礼司君は忍びなれども忍ばないそうです。
――まったく、彼は何をやってるんだ!
報道部部長、遊佐鳴子は自室のパソコンとにらめっこしながら一人、叫び声をグッと喉の奥に押し込める。
冷静沈着、智謀策謀に長けていると一部界隈では言われている彼女が、頭をひたすら悩ませ痛め、溜息をつかせる相手は一人の青年。
数週ほど前にこの魔法使い養成機関であるグリモアに入学し、周囲の生徒に多大な勘違いと恐怖感と薄気味悪さを振りまき続けている彼。
自分以外の女性とは全く会話が成り立てない、口下手と言うにはいささかオーバーすぎる彼。
自分のことを男性の親友だと勘違いし、開口一番胸を触ってきた色々と錯乱していた彼。
アニメのネタが通じないと泣きつくような顔で相談してきた残念な彼。
そして――『自分の知らない三つ目の世界』からやってきたという、ある意味哀れでかわいそうな彼。
その名は【網在礼司】、鳴子にとって、転木交生と共に注目しているイレギュラーな人物その2である。
「ああぁ……彼、服部梓とクエストに行ったと思ったらそんなことしていたのかぁ……ほんと、なんてことをしてくれたんだ」
彼女が今現在溜息をついているのはほかでもない、その礼司がクエストに出てそこで行った所業についてだ。
遊佐鳴子は策士である、礼司にこっそりと盗聴器、盗撮具を仕掛けるのは容易なこと。
そこから採取したデータを今、彼女はチェックしているのだが、その内容がひどすぎた。
「あれだけ元の世界についての痕跡をさらすなっていったのに……ああもう、彼は本当にこの世界のことをわかって無い……」
彼女は間違いなくいらだっていた。
冷静沈着で人を食ったような態度に見える普段の姿など見る影もなく、彼女はいらだちを隠しきれない。
――よりにもよって『あの』服部梓の前で、自身の世界で放送されていたテレビ番組のマネを行ってしまうだなんて。
「バカだよ、本当にバカだよ彼は――ああイライラする! というか、忍びを名乗るんなら忍びなよ! なんでデカイ音出して派手に暴れて忍びだとかのたまえるんだ!」
普段の彼女であれば絶対に行うことのない激昂。
どんなに大人に見られていても、結局鳴子は華も恥じらう年頃の女子高生。
まだまだ未熟なままの精神の脆い部分をいともたやすく露出させてしまうほどに、礼司という人間は鳴子にとって衝撃的だったのだ。
――最も、
「しかしどうしたもんかなぁ……服部梓から依頼主――生徒会の方へ礼司君の魔法について報告がされるのは間違いないんだけれど……」
悩みの種である当の礼司は、魔法を使えるという事実そのものに興奮しているために警戒心がない。
梓とのクエスト時に喜々として名乗りを上げたり、技名を叫んだりなどとするだけあって、自分の世界に浸るのが好きだから、もし仮にその世界を共有しようとする人が近づけば彼は隙を見せるだろう。
それではいけない、と鳴子は決意する。
「世界の移動、第三の世界。礼司君の魔法のタネだけじゃなく、これまでばれたら、政府はその世界とのコンタクトを望んで礼司君の身柄を学園に要求するはずだ。」
最も、礼司が異質なだけでその第三世界の人間すべてが礼司のようなことをできるとは限らないが、政府からすればそんな懸念は後回しになるだろう。
であるならば非常によろしくない、ただでさえ彼は『巻き込まれた』存在だ。
あくまでも部外者でしかない彼をこの世界のいざこざに巻き込むのは非常にナンセンスなこと。
「――しかし、第三世界と言うのは僕らの世界と、もう一つの世界、それと全く違うようで同じなんだな」
鳴子は当然、礼司と初めてであった夜のうちに【網在礼司】と言う存在を調査した。
――そして彼女は、この世界に『もう一人の網在礼司』、いや『本来この世界で生きている網在礼司』が存在することを知った。
神奈川県に住んでいる一般市民で、魔法に覚醒していない人物。
見た目などもほとんど類似していて、双子どころか生き写しではないかとも見える存在。
恐らくグリモアに強制入学する話がスムーズに進んだのも、彼の事をその【網在礼司】だと政府の方が勘違いを起こしたからなのだろう。
そこから判断できることは――礼司の世界は自身の知る『二つの世界』の『可能性の一つ』であるということ。
もし霧の魔物が存在しなかったら――もし魔法使いが存在しなかったら――もし人類が何事もなく反映し続けていたら――
この世界における【もしも】、【IF】を体現した世界がその【第三世界】なのだろう。
だからこそ礼司は娯楽に富んでいると語っていた、それは人類が全体的に豊かだったから、滅亡崩壊の危機に陥ってなかったのだから。
「本当に厄介なことだよ……今はまだ礼司しか存在しないからいいが……ほかにも来ている人がいないとは限らない、しかしこれについては礼司の話を聞く限り出現の予測ができないことだから……厄介なものだね」
礼司がこの世界に訪れた時の話を鳴子は聞いている。
彼女はその話を聞いたときに急いで礼司へ口止めを敷くほどに、礼司のきっかけは鳴子にとって予想をはるかに超えたものだった。
――神奈川で乗り換えたら風飛市っていったいどういうことなんだ!
最初は困惑し、同じ質問を数度繰り返すほど困惑していたのだが、礼司の話を聞いているうちに落ち着き、状況考察に戻ることもできた。
その結果やはり落ち着く答えは『異常事態』というもの。
礼司がこの世界にやってきた理屈が判明しない以上、これから第三世界からの来訪者が訪れる可能性がないとは言い切れないし、訪れたとしても判別確認をする方法がない。
鳴子は頭を抱えた。
「なんで僕はこんなことに時間を長々使っているんだ……ああ、そうだ、もっと他にやるべきことがあるじゃないか……そうだね、うん……少しくらいは休憩をしようかな」
鳴子は購買で仕入れたブドウ糖の塊がたくさん入っている袋を開け、中身をポリポリと味わい始める。
好物をひっそり一人で誰にも邪魔されることなく味わう空間は平穏そのもので。
問題である礼司がわざわざ自分に会いに女子寮に来ることもないこの瞬間だけは、鳴子にとって幸せだった。
「……そういえば、僕のことを女装しているとか思ってたけど、もしかして男装したら
ふと彼女の口を突いて出た言葉、鳴子はハッとなり口を押さえる。
――一体何なんだ、今の僕の発言は?
押さえたはずの手はブドウ糖の袋へとすでに伸びており、口は先ほどの制止をなかったかのように再び開く。
「弱ったな、まるでそれじゃあボクが女みたいじゃないか、いや、でも僕は女だったな――」
――おかしい、何故僕の口から僕以外の人らしい発言が出てくる?
鳴子は困惑する。
しかしながら、独りごとのように語り続ける口は止まらない。
そして、それと同時に鳴子の思考にはもやがかかっていく。
「しかし、礼司君は元気だろうか? いや、元気だけど相変わらずってことかな――」
***
遊佐
――
「――うん、目覚めは快調、体調に異常なしっと」
『よいしょ』とベッドから降りた彼は真っ先に部屋を出て、何処かに行こうとする。
――が、ふと立ち止まり、反転し、リビングへと向かう。
なんてことはない、元々彼は起きた直後にシャワーを浴びる生活をしていたのだが、今日はたまたまそんな気分じゃなかったというだけだ。
「ふむ、今日は何やら家から高級納豆のおすそ分けが……いや、無難なもので行こうかな」
遊佐鳴斗はお坊ちゃまである、現在学生生活の都合に伴って独り暮らしをしているが、今日の様に実家から時々高級食材のおすそ分けが届くようになっている。
少々独り暮らしにしては部屋取りが大きいのも、ワンルームだと生活が不便だろうという親ばかによって与えられたものだから。
――しかし、今日の
無難な白米と海苔、電子レンジで用意できる焼き魚などを食し、彼は再び寝室に戻る。
「……ふむ、まぁいつも通りの部屋だね、変なところもなし――っと」
数度うなずく鳴斗、彼がいる部屋はごくごく普通の部屋。
ベッドと着替えと、そしてデスクにあるノートパソコンと勉強道具。
如何にも学生らしい寝室だが、そこにはポツンと一つだけ目立つものがあった。
「さてさて、ゆっくりしていたらもう出る時間だ、急がないと――そういえば、礼司君を久々に見た気がするな」
鳴斗は机に置かれた写真立てを見ながらポツリと漏らす。
その写真に写っていたのは、
***
「――――ハッ!?」
遊佐鳴子は自室で目覚めた。
どうやら居眠りをしていたらしく、イスに深く腰掛けた姿勢のままだった。
少し体を動かしてみると、痛みと軋みで体から音が鳴っていく。
どうやら長い時間居眠りをこいていたようだ。
「――なんだか夢を見ていたような……」
頭にもやがかかっていて夢の内容を思い出せない。
時計を見ると既に消灯時間を大幅に過ぎているようで、このまま起きていては間違いなく風紀委員に乗りこまれかねない。
ただでさえ危険人物扱いの自分が、こういう形で隙を見せていたら何をさらされるかたまったものではない。
「……寝よう、何か調べなきゃいけないこともあったけど、思い出せないしね」
独りごちながら鳴子は部屋の電気を消し、布団へ潜る。
夢の狭間に墜ちる瞬間、彼女はふと自分のするべきことを思い出した。
――明日、礼司君にはよく言い聞かせないとなぁ。
グリモワールパーソナル
・遊佐鳴斗
礼司のもといた世界での親友。
鳴子と違い、豪華なものには慣れている。
礼司の女性免疫に危機感を抱き、時々合コンのセッティングなども行う贅沢な援助をしていた。