八咫烏は勘違う (新装版)   作:マスクドライダー

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第19話 始動 八咫烏伝説(表)

「あれ……千冬じゃん!?」

「ああ、昴か……。いつも悪いな、黒乃が世話になる。」

「いや、それは構わないけど……。アンタ、例の件でドイツじゃなかったっけ?」

「黒乃が模擬戦をやると小耳に挟んでな、急いで飛んで来た。」

 

 黒乃が刹那を貰った翌日に、再度近江重工を尋ねると昴にとっては意外な人物がそこに居た。昴の目に飛び込んで来たのは、ドイツに居るはずの千冬だった。ここに居る理由を問えば、眠たそうな目で飛んで来たなんて言う。わざわざその為だけに足を運ぶあたり、黒乃に対する溺愛ぶりがうかがえる。

 

 待合室に通されている千冬は、現在の黒乃の様子を昴に尋ねた。黒乃は現在、ピットで刹那の武装全般の説明を受けていると話す。そもそも刹那がどんな機体か知らない千冬は、それだけ聞いたって想像がつかない部分はある。そうなると、模擬戦開始の時間まで談笑になる……かと思いきや。

 

「2人とも、元気かしら?」

「アンタ……アンジー!?うっわ、懐かし~……アンタの方こそ、元気してた?」

「私はまだたまに会う方だが、久しぶりだな……アンジー。」

 

 待合室に、ISスーツを纏った外国人の女性が入室した。金髪青目でまさに英国人といった様相の彼女は、アンジェラ・ジョーンズと言う。IS選手で、イギリスの元国家代表であった。選手であっただけに、同じく立場だった千冬や昴とは親交があるのだ。昴は早期に引退し、彼女も一身上の都合で引退したために3人揃うのは久々だ。

 

「昴、貴女……似合わないわね。」

「あ、これ?アハハ、何の因果か……アタシはアンジーと同じ職業よ。」

「信じられるか?コイツが教職だぞ。」

Amazing(びっくり)!……って感じかしら。」

 

 昴のパンツスーツ姿を似合わないと称したアンジェラは、何故そんな恰好をしているのかと問いかけているのも同然であった。すると昴は、我ながら似合わないといった様子で自分は今ISの指導をしていると伝えた。千冬が捕捉を入れると、アンジェラは外国人らしいオーバーリアクションで反応を示す。

 

 というのも、アンジェラは引退後後進の育成に力を入れているのだ。もちろん昴のように適当では無く、キチンと真面目に仕事をこなしている。彼女の実力は、モンド・グロッソで部門賞を取るほどだ。もっとも、実を言うと昴もそのクラスのIS操縦者なのだが……。

 

「で、何で近江重工に来てんの?何か仕事?」

「ええ、最近代表候補生になった子と模擬戦をしにね。」

「!? もしや、黒乃とか?」

「ああ、確かそんな名前だったわね。もしかして、昴の教え子?それとも……千冬の弟子かしら。」

 

 話題を1周させて、何故アンジェラは日本に居るのかと昴は問い掛ける。予想できなかった事ではないが、アンジェラはどうやら黒乃との模擬戦をしに来日したらしい。すると思わず、千冬と昴の顔色が変わった。それを感じ取ったアンジェラは、急な雰囲気の変わりように不思議そうな表情を浮かべる。

 

「な、何……?急にどうしたのよ……。」

「アンジー、悪い事は言わない……黒乃と模擬戦すんのは止めときな。」

「ちょっと、意味が解らないわ。悪い冗談なら止めて……笑えないわよ?」

 

 昴はアンジーに詰め寄って、肩を掴みながらそう忠告した。その必死さが仇となったのか、アンジーは少しばかり機嫌を損ねながら昴を睨む。その様はまさに、オオカミ少年の状態そのままだった。昴としては、自身の日頃の態度を盛大に恨む。頭を掻きむしりながら、千冬に助けを求める。

 

「……聞け、アンジー。黒乃は――――」

「失礼いたします。ジョーンズ様、そろそろこちらの準備が整います。」

「OK、今行くわ。ま、心配してくれるのは嬉しいけど……私は大丈夫よ。それじゃ、2人の教え子に会いに行きましょ。」

 

 千冬がアンジーへ説明をしようとすると、そこには鷹丸の秘書である鶫が現れた。まるで狙ったようなタイミングの入室だが、鶫としてはそんな気は全くない。手短に用件を伝えると、アンジーを連れて黒乃の待つ第1ピットへと移動を開始した。千冬と昴は、すぐにその背を追えないでいた。

 

「千冬……。」

「……余計な事にならんと、そう願うしかあるまい。あの様子だと、聞く耳は持ってくれそうもない……。」

「…………。」

 

 まるで自分にそう言い聞かせるかのような言葉に、昴は納得しかねる部分もあった。しかし、千冬のいう事だってもっともではある。何故ならば、余計な事になった時の為に……自分達が居るのだから。千冬と昴は、微妙な雰囲気を何とか隠しながらアンジー達の背中を追いかける。

 

 第1ピットに向かう途中で、千冬達の背後からアンジーが現れる。どうやら、真っ直ぐ第1ピットへ向かったわけではなさそうだ。合流し直した4人は、気を取り直して第1ピットへと歩を進める。するとそこには、千冬にとって懐かしい姿が見えた。

 

「久しぶりだな、黒乃。一夏と2人で元気にやってるか?」

「アンタが模擬戦するって聞いて、緊急帰国したんだってさ。ホントこのシスコ……ぐはっ!?」

「黙れ適当人間。黒乃、この人は……紹介しなくても解るだろう。」

「ハイ、ミス・黒乃。私はアンジェラ・ジョーンズよ、今日はよろしく。」

 

 黒乃へ余計な事を言った昴に、千冬は容赦のない腹パンを撃った。その光景を見たアンジェラは、なんだか懐かしい気分になって静かにクスクスと笑う。まだ笑みが消えてはいないが、アンジェラは少し前に出て黒乃にしっかりと挨拶をする。もちろん、黒乃の事情は事前に説明を受けている。

 

「ま、今日はお手柔らかにお願いね。」

「良く言うよ……。黒乃、アンジーは手加減とかしないからね。まるでどっかのシスコ……グフゥッ!?」

「黙れダメ人間。」

「ちょっ、適当は認めるけどダメ人間はナシでしょ!アンタらのせいで、最近は普通に仕事してるでしょうが!」

 

 またしても千冬を引き合いに出した昴は、更に痛そうな腹パンをもらう。最初の発言はまぁ許せた昴だが、ダメ人間発言は気に障ったらしい。ギャーギャーと騒いで千冬に対して抗議している間に、黒乃はせっせと競技場へ出るためカタパルトへと向かった。昴は気が付かなかったが、アンジェラも既に姿が見えない。

 

『それでは、発進をお願いします。』

 

 第1ピット内にそんなアナウンスが響くと、黒乃は雷火をフルブーストでカタパルトから飛び出た。刹那の速度を見るのが初見である千冬は、驚きを隠せない。安全圏に居ると言うのに、凄まじい風圧が千冬へと吹き込んで長い黒髪がバサッと揺れた。

 

「とんでもないな……。」

「高機動ってのは聞いてたんだけどね……想像以上だわ。」

『試合開始。』

 

 千冬が驚き、昴がボソッと呟く。そんな事をしている間に、更に試合開始のアナウンスされる。まず動いたのは、アンジェラの方だった。ラファールのアサルトライフルを乱射するが、刹那はこれまたとんでもない飛行軌道で一発も弾丸を装甲に掠らせず避けきった。

 

「う~し、操作技量はやっぱピカイチね。」

「あれを問題なく乗りこなすか……。いい加減、感覚が麻痺してきたな。」

 

 機体自体には驚いたが、黒乃が簡単に刹那を乗りこなしている事には驚きが薄れている千冬がいた。そのまま黒乃はノンストップで迫り、刹那の左腰へと装着してある超大型物理ブレードの神立(かんだち)でアンジェラを斬り裂いた。まず初撃を与えたのは黒乃だ。

 

「ヒュウ♪アンジーからファーストアタックを奪っちゃうか……けど。」

「ああ、アンジーは……一筋縄ではいかん。」

 

 昴は口笛を鳴らしながら黒乃を評価する。だが……けど(・・)と言った途端に表情は険しい物になる。千冬は……元からそういう顔つきだが、やはりアンジェラがそう簡単にはいかないという旨の言葉を呟いた。やはり2人は、アンジェラの事を良く知っている。モニターに映る映像は、実際にアンジェラが反撃へと出たからだ。

 

 アンジェラはグレネードシューターから弾頭を発射すると、瞬時に武装を切り替えてスナイパーライフルを取り出した。そして驚異的な射撃精度で自ら発射したグレネードの弾頭を撃ち落とした。大きな爆発音で弾頭が爆ぜると、黒乃とアンジェラを取り囲むように爆煙が舞う。

 

 すぐさまQIB(クイック・イグニッションブースト)で煙の中から離脱する黒乃だが、それこそがアンジェラの狙いだったのだ。逃げた方向には、既にアンジェラが回り込んでいる。アンジェラと黒乃の距離はゼロ。そのゼロ距離のまま、アンジェラは黒乃の腹部にショットガンを押し当ててそれを乱発した。

 

「うっわ、えげつな……アンジーの奴、ダミーモジュール使ってやんの。」

「アンジーの真骨頂というか、基本のプレイスタイルはそうだからな。」

 

 アンジェラ・ジョーンズは、多彩なトリックプレーを得意とする。それでなくとも高い射撃技術に、トリックプレーが相まって、とんでもなくやり辛い相手である。アンジェラは得意げな様子でショットガンを肩へと乗せるが、次の瞬間……その表情は強張った。

 

「? アンジーどうしたんだろ。…………!?黒乃……?!」

「これは……!?モニター!黒乃をズームで映してくれ!」

「はっ、はい!」

 

 アンジェラの様子がおかしくなった理由は、昴がすぐに気が付いた。同じく千冬もそれに気が付き、モニタリングをしている研究員に慌てて黒乃をズームアップして映すように指示する。そしてカメラが寄って映し出された黒乃は、笑っていたのだ……。それもただの笑みでは無く、例えるならば……狂ったような笑みである印象を受ける。

 

「おい昴……何だアレは!アレが、例の件でも起きたのか!?」

「知らない……けど、心当たりはあったかもね……。」

 

 黒乃は優しい少女である。2人を含め黒乃と親交の深い人間は、きっと口をそろえてそう言うだろう。だからこそ、千冬は盛大に混乱しているのだ。無表情を崩さない黒乃があんな表情を浮かべる事など、全く想定していない。そんな千冬に対し、昴はどこか意味深な言葉で返した。

 

 どちらにしろ初見であっても、同じフィールドに立っているアンジェラの衝撃は大きい。感じているのは、とんでもない殺気……。その場に居るだけで、黒乃を見ているだけで……その意識が遠のいてしまいそうな気さえした。アンジェラは、黒乃から感じた殺気のせいか全く動けなくなってしまう。

 

 そんな事もお構いなしに、黒乃は行動を開始する。雷火から黒い翼が現れたところを見るに、OIB(オーバード・イグニッションブースト)をやるつもりなのだろう。想像通り、黒乃はまさに目にも止まらぬ速度でアンジェラへ迫る。しかもその途中に、太もも部分から2つの小太刀を取り出す。それは投擲を主目的とする物理ブレード、紅雨(こうう)翠雨(すいう)である。

 

 紅雨と翠雨は、真っ直ぐアンジェラへと向かう。とんでもない速度で刹那自体が前進しているにも関わらず、紅雨も翠雨も全く軸をぶれる事無くラファールの肩装甲へ突き刺さる。2本の小太刀が命中したのと同時ほど、黒乃は既にアンジェラの目の前に潜り込んでいた。さらに言えば、その手には長さの異なる2本の物理ブレードを握っている。

 

 長い刀が叢雨(むらさめ)、短めの刀が驟雨(しゅうう)という。黒乃は叢雨でアンジェラの頭から股まで振り抜き、驟雨で腹部辺りを水平に斬り裂く。そして更に、もはや叢雨と驟雨は用済みと言わんばかりにその2本をラファールの腕部に突き刺す。だが、それではまだ終わらない。

 

 黒乃は刹那の肩部分に小さく飛び出ている柄を掴むと、引き抜きながら斜めに交差させながらアンジェラの胴体を斬りつける。その刃は先ほどまでの物理ブレードでは無く、まるで雷のようなレーザーブレードだ。2本とも見た目に大差はないが、右手の刀が疾雷(しつらい)、左手の刀が迅雷(じんらい)である。

 

 ここまで来ると、もはやデジャヴに等しい。黒乃は疾雷と迅雷も先ほどまでのブレードと同じようにラファールの装甲へ突き刺す。今度は脚部だ。さて、残った剣は神立1本……黒乃は、それもしっかり使うつもりだ。アタッチメントから神立の鞘を取り外すと、神速と評するにふさわしい居合抜きですれ違いざまにアンジェラの腹部を斬り裂いた。

 

『し、試合終了……。勝者、藤堂 黒乃……。』

 

 黒乃の全ての剣を用いたコンビネーション攻撃は、確かに素晴らしかった。しかし、あの狂気を孕んだ笑みで台無しなのだ。たじろいた様子で試合終了のアナウンスが響くと、黒乃はアンジェラのラファールに突き刺さっている剣をすべて回収。その後に深々とした礼をアンジェラに送ると、ゆっくりピットへ戻って行く。

 

「黒乃……。」

 

 ピットへ戻ってきた黒乃へと、千冬は慌てて近づいて行く。黒乃の表情は、既にいつもの人形のようなものだ。しかし、先ほどの笑顔が頭にこびりついて次の言葉が紡げない。そんな千冬の横を、なんと黒乃は素通りしようとしたのだ。その行動も、千冬にはいつもの黒乃とは違うように感じられる。

 

「待て、黒乃……!今のは――――」

 

 言いたい事があるだけに、話がまとまらないながらも千冬は黒乃の肩を掴む。そこで黒乃の歩は、何とか止まってくれた。昴の前例もあるだけに、千冬は何とかやんわりとした言葉で先ほどの表情に関して問い詰めようとした。……が、振り向いた黒乃は衝撃の言葉を放つ。

 

「また……死に損ねた……。」

「っ!?」

 

 死に損ねた。確かに黒乃は、そう呟いたのだ。両親が故人となり、人の死に関してはかなり敏感なはずの黒乃が……確かにそう言った。しかも千冬には、どこか落胆したかのように言っているよう感じられた。黒乃はいったい、あの模擬戦の最中に何を思ったのだろうか……。

 

 

 

 

 

 

「また……死に損ねた……。」

「っ!?」

 

 先の模擬戦……黒乃の見た事も無い様子に、私は自然と問い詰めようとしてしまった。そして去り際に聞こえた黒乃の呟き……恐らく、ただの独り言だ。だが何故、そんな言葉が出て来なくてはならない!?私は歩き去ろうとする黒乃を更に止めようとしたが、今度は私が何者かに止められる。

 

「……何のつもりでしょうか?」

「ああ、別に敬語はいりませんよ?僕の方が年下ですし。」

「貴様……!」

 

 私の肩を掴んで止めていたのは、近江 鷹丸だった。近江の放った言葉は、明らかな時間稼ぎでしかない。黒乃の元に行かせようとしないのなら、それなりに理由があるハズだ。しかしこの男……気に入らんな。ヘラヘラとして、私が睨んでいるのにビクともしていない様子だ。

 

「まぁ説明は難しいんですけど、彼女は僕の夢を叶えてくれました。だから僕は、彼女の夢を応援しようと思ってます。」

「夢……?貴様、訳の解からん事を……!要領を得ん事を言うのなら、すぐさま貴様を張り倒すぞ。」

「それは順を追って説明しますよ。まぁ早い話が、僕があの子に死に場所を提供してあげようかなって。」

「……私が今すぐに、貴様の死に場所を与えてやろう!」

「落ち着いて下さい織斑様。それは、貴女の立場を悪くするだけの行為です。」

 

 私は耐えきれずに近江へと殴りかかったが、秘書の方へ止められる。私の拳を受け止めるとは、この女……ただ者では無いな。しかし、秘書の言葉ももっともだった。私が腕から力を抜くと、秘書の方も拳を離す。さて、近江……今の言葉、どういう意味か説明して貰おうか。

 

「彼女、どうして戦闘中にあんな顔をしたのだと思いますか?」

「……戦いを楽しんでいるから。」

「まぁ、普通はそう思いますよね……僕もそこは同意です。ですけど、ただ楽しいからの笑顔じゃないと思います。」

「何……?それはどういう意味だ。」

「彼女は、自分に迫る死の感覚を楽しんでるんじゃないでしょうか?」

 

 黒乃の笑顔は、歓喜からくるそれとしか見えなかった。認めたくはないが、私は近江の質問に大人しく答える。すると近江は、私とは少し違う視点で自分の考えを述べた。それはつまり、強者と戦える喜び……ではなく、強者に追い詰められ死を身近に感じる事を……黒乃は悦んでいるとでも言いたいのか。

 

「そんな馬鹿な事が……!」

「彼女は、自分が強い事を知っている。だからこそ、全力の自分を(たお)してくれるような……そんな相手を求めているんだと僕は思います。だからその可能性の見えたジョーンズさんに、あんな笑みを見せた……。」

「それで黒乃が死に場所を求めているだと……!?ふざけるのも大概にしろ!」

「嫌だなぁ、僕は大真面目ですよ?彼女の為に、僕は最適な死に場所……黒乃ちゃんを斃せる相手を捜そうと思ってます。なんたって、僕と彼女はWin-Winな関係ですから。」

「なんだと……?解るように説明しろ。」

 

 つまりこいつが言いたいのは、黒乃が自分の喉元に喰らいついてくる……そういった行為で喜んでいると言いたいのか?いや、今そこは良い……。とりあえずは、どうして黒乃の死に場所を探す事が、近江の益となるのか……そこを聞かせて貰おう。私の問いに対し、近江はやけに芝居がかった様子で語り出す。

 

「僕の……いや、僕らの造った刹那は、いずれ立つべく頂点に辿り着く機体だと思ってます。」

「……モンド・グロッソか?」

「そこはどう捉えて頂いても構いません……。まぁでもね、僕の持論なんですけれど。人間って向上心を無くしたら死んだも同然だと思ってるんです。つまり、刹那は時点最強……。僕はいずれ刹那を上回る何かをもってして、黒乃ちゃんと刹那を打ち破るつもりです。」

「なるほどな、それで持ちつ持たれつの関係性か……。ふざけるのも大概にしておけよ……貴様!」

 

 刹那は今まで乗りこなせる者が居なかったと聞いた。それならば、コイツの言う目標は踏み出しすらしなかったわけだ。だが……それを乗りこなせる黒乃が現れた。黒乃は……恐らくだが、死に場所を欲しがっている。それならば、自らの造った刹那を打ち破るにはうってつけの相手と言いたいわけだ……。

 

「ちょい待ち。……アンタの気持ちは解るけど、今はアンジーが心配だわ。様子、見に行った方が良いんじゃない?」

「……ああ、そうだな。お前の言う通りだよ……昴。」

 

 昴としては、私を落ち着けさせる為にそんな提案をしたのだろう。だが、その言葉ももっともだ。私は盛大に舌を打つと、秘書に向こう側のピットへと案内させる。私と昴、そして何故か近江も同行しバタバタと慌ただしく移動を開始した。そして向こう側のピットに居たのは、見た事も無い様子のアンジーだった……。

 

「おい、アンジー……。」

「ヒッ……!ち、千冬……?…………。ご、ごめんなさい……身体の震えが、止まらないの……。」

 

 私の知っているアンジーは、常に冷静沈着で強かな女だ。それがこんな、呆然自失の状態で小刻みに震えているなどと……。昴は険しい表情を見せて、近江は相変わらずニヤけた面でアンジーを眺める。とにかく、アンジーに事情を聞く事が……黒乃の事を理解する近道だ。

 

「何があったか、聞かせてもらえるか?」

「あの子……あの子が笑った途端に、とんでもない……殺気が……!きっと、あの場に立たないと解らないわ……。それも……あんな楽しそうに笑って、まるで甚振るみたいに……!怖くて、動けなかった……。」

 

 ……確かに、黒乃は全ての刃を用いてアンジーを攻撃した。しかし、最初の投げた2本……あれをしっかり胴体に当てていれば、もっと早くに勝負はついたはずだ。黒乃の技術を考慮すれば、外したのは……やはりあえてなのか?だかコレだけは言えるぞ、黒乃に限って他者を甚振るなんてことは絶対にない。

 

「烏……。」

「何?」

「昔日本の資料で見た……そう、八咫烏……。黒い翼を羽ばたかせて、災いを運ぶ八咫烏……!」

 

 日本では忌み嫌われる場合の多い烏だが、場合によっては神の使いとして扱われる。それこそが3本足の烏……そう、八咫烏……。八咫烏はそんな二面性を持っており、アンジーの言った通りに災いの前兆であるのも確かだ。烏がモチーフである刹那には、ふさわしい表現なのかも知れない……だが。

 

「でも、やっぱりこうなっちゃったわね……。」

「認めざるを得んのか……!」

「ええ、アタシ達の決めた黒乃を守るって道は……多くの者を傷つけなきゃなんない。」

 

 黒乃が代表候補生になった事で、私達の目的の1つは達成されたと言って良い。しかし、肝心な我々に覚悟が足りていなかった。旧友がこうして妹分に怯えてしまっていたとしても、黒乃を応援し続けるという覚悟が。それも昴は同じなようで、アンジーを眺めて歯噛みしていた。

 

「ですけど、もう引き返せませんよね?織斑さん、貴女は言えますか。代表候補生になって専用機も得た黒乃ちゃんに、ISには乗るなって。」

「近江……!」

「千冬、アタシ達は決めたはずでしょ。どんな時でも……黒乃の味方でいるって。」

「…………。」

 

 毎回こうなるとは限らないが、黒乃は公の前で戦う度に味方を失う事になるだろう。だからせめて、最後まで自分達は味方でいようと昴は言う。……もっともな言葉だ。姉貴分である私よりも、よほど素晴らしい姿勢と言える。私は黙って、頷く事しか出来なかった。

 

「鶫さん、この会社に精神科医って居たっけ?」

「いえ、流石に外科と内科しか居ませんが。」

「そう?なら急いで手配してあげて。織斑さんか対馬さんは、ジョーンズさんに着いて居てあげた方が……。」

「なら黒乃はアタシが。アンタ、まだ気持ちの整理が着いてないでしょ。」

「……頼めるか。」

「任せな。前にも言ったけど、アタシにとってもあの子は妹だからね。」

 

 そう言いながら昴は、懐から電子タバコを取り出して口にくわえながら第1ピットへと戻って行った。本人が聞けばきっと喜ぶ言葉だろうが、昴に限ってそれはすまい……。とにかく精神科医の到着まで、私はアンジーに落ち着くように促した。

 

(クソッ!どうなっているんだ……。)

 

 アンジーの様子を見守ろうと努めるが、どうにも心中では悪態をつくのを止められない。あんな黒乃……黒乃のはずが……。そこまで考えて、私は思った。もし本当に、黒乃で無かったとするならば……?アレが黒乃であって、黒乃でない何かだとすれば……どうだ。

 

(っ!?まさか黒乃は……!)

 

 過度な心的ストレスを負うと、そういった症状が出ると聞いた事がある。少なくとも黒乃は2度ほど味わっているぞ……。過去の事故か、ドイツでの誘拐事件か、もしくはその双方か。それに巻き込まれた際に、黒乃が患った症状は恐らく……多重人格。

 

「どうかしましたか、織斑さん?」

「……いや。」

 

 私が1人納得していると、突然近江が話しかけてきた。恐らく私は顔に出してはいないだろうが、こいつは何かを察知したに違いない。……というよりは、気づいているのだろう。黒乃が失語症以外の精神病を患っている事に。気づいたうえで話しかけてくるとは、なんとも意地の悪い……。

 

 適当に私が返すと、近江はそうですかと何事もなかったかのように離れていく。離れる近江に射抜くような視線をくれてやる。……効果がないのは解っているが、どうにもそうせずにはいられん。そしてアンジーを落ち着かせながら、医師を待つ事に集中した。それから数10分ほど経過し、ようやく医師が顔を見せる。

 

 医師が言うには、この場で解決できる精神状態では無かったらしい。同行を提案したが、アンジー自身がそれを断りその後の事は聞かされなかった。しかし、ほどなくしてとある引退会見が世間を騒がす事となる。アンジェラ・ジョーンズ、IS業界からの完全引退を表明。その新聞の見出しが、私の心の奥底に深く突き刺さった……。

 

 

 


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