現在、木ノ葉の里には不自然に水浸しとなった一角がある。まるでその一角のみに天から大量の雨が降ったかの如く大地は水で溢れていた。
そんな不自然な地にて二人の強者が向かい合っていた。一人は日向ヒアシ。木ノ葉にて高名な日向一族の長だ。もう一人は干柿鬼鮫。この一角を水浸しにした張本人にして暁の一員。
木ノ葉と暁。二人の忍が出会ってする事はただ一つ。生死を懸けた戦いのみであった。
二人が相対し僅かに睨み合い……そして戦いは始まった。
「では……そのお力を見させてもらいましょうか!」
先に動いたのは鬼鮫だった。獰猛な見た目には似つかわしくない丁寧な言葉遣いを放ち、鬼鮫はヒアシに切り掛かる。
日向を相手に接近戦を挑む。大半の忍がそれを愚かな選択だと罵るだろう。日向一族は独特の体術である柔拳を用いて戦う。触れただけで内臓に直接ダメージを与える柔拳の使い手に接近戦は不利だ。
だが鬼鮫はそれを理解しつつ敢えて接近戦を挑んだ。鬼鮫の体術がヒアシよりも優れているから、という理由ではない。
確かに鬼鮫は忍術はおろか体術すらそこらの上忍を凌駕しているが、ヒアシと比べると一歩も二歩も劣るだろう。他の日向一族ならまだしも、一族を束ねる長たるヒアシを相手に接近戦を挑むなど無謀という物だ。
だが鬼鮫には他の忍にはない特別な武器があった。常に肌身離さず持ち歩いている愛刀鮫肌である。
鮫肌の能力であるチャクラ吸収は凄まじい効果を持っている。その特異な形状は肉を削るだけでなくチャクラすら削り喰らうのだ。
そして柔拳は相手の体内にチャクラを流し込んで発動させる体術だ。だが、流し込まれたチャクラが体内を傷つける前に鮫肌が吸収してしまえば……。その一撃はただの打撃、いやそれ以下に陥るだろう。
空間に満ちるチャクラすら削り喰らう鮫肌の旺盛な食欲と吸収の早さ。その能力があるからこそ、鬼鮫は敢えてヒアシを相手に接近戦を挑んだのだ。
「……はぁっ!」
だがヒアシが鬼鮫の思惑に付き合う事はなかった。己の領分だろう接近戦を挑んでくる鬼鮫に対し、ヒアシは八卦空掌を放ったのだ。
「っ!?」
鬼鮫は咄嗟に鮫肌を前に構えて八卦空掌を受け止めた。だがその勢いに押されて十数mも吹き飛ばされてしまう。
これには鬼鮫も怪訝であった。何故得意のはずの接近戦を受けないのか。何故チャクラを吸収したはずの攻撃にここまでの威力があるのか。
困惑する鬼鮫だが、ヒアシはお構いなしに攻撃を放ち続ける。八卦空掌の乱れ撃ちだ。
「ちぃっ!」
正確に、高速に、それでいて重い一撃が連続で放たれる。これには鬼鮫も堪らず後退し周囲の建物の裏に隠れた。
そして僅かに稼いだ時間を使って思考する。ヒアシが接近戦を受けなかった理由はおおよそだが気付いていた。恐らく鮫肌の力を見た忍がヒアシにその能力を伝えたのだろう。
鬼鮫のその考えはあっていた。となると鬼鮫にとっての問題はただ一つ。
――さて、どうして鮫肌で吸収出来ないのか――
遠距離攻撃は主に二つに分けられる。チャクラによる攻撃と、飛び道具による攻撃だ。
チャクラの攻撃は忍術ならば――火遁は熱がるが――鮫肌で削り喰らう事で無効化出来る。チャクラを飛ばす気弾も同じだ。
飛び道具は道具そのものは吸収出来ないが、その道具に籠められたチャクラを吸収して威力を軽減する事は出来る。
そしてヒアシの攻撃は道具を使用した物ではない。印も結んでおらず性質変化もしていなかったのでチャクラを用いた気弾という事になる。だが鮫肌で吸収する事は出来ていない。つまりあれはチャクラそのものを放つ遠距離攻撃ではないのか?
鬼鮫の疑問は正解だ。八卦空掌はチャクラによる遠距離攻撃ではない。確かにチャクラを利用して放たれる攻撃ではあるのだが、攻撃そのものはチャクラではないのだ。
八卦空掌は掌からチャクラを高速で放出して真空の衝撃波を生み出し、それを対象にぶつける体術なのだ。
鮫肌がチャクラを吸収しようとも生み出された衝撃波までは吸収する事は出来ない。つまり先ほど鬼鮫が吹き飛ばされたのは衝撃波のみの威力だったのだ。
その答えに行きつく前に、鬼鮫は思わぬ衝撃を受けて吹き飛んだ。
「がはっ!?」
誰が成した事かはすぐに理解していた。敵対するヒアシに他ならないだろう。
だが何故死角に隠れている自分を攻撃出来たのか。その疑問はすぐに解消された。日向が誇る血継限界にして三大瞳術の一つ、白眼の能力を思い出したのだ。
「しまった……!」
白眼は視る事に特化した瞳術。その瞳から逃れるには物影に隠れる程度では事足りない。
透視眼にて鬼鮫の位置を正確に把握していたヒアシは建物ごと鬼鮫を攻撃したのだ。
「ぐ、あっ、があぁぁ!?」
ヒアシの攻撃は止まらない。連続して放たれる八卦空掌は一度捉えた鬼鮫を逃がしはしなかった。
吹き飛ぶ鬼鮫の体勢が整わない内に追撃を加え、空中で跳ねるボールの様に鬼鮫を弾き続ける。
更にヒアシの八卦空掌は高速で弾き飛ぶ鬼鮫の点穴を正確に貫いていた。これだけの遠距離で、針の穴を通す様に正確な攻撃を高威力でしかも連続で放つ。まさに日向の長に相応しい実力と言えよう。
――八卦空掌六十四連!――
六十四の点穴を突いた時、ようやくヒアシは攻撃の手を止めた。
人体には三百六十一箇所の点穴があり、この攻撃はその内の六十四を突いた事になる。
これだけならばまだ大半の点穴が残っている様に思えるかもしれないが、これだけで身体を巡るチャクラを塞き止めるには十分なのである。
点穴を突かれたという事はチャクラを封じられただけではない。同時に内臓にもダメージを受けたという事だ。放置すれば死に至るだろう。
いや、あの威力の八卦空掌を喰らい続けたのだ。点穴に関係なく死に至る攻撃だったと言える。事実ヒアシですら終わったと思っていた。
「ぐ……ぅ……ッ」
「ほう。生きておったか。大した物だ」
鬼鮫は生きていた。だが、それは文字通り生きていただけだった。
全身は血に塗れ内臓のダメージにより多量の吐血をしている。まさに死に体だ。止めを刺す必要もなく僅かな時間でくたばるだろう。
「未だ武器を手放さぬその闘志は認めよう。だが慈悲はない」
鬼鮫はあれだけの攻撃に晒されながらもその手から鮫肌を離してはいなかった。
それをヒアシは称賛するが、それで慈悲を掛ける訳もない。相手は多くの同胞を殺めた大罪人なのだから。
ヒアシは死に体となった鬼鮫相手にも油断する事なく、確実に止めを刺すべく全力の八卦空掌を放った。
だが――
「ギギッ!」
「むっ!?」
その八卦空掌は鬼鮫の命を奪うには至らなかった。その攻撃は鮫肌によって防がれたのだ。
ヒアシは驚愕するが、それは鬼鮫が生き延びたからではない。そうなる可能性すらヒアシの予想の範疇。敵が瀕死の振りをしている可能性すら考慮の内だ。
そんなヒアシですら鮫肌そのものが動き鬼鮫を庇うとは流石に予想していなかったようだ。意思を持つ武器など想像の範疇を超えているだろう。
主を護った鮫肌は更に驚くべき行動に出た。今まで殺してきた木ノ葉の忍から奪ったチャクラを鬼鮫に還元したのだ。
鬼鮫に送られた膨大なチャクラは傷ついた身を急速に癒した。それは塞がれていた点穴すらも、だ。
敵からチャクラを奪うだけでなく、それを持ち主に還元して傷や体力を回復させる。これが鮫肌の最も恐ろしい真の能力であった。
「かぁっ!」
完全に回復し切る前にとヒアシは八卦空掌を放つが、それは傷の大部分が治癒した鬼鮫によって防がれてしまう。
威力に押されて後退するが、立ち止まった時には既に鬼鮫の傷は完全に癒えていた。
「日向は木ノ葉にて最強……この言葉、伊達ではない様ですねぇ。死ぬかと思いましたよ」
「どうやら風貌通りの怪物の様だな。まあよい。回復などという生ぬるい事が出来ぬよう、完全に息の根を止めれば良いだけの話よ」
そう、生きていれば回復も出来るが、死ねば回復もへったくれもないだろう。ヒアシの答えは極端だが正解だった。
次は点穴を狙うなどと生易しい事はせずに八卦空掌の連撃にて肉体に風穴を開けてやろう。そんなヒアシの思惑に、今度は鬼鮫が付き合う事を拒否した。
「無理矢理にでも接近戦に持ち込ませて頂きましょう!」
――水遁・大爆水衝波!――
口の中に溜め込んだチャクラを水に変化させ、それを津波の様に吐き出す爆水衝波。その単純な強化版が大爆水衝波だ。
単純だがその効果は凄まじかった。その効果はまさに大瀑布の如く。大量の水が溢れ返り一瞬で大地に湖を作り出す程だ。
その迫り来る大津波に対し、ヒアシは八卦空壁掌にて対抗しようとして、それを躊躇してしまった為に水の中に飲み込まれてしまう。
ヒアシを飲み込んだ大津波はそのまま大地に流れ広がって行く事無く、巨大な水球となってヒアシを閉じ込めた。
「……!」
大水球に捕らわれたヒアシはそれでも焦る事無く冷静に在るが、鬼鮫の身体に起こった変化には流石に驚愕した。
鬼鮫と鮫肌。忍と忍具。別個に存在するはずのその二つが融合し一つとなったのだ。
鮫肌と融合した鬼鮫はその容貌を更に鮫の如くに変化させた。鮫をモチーフにした半魚人とも言える姿に変化した鬼鮫を見てヒアシは僅かに渋面となる。
――これではあの武器を奪う事は出来ぬな――
鬼鮫の対処法として回復する前に殺し切るという物騒な手段とは別にヒアシが考えていた手段だったが、これではそれも不可能だろう。
しかも融合した事で鮫肌が蓄えていたチャクラも完全に鬼鮫へと受け継がれ、元々鬼鮫が有していた膨大なチャクラと合わさり尾獣に匹敵する程のチャクラを鬼鮫は放っていた。
これが尾を持たない尾獣と恐れられている鬼鮫の真の戦闘形態である。
「では、行きますよ」
鬼鮫は凄まじい速度で水中を移動しヒアシへと接近する。どうやら見た目の変化は伊達ではない様だ。
大爆水衝波で作り出した膨大な水に敵を捕らえ、鮫肌と融合して水中で動きが不自由となった敵を攻撃する。水牢鮫踊りの術と呼称される鬼鮫の得意術だ。
対するヒアシは水中が不利なのでどうにか移動してこの大水球を脱出しようと考え……る事はなかった。
迫る鬼鮫に対して微動だにせず待ち構え、鬼鮫が近づいて来た瞬間に全身からチャクラを放出しそれを高速で回転させる事で日向の秘奥である廻天を使用する。
日向ヒヨリが編み出した回天を超える廻天。自らが回る回天とは違い廻天は放出したチャクラそのものを高速で回転させる。
この二つの違いは術中の自由度の差だ。自らの肉体を回転させる回天は術中にその場から動く事は出来ない。だが廻天ならばチャクラの高速回転による防御をこなしつつ攻撃や移動を行う事も出来る。これは非常に大きな差となるだろう。
ヒアシは廻天にて己の周囲に満ちている膨大な水を押しのけた。防御の為ではなく、自由に動ける空間を作る為の廻天だ。
廻天ではなく回天を使用しなかったのは攻撃のタイミングが一瞬しかないからだ。相手は鮫肌と融合している。チャクラを放出して水を押しのけようとも吸収されれば元の木阿弥だ。
だからこそ、相手がチャクラを吸収し、水が元に戻ろうとした一瞬のタイミングで攻撃する。そのタイミングを得る為には回天よりも廻天の方が都合が良かったのだ。
ヒアシの予想通り、廻天によるチャクラの放出は鬼鮫に吸収され、周囲の水は一瞬で元に戻ろうとする。
そのタイミングでヒアシは鬼鮫の攻撃を躱し逆に柔拳の一撃を叩き込んだ。
――柔拳法・一撃身!――
体内に集中させていたチャクラを触れた対象に一瞬で叩き込む事で爆発的な威力を生み出す柔拳の一撃だ。
体外に漏れ出すチャクラではなく体内のチャクラなら鮫肌による吸収も遅いだろうと予測しての攻撃である。
一点に集中している上に一瞬で放たれた膨大なチャクラの一撃は、鮫肌に全てを吸収される前に鬼鮫の肉体に確かに届いた。
「……鮫肌と融合した私にここまでの一撃を加えるとは」
だが、やはり多少なりとも吸収された事でその威力は軽減し、鬼鮫を即死させるには至らなかった様だ。
「感服しましたよ。やはり接近戦はあなたが有利の様ですね。なら、これならどうです!?」
――水遁・
鬼鮫が周囲の水を利用して放たれた水遁は術名を表す様に千匹もの水の鮫となってヒアシに襲い掛かった。
水中という本来の動きが取れない不自由な地形でそれだけの数の鮫に襲われる。それで死ぬ様ならばヒアシは日向は木ノ葉にて最強などという言葉を口にはしないだろう。
ヒアシは無数の鮫の攻撃を全て見切り、一瞬の内に柔拳にて破壊していく。背後から迫る水鮫も白眼にて殆ど死角がないヒアシには通用しなかった。
だが敵は水鮫だけではないのだ。無数の鮫に紛れて鬼鮫もヒアシに対して攻撃を加えていく。
その動きをヒアシはチャクラの質を見切る白眼にて見抜いていたが、だからと言って全ての攻撃に対応出来る訳ではない。
一番厄介である鬼鮫の攻撃を捌き躱す事に集中すると、どうしても水鮫の攻撃は完全には躱し切れない。回天や廻天にて防御するも、それは鬼鮫にて削り吸収される。
そして一撃が掠り、また一撃が掠りと、少しずつ鬼鮫と水鮫の攻撃はヒアシに着実とダメージを与えていた。
「どうですか? 苦しいでしょう。水中で呼吸が出来ないのは不便でしょうねぇ」
ヒアシとて忍だ。水中戦は不慣れなれど多少の心得はある。
だがどれだけ水中戦に長けていても、水中で延々と息が続く事はない。どれだけ修行しても人としての限界という物はあるのだ。
――八卦空掌!――
迫り来る鬼鮫に向けてヒアシは八卦空掌で狙い撃つ。だがやはり水という全身を覆う邪魔物はヒアシの動きを制限していた。
攻撃のモーションが鬼鮫に見切られるのだ。そんな攻撃など放たれる前に察知され、自在に水中を動く鬼鮫にあっさりと回避されてしまった。
攻撃を当てる事も出来ないヒアシはやがて追い詰められ逃げ惑う様に水中を移動し、そして水底へと沈んで行った。
もはや逃げる力もなくなったのか。そう判断した鬼鮫だが焦らず侮りなくヒアシを追い詰めていく。
ヒアシは、水中に捕らわれようと逃げる心算など欠片もなかった。無数の攻撃に晒されて移動したのも、水底へと沈んだのも、それは逃げた結果ではない。
自らこの場所に移動したのだ。鬼鮫が移動するとこの巨大な水球も移動する。それを戦闘中に察知したヒアシが、最も適切な場所にこの大水球を移動させる為に逃げる振りをして鬼鮫を誘導していたのだ。
そして全ての準備が整ったヒアシはその力を解放した。
――八卦空壁掌!――
水中から放たれたその一撃は膨大な水を全て押し上げていく。術という物は使い手によって威力が変化する。例え同じ術でも下忍と上忍ならば基本的に上忍が放つ術の方が威力が上だろう。
ヒアシが放った八卦空壁掌もそうだ。ヒナタやネジがこの三年間の修行でようやく会得した八卦空壁掌も、ヒアシは会得して数十年と経っている。ならばその質・威力も熟練と共に向上して当然だろう。
湖を生み出す程の大量の水という質量をヒアシは八卦空壁掌にて吹き飛ばそうとしているのだ。一撃だけではない。八卦空壁掌の連続使用という凄まじい所業にて大量の水を彼方へと吹き飛ばして行く。
そうして全ての水は木ノ葉の里を囲む広大な森の中へと消えて行った。
これがヒアシの狙いだった。ヒアシが最初に大水球に飲み込まれた時。あの時ヒアシは八卦空壁掌にて水に飲み込まれる前にその水を吹き飛ばす事が出来ていた。
だがそれをしなかった理由は吹き飛ばした水の行き先が木ノ葉の里の内部だったからだ。あれだけの水が吹き飛んでくればその場にいた者達は確実に巻き込まれ、そして多くが犠牲になっただろう。
その中には自分の娘すらいたのだ。そんな事はヒアシには出来なかった。なので鬼鮫の攻撃を受けつつも木ノ葉に影響を与えない位置へと移動し、そして全ての水を森林へと吹き飛ばしたのだ。
「あれだけの水を吹き飛ばすとは……化け物ですかあなた?」
「貴様に言われたくはない……」
久方ぶりの空気を存分に味わい、ヒアシは空から降り立った鬼鮫と再び相対する。
どうやら鬼鮫に先ほどの八卦空壁掌によるダメージはないようだ。それはヒアシが鬼鮫を攻撃する為ではなく水や鬼鮫を吹き飛ばす為に範囲を大きく広げていたからだ。
まあ、多少のダメージを受けていたとしてもすぐに回復していただろうが。
「ここならば存分に戦う事が出来る」
「どうやらその様ですね……」
先の八卦空壁掌を見るにもはやヒアシには水牢鮫踊りの術は通用しないと鬼鮫も理解していた。術の基盤となる大爆水衝波自体が大量の水を生み出す前に消し飛ばされるだろう。
ならばどうするか。決まっている。やはり接近戦にてヒアシのチャクラを奪いつつ消耗させる戦術が最も効果的だろう。
柔拳はその性質上どうしても敵にチャクラを放つ必要がある。その工程を介する限り鮫肌のチャクラ吸収によって柔拳の威力は激減してしまうのだ。
鬼鮫はヒアシのチャクラを吸収しつつ回復する事が出来、ヒアシはチャクラを吸収され消耗しながら戦う。純粋な接近戦はヒアシが圧倒しているが、長期戦になれば鬼鮫が有利なのは言うまでもないだろう。
鮫肌を奪われる事が唯一の敗因となると理解している鬼鮫は鮫肌と融合したままにヒアシに攻撃を仕掛ける。陸上だろうと人間の特性も持つこの形態は特に動きを鈍らす事はない。
「陸に上がった鮫如き……」
「その如きに食われるんですよあなたは!」
柔拳恐るるに足らず。鮫肌という強力な相棒を持った鬼鮫はヒアシの反撃を恐れる事無く、鮫の獰猛性を表したかの様な猛攻を仕掛け――
「ごっ!?」
――ヒアシの拳を受けて吹き飛ばされた。
「な、あ、それ、は……!?」
ヒアシは特別驚くような攻撃をした訳ではない。誰が見ても普通だと思える攻撃をしただけだ。だが、木ノ葉の忍ならば誰もが今の一撃に驚愕するだろう。
それは木ノ葉に限らず、日向一族と柔拳を知る者ならばきっと驚愕していただろう。今の鬼鮫の様に。
ヒアシは、本当に特別な攻撃をしたわけではない。ただ近付いて来る鬼鮫が放った攻撃を躱し……その顔を全力で殴り付けただけだった。
「どうした? 何を呆けておる?」
ヒアシは呆然とした鬼鮫にそう問い掛けつつも、答えを聞く事なく更なる追撃を加える。
瞬身の術にて一瞬で鬼鮫の背後に回り、鬼鮫が振り向く前に背骨をへし折らんばかりに殴り付ける。
「がはぁっ!」
激痛が走り思わず呻く鬼鮫。それもそのはず、ヒアシの一撃は比喩ではなく真実背骨をへし折っていたのだ。
鮫肌のチャクラによりそれも回復していくが、ヒアシが完治するのを黙って見ている訳がなかった。
鋭い蹴りを鬼鮫の延髄を抉る様に叩き込み、そのまま足を振り上げて脳天に踵を落とす。
大地に膝を突いた所を丁度いい高さだとばかりに脳天に肘を落とし、傍に近寄った事で始まっているチャクラ吸収から逃れる為に自分が離れるではなく鬼鮫を強烈な回し蹴りにて吹き飛ばす。
「ばはあぁぁぁっ!!」
大量の血反吐を撒き散らしながら鬼鮫は吹き飛んで行く。その間にも鮫肌の能力をフル稼働させて傷を癒す。そうでもしないと間に合わない程の重傷を負っているのだ。
時間を掛ければ有利になるのは鬼鮫。それはヒアシも理解している。今も吹き飛ばされながら傷を癒しているのを白眼にて確認し、器用な真似をすると顔を顰めながらも鬼鮫を追う。
勝負は速攻。一切の無駄な時間を作らない様、ヒアシは鬼鮫に向かって駆け寄った。
鬼鮫は近寄って来たヒアシに対して空中で姿勢を制御しつつ大地に降り立ち、迫るヒアシに反撃する。
その反撃に対してヒアシは防御するでも回避するでもなく、自身の攻撃をぶつける事で逆に鬼鮫の攻撃して来た腕を破壊する。
「ッ!?」
防御しても回避してもここまで接近した以上チャクラを奪われるだけ。ならば逆に攻撃してダメージを与えた方が効率的という物だろう。
ヒアシは練り上げたチャクラを全力で肉体強化に回し、吸収される前に凄まじい速度で攻撃を加え続ける。その
だが剛拳を振るっているがそこに至るまでの工程は日向の血や柔拳の基礎によって築かれていた。
白眼にて敵の動きやチャクラの流れを見抜き、柔拳を鍛え上げた事で培った戦闘経験で的確に敵の攻撃を見切り反撃する。
様々な下地があるからこそ、ヒアシの剛拳は効果を発揮しているのだ。
ヒアシの苛烈なまでの猛攻を受け続けた鬼鮫。だがその猛攻を受けたのは鬼鮫だけではなかった。
鮫肌は意思を持つというその特殊性の為か痛覚まで持っている。つまり鬼鮫と融合した鮫肌もヒアシの攻撃を受けているという事になるのだ。
あまりの痛みを受けた為か、鮫肌はその痛みから逃れる為に鬼鮫との融合を解除してしまった。鮫肌の主人である鬼鮫も予想していなかった行動だ。武器で在りながら意思を持つが故の欠点と言えるのかもしれない。
融合を解除した鮫肌を、それでも鬼鮫は手放す事無くその柄を握り締めていた。離せば最後、回復の手段を失った瞬間に死が待っていると鬼鮫は理解しているのだ。
だがヒアシがそれを許す様な生易しい性格をしているはずもない。味方にも自身にも厳格な男が、敵に優しい訳がないのだ。
ヒアシは鮫肌を握る鬼鮫の腕に強烈な手刀を叩き込み、その腕をへし折った。更に鮫肌の柄を蹴り付ける事で鬼鮫の手から鮫肌を奪う。
「ぎっ!」
「ギギィ!?」
奇しくも主人とその武器は痛みにより似た様な悲鳴を上げる。
そんなどうでも良い事は気にも止めず、ヒアシは鮫肌を更に蹴り付けて遠くへと吹き飛ばした。
「ギィッ!!」
吹き飛ばされた鮫肌は勢いのままにその刀身が大木へと突き刺さる。自らの力で動く事も出来る鮫肌だが、これではそう簡単には動く事も出来ないだろう。
そんな鮫肌を見て、鬼鮫は苦痛に顔を歪めながら次にヒアシへと振り向く。
「ま、まさか……日向の長ともあろう御方が……柔拳ではなく剛拳を使って来るとは……ね」
息も絶え絶えに呟く鬼鮫のその言葉にヒアシはこう返した。
「柔拳も剛拳も等しく敵を打ち倒す為の技術。状況によって使い分けて当然であろう」
日向一族が代々伝えてきた柔拳。宗家にのみ口伝として伝える奥義すらある程に日向は柔拳に誇りを持っており、日向と言えば柔拳という認識は常識とも言える程だ。
そんな日向一族の長が、柔拳ではなく剛拳にて敵を打ち倒す。それを想像出来る者が果たして忍界にどれだけいるのだろうか。
だが今の鬼鮫の様に日向が剛拳を使う事を想像もせずにいる者に対して、日向最強の忍はこう言うだろう。日向が剛拳を使って何が悪い、と。
誇りを持つ事によって人は己に自信を持つだろう。だが、誇りを重視し過ぎて視野を狭くする事は愚かである。
柔拳に誇りを持つ事は良い事だが、だからと言って剛拳を身に付けてはいけない理屈もない。ヒアシはアカネからそう教わったのだ。
時には柔拳が効果を及ぼさない敵や状況もある。そんな時の選択肢として剛拳を覚えておく事は悪い事ではない。そうして身に付けた剛拳は確かに効果を発揮した。
柔拳の内部破壊は確かに生物に対しては無類の強さは発揮するが、鬼鮫の様な特殊な敵には効果は今一つだ。
だが剛拳は柔拳と違い己の肉体を強化して対象を外部から破壊する単純明快な攻撃方法だ。その攻撃に対象にチャクラを流し込むという複雑な工程は挟まれない。
つまり鮫肌によるチャクラ吸収を最低限に抑えて攻撃する事が出来るという事だ。これが鮫肌を有する鬼鮫への最適解の戦術であった。
「わた、しは……!」
全身が傷つき、息も絶え絶えとなっている鬼鮫はそれでも力を振り絞って足掻き通した。
偽りのない世界。誰の言葉も疑う必要のない、夢の世界。暁にて唯一イズナの目的を知り、それを目指している鬼鮫は最期の最期まで諦めるつもりは毛頭なかった。
――水遁・大鮫弾の術!――
あの身体でどうやってここまでの術を放ったのか。ヒアシにそう思わせる程、この術の規模は凄まじかった。
周囲にある水はヒアシが吹き飛ばした事で僅かしか存在していない。殆ど水のない土地にて自らのチャクラのみでここまでの巨大な鮫を作り出す。まさに鬼鮫の執念が籠もった一撃だ。
「見事! 私も全霊にて応えよう!」
その執念を感じ取ったヒアシは鬼鮫を憎き敵としてではなく尊敬すべき敵として全力を尽くした。
――八卦空壁集掌!!――
八卦空壁掌を一点に集中させて攻撃範囲を絞り、その威力を絶大に高めた柔拳の奥義。
鬼鮫の大鮫弾は術そのものがチャクラを吸い取るという性質を持っている。敵が放った忍術を吸収して更に巨大となり攻撃力を増すという凄まじい術だ。
だがヒアシが放った八卦空壁集掌はその大元は八卦空掌と同じ、すなわちチャクラを放出して真空の衝撃波を作り出すという術だ。
大鮫弾の術ではチャクラを吸収してもその威力までは吸収しきれず、鬼鮫が全てを振り絞って放った術は敢え無く消し飛んだ。
「……がぶっ」
鬼鮫の口から大量の血が溢れる。そしてその胸からも。ヒアシが放った一撃は巨大な水の鮫を消し飛ばすに飽きたらず、鬼鮫の胸部をも貫通していたのだ。
両肺と心臓。強靭な生命力を誇る鬼鮫も、この二つの重要内臓器官を失った事でもはや戦闘力の欠片も残ってはいなかった。
「まだ息があるか……大した奴だ。慰めにもならんが最期に伝えておこう。私は貴様の事をけして忘れんだろう。……さらばだ」
「……」
ヒアシの言葉を聞いた鬼鮫が最期にどう思ったか。それは誰にも分からない。
こうして、偽りだらけの世界を生きた事で偽りのない世界を夢見る様になった男は散っていった。
「……やはり剛拳は慣れぬな」
鬼鮫の死を確認したヒアシは自身の手を見やり呟く。その両手は鬼鮫ではなく自らの血に塗れ、指の骨も幾つかが折れていた。
鮫肌と融合した鬼鮫の皮膚は文字通り鮫の肌の様に硬くざらついていたのだ。それを幾度も強打していればこうもなろう。チャクラの吸収がなければそれも防げたのだろうが。
それ以外にも多くの傷をヒアシは負っていた。鬼鮫の水牢鮫踊りの術はヒアシを大きく負傷させていたのだ。
だが泣き言など言えぬ。誰が見てなかろうとも日向ヒアシは誇り高き日向一族の長。それが泣き言など口にしてはならないのだ。
休みたがる肉体の声を無視し、ヒアシはその歩を進めていく。
他の七本刀がどうでもいいくらいのチート能力を持っているのが鮫肌。鮫肌と比べれば血中の鉄分で再生する程度でどうだと言うのか……。鮫肌が痛みで融合を解くのは独自設定です。実際にはそんな事はないのかもしれません。ですが、これくらいないと鮫肌強すぎなので……。
八卦空掌六十四連と八卦空壁集掌はオリジナルです。名前も適当。私にネーミングセンスというものはない。八卦空壁絶掌にしようかと思ったけど、これはナルトスで使われてるしね……。