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6月
新学期が始まり早二カ月。
陸の教室での学年毎の授業や、各直接教導艦での授業の続くある日の放課後。
明乃やもえかを始めとする直接教導艦艦長達は、会議室へと集められていた。
「時間なので始めましょう」
主席教官の古庄薫が会議の始まりを告げる。
今日話し合われる(と言うよりは殆ど学校側から艦長達への通知)のは、新年度の最初に行われる航海演習についてだ。
1番最初の航海演習と言うこともあって、1週間ほどの短期間であり、1年生を航海に慣れさせる目的も有る。
短期間とは言え、1年生にとっては待ちに待った、2年生にとっては上と下に挟まれ色々気苦労の絶えない、3年生にとっては最後の篩掛けの始まりを意味する演習である。
「本年度の第一次航海演習は、演習海域を西之島新島沖に制定。各艦の出港は7月5日、西之島新島沖への集合は7月8日になります」
薫の言葉を聞きながら、配布された資料に目を通す。
演習海域とされた西之島新島は小笠原諸島に、海底火山の噴火の影響で新しく出来た島だ。
7月5日の出港で8日の集合となっているが、実際3日もかかる様な距離では無い。
では何故3日も時間が用意されているのかと言うと、
「例年通り、演習海域までの航路は各艦毎に選定、7月1日までに提出してください。また、その中で行う第2種教練の内容についても、策定の上同日までに提出を」
そう、演習海域までの航路は生徒達に任されているのだ。
その為に各艦はバラバラの航路を取り演習海域を目指し
薫の告げたもう一つの提出事項の「第2種教練」とは、副長をトップに一、二年生のみで行われる教練の事だ。
各艦の幹部生(主に艦長)の設定した教練要綱に従って行われる。
教練中幹部生は状況の提示(方位○-○-○にて不審船発見、速力は○○ノット、船種は○○、等)以外一切教練内容に関わらず、ミスのアドバイスも行わない。
教練終了後の評価にて、全体や各科毎の指摘等が行われるが、その場でアドバイスなどはされず、アドバイスが欲しい場合は基本的に自ら上級生に教えを請う必要がある。
ただし艦長の裁量に任されているところもあり、代々受け継がれている艦毎の色がある。
艦によっては自身でどう直せばいいか、より良くするにはどうすればいいのかを考させ、それを話させた上でアドバイスを行う艦もある。
はれかぜの場合伝統的に評価の後、同じ教練要綱を幹部生による指導を行いながら再び行う。
「また今年度の【あかし】【とわだ】の護衛艦は【うみかぜ】【はまかぜ】とします。4艦の艦長は相談の上航路を決める様に」
【あかし】は工作艦、【とわだ】は補給艦だ、この2隻は演習内容の都合もあって1日遅れて合流する事になっていて、その護衛艦である【うみかぜ】【はまかぜ】の2隻も1日遅れになる。
「以上何か質問は?......無いようね、それでは解散」
ぐるりと艦長達の顔を見回し、質問が無い様子に頷くと薫は解散を宣言する。
全員が立ち上がり敬礼すると、会議室を出て行く。
【あかし】以下4隻の艦長達は予定の擦り合わせを行いながら出て行く。
明乃ともえかも連れ立って、会議室を出ようとした所で薫に声をかけられた
「岬さん、少しいいかしら」
「はい、何でしょうか?」
「【はれかぜ】の衛生長についてよ」
そう言いながら封筒を手渡す薫。
【はれかぜ】の衛生科は現在1年生のみで、明乃としてはどうしたものかと思っていのだが、どうやら流石にそのまま出港させる事は無い様で一安心だ。
「事情があるので、口頭でも伝えます。知名さん」
「はい、では私は失礼します。それじゃミケちゃん」
「うん、モカちゃんまた」
薫がもえかに退席する様伝えもえかが去って行く。
「では岬さん、その彼女に関してなのだけれど。彼女は海洋医大を卒業済みですが、職務資格に必要な海洋研修未修の為、今年度登校の航海演習へ参加する事になりました。現3年生の衛生長が居ない【はれかぜ】乗艦となります、合流は出港の前日となります」
「了解しました、各員への通知と受け入れの用意をしておきます」
出港前日の合流と言うのに思うところもあるが、海洋医大卒業済みの本物の医者の卵が乗艦してくれると言うのであれば、話は別だ。
「よろしくね。それからもう一つ、彼女について伝えておきたい事があります。彼女、鏑木美波さんはまだ12歳です。なので岬さん、出来るだけ気に掛けてあげてちょうだい」
「...はい?」
〜〜〜
【はれかぜ】の艦長室に戻り、渡された資料に目を通した明乃は頭を抱えていた。
「鏑木美波さん。海洋医大を飛び級で卒業、大学を2年大学院を3年で卒業。その上博士号まで保有これだけ見ればすっごく優秀な子、で良いんだけどなぁ」
問題なのは彼女の年齢だ。
齢12歳。
天才という言葉が陳腐に感じるほどの才能だ、才能だけを見れば手放しで絶賛してもいいだが、
「12歳かぁ......」
ああ懐かしき幼少の頃といった様な明乃。
「12歳」
何度口にして資料を見直しても、その数字は変わらない。1の方が2に変わったりもしない。
未だまみえていないが、きっと大人びた性格をしているんだろうなと予想がつく。
だが幾ら飛び抜けた才能を持っていようが、どれだけ大人びていようがまだ12歳の女子だ、そんな彼女の面倒をみないといけない。正直1年生だけでも大変だと言うのに、
「どうせなら【こんごう】辺りにねじ込んで欲しかったなぁ」
そうなるともえかが今の明乃と似た様な状態なるのだが、
「(まだ1年生がいない分マシなんじゃ無いかな?)」
割と真剣にそう考える明乃であっが、既に決定事項として通達された以上、これが覆る事は無い。
◆
新年最初の航海演習の通知と、衝撃的な新クルーの通達があった翌日。
明乃はましろ以下【はれかぜ】幹部生徒を招集していた。
「さて、皆んな揃ったから始めようか。今日皆に伝える事は二つ、一つは今年度最初の航海演習の話し。もう一つは現在空席の衛生長について」
幸子に合図を送ると全員に資料が配られる、明乃が昨日の夜航海演習について纏めたものだ。
「今回の演習海域は西之島新島沖、出港は7月5日で集合は3日後の8日。それで、航路の設定は航海長と副長よろしくね」
「わっわかりました」
「了解しました」
明乃の指名に一瞬顔を見合わせて了解と返す鈴とましろ。
少々気の弱いところのある鈴と、新顔であるましろの組み合わせは別に明乃の意地悪とかでは無く、そもそも演習海域までの航路の設定が主に3年生の航海長の仕事であり、2年生の副長がそれを補佐するのが習わしだからだ。
「鈴ちゃん、今回に関しては一応私も顔を出すから、取り敢えず2人で素案だけでも纏めてくれるかな?」
鈴に対して少し気遣わしげに告げる明乃。
実は各科長は年始の進級試験の後、役職の内示を受けた辺りから前年度の科長から、幹部生徒としての指導を受ける。
鈴の場合前年度の航海長である明乃から指導を受ける筈だったのだが、その頃明乃は艦長試験の準備や試験そのもの、合格発表後は明乃自身が前任艦長から指導を受ける必要があった事から簡単な指導しか受けられなかった。
その為、一番最初のこの演習くらい自分主体で航路設定をしても良いとは思うのだが、かと言って明乃自身暇な訳じゃない。
艦内シフトの調整に他艦との調整、補給科や給養科が上げてくる必要物資の精査とそれらに対する予算付け。
さらには一般校において生徒会に位置する艦長連絡会の仕事と、多分一番忙しい。
なので、少しだけでも手伝おうと思ったのだが
「だっ大丈夫っ、私達でやるっ、から!」
「鈴ちゃん」
鈴にだってプライドはある。
3年生になるまで生き残った、お零れに近い形かも知れないけれど、航海長に選ばれたと言う自負が。
それに、一年生の頃からずっと追い続けてきた、同じ航海科で自分よりも高みにいる明乃の背中を。
今だってもっと遠くに行ってしまったけれど、追いかけ続けている。
そんな彼女に「私が貴女の航海長なんだ!」ってそう示したい。
そんな思いが鈴の中には確かにあった。
「宗谷副長、よろしくお願いしますね」
「ッ微力ですが尽くします」
鈴のいつに無く真剣な眼差しに一瞬息を呑みながらも返すましろ。
そんな2人のやりとりを目を細めながら見る明乃、彼女が何を思ったのかは隣で見ていた幸子にもわからない。
〜〜
鈴の決意表明じみたやりとりがあった後、演習航海についての残りの話し(【あかし】と【とわだ】の護衛艦について等)をした後、明乃は議場に爆弾を放り込む。
「さて、次に衛生長についてなんだけれど。今年度の衛生長、名前は鏑木美波さん。海洋医大卒業済みだけれど、海洋研修未修の為今年度【はれかぜ】乗艦となりました。それで、まぁ隠しててもしょうがないから言っちゃうんだけれど、彼女はまだ12歳だから皆んなもその辺気にしてあげてね」
-はい?-
この場にいる明乃以外の全員の心が一つになった瞬間だった。
「あの、艦長?」
「なにかな?副長?」
「いえ、その今12歳と聞こえんですが?」
流石に聞き間違いだろう、いや寧ろ聞き間違いかいっそ艦長の言い間違いであってくれと、恐る恐る尋ねるましろだったが、
「うん、だから美波さんは12歳だよ。あ、さんよりちゃんの方が良いかな?年齢的に。飛び級したんだって、凄いよねぇ」
明乃の何というか諦めた感じのある口調で紡がれた言葉に、その儚い希望は打ち砕かれた。
-12歳で飛び級して大卒ってどんな天才だ!?-
再び全員の心が一つになった。
◆
「それじゃあ副長、下がって良いよ」
「はい。では失礼します」
齢12の飛び級大卒スーパー少女が衛生長としやって来ると言う爆弾が、会議室で炸裂してから暫くして。
伝える事はもう無いと明乃がましろに退出を促す。
他の3年生幹部達に退出の気配が無いことに内心首を傾げながら、会議室を後にするましろ。
ドアが閉まり彼女の姿が見えなくなり、足音が遠ざかって行くのを確認してから、明乃が口を開く。
「それじゃ第2種教練に関する会議を始めようか」
ましろを退出させながら、他の誰も動こうとしなかったのはこの議題が理由だ。
既に説明したように、「第2種教練」は副長をトップに置く教練で、その教練内容は3年生達によって決められ、当然副長にすら伝えられない。
2年生に初めての指揮する立場を経験させ、その中から指揮官としての適性のある者を見いだす。
1年生には最初の洗礼だ。
横須賀女子海洋学校に合格したと言う自尊心と驕り、伸びた鼻をへし折る。
3年生も3年生で楽な訳では無い。
教練中は担当部署の動きを全体的に見て、個人の動きと全体の動きを評価しなければいけないし、準備の段階であらゆる状況を想定して設定を考えなければいけない。
「不審船への対処を主軸に置きたいんだ」
「不審船つっても海賊に密漁船と領海侵犯、他にもあるがどれにすんだい?」
明乃の切り出しに麻侖が尋ねる。
たしかに不審船といえば、麻論の上げた「海賊」「密漁船」「領海侵犯」が主に思い付くだろうか。
その他にも外部から呼びかけて反応が無い漂流船だとか、違法薬物の密輸だとか、領海侵犯の一種ではあるが密航だとかが上げられる。
「うん、今回は時間によって変化する形にしようかなって」
「変化ですか?」
首を傾げる一同に明乃は「そうだね」と言い立ち上り、ホワイトボードに書き込みながら説明を始める。
「先ずブルーマーメイド横須賀管区海上安全監督室からの通信で状況開始。通信内容は『【はれかぜ】近海で不審な船を見たと言う漁船からの通報あり、至急確認を行え』」
「ん、よくある内容」
「うんそうだね。で、この不審船を見つけた辺りから変えようかな。最初は何の反応も無し、その後見張員が船上に武器を発見。それを受け海賊船と判断、制圧しようとしたところで不審船が他国の国旗を掲揚」
「成る程、密漁船か密輸船かと思ったら海賊船で、制圧しようとしたら領海侵犯した船だったってシナリオか」
明乃の説明に全員が頷く。
「そうなると、見張員の働きと副長の判断が重要になってきますね」
「そうだね、発見した時点での見極め。武装を確認した時どう判断して、海上安全監督室にどう報告して指示を乞うか。制圧を始めようとしたところで、領海侵犯だと分かり咄嗟にどう判断するか」
「いきなり副長に厳しすぎない?」
補給長等松美海が、明乃のシナリオに教練時に艦長に代わり、全体の指揮を執る副長のましろの負担が大きく、また初めて指揮を行うましろにとって厳し過ぎるのでは無いかと問う。
「うん確かに厳しい内容かもしれないよ。だけど私達はまだあの子が、どこまで出来るのか知らないでしょ?」
明乃の中でのましろの評価は、教員科から渡された艦長以外極秘の資料から読み取れた内容と、この二ヶ月直接接した上での判断として本番に弱いマニュアル人間だ。
具体的に指示された事であれば完璧にこなすし、大まかな指示であっても卒なくこなす。
もちろん、指示されなければ何も出来ていない訳ではなく、自分から行う事も出来る。
緊急事態への対応力も今の所計れていない
「だから見極める必要があるんだよ」
あの子が使えるかどうかを