俺と高垣楓さんの最初の話
「ボク、どうしたの?」
そんな言葉で俺に声をかけてきたのは、とても綺麗なお姉さんだった。
その人は黄緑色の髪をしていた。左の目元に小さなほくろがあり、よく見ると右目と左目の色が違っていた。
「誰かを待っているの?」
「えーっと……」
お姉さんは小首を傾げながら俺の顔を覗き込んでくる。別に大人と話をすることが苦手というわけではないのだが、思わず言葉に詰まってしまった。
それには明確な理由があった。
……前屈みになって俺の顔を覗き込むお姉さんの胸元が気になって仕方がなかったというのもあるけど、それだけじゃない。いや、お姉さんが着ている服は胸元が大きく広がっていて、俺と視線の高さを合わせようと前屈みになっているお姉さんの胸が殆ど見えてしまっているけど、そこばっかり見てたわけじゃない。いやホントホント。
一番の理由は……お姉さんが、今まで出会ってきた女性の中で一番綺麗だったから。
たかだか
だからこそ、俺は自信を持って断言する。
このお姉さんが世界で一番綺麗な女性だ、と。
「あ、あの……!」
「ん?」
短い人生ではあるけれど、この業界で生きている俺は『チャンスの女神に後ろ髪はない』と知っている。きっとそのチャンスの女神は目の前にいる女性ぐらいとても綺麗な人で、今手を伸ばさなければいけないと、そう思ったんだ。
だから俺は
それが今の俺では背伸びしても届くことのない高嶺の花だと分かっていても。
彼女が大人だから。俺が子供だから。これが初対面だから。様々な否定要素が脳裏を過り、その全てを見ないフリ聞かないフリ気付かないフリで頭から振り払う。
笑われるだろうか。怒られるだろうか。呆れられるだろうか。
笑われるのであれば、笑顔を見ることが出来る。怒られるのであれば、怒り顔を見ることが出来る。呆れ顔ならばきっとそれはレアな表情だろう。
「お、俺……!」
「?」
勇気を出して。
一歩を踏み出した。
――貴女のことが、好きです!
「……んん……」
暗闇の中から意識が浮上していく感覚……と言えばいいのだろうか。要する目が覚めた。
なんか夢を見ていたような気もするが、それがなんの夢だったのか既に忘れ始めている。なんだろう……なにかとても大切な夢を見ていたような気がするんだけど。
「あら、起きちゃいましたか?」
「うん……」
頭上からかけられた声に返事をしながら、そのままグッと背伸びをする。
ふにっ
「……ん?」
「あらあら」
右手の甲が何やら柔らかいものに触れると同時に、頭上の声が楽しそうなものになった。
(……ちょっと待って)
思い出した。確か俺は事務所の控室で宿題をやっていたはずだ。それで、ちょっとウトウトしてきて眠さがピークだったからちょっとソファーに
それなのに、何故俺は横になっている? 何故頭上から声が聞こえる? そして俺は何を枕にしている? 今右手で触れたものはなんだ?
頭は混乱している。今の状況がまだ分かっていない。けれど『今すぐここから退かなければいけない』と判断した俺は、そのまま勢いよく体を起こして振り返った。
「おはよう、旭君」
「……お、おはようございます」
そこには、ニコニコと笑いながらソファーに腰を掛ける高垣楓さんがいた。
「
「………………」
たった今俺の体の上から落ちた毛布を拾い上げる。そして体を起こした今の状況から逆算して、先ほどまで俺の頭が何処にあったのかを考える。寝起きの脳みそを総動員して導き出された結論に、顔が熱くなるのを感じながら俺はペコリと楓さんに頭を下げた。
「毛布と……ひ、膝枕、ありがとうございます……」
「いえいえ、どういたしまして」
ニコニコと笑う楓さん。しかし俺の視線はその可愛らしい笑顔よりも下に向かおうとしていたため、視線を無理矢理外すために首ごとそっぽを向く。先ほど右手が何に触れてしまったのかは、考えないようにした。
「やっぱり恥ずかしかった?」
「いや、その……はい……正直その、嬉しいんですけど、恥ずかしさの方が上回って……」
「うふふ、たまにだったら触ってもいいんですよ?」
「俺は膝枕の話をしてたんですよぉぉぉっ!」
そっちは考えないようにしてたのに! と先ほどよりも熱くなった顔を両手で隠す。
「うふふふふ、ごめんなさい、慌てる旭君が可愛くて」
「そりゃどうもぉ……」
まだ小学生とはいえ男として可愛いと称されて複雑な気持ちもあるが、もうその辺は些細な問題だから気にしない。そんなことを気にする余裕すらないのだ。
「……その、ごめんなさい、寝起きで気付かなかったとはいえ……さ、触っちゃって……」
「あら、そんなこと気にしなくてもいいのに」
気にするというか、気になりすぎて困ってるというか。
「だって――」
ズイッとソファーに手を付いて身を寄せてきた楓さんが、俺の顔を間近で覗き込みながら悪戯っぽく微笑んだ。
――私は『旭君の恋人さん』なんだもの。
それは一年前の話。
芸能事務所『346プロダクション』の俳優部門に所属する子役である『
そこに声をかけてきたのが、当時はまだモデル部門に所属していた『高垣楓』さん。その頃はまだモデルさんのことなんて全く興味がなかったので彼女の存在を知らず、とても綺麗な人だと見惚れてしまった。
そんな楓さんを前にして当時の俺は何をとち狂ったのか、まだお互いの名前も知らない状況で彼女に向かって『告白をする』という暴挙に出てしまったのだ。今思い返してみても、何故そんな愚行に走ってしまったのか未だに分からない。
――そしてその告白が『成功してしまった』のだから、本当に訳が分からない。
正確にはその場でオッケーを貰ったわけではない。その後の事務所での幾度かの交流を経て、今や人気アイドルである二十五歳の『高垣楓』さんは、十一歳の『神谷旭』の恋人になったのだ。
……こんな小童が口にしていいセリフではないのかもしれないが。
……人生っていうのは、本当に何があるのか分からないものである。
「っと、宿題……」
昼寝と呼ぶには少々寝すぎてしまった。次のドラマの打ち合わせの時間が迫っているので、少しでもいいから進めておかないと。
「宿題ですか?」
「はい。……すみません楓さん、えっと……」
「私のことは気にせず、宿題頑張ってください」
「ありがとうございます……」
先ほどまで膝枕をしてくれていた恋人を放っておいて宿題を進めるのもどうかと思ったのだが、それを察した楓さんは「大丈夫ですよ」と微笑んでくれた。
(紛いなりにも恋人になってくれた人よりも宿題なんて、やっぱり俺なんて所詮ガキなんだよなぁ……)
そんな自己嫌悪に陥りつつ、俺は再び漢字ワークに向き直るのだった。
「………………」
「……あ、その漢字って五年生で習うんですね」
「………………」
「……旭君、とても字が綺麗です」
「……あの」
「あっ、煩くしてごめんなさい。気が散っちゃいますよね」
いや、話しかけられる分にはいい。返事が出来ない分少しだけ心苦しいけど、それぐらいならば集中力は切れない。
「その……ち、近くないですか……?」
だがピットリとくっつくように座られた上に、太ももに手を置かれて集中できる男はいないと思う。隣に座っているというか、一割ぐらいは同じところに座っているような状態だった。丁度目線の高さが楓さんの胸の高さなので、少し横を向くだけで彼女の膨らみが目に入ってきてしまって更に集中できない。
やんわりと抗議するつもりだったのだが、それを一切気にする様子もなく楓さんはニコニコと笑っていた。いや、なんとなくツヤツヤしているような気もする。
「うふふっ。こうやって旭君と二人きりなのが嬉しくて、つい」
「……ふ、二人きりが嬉しいのは……俺も、一緒、です。でも――」
楓さんの言葉に同意しつつも「誰かが入って来たらどうするのか」という言葉を続けようとして、その言葉は遮られることとなった。
――控室のドアが開く音によって。
「旭君、お疲れー!」
勢いよく控室に入って来たのは、楓さんと同じアイドル部門に所属する片桐早苗さんだった。
「旭君、いきなりでゴメンだけど楓ちゃん見なかった……って、やっぱりここにいた」
「お疲れ様です、早苗さん。でも邪魔しちゃダメですよ、旭君は宿題中なんですから」
「現在進行形で邪魔してる子が何言ってるのよ……」
早苗さんの登場にも一切動じることなく俺にくっ付いている楓さん。先ほどからずっとドキドキと心臓の鼓動が早いが、今は別の意味でもドキドキとしていた。
「私はいいんですよ。だって旭君の恋人なんですから」
ハッキリとそう宣言した楓さんに、俺は心臓がキュッとするのを感じた。
「……あーはいはい、分かった分かった……ゴメンね旭君、いつも楓ちゃんが迷惑かけて」
しかしそんな楓さんの言葉を、早苗さんはまともに取り合おうとしない。
「えー、迷惑なんてかけてませんよー。ね、旭君?」
「小学生を揶揄っておいて、どの口が『迷惑かけてない』なんていうのよ」
「私は本気なのにー」
「はいはい本気本気」
「………………」
……そう、誰だって本気にしない。
幸か不幸か、俺と楓さんの年齢が離れすぎていることが原因で、こうして「恋人です」と公言しても誰も信じないのだ。当事者の俺ですら未だに信じ切れていないのだから、第三者からしてみれば当然の反応である。
ちょっと考えたら当たり前だ。二十五歳の大人の楓さんが、たった十一歳の子どもの俺の恋人なんて、誰も本気で信じたりしない。
「いいからレッスンに行くわよ。トレーナーが待ってるんだから」
「はーい……」
ぶーぶーと唇を尖らせて抗議の意を示しながらも、楓さんはソファーから立ち上がった。
そして早苗さんが控室を出ていこうと背を向けた瞬間――。
チュッ
――頬に、柔らかい感触。
「っ!?」
「それじゃあ、またね、旭君」
先ほどまでの不満顔がまるで嘘だったかのように、満面の笑みになった楓さんがヒラヒラと手を振る。俺も呆然としながら手を振り返す。
「……ぐわあああぁぁぁっ……!?」
そして彼女たちが控室から出ていって三分ほど経ってから、俺は熱くなった顔を両手で覆った。先ほど楓さんの胸に触れてしまったときよりもずっとずっと顔が熱い。耳まで熱い。
こそっと耳元で囁いていった最後の一言が、何度も何度も耳の中で繰り返していた。
――私は、本当に大好きですからね。
椛「なんかお父さんが小さくなってるんだけど!!??」
月「まさかおねショタとは思わなかった……」
椛「……おね……なに?」
月「それにしても、普通に考えたら歳の差14は本気とは考えないよね」
椛「でもお母さんとお父さんだよ? 二人とも本気に決まってるよ!」
月「……うん、そうだよね、お姉ちゃん」