気が付けば残暑が消え、すっかり秋らしい肌寒さに朝晩が辛い今日この頃。
「ホント、すっかり秋だよなぁ」
「紅葉がキレイね……紅葉……こうよう……」
「わざわざ悩んでまで言う必要はないんだぞ」
「……
「……あぁ、そうだな」
「その可哀そうなものを見る目はやめてください……」
そんな会話をしながら、俺たちは赤と黄色に彩られた山道を歩いていた。
さて、先ほど楓が言ったように俺たちは公用の施設……346プロダクションの保養所『美城荘』へとやって来ていた。
俺と楓が結婚する前にトライアドプリムの三人と共に夏に利用したこともあったこの施設。これまでも度々利用していたのだが、時期的に紅葉狩りという名目である。
「椛、強く引っ張らないように気をつけろよ」
「うん」
俺と楓より先を歩く椛に声をかける。少し厚めのコートを着込んだ彼女は、両手で同じように着込んでモコモコになっている女の子と男の子と手を繋いでいた。
「ありがとねー、椛ちゃん。あずの面倒見てくれて」
「アズマも一緒に、ありがとう」
「ううん、あずちゃんとアズくんといっしょにあそぶの好きだから」
俺たちと一緒に並んで歩く早苗さんの言葉に椛は「ねー」と手を繋ぐ女の子に話しかけると、女の子も「ねー!」と言いながらニパーッと笑った。そして同じように「ねー」と男の子に話しかけると、男の子はコクリと頷いた。
二人は三歳になった早苗さんの娘のあずみちゃんと、数日後に二歳になる瑞樹さんの息子のアズマ君。早苗さんと瑞樹さんが頻繁にウチへ遊びにやってくるため、順調に幼馴染として仲良くなっている三人だった。
「それにしても、旦那さんは残念でしたね」
「ふーんだ。あんな奴知らないわよ」
楓に問いかけられ、プイッとそっぽを向く早苗さん。何やら旦那さんに別件があり今回の旅行に参加できなかったことに対して、夫婦間でひと悶着あったらしい。この夫婦の場合はこれがいつものことなので、それほど心配するようなことでもないだろう。
「アイツは夜に合流でしたっけ?」
「えぇ。這ってでも来るって言ってたわ」
俺の後輩でもある瑞樹さんの旦那は本日撮影につき不在。ただ撮影が終わり次第こちらに向かうとは言っていたが……恐らく、夜遅くになるだろう。それでも明日の予定にはちゃんと参加できるだろう。
というわけで、今回の旅行に参加しているのはこの三家族と――。
「………………」
「……美優さんは、寒くないですか?」
「え? ……はい、大丈夫です。ありがとうございます……楓さん」
――美優さんだった。
アイドルを引退して事務所を辞め、実家である岩手に戻って結婚をした美優さん。まだまだ結婚二年目で新婚の彼女であるのだが……少々事情があり、今回の旅行への参加と相成った。
三十四になるというのに、やや幼さを残す美貌はアイドル時代と比べても見劣りせず……しかし、今はその表情に陰りが見えた。アンニュイな美人と言えば聞こえは良いが、残念ながらそうも言っていられない事情があるのだ。
「……そろそろ戻りましょうか」
「……そうだな」
「おチビたちー! 戻るわよー!」
「おやつにしましょうね」
「「「はーい!」」」
散歩を切り上げ、俺たちは保養所へと戻ることにした。子どもたちの三時のおやつの時間も近いし、丁度いい頃合いだろう。
「……ふふっ」
素直に返事をして「おやつなにかなー?」と楽しそうな椛たちを微笑ましく見つめる美優さん。
そんな美優さんに何か声をかけようとして……結局言葉が見つからなかった。
「ねぇ、パパ」
「ん?」
おやつとして管理人さんが焼いておいてくれた焼き芋に全員で舌鼓を打った後、あずみちゃんとアズマ君はお昼寝の時間となった。女性陣は久しぶりに会った美優さんとの会話に花を咲かせているため、代わりに俺が全員まとめて寝かしつけることとなった。
そんな中、既に半分夢の中に入りつつあるあずみちゃんとアズマ君を俺と一緒に見守っていた椛が話しかけてきた。
「みゆお姉さん、かなしそうだった」
「悲しそう?」
うん、と椛はあずアズコンビの頭を撫でながら頷いた。
「わたしとあずちゃんとアズくんがお芋食べてるのを見ながらね、みゆお姉さん、かなしそうにしてたの」
パパは気づかなかった? という問いかけに「気付かなかったなー」と返すものの、勿論それには気付いていた。
――……実は私……子どもができないんです……。
それが、突然こちらに戻って来た美優さんからカミングアウトされたことだった。
知り合いの紹介でお見合いをし、その相手と結婚した美優さん。最初は順調な夫婦生活を送っていたらしいのだが……どうやら美優さんは子どもを妊娠しづらい体質であることが判明したらしい。全く出来ないわけではなく、あくまでもしづらいだけではあるのらしいが……そのことを知った旦那と旦那側の親族が難色を示した。
要するに、子どもが出来づらいと知るや否や態度を変えた旦那に少し嫌気がさして
ハッキリと個人的な感想を述べさせてもらうのであれば、最悪の親族である。未だに『女性は子どもを産まないといけない』という考えが根付いた家があることに驚き、それ自体を否定することもしないが……その考え方を押し付けるのはいただけない。
幸い、それを知った美優さんの両親も怒りを露にして今回の
「どーすれば、みゆお姉さん、元気になるかなー……?」
そんな大人側の汚い事情を知る由もないし寧ろ知らないままでいてほしい椛は、優しい知り合いのお姉さんがどうすれば元気になるかを必死に悩んでいた。実際に顔を合わせた回数は赤ん坊の頃を含めても多くはないが、いつも優しい美優さんにすっかりと懐いている。
「……! ねぇパパ、お外出てもいい?」
「外? 遊ぶのか?」
どうやら違うらしく椛は首を横に振った。最近、魔法少女系アイドルとしてしゅがはやウサミンの後継者とも呼ばれている、人気の
「あのね、外におちてたはっぱとかドングリとかひろってきてね、ネックレスつくってあげるの! だから出てすぐのところにしかいかない」
「……分かった。それじゃあ、二人が寝たらパパと一緒に行こうな」
「うん!」
とはいえ、既に半分夢見心地な二人が寝るのはすぐだろう。今の内に上着を羽織っておくように椛に言い、彼女が「よいしょよいしょ」と上着に袖を通している姿を見ながら俺も出る用意をするのだった。
「………………」
夜。宿泊客の多くが寝静まり、保養所の中は静けさに包まれていた。子どもたちと夕食後の酒盛りで酔い潰れた母親たちも既に床に入っている。
そんな保養所のロビーの一角、ソファーに腰を下ろして哀愁を漂われる美女が一人。言わずもが、美優さんである。
「こんばんわ」
「あっ、旭さん……」
「こんばんわ」とペコリと頭を下げる美優さん。施設内は空調が効いているからとはいえこの季節に浴衣一枚は流石に涼しかったらしく、上に茶羽織をひっかけていた。
「どーぞ」
「……ありがとうございます」
雰囲気的には合わないと思いつつ、先ほど自販機で買ってきた缶コーヒーを手渡す。
そのまま美優さんの向かいのソファーに腰を下ろすと、彼女は自然な動作で居住まいを正した。その仕草が少々色っぽかったが「いやいや楓も負けてない」と謎の対抗心を燃やすことで変な考えを払拭する。
「何してたんですか?」
「……夫からのメールを見ていました」
視線を落とすと、美優さんの手元にはスマホが握られていた。
一体どんな内容のメールなのやらと思っていると、俺の視線に気付いた美優さんはスマホをこちらに差し出してきた。
「どうぞ……」
「いいんですか?」
苦笑しつつ頷く美優さんからスマホを受け取り、その内容に目を走らせる。
「……うわぁ……」
思わずそんな声が出てしまった。
それは所謂『ロミオメール』と呼ばれる類いのものだった。あまりの酷さに直視出来ず斜め読みしたが、要するに「子どもが出来ないのは君のせいである」「責められるのは当然」「君はそれを受け入れなければならない」といった内容である。軽く話を聞いただけでぶちギレていた早苗さんがこれを見たら、一体どうなってしまうのか想像するだけで恐ろしい。
「本当にいるんですねこんな奴……っと、すみません」
紛いなりにも美優さんの夫であることを思い出して謝罪すると、彼女は「気にしてません」と首を振った。
「……私、結婚というものに夢見てたのかもしれません」
スマホを返すと、美優さんは画面の電源を落とし手に持ったまま自分の膝の上に置いた。
「楓さんと旭さんを見ていたら……結婚はこんなに素敵なものなんだって……結婚したら、こんな素敵な夫婦になれるって……」
美優さんは「そんなはずないのに、バカですよね……」と悲しげに笑った。
「旭さんと楓さんは、
「……なんか、すみません」
今の話からすると、美優さんの現状の一因には俺と楓も関係がありそうだった。
勿論、それを謝ったところでなんの意味もないことぐらい分かっている。
「そ、そんな……旭さん、謝らないでください……」
案の定、逆に美優さんの方が申し訳なさそうな表情になってしまった。
「……私、きっと焦ってたんだと思います。こんな暗い女を好きになってくれる人なんていないって……」
話を聞く限り、旦那も結婚してしばらくはいい人だったらしい。それが徐々に違和感を感じるようになり……今回の一件に至った、と。
「ダメですね……私……」
「……そうですね。失礼を承知で言わせてもらえば、男を見る目がないですね」
「うっ……」
「あと、自分を見る目もなさすぎる」
「……え?」
(楓ゴメン)と心の中で愛する妻に謝罪をしてから、意を決して口を開く。
「美優さんは、素敵な女性です」
「……えっ!? そ、そんなこと……」
ポッと頬を染める美優さんに、楓への罪悪感からキリキリと胃が痛む。
「自分で自分を卑下することで……悲しむ人がいることぐらい、元とはいえアイドルの美優さんならば、ご存じのはずですよ?」
「……あ」
彼女はずっとそうしてきたはずだ。彼女だけじゃない、楓だって早苗さんだって瑞樹さんだって、アイドルは常に
「……椛が『美優お姉さんのために何かしてあげたい』って言ってました」
アイドルを辞めた今でも、美優さんのために何かをしたいと思う
「……そう、ですか」
はぁっと溜息を吐く美優さん。それは今までのような重いものではなく、背負っていたものを吐き出すような、そんな溜息だった。
「それじゃあ……小さなファンのためにも……私、もう少しだけ自分を大切にしてみます」
「是非、お願いします」
「はぁー……」
部屋に戻っていった美優さんと別れ、俺は一人露天風呂へとやって来た。入浴時間ギリギリのため誰もおらず、完全に貸し切り状態になっている。
家では味わえない開放感を堪能しながら足や腕を伸ばす。
「……昔から『悪い男に捕まりそう』とはみんな冗談めかして言ってたけど……本当にそうなるとはなぁ……」
しかし今回の場合は恋愛結婚じゃないだけ美優さんの非は減り、代わりに見合い相手を選び間違えた彼女の両親にも非があると思う。勿論、一番糾弾しなければいけないのは旦那とその家族なのだが。
ともあれ、ここまで来たらこちらも美優さんの味方として徹底抗戦の構えだ。以前ドラマの撮影で一緒になり仲良くなった315プロのアイドル
楓の友人で……俺にとっても、大切な友人だ。黙ってなんかいられなかった。
「失礼しまーす」
「え?」
突然、そんな声と共にカラカラと風呂場の戸が開いた。驚き振り返ると、そこにはバスタオルで体を隠した楓がいた。
「ここ男湯だぞ!?」
「ふふっ、管理人さんにお願いして特別に今だけ混浴にしてきてもらいましたー」
「わざわざ何してんだよ……」
後で謝罪とお礼を言いに行こうと眉間をグニグニと揉んでいると、楓は「お隣失礼しまーす」と言って俺の隣に座りながら湯船に浸かった。当然タオルはお湯に漬けないのがマナーなので、楓も俺も何も身に着けていない状態である。
「はぁ……いいお湯よねぇ……」
「あぁ、そうだな」
そう言ってコテンと俺の肩に頭を預けてくる楓。
そんな楓に若干の違和感を覚え、尋ねてみる。
「……もしかして、さっきの聞いてたのか?」
「えぇ」
やっぱり、先ほどの美優さんとの会話を聞いていらしい。
「旭君が未亡人になった美優さんを口説いてたから、思わず盗み聞きしちゃった」
「口説いてない口説いてない」
そもそも、かろうじてまだ未亡人じゃないぞ。
「……私たちは、本当に幸せだったのね」
「……そうだな」
それはきっと、美優さんのことを指して言っているのだろう。
俺と楓も、きっとどこかで人生の歯車が狂っていたら、全く別の人間と結婚していたかもしれない。そうしたら、美優さんのような厄介なことに巻き込まれていたかもしれない。
IFを考えると、それだけで恐ろしくなる。
だから……今こうして、最愛の女性が俺の手を握ってくれている幸運を噛みしめよう。
十一月十四日
今日は早苗さんとあずみちゃん、瑞樹さんとアズマ君、そして美優さんも合わせた八人の大所帯で美城荘にお泊りに来た。
すっかりと色付いた木々の間を散歩すると、子どもたちはとても楽しそうだった。
そして夕食後のお酒の席で、今回美優さんがこちらに返って来た詳しい経緯を教えてもらった。なんでも美優さんが子どもをなかなか産めないことに対して、旦那さんが酷いことを言ったらしい。それを聞いた早苗さんと瑞樹さんはとても怒っていた。かくいう私も怒っている。旭君だって怒っていた。
こんな素敵な女性をひどく言うその旦那さんが許せず、なんとかして離婚と慰謝料を要求できないかを私たちだけで盛り上がってしまい、美優さんを困らせてしまったことだけ反省しておこう。
そして夜、みんなが寝静まった後で、ロビーの片隅での旭君と美優さんの会話を盗み聞きしてしまった。旭君に限って浮気は絶対にないと思いつつ耳を澄ませると、どうやら美優さんを励ましているようだった。少々もやっとしつつも、流石私の自慢の旦那さんだと誇らしくなった。
その後、一人で露天風呂を楽しんでいた旭君と一緒に混浴した。久しぶりの夫婦水入らずのお風呂は、とても心地よい時間だった。
「「ぐぬぬぬっ……!」」
「お姉ちゃーん、二人がー」
「こーら、あずちゃん、アズ君、喧嘩しないの」
「だってアズマが!」
「だってあずみが!」
「全くもう……」
というわけで、最近の作者がロミオメールまとめにはまったため、突然な美優さん回になった。
勿論美優さんのことが嫌いなわけじゃないけど……なんというか、美優さんは将来的にこんな感じになりそうなイメージ。異論は認めます。
そして前回登場したアズマは川島さんの息子でした。名前は川島さんの中の人の東山さんから拝借。
次回はクリスマス直前なので、もうちょっとイチャイチャさせたい……。