さて、時は流れアカネも三歳となっていた。すくすく育ったアカネは肉体が大分思い通りに動くようになって来ていた。
長きに渡る人生に、多くの転生。この中で一番辛いのが成長過程の期間である。
どうしてもまともに体は動いてくれず、かつては丸三日寝ずに闘えていた体力は見る影もない。
成長して体がまともに動くようになっても、体力は一から付け直さなくてはならないのだ。これがまた苦行だった。
技術面ではしばらく修行していなかった分の錆落としや、新たな肉体と技との齟齬を無くしていけばいいのだが、体力は本当にひたすら反復して付け直すしかないのだ。
こればかりは本当にうんざりする事もあるアカネだった。
それでも毎日の様に幼い体に無理が行かない程度に走りこみを続ける日々を送るアカネ。
そんな日々にとうとう転機が訪れた。そう、アカネに呪印を刻む日がやって来たのである。
「父上、本日はヒナタ様のお誕生日なのですね」
「……うむ。宗家の嫡子であるヒナタ様の二歳の誕生日だ。今日は盛大な祝いとなるだろう。その目出度い席に我らの様な分家の端くれも招待して下さったのだ。決して無礼な事をしてはいけないぞ」
「かしこまりました父上」
宗家の目出度い席に招待された事を光栄と言うが、アカネの父である日向ソウは浮かない顔であった。
それはアカネも察していた。そしてその理由も。
宗家に何らかの祝い事があり、それに招待される分家の者の中に呪印が刻まれていない幼子がいる。
幼子の内に宗家という超えられない絶対の壁を刷り込み、幼子の内に呪印を刻む事で呪印が当たり前の物だと刷り込む。そうするには盛大な祝いの日が都合良い。
盛大であればあるほど、多くの分家が宗家に傅いている姿を見れば見るほど、その眼には宗家が絶対として映るのだから。
自分の子に呪印を刻まれる。その一生を宗家という大きな籠の中で飼い殺しにされる決定的な楔を刻まれるのだ。それを喜ぶ親は少ないだろう。
いや、日向にあっては少なくはなかった。分家は宗家の為に命を賭して忠誠を誓う事が当たり前だと思っている分家の人間は多い。そしてそれは決して間違った考えでもなかった。
宗家という日向にあって最も重要な血を未来永劫残すのは一族として当然の義務なのだから。
そしてこれはアカネも否定はしていなかった。そういう伝統によって残されていく文化や因習は古き歴史を知る貴重な宝にもなるのだから。
「うむ。流石はオレとホノカの子どもだ! きっと宗家の方々もアカネを気に入って下さるさ!」
ソウはすぐに浮かなかった表情を隠し、アカネを不安がらせない様に努めた。
それがアカネには逆に辛い。実は前世の記憶や力を引き継いでいます、等と口が裂けても言えない気持ちになってしまうのだ。
だが今日はそれを宗家だけでなく、父と母にも教えるつもりであった。隠したままでは呪印を刻めない理由を教える事が出来ないだろう。
いや、そういう特異体質であると誤魔化す事は出来るかもしれないが、このまま誤魔化したままでいるのは少々気が引けたのだ。
(これでヒヨリとしての立場を得る必要がなければずっと二人の子どものままでいられたのになぁ……)
覚悟は決めていてもそう思わずにはいられない。覚悟とは、父と母に捨てられる覚悟である。前世を告げるならばそうなる可能性は大いにあるのだ。
そうしなければならない原因を作り出した九尾復活の裏にいる犯人。そいつは絶対に許さないと改めて誓うアカネであった。
「アカネは宗家のお屋敷は初めてでしたね」
「はい母上」
等と言っているが、もちろん初めてなのはアカネとしてである。
ヒヨリ時代では実家として使用していたのだ。知らない場所など殆どなかった。まあ改築や増築などされていれば話は別だが。
かつての我が家を思い出しつつ、アカネは父と母に連れられて懐かしき宗家の屋敷へと赴いた。
「ヒアシ様、ヒナタ様のお誕生日おめでとうございます」
「うむ。足労だったなソウよ」
「勿体無いお言葉です」
日向ヒナタの誕生祝いが盛大に開かれ、そして長き歴史を持つ日向らしく厳かに終えようとしていた。
そして全てが終わる前に、最後のしきたりが行われようとしていた。
「それではソウよ。娘をしばし預かるぞ」
「……はい」
全ては宗家の、ひいては日向一族の為。心が痛むがそう納得し、ソウはヒアシの言葉に頷いた。
「アカネだったな。付いて来るのだ」
「はい」
アカネはヒアシの後を付いていく。ここでヒアシに全てを話すわけにはいかない。周囲には多くの分家の者がいるからだ。
前世について教えるのは当主であるヒアシとその父の長老、そして父と母だけで十分だ。それ以上は情報の漏洩という危険性も考えると秘密にしておくべきだろう。
なので一度ヒアシに付いて行き、周囲に人がいなくなった時を見計らって話を持ち出すつもりなのだ。
ヒアシの後を追いながら、宗家の屋敷を見渡すアカネ。そのほとんどは記憶にある通りだった。
かつての我が家の懐かしさに目移りしているアカネを、ヒアシは初めて訪れる宗家の屋敷に興味津々なのだろうと思っていた。
聞いた話では三歳にして天才と言われる分家の寵児との事だったが、こうして見ると年齢に相応な少女だとヒアシは感じていた。
だが歳相応であるのは悪い事ではない。優秀であれば多少は眼を瞑れるだろう。これくらいで期待外れだと感じる事もない。
それに分家の者だからと言って宗家より劣るとは限らない。ヒアシは双子の弟を思い浮かべて僅かに顔をしかめる。
宗家に産まれた双子。それがヒアシとその弟ヒザシだ。
殆ど産まれたタイミングは同じだが、僅かに早く産まれたヒアシは兄に、僅かに遅く産まれたヒザシは弟という立場になった。
そしてその僅かな時間で出来た立場の差は、後に大きな差となったのだ。
兄のヒアシは宗家の当主となり、弟のヒザシは分家の一門に落ちたのだ。
同じ宗家の人間として生まれ、容姿も実力も互角でありながら、産まれたタイミングが僅かに違っただけで決定的な立場の差が出来てしまった。
かつては兄弟として振舞えたが、今ではそれもままならない。当主としての立場が、分家としての立場がそれを許さないのだ。
今でもヒアシは弟が当主の座を継げば良かったと思っている。
周囲からは互角と言われていた二人の実力だが、ヒアシはそうは思っていない。ヒザシの方に僅かにだが日向の才の天秤は傾いていたと実感していたのだ。
だが、ほんの僅かな差は周囲には理解されず、また理解されたとしてもその程度の差では弟であるヒザシが日向の当主となる事は出来なかっただろう。日向という伝統ある名家において兄弟の差を覆すには、圧倒的な力量差が必要となるのだ。
ヒアシはそんな過去を思い出し、僅かに残ったしこりの様なモノが胸に去来する。だが、ヒアシはすぐに気を取り直す。
そして後ろから聞こえた恐ろしい言葉を耳にして、驚愕と共に後ろを振り向いた。
「ヒザシの事を気にしているのですか?」
「!?」
その言葉自体は、特に恐ろしいと言えるものではないだろう。
だが、この場所で、この時に、そしてこの者が、自身に放ったとなれば話は大きく変わる。
何故たった今考えていた事を、僅か三歳の幼子がぴたりと言い当てられるのだ。
心や記憶を読む術などヒアシの記憶にはあるにはあるが、それは相応の術者が入念な準備と長い時間を掛けて行える術だ。
そんな術を掛けられた記憶など当然ヒアシにはなく、そもそもたった今思考していた事をヒアシに術を掛けられたと認識させずに一瞬で読み取る事など出来る訳がない。
ならばヒアシがヒザシに対して負い目を感じている事を知っていて鎌をかけたというと、それも考えがたい。
相手は三歳の少女なのだ。ヒアシとヒザシの確執など知る由もなく、例え分家の誰か――この場合は両親の可能性が高い――が教えていたとしても、この場でこのタイミングで確認してくるものだろうか?
ありえない。それがヒアシの見解だ。だからこそヒアシの中で目の前の少女が一瞬で不審人物へと変化していった。
「貴様何者だ」
日向アカネに化けている別人、もしくは日向アカネの精神を乗っ取った何者か。
いずれにせよ日向に、ひいては木ノ葉に仇なす存在だろう。ヒアシは瞬時に臨戦体勢を取り、両目の白眼を発動させた。
「いや、驚かせてすみませんヒアシ」
「……答えぬか。ならば――」
もはや問答不要。言葉を捨て力にて答えを聞きだそうとするヒアシ。
柔拳にて相手の経絡系にチャクラを流し込み、死なない程度に痛めつけようとして――
――その攻撃は、アカネを覆うチャクラの塊にて弾かれた。
「なっ?!」
――馬鹿な! これは……!
自身の攻撃を弾いた防御法。それにヒアシは見覚えがあった。
日向宗家に代々口伝にて伝えられる秘術・回天。それは全身のチャクラ穴からチャクラを多量に放出し、そのチャクラで攻撃を受け止めるというもの。
そして更にそこから自身の体をコマの様に高速回転させる事であらゆる攻撃をいなして弾き返す。
これは日向でも柔拳を極めて高いレベルで習得した者しか体得出来ない奥義である。
チャクラ穴から放出されるチャクラはコントロールが難しく、上忍と言えども手や足や体の一部からの放出を術や技に利用するのが限界だ。
それを全身で可能とさせるのが柔拳の極意である。そしてそれを可能としているのが白眼であろう。
白眼により全身のチャクラ穴から放出されるチャクラを認識し制御する事が出来る日向だからこその秘奥であった。
だが、アカネがたった今ヒアシの前で披露した防御法は回天であって回天でない似て非なるものだった。
回天とはチャクラを放出し、己の体を回転させて敵の攻撃を弾き返す技だが、先のアカネはその身を一切回転させていなかったのだ。
それはかつてヒアシが先々代の当主であった木ノ葉の伝説の三忍、日向ヒヨリに見せられた回天を超える奥義・廻天。
己の身ではなく全身から放出されるチャクラその物を高速回転させる秘中の秘であった。
この廻天の利点は自分が回転していないという点につきる。
回天であれば敵の攻撃をその場で弾くしか出来ないが、廻天であれば敵の攻撃を弾きながら移動したり、別の行動を取る事が出来るのだ。
その自由度の差は非常に大きな違いを生み出す事になるだろう。だが、チャクラを全身から放出し、かつ敵の攻撃を弾けるレベルで高速回転させるには非常に高度なチャクラ制御を要する。
なのでこの術を考案したヒヨリ以外には先代も現当主であるヒアシも体得する事が出来なかった奥義なのだ。当然回天すら伝えられていない分家に至っては言うまでもない。
だが、その秘奥の術を僅か三歳の、しかも分家の者が披露してみせる。今のヒアシの驚愕はいかほどか。
「お前は……一体……!」
「ふむ……白眼で見ても分からないのか?」
だとしたら少し面倒だな。等と呟くアカネに対し、ヒアシは驚愕に染まりつつも白眼にてアカネの肉体を見つめる。
そして、唐突に信じがたい事実に気付いた。
「こ、このチャクラの色! まさか、いやそんな馬鹿な……だが、確かに……!」
ヒアシの白眼に映る忘れようもない色のチャクラ。そしてヒヨリのみしか体得出来ていない廻天。自身とヒザシの確執に、それを見抜く洞察力。
その全てがヒアシの中で繋がっていった。
「良かった。どうやら気付いてくれたようですね。久しぶりだねヒアシ。言葉を交わすのは私の死の間際だから……4年振りくらいか?」
「まさか……ひ、ヒヨリ様……なのですか……!?」
こうも多くの動かぬ証拠を見せ付けられたヒアシはその答え以外は出てこなかった。
齢四歳にしてただならぬ雰囲気を発しているアカネに気圧されてヒアシは二の句が継げなくなっている。
もっとも、アカネはヒアシが理解してくれた事が嬉しくてただ笑っていただけなのだが。
「良ければ貴方と長老……ヒルマと話がしたいのです。あと、私の父と母も一緒に。内密の話なので、場所は選んでください」
「うむ、は、いや、いえ……分かりました」
あまりの出来事にアカネに対してどう対応していいのかヒアシの中で定まっていないようだ。
分家の子どもが実は先々代当主でしたなどという奇想天外な事実を突きつけられれば仕方のない事だと言える。
ヒアシは未だ動揺を抑えられずにアカネに言われた通りに行動した。
◆
日向宗家の屋敷、その奥にある一室。そこには数人の日向一族が集まっており、その周囲にはそれ以外の人は完全に払われていた。
その場にいるのは当主である日向ヒアシと先代当主ヒルマ、そして分家の日向ソウとその妻ホノカに、二人の子であり渦中の人物であるアカネの5人である。
「……ヒアシ様、私達に内密の話があるとの事でしたが、それはどの様な話なのでしょうか……?」
「もしや、アカネが何か粗相を……!?」
急にヒアシによって呼び出されたソウとホノカは戦々恐々としていた。
宗家と分家の身分差は大きく、その当主となれば尚更だ。そんな存在から急に呼び出されては悪い出来事しか頭に浮かばない二人であった。
「ヒアシよ。ワシも何故呼び出されたのか理解できん。一体何があったというのだ?」
ヒアシの父であり先代当主のヒルマもまた何も知らされずにヒアシによってこの場に呼び出されていた。
内密の話があるとだけで呼び出したのだ。ヒアシが無駄な事をしない性格であると知っているヒルマからすれば相応の何かがあるのだろうとは理解していた。
だが、その密会に日向の分家でも宗家との関わりも薄い者達を共に呼び出しているせいで、余計に何があったのか想像だに出来ないでいた。
「……父上、ヒヨリ様のチャクラを覚えておいでですか?」
「む……。当然だ。あの方は日向の長き歴史においても最強と謳われた御方。その力の一端しかワシも触れてはおらぬが、それでもお主よりはその力をヒヨリ様の傍で体験してきたわ」
自分の事を長老ではなく父と呼ぶヒアシに一瞬だが怒気を発するヒルマ。伝統を重んじる一族なので当主の立場にあるヒアシが分家の者がいる場でその様な発言をした事に怒りを覚えたのだ。
だがヒルマはヒアシに向けようとした注意の言葉を抑えた。ヒアシは日向当主として十二分の才覚を発揮してこれまでの責務をこなしてきた。ここに来てそれが崩れたという事はそれ相応の事態が起きたという事だろう。
ならば注意をする時間すら惜しい。先々代当主についての質問の意図は理解出来なかったが、ヒルマはそれが必要な事だろうと判断して知ってる限りを答えた。
「……今すぐ白眼を発動し、日向アカネのチャクラを確認してください。ソウにホノカよ、お前達もだ」
「ぬぅ」
「は、はい」
「かしこまりました」
ヒアシの言葉に疑問を覚えつつも、全員が白眼を発動してアカネのチャクラを見る。
ソウとホノカはアカネのチャクラを見つつ、一体何の意味があるのかと怪訝に思う。
その眼に映っているのはいつもと変わらない娘のチャクラだった。経絡系のどこにも異常はない、全く健康な愛しい娘だ。
それともチャクラ穴を見抜く事も出来ない未熟な白眼では見つける事が出来ない異常があったのだろうか? 二人がそう不安に思い始めた所で不意に物音が聞こえた。
二人が物音の原因へと視線を向ける。そこには狼狽し体勢を崩して慄いているヒルマの姿があった。
眼の焦点は凝視するようにアカネへと向いており、体は震え口は大きく開かれている。
そんな長老の姿を見た事も想像した事もないソウとホノカに理解出来た事は、長老がここまで驚愕するほどの何かが娘にあるという事だった。
「ひ、ヒアシ様! 一体何があるというのですか!?」
「娘に……! アカネに何が……!?」
誠実で生真面目な父が、温厚で礼儀正しい母が、日向当主に対して言を荒げて追求する。
それがどれほどの事かをアカネは心の底から理解する。それほどまでに、自分の身を案じてくれているのだと……。
ますます正体を明かす事に対して気が重くなってきたが、それでもやらなければならない事だと自分を叱咤してアカネは気を取り直した。
そしてヒアシは取り乱すソウとホノカを見てある事実に気付いた。
「……そうか。ソウとホノカはヒヨリ様を白眼にて見た事はなかったのだな」
そう、二人はヒヨリを白眼で見た事がなかったのだ。分家の者が宗家の当主を白眼で見る機会などそうそうない。
しかも二人が産まれた時の日向の当主はヒルマであったためヒヨリと出会う機会はより少なかったのだ。
しかも組手や戦場でもない限り白眼にて宗家の人間を見るなど不敬と言えるだろう。だから二人はヒヨリのチャクラの色を知ってはいないのだ。
そして、ヒアシの言葉に困惑する二人に答えを教える様に……いや、更なる困惑を呼び出す様にヒルマはある言葉を口にした。
「おお……これはまさしく……ヒヨリ様のチャクラじゃ……!」
『!?』
ヒヨリ様のチャクラ。この言葉が何に向けられた言葉なのか、これまでの流れで理解出来ない程二人は愚かではなかった。
愛する我が子であるアカネのチャクラが、日向の先々代当主にして伝説の初代三忍と謳われている日向ヒヨリと同一なのだ、と。
「そ、それは一体どういう事なのですか?」
「アカネが、ヒヨリ様のチャクラを……?」
ヒルマの言葉の意味を理解出来ても、どうしてアカネのチャクラがヒヨリのチャクラと同一なのかまでは理解出来ない。
そしてその疑問の答えはヒルマも、そしてヒアシも持ち合わせてはいない。それに答えられるのはアカネしかいなかった。
「それは私が、日向ヒヨリの生まれ変わりだからです」
その言葉は、この場のアカネを除く人間の人生に置いて最大の衝撃となって駆け抜けた。
誰もが声を発する事が叶わない中、アカネは
そして長きに渡る沈黙が降り立ち、その沈黙をゆっくりとヒアシが破った。
「……父上、ヒヨリ様……いえ、アカネ様は、ヒヨリ様のみの秘奥を使われました」
「ッ! ……そうか。ならば最早疑う余地はない。この御方は粉う事なくヒヨリ様の生まれ変わりじゃ」
分家の者がいる故、宗家のみの秘伝となる回天、そしてその発展系の廻天の名は明かせなかったが、ヒアシの言葉はヒルマに十分に伝わった。
齢三歳の身で廻天を体得する。それはヒルマにとってアカネの言葉を肯定する何よりの証となった。
「それでは、本当に!」
「アカネは……私達の子は、ヒヨリ様の……」
現当主と先代当主。日向に置いて絶対の権力者である二人の言葉を疑う術をソウとホノカは持っていない。
その信じがたい、信じたくない事実に、二人は俯き耐え忍ぶ事しか出来なかった。
「父上、母上……今まで秘密にしてきて、申し訳ございません……!」
そんな二人に対してアカネは頭を下げて謝る事しか出来なかった。
初めて出来た子どもが、実の子ではあれどその中身には前世の記憶が詰まっていたのだ。
苦労しながら子どもを育み、その成長を見守ってきた親として騙されたと考えても何らおかしくはないだろう。
「あ、アカネ……」
「ああ……」
アカネに対して何かを言おうとして、何を言えば良いのか分からないソウとホノカ。
だがそんな二人に向かってヒルマは怒気を顕わにした。
「おぬしら……! アカネ様を呼び捨てにするとは――」
あまりの出来事にまだ動揺は収まっていないが、既にヒルマの中ではアカネはかつて絶対の力を誇っていた日向の誉れ高き忍・日向ヒヨリその人だ。
そして日向ヒヨリは宗家の当主を務め、木ノ葉を築いた伝説の三忍でもある。分家風情が対等な立場で物を言うなど許されるわけがない。
だがヒルマの怒気は、当のアカネによって止められる事となった。
「ヒルマ……日向ヒヨリとしての立場を持ち出し、利用しようとしている私が言うべき事ではないのは分かっている。だが……父上と母上を許してくれ」
そう言って頭を下げてヒルマに頼み込むアカネ。尊敬し敬愛する存在からそのように言われては逆に困惑するしかないヒルマだった。
「あ、頭を上げて下されヒヨリ様!」
「父上と母上は私を産み育ててくれたのだ。前世は関係ない、今の私にとって二人は掛け替えのない両親なんだ。……頼むヒルマ」
「……分かりました。ソウとホノカじゃったな。先の言に対しておぬし達に責は問わぬ。そしてこれからもじゃ」
『寛大なお心、ありがとうございます』
ヒルマの許しの言葉に二人は頭を下げて感謝の意を示す。
だがヒルマの言う“これから”という言葉に関してはどうすればいいのか二人は悩んでいた。
その答えはすぐに出る事はなく、今はただ静かにこの場の流れを見守るしかなかった。
「ヒヨリ様、こうして私達に前世を明かされたその理由は……」
「ああ、二年前の九尾復活が原因だな」
「……やはりそうでしたか」
アカネの言葉を聞いて、ヒアシは全てを理解した。
アカネは九尾の復活とその裏にいるだろう黒幕の存在を日向ヒヨリであった頃から察知していたのだ、と。
九尾の復活は里にとって滅亡の危機となる程の大事であり、それを利用しようとする黒幕の危険性もまた同等と言えるだろう。
それを防ぐ為に、里を守る為に、転生の秘術によって再び日向にて生を受けたのだ。そう理解してヒアシはアカネへの尊敬を深めていった。
ヒアシ、渾身の勘違いであった。
「しかし、流石はヒヨリ様。九尾の復活を予見されていたとは」
「気付く事は出来ても、当時の私は一歳の幼児でしたからね。流石に九尾を抑えるには力不足でした。もう少し早く生まれていれば、四代目の犠牲もなかったやもしれないというのに……」
微妙にずれている二人の会話だが、両者ともそれには気付いていないようだ。
「……恐らく九尾復活の裏には何者かの手引きがあったはず」
「……はい。現場に居合わせたビワコ様がその犯人を目撃しています。といっても、全身を布で覆っており、顔は仮面で隠していた為何者かは未だ不明ですが」
「そうか。……もうヒアシは分かっているだろうが、私がこうしてヒヨリという前世を明かしたのは、私が自由に動けるように色々と手を貸してほしいからだ」
アカネは日向の分家の生まれの為、宗家の命令には絶対服従を強いられる。
そして順当に育ってもアカデミーに入り、卒業すれば上忍率いる忍の一班の中に組み込まれ、自由に動く事は出来なくなるだろう。
その上この先修行をするにも相手を探すのに苦労するという問題もあった。それらを解決する為にこうして宗家に全てを明かしたのだ。
「私の修行の場と相手、そして下忍として縛られない立場。これらを用意してもらえますかヒアシ」
「……立場に関しては私専属の付き人としましょう。優秀故に幼い内から育てるという名目ならば里の上層部も疑わないでしょう」
「ふむ、いいですね。それならばあなたの命令でいかようにでも動く事が出来ますし」
「修行相手に関しては……私では如何でしょうか?」
「ほう。……ええ、問題ないですよ。ヒアシがどれだけ強くなっているか楽しみです」
修行の相手を自ら買って出るヒアシの目を見て、アカネは少し楽しそうに笑った。
(弟への嫉妬と後ろめたさ。それらを振り切りたいというところか。うんうん、そういうのは嫌いじゃないぞ)
ヒアシの感情を読み取っていたようだ。自分よりも優秀な弟に抱く僅かな嫉妬と、優秀な弟を当主にしてやれなかった後ろめたさ。
それらを弟よりも強くなる事で振りきり、自分が当主として相応しいと証明しようとしているのだろう。
そしてそれが自分だけでなく弟を思っての考えである事もアカネは見抜いていた。名家の双子というのは中々厄介な様だ。
「さて、取り敢えず大まかな事は決まりましたね。公の場では私の事は分家の娘として扱って下さいよ。もちろんヒヨリという名で呼ぶのは禁止です」
「もちろんでございます」
「後は……私の呪印なんですけど、どうしましょうか?」
本来アカネが呼ばれた目的を口にして、アカネ以外の全員が「あ……」という間抜けな声を出した。
誰もその事について忘れていたようだ。ヒアシもヒルマもこの問題に関して悩みだした。
日向ヒヨリであるアカネに対して呪印を刻むという大それた事をする訳には、だが分家の者に呪印を刻まない訳には、等とどうすればいいのか分からず混乱している当主と前当主。
そんな二人にアカネはちょっとした爆弾発言をした。
「まあ私に呪印は効果ないのですけど」
『……は?』
混乱が収まらない二人にアカネは説明する。
「いや、かつてそういった術を開発しまして。私に作用する陰遁や封印術に呪印の類は自動的に無効化するのです。自動故に私の意思でもこの能力を切る事は出来なくて……」
結構無茶苦茶言ってるのだが、アカネは“てへぺろ”くらいの気持ちで説明していた。
「それは、その……どうしようもないですな」
「うむ……しかし、それならば他の者達にヒヨリ様……アカネ様に呪印が刻まれていない事をどう説明したものか……」
「それなんですよねぇ。いっその事、額に呪印と同じ刺青でも彫りましょうか」
「ヒヨリ様に刺青を彫るなどと!」
「別に刺青くらい構いませんよ。どうせその気になったらすぐに元に戻せますし」
刺青とは針や刃物などで体を少し刻んで傷を作り、その傷に色素にて着色させることで完成する。
傷の付け方で色々な見た目の刺青を作る事が出来るので、日向の呪印に似せた刺青を彫る事も可能だろう。
そして元々は傷なので、アカネがその気になれば一瞬で治療して元通りに戻す事も出来るのだ。
もっとも刺青は既に塞がった傷と言えるのでそのままでは治療のしようがなく、元の額に戻すには一旦刺青を額の肉ごと削ぐ必要があるのだが。
まあ多少肉体を失ったくらいならば瞬時に再生が出来るので何の問題もなかった。それが出来るのはヒヨリ含めて数人程度しか忍世界にはいないが。
◆
結局アカネの呪印に関しては刺青で誤魔化す事に決まった。
刺青に関しては後々用意をしてから彫る事になり、それ以外にも幾つか細かな話をして、この場は解散となった。
ヒアシとヒルマは解散後しばらく興奮し、二人して夜遅くまで酒を呑みつつ昔話に花を咲かせていたりする。
そしてアカネとその両親であるソウとホノカ。家族三人は宗家の二人とは対照的に静かに帰路についていた。
「……」
「……」
「……」
三人ともに無言のままに家路につく。誰も何も言う事が出来ないでいた。
ソウとホノカは驚愕の事実によって大きなショックを受けており、そんな二人に対して何を言えばいいのかアカネには思いつかなかった。
何を言っても、被害者と言える二人に加害者と言える自分が声を掛けた所で御為ごかしにしか聞こえないだろうからだ。
自分の想いは既に宗家の屋敷にて話している。後は二人がどう受け止めてくれるかだ。最悪捨てられる事になろうとも、アカネは二人を恨むつもりはなかった。
そうしてゆっくりと無言で家路につく中、ソウがその重たい口を開いた。
「今までの、多くが嘘だったんだな?」
「ッ! ……はい」
ソウに柔拳の鍛錬を受けていた時も、ホノカに様々な教育をされていた時も、アカネの中では全て経験して来た事のおさらい程度だったのだ。
筋が良いとソウに褒められ嬉しそうにしていたのも、今では演技としか見られないだろう。多くの思い出は転生という詐欺のような力によって穢されたのだ。
「あなた……アカネは……」
「分かっている。お前は黙ってなさい」
夫にそう言われては貞淑な妻としては何も言う事は出来ない。
ホノカは夫に全てを託して静かに夫と娘を見守った。
「なら、オレ達と過ごした全ても、嘘だったのか?」
一緒に笑い、一緒に悲しみ、一緒に食事をして、一緒に風呂に入り、一緒に寝て、家族として過ごしてきた三年間。
その全てが演技だったのか? 表では子どものフリをしてその裏ではうんざりしていたのか? それに対する答えはアカネには一つしかなかった。
「そんな事ない……! それだけは、絶対に……!」
そう、そんな事はなかった。確かに迂闊に話せる内容ではない為に二人を騙す事になったが、両親としての二人を愛しているし、共に暮らす日々に幸せを感じている事に嘘はなかった。
だからソウの言葉はすぐに否定した。それを信じてくれる可能性は低いが、だからと言って楽しかった日々を否定する事も出来なかったのだ。
「そうか……」
そう返事をするだけで、またソウは無言となった。
またもしばらく重たい空気の中を無言にて家路につき、とうとう三人の家に帰りついた。
そして玄関を開けずに、しばらく無言だったソウはアカネへと向き直してから口を開く。
「お前がヒヨリ様の生まれ変わりなのは……理解したよ。それを言えなかった理由もな。それでも、その事に怒りが湧かないなんて言えば嘘になる」
「……」
アカネも覚悟していたが、実際に聞けば心に突き刺さる言葉だった。
「だけど……家族で過ごした三年間、あの充実した日々の全てが嘘だったなんて、オレだって思いたくない」
「父上……」
「思ってたまるか……! お前の笑顔も、泣き顔も、全部が演技だって言うならオレは人間不信になっちまう……!」
「父上……!」
「例え前世がなんであろうとアカネはオレ達の子どもだ! オレがアカネを愛しているって気持ちに嘘はない! 文句あるかホノカ!」
ソウは自分自身に言い聞かせるように叫び、ホノカにもこの結論に文句があるかを確認する。
それに対して、ホノカは優しく微笑んで答えた。
「文句などあるわけがありません。アカネは私がお腹を痛めて産んだ、正真正銘私の子ですよ。前世があろうとも関係ありません」
それはソウに対してではなく、アカネに対して語りかけた言葉だった。
葛藤はあっただろう。悩み苦しんだだろう。蟠りがないと言えば嘘になるだろう。それでも二人はアカネをヒヨリとしてではなく我が子として受け入れようとしているのだ。
「いいんですか……。これからも、父上と母上と呼んでも……二人を愛しても……二人に愛されてもいいんですか……!?」
「当たり前だ!」
「二人に、本当の事を話さなかったのに……!」
「子どもの隠し事や悪戯なんていくらでもある! 後で叱ってやるから覚悟しろ!」
「はい……! いっぱい、叱って下さい……!」
「ふふふ。それじゃあアカネが叱られている内に食事の準備をしておきますね」
以前のような親子関係に戻る事は不可能だろう。純真な子どもではないと思い知らされた事に変わりはないのだから。
だがそれでも、この家庭から笑顔が消え去ることはない。そう思える程に重たい空気は払拭し、三人は家へと戻っていった
日向の祝い事や呪印が刻まれるタイミングや理由に関しては捏造です。
原作を見る限りではそこまで盛大な祝いを開いている光景は見れず、呪印も宗家の嫡子が三つになった時に刻まれたとネジは言っていました。
それは宗家の嫡子が三つになった時にまだ呪印を刻まれていない分家の人間は年齢問わずに呪印を刻まれる様になるのか。それとも分家の人間が4歳くらいになった時(ネジは4歳で呪印を刻まれた)に刻まれるのか。その辺りがさっぱりです。
まあこの小説内では今回のようにしました。ご了承ください。
また、先代当主であり長老である彼の名前は勝手に私が名付けたものです。原作では確か名前は明かされていません。
ちなみにアカネは前世のヒヨリ時代にて両親に転生について教えていません。それを言いたくないくらいに冷めた親子関係でした。
まあ今回だって特別ですけど。連続して同じ世界で転生して、前世の立場を利用した方が良い状況になったからこそ話したのですし。こうして転生について話した人生は稀です。