――私が行っていることは間違いなのかもしれない。けれど、私は信じることにした。自分の気持ちを。これが彼の未来へつながることを――
先鋒戦を見た誰もが口をそろえてこう論するだろう。
福路美穂子の本気を垣間見たと。
あれは試合などではない。蹂躙。一方的な搾取だ。
福路美穂子と言えば相手を観察して、特徴を掴んだうえでプラスを取りに行く堅実な打ち手で有名である。
しかし、今回に限って言えば過去の面影はなかった。
今までの福路美穂子になかった打ち方はまるで対極に存在するものだった。他者が立ち上がろうとすれば頭から踏みつぶし、あがこうと縋り付けば振り払う。
王者が行う絶対的な麻雀を打って魅せた。
最終的に他家にそれぞれ三万点近くの差をつけて次鋒につなげる。たった一人で九万点ものプラスを稼ぎあげたのだ。
「ふぅ……」
試合終了のブザーが鳴り、美穂子は瞳を閉じる。瞬間、訪れる多大な疲労感。試合中は柄にもなく興奮してアドレナリンが出ていたから無事だったけれど、今はクラクラと脳が揺さぶられているような感覚に陥っている。
今すぐにでも吐きたい気分だった。しかし、そんなことできるわけがない。
必死にこらえて、少なくともこの先鋒戦においての勝者として威厳を保たなければ。
これは彼の未来につながる。私の愛する彼へとつながる第一歩になるのだ。せめて笑って踏み出したい。
美穂子はカメラに笑顔を向ける。たった一人の男へ自分の意思を届けるために。
――今、こんな状況になっているのは私のせい。彼の楽しい時間を奪われようとしているのも私のせい。私は全国にもいきたい。彼も欲しい。今までずっと分の悪い賭けをしてきた。だったら、迷うことなんてなかったはずだ。二つとも。夢も恋も私は勝ち取る――
先鋒戦が激しい交戦だったのに対して波長のように静かな波が訪れた次鋒戦は点差はほとんど変わらずに流れた。そうであるならば、また中堅戦は荒れる。
そんな観客の予感は的中してみせた。
開始早々、上埜久が己の狡猾さを前面に押し出した麻雀を展開する。罠にかかった風越の文堂は美穂子の稼いだ点棒を刈り取られてしまう。
悪待ちにカラテン立直。常識とはかけ離れた打ち方に終始ペースを崩される三校。後半になってようやく龍門渕の国広一が善戦するが前半に広げられた点差は大きく、清澄が死の淵から蘇ってみせた。
「なんとか部長の面目は保てたかしら……?」
区間賞を手に入れた久は廊下を歩きながらそんなことを思う。
出鼻をくじかれて大量の点差をたたき出された優希は泣いていた。まこは後輩の仇を取ってやれなかった悔しさを滲ませていた。
それら全ての責任を負うのは彼女たちじゃなくていい。ここまでついてきてくれたあの子たちに非はないのだから。
そう言う意味では最年長の部長としてかっこういいところを見せれて良かった。
「……須賀君も見てくれたかな?」
おそらく彼もまだ激闘のなかに身を置いている状態だろう。私たちは近くにいて声を掛けてあげられるが、彼はたった一人でずっと過ごしている。でも、あなたには私たちがいるんだよって思っていてほしい。
なに様だって感じだけど、たとえそのことで罵られても私たちは同じ清澄高校麻雀部だ。
私は携帯を取り出すと電話帳から彼の名前を引っ張ってくる。
「……だから、少しでも私の気持ちが届けばいいな」
流れる留守のメッセージの後に私は一言だけ呟いた。
「頑張れ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「終わってなければいいんだけど……」
肩を上下させ、荒い呼吸のまま京太郎は再度走り始める。
全国行きを一位で決めた後に表彰式や閉会式。さらには個人インタビューなど今まで無縁だったイベントをこなしていたらすでに外は暗くなっていた。
焦った彼は会場を飛び出し、運動部の頃と変わらぬ走りを見せていたがいかんせん衰えはあるみたいだ。
「はぁ……はぁ…………死ぬ」
ようやく応援席にたどり着いた彼は壁にもたれかかって息を整える。
突如現れた長野県男子一位に周囲はざわつくが京太郎の耳には届いていない。頭のなかは団体戦の結果で埋め尽くされていた。
自分を賭けた少女たちの戦い。
正直に言って、こんなにも自分を必要としてくれるのはかなり嬉しい。麻雀部に入って一ヶ月は己の存在を悲観的に見ていたからこそ、その喜びは一層大きいものだった。
だけど、今回のケースは望ましくないと彼は思う。
今まで麻雀に注いでいた情熱や時間は麻雀のために使って欲しいと願った。せめて誰もが夢見る全国大会への枠を巡るこの決勝戦だけは。
「結果はどうなっている……?」
沈めていた顔をあげ、戦場を写し出すエキシビションへと向ける。
目に飛び込んできたのはニコニコと笑う幼馴染と最後の打牌選択をしている天江衣の姿。
そのまま隣の点数へ移動させれば、上位二校の点差は五万点差であることがわかる。しかし、風越と千曲林はもう希望はない。清澄と龍門渕のどちらかが頂点を取るだろう。
だが、京太郎にはそんなことは関係なかった。直接対決をしている二人はしっかりと麻雀を楽しんでいる。
麻雀を人を弄ぶ道具として見ていた衣も、とある事情から麻雀を嫌っていた咲も。
その二人の姿を見た京太郎は破顔して思いきり叫んだ。
「勝てー!!」
彼の声が彼女たちに届いたかのように場は動きだし、衣は牌を切り出した――。
◆◇◆◇◆◇◆◇
……さて、どうしてくれようか。
衣は手に持った牌を遊ばせながら隣に座る咲を見る。
対局開始からずっとニコニコと笑っている衣に久しく恐怖という感情を思い出させた化け物。奴もまた衣と同じ牌に愛された子。
奴が嶺上開花であがった時、衣の脳裏にはすぐに京太郎が思い浮かんだ。
……あいつが私に土をつけた一戦で最後に咲かせた嶺の花。
なるほど。あそこまで踏まれても折れず直立不動としている雑草のような男。あれはよほど強い信念や憧れを抱いてなければできない芸当だ。
その男の根幹にはお前がいたんだな?
「……宮永咲」
「えっと……どうかしたかな?」
コテンと今時の女子らしく首を傾ける咲。
……そうだな。もう雑魚たちは死んでいる。ずっと下を向き、過去に対戦してきた凡夫と変わらん雑種よ。
これがオーラスで奴らがどんな手を作ろうとも衣たちには勝てん。
ならば、少しだけ時間を貰うのも悪くはないだろう。
「宮永咲。衣は嬉しいぞ。お前のような強き打ち手と出会えたことが」
「……うん、私も。大会に出て良かったって思った」
「そうか……。お前も悲しい思いをしていたんだな」
「……んん?」
咲は思いもよらぬ勘違いを受けている気がしたが、衣の同情の視線に遮ってはダメだとそのまま話を続けることにした。
「二つほどお前に質問がある。いいか?」
「う、うん。私に答えられる範囲だったら……」
「一つ。お前は須賀京太郎のことが好きか?」
「うぇぇぇ!? あっ、すみません……」
あまりにも直線的な質問に咲は大声を出してしまう。とっさに口を塞ぐが意味はなさない。審判員や他の対局者にペコペコと頭を下げると、咳払いをして天江衣に向き直る。
「……好きだよ。私は京ちゃんが好き」
「……そうか」
逡巡する間もなく、揺らぎさえ映さない瞳に衣は満足気に笑う。
こいつは覚悟の出来た戦乙女だ。
桃子や美穂子と同じこちら側の人間。他の奴らとはやはり違った。であるならば、次の問いなど設ける必要はなかったのかもしれないな。
「では、二つ。……なぁ、宮永咲。衣と打つ麻雀は楽しいか?」
「――うん、とっても」
……宮永咲。
「衣も最高に楽しいぞ」
――百点満点だ。
衣が引っ張ってきた牌には危険な香りが漂っている。聴牌を崩せばおそらく負けることはないだろう。だが、そんな打ち方は衣に限って有り得ない。
王者として衣は逃げる打ち方など決してしないのだ!
貴様の心にも京太郎との思い出がたくさん眠っているのだろう。京太郎の打ち筋にそれは如実に形として現れている。
それは衣とて同じだ。京太郎と桃子と美穂子との! いっぱいいっぱい叶った夢が詰まっているんだ。
貴様の想いと衣の想い。
どちらが上回るか。
「勝負だ、宮永咲!」
未来をかけた一手が打ち出される。
卓上に置かれた九萬。視線を交差させる両者の内、先に表情を綻ばせたのは挑戦者だった。
「カン」
幾度となく自分を救い、相手を倒してきた武器の名を宣言する。
彼女の手に吸い込まれた九萬は端へと寄せられ、咲は王牌から新たな牌を手に取った。それは未来を変える可能性を孕んだ一枚。
しかし、咲はそれを決して見ることなくゆっくりと手牌の横に置き、微笑んだ。
「ちゃんと届いたよ、京ちゃん」
いないはずなのに、まるで隣で支えてくれているかのようにはっきりと響いた想い人の声に応えてリンシャン牌を開示する。そして、手牌を倒した。
「ツモ」
短くも力強く腹の底から湧きあがる感情を乗せて咲は役を告げていく。
「嶺上開花、白、中、対々和、三暗刻、ホンイツ、小三元、ドラ2」
繰り出された数え役満。
ルールにより大明槓の責任払いとなり龍門渕だけで32000点の支払いとなる。
つまり、咲の点数が衣を上回った。
「…………そうか。……強いな、
あの時と同じ手段での敗北に衣に涙はなく、感嘆が浮かんでいた。
この結果は衣の思い出よりも咲と京太郎の思い出が……いや、思い出が生み出した繋がりがここで千切れるほど軟ではなかったということ。
衣に破ける運命にはなかったのだ。
「ありがとうございました!」
ブザーが鳴り響くと咲は立ち上がり、楽しい対局を実現させてくれた三人と麻雀に感謝の意を告げる。
今ここに団体戦の勝者が清澄高校に決まった。
※トイトイなのにドラ1とかいう初歩的ミスを修正。
やらかした……。
本当に闘牌シーンは書きにくい。これもいつぞやと一緒で書き直しいれるかも。
個人戦はこれよりさっさと進めます。