かえでさんといっしょ   作:朝霞リョウマ

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アイドル椛誕生!


神谷椛12歳がオーディションに挑む5月

 

 

 

「……はぁ」

 

 さて、ゴールデンウィークも過ぎて初夏が迫ってきた今日この頃。最近は暖かくなったり寒くなったりと気候が落ち着かない中、そんな気候のように俺の胸中は落ち着いていなかった。

 

 今朝からずっと()()()()()が気がかりで、何をしていてもそのことが頭をチラついて離れない。全てをその責任にするつもりはないが、今日の撮影でのセリフのミスが多かったのはそれが一因だと言っても過言ではないだろう。

 

 監督から「集中しろ」とまるで学生のようなダメ出しを喰らい、共演者に「珍しいな」と笑われ、本日の撮影を終えて戻ってきた事務所のカフェテラスでこうしてコーヒーを飲んでも落ち着かない。

 

「……それで? 本当に今日はどうしたのよ」

 

 ここ数年でようやく醸し出す色気が肉体の年齢に追いついたともっぱらの噂である速水が、呆れた様子で俺の向かい側に座った。

 

「速水か……いや、何でもない」

 

 結婚して実姓は変わったものの芸名として名乗り続けている姓を呟きながら、そう言って首を振る。

 

「そういう分かりやすい取り繕いはいいから」

 

 しかし、アイドルから女優に転向し今ではよき同僚として長い付き合いになる速水には、それが嘘だということが簡単にばれてしまった。

 

「それで? 一体何があったのよ」

 

 貴方と私の仲でしょ? と俺の手に触れてくる速水。結婚しても尚、こうして人を勘違いさせるような行動をする悪癖は治ることなく、寧ろ「ヤキモキしている旦那様の顔が可愛いから」などと言って悪化する一方の速水の言動。最近だと若い世代のアイドルや俳優にも悪影響を及ぼさないかと一部で心配されているほどである。

 

 しかしそんな妖艶さが増した速水であるが、楓と結婚した上に今では愛する娘を二人も抱えている身ゆえ、今更それぐらいのことで動じることもなかった。

 

「……まぁ、お前にだったら言ってもいいか」

 

 俺の深刻そうな雰囲気を察したのか、小さく息を飲む速水。

 

 

 

「実はな……今日、椛が初めてオーディションを受けてるんだよ」

 

 

 

 来年の春に小学校を卒業するというこのタイミングではあるが、この春、ついに椛は346プロダクションのアイドル部門所属のアイドルとなった。

 

 兼ねてよりアイドル部門のプロデューサーから「アイドルにならないか」と勧誘をされていた椛だったが、ついに自ら事務所の戸を叩いたのだ。

これには勧誘していたプロデューサーは勿論のこと、俺や楓もそれを喜び、そして彼女が産まれたときから熱狂的なファン一号(俺と楓は肉親なので除く)である奈緒はこの報告をした一時間後にはお祝いのケーキを手に我が家へ突撃してきたほどである。

 

 椛はかつて奈緒たちがトライアドプリムスとして活動していた頃から長年アイドル部門の花形として続いている企画『シンデレラプロジェクト』の第十五期生として所属することになり、先日ついにアイドルとしてデビューを果たした。

 

 ちなみにしばらくは『神谷旭』と『高垣楓』の娘ということを隠してアイドルをしていくつもりらしいが、ウチの事務所には椛のことをよく知っている人が多く、そもそも楓によく似た美人なのでバレるのは時間の問題だろう。

 

「……それは、確かに一大事ね」

 

「……あれ」

 

「なによ、そんな呆気に取られたような顔して」

 

「いや、お話の流れ的にここは『深刻そうな表情をしてるから何事かと思ったら……』って呆れられるのが定石かなと」

 

「そんな定石知らないわよ。……これでも、私だって椛ちゃんを可愛がってるのよ? そんな子のことを軽視するつもりないわ」

 

「……あぁ、そうだったな。可愛がった結果、余計な知識まで色々と吹き込んでくれたもんな」

 

「女の子はいつだって早熟なのよ」

 

「やかましいわ」

 

 はぁ……と溢れそうになったため息をコーヒーで喉の奥に流し込む。

 

「でも、きっと椛ちゃんなら大丈夫じゃないかしら。あの子の()()()()()()()()()()()()()は、親の贔屓目を抜きにしても貴方の方がよく分かってると思うのだけど?」

 

「……そりゃあな」

 

 周りから「親バカ」だのどうだの言われ続けているが、これでも芸能界に二十年以上身を置き続けている。例え畑が違ったとしてもそれがどれほどのものか正しく判断するぐらいは出来るつもりだ。

 

 椛は歌も上手いしダンスも上手い。周りをよく見る目も持っているし、母親譲りの美人でもある。文字通り産まれたときからアイドルたちに囲まれ、アイドルたちの曲を子守唄に育った、まさしくアイドルになるべくしてなった子だろう。

 

「でも、()()()()()()()()ってことは、元アイドルであるお前の方がよく分かってるだろ?」

 

「………………」

 

 速水のその沈黙を、俺は肯定として捉える。

 

 この業界に『絶対に大丈夫』なんて甘い言葉は存在しない。それは気持ちを鼓舞するための言葉であり、成功を保証するものなんかではない。

 

「例えそうじゃなくても、親ってのはどんなときでも子どもに対して心配し続ける生き物なんだよ」

 

 子どもの頃は出かける度に親に「車に気を付けて」と言われ続け、家を出た今でも「体調を崩していないか」と聞かれ続ける。一体何故そんなに何度も何度も同じことを聞くのかと疑問に思い続けたが、俺も『親』という存在になってようやくそれを理解した。

 

「不思議なもんだよな。子どもの頃は自分のことしか考えてなくて、楓と出会ったら彼女のことしか考えなくなって……それが今では、子どものことしか考えられないんだから」

 

 きっとそれが『親になる』ということなのだろう。椛が生まれて早十二年が経ってなお、未だにそれを実感する。

 

「……なんだか羨ましいわ」

 

 突然速水がクスクスと笑い始めた。

 

「そうか?」

 

「えぇ。心配で堪らないって口で言ってるのに、今の貴方すっごく嬉しそうな表情をしてるんだもの」

 

 速水の言葉にカフェテラスの窓ガラスに視線を向けると、確かにそこに映る自分は、我ながら『優しい演技』の参考にしたくなるほどの笑顔を浮かべていた。

 

 そんな表情を自然と浮かべていた自分が少しだけ恥ずかしくなってガリガリと首筋を掻くと、そんな様子が面白かったらしい速水がさらにクスクスと可笑しそうに笑った。

 

「ふふっ、なんだか私も子どもが欲しくなっちゃったわ」

 

「お前の子どもか……」

 

「何? もしかして『自分の子どもにまで変なことを教え込むつもりか?』とか言うつもり?」

 

「自覚はあるのか」

 

 そして本当にそう思っていただけに、果たして分かりやすいのは俺なのかコイツなのか、出来れば後者であって欲しいと願いながら俺は二人分の伝票を持って立ち上がる。

 

「あら、御馳走さま」

 

「おじさんの愚痴を聞いてもらった礼だよ」

 

「私としては、椛ちゃんのその情報を聞けただけでも満足よ。……私からも応援してるって、彼女の負担にならないようなタイミングで伝えてあげて」

 

「……あぁ」

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 自宅に帰ると、まるでそこの主であるかのようにソファーに陣取って深刻そうな表情の奈緒がいた。

 

「……いやまぁ、そんな気はしてたけどよ」

 

 椛関連で何かしらのイベントが発生すると、大体こいつも我が家に発生するので、既に見慣れた光景である。俺もそれを見越してお土産のケーキを奈緒の分と、ついでに彼女の旦那のために持たせる分も一緒に買ってきておいた。

 

「椛のことを心配してくれるのはありがたいが、もうそろそろ()()()()()()()()の心配を優先したらどうだ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に視線を向ける。家に閉じこもっていろとは口が裂けても言わないが、それでもそのアグレッシブさをもうそろそろ控えた方がよいのではなかろうか。

 

「こっちの子と、椛や月は別腹なんだよ! 文字通り!」

 

 この『今自分上手いこと言った!』と言わんばかりのドヤ顔が腹立つ。

 

「それに、私にとっても椛は『本当の家族』だ。そんな家族の一大イベントなんだから……心配に決まってるだろ」

 

「奈緒……」

 

「なおちゃん、おなか、さわってもいい……?」

 

「いいぞ~月! 月が触ってくれると、中の赤ちゃんも喜んでくれるから!」

 

「おい」

 

 キリッとした表情で決めたかと思った次の瞬間、近付いてきた月に対してデレッと表情を崩す辺り、なんというかいつも通りの奈緒だった。

 

「全く……」

 

「ふふっ、奈緒ちゃんもきっと不安なのよ」

 

 お土産のケーキを冷蔵庫に入れてもらうために楓に渡すと、彼女は椛や月を見るときと同じような目で奈緒を見ていた。……まぁ、椛が生まれる前から奈緒は『神谷家の長女』であることに間違いないが。

 

 しかし、帰ってきて深刻そうな奈緒がいるのだから、一瞬つわりが酷いのかと思ってしまった俺の心配を返してくれ。

 

(いつわ)りのつわりでも優しくしてあげてね?」

 

「そい()()()()ぃな」

 

 そのときである。楓のスマホがメッセージの着信を告げ、楓は今までに見たことないような素早さでそれを持ち上げた。ちらっと見えた画面には椛の名前が表示されており、オーディションが終わってこちらに戻ってくる前に一度連絡をするということだったので、恐らくそれだろう。

 

 それにしても、どうやら顔には出ていなかっただけで楓も心配だったようだ。

 

「椛から連絡きたんですか!?」

 

 それに反応した奈緒も近づいてくる。

 

「なんて!?」

 

「……えっと」

 

 奈緒からの問いかけに言いよどむ楓。まさか……と思い、奈緒と共に楓のスマホを覗き込む。

 

 

 

 そこにはただ一言『今から帰ります』という椛からのメッセージが表示されていた。

 

 

 

「これ……」

 

「も、もしかして……!?」

 

 さぁっ……と顔を青褪める奈緒。俺も思わず手のひらを握り締める。速水にはあぁ言ったが……きっと俺はどこかで『そうは言っても大丈夫だろう』と楽観視していたのかもしれない。

 

 ……帰ってきた椛に、なんて声をかけたら……。

 

「……さぁ、もうすぐ椛ちゃん帰ってくるから、夕ご飯にしましょう」

 

 動揺する俺と奈緒を現実に引き戻したのは、スマホを自身のポケットに戻した楓のそんな一言だった。

 

 奈緒と一緒に楓を見ると、彼女はいつもと変わらない様子で笑っていた。

 

「奈緒ちゃんも食べていく?」

 

「え……あっ、アイツも仕事で遅くなるって言ってたから……その、いいのであれば……」

 

「勿論、大歓迎よ。椛ちゃんも月ちゃんも喜ぶわ」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 慰めの言葉だのどーだのを考えるのは、今じゃない。

 

 

 

 今俺たちがしなくちゃいけないのは……頑張った椛に「よくやった」と褒めてあげることだろう。

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりー」

 

 帰ってきた椛と共に夕食を終え、車で奈緒を自宅まで送り届けて帰宅すると、リビングで一人椛がソファーに座ってテレビを見ていた。

 

「お母さんと月は?」

 

「先にお風呂入ってるよー」

 

「そっか」

 

 椛の横に腰を下ろしながら、横目で彼女の様子を窺う。

 

 椛のメッセージを受信した後で、楓のスマホにはアイドル部門のプロデューサーから怒涛の謝罪文が送られてきていた。

 

 彼女が言うには、どうやら今回椛が受けたオーディションは()()()()()だったようだ。あからさまな贔屓はなかったものの、明らかに一人のアイドルが有利な条件が多かったらしい。上の人間もそのことに憤っていて、今後は先方との付き合い方を考える……とも言っていたが、それは経営陣の話なので今はいいだろう。

 

 問題は、椛がそんな芸能界の闇とも言える部分をいきなり体験してしまったということと……そんなショッキングな出来事があったにも関わらず、帰ってきたときに彼女は「いやーやっぱり甘くないね」と苦笑しながら帰ってきた椛。それはまるで照れ隠しをしていたかのようで、今もこうして何事もなかったかのようにテレビを見ていた。

 

「……椛」

 

「なぁにー」

 

 

 

「無理しなくていいんだぞ」

 

 

 

「………………」

 

「お前はいい子だとも分かってるし、聡い子だとも分かってる。でも、父さんや母さんの前ぐらいは素直になってくれ」

 

「……別に無理なんか」

 

 既に声が震えている椛の肩に腕を回して体を抱き寄せる。

 

「俺も似た経験があるから分かるよ。……辛いよな、自分はちゃんと全力を出したのに、それをちゃんと評価してもらえないのは」

 

 芸能界ではよくあること……とは言いたくないが、似たようなことだったらきっといくらでもある。

 

 だからといって、それに『慣れろ』とは言いたくないし『その悔しさをバネにして頑張れ』とも言うつもりはない。

 

 ただ単純に……まだ十二年しか生きていない椛の心の中に、そんな黒いものを貯めておいて欲しくなかった。

 

「……して……」

 

「ん?」

 

 

 

「――どうして!? どうしてダメだったの!?」

 

 

 

 それは、今までに聞いたことのない椛の慟哭だった。

 

「私頑張ったもん! 絶対に他のみんなよりも歌もダンスも上手かったもん! ちゃんと笑えてたし、質問にも答えれた! テレビの中のお父さんやお母さんみたいに、ちゃんと出来てたもん!」

 

 まるで引き千切るような力強さで俺の服を握り締めながら、椛はボロボロと大粒の涙を流す。

 

「なんで!? ……ひっく、よ、ようやくアイドルになれたのに……! ぐすっ、お、お母さんや、な、奈緒ちゃんみたいな、アイドルに、ひっく、これから、なるって……ずっと夢見てたのに……こんなのってないよぉ!」

 

「………………」

 

 本当に、それだけを考えると酷い世界なのかもしれない。『お父さんとお母さんもそういう道を歩んできたんだ』という言葉も、きっと今はまだ意味をなさない。

 

 『いつか評価される』という言葉を信じて続けていくのが、この世界のなのだから。

 

 今はただ、涙を流す彼女の頭と背中を撫で続ける。

 

 きっと今の俺に出来ることは、彼女の口から「諦める」という言葉が出てこない限りずっと彼女の味方であり続けるしかないのだから。

 

 

 

「……寝ちゃった?」

 

「寝ちゃった」

 

 お風呂から上がって月を寝室へ連れていった楓がリビングに戻ってくると、椛は泣き疲れて眠ってしまっていた。お風呂も歯磨きもまだではあるが、今日ばかりはこのまま寝かせてあげよう。

 

 椛を抱き上げ、楓とともに彼女の寝室へと連れていく。

 

「……辛い思いをさせちゃったわね」

 

「こればっかりは俺たちじゃどうしようもないさ」

 

 ほんの少しだけ『神谷旭と高垣楓の娘』ということをちゃんと公表していれば結果は変わったのかもしれないとも思ったが……きっとそれでは意味がなく、椛も喜ばないだろう。

 

 しかし。もし。もし……椛がこれをきっかけにアイドルになることを諦めてしまったらと考えてしまうと……。

 

「……ねぇ、旭君」

 

「ん?」

 

 椛をベッドに寝かせ、部屋を出ると楓がキュッとてを握ってきた。

 

「親として、椛ちゃんのことを心配してあげるのは大事よ」

 

「……あぁ」

 

 昼間にした速水との会話を思い出して、頷く。

 

 

 

「それ以上に信じてあげるのも、私たちの役目じゃないかしら」

 

 

 

「……そう、だな」

 

 椛がその道を進むと決めた以上、それを心配すると同時に俺たちが一番信じてあげないといけなかった。

 

 アイドルの道は保証出来ない。けれど、その道を()()()()()()()()()()()()という保証は出来る。

 

「大丈夫、だよな」

 

「えぇ、大丈夫よ」

 

 今は少しだけ辛いかもしれないけれど。

 

 椛はきっと、みんなに愛されるアイドルになれる。

 

 そう信じよう。

 

 

 

 

 

 

 五月十四日

 

 今日は椛ちゃんがアイドルとして初めてオーディションを受けた。

 

 椛ちゃんのことが気になって遊びに来てくれた奈緒ちゃんも一緒に結果報告のメッセージを待っていると、届いたメッセージは「今から帰ります」というとてもシンプルなもの。

 

 プロデューサーさんの話では少々仕組まれたオーディションだったらしく、「こんなオーディションを受けさせてしまってすみませんでした」と謝られてしまった。こればかりはプロデューサーさんは勿論、椛ちゃんにも非はないだろう。

 

 しかしこの出来事はきっと椛ちゃんの心に小さな傷を残す結果になってしまっただろう。もしかして『アイドルを辞める』と言い出してもおかしくない。

 

 ……でもきっと、椛ちゃんはそんなことを言わないと思う。

 

 旭君に泣き叫んでいたあの姿を見て、彼女はきっとこのまま泣き寝入るようなことはしないだろうと、そう思った。

 

 何故なら彼女は……神谷旭と高垣楓の、自慢の娘なんだから。

 

 

 

 

 

 

「……まさか人の日記で自分の黒歴史をほじくり返されるとは……いや、一年前だから黒歴史どころの話じゃないんだけど……」

 

「お姉ちゃん、そろそろじゅんびできたって」

 

「ありがと月。……それじゃあ、行こっか」

 

「うん」

 

 

 




なんか美優さんのときみたいにまた怒られそうだけど、こればっかりは事前告知するとネタバレだし……。

というわけでいきなり辛い思いをしてしまった椛ですが、心配はいりませんということだけはお伝えしておきます。

次回、第三部完結!

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