午前の授業が終了し、昼休みとなった。
退屈な、そうでなくともずっと座っている事を強制される授業という名の苦行から開放された少年少女達は思い思いに心身をリラックスさせている。
だがそんな中で一人、弁当に手をつけるでもなく只管悩み続ける者がいた。
衛宮士郎である。
普段の彼なら友人である柳洞一成と共に生徒会室で食事を摂ったり、後輩の桜(時々with遠坂)と屋外で弁当を食べたりする。
そんな彼がただ座ってボーッとしているのには無論理由があった。
桜の事である。
今朝、何時もの様に家にやって来た桜だが、どうにも様子がおかしかった。
具体的には、いつの間にか自分の左手に出来ていた痣を見た瞬間から明らかに元気が無くなってしまったのだ。
朝御飯を用意する時も食べる時も、登校中ですら心ここにあらずといった様子だった。
昨日までは、もっと云うなら今朝挨拶した瞬間までは元気だった為、病気や体調不良という線は薄い。
となると精神的に何か追い詰められる様な事態が起こったと見るのが妥当だろう。
そしておそらく、その原因は自分だ。
別段何かをしてしまったという訳ではない…筈だ。
現状考えられる原因は、今は包帯で隠されているこの左手の痣のみ。
あの信じられないものを見てしまったというか、狐につままれた様な表情がどうも忘れられない。
ひょっとするとこの痣は、何か重い病気の症状ないし前兆なのではないだろうか?
あの魂が
自分が病気で苦しむ
彼女はさっぱりしている様に見えて実の所かなり内側に溜め込むタイプだ。
どんなに些細な失敗でも必要以上に深刻に捉えるし、桜本人が関わっている場合はそれが尚の事顕著になる。
殆ど相手の過失だというのに、まるで全責任が自分にあるとでも言いたげに謝罪するなんて事も少なくない。
彼女は優しすぎるのだ。
それは勿論美徳だが、同時にこの上無く自分を追い詰める欠点でもある。
だからこそ自分や藤姉、遠坂や美綴や一成(ついでにファンクラブの連中)等、桜が潰れてしまわないよう周りの人達が気を遣っているのだ。
ちなみに兄である慎二は桜に対してそういうフォローは全然入れないが、度々喧嘩することで意図せずしてストレス発散の役割を担っている。
先輩である自分が桜の負担になってしまっているというのは看過出来ない事態だ。
まぁ実際の所、自分が病気なのか、そもそも自分が原因なのかすら定かではないが、だからと云って放っておくなんて選択肢はない。
大切な家族が苦しんでいるのにそれすらも放置するようじゃ、正義の味方なんて夢のまた夢だ。
(しかし、どうしたものか)
いつもと違って事態の詳細が分からない。
これは周知の事実だが桜は素直というか単純というか天然というか…端的に言ってアホの子である。
成績は悪くないどころか常に学園でトップクラスを保っているが、どうにもそういう
故に様子がおかしい時は直ぐ顔に出るし、その原因も割りと簡単に推測出来るのだが、今回は見当を付けれても確信まで持っていく事が出来なかった。
(桜に直接聞くのが一番手っ取り早いんだが意外と頑固だからな…顔には出しても言葉で説明してくれるかどうか)
先程からこの思考の繰り返しである。
行動を起こすか起こさないか、踏ん切りがつかない士郎に一人のクラスメイトが声をかけた。
「どうした衛宮、弁当も広げず。もしや弁当を家に忘れてきたのか?」
「一成か」
柳洞一成。
穂群原学園の生徒会長にして士郎の友人の一人である。
友人に声をかけられた士郎は一旦思考を中止して一成に向き直る。
「いや、弁当はちゃんと持ってきてるんだがちょっと食欲が湧かなくてさ」
「珍しいな、食欲の有無に
「俺別にそういう主義を掲げた覚えは無いんだが?」
「ならば無意識の行動なのだな。優先すべき事が無い時は基本体調が悪くても頑なに箸を口へと運んでいるぞお前は」
「そうなのか?…藤姉の食い意地がいつの間にか移ってるのかも」
というより日頃食事を共にする冬木の虎との
「まぁ、あれだよ。ちょっと悩みがあるっていうか」
「ふむ…その様子からしてちょっとどころではない悩みと見たが?」
相変わらず一成は鋭い。
生徒会長をやってるだけあって人を見る目は確かだ。
いや、今のは自分が分かりやすかっただけか、と士郎は冷静に分析して自嘲する。
「う~ん、そうだな…一成には全く関係の無い話とは言い難いし…ちょっと聞いてくれるか?」
「ああ勿論、俺でよければ相談に乗ろう」
士郎の頼みに一成は快く返事をする。
日頃から士郎に学校の備品の修理等、一生徒の枠を越えた手伝いをして貰っている事に対して一成は負い目を感じている。
一回相談に乗るくらいでそれらと釣り合いが取れる等とは微塵も思っていないが、少しでも友人の助けになれるのならばこれ程嬉しい事は無い。
普段は遊びの無い堅物だが、その分誠実な在り方をしているのが柳洞一成という人間である。
「サンキュな。実はさ…」
「お!いたいた。おーい衛宮ー!」
士郎が一成に悩みを打ち明けようとした瞬間、第三者の声が大音量をもって士郎の言葉を打ち消した。
突然の割り込みに士郎は少々驚くが、別段不快感は出さずに声のした方に振り向く。
声の主は美綴綾子だった。
「いやー教室に居てくれて良かったよ。ちょっと聞きたい事があってさ」
「なんだ美綴。俺と衛宮はこれから大事な話があるのだ。長くなるなら放課後にでも回してくれ」
「あーダイジョブダイジョブ。ほんとにちょっと聞きたい事があるだけだからさ、5分もかかんないよ」
士郎と違い、狙い澄ましたかの様なタイミングで乱入してきた
だが美綴も馴れたもので、生徒会長からの露骨な敵意を軽くあしらいつつ士郎へと歩み寄る。
一成は堅物だが全く融通が効かないという訳でもない。
一歩退いて、早く話を済ませろ、と無言で催促する。
「どうしたんだ美綴。結構重要な案件だからさ、俺としても素早く片付けてくれると助かるんだが」
「おー分かってる分かってるって。聞きたいのは他でもない、桜の事なんだけどさ」
今度は内心、大いに驚く士郎。
まさか一成に相談しようとしていた人物の名前が美綴から出てくるとは。
「なんか今日の桜、様子がおかしかったんだよねー。やたら不安そうっていうか、辛そうな顔しててさ。弓も、普段なら束中だって珍しくない腕なのに、今日は殆ど的に掠りもしなくってね、部全体が騒然としてたよ。体調が悪いのかって聴いても違いますの一点張りでさ、どうにも対応に困っちゃったんだよね」
「そう…なのか」
美綴から事情を聞いた士郎は愕然とする。
まさか桜がそこまで追い詰められた状態になっているとは。
「衛宮なら何か心当たりないかなーって思って来たんだけど」
「心当たりか…あると言えばあるし、無いと言えば無いかな」
「おいおいなんだよその含んだ言い方」
「実は一成に相談しようとしてたのも、お前と同じで桜の事なんだ」
士郎の言葉に美綴は怪訝そうな顔になる。
少し離れて話を聞いていた一成も同様だ。
「それどういう事だよ衛宮」
「いや、実はさ…」
そして士郎は今朝の事を二人に話し始めた。
今朝会った時は確かに元気だった事、自分(の左手の痣)を見た瞬間に様子がおかしくなった事、自分としては特に何もやっていない筈だという事。
大まかな事情を聞いた二人は腕を組んで真剣に悩んでいた。
やはり二人にとっても桜は特別な存在なのだろう。
美綴は言うまでもなく同じ部の先輩として桜を可愛がっている。
礼儀正しく愛想も良く、武道に対して誠実な姿勢を見せる桜を美綴はかなり気に入っている。
意外と頑固で部の規則に対しては部長の美綴より融通が効かないが、そうして叱りつけた部員へ自らフォローをいれる聖人級の気配りの良さは殆ど副部長のそれだ(本当の副部長は慎二だが)。
そんな桜を次期部長として鍛え上げている最中の美綴にとって、桜の不調は公私共に看過出来る問題ではないのだろう。
そしてそれは一成も同様である。
一見接点の無い様に見える二人だが、実のところ一成は俺よりも桜との付き合いが長い。
小学4年生の時に桜が柳洞時を訪れた際に知り合ったという話で、なんでも桜が境内沿いの外塀で養蜂をしたいと言ってきたらしい。
間桐家の家業は代々土地の資産運用を主としてきたが、桜の祖父は趣味で副業として養蜂や養蚕、標本作りにカブト・クワガタの販売と虫に関わる仕事を数多くこなしていた様で、それに興味を持った桜も先ずは養蜂に手を出してみたと聞いている。
当初は何故寺で育てたいのか、参拝客が刺されたりしたら大変だ等々、ごもっともな反対意見が僧侶の方々から出ていたのだが一成の兄である零観さんの鶴の一声で許可が降りたとの事だ、凄まじい。
そんなこんなで始まった養蜂だが、育てている蜂が人を刺した事は一度も無いという話で毎月分けて貰える蜂蜜も滋養強壮の効果が高く寺の僧侶さん達の貴重な栄養源となっている。
斯く言う俺も何度か桜からお裾分けを頂いた事があるのだが、あれは凄い。
あれを食べておくとその日一日中調子が良くなり、夜の魔術鍛練も心無しか成功率が上がるのだ。
正直副業にしとくのが勿体無いと思った。
そういった経緯で週に2回程寺に訪れる様になった桜と一成の親交は深い。
一成は女嫌いという認識で通っているが氷室や三枝の様な基本清楚で大人びた…というか蒔寺の様な姦しくない女性には普通に接している。
学園全体で聖女認定されており、おまけに頑固だがその分真面目で誠実という性格に共通点も多い桜と一成が仲良くなるのは必然だった。
祖父の葬儀に関してもお世話になったと桜も言っていた記憶がある。
はい、閑話休題。
俺の話を聞き終えた美綴が口を開く。
「一応もっかい確認するけどさ、衛宮は何もやってないんだよね?」
「ああ、少なくとも俺の視点では、っていう注釈が付くけど」
「ふむ…難題だな、手掛かりが少なすぎる。これでは
一成の言葉に内心で全面的に同意する士郎。
朝から昼までの数時間、何度同じ事を考えたか最早覚えていない。
「だったらもうやれる事は一つしか無いんじゃない?」
「…それはつまり…」
「うむ、桜に直接聞くしかないな」
やはりか。
最終的に自分と同じ結論に至った二人の顔を一瞥して士郎は天井を仰ぐ。
「やっぱりそうなるよなー」
「桜は衛宮と同じで何でもかんでも自分の内側に抱え込むタイプだからね。うだうだ対応に悩んで手遅れになる前に強引に引きずり出しちゃう方がベストだよ」
「同感だな。
随分な言われっぷりだが事実だけに口を挟めない。
士郎は内心でフォロー出来なかった事を桜に謝る。
「衛宮の事だ。大方、自分が原因かもしれないからと責任を感じて悩みはしたが、それ故に桜に遠慮して足踏みをしていたのだろう?」
図星である。
「衛宮と桜の違いはそこだよねー。桜はどんな難題にぶつかっても最終的に開き直って大胆な行動に移れるけど、衛宮は事他人に関しちゃ必要以上に慎重になるよな」
何でこの二人はこうも自分に関して詳しいのだろうか。
自分の周囲の
「…あんたは、さ。桜の家族なんでしょ?そんな
「些細って…桜にとってはきっと深刻な事なんだ。慎重になるのは当たり前だろ」
「些細な事だよ。あんたと桜の、
そういって美綴は笑った。
なんだろう。
一見無責任と取られてもおかしくない、そんな言葉に俺は自分の芯を揺さぶられた様な気がした。
美綴や一成や、学校のみんなにとっては重大な事件だが、俺と桜、この二人の間に限っては───
───ほんの些細なすれ違いに過ぎないと、美綴は云うのだろうか。
「あんたと桜は三年間一緒にいるんだ。そりゃ付き合いの長さで云えば柳洞の方が長いけど、深さなら間違いなく衛宮だよ」
「ああ。単なる先輩に過ぎない俺達の言葉は彼女に届いても
「親しき仲にも礼儀ありって言うけどさ、遠慮と礼儀は全くの別もんだよ。なぁなぁで距離を取り続けるより、ぶつかるくらい近付いちまった方がよっぽど良いと私は思うわけ」
なんとも、無茶を言ってくれる。
でも。
それは間違いなく正しい事だと思えた。
「………ありがとな。一成、美綴」
「なに、礼を言われる程の事ではない」
「うしっ!んじゃ話も纏まったし、善は急げだ。早速1年の教室に乗り込んd」
キーンコーンカーンコーン
チャイムが、鳴った。
昼休みが、終わった。
「……………」
「………えっと、放課後でも十分間に合うんじゃないか?」
「…まぁ、そうだな」
そんな感じで方針は決まったが、結局その場で足踏みをする羽目になった。
昼食を抜いた状態で受ける授業はそれなりにキツかった事をここに明記しておく。
∵∵∵
ダンッ、と鈍い音が射場に木霊する。
また、外してしまった。
今朝の朝練と同じ、射った矢が的に全然中らない。
既に的の周りは外した矢に埋め尽くされて剣山の様になってしまっている。
私は今、弓道場に一人居残って只管弓を引いていた。
放課後の部活動時間はとっくに終わっているけど、美綴先輩に我儘を言って自分だけ残して貰った。
今は、兎に角一人で思考に没頭出来る環境が欲しくて。
意外にも美綴先輩は何も聞かずに許可をくれた。
兄さんには少し小言を言われてしまったけど、ちゃんと後片付けをして夕飯を作れる時間には帰る事を伝えたら許して貰えた。
普段から周りには規則の遵守を強制している自分が、こんな事をしてしまっている。
今日はやる事為す事、どんなに些細な物事でも自己嫌悪に繋がってしまう。
思わず溜め息が溢れる、胸の奥に沈澱した重たい鉛の様な心を吐き出そうとしての行為だ。
当然、意味は無いけれど。
(…全然集中出来ない……)
重い、痛い、苦しい。
魔術師として努力をしてきた約9年間、辛い局面は幾らでもあった。
でも、それらは投げ出さず頑張り続ければ乗り越える事が出来た。
魔術師は常に孤独、代々一子相伝で受け継いできた神秘を外部に漏らしてはならない以上、それは必定です。
だから抱え込んできた辛さは、常に自分だけの問題だった。
だから何も迷うことなく、愚直に前進し続ける事が出来た。
なのに。
こんな土壇場で。
(どうしてですか…先輩)
今朝見てしまった、あの光景が忘れられない。
いや、聖杯戦争の参加者である自分が
先輩の左手に浮かんでいた痣、あれは間違いなく聖痕、聖杯戦争のマスターとして認められた者のみに刻まれる令呪の前段階のものだ。
それを持っている以上、答えは明白。
先輩は魔術師だった。
自分で導き出した答えを、どうしても心が受け入れてくれない。
(ううん、違う……ただ単に認めたくなくて否定している訳じゃない。そもそもおかしい部分がありすぎる)
そう、もし先輩が魔術師ならこれまでの3年間の生活に根本的な矛盾が生まれてしまうのです。
まず自分が先輩を魔術師だと見抜けなかったというのがおかしい。
自惚れるつもりは無いですが、これでも人生の大半を魔道に費やしてきたのです。
先輩がどれ程巧妙に隠していたとしても、必ずどこかで気配というか、神秘の片鱗に気付く事が出来た筈なんです。
でも事実として私はそれに気付けなかった。
つまり、先輩は私なんかより圧倒的に優れた魔術師。
若しくは、魔術の才能を有するだけの一般人。
おそらくこの二つの内のどちらかなのだが、個人的には後者だと推測しています。
そもそも前者だった場合、先輩と私は今の様な関係になれていなかった筈です。
もし先輩が私より優れた魔術師なら、初めて会ったあの時私を魔術師だと見抜けた筈。
それなら他所の家の魔術師である私を…いや、魔術師じゃない一般人だとしても、神秘を秘匿している自身のホームに上げたりなんかしないでしょう。
でも私は事実として、この3年間先輩の家に何度も訪れている。
玄関とリビングに通すくらいならまだセーフですが、間取りは疎か家具の置き場、洗剤や調味料の予備のしまい場所etc…先輩の家で私が知らない場所は無いと言っても過言ではない状態です。
自分の家を丸裸にされるなんて魔術師にとっては絶対に避けなければならない事なのに、先輩がそれらを気にした事は一度も無い。
そもそもこれだけ見て回っても先輩の家には工房どころか魔術の形跡すら一切無かった。
これらの事を考慮すると、やはり先輩は魔術師なんかじゃなく、ただ単に才能を、魔術回路を有しているだけの一般人と考えた方が自然でしょう。
でも、それはあくまで希望的観測に過ぎない。
ひょっとしたら先輩は私なんか足元にも及ばない程の凄まじい魔術師なのかもしれない。
ひょっとしたら先輩は私が魔術師だと見抜いた上で私を招き入れたのかもしれない。
ひょっとしたら先輩は私から間桐の秘術を掠め取るつもりで家族ごっこに興じているのかもしれない。
ひょっとしたら先輩はそれら全てを計算ずくの上で、自分に慕情を抱く馬鹿な
(違うっ!!!!)
違う。
それは絶対に違う。
(有り得ないっ!!!!!!!)
そう、有り得ない。
幾らなんでも飛躍しすぎだ。
(先輩は…先輩は…)
でも、信じきれない。
信じたいのに、心が揺れる。
怖くて、身体の芯がぶれる。
ダンッ!
矢は、また外れた。
腕から力が抜けて弓を握ったまま垂れ下がる。
息が苦しい。
胸が痛い。
貧血になったかの様な脱力感が全身を襲う。
心が物理的な重さを持ったようだ。
脚が折れる。
腰が砕ける。
臓腑が潰れる。
そのまま床にへたり込み、俯くと同時に全てが沈んで、溶けていって、落ちていって、駄目になる。
体は無傷のまま、心だけを殺されてしまった。
(どうすればいいの…?)
極端な話、先輩が魔術師なのか、そうじゃないのかはもうどうでもいい。
重要なのは先輩が聖杯戦争の参加者だということだ。
参加者である以上は、みんな敵。
先輩が私の敵になる…いや、サーヴァントを引き連れているんだ、私はもう現時点で先輩の敵なんだ。
戦わなくちゃいけない。
誰と?
先輩と。
先輩と?
いや。
(そんなことできない…!)
嫌だ。
絶対に嫌だ。
綺麗なあの人を、尊いあの人を、私なんかが傷付けていい筈がない。
姉さんが私を敵として見てくれた時は凄く嬉しかったのに、先輩が私を敵として見るなんて想像しただけで震えが止まらなくなる。
(私は弱い…!)
何も。
お爺様を殺したあの時から、自分は何も成長していない。
周りからの愛を失う事が怖くて、一人になるのが怖くて、いざという時泣いてばかり。
姉さんなら、姉さんならこんな時も絶対に迷わず意志を貫き通す事が出来る筈なのに。
姉さんはお父様が死んだ時も、お母様を喪った時も、常に強くあり続けていたのに。
私と姉さんの差はずっと昔から縮まってなんかいなかったんだ。
醜い。儚い。弱い。惨め。愚か…
ごめんなさい。
(ごめんなさい…!)
口から嗚咽が溢れる。
心の中に浮かんだのは、情けない自身への罵倒の言葉。
そして、謝罪の言葉。
誰に対しての?
自分を認めてくれたお父様への。
命を奪ってしまったお爺様への。
自分を敵と見なしてくれた姉さんへの。
先輩への。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
『サクラ…』
「…ごめんね、ごめんねライダー…こんなんじゃ、私…」
只管謝りながら泣き続ける私を、霊体化したライダーが背後から抱き締めてくれる。
温かい。
安心する。
『大丈夫ですよサクラ』
「ライダー…」
『貴女がその儚い身の内に何を秘めているのか、私には測りかねます…ですが私は、サーヴァントである私だけは、何があっても貴女の味方であり続けます』
ライダーの言葉が肌に染み渡る。
ああ、大丈夫。
まだ大丈夫だ。
自分はまだ完全に折れていない。
この9年間で、精神の最終防衛ラインはギリギリキープ出来るようになってる。
支えてくれる人が居るんだ、どんなに弱くても歩き続ける事は出来る。
なのに、まだ落ち着かない。
(考えなくちゃ)
今後の活動方針を。
軸がぶれてちゃ最適な行動なんてとれる筈もない。
(まずはやっぱり、色々確かめる必要がある。先輩の事も気になるけど、他にも各マスターとサーヴァントの能力、動向、拠点…それらが何時先輩や私に向くかを見極めないと)
情報収集。
自身の考えを纏める為の時間も欲しいんだし、最初は静観の方が無難かもしれない。
急いては事を仕損じると、お爺様の件で私は学んだのです。
(今日はもう帰ろう。弓に頼ってもあまり集中出来なかったし…あ、後片付け…)
「桜?」
「っ!?」
数瞬、心臓が停まった。
肺の中に氷塊が出来たように、息が冷たく感じる。
ブワリッ、と一瞬で背筋に汗が浮かんだ。
名前を呼ばれたんだ。
振り向かなくちゃ。
なのに出来ない。
怖い。
凄く怖い。
立ち直りかけた心がまた挫けそうになっている。
「桜?おーい桜。どうしたんだ、聞こえないのか?」
「……せ、ん…ぱい?」
全身全霊で声を絞り出した。
ありったけの勇気を振り絞って振り向いた。
「桜…!?おい、ほんとにどうしたんだ!顔グシャグシャだぞ!?」
先輩が慌てた様子で駆け寄ってくれる。
嬉しいのに苦しい。
「大丈夫、です。ちょっと気分、が…」
「大丈夫な訳あるか!なんで……なんて辛そうな顔してんだよ」
ライダーが私から離れるのと入れ替わりに、先輩が私の肩を掴む。
先輩は全く気付いていないようだ。
「ほんとにだい、じょうぶです。私、後片付けしないといけないので…」
「それは俺がやる。桜は休んでろ」
「だ、駄目です!これは私の責任で…」
「桜」
先輩が視線の高さを私に合わせて見つめてきた。
逸らす事が出来ない。
見つめ返す事しか出来ない。
「頼む、休んでくれ。今の桜は放っておけない」
「先輩…」
「ったく、慎二も美綴も…何が大丈夫だよ。こんな状態の桜を一人にするなんて」
そうか。
兄さんか、美綴先輩か、或いは二人共に私の居場所を聞いて先輩は来てくれたんだ。
でもそれは違う。
二人は何も悪くない。
「違うんです先輩。私が我儘言っちゃったから…全部、全部私が悪いんです。私が弱いから…一人じゃ何も出来ない、駄目な子だから」
「何言ってんだ、桜は悪くない。悪いのは…悪いのは…………」
「……?」
先輩の瞳が揺れる。
その表情は、何かを後悔している様で。
知っている。
この表情を私は知っている。
自らを責めている時の、私にそっくりだ。
「先輩…?」
「…兎に角、桜は此処に居てくれ。片付けは俺がやる。どっちみち今日は送っていくつもりだったんだ。気にしないでくれ」
そう言うと先輩はポケットから出したハンカチを私に押し付けて片付けを始めてしまった。
返事をする間も無く。
私は言われた通りその場で座って待っていることしか出来なかった。
∵∵∵
昨夜と同じで月が綺麗だ。
空気が澄み渡り、凪いでいる。
大気の揺らぎに邪魔される事なく大地まで辿り着いた月光の反射が周囲を照らし尽くしている。
外灯なんて必要無いんじゃないかという程だ。
「すっかり遅くなっちゃったなー」
「そう、ですね…」
今私は先輩と一緒に帰路に着いている。
本来の部活動が終了してから随分長い時間弓を引いていたし、結局片付けを先輩一人に任せてしまったせいでかなり遅くなってしまった。
ライダーがいる私にとって…いや、そうでなくとも魔術師である私ならそこらの不審者なんてどうとでも対処出来る。
だから私なんかに構わず、先輩には早く家に帰って欲しかったのに…。
断り切れなかった。
未練がましくも、あの温かな日常の残滓に
みっともない。
やっぱり、私は弱い。
「ごめんなさい先輩。私のせいでこんなに遅く…」
「何言ってるんだ、桜のせいじゃない。俺がお前の所に行った時点で結構な時間だったんだ。どっちみち大差は無かったよ」
そう言った先輩の声色はとても優しかった。
表情はあまり変わっていないけど、心から相手を気遣っているという事が感じられる。
「寧ろ、俺の方こそ悪かった。もっと上手くやる事も出来たのに」
「え?」
先輩に謝られた。
何故?
思い当たる節が全く無い。
「桜の様子がおかしいって事には今朝の時点で気付いてたんだ。多分、俺に原因があるって事も」
「…!」
嘘。
そん、な。
「なのに踏ん切りがつけれなくて、最終的に後回しにしちまった。一日くらいなら大丈夫だろうって、なんの根拠も無しに決め付けて…結局、桜が苦しんでる時に側に居てやる事が出来なかった。家族の、誰よりも
「違いますっ!!!」
「!?」
違う。
そんなのは、違う。
思わず叫んでいた。
この人は、どうして。
「どうして…どうしてなんですか先輩」
「桜…?」
「どうしてそうやって…何でも自分のせいにしようとするんですか。先輩は誰よりも綺麗なのに…尊い人なのに…何で自分を卑下するんですか」
口が止まらない。
感情が沸き上がっている。
ここで全てをぶつけないといけない気がした。
「先輩は悪くないです…誰も悪くないんです。悪いのは全部私なんです。先輩は何時だって綺麗で、何時だって
「いや、いやいやいやいや……それ思いっきりブーメランだぞ桜」
「へ?」
きょとん、と。
呆気に取られてしまう。
どこか
「桜…お前は何でいっつもそうやって自分のせいにするんだ。お前が悪いなんて、周りの奴は誰一人思っちゃいない。誰かにそう言われた事があるのか?」
「え…え…?」
「悪くない。悪くないんだよ桜は。お前は何時だって、誰よりも綺麗なんだ。お前の尊さを、俺は誰よりも知ってる。
だから…それ以上、
反応が出来ない。
頭は既に空っぽだった。
なんで、なんでそんな事を言ってくれるんですか先輩。
お父様も、お爺様も、姉さんも、先輩も。
私にそんな価値無いのに。
どうしてこの世界は、
「……………先、輩」
「ん?」
恐怖はもう、消えていた。
再び失いかけた誇りに、三度
先輩が魔術師だろうと、魔術師でなかろうと、最早私には関係ない。
私はこの人を愛してる。
私を愛してくれた、世界の全てを愛してる。
そんな世界から、この人から与えられる痛みなら、苦しみなら、私は喜んで受け入れる。
何を怖れる事がある。
愛に応えられる事の、なんて尊さ。
「先輩は、魔術師ですか?」
「─────え」
「私も、魔術師なんです」
「 」
訊いた。
告げた。
先輩の応えを待つ。
先輩。
どんな応えも、私は受け入れます。
だって、貴女が好きですから。
魔術師として、一人の人間として、後悔しない選択を。
自分を偽る日常は捨てる。
たとえ先輩に受け入れて貰えなくとも、此処で先輩との関係が終わろうとも。
本当の
「─────俺、は」
「なにお馬鹿な質問をしてるのサクラ?」
「「!?」」
突然その場に、第三者の声が響き渡る。
鈴が鳴るような、透き通った声。
「衛宮切嗣の息子であるお兄ちゃんが、ただの一般人な筈ないじゃない」
声のした方へ振り向く。
そこには、雪の様に美しい銀髪を持った女の子と、巌のような大男が静かに立っていた。
終わったな(確信)。
ということで漸く聖杯戦争の初戦まで漕ぎ着けましたが…あれ?これヤバくね?
いや自分で書いといてあれなんですが桜ちゃんと士郎君が勝てるビジョンが全く浮かびません。まだセイバー召喚してないのに気が早すぎるぜイリヤちゃんよぉ…!!
この小説の桜ちゃんは自分一人で苦労を背負い込むのは得意ですが、周りの人が関わってくると途端に無茶しちゃう感じですかね。優しすぎるというかメンタルに波があります。
ライダーさん、残念ながら良いところは士郎に持っていかれてしまいました。付き合いの長さが違うし。人前で霊体化解く訳にもいかないし。しょーがないね、うん。攻略までの道は果てしないです。
あと一成君と桜ちゃんの関係はとあるssをリスペクトしております。霊脈の通った柳洞寺で育てた蜂達の蜜は滋養強壮効果が半端無いそうです。意図せずして先輩の鍛練をサポートしてた桜ちゃんマジ
最後にもう一つ。
このヘラクレス、バーサーカーじゃありません(白目)