八咫烏は勘違う (新装版)   作:マスクドライダー

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第83話 愛しいキミと

(つ、疲れた……)

 

 IS学園に、今日も今日とて放課後が訪れた。日頃ならISの訓練とか部活動へ駆り出されることになるのだろうが、なんと今日はなにも予定ナシ。本当なら跳ね回るように喜ぶところなのかもしれない。だが、今の俺にはそんな気力すら残されていなかった。

 

 最近は本当になにかと忙しいからかもだ……。ISに関しては座学も実習もいま1つだし、部活動に貸し出されるのはいわずもがな。部活の方がなかったらなかったで生徒会の方を手伝わされたり。おまけに最近は例のアレも同時進行ときた。いや、もう完成したから別にいいんだけどさ。

 

 とにかく、近頃は思うように休めなかったというのは紛れもない事実。今日の放課後くらいはゆっくりとしよう。さて、まずはどうしようかと考えながら自室の取っ手を握ると、なにか妙な違和感が伝わってきた。……どうやら鍵が開いているようだ。……なるべく慎重に開いた方がいいかも知れない。

 

 これまでの経験上、こういうとき無遠慮に入ってろくな目にあった試しはない。まるで盗みに入るかのようにゆっくりと自室へ侵入すると、俺の目に映るのは薄ぼんやりとした光のみ。その正体を探るべく室内照明を全灯にすると、答えは思いのほか単純明快。この部屋におけるもう1人の住民であった。

 

「黒乃……」

 

 薄ぼんやりとした光の正体はノートPCだったようだ。指がキーボードに置かれているということは、ずっと入力状態になって自動暗転機能が働かなかったのだろう。部屋の明かりをつけても反応なし。ヘッドホンを装着したまま横になっているということは……どうやらアニメかなにかを視聴中に眠ってしまったらしい。しょうがないよな、黒乃も今日は疲れているだろう。

 

 今日の黒乃は朝から学園内にはおらず、近江重工へ顔を出していたらしい。近江先生もしばらく顔をみせないということは、なんとなくの事情は考えられる。用事が済んだのは放課後よりずっと前で、公欠扱いな黒乃はこうして堂々とアニメ鑑賞に浸っていたのだろう。

 

(で、最終的に寝てしまったと……)

 

 ベッドでスヤスヤと眠る黒乃を見下ろしながら、俺は声を抑えてクスクスと笑いを零した。どちらかといえば微笑ましいだけだったんだが、どうにも普段は凛としている印象を受けるせいで、こういう姿をみるとおかしくて仕方ない。起きていたら頬を抓られたりするだろうから、笑えるうちにそうしておくのが得かもな。

 

「…………」

 

 緩んだままの締まりのない頬を撫でつつ、黒乃を起こさないよう傍らに腰を下ろす。……とりあえずPCはスリープモードにしておいて……っと。うん、これで黒乃に集中できるというものだ。といっても、別に何をするわけでもないが。そう……こういうときは、ただ眺めているだけでいい。

 

「綺麗だな……」

 

 まるで溜息でも吐くかのように、自然とそんな言葉が口から出てしまう。それは最近、黒乃がますます綺麗になったからだろう。惚れた贔屓目とかではなく、本当のことだ。なにやら黒乃は、美容に関して気を付けるようになったらしい。これまでが無頓着にもほどがあっただけかもだが……。

 

 化粧水とかなにやらが洗面所に置いてあるのは、俺や千冬姉からすれば大事件に相当する。思わず写真に撮って千冬姉にメールで送ってしまったぞ。向こうからはなんの冗談だ?……とか返信があったし。まぁなんというか、普段から綺麗な人が気を配りはじめたらそれはもう……という話。しかし―――女性は恋をすると綺麗になるというが、その類なんじゃないだろうな?

 

 ……そりゃ、惚れた相手には綺麗だと思って欲しいに決まっている。そうやって自分磨きに勤しんで、最終的にそれが周囲からみても解る結果に繋がるわけで……。では、それを黒乃に当てはめてみた場合……俺はそれをどう解釈すればいいのだろう。

 

 自分でいうのはなんだが、俺に少しでもよく思われたいって行動ならなんの文句もない。だが、それが俺じゃない奴だったとしたら……?それはもう、考えるだけで目まいが襲ってくる。……ダメだ、この件に関して深く考えるのは止めておこう。黒乃が綺麗になったという結論さえあればそれでいい。

 

(さて……)

 

 これからどうしようかと考えたところで、猛烈な眠気が俺を襲った。うーん、熟睡してる黒乃の影響かもな。……俺も少し仮眠をしておくか、それこそ寝不足続きだったんだし。俺は制服のまま、自分のベッドへ倒れこむようにしてイン。体をよじって枕へ頭をのせると、妙に重さのある瞼を閉じた。

 

「おやすみ、黒乃……」

 

 

 

 

 

 

(んっ……なんか明るい……?)

 

 薄く目を開いてみると、私の眼前には画面がブラックアウトしたマイPCが。なにか不具合がと慌てて起き上がるよりも前に、室内の照明がついていることに気が付く。帰って来た時間にはまだ明るかったし点灯させていなかったのだけれど。不思議に思い室内を見回すと、ベッドでイッチーが寝息を立てているではないか。

 

 時刻は……17時前。授業が終わり次第、真っ直ぐ部屋に戻って寝床についたのかな。いや、時間的に仮眠でもしようとしたら寝入っちゃったんだろう。もしかすると、眠っている私をみかけた結果なのかも。まだ起きがけで頭が回らないけど、強引に体を起こしベッドの上で胡坐をかいて座る。

 

(しかし、どうしたものかな)

 

 この時間にイッチーが自室に居るということは、訓練とかそういうのはなかったはず。いくら頭の弱い私だろうと、そのくらいなら予想はつくさ。だとすると、起こすのは忍びないよね……。最近のイッチーは頑張っているというか、頑張り過ぎなくらいだと思う。

 

 だからこそ寝ているのならなるべく長い時間そのままにしておいてあげたい。だが、あと1時間もすれば食堂が開く時間だ。その後閉まるまで1時間の猶予しかないわけで、起こさなければイッチーは飯抜きってことになる。う~む、それはそれでダメだよなぁ。

 

 ……手がなくはないのだけれど、私にとっては例によって説明がキッツイ。まぁ……とりあえずやるだけやりますけど。んじゃ、とりあえずイッチーが寝てる証拠写真を携帯のカメラでパシャリと撮影。……地味に役得―――ってそんなことはいいから、エプロン片手にいざ出陣!

 

 イッチーを起こさないよう静か~に扉を開き、静か~に部屋を後にする。そして向かうべきは食堂……の裏手だ。まぁ要するに、イッチーにご飯作ってあげようかなって。私が作ってしまえばイッチーはまだ2時間は眠れるだろう。私としても、イッチーに手料理を食べてもらえる機会があるのはいいことだ。ただ、問題は山積み……。

 

 さっきもいったように説明が難しいのもさることながら、仕事に追われる厨房を借りられるかどうかの問題だ。IS学園の設備はなにもかも広大でスペースが広いわけだが、個人的に料理作らせて下さいって言われても邪魔なだけだろう。ダメっていわれたら……仕方ないけど19時ギリにイッチーを起こすことにしよう。

 

「こーんなとこでなにやってんのよ」

(おっ、鈴ちゃん!やっほー)

「もしかして時間間違えてる?まだ17時よ。アンタわりかしポカやるものね~」

 

 食堂の裏手を目指して歩いていると、背後から鈴ちゃんの声が。振り返ってみると、優しい顔つきで腰に手を当てつつそういわれる。食堂の方向へ歩いてるんだ、確かに時間を間違えてるという解釈をされても仕方ないかも。とりあえず、どうにか事情を説明してみることにしよう。

 

「ご飯」

「え゛……なによ、我慢できないくらいひもじいの?なんならお菓子とか分けたげるけど……」

(違う違う……私じゃなくてイッチーのご飯ね)

「一夏の寝顔……?あ~……待ちなさい、どうにか推理するわ」

 

 私の口から出たのはご飯という単語だった。それを耳にした鈴ちゃんは、おっかなびっくりとしながらそう聞き返してくる。食べるのは好きだけど、そこまで食い意地張ってた覚えはないのだけれど……。このままでは不名誉だと思い、推理のパーツとしては必要であろうさっき撮ったイッチーの写真をみせた。

 

「一夏、今寝てるのよね?」

「厨房、拝借」

「で、厨房を借りたい……と。起こすのは忍びないから、一夏のご飯を作ってあげようって話かしら」

 

 あら、伝わるもんですな……。絞り出した言葉を拾った鈴ちゃんは、案外すんなり私の目的を察してくれた。思わず私は何度も頷くと、なんだか鈴ちゃんの方も鼻高々。腕を組み、ドヤ顔でふんぞり返る姿はとても可愛らしい。なんだかもっと褒めろといわれている気がするので、手を叩いて拍手を送っておく。

 

「……それならアタシが食堂の人に説明してあげましょうか?」

(マジでか。それならすごく助かるんだけど……)

「その代わりっていうか、ほら……さっきの一夏の写真とか貰えないかな~……なんて思っちゃったりして……」

 

 鈴ちゃんが説明役を買って出てくれたが、どうやらこれは取引を持ち掛けられているらしい。地味に貴重な1枚ではあるが、協力してもらう以上は断れないとも。そんな頬を染めながらモジモジするいじらしい様をみせられたらなおのこと。私はまたしても首を数回頷かせた。

 

「よし、決まりね!それじゃ向かいましょ。意地でもイエスっていわせてみせるから……!」

(ぶ、物騒なのは勘弁してよ……?)

 

 鈴ちゃんは拳で語る派なわけだが、今からしに行くのは一般人相手の交渉だからね?そんなニヒルな笑みを浮かべられ、指をボキボキ鳴らす姿をみせられた日には心配しか浮かばないんですが。ま、まぁ……鈴ちゃんが強引な手段に出た場合、責任もって私が鎮めるとしよう……。

 

 

 

 

 

 

「ん……?んっ!?ちょっ、今なん時で―――」

 

 仮眠から目を覚ました一夏は、一目散にベッドから起き上がった。携帯で時間を確認してみると、時刻は19時30分を指そうかという頃だ。これは……やってしまった、とっくに食堂は閉っている時間だ。18時あたりには起きようとしていたようだが、どうにもアラームをかけるのを忘れてしまったらしい。

 

(黒乃は……いないか)

 

 一夏の頭に黒乃が起こしてくれなかったという考えはなく、共倒れしなかったようで安堵しているといったところか。なぜなら、黒乃が自分のあえてそっとしておいてくれたのだと理解しているから。俺の好きになったのは気配り上手なところもだからなと、無意味に得意気だ。

 

(とはいえ、なにもないとなると妙に腹が減ってくるな……)

 

 人間の心理が関係しているのか、晩飯抜きだと悟れば悟るほどに一夏の腹は食事を求める。ふいに周囲へ聞こえる程の腹の音が鳴り響くほどだ。流石に耐えがたい空腹感を覚えたのか、冷蔵庫を漁ってなにか食べ物がないか確認することにしたらしい。溜息を吐きつつ一夏が立ち上がったその時―――

 

(たっだいまー!あ、イッチー。タイミングよく起きたんだ)

「ん、おかえり黒乃。今日はご苦労さんだったな。っておい……もしかして、それ―――」

(あ、うん、そだよー。えへへ……あなたの為に、真心こめて作らせていただきました!)

「っ……!?」

 

 自室へと戻ってきた黒乃が携えていたのは、トレイに乗った料理の数々。それだけで一夏は、様々なことを瞬時に理解した。やはり起こさずにそっとしておいてくれたこと。なるべく長い時間を寝て過ごせるよう、外出せずに済むよう料理を作ってくれたこと。それを理解すると同時に、一夏の胸中では歓喜の渦が吹き荒れる。

 

 全て黒乃が自分の為を思ってしてくれたことだ、それは嬉しいに決まっている。普段は多くの人間に振りまかれる慈母が如く優しさが、1%欠けることなく自分に注がれているのだから。一夏は胸を締め付けられる感覚を必死に抑え、取り繕うように続けた。

 

「その……あ、ありがとな。俺の為にわざわざ」

(ううん……キミの為なら私はなんだってやるよ?このくらい簡単簡単。ささ、座ってよ。熱いうちに食べちゃって!)

「あ……っと、ところでだが、黒乃は食べたのか?」

(うん、作る前に食べさせてもらったんだ)

 

 そう……俺の為に。俺の為に―――だ。一夏は自ら放ったその言葉を、脳内で何度も咀嚼した。一夏がそんな余韻に浸っていることなど露知らず、黒乃はテーブルの上にトレイを置く。少し反応が遅れはしたものの、違和感を感じさせない様子で席へと着いた。白々しくもそんな質問をぶつけながら……。

 

「そっか、なら遠慮なく……。いただきます!」

(はいはい、どうぞどうぞ。といっても、余り物しか分けてもらえなかったし……あまり手の込んだものじゃないんだけどね)

 

 一夏は勢いよく合掌すると、少し大げさな様子でいただきますという。そして箸を持ち上げると、今一度よくメニューを眺めてみることに。見るからに洋食で固めてきたというのが解る。ハンバーグにコンソメスープ、そしてしめじ茸と舞茸のソテーといったラインナップ。どれも香り立つ匂いが食欲をそそる。

 

「……んっ、豆腐ハンバーグか」

(おっ、流石イッチー鋭いね~。ほら、ローカロリーに抑えてみたんだよ)

「うん、スープも美味い!」

(ホントはブイヨンからやりたかったんだけどね~)

 

 起きたばかりであまり脂っこいものもキツイだろうと、その辺りに配慮した結果できあがったのが豆腐ハンバーグ。本当はブイヨンを作るところからこだわりたかったというコンソメスープ……。もはや単なる良妻の所業である。一夏の対面に座り、食事の風景をただ見守る姿なんてまさにそれ。

 

「いやー……本当に美味いな、うん。なんつーか、味が心にも染みるっていうかさ」

(フフッ、そりゃよござんした。イッチーが喜んでくれたら私も嬉し―――ってあれ……イッチー?」

「へ……?あ、いや……ハ、ハハハ……悪い、あまりの美味さに感動しちまった」

 

 ふと、僅かながらも一夏の頬を涙が伝った。本人に泣いていた自覚はなかったようで、慌てて涙を拭ってみせる。きっと、一夏もかなり追い詰められていたのだろう。正確にいえば、自らが自らを追い込み過ぎていた……といったところだろうか。

 

 そこへ休みが転がり込み、愛する人に心からの気遣いを送られ、こうして手料理まで食べさせてもらって……。一連の流れがここのところの忙しさと相まって、歓喜や感動、弱気や本音の入り混じった涙が流れてしまったのだろう。一夏は気にするなとでもいいたそうな様子だが、黒乃からすればそうもいかない。

 

 とはいえ、自分がしたいことを実行するには一夏が食事を終えてからでなくてはならない。黒乃は一夏の沢山自分を褒める言葉を幸せそうに聞き入り、食事の手が止まるのを待った。だがそこは伊達に男の子である。あっという間に料理はペロリと平らげ、一夏は元気よく合掌。

 

「ごちそうさまでした!」

(はい、お粗末様でした。んじゃ、片しちゃうから少し待っててよ~っと)

「あ、黒乃……俺も―――」

(ダメ、今回は断固拒否!お願いだから、ゆっくり休んでて……ね?)

 

 黒乃がすぐさま食器洗いを始めようとすると、一夏は手伝いを申し出た。しかし、あんな姿をみせられたうえで、今の黒乃に一夏を手伝わせるという選択肢はない。チョンチョンとベッドを指差すと、一夏はそれに大人しく従った。本能的に逆らえない感覚を味わったきがしたから。

 

 まぁ、家事をしている姿を眺められるのは役得なようで……。なにをするでもなく、ただただジーッと台所へ立つ黒乃の背中を見守り続ける。時折、黒乃との新婚生活なんて妄想しつつ、自爆し悶絶。完全に不審な一夏の姿に気が付くことなく、黒乃は何事もなく食器洗いを終えた。

 

(ん、こんなもんかな。さーて、イッチー……?)

「……く、黒乃?座るのは構わないけど、ち、ち、ち……近く、ない……か?」

「嫌?」

「そ、そんなことはない!そんなことない……けど……」

 

 しどろもどろとしながら指摘するにはわけがある。一夏のいうとおり、2人の物理的距離感は無に等しいからだ。互いの側面が密着し、触れ合っている部分を温めていく。しかし、それに反して一夏の緊張具合も凄まじい様子にみえる。けどと言葉を切った後、その先へ続かないのがいい証拠だろう。

 

(そっか……嫌じゃないんだ。……いったよね、嫌じゃなんだよね?)

(…………!な、なんなんだよ……この状況は!?)

 

 嫌じゃないという言質を奪ったとでもいうかのように、黒乃は一夏へ擦り寄り自らの体重を預ける。しっかりと黒乃を支えてはいるが、一夏は既にそれどころではなかった。パニックと胸の高鳴りが同時に襲い、ひたすら息が荒くなる一方だ。それを必死に抑えようとすることで、ついには黙りこくってしまう。

 

 黙ってしまえば自然に意識が黒乃へ向いてしまい、香りなどにも集中してしまう。そんな幸せな悪循環とでも表現すべき状態はしばらく続き、ひたすら時のみが流れていく。やがて一夏が自制を忘れるまで継続してしまえば、待っているのは―――

 

(よ、よし……慣れた。後はガッツだ私!)

「黒乃……?」

(お……おいで、イッチー。い~っぱい甘えていいんだよ?)

「…………」

 

 靴を脱ぎ捨てた黒乃は四つん這いでベッドの中央部まで移動すると、ちょこんと女の子膝で座ってみせた。なにごとかと一夏が目を丸くしていると、両腕を大きく広げてくるではないか。その仕草で、誰がどうみようと誘っているということを察っせられるだろう。

 

 内心で響く黒乃の声は非常に甘ったるく、蕩けてしまいそうに熱い。勿論そのイメージを一夏が想像することはできない。だが、一夏の中に潜んでいた願望を誘き出すには、無言無表情のままでも容易だったようだ。久方ぶりに、もうどうでもよくなるような感覚が一夏を襲い―――

 

「黒乃!」

(わひゃっ……!?)

「黒乃っ……俺……俺っ……!」

(……うん、解ってるよ……大丈夫。よしよし、イッチーはいつも頑張ってるもんねー。大丈夫、大丈夫)

 

 一夏は、まるでヘッドスライディングのようにして、黒乃の膝へと飛び込んだ。想像以上の勢いに戸惑った黒乃だったが、一夏の縋るような姿をみると、すぐさま片手で頭を撫で、もう一方の手でトントンとゆっくり優しく背を叩く。すると一夏は、母に甘える子のように腕を思い切り腰へ回してより黒乃の膝へ顔を埋める。

 

「皆が悪いとかいいたいんじゃなくって……!けど、俺、この環境……ずっと、辛くて……!」

(うんうん、鷹兄がいたって辛いよね)

「でも俺、皆よりいろいろ遅れてるから、そういうの全部……全部!言い訳になるんじゃないかって!」

(うんうん、皆ちょっと風当り強かったよねー。ごめんね、私もちょっと厳しかったよねー)

 

 これまで文句はたくさん吐いた。千冬に望む望まないは関係ないといわれたが、正直微塵も納得なんてしてはいない。だが一夏は、弱音だけは吐かなかった。男にとっての希望の星なんて、大それたものになろうとしていたつもりでもない。ただ一夏が決めて、一夏が貫き通してきたというそれだけのことだ。

 

 ただ、吐かなかったというのは―――裏を返せば溜めこんできたということでもある。一夏はこれまで、弱音を吐露する場をみいだせずにいただけの話だったのだろう。思ってみれば簡単なことだった。居るじゃないか、自分のどんな弱さだって受け止めてくれる最愛の人が。

 

 遠慮も照れも忘れ、一夏は縋るようにして弱い己をさらけ出す。黒乃はその一言一句へしっかり耳を傾け、安心させるかのように一夏の頭を包み込む。一夏を癒す役目は自分のものだというかのように、決して手を休めることはなかった。やはり今の黒乃にしてみれば、一夏へ尽くすことが喜びらしい。

 

「……ごめん黒乃。いつか頼ってくれっていったのに、こんなんじゃ全然―――」

「ダメじゃないよ」

「そう……か……。そうか……。なら、もう少しだけこのまま……」

 

 ある程度は落ち着いたようだが、今度は自己嫌悪が襲ってきたらしい。顔の角度を少し変えて黒乃の様子をうかがう一夏の目は、なんだか怯えが潜んでいた。だから……それで構わない、ダメでいいんだと黒乃が伝えると、一夏は再度膝へと顔を埋めてただ温もりを堪能する。

 

「……よし、元気出た。ありがとな、黒乃。時間とらせていう身分じゃないけどさ、風呂入ってこいよ。俺はもう平気だから」

(……うん、解った。それじゃ、お言葉に甘えて)

「あ、でも……その、また今度とか、頼んでも……いいか?」

「いつでも」

「ああ、頼む。あんなの味わって―――」

 

 黒乃の膝から脱出して顔を上げた一夏は、普段と変わらぬ様子でそう告げた。その様子から、溜めたものは全部吐き出したとみえる。黒乃は安心しながら頷くと、提案どおりに大浴場へと向かう支度を始めた。そのため、最後の一夏の呟きは―――絶妙に届かなかった。

 

(それじゃ、いってきま~す)

「消灯までには帰って来いよ」

 

 ヒラヒラと振られた手に反応して黒乃を見送った一夏は、ボスンと大きな音を立てながらベッドへと横たわる。しばらく夢のような時間が続いたせいで、一気に現実へ引き戻された気分なのだろう。しかし、様々な要因が先ほどまでの時間を現実だと、嫌という程に告げてくる。

 

 黒乃の温もり、黒乃の手の感触、黒乃の残り香、黒乃の黒乃の黒乃の黒乃の。―――思い起こすだけで、頭がおかしくなってしまいそうだった。今は本当に黒乃のことしか考えたくはなく、白昼夢のように一夏の頭へ多岐にわたる黒乃の姿が映し出される。その中には、自分のもっと野性的な欲望を受け止める黒乃の姿さえ―――

 

(あぁ……黒乃……本当に、ダメだろそれは……。お前のこと、もっと欲しくなっちまった)

 

 一夏は、やはり俺は黒乃が欲しいのだと再確認させられた。要するに、惚れ直したというやつ。黒乃の総てが自分の為にあるようにしたいという想いが、一夏の中でよりいっそう高まる。俺だけの黒乃。なんと……なんと甘美な響きだろう。考えれば考えるほど、一夏の脳は黒乃を欲する。

 

(モノにする。絶対、黒乃だけは絶対誰にも渡さない……!あの子は、俺のだ)

 

 つい数秒前までなら、黒乃が好きになってくれたらいいなくらいだったろう。しかし一夏は、もっと本能的な部分で黒乃を求めるようになったらしい。それを本人が自覚するや否や、えもしれぬ感情が胸中へ渦巻いていく。これはきっと、前々から激しく一夏の心に根を張っていた独占欲―――

 

(悪い事じゃない……だろ。好きな女の子が欲しいって思ってなにがおかしいんだよ。それくらいに俺は、お前が欲しくて欲しくて堪らないんだ)

 

 自身の独占欲を非常に闇の深いものだと考える傾向が強かった一夏だが、ここに来て少しばかり肯定的にとらえることができたらしい。とはいっても、この場合は開き直りに近いわけだが。それでも変に考え込むよりはよほどいい。欲しいものは欲しいで仕方のないことなのだから。恋愛感情なんかは特にそう。

 

(けど、少し頭冷やさないとな……。このままだと、勢い余って黒乃を襲いかねないぞ……)

 

 まぁ、返り討ちに合うだけあろうが。そうやって自嘲じみた考えを浮かべつつ、一夏もシャワーを浴びる為に立ち上がる。あながち間違いではないというか、高確率でそうなるであろうことが容易に想像がつくらしく、最終的には妙に悲し気な背中をみせる一夏であった……。

 

 

 




今週は終始2人のイチャイチャでお送りします。
勘違い要素なんていらねぇんだよ!(暴論)

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