水も滴る触手精霊、始めました。   作:ジョン・ドウズ

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就活終われハラスメントというのがあったそうですね。

ならば、今の私は就活止めたいシンドロームです。

やだ!小生やだ!!

全然更新出来ないじゃないか!恥ずかしくないの?恥ずかしいよ!!

就活───────それは、逃れられぬカルマ。


Date.25「その唇に、抱擁を」

 誠の過去語りが終わり、買い物(と水着選びと称した士道の取り合い)を済ませた一同は、帰路につく。

 

「十香さん、兄貴の友達だったんですね」

 

「うむ、誠はいい奴だぞ。桃太郎を読み聞かせてくれたこともあったな。あれはいいものだ」

 

「十香さんって、帰国子女か何かなんですか?」

 

「きこくしじょ?何だそれは?」

 

「あっ(察し)」

 

 他愛のない(ながらもちょくちょく危ない)会話をしながら、一同纏まっての帰り道。その中で、一人脂汗を流す者がいた。

 

「兄貴。明日休みだし、今日兄貴んち泊まっていい?」

 

  彩が兄にその質問をした時、嫌な予感が的中した誠は天を仰ぐ。妹の性格からして言い出しかねないとは思っていたが、本当にこうなるとは。

 

「家がゴチャゴチャしてるから、駄目」

 

「なぁに?また兄貴部屋散らかしてんの?ホンット生活能力低いんだから。私が片付けてあげるし、ご飯も作ってあげる」

 

「いい!!今日はいい!!ノーセンキュー!!」

 

「兄貴、やけに必死じゃない?」

 

 彩は不思議そうな顔をしているが、誠からすれば大問題だ。誠は今、公園に暮らしているのだ。まさか正直にホームレス宣言する訳にはいかない。ついでに言えば、普段は霊力消費を抑えるべく小型化した繰三と、公園で同棲していると言ってしまってもあながち間違いではない。逃避行の最中という訳でもないのに、家は無いが二人暮らしというこの状況を如何に伝えるべきか。最悪繰三は何とかなるとして、自分はどうしたものか。

 

 かつてないほど思考を巡らせていると、気付けば彩が寂しげな視線を向けてきていた。

 

「兄貴………私が行くの、イヤなの?」

 

 心臓が跳ねる。まさか妹を傷付けることになるとは。心中で頭を抱えるが、そうも言っていられない。何せ、連れて帰るという選択肢自体がアウトなのだ。幻滅されるというより、また無用の心配をかけることになる。学校に通っていないことに関しては、<ラタトスク機関>が転校手続きをしてくれたお蔭で身元確認が取れたことになり、学校・及び行政側の騒動は収まっていると聞いている。しかし、誠のいた施設の関係者となるとそうもいかない。下手に身元を偽装すると、実際に提示した住所に、予告なしに訪れてしまう可能性がある。故に、今まで誠を放置していたということがある。

 

 更に言えば、誠は『公園にいる』ことが精霊として()()()()()ことの証明になっている部分がある。積極的に人間社会には関わろうとせず、破壊活動もせず、ただ友人と共に平穏に生きることを最重要事項としている精霊、という評価が自衛隊内では下されている。公園暮らしが、結果的に誠を守る重要な要素になっていると令音から聞かされていたこともあり、今の暮らしをどうにも捨てがたいのだ。そのツケが、今こうして現れている。

 

「そうじゃねぇ、そういうことじゃねぇんだ………。ほら、こう………男子特有のブツが散らかっているというか」

 

「エロゲとか?」

 

「そうそう。だから―――」

 

「そんなん施設の頃からじゃん。私気にならないから」

 

「昔の俺のバカ!!ていうか気にしろ!!気にしてくれ!!年頃の娘だろうがお前!!」

 

 苦し紛れの一手も通じず、まさかホテル暮らしと嘯く訳にも行かず。下手な抵抗が、寧ろ彩の猛攻を呼ぶことになる。眼前で手を合わせ、拝みこむようなポーズで誠に迫る。

 

「お願い兄貴、一生のお願い!!明日絶対帰るから!!」

 

「お前の一生のお願いは今日で何回目か分かんねぇよ!!」

 

「一瞬一瞬を大事に生きてるの!!時は金なりだよ!!」

 

「にしても安いわ!!値引き過ぎて最早十割引きと化してるわ!!」

 

「何だっていいから一生のお願い!!」

 

「だーーーぁっ!!」

 

 誠は、左手で頭を掻き毟る。誠の最大の弱点は、彩の存在だ。血は繋がっていないが、自分の唯一の肉親と言っても過言ではない程に大切な存在なのだ。実際、施設にいる頃には何だかんだと彩の一生のお願い大安売りをその都度叶えてきた。

 

  また彩の側も、大袈裟な表現はしつつも要求する内容はそう難しい話ではないので、兄ならばきっと叶えてくれるはずという甘えが含まれている。『一生のお願い』が彩の親愛の情の示し方ということを知る誠には、どうにも断れない。

 

 ここで、見かねた真那が助け舟を出す。

 

「申し訳ねーんですが、クソテンはこれから繰三と一緒に、ウチに泊まりに来る話になっていやがります。そういうわけなんで、ちょっとご勘弁いただけねーですか?」

 

「え?………中学生の家に行くの、兄貴?」

 

「その性犯罪者を見るような目は止めろ」

 

  彩の視線が冷やかになり、真那は首をかしげる。手助けしたつもりが逆に誠をピンチにしてしまった。追い詰められた誠は助けを求めて繰三を見るが、ちろりと舌を出し、両手の人差し指でバツを作る。

 

「後の手段は、わたくしと逃避行(ハネムーン)しかありませんわね」

 

「誤魔化せないのが明らかなので却下」

 

「いけず………まぁ、当然ですけれど」

 

  いよいよ彩の不審感が頂点に達しようとしていた、その時。

 

「どうしたの」

 

  折紙が、小さく疑問を口にした。それは傍らの士道に向けられた台詞だった。士道は耳元を押さえ、明らかな焦りの表情を浮かべている。

 

「………まずいことになった………誠!琴里が!!」

 

「────!!」

 

  一言で内容の危険度を察した誠の表情が変わり、同じく真那と繰三も目付きを鋭くする。十香が士道に駆け寄り、四糸乃がよしのんと顔を見合わせる。琴里の事情を知らない折紙も、一同の様子に精霊絡みの問題が発生したことを察する。

 

「え?え?何?」

 

  そしたただ一人、何も知らない彩が目を白黒させていた。

 

「ね、ねえ兄貴?何?どうしたの?」

 

「悪いな彩。急用が出来た」

 

「え?」

 

  士道と真那を小脇に抱え、路面のアスファルトを粉砕する程の勢いで大地を蹴り、彩の視界から瞬間的に姿を消す。時を同じくして繰三や十香、四糸乃の姿も失せており、彩は慌てて辺りを見回す。

 

「あ、兄貴!?どこ!?」

 

「あそこ」

 

「へっ?────ええっ!?」

 

  精霊関係者の中で唯一この場に残っていた折紙が、彩の視界の遥か上方を指差す。そこには、  マンションやビルの屋上を飛び移り、明らかに人間でない動きを披露する人影が。位置の関係か兄は見当たらなかったが、彩の見たことの無い金髪の女性がいた。おかしな光景であることには変わりなかったが。

 

「………………現実?」

 

「そう」

 

  目眩にふらりと身体のバランスを失い、電柱にもたれ掛かる彩。静かに見つめる折紙に、目の焦点が定まらない狼狽しきった顔を向ける。

 

「お、折紙さん、どこか喫茶店でお茶しませんか?私、変なもの見ておかしくなりそうです」

 

「構わない」

 

  折紙の肩を借りて、彩はヨロヨロと歩き出す。

 

  現実逃避をするために、今は甘味に意識を向けていた。

 

  ただ真実と向き合う(兄の性転換を知る)のを先送りにしたに、過ぎないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

  十香に四糸乃と共に精霊マンションで待機するよう託した後、士道は残る三人と共に、〈フラクシナス〉艦内を走る。

 

『すまない皆。琴里の容態が突如悪化して暴れだした。今はまだ誠の薬が効いているが、これ以上活性化すると恐らく薬効を上回る』

 

  インカムを通し、士道の耳元から令音の声が響く。彼女の声に紛れて、何かの破壊音と琴里の呻きが漏れ聞こえている。焦燥を募らせながら、士道は走る。

 

「そうするとどうなります!?」

 

『琴里の破壊衝動が活発化し、この艦は墜ちるだろうね。そして琴里の手で天宮市は、再び大火に包まれる。────悪夢だよ』

 

「─────ッ!!」

 

「そうはさせませんって」

 

  思わず惨状を想像した士道の肩に、誠の手がポンと置かれる。

 

「大丈夫だってヘーキヘーキ。高濃度の薬飲ませて一発コロリですよ」

 

「殺すな」

 

「じゃあポロリで」

 

「セクハラ願望じゃねーか」

 

  誠がいると緊張が保たない。どこか気が抜けたが、琴里のいる部屋に辿り着いたことで気を引き締め直す。ドア越しに聞こえてくる破壊音に僅かに怯みつつ、意を決して部屋に飛び込む。

 

「琴里!!」

 

「シン、来てくれたか」

 

  破損し点滅するライト。ひしゃげ潰れたロッカーや、火花を散らすディスプレイ。荒れに荒れた部屋の中で、コンソールと向き合っていた令音が顔を上げた。眠たげな目に、どこか疲労の色が見える。

 

「どういう訳か急に暴れだしてね。鎮静剤に誠の薬も併せて飲ませてこの始末だよ」

 

  溜め息混じりに令音が語るのと同時に、手足に拘束具を付けたままの琴里がベッドに拳を叩き付けて粉砕する。

 

「ふぅぅうううううっ─────ああああああッ!!」

 

  明らかに普段の琴里ではない。一目見てはっきりと分かった。深く息を吐いた後、士道達に向かって徐に上げた顔は、喜悦に歪んでいた。

 

「ふふっ、ふふふふ………わざわざ来たということは、私に壊されに来たということでしょう?」

 

「琴里………」

 

「壊す。壊す。壊す、壊す!壊す!!力が総て!!強さが誉れ!!」

 

  〈灼爛殲鬼(カマエル)〉に呑まれている琴里の様子に、真那が頭を掻く。同じ妹として、琴里を見る目には哀れみがあった。

 

「こりゃダメでいやがりますね。クソテン、早いとこやっちまうですよ」

 

「あいよ。────そんじゃ司令、頭いきますよ!!【寵愛(ヤッド)】!!」

 

  水触手の群れが、誠の背中から姿を現す。先端から濃縮された霊力のゲルが噴出し、琴里の頭はおろか全身目掛けて放たれる。琴里は敢えて大きく踏み込み、誠に詰め寄ることでそれを回避する。手数に優れる誠に接近するのは自殺行為。自らの周囲を触手で覆い尽くしたも同然だ。

 

  しかし。

 

「ねえ、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

  琴里の身体から、熱を持った霊力の波が放たれた。触手を形成する水が蒸発、残らず吹き飛ばされる。誠が驚く隙すら与えず、琴里の元に水蒸気が集まり、再度液体になって()()()()()()()()()

 

「なっ!?琴里!?」

 

「うわっ、クソテン2号爆誕………!?」

 

「これも〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の力か、厄介だな」

 

  琴里の行動に、一同が次々と驚きの声を上げる。

 

「………赤い………ということは………熱を持った、触手………?」

 

「あのーー………繰三サン?」

 

「士道さん、その目はお止め下さいまし」

 

  一人、生唾を呑んだ者がいたが。

 

「は、はあっ!?それ俺のお家芸!!そりゃ無いですよ司令!!」

 

  外野を他所に、猛烈な抗議する誠だが、琴里は事も無げに涼しい顔をする。

 

()()()するのは得意よ。残念だったわね」

 

「くっそーー!!つまり〈灼爛殲鬼(カマエル)〉テメー、司令の意識乗っ取ってるって事じゃねーか!!」

 

「誤解しないで頂戴。私がもっともっと強くあるために、()()より冷徹に、好戦的に、無慈悲にするの。それが()()………いえ、敢えて言うなら私を振るう者(我が主人)の願いよ」

 

  琴里は、いや〈灼爛殲鬼(カマエル)〉は、自分の触手が奪われた事にショックを受けている誠を縛り上げる。四肢を拘束し、股の間や脇の下にも触手を差し入れていく。

 

「この………ぐ、っ!?」

 

  抵抗するが、数の暴力には逆らえない。更に首にも触手を巻き付けられ、万力のような力が誠の五体を引き千切らんとする

 

「素敵に無様な格好ね。散々他人を玩んだのだから、その報いよ」

 

  必死にもがく誠を嘲笑う、琴里。固く握り締めた拳を誠に向けて振るい、胴体に突き刺さった小さな手が腹に沈む。肺から息が強制的に押し出され、少量の吐瀉物が音を立てて床に落ちる。追い討ちを掛けるように一発、二発と、抵抗敵わず攻撃を受け続ける誠を見ていられない。たまらず士道と真那が飛び出す。

 

「止せ、琴里!!」

 

「クソテン、加勢しますよ!!」

 

「下がりなさい!アンタ達は後。()()使()()の邪魔をしたこいつを片付けてから!!」

 

  触手の群れが、二人を阻む。誠に近寄ることが出来ない。

 

「ぎ…………ぃあ…………」

 

「一方的に嬲られる感覚はどう?」

 

  笑う〈灼爛殲鬼(カマエル)〉。しかし、これまで事態を静観していた繰三がぽつりと漏らした。

 

「………………ない」

 

「は?」

 

「なってない!!そう申し上げたのですわ!!」

 

  荒れた部屋に、繰三の力強い喝が響いた。唐突な一言に唖然とし、誰一人返事をする者は無かった。損壊した電子機器の火花が、沈黙を埋める。

 

「あなた!触手を便利なロープ程度に考えておいででしょう!!無粋!!ナンセンス!!実にナンセンスな使い方でしてよ!!」

 

「………。」

 

「触手は拘束が華。ええ、それは確かにその通り。誠さんも確かに拘束から入りましてよ。しかしそれで終わっては意味が無い!!触手の利点は感触・本数・リーチ・フォルム!!全て揃ってのエクスタシー!!捕らえた者の申し訳な抵抗を容赦無く圧倒し、逃げ場の無い快楽の海に引き摺り込む悪夢の誘惑!!それをただの拘束具扱いとは片腹痛くってよ!!」

 

  力説するその熱量に、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が、精神的にも物理的にも数歩引く。

 

「………じ、自分で何を語っているか分かっているの………?」

 

「分かっていましてよ!!誠さんを私と同じ所に堕として下さるのかと思えば、失望しましたわ!!」

 

「現在進行形で自分の評価が落ちてるけど気付いてるよね!?」

 

  半ばヤケクソで割り込み、繰三に叫ぶ士道。いつの間にか随分と残念な美少女になっていた。

 

「わたくしだってただ良いように開発されて悔しいんですのよ!!せっかく逆襲出来るかと思えばこの有り様!!触手を振るう資格がありませんわ!!」

 

「資格あってもダメだと思う!!」

 

  心の内で、ひっそりと士道は匙を投げた。繰三は狂三とは別物。分かってはいたが、こんな形で再認識したくは無かった。誰かこの匙、受け取ってはくれまいか。主に誠。肩にポンと置かれた令音の手が、妙に暖かかった。

 

  真那は真那で、かつて己を磨り減らしてまで殺し続けた存在が、これ程までに変わり果てた事に呆れを通り越してある種達観し、遠い何処かを眺める目をしていた。

 

「さあ誠さん!!いつまで愉しんでいらっしゃいますの!?早いところ格の違いを見せて差し上げて下さいな!!」

 

「えーー、やだー」

 

「案外元気そうだった!?」

 

  繰三の一喝に、不承不承という様子で顔を上げる誠。その表情は、あくまで自然体に嫌そうな顔をしていた。

 

「折角司令に攻められてるから、もー少し堪能したかったんだけどなーー」

 

「俺達の心配を返せ」

 

「俺、色無誠の原動力はエロス・エロス・エロスですから。その為の触手!」

 

「………もう好きにしてくれよ………」

 

  繰三を残念な方向に導いたこれまた残念な男、色無誠。小さな子供を可愛がり、美少女は性的に愛でる存在。

 

  しかし忘れてはならない。色無誠は()()()()()()()ことを。

 

「はい、そんじゃお邪魔しましたー」

 

  触手に縛り上げられていた身体が青く染まり、不定形の水へと変化する。琴里の触手は締め上げる相手を失い、液状の誠の身体をただ虚しく通過する。

 

「な────しまった!!」

 

  誠の〈触抱聖母(アルミサエル)〉は、触手や霊力譲渡能力に目が行きがちだが、全ての行動に()()()()()()を利用している。則ち、全身を液状化出来る誠相手に物理的拘束など無意味。本当に遊んでいたのだ。

 

「では、我が愛しの司令────いや〈灼爛殲鬼(カマエル)〉、お前を触手の世界に引き摺り込む!!」

 

  再び人型に戻った誠は、ビッと指を突き付ける。ドギャァァーーンだのと効果音が付きそうなポージングだったが、状況が状況のためまるで決まっていない。一人繰三だけ沸いていたが。

 

「おい誠、お前に任せて琴里は大丈夫なんだよな」

 

「─────フッ」

 

「こっち見ろ!!ねえ!?大丈夫なの!?」

 

  士道の加速する心配を他所に、誠は右手を振るう。ハンドボール大の水の塊が掌から放たれるが、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が琴里の首を捻るだけで回避される。

 

  だが。避けたと思い意識の外に追いやられた水の塊から1cm程の触手が八条伸び、琴里の頭を絡め取る。

 

「何よこれ、むぐっ!?」

 

  琴里に取り付いた水の塊は顔全体に広がり、顔面を覆い尽くす。強制的に外界と遮断され、呼吸不可能な状況を作り出した。

 

「顔面を捕らえる触手、『フェイスハガー』!!」

 

「んーーー!?むーーーーっ!?!?」

 

  顔面を引っ掻くように抵抗するが、掴むことは叶わない。霊力を流し込もうとして熱波を放つも、今度は誠が水触手の温度調節まで意識を向けているために乗っ取ることも出来ない。更に、この水の塊は透明度が低く、琴里の表情を伺うことは出来ない。視界を塞がれた琴里としては、恐怖そのものだろう。何度も何度も熱波を放つ様子に、焦燥が伝わってくる。

 

「目隠し。拘束。一粒で二度美味しい?否!!では司令、改めて失礼しますよ!!」

 

  誠が水の塊に向けて手を翳す。すると水が脈動し、同時に琴里の悲鳴が上がる。喉に何か詰まったかのようなくぐもった叫びは、時おりえずき噎せ返る事で何度も中断される。立つことも出来なくなった琴里が膝から崩れ落ち、床を転げ回る。

 

  大の字で床に仰向けになって動かなくなり、身体を痙攣させるだけになった頃、琴里は触手から解放される。

 

  触手が外れて露になった表情は、虚ろな瞳ながらも頬は上気していた。口から直に霊力ゲルを流し込まれたのか、口回りから鼻下にかけて白い粘液が所々付着している。

 

「えほっ、えほっ………あ、あぁ………うぇ……げほっ……」

 

  令音がコンソールを叩いて精神状態をモニタリングし、そして安定したことを確認する。何はともあれ、琴里の暴走は抑えることに成功したようだ。士道は胸を撫で下ろし──────

 

「おにいちゃぁぁぁぁん」

 

「うっ!?」

 

  いつの間にやら抱き付いてきていた琴里に戦慄する。表情が明らかに、先日追いかけ回された時の琴里のそれなのだ。

 

「誠!!またかよ!?」

 

  誠を睨むが、目を逸らして頬を掻いて一言。

 

「いやぁ、────ごゆっくり~」

 

「待て!待ってくれ!ヘルプ!!」

 

  部屋から逃げた。

 

「兄様、卒業おめでとうございます」

 

「お赤飯、炊きませんといけませんわねぇ、くふふっ」

 

  後を追うように、真那と繰三も部屋を出ていった。

 

  最後の望みとばかりに令音を見る。

 

「ん、今回の攻略は簡単だったな」

 

「たっ、助けて下さい!」

 

「据え膳だろう、シン。よく味わうといい」

 

「れ、令音さーーーーーん!!」

 

  表情を変えること無く部屋を後にした。望みが打ち砕かれた絶望の表情で扉を見つめていると、琴里が抱き付く力を僅かに強めた。

 

「二人っきりだね、おにーちゃん」

 

「              」

 

  色気付いた妹の台詞が、死刑宣告にしか聞こえない。士道はこれから起こることを想像し、背筋が凍る感覚を覚えた。

 

  しかし。

 

「う"、」

 

  琴里が突如呻くと同時に、口元を押さえる。みるみる顔が青ざめ、力無くしゃがみ込んだ。

 

「琴里?どうした琴里!?」

 

「気持ちわるい………は、吐く……」

 

  慌てて士道が何か袋を探そうとするも、荒れた部屋には見当たらない。琴里を立たせて部屋から連れ出そうとするも、首を強く振られて拒否された。

 

  やむ無く士道は部屋を飛び出し、近くの部屋を漁ってビニール袋を手に入れる。琴里の元へ戻ろうとして廊下に出た。

 

が、

 

「う、うぇぇえええっ………お、ぇえぇぇぇえ………げ、う、ぉぇぇぇえええ………」

 

  盛大に吐く声がドア越しに聞こえて来た。間に合わなかった、と思った直後、

 

「っく、う、うぇぇぇえぇん…………」

 

  これまた盛大に泣き出す声が廊下に響いた。雑巾か何かが要るかと思い、一度声を掛けようと士道は部屋に入り、

 

「────は?」

 

  再び絶句した。

 

  琴里が吐いたと思われる場所に、唾液で濡れた裸の琴里がもう一人寝ているのだ。髪色は鮮やかなオレンジで、精霊時の角が生えている・赤いリボンをしている・瞳が黄色いといった違いはあれど、明らかに琴里だった。

 

「お、おにーちゃぁぁぁぁん………自分が自分の中から出てきたぁぁぁぁーーーー!!」

 

「は、はぁっ!?どうなってんの!?」

 

「わ"か"ん"な"い"ーーーー!!」

 

  兄妹二人で騒いでいると、色違いの琴里が目を覚ました。

 

「ん………」

 

「………!!………!?」

 

  琴里がリボンの色も忘れる程に取り乱し、士道の背後に隠れる中、新たな琴里は上体を起こして手を見つめる。続いて顔、身体、足と感触を確かめ、最後に琴里と士道に顔を向ける。

 

「─────そうか」

 

  そして、静かに頷いた。

 

「………君は、誰?」

 

  士道が恐る恐る尋ねると、すっくと立ち上がり、身体を隠すつもりなど毛頭無いという様子で堂々と立つ。

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉だ。不本意ながら、天使より意思のみが抜き出され、受肉したようだ」

 

「へ?何で?」

 

「大方、色無誠とやらのせいだろうな。忌々しい………これでは主人を導くことが出来ん」

 

  固く噛み締めた歯を剥き、怒りの余り歯軋りする〈灼爛殲鬼(カマエル)〉。怒りのままに手を突き出すと、橙の炎が部屋を嘗め、内装を焼き付くし消し飛ばす。

 

「主人、五河琴里よ!!色無誠は何処だ!!例え天使の全能振るえずとも、あの愚者を焼き尽くしてくれる!!」

 

  士道と琴里は顔を見合わせる。

 

  実に面倒なことになった。

 

  琴里と士道のデートは、明日。まさかこのまま、保護者(カマエル)同伴デートになってしまうのだろうか。

 

「何か凄い音が聞こえてきましたが、どうかされました?」

 

  背後で外側からドアが開かれ、真那が顔を覗かせる。そして部屋の惨状と、琴里そっくりの〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を見た後、

 

「あれっ、おめでたでいやがります?神話の神様みてーでいやがりますね」

 

  笑顔で見当違いの感想を述べた。

 

  士道、琴里、どちらのものとも分からぬ溜め息が、揺らめく炎の音に混ざって消えた。

 

 

 

 

 

 




カマエル。思い付きで出しました。今後も出てこれるかは人気次第。世知辛いね。

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