昨日、タマちゃん先生に菓子折を持っていくと言ったな。あれ、無理だった。だって今日学校休みなんだもん。開校記念日とか聞いてねーよ!まあいいさ、どうせ俺は今日一日暇じゃないからな!
え、何でって?それはな。昨日折紙先輩にASTの基地まで連れてかれたしょ?昨日は上に許可を仰いだとか何とかで、結局模擬戦の後はメシ食っただけで終わったんだよ。久々のカツ丼美味かったなぁ。ちょっと泣いた。
んで、寝袋借りて格納庫の隅で一晩明かしてる間にオッケーが出たらしい。朝一番に真那が俺をぶっ叩いて起こしつつ教えてくれた。
今は、真那と対面に座って食堂で朝食(俺だけ有料)を食べている。手元の納豆の器から、ねちゃねちゃ音がする。ちと混ぜすぎたか。
「今日の実験だかテストだかってのは、一体何すんだ?何か聞いてない?」
「聞いてねーです。義姉さま………あいや、鳶一一曹も今日は出かけていていねーですし、全く聞こえて来やがりません」
「そか。痛かったらやだなー」
などと話しながら食事していると、真那の隣に荒く配膳トレーを置く隊員が一人。
「おっ、前髪カチューシャ。気分はいかが?」
顔を上げて目線を合わせる。
「はっ、話しかけ、ないでぇ………んっ、はぁ…………今、ちょっ………と、ヤバイ、か、ら………ぁ………」
何か早朝から汗だくだった。どこか上の空というか、地に足が着いていないというか、ヘヴン状態だった。えっ、何この子。朝から偉いことになってる。
「舞上二曹は、先日の謎の精霊───〈リリス〉との交戦後からこうなんでいやがります」
「随分とエロイ精霊だな」
「貴方もですけどね」
なんだ、仲間かぁ。とんだ変態だ、会ってみたいね。ただし、日常生活に支障がある開発はアウトだ。面倒見る気がないなら尚更だぞ。変態だが淑女ではないな。
「お願いですからちょっと食事終わるまで喋らないで下さいぃぃいいいっ!!薬飲む前にその声聞くと耐えられないのぉぉぉっ!!似てる!あいつに似た声はだめぇぇぇええーーーーっ!!」
真那と会話しただけで、両耳を押さえて苦しみ出す。かなり深刻じゃねーか!?
「少しでも声とか口調が似てるとこうなりやがります。先日も誰かの点けたラジオに反応して突然喘ぎ出し、医務室に運ばれやがったとか」
「お、おう………悪い」
「返事もらめぇぇぇええっ!!」
難儀してるなぁ、この子。流石に気を使って箸が進まない。俺が黙ると、待っていたとばかりにメシをかっ込み、あれよあれよと言う間に食べ終わる。薬の瓶をテーブルに叩き付けるように乱暴に出すと、絶望の中に希望を見つけたような救われた表情を見せた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」
何かの中毒者のような反応をしつつ、瓶の蓋に手を掛ける。もどかしそうに蓋を開け──────
「────はいストップ。悪いけど勝兎、預かるわよ」
隊長さんに没収された。え、何で?俺だけでなく、真那までポカンとしている。前髪カチューシャに至っては、この世の終わりのように顔を青くしていた。
「たっ、たいちょおおおっ!?返してぇぇぇええっ!!麻薬じゃないの知ってますよねぇぇぇぇぇええっ!?」
椅子から跳ねるように立ち上がり、隊長さんから薬を奪い返そうとするも、身長差がそれを許さない。折紙先輩より少し高いくらいだからなぁ、前髪カチューシャ。
「知ってるわよ。けどね、あんたのその症状を色無誠が治せるか実験するから、今は飲ませてやれないの」
「そんなぁぁああああっ!?」
悲鳴を上げているが、隊長さんはお構い無しに前髪カチューシャを引き摺っていく。
「真那、食べ終わったら色無誠を演習場まで連れて来て。あそこで実験するから」
「合点です」
「たっ、助けてぇええーーー─────」
哀れな叫びが食堂に響き、少しずつ小さくなっていった。
「ど、ドナドナ………」
「ミケ、思っても言っちゃダメですぞ」
俺の後ろの方で、小動物のような小柄な隊員がポツリと漏らしていた。言ってやるな、言ってやるなよ………。
◇
朝食を終えると、他愛ないお喋りをしながら真那と共に演習場へ。昨日今日で大部打ち解けた気がする。
「でもえっちいのはよくねーと思いやがります」
「人間の三大欲求だぜ、無理だよ」
「兄様に言いつけますよ」
「例え士道先輩でも俺は止められないぞ!───例外は要るけど(ボソリ)」
話していて驚いたが、こいつ士道先輩の実の妹だというのだ。名字は崇宮。士道先輩は崇宮姓だったのか………。あれ、先輩も意外と家庭事情複雑?
俺の言う例外、それは勿論琴里司令だ。司令は士道先輩の義理の妹ということになる。知らんかった、よくあんなに仲良いなぁ。
まあ、義理だろうが何だろうが、今は五河士道であることには変わらないし、今は司令が士道先輩の可愛い妹:琴里ちゃんであることも変わらない。実の妹が現れたからと司令を突き放すならブッ飛ばすけど、そんな人じゃあない。先輩のことは信頼してる俺である。
ちんたら歩いていると、目的の演習場へ辿り着く。仮に俺が暴れても問題ない場所ということで選ばれたのだろう。そんな気はないけど。
既に、何名ものAST隊員がスタンバイしていた。解析班と見られる人達がパソコンやら良く分からない装置相手ににらめっこしている。しかしそれだけではなく、昨日の模擬戦では使われなかったゴツい武器を装備したメンバーが二十人以上待機していた。うわぁ、ガチ装備やんけ。
「来たわね。色無誠、早速やってもらうわよ」
「ふーーっ!!むぅーーーーっ!!」
隊長さんに出迎えられた訳だが………前髪カチューシャよ、お前器具で拘束されてるだけでなくギャグボールまで付けられてるんか………。何であるの、それ?いや、昂るから良いけどさ。あと、何故ワイヤリングスーツ着てるんだ?
「まあ良いですけど。〈
空間が軋み、霊力の暴風と共に空間を突き破って俺の天使が降臨する。空間震警報は鳴らない。今は一時的にカットしてるらしい。
「ふぅ。出すなら出すと言いやがれってんです」
「いや、スマン。ありがとう」
「礼には及ばねーです」
触抱聖母の余波を、CR-ユニットを高速展開した真那が随意領域で受け止めていた。おーおー、ホントにお前スゴいな。分身とは言え狂三を仕留めるだけはある。
真那に礼を言ってから、俺は前髪カチューシャの額にそっと触れる。どこが悪いのかは、身体に一ヶ所触れれば分かる。俺の様子を、皆が固唾を飲んで見つめていた。
前髪カチューシャのダメージは、肉体に刻み込まれ、心と身体を蝕んでいる。俺も確かに彼女を触手で弄ったが、このダメージは違う………………
根源は捉えた。後は祝福するだけ。
「─────始めますよ」
俺が静かに宣言すると、隊長さんが首肯で答えた。
人の手で為せぬ奇跡なら。今こそ見せよう、精霊の手で。
「【
両の指を固く組んで握り締め、背中から触手を生やす。触手は前髪カチューシャの身体を包み、水の球体を為す。
俺の触手は、実のところ触手ではない。本来の用途は、霊力を供給するパイプなのだ。
さあ、出力を上げよう。俺は祈るように目を閉ざす。
霊力の高まりと共に、俺の姿は少しずつ変化していく。頭光のような装飾が、肩には半透明なケープ状の帯が現れる。端から見れば、祈りを捧げる聖女みたいじゃないか?実際見たこと無いけど。
触手を通って、淡い光が水の球へと集まっていく。それが繰り返されるにつれて、水に浮かぶ少女の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
回りの雑音も、誰かの声も、今は等しく聞こえない。ただ、静寂の中で祈るのみ。
命に触れ、命を抱く、聖なる母。〈
どのくらい祈っただろうか。
《────
「───────ッ!?」
唐突に脳内に響いた声に、張りつめた意識の糸が切れた。呼吸を止めていたかのように胸が苦しい。全身が汗に濡れていた。
「真那、どんだけ時間が経った!?実験はどうなった!?」
荒い呼吸にも構わずに、背後の真那へと顔を向ける。しかし、真那は遠くを見ているかのように上の空で、反応しなかった。
「真那!!」
「あっ、はい!!崇宮真那でいやがります!!」
「しっかりしてくれよ………開始から何分経った!?」
ガクガク揺さぶってやると、慌てた真那がスマホを取り出して確認する。俺がスマホを見ないのは、開始時刻を見ていないからだ。
「えーー…、あ、五分しか経ってねーです。もう、終わりでいやがりますか?」
「あれ、そんなもん?確かに終わったけど…………」
前髪カチューシャのほうに振り返る。拘束を解かれた彼女は、先程のような狂乱状態を脱していた。解析班の人達もデータを見て驚いているが、まあ結果は火を見るより明らかだろう。
前髪カチューシャは、謎の精霊とやらの支配を無事に脱したらしい。
「もう、あんたの声を聞いても何ともないわ。………………一応、お礼は言っとく」
拘束具を外された彼女が近付いてきて、礼を言いつつそっぽを向いた。あれ、何この子ツンデレ?
「あれ、二曹はつんでれさんでいやがりますか?」
「ちっ、違います三尉!!誰がこんな変態なんて!!わ、私はその────」
「へー、そうでいやがりますかーー」
「三尉ぃぃぃいーーーっ!!」
ケラケラと笑って逃げる真那を、前髪カチューシャが顔を真っ赤にして追いかけていった。あれ、寧ろこの子真那が好きなのか?百合なのか?
俺が走り去る二つの人影を見つめていると、背後からとんとんと肩をつつかれた。振り返ると、そこには隊長さん。
「私からも、礼は言っておく。けど、あんたは結局誰の味方なのよ」
と、申されましても。俺からすれば、人間も精霊も仲間な訳で。まあ、〈ラタトスク機関〉のことを言えれば楽なんだが………そうもいかないしなぁ。
「俺は初めから………惚れた女の味方ですよ」
と言うことで、かなりオブラートに包んで教えてあげよう。
「誰よ」
「ナイショです」
「ファック」
「カモン」
簡単には口を割らねぇぞコノヤロー。
「あっ、そう。じゃあ謝礼として用意したこの金一封は無かったと言うことで」
「わー誠さん今ならあることないこと答えちゃうぞー」
お金なんかに負けない!!ビクンビクン!!静まれ、俺の右手!!隊長さんの封筒を掴もうとするな!!どうせなら隊長さんの胸を掴めー!!あっでも久しぶりに食べたまともな食事のせいで俺水じゃ我慢できないかも!?あぁん、お金欲しい!!
と、かなり薄弱な意思ながら何とか誘惑に耐えると、隊長さんの方が折れた。
「あることだけ喋んなさいよ………はぁ、これはあげるわ。流石に立場ってもんがあるし」
「うおっすげぇ、五万円入ってる!大金だぁ、金持ちだぁ!サクマドロップめっちゃ買える!!もうひもじくないぞ!」
「何この哀れな全世界の災悪」
隊長さんのこの目、少し前に見たことある。あっ、昨日の折紙先輩の目か!ウワーやめてそんな目で見ないで!こうなったのも全て生活能力って奴のせいなんだ!!
「ふぁーーあ、何か人間臭くてあんた嫌いだわ………あ、そうそう。これ渡しとくわ」
投げ渡されたのは、カードキーの入ったパス。首に下げるための紐が付いている。
「何すかこれ」
「ウチの基地のカードキー。それがあれば、重要区画じゃなきゃ入れるわ。………中で天使使うんじゃないわよ」
「食堂使うに留めます」
「宜しい。あーーめんどくさいことばっかし。栄養ドリンクが手放せないわぁ………」
渡すものを渡して用が無くなったらしく、隊長さんは俺に背を向けて去っていく。俺も、何となく物珍しくてカードキーを見つめていた。
「あーーあ、またあの
────────え?
それは………………
裏路地。
「ひいぃいいいあがぁぁあぁが!?!?」
悲鳴が響き、直後に何かがひしゃげ、飛び散る音がする。
昼間でも、ここはビルの谷間であるために、日光が余り当たらない。
細い道の中程に、赤い海。
一人の少女が立っていた。
真珠のような柔らかな白の長髪。一部は巻き貝のように巻かれている。レースのついたドレスは、さながらフランス人形のような印象を受ける。
そして、バランスの取れた肉体と裏腹に、酷く幼い翡翠の瞳が、どこを見るでもなく瞬きしていた。
「でった、おうちかえりたいなぁ………」
少女は、静かに姿を消した。
その日。一人の男性が行方不明になり────血溜まりしか、手がかりは無かった。
【
でっただよ。
でったじゃないよ。
でっただよ。
さて─────迷うがいい。