バカは八人に分身しました。
≪ああ! 礼司様がどこにも! こちらのどこにもいないのです!≫
暗闇に呑まれた街並みの中、屋根から屋根へと伝いながら、襟元の通信道具に悲痛な声を挙げる自分(他人)を、一人の少女は見た。
<落ち着くんだ、彼なら無事だよ>
≪そんなことがあるわけございません! お姿も見えず、ご自宅にもお帰りになさらず、最後に見たのは数日前、私の監視をすり抜け、煙のように消えてしまうなど!≫
<うん、僕としては君がなぜ、僕よりも彼の監視の方を優先して行っているかの方が気になってしまうのだけど、それはまぁいい>
耳につけたイヤホンからは聞きなれた声。
間違えるはずもない、礼司ととても親しい遊佐鳴斗(鳴子)の声である。
<ともあれ、大丈夫だ。彼は今別のところにいる、僕でも半信半疑ではあるけれど、ただの夢にしては現実的過ぎてね>
≪夢? 遊佐様、いったい何を――≫
<自身の意識に一度ゆだねてみるといい、すぐに気づける。すぐにみられるさ――>
突如、自分(彼女)の意識が暗転する。
声に身を任せた、声の主は信頼に足る(疑うべき)人物だから(なのに)。
世界は黒く、闇の中へと消える――
<――
***
~第七次侵攻9日目~
「――部――服部――服部梓!」
「はっ、私は――ここは?」
「何を寝ぼけている。服部梓、私を差し置いてゆっくりと休息をとるとは生意気なものだ」
服部梓(梢)は目を覚ました。
そこは見知らぬ(見慣れた)戦場、隣にいたのはこれまた見知らぬ(見慣れた)野獣のような女――生天目つかさ。
いや、女と呼んでもいいのだろうか、と彼女は思案する。
女ならばもう少し目の奥にある殺意を抑えるべきであるし、ぼろぼろの肌と髪に対するケアが足りなさすぎる。
――ああ、この者は恋をしていないのですね――
彼女は一人納得する。
想う相手がいるのならば、恋い焦がれる何かが存在するならもう少し綺麗であろうとする。
つかさはその点、綺麗であろうというよりもただただ泥臭く見える――というのは彼女の一方的な結論。
「……服部梓――いや、貴様は……なんだ?」
「!?」
彼女は飛びのいた。
それだけつかさの言葉が衝撃的だったのだろう。
――呼び名は同じだが、明らかに私ではない私(・)のことを呼んだ……なぜ気づいた?
彼女は紛れもない服部梓、だが同様に服部梓ではない。
彼女の名は梢、正しき名は服部半蔵、幾代目かの没落した伊賀忍の若き頭領でありつつも、ただ一人の男に恋い焦がれた忍。
だが、その身姿は全く同じ、双子ではない同一の存在である。
「貴様はどこか匂う。匂いが違う、同じ服部梓の匂いであるにもかかわらずだ」
――やはり、獣か?
梢はあきれるしかない、それとともに状況を整理する。
――簡単に情報はあった、梓(自分)の頭の中に。
そして見つけた――愛しき、大事な存在のことを。
(ああ! 礼司様はいらっしゃった! この女……忍の癖にあのお方にお姿をさらすなんて――ああダメよ梢、ここは勝手が違うの、慣れるのが大事、最初はゲテモノでも自然と好きになれるってあの方は言い聞かせてくれてるの、きっと私もすぐにここの雰囲気になれるはず!)
頭のねじをいろいろとフッ飛ばしたような思考を巡らせる現代服部家の長。
それでいいのかといいたいことも多くなるが、もともと彼女が惚れた男自体が頭のねじを行方不明にしたかのような輩であるので納得してしまった方が早い。
なお、ここでいう彼の慣れる慣れないという話は別に梢に直接言ったわけではない。
ただ単に『新しいヒーローって最近は最初がゲテモノだけどいずれカッコいいなって慣れるものだよな』という話を鳴斗としていたものを、彼女が勝手に『自分への警告』みたいな都合のいい認識へと変えているに過ぎない。
そもそも彼女はその姿を忍ゆえに彼の前へとさらさないのだから、彼女への警告以前の話のはずなのだが。
「……チッ、興がそがれた。私は向こうへ行く」
「……どうぞご勝手に、礼司様の邪魔さえしなければどことなりとも行ってくださいまし」
「……礼司? まぁいい、好きにしろ」
――なんて失礼な、やはり知性の足りない獣か――
そう梢は断じた。
理由は単純、つかさが対して親しくもない礼司のことを呼び捨てにしたからだ。
ましてや礼司のことを知らないそぶり、一方的に決闘をたたきつけた挙句ボコボコに戦い慣れしていない礼司を襲っておいて、何故素知らぬ顔をできるのか。
――背後からぶち殺してくれようか、幸いにも技術と道具はこの体の方が潤沢だ――
一時そう考える彼女だったが、今やるべきは礼司の雄姿をこの目に収めること。
どうやら今の礼司は八人に分身してツーマンセルになり戦場の各地へ跳んだらしい。
――さすが礼司様、何て無駄のないご判断――
普通に考えれば分身したことに疑問を抱くべき事案なのだが、礼司に陶酔している梢からすれば『いつかはやると思った』という理由で全然問題なく受け入れてしまう。
はてさて、いったいどこの礼司を拝謁しに行くべきか――
そう悩む梢のデバイスに、メッセージが届く。
送り主は生徒会副会長の水瀬薫子――愛しの礼司に不信感を抱き監視させる不届きもの。
内容は――
「……帰還しろと? 折角礼司様の雄姿の拝謁をできる希少な機会だというのに……」
至急話し合う要件在り、本部まで帰還せよというもの。
梢はただあの女、礼司との逢瀬まで邪魔立てするのか――と殺意をたぎらせる。
――いや、しかしここは素直に出向いた方がいいだろう――
殺意を封じ、冷静に考え始める梢。
もしこの話し合いが礼司に関することだとするのならば、それは必ず出向き、自身が礼司とともに入れる時間を一分一秒でも増やせるように交渉したい。
そう決意し、体の向きを変えようとした矢先――世界が暗転した。
***
「――さ――あ――服――服――梓――服部梓!」
「――はっ! ここはだれ! 自分はどこッス!」
「まったく、会議中に居眠りとはな……こちらもいろいろ無理を押し付けたなとは思っているが」
「いっいや、申しわけないッス! 誠に申し訳ない!」
服部梓が目を覚ますと、そこは第七次侵攻の作戦会議室だった。
はてさて、自分は居眠りをこき、ろくに話を聞いていなかったような気がするが――
(なんで会議の内容はあらかた頭に入ってるッスかねぇ)
なぜか会議のことは大体わかっていた。
魔物の数が急激に減ったこと、発生数も同じく。そして網在礼司についての戒厳令など。
――まぁいいか、と彼女は疑問を放り投げる。
そんなことより、と立ち上がりいずこかへと向かう梓。
すでに礼司が暴れ始めてから三日目。
人数は八人から一人に減ったものの、戦い方自体はあまり変わっていない。
いろいろとメダルのようなものを入れ替えながらいろんな生物の能力を使い分けている。
電気を出したり跳んだり炎を出したり飛んだり飛ばしたり蛇を出したり、もう何が何だかわからないはず――なのだが、なぜか梓にはその力がどんなものかわかっていた。
(礼司様はまさか空想の力を現実にしてしまうとは、遊佐センパイが必死に秘匿するのも仕方がないッスね……)
しかし彼女は気づいていない。
その知識は鳴子がおかしくなった理由と同じ、≪観測外の世界から持ち込まれた同一人物の知識≫であることに。
ゆえにわからない。
服部梓はすでに、服部梢でもあるということに――
グリモワールパーソナル
・梢(服部半蔵)
礼司がもともと生活していた第三世界における服部梓当人。
現代における服部半蔵その人だが、この世界のこの時代ではすでに服部家――伊賀忍は没落。
そこを大金持ちの遊佐鳴斗にやとわれ、伊賀忍一族は遊佐家のSPになっている。
中でも鳴斗を直接護衛するのが半蔵――だったはずだが、彼の親友である礼司に一目ぼれ。
さらには変装して警護していた際、悪漢たちから自分のことを助けてくれたことで
(半蔵一人でも大したことなく勝てるが、礼司の男気、優しさに)
さらに彼へ惚れる。
半蔵という名はそれなりに有名なので、仮の名前として梢と名乗っている。
なお礼司と直接話したのは、上記の件以外では全く。
つまりヤンが入ったストーカー気質の忍者様である。