さて、今日九月十四日の二日後である九月十六日は我が妹、神谷奈緒の二十三歳の誕生日である。既に同期のアイドルの何人かが引退や女優業に転向している中で、七年アイドル一筋でやって来た彼女は、今や346プロダクションのアイドル部門を代表するトップアイドルだ。
そんなトップアイドルの誕生日というのは、楓のときもそうだったがファンイベントなどに当てられたりする。なので夜まで自由にならず、俺も誕生日に楓と一緒の時間を作るのに苦労したものだ。
しかし今回はなんと凛ちゃんや加蓮ちゃんも伴ってハワイで誕生日ロケを行うらしく、一ヶ月以上前からパスポートの申請をしたりとそれなりに忙しそうだった。そして明日の朝には日本を経ってハワイへ向かう飛行機に乗らなければならず、当然誕生日当日には奈緒は日本にいない。
それに対して椛が異を唱えた。
「もみじも、なおちゃんのおたんじょうび、おめでとーする!」
週に一度のペースでウチに遊びに来ていた奈緒がこれを聞き、膝から崩れ落ちて喜びに咽び泣いたのは想像に容易いことだろう。
というわけで、我が家の小さなお姫様の意向により二日早い今日、奈緒の誕生日会が行われることになったのであった。
「それじゃあ、ママと一緒に奈緒ちゃんのお誕生日をおめでとうするケーキを作るぞー!」
「おー!」
キッチンでエプロン姿の楓と椛が右の拳を突き上げていた。
奈緒たちは仕事があるので誕生日会は夜からになるので、それまでに誕生日ケーキを作ろうということになったのだ。
楓はいつも使っている薄緑色のエプロンで、椛は今日のためにわざわざ購入した同色の子供用エプロンをつけている。最近より一層ママに似てきたので、サイズの違う楓が並んでいるようで、それだけで幸せな光景である。
ちなみに俺はそんな二人の様子をビデオに収める役目。二人を手伝えよとも言われそうだが、他ならぬ奈緒が「椛の初めてのケーキ作り……ビデオ、分かってるよな?」と撮影要請を出したので、これもお誕生日様の意向である。
「それじゃあまずは……卵を割りましょうか」
「たまご!」
卵好きの椛が目を輝かせる。
「優しく、ここにトントンってやるのよ」
「やさしく、トントン……」
楓に言われ、そーっと卵をボールの縁に当てる椛。当然弱いので割れずにヒビも入らない。流石に四歳児が卵を割るのは難易度が高かったようだ。
「あっ!」
そして大方の予想通り、強く叩きすぎた結果グシャッと割れてしまう卵。元々それを予想していて下にお皿を置いておいたので、殻が混ざっているものの卵の中身は無事だ。
「……うぅ……」
「大丈夫よ、椛ちゃん。ちゃんと卵さん割れてるよ。ありがとう」
「……! うん!」
ぐしゃぐしゃになってしまった卵に一瞬クシャリと泣きそうな表情になった椛だったが、楓がお礼を言うとパァッと明るい表情に戻った。
優しく椛の頭を撫でてから、楓は菜箸を使って卵の殻を綺麗に取り除いた。
「……それ、そのままにしておいた方が逆に奈緒は喜ばないか」
「さ、流石にそれはないんじゃないかしら……?」
残りの卵を楓が片手に器用に割ってボールに入れると、そこに砂糖を加える。
「椛ちゃん、混ぜ混ぜしますよ。しっかり持って離さないでね」
「はい!」
湯煎しつつ卵をホイッパーでかき混ぜる。結構振動が強いので、椛が両手でホイッパーを支え、その上から楓が手を添えて固定する。
ピンポーン
「ん?」
集中している椛の顔を撮影していると、来客を告げるインターホンが鳴った。
「……あ、来たみたい。旭君」
「あいよ」
キッチンの中の二人の様子がしっかりと映るようにカメラを三脚で固定すると、来客を出迎えるためにインターホンへと向かう。
「はい」
『やっほー! 遊びに来てあげたわよー!』
「はいはい、今開けますよ」
「おじゃましまーす! 旭君!」
「いらっしゃい、早苗さん」
来客は早苗さんだった。今日我が家で奈緒の誕生日会をするということは伝えてあったので、どうせ
来客用のスリッパを出し、早苗さんから荷物を受け取り……
「いらっしゃい、あずみちゃん」
二年前の夏を思い出す。楓や俺と交流のあったアイドルのお姉様二人、瑞樹さんと早苗さん。先に恋人が出来たのは瑞樹さんで、夏祭りの頃はいつそのことが早苗さんにバレるかと内心冷や冷やしたものだ。
しかしそんな矢先、全く予想しなかったことが起きた。その半年後に早苗さんが元同僚の警察官と電撃結婚、さらにその二ヶ月後には妊娠も発覚してそのまま電撃引退を果たしたのだ。
まさか早苗さんが瑞樹さんを抜き去って逆転ゴールインを決めるとは誰もが予想していなかったため、世間どころか事務所内でもかなりの大騒ぎになったのが記憶に新しい。ただそれが
そんな早苗さんに触発されてか、年下の恋人とのんびりしていた瑞樹さんも数ヶ月後に結婚。彼女は引退こそしなかったもののアイドルとしては一線を退きタレントとして活動、そして現在は妊娠八ヶ月で産休真っ只中である。
正直、彼女たちよりも早く楓が結婚&出産を済ませてしまったが故に申し訳なさがあったが、それともようやくおサラバ出来たわけだ。
「十ヶ月でしたよね?」
「そうよー。最近つかまり立ちしようとするんだから」
「もうそんなですか」
椛もそれぐらいだったなーと思いつつ、早苗さんを連れてリビングへと向かう。
「おじゃましまーす!」
「っ! さなえちゃん、こんにちわー!」
早苗さんが来たことに気付いた椛がキッチンからトタトタと走って来た。
「はい、こんにちわ。あずもこんにちわーって」
「あずちゃん、こんにちわ!」
早苗さんがリビングのカーペットの上にあずみちゃんを座らせると、椛はあずみちゃんの正面に座り込んで挨拶をした。あうあうと言いながら手を伸ばすあずみちゃんに、椛はニコニコと笑いながら手を握り返した。
「もう……椛ちゃんったら、途中で投げ出しちゃって」
「あー、なんかゴメンね、楓ちゃん」
「あ、いえ、いいんですよ。いらっしゃい、早苗さん」
エプロンで濡れた手を拭きながらキッチンから出てきた楓。あずみちゃんが気になってケーキ作りを途中で放り出してきてしまったらしい。とりあえずそちらは一旦休憩ということで、カメラの録画も停止しておこう。
「旦那さんは、今日もお仕事ですよね?」
「そうよー。休みが不定期なのは、アイドルも警察も同じね」
あー疲れたーとソファーに座り込む早苗さんに冷たい麦茶を出す。
「ありがとう、旭君。……あービール飲みたい……」
「同じ麦なんですから、それで我慢してください」
楓に引き続き、現在は早苗さんと瑞樹さんが授乳期間でアルコールやカフェインを断っている。
「授乳期間が終わるまでですから、もう少しですよ。頑張ってください」
「はーい、先輩」
アイドルとしては後輩だった楓が、妊婦として早苗さんや瑞樹さんよりもほんの少し先輩になっているのが少しだけ不思議な感じだった。
「終わったら、存分に飲みましょう!」
「この家で飲めば、あずを旭君と椛ちゃんに預けられるから遠慮なく飲めるわね!」
「遠慮してください」
「もみじ、あずちゃんのおせわする!」
禁酒の反動でとてつもなく飲みそうな早苗さんとそれに便乗する楓の未来の姿が容易に想像出来てしまったので早くも憂鬱だが、そんなことは関係ない椛は大好きなあずみちゃんと遊べることに目を輝かせていた。
あと、しれっと旦那さんがいないこと前提だが、それでいいのか。
「椛ちゃん、ケーキ作り続けない?」
「あっ! そうだった! なおちゃんのケーキ!」
楓に言われたことでようやく自分が何をしていたのか思い出した椛。あずみちゃんに向かって名残惜しそうにバイバイをしてから、ケーキ作りを再開すべくキッチンへと向かっていった。
「……パパとママが大好きで、奈緒ちゃんも大好きで。椛ちゃんは大好きな人たちに囲まれて幸せそうね」
「当然ですよ。幸せな夫婦の間に生まれてきてくれた子なんですから」
あずみちゃんは違うんですか? と問うと、早苗さんは「確かにそうね」とあずみちゃんを抱き上げながら笑った。その笑顔はアイドル時代によく見せていた快活なそれではなく、優しい母親の笑みだった。
「それにしても、椛ちゃんが作ったケーキねぇ……奈緒ちゃん、喜ぶでしょうね」
「実はそれだけじゃないんですよ」
『奈緒ちゃん! お誕生日おめでとー!』
「あ、ありがと……」
夜。収録を終えた奈緒が凛ちゃんと加蓮ちゃんを引き連れて我が家にやって来た。いくら椛にお祝いしてもらえるからとはいえ、流石に二十三になって盛大に誕生日を祝われるのは気恥ずかしいものがあったらしく、奈緒は少しだけ照れくさそうだった。
「あのね、なおちゃんのケーキね、もみじがママとつくったの!」
「ありがとう椛! 楓さんも!」
感極まった表情で椛を抱きしめる奈緒。我が家では既に見慣れた光景なので、今更誰も気にしない。
「それにしても、本当に凄いね」
「うんうん。ママと一緒に作ったとはいえ、四歳がこのケーキは凄い」
一方で凛ちゃんと加蓮ちゃんは、楓と椛が作ったイチゴのケーキに感心していた。上に乗っているイチゴは椛が乗せたもので少しズレているのはご愛敬だが、奈緒的にはそれがより一層嬉しいらしい。最近、こいつの叔母バカぶりが両親の俺たちを超えているような気がしてならない。
「あ、奈緒ちゃんコレ、あたしからのプレゼント。甘くて飲みやすいから、奈緒ちゃんでも飲めると思うわ」
「……え、早苗さん、もしかして……」
「心配しなくてもあたしは一滴たりとも飲んでないわよ。旦那に選んでもらったの。……あの人、ガタイはいい癖にこーいうのじゃないの飲めないって言うんだから」
「私たちからはこれ」
「奈緒が探してたアニメのBDボックス~。比奈さんに頼んで手に入れてもらったんだー」
「……いやまぁ、嬉しいよ、うん」
早苗さんからワインを、凛ちゃんと加蓮ちゃんからはアニメのBDをそれぞれ貰う奈緒。ワインはともかく、BDにイマイチ喜びきれていない奈緒だったが……二人からの本当の誕生日プレゼントは、ハワイロケ中にサプライズで渡されることになるのは、当然黙っておく。
「俺と楓からは時計。こないだ使ってるやつが古くなってきたって言ってただろ」
「ありがと……うわ、これ結構いいやつじゃ……」
「これからも、椛をよろしくね、奈緒ちゃん」
「楓さん……勿論です!」
そして最後の大トリは勿論、椛だ。
「なおちゃん、これ!」
そう言って椛が差し出したのは、奈緒の似顔絵と『いつもあそんでくれて、ありがとう』と書かれた手作りのメダルだ。定番といえば定番ではあるのだが……親になって分かったが、これは本当に嬉しいのだ。俺と楓も初めて貰ったときは思わず涙ぐんでしまった。
そして椛が大好きな奈緒も……。
「………………」
「な、奈緒?」
「……うぅ……ひっく……」
「ガチ泣きしてる……」
大方の予想通りではあるが、実際に目の当たりにすると若干引いてしまった。なんで初めて似顔絵と手紙をもらった俺と楓以上のリアクションをとっているのだろうか。
「これは家宝にしよう……」
「お前の実家が俺の実家であることも忘れないように」
お前がそれを神谷家の家宝として残した場合、いずれ家を出るであろうお前じゃなくてウチの家宝になるんだからな?
「なおちゃん、どこかいたいのー?」と椛に頭を撫でられる奈緒の姿を見ていると、ススッと楓が寄って来た。
「ふふっ、やっぱりこうして見ると、奈緒ちゃんが椛ちゃんのお姉ちゃんみたいね」
「随分とデッカイ姉だなぁ」
確かに妹可愛がりしているようにも見えるが、あれは最早自分の娘として可愛がっているような気もする。
「……姉妹って、いいわよね」
そう言いつつ、楓はコテンと俺の肩に頭を乗せた。
「………………まぁ、いずれ」
「私はまだ何も言ってませんよ?」
「コイツ……」
「ママ! ケーキきって!」
「はーい。ふふっ、この話はお
九月十四日
今日は誕生日当日にハワイのロケで日本にいない奈緒ちゃんを椛ちゃんがお祝いしたいと言うので、一足早い誕生日会を行った。
誕生日会は夜からなので、それまで椛ちゃんと一緒にケーキ作りをした。娘と一緒にお菓子を作るのがひそかな夢だったので、それが叶ってとても嬉しかった。そして一生懸命混ぜたりイチゴを乗せたりしている椛ちゃんの姿がとても可愛かった。旭君がビデオを撮ってくれているので、また彼女が大きくなった時に見直したいと思う。
そして夜、凛ちゃんと加蓮ちゃんと早苗さんとあずみちゃんもウチに来て誕生日会をした。椛ちゃんから似顔絵とメダルをプレゼントされて、奈緒ちゃんはとても嬉しそうだった。
そんな奈緒ちゃんと椛ちゃんの姿が仲のいい姉妹のように見えて……椛ちゃんにも妹を作ってあげたいと、そう思ってしまった。
今はまだちょっと時間が作れないけど……またいずれ……ね? 旭君?
「……こ、これがあのとき見せられたビデオの正体だったのか……!?」
「……ん? あれ、椛ねーちゃん?」
「お姉ちゃん、何読んでるの?」
「ん、あずちゃん、
前回、二人の名前が出てこなかったのは……既に二人とも結婚して苗字が変わっていた&早苗さんは妊娠中でプールに来れなかったからなのだよ!(ババーン
ちなみに流れとしては
二月 早苗結婚
六月 瑞樹結婚
八月 プール(前話)
十一月 早苗出産
・あずみ
早苗さんの娘。早苗さんの中の人の名前をお借りした。
・月
唐突に登場したこの子の正体は……!?(バレバレ)