『というわけで妹よ、兄は高垣楓と結婚するぞ』
『ちょっと待て』
『近いうちに挨拶には行くから、父さんと母さんによろしくな』
『だから待てって』
『なんだよ、待ては一回までだぞ? ちゃんと使いどころは考えろよ』
『間違いなくその一回の使いどころが今だよ。……え、何? 兄貴、楓さんと付き合ってたの!?』
『え、そこから? ……あ、そーいやまだ話してなかったっけ。一応事務所の一部の人間は知ってるんだけどな』
『何で妹のあたしがその一部に含まれてないんだよ……』
『というわけで妹よ、兄は高垣楓と結婚するぞ』
『何事もなく話を進めんなって。まだこっちは兄貴と楓さんが結婚するっていう事実を受け入れることで手一杯なんだよ』
『近いうちに挨拶には行くから、父さんと母さんによろしくな』
『ループでゴリ押ししようとすんな!』
というのが先月に行われた実家住まいの妹との電話でのやり取りの一部である。
楓の誕生日に求婚をし、恋人から婚約者へとグレードアップしてから早くも一ヶ月が経とうとしていた。
この一ヶ月はお互いにアイドルや俳優としての仕事をこなしつつ、事務所に報告をしたり互いの両親に挨拶に行ったりとかなり多忙な毎日を過ごすことになった。
ちなみに事務所は結婚に関して理解を示してくれた。いや、正確に言えばお互いのプロデューサーやその他上層部は結婚の報告をした際に一瞬顔をしかめたが、他事務所の人間よりはいいかと妥協した感じだった。どっちに転がっても346が話題になることには間違いないからな。
ただ、世間に公表するのは現段階で『待った』がかかった。俺は俺で映画の主演が決まっており楓は楓で大きなライブを控えているので、せめて今年一杯は勘弁してくれとのこと。
どのみち結婚式をもう少し後に想定していたので、俺と楓もこれに同意。婚姻届の提出も暫く見送ることとなった
ついでなのでお互いの実家へ挨拶に行った話もしておこう。
まず俺の実家は千葉なので仕事終わりにそのまま楓を連れて行った。予め妹を通して連れていく旨の話をしておいたので、妹が「兄貴が本当に楓さん連れてきた!?」と驚愕していたこと以外は特に問題はなかった。というか、信じてなかったのかお前は。
一方の楓の実家は和歌山なので仕事終わりに足を伸ばせる距離ではなく、二人で何とか休みを合わせて時間を作ったオフを利用して帰省。無事に楓のご両親から結婚の承諾を貰うことが出来た。どうやらお二人とも俳優として俺のことを知っていたらしく、ついでと言わんばかりにサインを
そんなわけでお互いの両親への挨拶は全く問題なく済ますことが出来た。
結局それぐらいで、俺と楓の関係が上方修正された以外に大きな変化はない一ヶ月だった。
……少なくとも、俺はそう思っていた。
「……旭君……」
「……か、楓?」
楓に押し倒されるその瞬間までは。
(オーケー、落ち着こう)
ベッドに仰向けに寝転がる俺に覆い被さるようにして眼前まで迫ってきた楓のご尊顔から目を離せず「いやーやっぱり楓ってまつ毛長いなー」などと内心で現実逃避している場合ではない。
問題は『仕事終わりに突然俺の部屋にやって来た楓が何も言わずに俺をベッドの上に押し倒したこと』だ。
……こうして改めて言葉にすると本当に意味が分からん。確かに突拍子もないことをすることもあるが、今回は何やら様子がおかしい。
というのも、酔っていないのだ。顔も赤くないし、呼気からもアルコールの匂いはしない。酔ってテンションが上がった楓ならいざ知らず、お酒が入っていない状態でこれはまず考えられない。普段から手を繋いだり隣に座ったりと肉体的接触は少なくないが、ここまで大胆な行動に出たことは一度も無かった。
「楓、一体何が……」
とりあえず直接そう問いかけると、楓は寂しそうに目を伏せながらポツリと呟いた。
「……最近、してないの」
(オーケー、もう一度落ち着こう)
まさか楓の口からそんな言葉が出てくるとは全く予想していなかった。
思い当たる節というか心当たりというか、確かに最近はシていない。お互い忙しくて中々タイミングが合わずにまとまった時間を取れていないのは間違いない。こういう時、同棲していないと不便というか何というか。
いや、俺だって男なのだからスるのは全く吝かではないが、それを女性である楓の口から言わせてしまったこと自体が恥ずべきことである。
幸い、楓の明日の予定は午前中がオフ。俺は朝から撮影があるが少々徹夜したところで問題はない。寧ろこのまま楓を満足させることが出来ない方が俳優として以前に
……などと何だかんだ言ったが、先ほどから楓の柔らかい肢体に触れて昂ってしまい、結局俺もシたいのである。
「楓……」
そっと楓の頬を撫でながらゆっくりと――。
「飲み会を、全然してないの……!」
「……ん?」
「旭君、聞いてる?」
「聞いてるけどちょっと待って。今自己嫌悪がマッハ」
正直罪悪感でマンションのベランダから身投げしたい衝動に駆られるが、未婚のまま楓を未亡人にするわけにはいかないと思い留まる。
とりあえず昂っていたモノも鎮まったので、お互いベッドに座り直してから改めて事情聴取を行うことに。
「で? 飲み会だっけ?」
「えぇ……最近忙しかったでしょ? だからみんなと時間が合わなくて全然飲みに行けなくて……」
我が婚約者ながら、何ともまぁ親父臭い悩みというか不満である。
「この間ビールフェスのお仕事があったでしょ?」
「あったな」
ビールフェスの特集を取り扱った雑誌に掲載された写真に写る楓は、それはもう素晴らしくいい笑顔で大ジョッキを掲げていた。この美人が俺の嫁さんになるのかぁと自尊心を擽られつつ、しかしこの細腕でよく大ジョッキを片手持ち出来たなと若干慄いた。多分酒好きが成せる火事場ならぬ酒場の馬鹿力的なものなのだろう。
「あの時、次の仕事が押してるからってプロデューサーさんが一口も飲ませてくれなかったの……!」
それは何とも……こ、酷? 社会人的には当たり前なんだろうが……無類の酒好きである楓にとっては死活問題だろう。寧ろよく止めれたなプロデューサー。やはり
ともあれ、これで大体事情が飲み込めた。
「最近飲み会が無くてフラストレーションが溜まっていたところに目の前のビールをお預けされて爆発した、と」
楓的に言うならば「ビールを浴
「だから飲みに行きましょう! 旭君、飲み会ですよっ! 飲み会っ!」
「765の天海春香の持ちネタを奪うのは止めてあげなさい。……で? いつものところか?」
いつものところというのは、先月に楓が酔い潰れた行きつけの店のことを指すのだが、しかし楓は首を横に振った。
「もうそろそろ暑くなってきたから、ビアガーデンに行きたいの」
「ビアガーデンと来たか……」
確かに暑い中、外で汗を流しながら飲むキンキンに冷えたビールは美味いが、正直芸能人が集まって飲めるビアガーデンがあるとは思えない。
「大丈夫、事務所関係者以外は入れない特別なビアガーデンがあるから」
「そんな都合のいいビアガーデンが――」
『346プロダクション納涼祭』
「――なんであるんだよ……」
翌日、通常業務を終えた夕暮れの事務所の中庭に掲げられた横断幕を見上げながら思わず唖然としてしまった。普段は所属するアイドルや俳優、スタッフが憩いの場として利用する中庭の芝生の上に折り畳みテーブルが何台も並べられ、何処からか搬入したらしいサーバーからジョッキに注がれたビールを美味そうに飲む事務所関係者たちの姿がそこにはあった。
「他所のお店で写真を撮られるぐらいなら、いっそ事務所内でお酒を飲めばいいじゃないって話になったらしくて」
「よくそんな無茶苦茶な話を専務が承認したな……」
「発案者は専務だそうよ」
「一体何があった専務」
去年アイドル部門の大革新に乗り出して色々と輝いていたアンタは何処に行った。
色々とツッコミたいところはあるが、しかし一応これで楓の望みであるビアガーデンが実現したわけだ。
「お、楓ちゃーん、旭くーん!」
「先に始めてるわよー!」
声をかけられそちらを振り返ると、俺と楓に向かって手を振る川島さんと既に空となったジョッキを掲げる片桐さんの姿が……って、おいおい、クール酒飲み四天王どころか片桐早苗、
え、待って俺もあそこに混ざるの? あの大の男でも酔い潰される修羅の宴に?
「……その、なんだ、楓もアイドル仲間と一緒に気兼ねなく飲みたいだろ? 俺は俳優仲間と飲んでくるから……」
ホラ、あっちで手招きしてる男連中と……って違ぇ!? あいつら爽やかに手ぇ振ってやがる! 寧ろこっちに来るなとシッシッと手ぇ払ってやがる!
だったらせめてお前らもこっちに来い! アイドルとお酒が飲めるんだぞ!? 楓は譲れんが、美人揃いだぞ!?
「さ、旭君?」
どうやってこの場を切り抜けようかと思案しているうちに、楓に腕を組まれてしまった。ニコニコ顔の楓の腕を振りほどくなんてことが出来るわけもなく、やたら楽しそうな声で「ドナドナドーナー」と歌う俳優仲間たちに青筋を浮かべながら俺は修羅の宴へと連れ込まれていく。
「久しぶりね、旭君」
「お、お久しぶりです川島さん」
姫川以外は全員年上なので一人一人に頭を下げていく。芸歴で言えば俺が一番上になるはずなのだが、この人たちに逆らえない何かがあるのだ。
「さて、とりあえず旭君は駆けつけ三杯ね」
「ちょっと待って」
「待たない」とバッサリと切り捨てられ、無慈悲にも俺の目の前に置かれる大ジョッキ三つ。飲めと? 大ジョッキ三つを一気に飲めと? わからないわ。
「安心していいわよ。向こうで清良さんがスタンバってるから」
そう言う川島さんの指さす先を見ると、ニコニコと手を振っている元看護師の
「とりあえずそれを飲んだら、その後でじ~っくりお姉さんたちとお話しましょ?」
「主に楓ちゃんとのこと……とかね?」
「………………」
……腹を括るしかないのか……!
……もう、マジ無理……。
「もう……皆さん、旭君に無茶させないでください」
「いや、あれは楓ちゃんが『旭君かっこいー』とか煽ったのも原因の一つだと思うけど……」
案の定飲まされまくってダウンした俺は、現在長椅子に横たわりながら楓に膝枕されている状態である。意識はある程度あるものの、アルコールが回りきっているので身体が全く動かないし、そもそも動く気力も喋る気力も無い。
「それにしても……本当に楓ちゃんと旭君が結婚とはねぇ……どうせいつかはするんだろうなとは思ってたけど……」
「こうしていざ現実になると信じられないというか、信じたくないというか……」
川島さんと早苗さんの二十八歳組がはぁ……と重い溜息を吐く。既に三十を超えた高橋さんと柊さんはある意味で吹っ切れているのだろうが、三十手前の彼女たちには結婚という現実が厳しくのしかかってきているのだろう。
「ねーねー楓さん! 結婚の決め手は何だったんですか? 『恋人にしたい俳優ランキング』四位の顔? 『男友達として付き合いたい俳優ランキング』一位の性格?」
おいコラ姫川、お前のバラドルユニット仲間の輿水がどうなってもいいのか。
「そうねぇ……これといった決め手は無いわ」
「あら意外な答え」
「それはちょっと旭君が可愛そうなんじゃない?」
そっと優しい手つきで俺の額を撫でる楓。目を瞑っている状態なので、楓が今どんな表情をしているのかは分からない。
でも、きっと。
「旭君と出会ったその瞬間から……『私はこの人と結婚するんだ』って、ずっと想い続けていましたから」
きっと、女神も裸足で逃げ出すような優しい微笑みを浮かべているのだろう。
「……かーっ!? やってられるかあぁぁぁ!?」
「ちょっとこっち追加早く持って来て! もういっその事サーバーごとでいいから!」
極甘の惚気を聞いて自棄になったらしいお姉さま方の声を聞きつつ、意識がだんだんと沈んでいくのを感じた。そろそろ本当に限界のようだ。
だからせめて最後の一言だけ、俺も彼女に伝えよう。
「……俺も同じだよ」
「……ふふっ、ありがとう、旭君」
七月十四日
今日は仕事終わりに旭君と事務所の納涼祭に参加した。
事務所の中庭で飲むビールというのも少し不思議な感じがしたが、久しぶりにこうして大勢で飲むお酒だったのでとても楽しかった。
しかし少々はしゃぎすぎてしまったらしく、瑞樹さんと早苗さんにお酒を沢山飲まされた旭君が途中でダウンしてしまった。私も一緒になってお酒を勧めてしまったので、少し罪悪感を覚えてしまう。
旭君がダウンした後も瑞樹さんたちは何故か自棄になるかのように飲み続けていたので、私は旭君を休ませるために途中で抜け出すことにした。
その後、先月とは逆にタクシーで私の部屋まで旭君を連れて帰ったのだが……その後は色々と大変だった。
結果、次の日の朝は二人して寝坊をしてしまうのだが。
……シたかったのは私だけではなかったようで、少し恥ずかしいが嬉しかったとだけ書き残しておこう。
・今回明かされた旭の新情報
「実家は千葉」
「『恋人にしたい俳優ランキング』で四位」
「『男友達として付き合いたい俳優ランキング』で一位」
・旭の妹
ご察しの通り、デレマスキャラです。
名前はまだ明かしませんが、既に分かる人には分かると思う。
R15タグ付けたから何も問題はありません(真顔)
全く別の主人公の別のお話を同時に考えるのって結構辛いと思いつつ、いざ書き始めると凄まじい勢いで書ける辺り作者の『カエデスキーぢから』はまだ衰えていない模様。
今回のように、今後もその時期にあったネタでお話を書いていきます。
次回は海で水着だな(先発予告)