かえでさんといっしょ   作:朝霞リョウマ

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今年もこの日がやって来ました!
楓さん、お誕生日おめでとうございます!


私と神谷旭くんが『夫婦』になる話

 

 

 

「………………」

 

 夕日が差し込む部屋の中。私の夫……旭君が、ベッドに腰を掛けて鼻歌を口ずさんでいた。床に届かずに宙でブラブラしている足がとても可愛らしかったが……今はそれを楽しむ余裕が、私には無かった。

 

「……ただいま、旭君」

 

「ん? あぁ、楓か? おかえり」

 

 私の声に反応して旭君は振り返るが、その目に()()()()

 

「……具合はどう? 旭君」

 

「あぁ、案外大丈夫だよ」

 

 精一杯平静を装った私の声に対し、旭君の様子はとても穏やかなものだった。

 

 

 

 ――それはまるで()()()()()()を宣告された人のものとは思えないぐらいに。

 

 

 

「こうしてるとさ、まだ何かが見えるような気がするんだ。ベッドのここに座って、こっちを向いてれば窓の外が見えるはずだから。……楓が帰って来たってことは、夕日に照らされた街並みが見える頃だろ?」

 

「……えぇ、綺麗な夕日よ」

 

 そう答えるのが精一杯だった。今の旭君に、曇っていて雨が降りそうな天気だなんて、そっちは壁で()()()()()()なんて、そんなことが言えるわけなかった。

 

 旭君はもう()()()()()()()のだ。

 

 再び壁に顔を向けて鼻歌を口ずさむ旭君を、私は後ろから抱き締めた。

 

「どうした楓、甘えん坊か?」

 

 その声の高さと腕の中にすっぽりと収まる身体の小ささは、間違いなく子どものそれ。けれど、その優しい声と震える私の腕に優しく触れてくれた手は、疑いようもない大人のそれだった。

 

「……不安じゃ、ないんですか? 怖く、ないんですか?」

 

 私は、不安で、怖い。私のことじゃないけれど、それでも私の()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが、何よりも怖かった。

 

「……不安だし、怖いよ」

 

 ここで旭君が泣いてくれれば良かったのに。どうして俺ばっかりなんて怒鳴ってくれれば良かったのに。そうすれば私も、躊躇うことなく「()()()()()」と言えたのに。

 

「楓と一緒の生活がこれで終わってしまうことが、怖い。楓を一人この世に残してしまうことが、何よりも怖い。……だから楓」

 

 私の腕に触れる旭君の手に、ギュッと力が入る。それに応えるように、私も旭君を背後から抱き締める力をさらに強めた。

 

 まるで砂や水が力を込めればその手の隙間から零れてしまうように、例えこのまま強く抱きしめていてもいつかはこの温もりが零れ落ちてしまうと知っていても。

 

「忘れてくれなんて言わない。だけどせめて……俺を『ただの思い出』にしてくれ」

 

「……嫌です」

 

「年に数回思い出す程度の、そんな変哲もない『ただの記憶』にしてくれ」

 

「嫌です……!」

 

 

 

「『神谷旭の死』に囚われずに生きてくれ」

 

 

 

 その言葉に『嫌です』とは、言えなかった。

 

 

 

 

 

 

「ち゛ょ゛っ゛どか゛え゛でち゛ゃ゛ん゛な゛に゛よ゛あ゛れ゛えええぇぇぇ!?」

 

 事務所に出て来て早々、顔が涙と鼻水にまみれた早苗さんが突撃してきた。このまま真正面から彼女を抱き留めたら朝から服が汚れて大変なことになりそうだったので、そのまま横に回避する。

 

「避けないでよ!」

 

「避けますよ」

 

 というか一体何があったというのだろうか。

 

「あのドラマよ! 昨日のアレはなに!?」

 

 あぁ、どうやら昨晩放送された回を視聴してしまったらしい。

 

「どうでした?」

 

「この涙と鼻水が目に入らぬか!?」

 

 そんな堂々と情けないものを見せないでほしいというのが本音である。

 

 一旦ティッシュで顔を綺麗にしてもらい、早苗さんが落ち着いたところで会話再開。

 

「私、原作の小説は読んだことなかったけど、あれはドラマの監督が悪魔の心で旭君を殺そうとしているわけじゃないのよね!?」

 

「残念ながら原作通りです」

 

「アレ結末どうなるの!? 場合によっては色々なところに抗議することになるんだけど!? 結末が気になりすぎて昨日は一升瓶一本開けちゃったわよ!」

 

「残念ながら秘密です」

 

 是非来週放送される最終回を見てもらいたい。

 

「なに、ドラマの話?」

 

 ちょうど瑞樹さんもやって来て、まだ時間もあったためソファーに座って雑談が続く。

 

「それにしても、旭君本当に凄いわね。あの歳であれだけの演技が出来る子なんて、他にいないんじゃない?」

 

「それは私も思った。なんというか、まるで演技には見えないのよ。楓ちゃんもそうだけど、本当にただの夫婦のやり取りにしか見えないっていうか」

 

「うふふふふっ」

 

 演技が褒められたことよりも、旭君と夫婦にしか見えないと言われたことの方が嬉しかった。

 

「実はあのシーンの撮影中、お互いに感極まりすぎちゃってカットがかかってもしばらく動けなかったんです」

 

 私はボロボロと涙が止まらず、旭君は撮影中は堪えることとが出来ていた涙がハラハラと零れ初め、二人揃って本当に死に別れるような悲しみに打ちひしがれていた。

 

「役になりきりすぎているっていうか、なんかもうお互いに素の状態だからあんなに迫真のシーンになったんでしょうね……」

 

「そのおかげで昨日からネットの方も凄い話題よ」

 

 ホラホラと瑞樹さんがスマホの画面を指し示すと、そこには『死が二人を別つ!? 神谷夫妻が辿り着く結末は!?』というタイトルのネットニュースが。勿論ドラマのことだが、誤解上等のタイトルで閲覧数が凄いことになっていた。

 

「アイドルと子役が夫婦役でダブル主演の時点で放送前から話題騒然だったのに、蓋を開けてみたら旭君と楓ちゃんの自然な夫婦役がハマってるって大反響」

 

「特に旭君は元々舞台畑の子だったのに、今ではすっかり色々なテレビ番組に引っ張りだこになっちゃって。今や時の人じゃない」

 

「そうでしょうそうでしょう」

 

 まるで自分のことのように嬉しかった。

 

「……それで楓ちゃん」

 

 ススッと近付いてきた瑞樹さんがこそっと耳打ちしてくる。

 

「私は原作を読んでるからラストを知ってるんだけど……つまり『あのシーン』も撮影済みなのよね? あれ本当に好きな場面で、映像化するの楽しみにしてたのよ」

 

「うふふっ、秘密です」

 

 瑞樹さんがいう『あのシーン』とは、このドラマの原作のラストシーン。

 

 私はそのシーンを撮影したときのことを思い出す。

 

 あれは六月の半ばに行われた、撮影最終日。

 

 

 

 ――旭君との別れのシーンだ。

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ暖かくなってきたからいいかなーとは思いましたが……」

 

「この時間の海は、まだちょっと寒かったですね」

 

 とある日の夜明け間近、私と旭君は海へとやって来た。ここが今回のドラマのラストシーンの舞台となる。

 

 ……物語のラスト、妻は『海で朝日が見たい』という夫の願いを聞き届けて、まともに動けなくなってしまった彼を連れて夜中の海へとやってくる。夫が既に何も見えなくなってしまっているのは承知の上で連れてきた妻は、砂浜に腰を下ろして夫を後ろから抱き締める形でその身体を支える。

 

 そして朝日が昇ってくるまで妻は夫の身体を抱きしめ続け、そして……。

 

「……今日でこの撮影も、終わっちゃうんですよね」

 

「……そうですね」

 

 その場にしゃがみ込んだ旭君と視線の高さを合わせるために、私もその場にしゃがみ込む。まだ撮影開始の準備が出来ていないので、もう少しだけ二人で話をしていられるだろう。

 

 二人並んで腰を下ろし、まだまだ暗い夜の海を見つめる。

 

「楓さんは、この夫婦は幸せだったと思いますか?」

 

「……そうですね、私は半分半分だったと思います」

 

「半分半分……ですか?」

 

 永遠の別れの悲しみと、最後に腕の中にいてくれた喜び。この喜びは少し歪んだものかもしれないけれど、それでもこの数ヶ月『旭君の妻』役で居続けた私は、なんとなくそんな気がした。

 

「きっと、物語が終わった後も彼女は生き続けると思います。でも力強くとはないとも思います。良い思い出にして前向きにっていうのは……きっと、私では耐えられません」

 

 私はきっと、ドラマの妻ほど強くはない。今からそのシーンを撮影することになるのだが、台本通り『笑顔で静かに涙を流す』ことは少しだけ難しいかもしれない。

 

「……俺も、楓さんと同じです。きっと俺も愛する人を残すことに耐えられません」

 

「それは逆でも同じですよ。私だって耐えられません」

 

 私だったら耐えられないかもしれない。愛する人がいない悲しみに後を追ってしまうかもしれない。

 

「でも、それだけ『愛することが出来る人がいる』っていうことは、それだけできっと幸せなことなんでしょうね」

 

「……俺たちみたいに、ですか」

 

「っ」

 

 旭君からの一言は、完全に不意打ちだった。お互いにそう思っているという認識はあったが、こうして下から覗き込むように微笑みながら言われるのは、流石にズルい。

 

「楓さん」

 

「な、なんですか?」

 

 

 

「俺が十八になるまで、待っててください」

 

 

 

 それは、いつもの旭君が舞台に立つときよりも、新しい仕事の話が舞い込んできたときよりも、ずっとずっと真面目な顔だった。

 

「今日の撮影が終われば、俺と楓さんの『夫婦役』は終わりです。……我儘かもしれませんけど、終わりたくないんです。スタッフさんや周りの知り合いに揶揄われることも多いですけど『楓さんと夫婦になれた』っていう事実が本当に嬉しかったんです」

 

 真面目な表情の旭君の頬に、僅かに朱が差したのが薄暗い中でも見えた。

 

「これで終わりになんてしません。だから、待っててください」

 

 

 

「……ダーメ、待ちません」

 

 

 

「……え」

 

 私の言葉に表情が凍り付く旭君。分かりやすく傷付いた表情に、私は肩を並べていた旭君の身体を抱き寄せた。

 

「わっ!?」

 

 旭君は体勢を崩して私に体重をかけることになってしまい、しゃがんでいる姿勢では受け止めきることが出来ずに私も尻もちをついてしまった。

 

「これで夫婦を終わらせたくないのは、私だって同じです。だから待ってあげません」

 

「そ、それはどういう……?」

 

 

 

「『私たちは夫婦だ』って、私たち自身が誓えばいいだけです」

 

 

 

「………………」

 

 ポカンと呆気に取られた表情の旭君。今日の旭君は演技以外でコロコロと表情が変わって面白かった。

 

「他の誰が何を言おうと、例え役所に結婚届を出せなかったとしても、私たちは『夫婦』なんだって胸を張ればいいんです。だから旭君」

 

 

 

 ――私と結婚してください。

 

 

 

「……ズルいです」

 

 腕の中にすっぽりと収まったままの旭君が、真っ赤な顔で私を睨んできた。

 

「俺が、男の俺が、言うつもりだったのに」

 

「……うふふっ。それは()()()()()()()()()のときまで楽しみにしてます」

 

 チラリと周りを確認する。私が旭君を抱きしめてる姿勢になってキャーキャーはしゃいでる女性スタッフもいるが、それでも()()()()()()()()()()()()は分からないだろう。

 

 

 

 だから私は、目を瞑って小さく唇を突き出した。

 

 

 

「っ」

 

 旭君が息を呑んだのが分かった。

 

 

 

 それは、夜明け前の海で行われた、私たちだけの結婚式。

 

 誰にも知られていない、私たちの秘密。

 

 

 

 『ドラマの夫婦』が終わりを迎えたこの日、

 

 私たちは『夫婦』になった。

 

 

 




椛「お母さん、お父さん、結婚おめでとー!」

月「私たち娘がいる時点で色々とおかしい気もするけど結婚おめでとー!」

椛「あー、本当に久しぶりに本物の二人に会いたくなっちゃった!」

月「……そうだね、ここで二人が幸せそうにしてるのを見るのも楽しいけど」

椛「やっぱりそろそろ、ね?」



「どうしたんだ、こんなところで」

「うふふっ、二人とも楽しそう」



椛「……あっ!」

月「っ!」

椛「あっ!? 月ズルい! 私も! 私もギューってする!」



「なんだなんだ?」

「あらあら、二人とも甘えんぼさんね」

「ほら、とりあえず帰るぞ」



「「……うん!」」





 そんなわけで、この小説で七度目のお祝いとなる楓さんの誕生日です。

 今回の一年は本当に色々とありましたね。特に四月の10thライブは現地参加して、六年ぶりに生の楓さんを見ることが出来たので未練はありません()

 ……今度こそこの小説は終わるのかって?

 ……まさかそんなそんな(いつもの)

 次の一年は何を書くのかまだ未定ですが、まだまだまだまだお付き合いお願いします!

 最後に改めて、楓さん誕生日おめでとうございます!!!

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