Fate/SAKURA   作:アマデス

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今回はギャグ3割シリアス7割でいこうと思ったらギャグ9割になってました。

遠坂クオリティマジパネェ。

※2万字いきかけました(白目)


7話 神秘

 神経が焼き切れそうだった。

 普段の魔術鍛練なんて目じゃない、間違いなく人生で最も集中していたのはこの時だった。

 

 桜の右手が俺の左手に重ねられている。

 こうして肌を触れ合わせる事で己の思考を相手に伝える魔術、と桜は説明してくれた。

 それによって俺の頭の中に流れてくるサーヴァントを召喚する為の呪文を必死に唱える。

 

 ただ単に朗読するだけならここまで神経を使う事等なかったが、今俺が行っているのは使い魔の召喚という()()だ。

 魔術回路の()()と同時に複雑な呪文を唱え、なけなしの魔力を文字通り死に物狂いで注ぎ込まねばならない。

 桜には、呪文さえ唱えれば後はシステムが自動的にやってくれるから簡単だと言われた筈なのだが…やはり俺はまだまだ未熟という事なのだろう。

 でも今はそんな泣き事言っていられない。

 

 桜が、俺にとって日常の象徴だった、人として接する事の出来る後輩(家族)が、魔術師だった。

 こんな優しい女の子が、自分と同じ(痛み)を背負う側に居るという事がショックだった。

 自分で選んだ道なのだと言われても納得し切れなくて。

 暫くの間世界が色を失い、動きが矢鱈遅く感じた。

 脳が目の前の現実を受け入れまいと、あらゆる外部情報をシャットダウンした様だった。

 どうやら俺は自分で思っている以上に目の前の少女に依存していたらしい。

 

 でも、きっとそれは、桜も同じだったんだ。

 

 説明を受けた今なら、あの朝の桜の反応も合点がいく。

 俺の左手に浮き出た聖痕を見て、俺が魔術師だという事に気付いたんだろう。

 慕っていた学校の先輩が、身近な人が魔術師で、しかもこんなとんでもない殺し合いに巻き込まれようとしている。

 この優しい少女にとって、それはどれ程辛く恐ろしく受け入れ難い現実だっただろう。

 だが、それでも桜は逃げなかった。

 敵かもしれない俺に自分が魔術師だという事を明かし、貴重な情報を与えた上で逃げ道のある選択肢を俺に提示してくれた。

 

 只々、俺の命を護る為に。

 凄く勇気の要る行動だ。

 凄く、凄く覚悟の要る事だ。

 

 ならば、俺も応えなければならない。

 桜の勇気と覚悟に。

 こんな半人前以下の俺にも出来る事があるのなら、少しでも桜達の助けになれるなら、全力でそれをやり遂げるだけだ。

 

 だから頼む!成功してくれっ!!!

 

 

 

 

 

 ガ     カ  アッ!!!!

 

 

 そんな俺の決意と願いが通じたのか。

 

 俺達の目の前に一人の女性が現れた。

 

 

 

 

 

         ∵∵∵

 

 

 

 

 

 圧倒的な神秘の発露による衝撃波、もとい閃光と突風が辺りを覆い尽くし、それと同時に私の創った虚数時空間が忽然と消えさってしまう。

 元々一時避難の為だけに展開したものだったので維持にそこまで集中していなかったというのもありますが、英霊という圧倒的な神秘を内包した爆弾の現界によって私のちっぽけな魔術が吹き飛ばされてしまったというのが妥当でしょう。

 

 少し離れた所から女の子の可愛らしい悲鳴が聞こえた。

 おそらく…いや間違いなくアーチャーのマスター(イリヤスフィール)の挙げた悲鳴だ。

 まぁ、そりゃそうだ、という感想が朧気に頭に浮かぶ。

 さっきまで何も無かった場所でいきなり爆発が起きたら誰だってびっくりする。

 私ならそのまま足を縺れさせて転ぶ自信すらある。

 ちょっと悪いことしちゃったかな、後で謝った方がいいかな、なんて現在進行形で殺し合いをしている相手に対するものとは思えない、多分に余裕を含んだ思考を巡らせる自分自身に、私は不思議と納得していた。

 

 何故、なんて考えるまでも無い。

 先輩のお陰だ。

 

 先輩が私を信じると言ってくれた。

 先輩が私と一緒に戦う意志を示してくれている。

 私の事なんて見捨ててさっさと逃げる事が出来たのに、そういう選択肢を提示したのに。

 先輩はそれを選ばなかった。

 その事実が、嬉しくて嬉しくて。

 顔が熱くなる。

 胸の奥の動悸は激しくなる一方。

 下腹部の底が強張る様な蠕動する様な、得も言われぬ高揚感。

 先輩が側に居てくれるだけで何も怖くなくなる、この全能感。

 我ながら単純過ぎて呆れてしまう。

 でも、これが私なんだ。

 朝の不調が嘘の様な心地好さ。

 先輩が与えてくれた全てを力に変えて今此処で吐き出してやる。

 

 明日の朝、また先輩の家でご飯を食べる為に。

 

 

 

「サーヴァント、キャスター。召喚の儀に応じ馳せ参じました。貴方が、私のマスターですか?」

 

 私と先輩の目の前から発せられた、大人の女性特有の高く落ち着いた声で意識を戦場へと戻す。

 エーテルが収束し、人の(かたち)を取ったそれは正しくサーヴァント。

 一番最初に目に付くのは紅い線の模様が入った、頭と肩を覆い隠している黒いフード。

 腕の先の人差し指と中指も覆っている事から、どうやら襟元から服の下に入り込んで腕全体もすっぽりと包んでいるらしい。

 そのフードの下に隠れて表情は見えないですが、微かに覗く口元は此方を安心させる様に微笑みを携えている。

 上半身は白い着物の様な和装で包まれていて一見すると東洋圏の英霊に見えますが…下は薄いピンク…桜色のロングスカートだった。

 全体的に色味がマッチしていてパッと見は違和感を感じないのですが、よくよく観察すると随分チグハグな服装です。

 肌が全くと言っていい程露出していないのも合わさって、いまいち正体が掴み辛い。

 

 だけれど…なんでしょう。

 一目このサーヴァントを見た瞬間から、妙な感覚が私を(さいな)んでいた。

 一番近い表し方は…既視感、でしょうか。

 なんだか、フワフワするというか、ムズムズするというか、痒い所に手が届かない、知っている物の名前が喉まで出かかってるのに思い出せない様な、こう、モニョる感じがする。

 

「あ…っと、あーうん、そ、そうだ。たぶん俺がマスター?だ」

 

 キャスターからの問いに先輩は手探りな様子で、というか随分と自信が無さそうに返答した。

 未だにサーヴァントが召喚出来たという事が信じられないのでしょうか?

 此方に助けを求める様に視線を寄越す先輩へ私は首肯で応えた。

 そんな私達のやり取りを認めたキャスターは「そうですか」と呟き被っていたフードを取る。

 

 ()が、舞い広がった。

 

 一体どうやってフードの中に仕舞っていたのか本気で疑問に思うくらいには長いそれ(白髪)がブワリと漂い夜に映える。

 新雪の如く完全に色素の抜け落ちた、正しく純白と表現するのが相応しい髪。

 いや、ほんと、一周回って不気味さを覚えるくらいに一切混ざり気の無い白色。

 寧ろ白を通り越してもう半透明くらいまでいっちゃってるんじゃないでしょうか。

 そんな儚げな長髪が周囲を確認するキャスターの頭の動きに合わせてサラサラと流れていた。

 

「ふむ…それでは早速自己紹介といきたいところですが…何やら急を要する状況のようですね。私を含めてサーヴァントが3体ですか……マスター、指示を。私は誰と協力して誰と戦えば良いのですか?それとも2体共相手取れば良いのですか?」

 

 ライダーとアーチャーさんを一瞥したキャスターは落ち着いた声色に真剣味を帯びさせて先輩へと指示を促す。

 とはいえ口ぶりからして(なか)ば指示の内容は予想出来ているのだろう。

 立場上は敵サーヴァントであるライダーとそのマスターである私、そして少し離れた所に佇んでいるアーチャーさんとイリヤスフィール。

 それぞれの立ち位置と距離感からして(おおよ)そ誰が敵か味方かを把握したんだ。

 落ち着いた雰囲気に(たが)わず冷静に状況を見ている。

 流石は魔術師(キャスター)のサーヴァントと云った所でしょうか。

 

「な、いやちょっと待て!ええっとだな…この娘は間桐桜って言って俺の後輩だ。桜と、桜の使い魔は俺を助けてくれた。今何とかしたいのは向こうに居るあの巨人だ」

「あのサーヴァントの真名はギリシャ最大の英雄、ヘラクレス。クラスはアーチャーです」

「なるほど、了解しました。それでは…

 

 

 

 

は?ぇ…へ、ヘラクレス!!!?」

 

 

 

 先輩の説明を補足する様にライダーがヘラクレスさんの真名を告げると、キャスターさんは思わずといった様子で言葉になっていない声を漏らす。

 そしてヘラクレスさんを二度見した後絶叫した。

 

「え、ちょ、そんな、無理ですよ!世界規模の知名度を持つ半神半人の大英雄を相手にするなんて…どんな無理ゲーですかそれ!?私キャスターですよ!?こんな何の事前準備も無しで遠距離型サーヴァントの前に引きずり出されたって…な、なんで私なんか呼んじゃったんですか!?」

 

 

 大慌てといった様子で腕をパタパタ、髪をフワフワ忙しなく振り乱しながらオーバーリアクションで喚くキャスターさん。

 

 ……………えーっと。

 あれ?おかしいな?さっきまで私の中にあった、クールでミステリアスな大人の女性というキャスターさんのイメージが音を立てて崩壊していくのですが…。

 先輩とライダーも同じなのでしょう、二人共呆気に取られた表情になっている。

 

「あー…えっと、よ、呼んじゃってごめん、なさい?」

 

 先輩が恐る恐るといった感じで謝る。

 私は未だに掛ける言葉が見付からないというのに、流石は先輩です。

 見えてる地雷を的確な動作で踏みに行くなんて倒錯した行動、先輩以外には出来ない。

 いや、兄さんも結構な頻度でやらかしてますね。

 よくよく思い出せば姉さんも割りとやってる気がする。

 あれ…?私の家族は何時から地雷撤去係になったのでしょう。

 

「…………いえ、マスターが謝られる必要は全くありません…うん、何で呼んじゃったのとか言いましたけどよくよく考えれば私が勝手に来ちゃったって云う方が正しいですし。後先考えず目の前の餌に嬉々として飛び付いた私がお馬鹿だったってだけデスヨハイ」

 

 奇跡、地雷は爆発しなかった!

 という訳でもなさそうですがキャスターさんは癇癪など起こさず、冷静に自身を戒めてくれた様です。

 なんか若干目尻に雫が溜まってる様に見えなくもないですがきっと気のせいですね。

 気のせいという事にしておいてあげた方がみんな幸せなんですよ先輩。

 

「お、おう…そうですか…」

「……………………」

 

 

 

 空気が死んだ。

 さっきまで完全にシリアス一色だった空気が跡形も無く崩れ去ってしまっている。

 とはいえギャグ方向に行ってしまったという訳でもなく。

 例えるなら順調に流れていた川の流れが土砂で無理矢理に塞き止められ淀んでしまったというか…色々と中途半端な状態になってしまったのだ。

 誰も何も喋りません。

 だって喋れる空気じゃないですもん。

 運動エネルギーというものは完全に停止している物を動かす時に一番強いエネルギーが必要ですが、どうやら今この場においてもその法則は適用される様です。

 

 誰か助けてください。

 いやほんとマジで。

 この際新手のサーヴァントとかでもいいですから誰かこの固有結界を破壊して。

 嗚呼、姉さん。

 姉さん助けて。

 姉さんは子供の頃私が泣くと何時も駆け付けて私を助けてくれたじゃないですか。

 なのに何故来てくれないの?

 あ、あれですか私がまだ泣いてないから来てくれないとかいうそーいうあれですかなるほどおkじゃあ私今から泣きますから大声で泣き叫びますから出来るだけ早く来てくださいね姉さんその後は久し振りに姉さんに抱き着いて思いっきり甘えて甘えさせて貰って頭とかも撫でて貰って至福の時を───

 

「ねぇ、何時までぐだぐだやってるつもりなの?」

 

 絶賛現実逃避中だった私の鼓膜を鈴の様な声が振るわせた。

 イリヤスフィールだ。

 アーチャーさんの傍らに立つ彼女が如何にも不機嫌ですと云った仏頂面で此方を見ていた。

 す、凄い。

 あの空気の中で会話を始められるなんて。

 

お兄ちゃん(マスター)からの命令が下ったんだから四の五の言わずにさっさと戦えばいいのよ。大体事前準備の有無なんて関係無いわ。何をしたってどうせアーチャーには勝てないんだから」

 

 己のサーヴァントの勝利を絶対のものとして信じ切っているイリヤスフィール。

 外見に違わず言葉の内容に幼さが滲み出ているが殆ど事実に近い。

 相手が相手(ヘラクレス)なだけに並の英霊を呼んだって焼け石に水だ。

 そもそも単純に考えても対魔力のクラススキルを持つ三騎士に対して魔術師(キャスター)のクラスのサーヴァントでは相性が最悪に近い。

 今この場に限ってですが、どうやら先輩はタイミング的にもハズレを引いてしまったらしい。

 いや、でも撤退を前提にすればキャスターさんに後方から支援して貰っている間にライダーの天馬で離脱出来るかも。

 そうですよ、どっち道勝ち目が薄いんですからその方が絶対に良い、というかベスト。

 逆に考えるのよ桜、別に逃げちゃってもいいさと考えr───

 

 

「む、聞き捨てなりませんねそれは」

 

 ─────あれ?

 

「確かに私は大した格のある英霊なんかじゃありません。貴女のヘラクレスさんと比べたらそれこそ月と(すっぽん)です。けれど、先達として言わせて頂きますが、それだけで推し量れる程人の()は単純なものじゃありませんよ」

「…ふ~ん?つまり何が言いたいのかしら?」

「生涯を通じて研鑽したこの神秘(わざ)は、彼の大英雄の神性にも届き得ると言っているんです」

 

 え。

 ちょっと待ってくださいキャスターさん。

 何でそんなやる気満々なんですか。

 さっき自分でヘラクレス相手にするとか無理ゲーとか言ってませんでしたっけ。

 何で今更になってそんな、それっぽい啖呵切ってるんですか。

 ひょっとして名誉挽回しようとしてる?

 さっきのやり取りでこの場に居る全員の頭に植え付けられたキャスター=ポンコツのイメージを払拭しようとしてる?

 

「それに、召喚されたばかりであっさりやられてしまってはマスターに申し訳ありませんからね」

「ふふ、そう。なら相手してあげるわ。中々出てこないからもう帰ろうかと思ってたんだけど。そこまで言うんだから少しは楽しませてよね」

 

 いや。

 いやいやいやいやいやいやいやいやいや。

 待ってください、待ってくださいってば。

 なんかこれもう本格的に戦闘する流れになっちゃってるじゃないですか。

 っていうかイリヤスフィールさん見逃してくれるつもりだったの?それなら余計な覚悟なんて決めずにずっと時空間に隠れてればよかった!私ってほんと馬鹿(うっかり)

 そんでもってキャスターさん。

 なんかちょっと良い感じの台詞言ってますけど私気付いてますからね、こめかみに汗が一筋流れてるの。

 うわヤッベー、なんか勢いで啖呵切っちゃったけどぶっちゃけ勝算0だわ、全然何も考えてねーわマジどーしよ、的な事考えてるのが丸分かりですから。

 理由はよく分かりませんけど兎に角貴女の思考は読めてますからね私。

 

「やっちゃえアーチャー。今度こそ全員仕留めるのよ」

「御意」

 

 斯くして断頭台の紐が放たれた。

 そこは戦いの火蓋が云々って言った方が正確なんじゃないのという突っ込みがどこぞから聞こえてきそうですが、私からすれば完全にそういう気分なんです。

 先程の戦いを振り返る限りヘラクレスさんはまだまだ本気を出していない。

 ライダーも切り札足る魔眼と天馬をまだ見せてはいないがそれは向こうも同じですし、純粋な戦闘技術ではかなり溝を開けられている。

 単純な話余力の差が明確なのだ。

 そんなヘラクレスさんがマスターの命令に『御意(了解)』と返したのです。

 今度こそ本気で来る。

 そんな確信があった。

 此方にはキャスターさんという新戦力が加わったが、Aランク未満の攻撃を無効化するヘラクレスさんに対してキャスターさんの支援魔術は意味が無いだろう。

 先程も考えた通り撤退戦ならまだやりようはありましたがこんな全面対決の構図は最悪に過ぎる。

 やっぱり撤退戦です。

 戦略的撤退を具申します。

 完全に逃げ腰になっている自分自身にどうかと思いつつ先輩に声をかけようとして───

 

「では、行きます!」

 

 ───またもキャスターさんが予想外の行動に出た。

 

「え!?ちょっ!?」

 

 なんとキャスターさん、まさかの単身突撃。

 キャスターさんの足下から影が伸びたかと思うとそれが二振りの黒い短剣となり、それを両手で逆手に構えてヘラクレスさんに向かっていってしまった。

 これには流石に沈黙を保てませんでした。

 ヘラクレスさん相手に魔術師(キャスター)が白兵戦を仕掛けるなんて一体何を血迷った上での行動なのでしょうか。

 

 …いや。

 そう決め付けるのは早計かもしれない。

 姿勢を低く保ったまま白髪を靡かせて疾駆するキャスターさんの動きは、何と言うか、かなり()になっていた。

 先程のライダーと同じ様に、獲物を狙う狩人のそれ。

 そもそも相手がヘラクレスさんだと判っている状況で何の勝算も無しに白兵戦を挑む筈が無い。

 ひょっとしてあのキャスターさんは例外的に接近戦に長けているのか、若しくは何らかの罠か策を仕掛けているのか。

 

 そうこう考えている内にキャスターさんはヘラクレスさんを間合いに捉えた。

 身長差を考慮してか意識的に防御のしにくい足下に短剣を振るう。

 ですがヘラクレスさんは自身の得物の頑強さに信頼を置いているのか、本来近接戦では用いない弓でもってその一撃を巧みに防ぐ。

 

 

 そしてそのまま反す刀の要領で振るわれた弓でキャスターさんはあっさり吹っ飛ばされた。

 

 

「ぅおわがば、だっ!?」

 

 妙な奇声を挙げながらゴロゴロと団子虫の様にでんぐり返っていくキャスターさん。

 バチコーンッ、という効果音が聞こえてきそうな程見事に吹き飛ばされた割りには傷らしい傷は負っていない。

 

 ………………。

 またも微妙な沈黙が訪れる。

 ヘラクレスさん以外の全員が残念なものを見るような半目でキャスターさんに視線を注いでいる。

 それを知ってか知らずかキャスターさんは地面に両手両膝を着いた状態で雨に打たれる子犬の様にプルプルと震えている。

 遠目にも判るくらいに耳と頬は紅くなり、目も若干潤んでいるなんてフワッとした表現では誤魔化せないくらいに雫が溜まっていた。

 何故だろう、キャスターさんのあの醜態を見ていると自分の事のように恥ずかしく感じる。

 最初に抱いた違和感がより強いものになってむず痒くなってくる。

 お願いだからこれ以上余計な事しないでください。

 

「ふ、ふふふ。そ、そうですよね。幾らなんでもヘラクレスさん相手に接近戦を挑むのは無謀が過ぎました」

 

 しかしそんな私のささやかな願いは届かず。

 キャスターさんは涙に濡れる顔を無理矢理引き攣った笑顔に変えると立ち上がる。

 

「ならば遠距離戦でいかせて貰います!私もどちらかと言えば剣より弓の方が得意ですからね!」

 

 そう(のたま)ったキャスターさんの足下ではまたも影が蠢き、今度は黒い弓矢の形を取る。

 そうして弓に矢を番えたキャスターさんは構えを取り、矢を射った。

 一瞬の内に次々と射られていく矢は合計で7本、得意と云うだけあって(はや)い。

 更には狙いも正確で目、口、首、肩、心臓、鳩尾、膝と人体の急所である場所へ次々と殺到していく。

 

 でも悲しいかな、相手は弓兵(アーチャーのクラス)で呼ばれた大英雄ヘラクレス。

 キャスターさんの射った矢の三倍以上の数の矢を一瞬で放ち、相殺するどころかそのままキャスターさんを機関銃の如く蹂躙した。

 

「いやあああああああああっ!!ごめんなさいごめんなさいやっぱ無理です調子乗ってましたああああああ!!!」

 

 そして何故かまたもや無傷のキャスターさん。

 弓と矢を放り出して頭を両手で覆うと絶叫しながら逃げ回る。

 随分とすばしっこい動きです。

 ステータスで例えたら敏捷Bはあるんじゃないかという程、実際はDですが。

 たぶんギャグ補正でしょう、きっとあの人はスキルに『笑いの神の加護』があるに違いない。

 ある意味ではヘラクレスさん以上の不死性を有しているんじゃないでしょうかキャスターさん。

 

『サクラ』

 

 そんな事を思っていると、ライダーが念話で話し掛けてきた。

 チラリと此方に向けたその表情はあからさまに困っていた。

 

『すみません、一体私はどう動けばいいのでしょうか。先程からあのキャスターがイレギュラーな動きばかりするせいでイマイチ戦術判断が…』

『…ごめんなさい、正直私が教えて欲しいです…』

『デスヨネー』

 

 ほんと、なんなんでしょうあのキャスターさんは。

 ミステリアスキャラを一瞬で崩壊させたと思ったら何か英雄らしく勇ましい啖呵を切って結局のところそんな大した事無いという…。

 でも戦闘に関して全くの素人という感じでもなく。

 全くもって正体が掴めない。

 いや、まぁポンコツなのは間違いなさそうですが。

 そうこうしてる内にキャスターさんはヘラクレスさんの攻撃から命辛々逃げ切り此方に戻ってきた。

 

「も、申し訳ありませんマスター…やっぱり私個人の力では歯が立たない様です…作戦を切り替えて私は後方支援に徹したいと思うのですが」

「あ、ああ。分かった。よく分からないけどそっちの方が良いならそうしてくれウン」

「というか桜は始めからそれを考慮して撤退戦に移行するつもりだったのですが。先程から一人でテンパり過ぎですよ貴女」

 

 ライダーの容赦ない言葉にキャスターさんはバツが悪そうに呻くと目を逸らした。

 流石に私も弁護する気が起きない。

 

「わ、私も出来るならそうしたかったのですが…ごめんなさい、今の私は長時間の魔術行使が難しい状態でして…」

「え?な、何でですか?」

 

 キャスターさんの告白に私は思わず疑問を呈す。

 キャスターなのに魔術の行使が難しいとはどういうことなのでしょう。

 

「それが…召喚の際のトラブルなのかよく分かりませんが、マスターから魔力の供給を受けれていないんです私」

「え?」

「へ?」

 

 魔力が供給されていない?

 それはおかしいと直ぐに頭の中に疑問符が浮かぶ。

 たとえ先輩がどれ程魔術師として未熟だとしてもサーヴァントの召喚に成功した以上は確実にパスが繋がっている筈です。

 なのに魔力が供給されないという事は…。

 

「先輩?ちゃんと魔術回路を開いてますか?」

「え?あ、ああ。さっきキャスターを召喚した時からずっとそのままだが」

「そんな…?間違いなくパスは繋がっているのに魔力が供給されないという事はマスターが意図的に回路を閉じている以外に有り得ないのに…」

 

 ライダーがヘラクレスさんを警戒してくれている間に会話を進めるが、どうにもこの異常事態の原因が掴めない。

 他のクラスなら未だしも魔術をメインに戦闘を行うキャスターが魔力の補給を出来ないというのは致命的だ。

 サーヴァントが物質界に存在する為の楔であるマスターとパスで繋がっていれば辛うじて現界は保てても、手持ちの魔力(オド)が枯渇してしまえば消滅は免れない。

 これでは折角事態の好転を狙って召喚したキャスターさんを戦わせる事が出来ない。

 頭を悩ませていると当のキャスターさん本人がとんでもない提案をしてきた。

 

「では、撤退戦は止めにしましょう。先の事は考慮せず。今ここで、ヘラクレスさんを倒します」

「な、え────」

 

 

 無理だ。

 キャスターさんの提案を聞いた瞬間直ぐにこの2文字が思考を埋め尽くした。

 ライダーがあれだけ必死に食らい付いても傷一つ負わせられない相手を倒すなんて。

 キャスターさん自身、接近戦でも遠距離戦でも圧倒されてそれは理解している筈なのに。

 

「大丈夫です。真正面からまともにぶつかり合うだけが戦いじゃありませんから。相手とぶつかるのが嫌なら、ぶつかる前に一方的に蹂躙させて貰いましょう」

「!それはつまり」

「はい、初戦とはいえ出し惜しみしてられる状況でもありません。宝具を使用します」

 

 宝具、貴い幻想(ノウブル・ファンタズム)

 英霊が持つ、彼らが生前に築き上げた伝説の象徴。

 伝説を形にした()()()()()()()

 人間の幻想を骨子に作り上げられた武装。

 正しくサーヴァントにとって、文字通りの切り札をキャスターさんは今ここで切ろうとしている。

 でも、それは。

 

「大丈夫なのですか?魔力の供給が出来ないと申告したのは貴女自身なのですよ」

「…一度だけなら、なんとか。それにいざという時の手も考えてあります」

「…本当ですか?」

「ほ、本当です!なんですか、その如何にも信用出来ないって顔は!」

 

 キャスターさんの提案にライダーは心配した様子もなく、只々事実確認をする様な冷静な口調で語りかける。

 それに対してキャスターさんは問題ないと応えますが…先程のあれこれから考えてイマイチ信用しきれないというのがこの場に居る全員の総意のようで。

 訝しげな態度のライダーにキャスターさんはワチャワチャと反論した。

 

「そういえば教えるタイミングを悉く逸したので言ってませんでしたけど、彼にAランク未満の攻撃は効きませんよ」

「え…いや、それ先に言ってくださいよ。じゃあさっきまでの私の奮戦は何だったんですか」

「ですから貴女が勝手に一人で動き過ぎなんですってば。というかあれは奮戦と言いません。遊ばれただけ、若しくは噛ませ犬と云うんです」

「むぬぅ…ま、まぁそれでも問題はありません。私の宝具は()()()()Aランク並の出力も叩き出せますから」

 

 ?キャスターさんの言い方に少し引っ掛かりを覚える。

 殆ど話に付いていけていない先輩は兎も角、ライダーも同じものを感じたようだ。

 

「?…とどの詰まり、貴女の宝具なら確実にヘラクレスを打倒出来る。そういう事でよいのですね?」

「はい。まぁ無論ですがきっちり命中させる必要がありますけど…ライダーさん、ほんの数秒でもヘラクレスさんの動きを封じる事は出来ますか?出来なくてもそれはそれで構いません。自分で何とかする(すべ)はありますから」

「それは…」

 

 キャスターさんの問いに言い淀んだライダーが私に顔を向ける。

 有無だけの観点から云うなら、答えはYESだ。

 ライダーの切り札の一つである()()を使用すれば確実とは言えなくとも高確率でヘラクレスさんの動きを止められる。

 でもあれを使うと云う事は自身の真名を口外する事と同義。

 確実に仕留められるか分からない相手にそんな博打を打っていいのか、そしてまだ正式に同盟を結んだ訳でもない相手にそれを披露していいのか。

 様々な懸念、()()()()()()()()()()()()()()()()()を考慮してライダーは言い淀んでくれたのだろう。

 

 でもそんなライダーに対して、私は首を縦に振った。

 

 私の思いを十全に汲んでくれたライダーは表情から迷いを消し去るとキャスターさんに応える。

 

「ええ、可能です。お望みでしたら数秒と言わず数分は止めて差し上げますよ」

「頼もしいですね。でしたら行きましょうか」

 

 ライダーの不敵な返答にクスリと笑ったキャスターさんは再び影の弓矢を造り出すとヘラクレスさん達の方へ向き直った。

 って、え?結局突っ込むんですか?

 

「方針を定めても結局そのスタイルなのですか…」

「し、仕方ないじゃないですか!出来るだけ近距離で宝具発動させたいですし…わ、私だってこんな時に呼び出されなければキャスターらしくちゃんと陣地作成してましたよ!」

 

 溜め息を吐くライダーにキャスターさんは顔を紅くして喚く。

 本当でしょうか…なんだか、もう先程のポンコツ武闘派と云った印象が強すぎてまともに魔術師やってるキャスターさんが想像出来ない、キャスターなのに。

 

「ではキャスター、貴女は私の後から来てください。貴女が追い付き次第仕掛けるのでそのつもりで」

「了解です!」

 

 ライダーが鎖剣を構えて姿勢を低くする。

 その後ろのキャスターさんが走りやすいよう弓を寝かせて矢を番える。

 

「はあぁ~~あ、やーーっと来てくれるのね。いい加減眠っちゃうところだったわ。これが最後よアーチャー。手加減はしないでね」

「元よりそのつもりでございます、お嬢様」

 

 此方が話し込んでいる間、ずっと待ってくれていたイリヤスフィールとヘラクレスさんが漸く口を開く。

 弓で不意討ちしようと思えば幾らでも出来た筈なのに、それをせず待ってくれていた当たり本当に頭が下がる。

 さぁ仕切り直しだ。

 私達の聖杯戦争を、何より先輩の命を此処で終わらせる訳にはいかない。

 ライダーとキャスターさんが駆け出すのと同時に、ヘラクレスさんの弓から雷鳴と共に矢が放たれた。

 

 

         ∵∵∵

 

 

『マスター。聞こえますかマスター』

『ん?え!?な、なんだこれ!?き、キャスターか!?』

『はい、私ですマスター。これは念話と言って、マスターとサーヴァントは令呪を通じて主従間のみでの会話をする事が出来るのです』

『おお、なるほど…そ、それでどうかしたのかキャスター?』

『マスターに一つお願いがあるんです』

『お願い?』

『はい、この戦いに勝つ為に必要な事です。私が念話でマスターに合図をしたら次の台詞を叫んで欲しいんです』

『台詞?』

『はい。えっとですね───』

 

 

         ∵∵∵

 

 

 放たれた矢は、()()

 相手が二人に増えたからか、本気を出す様マスターに命ぜられたからか、若しくはその両方か。

 ヘラクレスさんはこれ迄以上の本数の矢をライダーとキャスターさんに向けて射った。

 相も変わらず圧倒的な威力と速度を誇る(彗星)をライダーは先程までと同じ様に紙一重で躱してゆく。

 ある程度の攻防を行った事でお互いの動きの癖を把握したのか、ヘラクレスさんはライダーがより避けにくい角度と位置に射線を合わせて矢を射っていくが、ライダーはそれ以上の余裕をもってヘラクレスさんの矢を躱していく。

 それはやはり相手()が二人に増えた事が原因でしょう。

 干渉する対象を一つに絞り切れない以上、人は思考という行程を挟まなければならない。

 それによって産まれるタイムラグと単純にキャスターさんの方に割り振られた矢の本数分ライダーが対処しなければいけない矢の数が減ったからだ。

 ライダーの疾走は止まらず、先程よりも遥かに速くヘラクレスさんとの距離を詰めていった。

 

「!っつぅ、く…やっぱり、思った以上にキツいですねこれ!」

 

 一方でキャスターさんも意外な程着実にヘラクレスさんへと接近していく。

 食い縛った歯から苦悶の声を絞り出しているが、その影の弓矢による迎撃は正確無比。

 威力の差から完全に相殺したり撃ち落とす事こそ出来ていないが、自分の矢を向かってくる矢に絶妙な角度で当てて受け流す様に軌道を変える事でその魔弾を凌いでいた。

 魔術師(キャスター)でありながらヘラクレスさんの攻撃を想像を絶する妙技でいなすその実力。

 自分には大した格等無いと言っていたが、やはりキャスターさんも歴史に名を残した英雄の一人なんだ。

 

「凄いな…」

 

 自身のサーヴァントであるキャスターさんをずっと見ていた先輩が思わずと云った様子でそんな呟きを漏らす。

 うん、確かに凄い。

 凄いんですが…戦闘に際して何故フードを被らないのかが気になった。

 至近距離で体の横を通り過ぎていく矢の風に煽られて長髪がバッサリバッサリと凄まじい勢いで乱れまくっている。

 どう見ても邪魔じゃないですかね、あれ。

 

「わぷ!さ、先にフード被っておけばよかった…!」

 

 単純に被り忘れていただけみたいです。

 なんだろう、あのうっかりさ、ものすごく親近感が湧いてくる。

 

 とか何とかやってる間にライダーはヘラクレスさんまであと10メートルも無いくらいの間合いまで距離を詰めていた。

 

 

「全く、何も学習していないのね。近付いたところでアーチャーに有効な攻撃なんて出来る筈無いのに──はい、どうぞアーチャー。やっちゃって」

「感謝致しますお嬢様」

 

 !?

 再び私の頭を驚愕が突き抜ける。

 イリヤスフィールが自身の髪の毛を一本抜いて宙に放ると──それがヘラクレスさんの手元まで飛んでいき、まるで結晶の様な光沢を放つ白い剣に変わった。

 確かアインツベルンは錬金術に秀でた家系だと聞いているけれど…それにしたってまさか、髪の毛一本があんな魔力を秘めた武器になるなんて…!

 やはり、先程イリヤスフィールに戦いを挑まなかったのは正解かもしれない。

 サーヴァントは元より、マスターの方も規格外だ。

 

 ヘラクレスさんは主に与えられた剣を両手で上段に構え、逆袈裟に振り下ろす。

 その一太刀を上に跳んで回避したライダーは鎖剣の両端を波の様に(しな)らせながらヘラクレスさんに投げ付ける。

 どうせ真っ直ぐ突き出したところでヘラクレスさんの宝具(肉体)には掠り傷一つ付ける事も叶わない、ならばさっきみたいに巻き付けて動きを封じ込めるべきだと判断しての行動でしょう。

 でもそんな見え見えの攻撃に捕まる程大英雄(ヘラクレス)は甘くない。

 直ぐ様反した横一線の斬撃で鎖剣を二つとも弾き飛ばす。

 ライダーも負けじとヘラクレスさんの周囲を旋回しながら鎖を手繰って果敢に攻めるがその悉くをヘラクレスさんは防いでしまう。

 死角からのトリック染みた奇襲を織り混ぜるも、一度見た技は受け付けないとでも言わんばかりに刃が阻む。

 あんな身の丈を越える巨剣をまるで短剣(ナイフ)の様に素早く、軽々と、まるで飛び回る蝿を斬るかの様な正確さでヘラクレスさんは振るう。

 元が髪の毛一本という事もあって、あの剣が軽いというのも理由の一つでしょうが、ヘラクレスさんが剣を振るう度にその余波だけで地面のアスファルトが砕け、抉れていく様子を見ると本当にそうなのかイマイチ判断が出来ない。

 何度見ても圧倒されるその膂力と武技に相対してもライダーは怯む事なく攻撃を仕掛け続けていました。

 

「どうしたのかね?私を数分足止めしてみせるのだろう?これしきの技では数分どころか一瞬たりともそれは叶わないぞ」

「おや聞いていましたか。それなりに距離は離れていたのですが、流石に耳が良い様ですね。いや、それとも女性同士の会話に聞き耳を立ててしまうのは男性の(さが)と云ったところでしょうか」

「ああ、済まない。レディの密談を盗み聞きする様な真似はしたくなかったのだがね、貴女とあの白い彼女に手を組まれては私とて命が危うい。故に流儀よりもサーヴァント(仕える者)としての使命を優先させて貰った」

「?…あのキャスターが貴方の脅威に成り得る存在だと?」

「無論だ。我が剣と弓にあれだけ曝されて未だに傷を負っていないのが何よりの証拠だとも」

「…それは意外な朗報ですね」

「なればこそ貴女と彼女を合流させる訳にはいかない」

「っ!」

 

 此方まで届く暴風のせいで殆ど聞き取れませんでしたが、何らかの会話を終えたヘラクレスさんがライダーに対して攻勢に出た。

 地面が陥没する程に一歩一歩を踏み締め、剣を振るう度に発生する暴風を纏ったヘラクレスさんがライダーに近付いていく。

 最早暴力という概念がそのまま形になった様なヘラクレスさんの攻勢にライダーの抵抗は殆ど意味を成さない。

 鎖剣を投げ付け、手繰りながら後退するライダーよりも速くヘラクレスさんが鎖剣を打ち払いながら自身の剣の間合いにライダーを捉えようと前進する。

 あと数秒程の後にヘラクレスさんの射程圏内に捉えられたライダーはあの巨剣で以て胴体を薙ぎ払われ敗退するだろう。

 それだけは絶対にさせてはならない。

 最悪令呪を使ってでもライダーの命を繋いでみせる。

 そう決意して私が魔力を滾らせるよりも早く、

 

「止むを得ませんね」

 

 想定していた作戦より些かタイミングが早いが背に腹は変えられない、とばかりにライダーが自身の切り札を使用する為バイザーに手を掛ける

 

 

より早く─────

 

 

 

 

「声は静かに───私の影は世界を覆う」

 

 

 

 

 ハッキリと、聴こえた。

 激しい戦闘音に妨害されてほぼ役割を果たせていない私の耳に、馴染み深いそれは自然体で入ってきた。

 

「っ!」

 

 瞬間ヘラクレスさんの動きが目に見えて鈍くなった。

 四肢の至る所に黒い触手の様なものが絡み付き勢いを殺している。

 あれは───キャスターさんの魔術だ。

 キャスターさんが単独でヘラクレスさんに攻撃を仕掛けた際に撃ち落とされた矢や投げ捨てた弓を構成していた影。

 あれらは大気(マナ)に還った訳ではなく、夜の闇に溶けてそのまま保持されていたんだ。

 それがキャスターさんの呪文によって再び役目を与えられて動き出した。

 一目見ただけで理解出来た。

 頭を働かせる迄もなくストンと自分の中で腑に落ちる感覚があった。

 でも所詮は二小節の簡易な魔術、四肢を抑えたと云ってもヘラクレスさんに掛かればほんの一瞬でその拘束は破られてしまうでしょう。

 

「よい働きでしたキャスター」

 

 でもそれで十分でした。

 その稼いだ一瞬でキャスターさんはライダーに追い付き、ライダーも作戦通りにその切り札を切る事が出来るのですから。

 

「っ!先輩、目を閉じてください!」

「え?」

 

 私が先輩の手を握りながらそう叫んだのとほぼ同時にライダーが目を覆うバイザーを取り払った。

 

 瞬間、世界が凝固する。

 

 魔眼・キュベレイ。

 魔眼の中でも最高ランクと言われる宝石級の石化の魔眼。

 メドゥーサの代名詞とも言えるそれは対魔力がC以下の相手を問答無用で石化させてしまう非常に強力な代物。

 例え対魔力がそれ以上の相手でも全てのランクを1ランク下げてしまう重圧の負荷を与える事が出来る為、格上相手にも勝算を作り出す事が可能なのです。

 

 ライダーの眼光に射貫かれたヘラクレスさんは石化こそしませんが今度こそ勢いを完全に殺されてしまった。

 今にも引き千切ろうとしていたキャスターさんの影の触手に再び捕らわれたヘラクレスさんの体に、ライダーがダメ押しとばかりに鎖を巻き付けていく。

 

 ただしこの魔眼、メドゥーサが相手を認識しなくても相手がメドゥーサを認識した時点で石化が始まるので集団を相手にするのにも便利なのですが、同時に味方も石化させてしまうという欠点がある。

 だから今私は魔眼の効果をレジストする魔術を先輩と自分にかけ、更に先輩には目を瞑って貰った。

 気休め程度ですがライダーの姿を視角から絶てば多少は効果が薄れる筈です。

 自分自身でレジストが出来ない先輩の負担を少しでも減らす為の処置ですが、私は目を開いたままです。

 今のところほぼ作戦通りですが、不足の事態が起きないとも限りません。

 マスターとして常に状況を把握しておかなければ、という気概で体にかかる圧力に耐える。

 ですがそんな懸念は杞憂で終わってくれそうだ。

 キャスターさんの影の魔術とライダーの魔眼と鎖に雁字搦めにされたヘラクレスさんは最早一歩も動けない。

 立った状態で完全にアスファルトに縫い付けられていた。

 さあ、場は整った。

 あとはキャスターさんが宝具を解放するだけ───

 

 

「ぅ、ぁ、ちょ…か、体が…」

 

 

 キャスターさんはライダーの足元に(うずくま)り、思いっきり石化しかけていた。

 

 私は思わずズッコけてしまう。

 

「っ!?おい、桜どうし──ぐっ!?」

 

 そしてそんな私の異変に気付いて目を開けてしまった先輩が魔眼の効果を受けたのだろう、苦し気に呻いた。

 まさかのうっかり連鎖反応。

 

 

「ちょっと!何をやってるんですかキャスターさん!」

「いやだってライダーさんの真名がメドゥーサなんて私知らされてないですし!そういうのは事前に教えておいてくださいよ!」

 

 この土壇場で勘弁してと叱責を飛ばす私にキャスターさんが尤もな反論を寄越す。

 うっかりなのはお互い様とでした。

 

「す、すみませんキャスター…あの、レジストの魔術教えましょうか?」

「い、いえ、大丈夫です。多少のアクシデントはありましたが───これでチェックメイトです」

 

 心底申し訳なさそうに謝るライダーに応えたキャスターさんは、石化しながらも顔を上げヘラクレスさんを見据えると口許の貌を笑みに歪めた。

 

 

「令呪を以て命ずるっ!!」

 

 

 途端、隣で苦しんでいた先輩が大声で叫び、その音量と内容で私は飛び上がった。

 

 

「ヘラクレスを倒せ、キャスター!!」

「──了解しましたマスター」

 

 

 令呪。

 聖杯戦争の参加資格、サーヴァントのマスターである事の証明にして、サーヴァントに対する回数限定の絶対命令権。

 善くも悪くもアクの強い英雄(サーヴァント)を服従させる為に間桐が考案・開発した呪い。

 本来の用途は前述の通りサーヴァントを精神的・肉体的に縛る為のものですが、サーヴァントの意思に沿う形で使用した場合、その魔力を以てブーストさせる事が出来る代物。

 それを今、先輩は使った。

 『敵を倒せ』というこの上無く単純な命令の為に。

 令呪の潤沢な魔力を受け取ったキャスターさんの体からエーテルが溢れ、石化が解ける。

 悠然と立ち上がったキャスターさんは自らの胸に()()()()()()()

 

「───」

 

 キャスターさんの異常な行動に、私は息を飲み目を(みは)った。

 手を胸の谷間に差し入れたのではなく、()()()()()のです。

 手首がすっぽりと入り込んでも尚腕を入れ続け、どれだけ豊満な乳房を持っていたとしても有り得ないくらいの体積が飲み込まれていく。

 最早背中から腕が突き出てきそうだ。

 無論自傷行為等ではない。

 キャスターさんの胸元が光り、それと同時に腕が引き抜かれていく。

 

 完全に引き抜かれたキャスターさんの手には、光り輝く『杯』が握られていた。

 

 

「────なに、それ」

 

 ヘラクレスさんの後方に控えていたイリヤスフィールが呻く様に一言漏らした。

 私も全く同じ感想を抱いている。

 何だろう、あれは。

 キャスターさんの行動にも度肝を抜かれたが、()()()()にそれ以上の戦慄を感じている自分がいる。

 キャスターさんの体から取り出された杯にはエーテルがプラズマ化する程の圧倒的な密度と濃度の神秘が溢れ返り渦巻いている。

 それを視界に収めているだけで、満たされて、溶けて、崩れてしまいそうなくらいに、莫大な気配。

 今にも膨張しそうな宇宙を見ている様な感覚だ。

 

 あれでは、まるで──

 

 

「なんで…なんで貴女が()()()()()持ってるのよ!!!?」

 

 

 イリヤスフィールの悲鳴にも似た身を切るような怒号にキャスターさんは反応を示さない。

 

「──御見せしましょう大英雄。これが、『神秘』です」

「──」

 

 ゾッとする程に澄み切った表情でヘラクレスさんに手向けの(ことば)を送ったキャスターさんは、杯をヘラクレスさんの方へ僅かに傾け───

 

 

 

情の杯(イマジナリ・マテリアル)

 

 

 

 溢れた。

 膨らんで、光って、爆ぜて、貫いた。

 キャスターさんの宝具が解放された。

 

 やった事は至極単純。

 杯に溢れる魔力に()()()()()()()()()()()()()()()

 正しくシンプル・イズ・ベスト。

 杯を向けられ、魔力の進行方向上に居たヘラクレスさんは、その強大な力の奔流に呑み込まれ───当たり前の様に消し飛んだ。

 

 火山の噴火を連想させる光の柱は地表を掠めて立ち昇り冬木の町を照らし出す。

 暫くして光が消え去ると、そこには僅かな魔力の残滓を残す杯を持ったキャスターさんと、その近くで諸とも消し飛ばされた自らの鎖剣の成れの果てを見て唖然とするライダーの姿があった。

 ヘラクレスさんは居なかった。

 ()()のは膝から下のみ。

 それのみを残して完全に消滅していた。

 

「なんとか、試練は乗り越えられた様です、ね」

「ええ…」

「ふぅ…貴重な、令呪を…いっ、かく、消費して…しまいましたが…まぁ、上々の、戦果、で───」

「っ!」

 

 脱力して両手をだらりと下げたキャスターさんの手からは、いつの間にか杯が消えていた。

 息も絶え絶えと云った様子で力無く言葉を紡いでいましたが、遂に耐え切れなくなったのでしょう、足を折って倒れ込む。

 慌ててライダーはそれを支えた。

 何処からどう見ても魔力不足です。

 当然だ、令呪のサポートがあったとはいえ先輩からの魔力供給無しであれだけの威力の宝具を使用したのだから。

 きっと自前の魔力(オド)もかなりの量を消費した筈です。

 令呪のサポートが無ければ発動すら叶わなかったでしょう。

 

「キャスター!」

 

 先輩が慌ててキャスターさん達の方へ走っていく。

 まだ召喚して(知り合って)半刻も経っていないのに随分な必死さだ。

 やっぱり先輩は先輩なんだな、とこれまでの3年間で見てきた先輩の優しさが嘘偽りの無いものだと分かって嬉しくなってしまう。

 敵サーヴァントを倒して当面の危険が去った事で精神的に余裕が戻った私も先輩に続いてライダー達の方へ向かう。

 ライダーがキャスターさんの頭と腰を持って地面に寝かせているその向こう側でヘラクレスさんの膝から肉が生え始め───

 

 

 

「え?」

 

 

 意味が、分からなくて。

 出来の悪い幻覚でも見せられているような。

 有り得ない。

 

 ヘラクレスさんの肉体が再生し始めた。

 

 膝から腿まで再生するとそのまま股が繋がって臍、腹、胸と凄まじい速度で肉体が再構築されていく。

 みんな絶句していた。

 何も考えられない。

 剰りにも馬鹿げたその光景に、恐怖や驚愕といった感情すら抱けなかった。

 動く事も喋る事も出来ない私達の目の前で、ヘラクレスさんは甦った。

 完全に肉体を再生させ、復活の産声を挙げる。

 

「──見事だ。私の技を悉く躱すだけでなく、この体から命を一つ奪うとは。キャスター、そなたの神秘は確かにこの身に届いたぞ」

 

 ヘラクレスさんは自身を見上げる二人のサーヴァントに厳かな声色で、心の底からの敬意を滲ませ賛辞を贈った。

 誰も反応する事は出来ない。

 

「だが、それだけだ。神々の祝福(呪い)を受けたこの身を滅ぼし切るには到底及ばない。

 

これが『神秘』だ、魔術師よ」

 

 

 ヘラクレスさんの右手に巨剣が召喚される。

 駄目だ、何してるの、動かなきゃ。

 ライダーが、キャスターさんが、先輩が殺される。

 心がそう叫んでいるのに体は言う事を聞かなくて。

 意志は健在だというのに、最早本能が抵抗を諦めてしまっている。

 敵わないと、悟ってしまっている。

 

「せめてもの手向けだ。痛みを感じず()く逝け」

 

 ヘラクレスさんが巨剣を振り上げた。

 ライダーがいつの間に修復したのか、鎖剣を構え、キャスターさんも震える手で魔術を放とうとしている。

 だが、それは剰りにも無力で、遅すぎた抵抗なのは明白で。

 絶望の一瞬。

 もうどうあがいても覆しようのない敗北に血の気が引いて───

 

「待ちなさいアーチャー」

 

 ───巨剣が、止まった。

 イリヤスフィールの一言で今正に剣を振り下ろそうとしていたヘラクレスさんの動きが止まる。

 

「もういいわ、今日はここまでよ」

「よろしいのですか?」

「ええ。ライダーは別にどうでもいいけど…お兄ちゃんのキャスターには興味が湧いたわ。ここで殺すのはつまんない」

 

 イリヤスフィールは何かを押し殺すような声色でそう言うと私達に背を向けて歩き出した。

 ヘラクレスさんも文句一つ言わずそれに付き従う。

 

「…怒らないの?」

「何故怒る必要があるのですか?」

「だって…倒せる敵を見逃しちゃう訳だし」

「問答無用で相手を殺す事だけが戦ではありません。それに、お嬢様同様私もあの者達に興味が湧きました。今ここで殺さずに済むのならそれは重畳。再び相見(あいまみ)える時を期待するのみです」

 

 イリヤスフィールとヘラクレスさんが何か会話をしているみたいですが、今の私の頭には内容が入ってこない。

 

 助かった…?

 完全に詰んでいたあの状態から生き残れた事が信じられなくて。

 為す術の無くなった私達を見逃すイリヤスフィールさんの意図が理解出来なくて。

 

 私が呆然と視線を向けると振り返ったイリヤスフィールさんと目が合った。

 

「可愛そうね。お兄ちゃんの事も、家族の事も、自分自身の事も、真実を何も知らずに生きているだなんて。

 

本物は私だから。偽物なんかに、私絶対負けないから」

 

 

 そう吐き捨てる様に言ったイリヤスフィールさんは今度こそ行ってしまった。

 言われた意味が分からない。

 ヘラクレスさんが甦った理由も分からない。

 分からない事が多過ぎて、次のアクションが起こせない。

 私は呆然と立ち尽くすしかなくて。

 

 

「…!き、キャスター!確りしてくれキャスター!」

 

 先輩の叫び声で金縛りが解けた。

 直ぐ様3人に駆け寄った私が目にしたのは、衰弱しきったキャスターさんでした。

 魔力を消費しきり、最早並みの亡霊程の存在感しかないキャスターさん。

 このままでは消滅は必至です。

 どうしようかと考えて、どうしようもないという結論が出てしまう。

 マスターではない、パスの繋がっていない私ではキャスターさんに魔力を送る事は出来ないし、かといって魔力を補給出来る様な礼装も持ち合わせていない。

 万事休す。

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 折角助かったのに、私達の命を繋ぐチャンスを作ってくれたのはキャスターさんなのに。

 それなのに、そんな人を、こんな、あんまりにも呆気ない最後を迎えさせる事は断じて許容出来なかった。

 なんとかならないかと頭を抱える私を他所に、先輩とキャスターさんが会話を始めた。

 

「マス、ター…もう、余裕が、無いので、手短に…言います」

「っ!な、なんだよそれ。別れの言葉なんかだったら絶対に聞かないぞ俺は!」

「ふふ、違います、よ…まだ全然、お役に立てて、ないのに、消える訳には、いきま…せんから」

 

 そんな事はない。

 キャスターさんが来てくれなかったら私達は今此処に立っていない。

 貴女は間違いなく私達全員の命の恩人です。

 

「ですから、私の、お願い、聞いてくれ、ますか…?」

「嗚呼!俺に出来る事なら何でも言ってくれ!」

 

 先輩が力強く頷く。

 それを見たキャスターさんは僅かに頬を赤らめてこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「抱いてください」

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

 もうお腹一杯なんで勘弁してください。




その頃、座にて

キャスター「抱いてください」
エミヤ「」ガタッ
トーサカ「お前じゃねえ座ってろ」●REC


何故こうなったし。

という事で今回はシリアスなんだかギャグなんだか整合性の取れない話になってしまいました。投稿に3ヶ月かかってこれかよっ!!!

色々あってイリヤちゃんに見逃して貰えた桜ちゃん達。次回は魔力供給回ですね!(当たり前ですが描写はしません)こんな最序盤で魔力供給するssも早々ないんじゃないかな…

キャスターちゃんの容姿はGOのイマジナリ・アラウンドにCCCの髪が白くなった桜ちゃんをミックスした感じです。この作者にキャスターちゃんの真名を隠す気は全くございません(失笑)。

あと申し訳ありません。各サーヴァントのステータスはいずれ纏めて記載する形にしたいと思います。あんまりにも情報量多過ぎて書くの大変なんで…

それでは次回もよろしくお願い致します。

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