高垣楓さん、お誕生日おめでとうございます!
それは、幼き日の私の記憶。
小さい頃の記憶なんてあやふやで、正直に言うと少々自信がない。
しかし、一つだけ鮮明に覚えている記憶がある。
それはもしかしたら、美化された記憶なのかもしれない。
それはもしかしたら、私の思い違いなのかもしれない。
それはもしかしたら、私の「そうであって欲しい」願望なのかもしれない。
……それでも私は、その光景と、その『歌』を絶対に忘れない。
「……さっ、そろそろ始めましょう」
「うん、みんなークラッカーは持ったかしらー!?」
『はーい!』
早苗さんの呼びかけに子どもたちが元気よく応える。大人たちも含め、全員の手にクラッカーが行き渡ったことを確認してから、チラリと瑞樹さんに視線を送って合図をする。
「えー、それでは……」
コホンと咳ばらいを一つしてから瑞樹さんはクラッカーを掲げた。それに合わせて、うちのリビングに集まった全員がそれに倣う。
瑞樹さんとその息子のアズマ君、早苗さんとその娘のあずみちゃん、凛ちゃんとその娘の
全員がクラッカーを鳴らす準備をしたのを確認すると、再び瑞樹さんが口を開く。
「神谷楓さんの誕生日および――」
――アイドル『神谷椛』ちゃんのシンデレラガール総選挙一位!
『おめでとー!』
全員が一斉にクラッカーの紐を引っ張ると、軽快な破裂音と共に紙テープが部屋を飛び交い、懐かしい火薬の匂いが漂ってきた。
「誕生日おめでとう! お母さん!」
「ありがとう。椛ちゃんも、アイドルデビューおめでとうね」
「ありがとー!」
満面の笑みで楓に抱きつく椛。普段はあまり大っぴらに甘えなくなった椛の大胆な行動に一同はホッコリとした気持ちになり、月はそんな姉が羨ましくて「私もー!」と言ってそこへ混ざりに行った。父親的にもそこへ混ざりたかったが、今はグッと我慢する。
「……なんというか、あっという間だったな」
楓たち三人の戯れをしっかりと写真に納めてから、奈緒はしみじみといった様子で話しかけてきた。
「そうだな……あれから一年も経ったんだよな」
「あぁ、あの○○みたいなオーディションに椛が騙されてから、一年なんだよな」
「おい」
いくら自分の娘を凛ちゃんに預けているからとはいえ、小さい子も聞いてるんだから言葉遣いに気を付けろ。……しかしまぁ、言い方はともかく言っていることは全面的に同意である。
あの出来レースになっていたオーディションを受けてしまい、芸能界の闇を体験してしまった椛がアイドルを辞めてしまうのではと危惧したが……彼女は折れなかった。
次に受けたオーディションを見事ぶっちぎりの一位で合格して華々しくアイドルデビューを果たした椛は、そのままトップアイドルへの道をばく進。その快進撃はかつての『高垣楓』を彷彿させると一部関係者の涙を誘う一場面もありつつ……その翌年、つい先日行われたシンデレラガール総選挙において見事に一位となり、かつて楓や凛ちゃんたちも手にした『シンデレラガール』の称号を手にしたのだ。
だから今日は楓の誕生日パーティーと同時に、椛のシンデレラガールを祝福するパーティーでもあった。
ちなみに例の出来レースオーディションがその後どうなったのか、ほんの少しだけ気になったのだが……全く情報が入ってこなかったため、それは叶わなかった。それはつまり
「さーて楓ちゃん、椛ちゃん、月ちゃん。三人で戯れるのもいいんだけど、よかったら私たちからのプレゼントを受け取ってくれないかしら?」
「「「はーい!」」」
早苗さんの呼びかけに応じて三人は離れる。そして元いたところに座り直す前に、俺の心情を察してくれた椛と月がギュッとハグをしてくれた。思わず二人まとめて強く抱きしめ返したい衝動に駆られたが、グッと歯を食いしばって我慢する。
「旭さん、顔凄いよ」
「これが『父親』の顔だよ」
「私の旦那様には、そんな金剛力士像みたいな表情をしてもらいたくないかな」
凛ちゃんの辛辣な評価を受け取ったところで、今回のメインイベントである楓と椛へのプレゼントお渡しタイムだ。
「とまずはその前に、残念ながら今日ここに来れなかった人とテレビ電話が繋がってます」*1
まるでアナウンサー時代のように「それでは中継先を呼んでみましょう」とノリノリの瑞樹さんが通話状態のスマホを、みんなに見えるように持ち上げた。
「病室の、加蓮さーん!」
『………………』
「……あら?」
返事がないことを訝しんだ瑞樹さんがスマホの画面を覗き込む。
スマホにはしっかりと通話先である加蓮ちゃんの病室が映し出されており……入院着を着てベッドに座る彼女は、何故か儚げな表情を窓の外へ向けていた。
『……きっとあの木の葉っぱが全て落ちる頃には、私は……』
「どの木のことを言ってんのか分からんが、少なくともお前の視線の先の木々は緑が生い茂ってるからな」
『うーん、時期が合ってなかったかー』
奈緒のツッコミを受けてあっさりと演技を止め、テヘペロっと舌ベロを出す加蓮ちゃん。
『とまぁ冗談はこの辺にしておいて……楓さん、椛ちゃん、二人ともおめでとー!』
「ありがとー、加蓮ちゃん!」
「ありがとう。そっちはどう?」
『いやぁ、久しぶりの入院なんで、一周周って懐かしくてちょっとだけ楽しいですよ。そっちに参加できないのは本当に残念ですけど……』
たはは……と苦笑する加蓮ちゃん。
『でも……生まれてくるこの子のために、頑張らないといけないですから』
「いや、どの子だよ」
なんか愛おしそうに自分のお腹を撫でているが、膨らんでなければ当然妊娠もしていない。盲腸の手術のための入院なのだから当然である。
『えっ、忘れちゃったの旭さん!?』
「おいバカ本当にやめろよお前!?」
年齢が年齢だからか、最近本当に
「なんにせよ、早く治すこと。この間約束したお酒の店は、ちゃんと予約しておいてあげるから」
以前加蓮ちゃんと交わした「たまには二人でお酒でも」という約束を思い出してそう伝えると、何故か今度は加蓮ちゃんが冷や汗を流し始めた。
「ダメだよ、お父さん」
もしかして体調が悪くなったのかと思っていると、クイクイッと椛に袖を引っ張られた。
「加蓮さん、お酒の飲みすぎで胃潰瘍なんだから。少し肝臓を休ませないと」
「……ほほう」
ジロリと加蓮ちゃんを睨むと、彼女はビクリと分かりやすく体を震わせた。
「俺は『盲腸だからへーきへーき』って聞いてたんだが?」
『……て、てへぺ――』
通話を終了させる。
「椛、もう加蓮ちゃんのことは忘れなさい。彼女が今後神谷家の敷居を跨ぐことはない」
「確かに今回のことは全面的に加蓮さんが悪いけど、私も謝るから勘弁してあげてっ!?」
俺も本気で怒っているわけではないが……本当にそろそろ自分の健康に気を使ってもらいたいものだ。加蓮ちゃんが入院したって聞いて本気で心配したんだからな。
さて、そんなおバカのことは一旦忘れて、改めてプレゼントタイムである。
おなじみになった凛ちゃんからの花束を皮切りに、奈緒が二人のために用意したケーキ、瑞樹さんと早苗さんが楓に用意したビンテージワイン、アズマ君とあずみちゃんがお小遣いを出し合って買った椛へのアクセサリー、加蓮ちゃんがあらかじめ贈ってきていたガラス細工の写真立てなど。
俺が月と一緒に選んだプレゼントは後で渡すとして……次は楓から椛へのプレゼントを渡す番になった。
「私からのプレゼントには
「形がない……?」
何それトンチ? と首を傾げる椛。
「うん。……あのね、椛ちゃん――」
――貴女に『こいかぜ』を歌って欲しいの。
「………………」
部屋に静寂が流れた。二人のやりとりを見ていた俺たちも、それまで椛にプレゼントを渡したときから小突き合いを続けていたアズマ君とあずみちゃんも、いつの間にか押し黙っている。
「……え……え?」
椛の声は僅かに震えていた。
「そ、それは……今この場で歌って欲しい……っていう意味……だよね……?」
「ううん」
きっと椛もその言葉の真意には気付いていた。それでも『まさか』という思いで確認をすると、楓は首を横に振ってそれを否定した。
「今までアイドル『高垣楓』が歌ってきたこの歌を、今度はアイドル『神谷椛』に歌ってもらいたいの」
アイドル『高垣楓』を知っている人ならば誰でも知っている彼女のデビュー曲にして最大のヒット曲。既に十五年以上前の曲ではあるが、未だにテレビ番組などで年に数回は必ず耳にするために抜群の知名度を誇る曲。それが『こいかぜ』である。
その『こいかぜ』を、楓は『アイドル』という言葉を強調して歌って欲しいと言った。
それはつまり……。
「……無理、だよ」
きっと「なんで?」という疑問もあっただろう。しかし椛の口から真っ先に出てきたのは、そんな言葉だった。
「わ、私じゃダメだよ、私じゃお母さんの『こいかぜ』なんて歌えないよ」
それはきっと『高垣楓のファン』として思い。自分が『高垣楓』のその歌を好いているが故に「例え自分であろうともそこに踏み入ってはいけないのでは」という恐怖。
震えを抑えるようにギュッと左腕を握り締める右手が、それを物語っていた。
しかし楓は、そんな椛の言葉を再び首を横に振って否定する。
「ううん、『高垣楓のこいかぜ』を歌う必要はないわ」
「……え」
「ちょっとだけ語弊があったわね、ごめんなさい。私には『高垣楓のこいかぜ』があったように……椛ちゃんには『神谷椛のこいかぜ』を歌ってもらいたいの」
楓は「本音を言えば『高垣楓のこいかぜ』も歌ってもらいたいんだけどね」と微笑みながら、椛に数枚の紙を手渡した。
「だからそれは、私と作曲の先生と作詞の先生が一緒になって作った……『神谷椛のこいかぜ』」
「……『こいかぜ-
この日のために用意しておいた、とっておきのプレゼント。椛の名前が一部が入った、『こいかぜ』でありながら全く新しい『こいかぜ』。
「……本当はね、お母さんは『高垣楓のこいかぜ』を歌ってもらいたかったの。でも、お父さんに止められちゃったのよ」
「えっ……!?」
驚いた表情で振り返った椛に、少しだけバツが悪くて首筋に手を添える。
「『椛に歌ってもらいたい』っていう母さんの気持ちは父さんも同じだった。でもきっと椛は『それは出来ない』っていうと思ったんだよ」
同じ高垣楓のファンとして、きっと椛もそう言うと分かっていた。
「だから、父さんも作詞と作曲の先生にお願いしたんだよ」
『シンデレラガール』に選ばれた今ならば、例え椛が『こいかぜ』を歌ったとしても『高垣楓の娘』という色眼鏡で彼女を見る人はいないだろう。
「……どうかな?」
「………………」
『神谷椛のこいかぜ』の歌詞が書かれた紙を手にしたまま、椛は俯いている。
「……もみ――」
「……っ!」
楓が声をかけようと椛に近付くと、顔を上げた椛が楓に抱き着いた。そしてそのまま手を伸ばして俺の腕を掴んで引っ張り込むと、俺と楓に同時に抱き着くように腕を回した。
「……ありが、とう……!」
俺と楓からは椛の顔は見えない。けれど、先ほどまでとは違う震えた声から、彼女がどんな表情をしているのかは察することが出来た。
楓と顔を見合わせ、二人で微笑むと同時に椛の背中に腕を回す。
「わたし……がんばるから……この歌を、絶対に歌いこなしてみせるから……!」
「大丈夫よ、椛ちゃん」
「あぁ、お前になら出来るさ」
一年前とは違うその涙に、俺も鼻の奥がツンとするのを感じた。
「ふぅ……」
「お前にしては自重してたな」
「今日のパーティーの主賓は私だけじゃないから」
俺から水の入ったグラスを受け取りながら楓は「それに、今の私はお母さんだから」と胸を張るが、それでも飲んだ量が人一倍多いことは変わりなかった。
お客さんが全員帰宅し、椛と月も寝静まった家のリビングで、楓とソファーで肩を並べる。
こうして夜に夫婦の時間を作るのは昔からのことだが、最近では二人きりになるように椛が気を効かせてくれることが多くなった。今日も就寝までの月の世話を全てしてくれたのが椛だった。
「………………」
コテンと肩に楓が頭を預けてきたので、俺も軽く彼女の方へと首を傾ける。
「……なんだか、ホッとした」
「あぁ、椛が喜んでくれて良かったよ」
自然と、無意識に、お互いの指を絡めるように手を繋ぐ。
「それもあるけど……少しだけ、肩の荷が降りたような気がするの」
「どういう意味だ?」
クシクシと額を肩に擦り付けてきたので、こちらもグリグリと顎を登頂部に押し付ける。
「私の中で、『アイドルになった椛ちゃんにこいかぜを歌ってもらう』っていうのが、一つの夢だったの」
「……俺は、そういうのないからなー」
「もう、拗ねちゃイヤよ」
チュッと軽く頬に口付けをされ、お返しにと彼女の額に唇を落とす。
「それに……『高垣楓』としても、一区切りね」
「それは……」
つまり、
「最近は表に出る機会も減ってたけど……そろそろ、ちゃんと言っておかないと」
「……そうか」
遠くないうちに訪れるだろうなと、なんとなく予感していた。
それはきっと『一つの時代の終わり』なのだろう。
「お疲れ様……で、いいのかな?」
「その言葉はもうちょっと先よ。なにせ、少なくとも月ちゃんが成人するまであと十四年もあるんだから」
「……そうだったな」
寧ろここからが本番と言っても過言ではないだろう。
俺も楓も四十一。今まで歩んできたのと同じぐらいの長さの人生が、俺たちを待っているのだから。
「長いわね」
「長いな」
そんな長い時間を、これからも楓と一緒にいられるのだ。
「……ずっとずっと、お揃いの
そう言って、俺の顔を見上げる楓。
本人は小じわが増えたと言っていたが……俺の目には、初めて会ったときと変わらない美貌にしか見えなかった。
この胸の高鳴りは、出会ったときと変わらない感情。
俺が愛するこの女性に、俺はこれからも恋をし続ける。
「大好きだよ、楓」
「大好きよ、旭君」
6月14日
一つの節目となる今日この日から、私も日記を書き始めようと思う。
今日は母さんの誕生日と私の『シンデレラガール』就任のお祝いを兼ねたパーティーをした。奈緒さんと恵理ちゃん、凛さんと綾香ちゃん、早苗さんとあずみちゃん、瑞樹さんとアズマ君、いつものメンバーがお祝いに駆けつけてくれた。本当は加蓮さんも来る予定だったのだけど……入院中だから仕方がない。
みんながプレゼントをくれる中、お母さんがくれたプレゼントが一番すごかった。
なんと高垣楓の代表曲である『こいかぜ』のアレンジバージョンを、お父さんと一緒に用意してくれたのだ。
その名も『こいかぜ‐花葉‐』。私の……アイドル『神谷椛』のための曲。
……嬉しかったのは本当だが、それでも少しだけ寂しかった。
お母さんは何も言わなかったが……きっとこれを境に『高垣楓』を引退しようとしていることは、なんとなく分かった。
私も彼女の一ファンとして悲しいが……それでも、それが私にこの歌をくれた理由でもあるのだろう。
ならば私は……『高垣楓』ではない『高垣楓』になろう。彼女の跡を継ぐなんて大それたことは言わないけど、それでもお母さんのようなアイドルになってみせる。
大丈夫、だって私は――。
「……あれから九年、か」
「ん? どうかしたんですか、椛さん」
「ううん、何でもない。……そろそろ時間ね」
「はいっ! 十周年記念ライブ、頑張って来てください! ……と、私が言う必要もないですよね」
「当然よ。だって私は――」
――神谷椛だから。
この小説を書き始めて、四回目の楓さんの誕生日を迎えることが出来ました。
今までの人生の中でこれほど長く一人のキャラを好きで居続けていることはなかったほど、高垣楓というアイドルのことが大好きです。
そんな楓さんとオリ主をただイチャつかせるというこの稚拙な小説にここまで読んできてくださった読者の皆様には、本当に感謝してもしきれません。
そして今度こそ、本当の本当に『かえでさんといっしょ』の物語はおしまいです。
今後も更新は続けますが、一度ここを節目にさせていただきます。
これからは番外編やIFストーリーなど、場合によっては楓さんが一切登場しないお話などもあるかもしれません。それを『高垣楓の二次創作』と呼んでいいものか分かりません。
それでも、これからもこの作者のささやかな妄想の文章にお付き合いいただけると幸いです。
最後になりますが、もう一度。高垣楓さん、お誕生日おめでとうございます!
そしてこれまで、本当にありがとうございました!