八咫烏は勘違う (新装版)   作:マスクドライダー

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今話あたりから、原作から剥離し始めます。
落ち着いたら今後の方針を活動報告あたりで語らせていただこうかと。
興味のある方は、ぜひご覧になってみて下さい。


第104話 一夏の空白

(う……?)

 

 意識を完全に手放し目を閉じて次の瞬間に開いてみれば、まばゆい光が私の眼前に広がった。その光は綺麗なオレンジ色―――どうやら時刻としては夕暮れらしい。そうか、謎空間と現実世界では時間感覚に差があるのだな。またしても数時間ほど気絶してしまったのか。

 

 いや、私が寝かされている場所をみるに気絶では済まなかったのだろう。ベッドの隣に視線をやれば、そこには心電図モニターや点滴が。明らか生死が危うい状況下であった可能性が高い。そんな大仰なものが置いてあるということは、ここは保健室じゃなくて本格的医療機関かな。

 

(けど、学園であることも間違いないみたいだ……)

 

 室内のなんとなく近未来感を醸し出すデザインは、ほぼ間違いなくIS学園のものだ。気絶した影響もあってか、身体に力が入らないけれど手こずりながらも上半身だけを起こす。そのまま周囲を見渡すと、各所に学園の校章を見つけることに成功。やっぱり私の考察は正解だったみたい。

 

 ———って、あれ……?なんだか髪の毛が異様に長くなっているような。普段でも驚くくらいに長いから、定期的に切ってもらってある一定の長さをキープしているはずなのだけれど……。……うん、やっぱり既定のラインを大きく超えている。えぇ……?精神世界から帰還して髪伸びるとか、某オサレ漫画でもあるまいし。

 

 これは気のせいで済ますにはあまりにもだぞ。なんなんだ、寝てる間に育毛剤とかでイタズラされた?……ってのは絶対にないよなぁ。う~ん、このままでは埒が明かない。自分の足で歩き回って、どうにか正解を導き出すことにしよう。そうやってベッドから降りようとしたその時、病室のドアが開閉する音がした。

 

「……黒乃…………?」

(あっ、おはようイッチー。……また酷い顔。させちゃってるのは私だけど……)

「くろ、の……。あぁ……黒乃……!本当……か……?本当に……お前が起きて……」

(え、あの、そんな大げさな……)

 

 イッチーの表情はなんというか、まるで私が目を覚ましたことが信じられないかのようだ。おはようという意味も込めジッとその姿をみつめていると、なにやらイッチーは腰砕けのように崩れ落ちた。しかも、そのまま這うようにして私のベッドへ近づくではないか。そして―――

 

「ごめん、ごめんな!……お゛れ゛っ……が……守ってやれなかったから!」

(あぅ……イッチーの痛いくらいのハグ……!最っ高っ……!―――じゃなくて、心配かけたんだから謝らないと。ごめんね、イッチー。私はもう大丈夫だよ……大丈夫だから……)

 

 こんな泣きが入っているイッチーは初めて見た。私にすがるように抱き着けば、耳元ではなんなら全ての発音に濁点がついてしまうような喋りで懺悔を口にする。私を想ってくれているということで個人的には幸せ満点だが、それはイッチーに心配をかけた裏返し。

 

 イッチーを抱き返すかのようにして、右手は後頭部へ。泣くのを必死でこらえようとしているイッチーの後頭部を、ただひたすらに撫で続けた。私としては落ち着いてほしかったんだが、イッチーの懺悔は止まらない。それどころか、衝撃の言葉が飛び出てくるではないか。

 

「俺のせいで、黒乃がそんな辛い目に……!1か月も眠りっぱなしに……!ごめん……黒乃ぉ……!」

(……い、1か月……?ちょっ、ちょっと待って!)

 

 謝罪に混じって、本当にとんでもない台詞だったせいか思わず聞き逃してしまいそうだった。しかし、確かにイッチーは私の耳元で1か月といったはず。私はもう1度室内を見回すと、日時と曜日が表示されるタイプの壁掛け時計に目をやる。すると確かに、大会当日プラス1か月ちょっとくらい経過していた。

 

(そ、そうか、だからこんな髪も長くなって……。というか、えぇ……?じゃあ時間の流れはいったい……。なんか要因があるはずで―――って、あ、もしかして……!?)

 

 単純に時間経過で髪がこんなに長くなったというのは納得がいくとして、どうにもそんなに目が覚めなかった理由があるように思えた。考えを巡らせていると、私には心当たりというものがあった―――というかあってしまったという感じ……。

 

 向こうで、精神世界の方で認知と概念を弄った。それは何故?魂が具現した姿とはいえ、痛かったから傷を治すためだ。その方法は?……認知と概念の法則を利用し、傷が治るまで時間を経過させたからだ。もし、もしだ……傷が治るまで必要な時間を、現実世界で浪費してしまっていたとするなら……?

 

(……余計に心配をかけた理由―――やっぱり私かーい!)

 

 

 

 

 

 

―――約1か月前―――

 

「……実力ある人って、自己犠牲精神も強くなるわけ?」

「いきなりなにを言い出すのです、鈴さん」

「だってそうでしょ、会長さんも黒乃も……。アタシらはそんなに頼りになんないのかしら」

 

 黒乃の寝かされている病室には、襲撃を受けた専用機持ちが楯無さんと簪を除いて集合していた。楯無さんの方は大事には至らず、保健室の方へ運ばれたからだ。簪はそれに付き添い不在ということ。そんな中、ベッドで眠る黒乃に対して鈴が吐き捨てるように告げた。

 

 ……黒乃には悪いが、それには同意せざるを得ない。もう少し待っていてくれれば十分に―――いや、この思考は甘えだ。俺がもう少し早く着いていれば、あのクソ野郎をとっとと殺してさえいれば……!全ては俺のせいだ。溜めていたエネルギーのはけ口だって、俺の……白式の左手には存在しているってのに……!

 

「鈴、今すぐ訂正しろ。それは黒乃の行為を踏みにじる発言だ」

「あ゛……?ハッ、んなもんいくらでも踏みにじってやるわよ。誇りが大事?違うでしょ、黒乃が無事ならその方がいいに決まってんじゃん!」

「ちょっ、ちょっと2人とも落ち着いてよ!」

「喧嘩がしたいのなら他所でやれ、なんなら私がまとめて相手をするぞ。―――姉様を安心して寝かせてやる気がないのなら……な」

 

 箒の言葉は、黒乃が俺たちを頼りにしていないわけがないという意味を孕んでいるように聞こえた。それでいて、誇りを優先的に讃えるべきという意味も……。鈴としてはそこが気に入らなかったらしい。比較的に沸点が低いせいか、誇りなんかクソ喰らえだと箒に詰め寄った。

 

 その間に入っていったのはシャルロットとラウラの両名。温厚な性格であるシャルロットは喧嘩なんてなにも生み出さないと、冷静ではあるが合理主義なラウラは静かにできないなら強制的に黙らすというニュアンスで、それぞれの思いの丈を述べた。

 

 それでお互い冷静でなかったと反省したのか、伏し目がちに謝罪をし合う。……みんな、なんとなくピリピリしてしまっているようだ。黒乃や楯無さんのことも当然だが、やはり見知った人物があっさりと学園を裏切り、なおかつ生死不明というのが大きいのかも。

 

 いや、奴は―――近江 鷹丸は、初めから俺たちの仲間ではなかった……というのが正確な表現だ。だから、裏切るという表現は適当ではない。どちらにせよ、見知った人物が友人の意識不明に関与しているとなれば、こうして士気が下がってしまうのも無理はない。

 

「黒乃の容態はどうだ?」

「千冬姉……。とりあえず峠は越えたって先生は」

 

 険悪なムードが広がる最中、事後処理を終えたらしい千冬姉が病室へ駆けつけた。……きっと学園のことなんて後回しにしたかっただろうに、監督する立場上そうはさせなかったのだろう。開口一番で黒乃の容態を尋ねられ回答したが、喜んでいいのか悪いのか……そんな複雑な表情を浮かべていた。

 

「ああ、織斑先生……お待ちしてました」

「待っていた、とは?」

「患者さんのことでお話しなければならないことが。織斑ご姉弟以外の皆さんは席を外してほしいんです」

 

 騒ぐ俺たちのことも相手に出来ないほど忙しそうな先生だったが、千冬姉が現れたのを察知するとこちらへ向き直った。どうにも俺と千冬姉のみに話しておかなければならないことがあるらしい。恐らくは、この人数だと混乱を巻き起こす可能性が高いからだろう。

 

 それはつまり、悪い報せであることを暗示させていた。しかし、鈴を筆頭として先生の言葉は反感を買う。それはそうだ、報せそのものがよかろうと悪かろうと黒乃の友人として聞いておきたいはず。だが、そんな皆を黙らすのは千冬姉の静かなひと言だった。

 

「……お前たち、どうかここは引いてくれ。頼む……」

 

 千冬姉だって人だ、頼みごとくらいはする。だが、このように懇願すると表現するような頼み方を聞いたのは初めてだった。それはかつて付き合いがあった人物たちには深く突き刺さり、箒、鈴、ラウラと病室を後にする。セシリアとシャルロットは、慌ててそれを追いかけるような形となった。

 

「……どうぞ、話せるタイミングでお願いします」

「……はい、それでは単刀直入にいいます。……藤堂 黒乃さんですが、いつ目覚めるのか全く目途が立たないんです」

「…………は?なん、だよ……どういうことだよ!?先生、アンタ峠は越えたってさっきいったろ!」

 

 悪い報せだということは覚悟していた。けど……そこまでのことなんて想定していられるかよ。あぁ、今にも絶望に押しつぶされてしまいそうだ。それを防ぐために、俺には叫び散らすという手段しか残されてはいなかった。いつもだったら千冬姉にすぐ止められていただろうが、珍しく口を一文字につむぐばかり。

 

「申し訳ないですが、原因は不明なんです……。脳波にも異常は見られないのに、目覚める兆候が全く―――」

「どいつもこいつも黒乃のときは解らないで済ましやがって……。アンタら医者だろ!なんでいつも黒乃のことを助けてくれないんだよ!?」

「……よせ、彼女は黒乃の命を救ってくれたんだ。とりあえず生きているのならそれでいい」

「いつ目が覚めるか解らないんだぞ!?そんなの死んでるのとおな……じ……」

 

 何故なんだ。どうして黒乃に関わる病気や怪我は、いつだって医者が匙を投げる。普段はあの手この手で沢山の患者を救っているというのに、どうして黒乃だけ……!解っている、俺のしていることは八つ当たりでしかない。けど、そう問い詰めずにはいられなかったんだ。

 

 だが、ついに千冬姉が俺を制した。肩をガッシリ掴みながら冷静な言葉で俺を落ち着かせようということなんだろうが、今の俺にとっては火に油を注ぐこと他ならない。千冬姉にも八つ当たりという形で暴言を吐きそうになったが、振り向いてその姿を視界にとらえた瞬間に俺はなにもいえなくなる。

 

 千冬姉が泣いていた。いつも通りの厳しい印象を受けるその顔に、細いながらも涙が止まらず流れ続けていた。……産まれてこのかた、千冬姉の泣いている姿なんてみたことはない。父さんや母さんが死んでしまった時でさえ、黒乃がああなってしまった時でさえ千冬姉は毅然としていたというのに。

 

 それだけに、もう俺はなにもいえない。いう資格など持ち合わせてはない。後は力なくその場に崩れ落ち、己の無力さを呪うばかり。あぁ……心の中を暗いものが満たしていくのが解かる。黒乃が生きているというのは解かるが、だけど俺は―――

 

「もちろん原因究明には全力を尽くします。お気持ちは察しますが、どうか彼女のことを励ましてあげてください」

「……ええ、ありがとうございます。おい一夏、いつまでそうしている」

「…………ああ、解ってる」

 

 いつまでそうしている……か、その気になればいつまでだってこうしていられるさ。立てない、立ちたくない、俺のナニかが足へ力を入れることを拒んでいる。だが立つ努力くらいはしないとならない。俺の腕をグイッと引っ張る千冬姉の手を借りつつ、ようやくその場から立ち上がる。

 

 しかし、足取りはまるで錘でも着けたように重かった。一歩一歩が気だるくて仕方がない。本当に俺は前に進めているのかと錯覚を感じる程だ。どれだけかかったのか、それとも俺が思っている以上に早かったのかは解からない。だが、なんとか病室から出ることができた。

 

 廊下へ出てみるが、そこへ皆の姿はない。話が聞こえてはならないと気を遣ったのだろう。それは大変ありがたいことだ。今質問攻めにされたって、なんて答えていいか解かるものか。それに、俺自身もう黒乃が目覚めないかもなんて口にしたくはない。

 

「……一夏、もし私が姿を消しても気に留めるな。その時は、どうしてもやらねばならんことがある証拠だ」

「え……?なにいってんだよ……。黒乃がこんな大変な事になってる時に、他に重要なことなんて―――」

「近江 鷹丸だ」

 

 ボーっと立ち尽くす俺に、背中を見せたままの千冬姉がそう告げた。それは姿を消す可能性があるということ。我が姉らしくない言葉じゃないか、職務を放棄する気があるなんて。なにより、千冬姉が居てくれた方が黒乃も喜ぶに決まっている。だが、奴の名が出て来たことで、どういうつもりの言葉か察しがついた。

 

「千冬姉、まさか……」

「……奴はまだ必ず生きているはずだ。黒乃が目を覚まさない最中、奴はあのけった糞が悪い笑みを浮かべている。そんなこと我慢がなるものか!奴は……必ず私の手で息の根を止める!」

 

 近江 鷹丸が生きているというのは俺も同意だった。ああいうのは殺しても死なないというか、しぶといものだという根拠のない憶測でしかないが。だから、ならば、千冬姉は奴を仕留めなければならないと意気込んでいるようだ。……だから俺は黒乃の傍に居ろということなのだろう。

 

 千冬姉はそれだけ言うと、ズンズンと乱暴な仕草で何処かへと向かっていく。姿が見えなくなるまでその背を見つめてから、俺も歩き出―――そうとしたのだが、さて、どこへ向かえばいいのだろう。あぁ……解からない……なにもみえない……道の先はただ暗い。

 

「黒乃ぉ……!」

 

 俺はどうしたらいい?次はなにをすればいい?黒乃が隣に居ないという俺にとっての非日常は、こんなにも耐え難いものだったのか。自分がどれだけ黒乃を導にしてきたというのが解かる。隣を歩けていたと思っていたのに、なんと情けないことだろう。

 

 ……頑張らないと、な……。このままでは黒乃に心配をかけてしまう。そうだ、気をしっかり持て、なにもまだ黒乃が目を覚まさないことが確定したわけじゃない。ちゃんと黒乃におはようっていってやれるように、なにごとも起きなかったかのように生活を送らねば……。

 

 

 

 

 

 

「藤堂さん、もうかなり眠ったままだよね……」

「うん……。ようやく怖い人じゃないって解って仲良くなれたのに……」

 

 黒乃が目を覚まさないまま2週間ほどだろうか。学園内の雰囲気をみるに、支持派と反対派の勢力は五分五分くらいにみえる。黒乃と和解を果たした者は、より黒乃への支持を強いものにした。自らを犠牲にしてまで無人機を仕留めたという点からだろう。

 

「やっぱあの女がいないと平和じゃない?」

「いえてるー。ってか、1人であれだけ学園めちゃくちゃに出来るってヤバいっしょ」

 

 逆に、黒乃を敵視する者はより反発を強めている。黒乃を混乱と破壊の象徴としか見れなくなっているうえに、黒乃と無人機が交戦してできあがった破壊痕を目撃したせいかもしれない。……確かにどこもかしこも歩けないような状態だが、黒乃はお前らみたいな連中のことも守ろうとしたってのがどうして―――

 

「……一夏」

「ああ、織斑せんせ―――いや、千冬姉でいいのか?」

「私がお前を名で呼んだ、後は察しろ。それよりも……随分やつれたな」

「ハハ……ちゃんとしなきゃってのは解ってるんだけどさ、頭では解ってても身体がいうこと聞いてくれなくて」

 

 珍しいことに、千冬姉が他人の目がある状態で俺を名の方で呼んだ。一応の確認として問いかけてみるが、察しろというのならそういうことなのだろう。それよりも、千冬姉は俺の状態が気になるらしい。精神的にはなにをすれば解からない時よりマシだろうが、どうにも健康状態の方がな……。

 

 飯が喉を通らなければ、夜はグッスリ眠れもしない。こんな状態では生身でもISでも訓練は行えず、筋肉が衰えかなり体重も落ちてしまった。今の俺の顔は酷い物で、肉も少なければ隈もある。……なんとかその日の生を繋げているといったところだろう。

 

「なんなら休学しろ、そのままだと―――」

「いや、そのつもりはない。しっかりしないとダメなんだ……そうさ、じゃないと安心して黒乃が―——」

「1人の世界に入るな馬鹿者、私とてお前に用事があるから呼び止めたのだ」

 

 今の俺は完全に精神を病んでいる。強迫観念に駆られ、自らを追い込む方へ強いているのだ。そうさ、解ってはいるんだ……解っては……。そうやって1人ブツブツ呟く俺を見かねてか、千冬姉はほんの乗せるくらいの力で俺の頭に出席簿を置いた。それよりも、千冬姉の用事とはなんだろうか。

 

「これをしばらく預かってほしい」

「俺たちの家族写真……?大切なものだろ、それに預かれっていわれたって同じの持ってるし」

「一夏、察しろ」

 

 千冬姉が俺に手渡したのは、俺たち家族が最後に撮影した集合写真だ。それは写真立てに収められており、遺された俺たち3人は似たような物をいくつも所持している。そんなものをわざわざ預かれという真意が解らなかったが、千冬姉は俺の目をジッと見つめ―――ただひとこと察しろといった。

 

 ああ、察するさ……。つまりこれは、奴の前へ赴くという覚悟の現れ。つまり、奴の―――近江 鷹丸の居所を掴んだということなのだろう。だから、千冬姉にとって最も大事な物を俺に預け、それを必ず返してもらうという覚悟を決めたのだ。そうか―――

 

「……必ず取りに来いよ、あんまり待たせるとぞんざいに扱うからな」

「フッ、その時は殴り飛ばしてやる」

「楽しみにしてるよ」

「そうか……ああ、そうだな。一夏、黒乃を頼んだ」

 

 奴の居場所を見つけようと、そう簡単に倒せるような相手ではないはず。どんな手段でくるのか想像すらつかない。2度と千冬姉の顔を拝むことができないのかもという不安が過るが、俺はそれを止めることができなかった。なにせ、黒乃を頼まれたのだから。

 

 千冬姉はそれだけいうと、ヒールをカツカツと鳴らしながら歩き去っていった。……これを最期だとか思うのは、縁起でもないから止めておくか。さぁ、俺も自分の用事を済ましに行こう。俺も廊下を歩き出し、黒乃の眠っている病室へ急いだ。

 

「黒乃、今日もちゃんと来たぞ」

 

 病室の扉を開くなり、無理矢理にでも朗らかな笑みを浮かべ軽い調子で挨拶をかけた。当然ながら返事はない。まぁ返事に至っては、残念なことにいつものことではあるのだが。いや、そんなことよりも貴重な放課後を無駄にしてはならない。この時間が最も長く黒乃と一緒に居られるのだから。

 

「そういやこれ、忘れててさ。今はつけといてもらいたいんだ」

 

 俺が持ってきておいたのは、婚約の証ともいえる指輪だ。オニキスカラーのそれを黒乃の左手薬指にはめこむ。……起きていない黒乃と俺の、唯一の繋がりといっていい。心は今でもキチンと繋がっているのを感じている。だが、もっと物理的な証拠が欲しくなってしまったのだ。

 

 ……ああ、繋がりというならこれもちょうどいい。俺はベッドの隣にある小さなテーブルに、千冬姉から預かった写真立てを置いた。これなら、父さんと母さんも黒乃を見守っていてくれるはず。そして黒乃が目覚めたときにいってやるんだ、俺たち家族がずっと傍にいたんだぞ―――って。

 

「今日もいろいろあったぞ、時間が許す限り話すからちゃんと聞いてろよ?」

 

 時間があればここへ立ち寄っているが、放課後は決まってその日に起きた出来事を語って聞かせる。皆も無理していつもの日常をという雰囲気は感じるが、やはり学園での過ごす日々は凄まじく濃く、話すことがない日なんて1日たりともなかった。

 

 ここ最近のスケジュールはこればかり。黒乃のためだから全く苦に感じたことはないが、やはり俺が肉体的に限界を迎える日もきてしまうだろう。俺がぶっ倒れたら、ぜひこの病室に運び込んでくれれば幸いだが。……そうやって日々を過ごしていたある時だ―――俺の耳に飛び込んで来たのは、ボロボロになった千冬姉が発見されたという報せだった。

 

 

 




黒乃→頬の怪我治したせいですごい時間経過しとりますがな!?
一夏→黒乃が1か月も意識不明に……!

千冬が怪我をした原因は後ほど。
次回は奴のターンでお送りします。

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