八咫烏は勘違う (新装版)   作:マスクドライダー

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第28話 黒き翼の八咫烏(表)

「オルコット、準備は良いか?」

「ええ、わたくしはいつでも。……それより、何故ISスーツを着ているのか聞いてもよろしくて?」

「もしもの時の為だ。……これだけ言えば解るだろう。」

 

 今日は黒乃とセシリアの模擬戦が行われる日……にも関わらず、第3アリーナは昨日と打って変わって静まり返っていた。それもそのはず、千冬が入場制限をかけたからである。妹分の試合ながら、どう転ぶかなんて事は千冬にも予想がつかない。それ故に、黒乃へと最大限の配慮を施しているのだ。

 

 そしてこれまた静かな第2ピットにて、千冬はセシリアに準備の状態を問いかけた。セシリアの言う通り、千冬はその身をISスーツで包んでいる。セシリアからすれば聞くまでも無かったが、どうしてもその質問を口にせざるを得なかったのだ。すると千冬は、皆まで言わずに簡潔な返答をくれてやる。

 

「そうですか。わたくしは、てっきりこの期に及んで止めにかかると思っていましたわ。」

「……止めんさ。藤堂と闘う事でしか、お前のケジメがつかんと言うならな。」

「ありがとうございます……。」

「感謝はするな。これでも、複雑な気分なんだよ……。」

 

 顔には出ていないが、千冬の心中は複雑そのものだろう。セシリアが行おうとしているアンジェラの仇討……それの手助けをしているに等しい。仇討の対象が妹分なのだが、教師である立場がセシリアを止めるという行為を邪魔する。それだけに、セシリアの感謝の言葉なんて到底受け取れない。

 

「余計な口を叩いていないで、準備が出来たのならば迅速に行動せよ。」

「了解しました。」

 

 教師としての務めを果たす千冬を前に、セシリアはある意味で尊敬の念を覚えた。口で感謝がダメなのならば、言われた通りにするのが今は千冬に報いる事だ。そう考えたセシリアは、すぐさまブルー・ティアーズを展開。カタパルトへ足を着けると、いつでも出撃可能な体制を取る。

 

 それと同時ほどに、出撃用の隔壁が開いた。ナビゲーターもオールグリーン、最後にゲートにGO!という表示が現れる。合図が出てからコンマ数秒。そう言っても差支えが無いほどの反応速度でセシリアはブルー・ティアーズと共に飛び出していった。

 

 ハイパーセンサーでは、既に向こう側のカタパルトに居る黒乃と刹那を捕えていた。そして、思わず驚愕してしまう。刹那は超が着くほどの高機動機体。そんな事は黒乃を打ち倒さんとするセシリアからすれば周知の事実。しかし……やはり映像と生で観るのは迫力という物が違った。

 

(くっ……そもそも、何故あんな機体で飛ぶことが出来るのです……。)

 

 カタパルトから出撃し始めたのはほぼ同タイミングだったと言うのに、刹那とブルー・ティアーズでは競技場内まで辿り着くまでにかかった時間は数秒単位で違う。そんなとんでもない速度の機体を平然と扱うあたり、セシリアは単純に黒乃の操作技量を悟った。

 

「ようやくこの時が来ましたわ。ミス・藤堂……わたくしは、貴女に勝ちます。そして、姉様の無念をわたくしが……!」

「…………。」

 

 開始位置へと着くや否や、セシリアは高らかに黒乃へと向かってそう告げる。念願叶ってようやく成就したこの闘い……。セシリアにとっては、この1戦の為にIS学園へ来たと言っても過言ではないのだから。対する黒乃は、いつもの通り無に等しい。

 

 いや……実際のところは、何か考えてはいるのだろう。興味が無いなんて事はあり得ない……セシリアは、自分にそう言い聞かせた。黒乃が余りにも無表情が過ぎる為、それこそ興味が無いと言いたいように見えてしまうから。彼女が無表情なのは、彼女が望んでいる事では無い。セシリアは更にそう心の中で呟くと、しっかりその相貌で黒乃を見据えた。

 

『試合開始。』

「くっ、いきなりですわね……!」

 

 試合開始の合図が聞こえると、機械的な開閉音もしっかりとセシリアの耳に届いた。黒乃の両手に握られているのは、紅雨と翠雨だった。それが高確率で投擲の用途で使用されている事も把握しているが、セシリアにとっては痛い所を突かれる形となる。

 

「背に腹は代えられませんわ!」

 

 黒乃はセシリアの自身の動きとBTの動きを同時に行えないという部分をしっかり把握……と言うよりは、一夏に大声で喋られたせいで知っていて当然というのもある。とにかく黒乃は、紅雨をBTの内1機に、翠雨をセシリア自身へ投げつけてきたのだ。

 

 そこでセシリアが取った選択は、自分自身に発生するダメージを最小限に抑える事だった。単純な横移動のみで翠雨の回避は成功するが、その代わりとでも言うかのように紅雨はサクッとBTへと突き刺さる。しかし、セシリアの予想に反してBTは完全に機能停止していない。

 

(……そうですね、これを布石とさせていただきましょう。)

 

 だがセシリアは、あえてBTの操作を一時的に中断し、さも機能不全の影響で地に落ちたかのように見せかけた。果たしてこれが何を意味するのか、それはまだ解からない。そしてその一連の作業を行っていると……爆音が鳴り響く。何事かと意識を集中させると、セシリアの目の前には既に黒乃の姿があった。

 

「っ!?キャアアアア!」

 

 どう考えても物理的に一瞬では不可能な距離を詰めてくる……これぞ刹那の誇る強みだ。黒乃が仕掛けたのは、余力を十分に残したOIBオーバード・イグニッションブーストである。ブルー・ティアーズにとって、懐に潜り込まれることほどバッドなシチュエーションはない。そのまま抵抗も出来ずに、刹那の疾雷と迅雷に斬り裂かれてしまう。

 

「そう簡単にいきません事よ。」

「…………!?」

 

 タダで転んでいて、黒乃を倒せるはずが無い。そう判断したセシリアは、おもむろにスカート部のBTにミサイルを装填。この距離で撃っては自分も巻き込まれると承知の上で、黒乃に向けてミサイル2発を放つ。セシリアとしては直撃させるつもりだったが、寸前のところで黒乃は横にステップするようにQIBクイック・イグニッションブーストを発動させる。

 

 だが、完全に外したわけでも無い。ミサイルは片方が刹那の翼である雷火へと激突し爆発、もう片方はそれに誘爆する形で爆ぜた。予想通りに自身も爆風に巻き込まれたセシリアだったが、同じく黒乃もそうなら御の字だと気持ちを切り替える。そして爆煙の最中で刹那の位置を確認すると、グングンと後退していくのが解った。

 

 自分の土俵に入ってくれるのならば好都合だが、どうにも釈然としない。前進あるのみ、後退の2字などない。……といった戦闘スタイルだと記憶していた黒乃が、こうもアッサリと下がるのだから。何かあると考えるのが普通だが、とにかく自分がするべきは攻勢に出る事だ。

 

(攻撃……開始!)

 

 精密な射撃は一切意識せずに、とにかく手数を優先して3基のBTをフル活動させる。BTから射出されるレーザーは爆煙を貫き、黒乃の居る方向まで真っ直ぐに飛んでいく。しかし、黒乃も雷火をフル活動させてきた。右へ左へとにかく連続してQIBクイック・イグニッションブーストを発動させ、レーザーの弾幕は掠りともしない。

 

「ちょこまかと……。ですが、これには気付けなかったようですね!」

「…………!?」

「喰らいなさい!」

「…………っ!」

 

 セシリアの目的は、弾幕を張ってまぐれ当たりを狙ったものでは無かったのだ。試合開始直後に投じた布石……その布石を用いた大ダメージこそが真の目的である。さも機能不全に見せかけたBTを、こっそりと操作して黒乃の背後へと移動させた。どういう事か、黒乃はそれに全く気が付かない様子だ。

 

 それもそのはず。BTによる攻撃の手数が多いせいで、刹那のハイパーセンサーは警告音が鳴りっぱなしだ。いちいち確認している暇も無いほどで、背後に居るBTの警告も黒乃は無視してしまった。流石に至近距離から突然に攻撃されては黒乃もキツイらしい。紅雨が刺さったままのBTのレーザーは、完璧に黒乃の背にクリーンヒットした。

 

「…………!」

 

 セシリアと同じく、黒乃もタダでは転ばない。瞬時に背後へ振り向くと、刹那独特の鳥類と同構造の脚部でBTを摑まえる。そしてそのままの状態で紅雨へ手を伸ばすと、手前に引っ張るようにして手元に収めた。それに伴って、BTはまるで紙切れのように裂けてしまう。誰がどう見ても、今度こそ機能停止だろう。

 

「そちらばかりに気を取られてもよろしいのかしら?」

 

 黒乃が背後のBTを破壊するのを優先したのは、単に張り付かれる事を恐れたからだろう。そんな事は解っているが、セシリアはあえて挑発的な言葉を述べて見せる。再反転した黒乃がセシリアを真正面に捕えた頃には、さきほどよりも遠方にて構えていた。

 

 背後のBTを破壊していた隙で、数発は必ず当たる!セシリアはそう確信して、BT3基で射撃を再開。しかも今度の狙いは鋭く、精密と表現するにふさわしい。だが、本人が思っているよりも上手くはいかなかった。黒乃はとにかくQIBクイック・イグニッションブーストを連発し、一目散へ安全圏へと入っていく。いざ蓋を開けてみると、本当に1,2発程度しか当たってはいない。

 

(ですが、確実にダメージを与えられています!)

 

 セシリアの心中は、あの八咫烏相手にしてやったり。それに満ち溢れていたのだ。そう、この瞬間までは……。まだまだこれから、そうやって攻撃を再開しようとすると……とんでもない殺気を感じた。身体が重く感じ、まるで押しつぶされしまいそうな……そんな気さえする。この殺気はいったい……?

 

「っ!?あ、貴女……何が可笑しいと言うのです?!」

 

 セシリアは、気付いてしまった。相対している黒乃は、まだ八咫烏の片鱗すら見せていない事に。何故なら、黒乃の今の表情が物語っているからだ。俯かせていた顔を上げた黒乃の表情は……口元が三日月に見えるほど歪んでいた。この狂気に満ちた笑顔を見せてこそ、真の八咫烏だと……セシリアはこの瞬間に悟ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「くろ……の……?」

「…………。」

 

 千冬が入場制限をかけた第3アリーナだったが、この2人に関しては特別に許可されていた。IS学園に居る以上、黒乃のアレは知る事になってしまう。ならば、なるべく早い方が良いという千冬らしい判断故だ。もっとも、一夏は随分と前に知っていた事ではある。あるが……実際に目の当たりにすると、複雑としか言いようのない波のような物が心中に押し寄せるのを感じた。

 

 当初は候補生同士の戦いに、ただただ舌を巻くだけだった。それがどうだ?黒乃が狂気に満ちた笑顔を見せるなどと、誰が想像できたものか。箒は思わず、隣に居る一夏へと問いかけた。恐らくは、自分が居なかった間に何か黒乃にあったと考えたのだろう。それは正解なのだが、一夏に答える事は出来ない。

 

「おい、一夏……あれはいったいなんなんだ。」

「…………。」

「答えろ一夏!あれは、あれはいったい―――」

「まぁまぁ、とりあえず落ち着きなよ篠ノ之さん。」

 

 まるで覇気のない様子になった一夏に対して、箒は僅かながらの怒りを覚えた。目の前で起こる事実を受け入れられず、八つ当たりをしているのもあるだろう。歯をむき出しにしながら一夏へ詰め寄る箒を止めたのは、こんな雰囲気でもブレの生じない鷹丸であった。 

 

 冷静な状態では無い箒には、日ごろから怪しい奴であるという鷹丸の印象が、完全に危険思想の持ち主に変わり始めている。一夏を問い詰めるのに必死で荒げていた息を、ゆっくり落ち着けさせ……箒は自身の聞くべきであろう質問を投げかけた。

 

「近江先生……聞かせてください。黒乃の身に、何が起きたと言うんです。」

「ん~……聞いたことないかな?八咫烏の黒乃って。」

「……そうか。近江先生……八咫烏って、こういう事だったんだな……。」

「一夏!?やはり心当たりがあるのだな……。」

「ああ、悪い箒……隠してたわけじゃないんだ。だけど……だけど……!」

 

 鷹丸の放った八咫烏の黒乃という言葉に、一夏の脳内でパズルのピースが埋まった。八咫烏と揶揄されていたのは、もう1人の方の黒乃だと。それを理解し受け入れ難かったからこそ、一夏は何も反応を示せなかった。辛い事実だが、説明する責任と役割が自分にはある。そう覚悟を決めた一夏は、ゆっくりと口を開いた。

 

「箒、よく聞いてくれ……。黒乃は二重人格って奴なのかも知れないんだ。」

「な、なんだと!?……ならばもしや、あの黒乃は……!」

「与する者には幸を運び、仇なす者には災いもたらす。笑みを浮かべて仇を屠るその姿、まさに黒い翼の八咫烏……ってね♪まぁ、他の子達には知る由もないわけだけど。」

 

 一夏の告白に驚きを隠せない箒だったが、状況が状況だけに瞬時に察した。今モニターに映っているのは『藤堂 黒乃』ではなく『八咫烏の黒乃』であるという事を。そして、その主人格たるのは自分達が良く知っている黒乃ではなく、黒乃の内に存在するもう1つの人格なのだと……。

 

「災いもたらすだと……。ふざけるな、黒乃がそんな……!」

「彼女、黒乃ちゃんと違ってえげつないからねぇ。自然にそんな詩が広まっちゃった感じ?」

「ISに……乗れなくなる……?」

「おっ、ピンポーン!大正解。良くできました~♪」

 

 詩の前半に関して、箒はまだ合点がいった。しかし災いなんて事は想像がつかない。一夏の方は詩の後半にも合点がいっていた。少し前に千冬から聞かされた、八咫烏の黒乃が対戦者にトラウマを植え付けるという事実。それをボソリと呟くように言えば、まるでクイズ番組の司会者のように振る舞う鷹丸に太鼓判を押された。

 

「近江先生、質問……良いですか?」

「うん、何でも聞いてよ」

「具体的に黒乃は、何人を潰してるんです。」

「さ~……ダメになっちゃった人なんていちいち覚えてられないからね。え~っと、多分だけどざっと20人くらいだったかな?」

「貴様……。」

「……そうですか、ありがとうございます。」

 

 鷹丸は他人へ完全に興味を持てないという事ではないが、終わった人間などは覚えておくだけ無駄という発想らしい。その様子が何処か束に似通っていると感じたのか、箒はドスの効いた声色で確かに鷹丸を貴様と称する。しかし存外にも一夏が冷静であるため、ここで取り乱すわけにもいかないと自制が働いているようだ。

 

「おっと、翼も出しちゃうんだ……。2人とも、そろそろ彼女が八咫烏と呼ばれる所以が見られると思うよ。」

 

 そう言う鷹丸の言葉で我に返った2人は、モニターへと注目した。するとそこには、雷火から黒い炎が噴き出し……まるで本当に烏の翼を生やしたかのような黒乃が映し出されている。そして身体を少し丸めてタメのような動作を見せると、一気に黒乃は動き出す。

 

 試合開始からずっと刹那の速度に驚いていた一夏と箒だが、これこそが本気を出した最高速度だ……と語る鷹丸の言葉に絶句するしかない。更に驚くべきはまだまだこれからであった。セシリアは反撃の為にスターライトMk―Ⅲを撃つが、まるで当たりはしない。

 

 何故なら、最高速度で突っ込んでいるにも関わらず……まるで反復横跳びのように鋭く進路を変えているからだ。それもその都度攻撃を回避する為では無く、縦横無尽の言葉がふさわしい様相で黒乃は常に動き回っていると言って良い。完全に近距離戦闘のリーチまで入り込んだ黒乃のとった次の一手は……。

 

「か、刀で攻撃しない……?」

「ああ、なるほど……今回は飛び切りえげつないかもねぇ。」

「飛び切り……!?」

「見てれば解るって。焦らない焦らない。」

 

 黒乃はセシリアに密着したかと思ったら、足を背中に回すかのようにしてホールド……捕縛した状態へと移行した。そして肱を曲げつつ腕を振りあげた時点で、鷹丸は次に黒乃がどう出るか理解した。見てれば解ると言われた一夏は、穴が開くほどにモニターを凝視する。……と、刹那の肘から刃が飛び出てきた。

 

 それは隠し種と言って良い物で、霹靂と名のついた仕込刀だ。使用用途が非常に限定されているため、刀を7本全て落としたとか、緊急用の為に鷹丸はつけたつもりだった。しかし……予想に反して、黒乃は主兵装のように霹靂を使って見せる。刃の飛び出た鋭い肘を、ガツンと力強く打ちつけた。

 

「ヒッ……!キャア!?」

「…………!」

「このっ……このぉ!」

「…………っ!」

「キャッ!?ね、狙いが……定まらな……。」

 

 相手を捕縛し、身動きのできない状態から霹靂の刃を絶対防御発動圏内に叩きつける。とてつもなく有効な戦術だ。しかし、セシリアも負けじとBTによる射撃で、黒乃の頭上にレーザーの雨を降らせた。だが、黒乃は次の瞬間にはOIBオーバード・イグニッションブーストを地面へ向けて発動させる。

 

 ズドン!と大きな音が鳴ると共に、土煙が2人を中心とした周囲に舞った。おかげでセシリアは、ほんの少しの反撃しか許して貰えない。そして待っているのは、連続で振り下ろされる刃付きの肘打ちだ。黒乃は容赦の欠片も見せずに、次々と霹靂をセシリアの胴体へと喰らわせる。

 

「……!……!……!……!」

「あ、あぁ……!」

「……!……!……!……!」

「あああああああああっ!」

 

 マウントポジションを取られ、刃を身体に叩きつけられる……それも笑顔で。セシリアの顔面に映し出されているのは、恐怖以外の何物でもない。恐怖のあまりにセシリアは絶叫を上げるが、それでも黒乃が手を緩める様子は見られなかった。

 

「認められるか、こんなもの!あんなの黒乃では―――」

「箒、それは違う。アイツも黒乃なんだ。」

「何を馬鹿な!一夏、それは本気……で……。」

「…………。」

 

 音を立てて崩れていく。箒が積み立ててきたこれまでの黒乃が。強く気高く美しい。だからこそ目標にしてきた黒乃が、あんな戦法をとっているのだから無理もない。しかし、一夏は箒の現実逃避を制した。反論しようとした箒だったが、一夏の表情を見て何も言えなくなってしまう。

 

 一夏の表情は、苦しみそのもの。自分があの黒乃の一端を生んでしまった事件に関わっているとなれば、一夏の性格上逃げるという選択肢は浮かばない。だが、一夏とて受け入れ難いのだ。相反する一夏の言葉と表情。それこそ、一夏がどれだけ堪えているのかを体現している……。

 

「あれは、千冬さん……?」

「ん~……試合続行不可能と判断……かな。」

 

 セシリアサイドのピットから、打鉄を纏った千冬が猛スピードで飛び出してきた。ブルー・ティアーズのシールドエネルギーはまだ残っているが、これ以上は危険と判断して止めにかかったのだろう。鷹丸が2人へ、こういう時の為に織斑先生が待機していたんだよと伝えると、箒は何処か安堵したような表情を見せた。

 

 そして猛スピードのまま突っ込んだ千冬は、加速を十分に利用した蹴りで黒乃をセシリアの上からどかせた。黒乃はゴロゴロと転がりながら体勢を立て直し、セシリアの居る地点から数メートルで片手を地に着けつつしゃがんだ状態になる。その表情は……少しずついつもの無表情へと戻りつつあるようだ。

 

「近江先生、オルコットは……。」

「気絶してるみたいだけど、命に別状は無さそうだね。ただ問題は……彼女がこれからISに乗れるかどうかにかかってるかな。」

 

 黒乃ももちろんだが、箒はセシリアの安否も気になったようだ。近江は手元に空間投影のモニターを呼び出すと、セシリアのバイタルパターンらしき物をチェックした。医学の専門知識があるわけではないが、まぁみれば解るという奴だろう。

 

 そんな中、競技場では千冬が黒乃を落ち着けさせようと必死だ。黒乃は千冬に蹴り飛ばされてもなお、セシリアへと向かおうとしたのだから無理もない。しかし、それでも千冬を押し退ける……が、既に問題ないと判断したのか千冬は何もしなかった。その判断は正しかったらしく、黒乃はセシリアを姫抱きで持ち上げピットへ戻ってくる。

 

「黒乃……。」

「……軽蔑してくれていい。」

「!?」

 

 何か……何でも良いから声をかけようと思っていた一夏だったが、黒乃の一言でその気は失せてしまった。黒乃も黒乃で、それだけ言うと刹那を待機形態に戻して何処ぞへと消え去る。恐らくは保健室だろうが、残された一夏と箒はやはりそんな事より黒乃が気になって仕方が無い。

 

「……クソッ!」

「……何も一夏が悔しがる事では……。いや、済まん……気休めにしかなんな……。」

「はいはい、2人とも。そんなに暗くしてたらそれこそ藤堂さんが無理しちゃうよ?」

 

 何も言えなかった事がよほど悔しいのか、一夏は盛大に悪態をついた。それに対して一夏を元気づけようとした箒だったが、自分のやろうとしているのは自己満足だと言葉を取り消す。そんな2人へ鷹丸は空気も読まずにそう声をかけた。しかし、こんな時の空気を読まない発言だからこそ、なんとなく……調子を元に戻そうという気が働いたらしい。

 

「箒、受け入れよう。黒乃は俺達に沢山の事をしてくれた。でも俺達は貰うばっかりで……黒乃に何もしてやれてない。」

「……ああ、そうだな。黒乃は望んでいないだろうが、恩に報いるとすればここだ。誰が何と言おうと私たちは―――」

「「黒乃の味方だ。」」

「うんうん、美しきかな友情って奴だね。ぜひとも藤堂さんを支えてあげてね。……壊す前に壊れちゃったらたまったもんじゃないからさ。」

「……?近江先生、何か今―――」

「へ、僕が何かおかしいことを言ったかな?」

 

 声を合わせて黒乃の味方である事を決意した2人に、鷹丸は憎たらしい様子の拍手を送った。この場合は悪気がなかったりするのだが、いかんせん日頃の態度がそう感じさせるのだろう。そして最後に鷹丸がボソボソと何か言った気がした一夏だが、本人に素っ頓狂な声を上げられては追及のしようがない。

 

「……いや、気のせいだったみたいです。それよりも、近江先生。先生も黒乃の事を怖がらないでくれて、ありがとうございます。」

「ハハッ、キミ面白いね。僕が藤堂さんに何かしたりとか思わないのかい?」

「多分だけど、黒乃は先生を信じてますから。だから俺も信じます。先生がそんな人じゃない……って。」

「ふ~ん、嬉しい事を言ってくれるね。ま、期待せずにいてくれれば良いんじゃないかな。……それじゃ、僕はもう行くね。模擬戦のデータを纏めるのも僕の仕事だからさ。」

 

 鷹丸からすれば、そんな言葉は新鮮であった。だからこそ、どんな想いで投げかけた言葉なのか興味があるらしい。質問で返された一夏は、考えをそのまま伝える。一夏の返答を聞き、鷹丸はニヤッと笑ってから踵を返した。背中を見せたまま片手を振ると、ピットの奥へと歩いて行く。

 

「……これからどうするのだ?」

「…………。オルコットの様子を見てくる。事情、話しといた方が良いと思うんだ。どこまで信じてくれるかなんて解らねぇけど。」

「そうか。私は……部屋に戻っているぞ。」

 

 取り残された2人は、顔も合わせず短いやり取りを交わした。箒の言葉が終わると同時に、一夏はその場から駆け出して保健室を目指す。箒は一夏の姿が見えなくなると、顔をピシャリと叩いてから1025室へと歩き出した。2人の足は、いつも以上に重く感じられたことだろう……。

 

 

 


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