「もしもなんだけどさ」
それは、我が家でのお酒の席でのことだった。
「旭君が、楓ちゃん以外と結婚してたら、どんな感じだったのかしらね」
すっかりと出来上がった片桐さんが、突然そんなことを言い出した。
「……どうしていきなりそんな思考に至ったのかっていうのも疑問なんですけど」
アルコールとはまた別の意味で痛くなったこめかみを人差し指で抑える。
「それ、新婚一ヶ月の夫婦に対してあげる話題ですか?」
「いいじゃない別に。お酒の席でのちょっとした肴よ」
「そうね、ちょっと面白そうじゃない」
ケラケラと笑う片桐さんと同意を示す川島さん。どうやら片桐さんだけではなく川島さんまで酔っているようだ。
「はぁ……」
「お? どーしたどーした? はぁととの結婚生活を想像して、感嘆の息が漏れたか?」
「はっ」
「鼻で笑ったなテメェ☆」
振り下ろされた佐藤の拳をひょいと避け、酔い潰れてソファーで横になった三船さんにブランケットをかけている楓に助けを求める。
「楓、なんか酔っぱらいたちが戯言をほざき始めたんだけど」
「「「おい」」」
しかし楓はどこ吹く風といった様子でウフフと笑っていた。
「まぁまぁ、そういう馬鹿話もたまには面白いんじゃないかしら?」
「おいおい……」
確かに結婚するより前からずっと長く一緒に暮らしてはいるけど、俺たち新婚さんだよ……? そんな新婚さんの旦那が『他の女の人と結婚したら』なんて、ある意味不謹慎な話題で盛り上がろうとしてるんだから……もっとこうさぁ……?
そんな一抹の寂しさを感じていると、それを察したらしい楓がクスクスと笑いながら密着するように俺のすぐ隣に腰を下ろした。
「大丈夫よ……どんな例え話をしても、私は旭君からの愛を疑ったりしないから」
「……ありがとう、楓。寧ろ楓からの愛を信じれなかったのは、俺の方だったな」
「だったら、今からでも旭君の愛を教えて?」
そう言って楓はスッと目を閉じて少し顎を前に突き出した。楓が何を求めているのかはすぐに分かったので、彼女の頬に手を添えるとそのまま口づけを――。
「「「やめんかいこのバカップル!」」」
――しようと思ったら三人からド突かれた。
「新婚なんだから、これぐらい大目に見てくださいよ」
「貴方たちは新婚より前からずっとそうだったでしょ」
「というか、これから先ずっとそうでしょ」
「少なくとも、はぁとたちの目の前では自重したら? というか、しろよ☆」
寧ろ気心知れたメンバーの前だから堂々とイチャつけるのに……。
「ホンット、アンタたちは甘々ねぇ……あたしだったら、結婚したとしてもそうはならないわね」
苦笑しつつ、また新たに缶ビールのプルタブを起こす片桐さん。そんな片桐さんに、佐藤がニヤニヤと口角を持ち上げた。
「えー? そう言いつつー、この二人以上に甘々になったりするんじゃないですかー?」
「っ」
片桐さんは動揺してビールを吹き出しそうになりつつも辛うじて持ちこたえる。
「な、なに言ってるのよはぁとちゃん! そんなわけないじゃない!」
「いやいや~、そう言ってる人ほど
顔を赤らめながら必死に否定する片桐さんだが、佐藤は笑いながら「ですよね~」と川島さんに話を振る。
「そうねぇ、意外と甘えたがりだったりしてね」
「瑞樹ちゃんまで!?」
「そう、例えば~……」
「……おい佐藤、なんでコッチを見た……あっ、テメェ何考えて――」
「ただいま~……」
川島さんの要請ですっかりと出来上がってしまった早苗を回収するために飲み屋へ向かった俺は、彼女を背負って家に帰ってきた。
「おーい早苗ー、着いたぞー」
「おー! ごくろー!」
到着を伝えると、早苗はケラケラと笑いながら俺の頭をペチペチと叩いてくる。
「重いんだから、早く降りて」
「だぁれが重いってぇ!?」
「ぐぇ!?」
実際にはそれほど重いわけではないのだが、それでもマンションの地下駐車場からマンションの上層階までずっと背負ってきているのだからそれなりに疲れているのだ。なのでこの「重い」という発言はどちらかというと、物にぶつかってそこまで痛くないのに思わず「痛い」と言ってしまうそれと同じ意味合いで……。
「ほぉら誰が重いのか、もう一度言ってみなさぁい?」
「わぁい早苗さんとっても軽ぅい!」
しかしそれを説明するよりも、早苗が俺を締め落とす方が早そうだった。
「うんうん! それじゃあ、このままベッドまでよろしくー!」
「はいはい……」
背中に当たる早苗の強烈な膨らみを堪能しつつ寝室まで連れていくと、彼女は「とーう!」と勢いよくベッドへと飛び込んだ。ボスンという音と共に早苗の身体が跳ね上がり、お気に入りのボディコンワンピースの裾からチラリと下着が見える。
「あーお布団きもちいー」
「服に皺が付くぞ」
「………………」
せめて預かった上着ぐらいはハンガーにかけておこうかと思ったら、突然大人しくなった早苗がベットの上からジッとこっちを見てくる。
「なに?」
「………………」
問いかけるが、唇を尖らせて拗ねたような表情のまま何も喋らない早苗。
「……あぁ、
彼女が何を言いたいのか察した俺は、上着をハンガーにかけると彼女が横になるベッドに腰を下ろした。
「おいで」
「……ふへへ~」
手招きをすると、早苗はほにゃりと顔を綻ばせてズリズリと這ってこちらにやって来て俺の太ももの上に頭を乗せた。
「旭~」
「はいはい」
早苗の頬に手を添えると、彼女はその手を取ってスリスリと頬ずりをする。
「普段は自分のことを『お姉さん』とか言っちゃう早苗も、二人きりになるとこれなんだもんな」
「いーじゃない別に~。あたしにだって旦那さんに甘えたいときだってあるの~」
「酔っぱらったらいつもじゃないか……」
口では呆れつつ、それでも普段の早苗の性格とのギャップがとても可愛くて内心で悶えている。
「ねぇ、旭」
「ん?」
「あたしのこと、好き?」
「あぁ」
「愛してる?」
「勿論」
夫婦だから、なんてつまらない理由なんかじゃなくて。
俺は、
「えへへ、あたしも愛してる~」
本音を言えば素面のときに聞きたかった言葉ではあるが、それが彼女の本心だと分かっているからこそ、この酔っぱらった状態でも嬉しい言葉だった。
「……とりゃー!」
「おわっ!?」
突然上体を起こした早苗は、そのまま俺の身体をベッドに押し倒した。
「なにを……」
「ねぇ、旭君。このまま
――どっちがいい?
俺の身体に馬乗りになりながら、早苗は妖艶に笑った。
「……みたいな! みたいな!?」
「きゃー! 甘える早苗ちゃん可愛いのに最後は大胆ー!」
「そんなわけないでしょうがあああぁぁぁ!」
盛り上がる佐藤と川島さんに対し、片桐さんは顔を真っ赤にしながらブンブンと頭を振り回していた。
「ご丁寧に俺の一人称で長々と妄言を垂れ流しよって……」
「なんだよー? お前だってそーいう想像して満更でもないんだろー?」
「人を巻き込むなって言ってるんだよ」
見ろ! さっきから隣の楓が不機嫌そうに頬を膨らませてるんだぞ!? さっきまで「妄想ぐらいなら許してあげます」みたいなことを言ってたにも関わらず、いざそういう想像をしたら不機嫌になってるんだぞ!?
「すっげぇ可愛いだろ?」
「オメーはオメーで相変わらずウゼェな☆」
最後に☆を付けて中和したとしても、それはアイドルとして許されない言葉遣いだ。
佐藤はさておき、いくら可愛くても楓が不機嫌なことには変わりなく……しかし俺が声をかける前に彼女は口を開いた。
「
「そっちかよ」
どうやら他の女性との結婚生活の話よりも、その前に佐藤が言った「この二人以上に甘々になったりするんじゃないですかー?」という部分に対して憤っていたらしい。
「例えば、先ほどのシチュエーションだったら旭君は頬を撫でながら胸にも触ってきます」
「楓さーん、それは今言わなくていいことですよー?」
いやその、別におっぱい星人とかそういうことじゃなくて……ほら、男なら、ね?
だから三人とも、そんな白い目で俺を見ないで!
「なんか、このままじゃあたしだけが恥ずかしい思いをしたみたいで釈然としないわ……」
空き缶をグシャリと両手で潰しながら、片桐さんは忌々しげにそんなことを言い出した。もしやこのまま俺か佐藤のどちらかが今の空き缶のように捻り潰されてしまうのでは……!?
「はぁとちゃん! 次! 瑞樹ちゃんの場合!」
「わ、私!?」
しかし片桐さんは第二の犠牲を生むことによる共倒れを選んだようだ。白羽の矢が立ってしまった川島さんには申し訳ないが、自分への被害がないことに対して少々ホッとする。
「えっと、そうですねー……川島さんは良妻すぎて男をダメにするタイプと見た!」
「えぇ……?」
「例えば~」
「……おい佐藤! だからこっち見んな! オメェまた――!」
「――くん……旭君ってば」
「……ん?」
まどろみから目を覚ますと、目の前には瑞樹の顔があった。
「……あれ、俺寝てた?」
「えぇ。人の太ももを枕にして、気持ちよさそうに寝てたわよ」
クスクスと笑う瑞樹。
「極上の枕のおかげで夢見も良かったよ」
「あら、どんな夢?」
「……娘と三人でピクニックに行く夢」
まだ見ぬ娘とのお出かけは、それはもう幸せな時間だった。きっと膝枕という素晴らしい状況だったからこそ見ることが出来た夢なのだろう。
「あら素敵……いつか叶えたいわね」
「あぁ」
顔を見合わせてクスリと笑う。今はまだお互いに忙しい身ではあるが……将来はきっと。
「さて、そろそろお夕飯を作らなきゃ」
瑞樹はそう言いながら俺の頭を太ももから下ろしてしまい、至福の時間は終わってしまった。名残惜しかったので最後に太ももを一撫ですると、苦笑しながら「メッ」と額を軽く叩かれてしまった。
「旭君、なにか希望はある?」
立ち上がり、エプロンを身に付けながら瑞樹が尋ねてくる。
「んー……この前作ってくれたミネストローネが美味しかったな」
「ふふ、分かったわ」
腕まくりをして髪を一つにまとめ上げ、そのまま瑞樹はキッチンに立った。
リビングからはそんな彼女の後姿がよく見えていて、ポニーテールの向こう側に見えるうなじがとても艶やかだった。
「……みーずき」
「キャッ」
食材を取り出して包丁を手に取る前の彼女を、後ろから抱きしめる。
「もう……今から包丁使うんだから、危ないでしょ?」
「最初から抱き着いてれば平気かなって」
「そんなわけないでしょ……もう、甘えん坊さんなんだから」
瑞樹は首元に回された俺の腕を振りほどこうとはせず、寧ろもっと強くと要求するかのように自分の手を添えた。
「……ねぇ、旭君。お夕飯ちょっと遅くなっちゃうけど……もうちょっとこのままギュッとしてもらっていい?」
「勿論」
そう頷くと、瑞樹は背後の俺に向かって少し体重をかけてきた。そのまま彼女の体を強く抱きしめる。
「……ねぇ、旭君――」
――お姉さんも、甘えたいな。
首だけで振り返りながら、瑞樹は甘く笑った。
「――みたいな!」
「かーっ! なるほど! これが甘えさせるキャラが甘えてくる瞬間のギャップねー!」
「………………」
盛り上がる佐藤と片桐さんに対して、瑞樹さんは赤くなった顔を両手で覆いながらプルプルと震えていた。やはり自分を使ってこんな妄想をされるのは相当ダメージが大きいようである。
勿論そんな妄想に二期連続出演を果たしてしまった俺のダメージも計り知れないが、隣の楓に「現実の旭君は私に
「……くっ、このままじゃ、このままじゃ終われないわ……!」
「そうよ、もっと、もっと犠牲者が増えればいいのよ……!」
川島さんと片桐さんが完全に暗黒面に飲み込まれてしまった。もうそろそろ終わっておけば、自分の傷も広がらないというのに……。
「とりあえず旭君は、さっきのお二人の妄想でしたこと、全部私にしてね?」
「……いやまぁ、寧ろしたいけどさ」
「……え、終わりじゃないの? 続く? ……はあっ!?」
もし早苗さんや瑞樹さんと結婚していたらという、IFというよりはただの妄想話。
これなら浮気じゃないし、これを口実にさらに楓さんとイチャつかせられる! 一石二鳥!
なお続く模様。