーツポンチでーす」
「わっ! やった!」
突然現れた
「えー、お姉ちゃんだけズルい」
姉にだけ出されたデザートに、当然月は不満に唇を尖らせる。
「月ちゃんも、夢でのお父さんとお母さんのお話をしてくれたらあげますよー」
そこまでして聞きたいのか、夢の話。
というか。
「俺にも出してくれてなかったよね、フルーツポンチ」
「旭君の分は、また別のご褒美としてあげまーす」
いや普通に出してよ。俺だって食べたいよ。
「私が見た夢は、基本的な設定は昔のお父さんとお母さんと変わらなかったよ。お父さんが俳優で、お母さんがアイドルで、それで二人は恋人なの」
椛が見た夢の話は一旦中断。朝食のデザートを求めて月も自分が見た夢の話をし始めた。
「私と旭君が、一部の人以外には隠れてお付き合いしてた頃ね、懐かしいわ」
「そうだな……もう二十年以上前の話になるんだもんな」
懐かしいという楓の感想には同意しつつ、しかし月が語った設定に一部疑問点があったため口を挟む。
「なぁ月、確かさっき『お父さんだけ子どもになった夢』って言ってたよな?」
その言葉が正しかったとすると、その夢の中の俺は……。
「うん。小学生のお父さんと、二十五歳のお母さんが恋人だった」
「色々とアウト!」
この場合は多分小学生に手を出した楓が!
……別に『子どもの頃にお姉さんな楓と恋人になれるなんて羨ましい』なんて考えてない。
「へぇ~へぇ~! 子どもの頃の旭君と恋人に……!」
「何それめっちゃ面白そうじゃん!」
一瞬脳裏を過った邪な考えを頭を振って追い出していると、先ほど以上に興味を示した楓と、今度は椛も一緒になって月へと続きを促した。
「二人は恋人同士だってことを別に隠してるわけじゃなかったんだけど、周りの人たちはお母さんの冗談だと思って本気にしてなかった」
「それが当然の反応だろうな」
小学生と大人が恋人同士になるなんて荒唐無稽な設定、夢でもなければ成立しない。
「あら、そんなことないわよ」
しかし楓は目をニューっと猫のように細めながら、ニマッと笑った。
「例え子どもでも、私は変わらず旭君のことが大好きになる自信があります」
「楓……」
「旭君は、違うんですか? 子どもの私は好きになってくれませんか?」
「………………」
今流れで「勿論俺もだよ」と言いそうになったが、それがかなりマズい発言になることに間一髪で気が付いた。いや楓の発言も冷静になって考えれば色々とマズいのだが『男の子と大人の女性』と『女の子と大人の男性』では少々社会的な扱われ方が違うのだ。
「え~? 旭お兄さんはぁ、子どもの楓ちゃん、好きになってくれないのぉ?」
やめろ! ご丁寧に口元に握りこぶしを添えながら猫なで声を出すんじゃない! 『年甲斐もなく』とか言えないぐらい可愛かったからタチが悪い! いや何も悪くない!
世間一般のご家庭ならばロリ声に動揺する父親なんて娘からしてみたら「引くわぁ」案件なのだろうが、神谷家の場合は娘二人も母親のことが大好きなため「うわ今のお母さんすっごい可愛かった!」「……も、もう一回、こっち向いて……」と俺以上の反応を示していた。
「それで、最後はどうなったんですか?」
ノリにノッた楓が娘二人をお姉ちゃん呼びしてひとしきり盛り上がってから、楓は月に夢の物語の結末を要求する。
「え、えっと……どうだったっけなぁ……」
しかし月は椛と違い、最後の詳細をしっかりと思い出せないようだった。
「かすかにお母さんとお父さんが、夜明け前の浜辺にいる光景は思い浮かぶんだよね……」
「あら、デートかしら」
「二人で朝日でも見に来たのかな」
うーんと唸りながら月が捻りだした夢の内容に、楓と椛は揃って「あら素敵」と顔を綻ばせた。
「……あっ、でもそのままお父さんがお母さんの腕の中で息を引き取った気がする」
「「「死に別れ!?」」」
いくらなんでもそりゃあないっすよ月さん!?
「そんな……あんまりよ月ちゃん!」
「そうだよ月! お父さんとお母さんが可哀そうじゃん!」
「私だって自分でもこれは酷いって思ったよ! そうだよ思い出した! こんな終わり方だったから私泣きながら起きたんだった!」
少々目元が腫れぼったかったのは寝起きだった上に泣いたからだったのか……。
「あ、やばい、今そのときの光景思い出してまた泣きそう……」
「私もそれ想像して泣きそうなんだけど……」
「大丈夫よ、月ちゃん、椛ちゃん、お父さんはちゃんとここにいるから!」
「「お父さん!」」
涙目の娘二人にしがみつかれ、それに便乗するように楓が後ろから抱き着いてくる。
……年頃の愛娘から邪険にされることなくしがみつかれることに父親として思わないところがないわけじゃないんだけど、夢の中とはいえ勝手に殺されて勝手に泣かれている状況には若干混乱しつつ、しかしよく分からないまま娘二人を慰めるためによしよしと頭を撫でるのだった。
「朝から色々と疲れたよ……」
「そうね、今日は暑いからいつも以上に疲れちゃうわね」
「そうじゃないんだよなぁ……」
それぞれ用事があると出かけた二人を見送り、家には俺と楓が二人きりになった。
「そういえば結局まだフルーツポンチ食べてないんだけど」
「忘れてないですよ~」
食卓からリビングへ移りソファーに座っていた俺の隣に、楓が色鮮やかなフルーツが浮かぶ器を手にしながらやって来た。ようやく俺もデザートにありつけるらしい。
「はい、あーん」
……どうやら楓はこれがしたくて、わざわざ俺の分のデザートを出し惜しみしていたらしい。
「あーん」
今日は休日。俺も楓も特に用事はない。
そうだな、先ほどの椛と月の夢の話でもう少しだけ話に華を咲かせてもいいだろう。
今日も変わらない、そんな夏の日の一コマ。
過去二年分を夢オチにしていくスタイル。まぁ楽しければヨシの根性。
今期はこんな感じでまったりと、色々な短編をお送りしていきます。
というわけで再び一年、よろしくお願いします。