01-新年度
日露戦争後の日本はプレートの歪みや、メタンハイドレートの採掘が原因で沿岸部の多くを海中に失う事となった。
その結果、海上都市が多くなりそれらの都市間を繋ぐ海上交通の増加により海運大国となった。その過程において、嘗て軍事兵器として建造された軍艦はその多くが民間用に転用される事となり、戦争には使わないと言う“象徴”として、艦長は女性が務める事となった。
これが海上の安全を守る「ブルーマーメイド」の走りであり、ブルーマーメイドは多くの女子の憧れとなっていった。
嘗ての軍艦の中には未来のブルーマーメイドを育成する為の教育艦となるものもあった。
が、あくまでもこれは“
“本来の世界線”同様「航空機」こそ机上の空論として発展しなかったが、少々の違いがあった。それは魚雷である。
今から30年程前に開発された「スーパーキャビテーション魚雷」の登場によって各国の海軍戦略は見直しを余儀なくされた。
航空機が存在しない以上「大艦巨砲主義」こそが絶対であった海軍戦略であったが、スーパーキャビテーション魚雷と言う高速かつ高射程、そして高威力を誇るこの魚雷を相手にした時、今迄の鈍重な軍艦では対応仕切れないとされ、対SC魚雷戦は同じ魚雷で持ってして撃破するか回避するといった戦略へと変換され、“
結果として各国の軍艦は装甲では無く速力を重視する様になり、“史実”の近代艦へと姿を変えていった。
ブルーマーメイド養成校の一つ横須賀女子海洋学校記念艦【戦艦武蔵】が停泊する岸壁、
入学式の余韻の残る中新品の制服を身に纏い整列する新1年生達の前に、彼女達のセーラー服とは毛色の違う白の詰襟の制服を身に纏った15名の新3年生が並んだ。
「ではこれより、第25回艦長任命式を執り行います」
そう、これから行われるのは横須賀女子が保有している15隻の直接教導艦各艦の艦長任命式だ。
ブルーマーメイド養成校の直接教導艦艦長職は3年生のみが任命されるものである。
その選出方法は二種類あり、一つは前年度2年生の時に副長を務めた者、基本的には此方の選出方法の方が主流である。
もう一つは前年度の艦長の推薦による選出方法、此方は前年度副長が2年生では無く3年生であった場合に使われる。
以上の選考基準を満たし、かつ試験において合格値を超えた者が任命される。
その為、女子海洋学校において艦長職とは全生徒トップの15人であり全生徒の憧れの的だ、教員のアナウンスに1年生達からは興奮した様子が伝わってくる。
対して15名の3年生達は静かにその時を待つ、そんな彼女達を見て横須賀女子海洋学校学校長の宗谷真雪は、今年度の艦長達も優秀な子達であると笑みを浮かべた。
「それでは直接教導艦【こんごう】艦長から順に任命を行なっていきます、3年1組航海科知名もえかさん」
「はいっ!」
進行の教員に名前を呼ばれ、列の右端に居た学年主席知名もえかが真雪の前へ進み出る。
「3年1組航海科知名もえかさん、貴女を直接教導艦【こんごう】艦長へ任命します」
「3年1組!航海科知名もえか!直接教導艦【こんごう】艦長を拝命します!」
もえかは、差し出された任命状を受け取り真雪へと敬礼する。
真雪が返礼をするとくるりと、生徒達の方へと向き直る、そして
「3年1組航海科知名もえか!直接教導艦【こんごう】艦長を拝命しました!」
瞬間ー岸壁は大きな拍手に包まれた、一番熱烈に拍手しているのは新1年生達で、次に保護者の方々、そして来賓や教員達。
他の新艦長14人は決まり通り敬礼している。
もえかは先ず来賓や教員達へ正対し一礼、その次に同級生達と1年生達に対し敬礼し、再び真冬の方へ体を向け一礼、列の左端へと退去する。
ここまでが新艦長任命式の一連の流れである。
終始真面目な表情のもえかであったが、列へ並ぶ時に前を通り横へと並んだ大切な幼馴染の、隠しきれない祝福の気配に表情筋が緩みそうになるのを抑えるのは、学年一の才女の彼女を持ってして、中々に大変だった。
「それでは続いて--
そして、もえかの後に12人同じ流れの任命式が行われ、遂に最後の1人の番が来た。
「続いて直接教導艦【はれかぜ】艦長の任命を行います。3年2組航海科岬明乃さん」
「はいっ!」
これまでで一番かもしれない程元気な返事、
名前を呼ばれたのはもえかの幼馴染にして、“本来の世界線”と“この世界線”のどちらに於いても主人公である少女。
真雪の前へと進み出る明乃に対し、これまでの14人の新艦長へ向けられていたモノとは、微妙に違う視線が来賓や教員達から向けられる。
「(久し振りに出た推薦組の艦長、皆んなが気になるのも仕方がないわね)」
そう明乃は今年度唯一にして数年ぶりの副長未経験の艦長であった。
とは言え、2年生の時【はれかぜ】の生徒数の問題で航海長を務めていたし、
「3年2組航海科岬明乃さん、貴女を直接教導艦【はれかぜ】艦長へ任命します」
「3年2組!航海科岬明乃!直接教導艦【はれかぜ】艦長を拝命します!」
◆
艦長任命式が終わり、続いて行われる新1年生の選考振り分けの発表の前に明乃達新艦長達は解散となった。
その後の行動は自由で、そのまま残り新1年生の選考振り分けを見守る者や、陸の寮の自室や自身の乗艦する直接教導艦へと帰る者が居る中、明乃ともえかは学食に併設されたカフェへと来ていた。
「ああ〜緊張したぁ〜」
「ふふ、お疲れ様ミケちゃん」
「モカちゃんもお疲れ様〜」
緊張の糸が切れたのか、テーブルにダラっと上半身を預ける明乃の姿にに微笑みながら、もえかはタブレットで船員名簿を開く。
艦長である自身の名前が一番上で、その下に副長村野瞳子以外【こんごう】クルーの名前が役職毎に並ぶ。副長の名前が予想していた名前と違った事に些か驚いたが、今気にすることでは無いと一人一人の名前を確認していく。
「あれ?」
「どうしたの?ミケちゃん」
明乃の少し驚いた感じの声に顔を上げると、向かいで同じ様に船員名簿を確認していた明乃が首を傾げていた。
何か問題でもあつたのだろうか?そう考えたもえかに、ちょっとビックリしちゃってと言いながら明乃ははれかぜの船員名簿を示して見せた
「あれ?この子.....」
【艦長:岬明乃(航海科3年)】の名前のすぐ下に【副長:宗谷ましろ(航海科2年)】とある。2年生が副長になっている事は別段驚く様な事ではない、実際もえか自身も去年は2年生で副長だった。そもそも、艦長選考の条件でもある以上副長という役職は来年の艦長候補である優秀な2年生が選ばれるものである。ならば、何に驚いたのかと言うとそこに書かれていた名前だ。当然校長と同じ苗字に驚いた訳でもなく、では何に驚いたのかと言うと彼女、宗谷ましろの名は上級生の中でもそこそこ有名だったからである。
「この子、去年の1年生の学年主席だよね?」
「うん、とっても優秀な子だって聞いてたけど........」
2人も彼女が入学した頃からそれなりに彼女に関する噂を聞いていた。
母親である宗谷真雪だけでなく、2人の姉もブルーマーメイドの関係者であり、代々ブルーマーメイドの重役を務める宗谷家の人間である為、コネだなんだといった悪い噂もあつたりしたが、入学時から各分野で名家の名に恥じぬ優秀な成績を収め学年末の時点で来年の副長は確実、3年時には艦長になるだろうと言われていた。
実際に今年には副長として【はれかぜ】に乗艦する事が明乃の持つ名簿にしっかりと記されている以上、彼女が優秀生である事の証明であるのだが、しかし配属艦か【はれかぜ】である。
「この子はモカちゃんの【こんごう】だって思ってたんだけど」
「去年の乗艦は【はれかぜ】じゃ無かったよね?」
「うん、違うよ」
副長は大抵一年生の時に乗っていた艦で務める事が多い。
特に優秀な生徒を集めた【こんごう】や3年生が副長を務める際はその限りでは無いが、1年生の時に乗り込んだ艦から3年間動く事は基本的にはない。
実際明乃も、もえかも去年はそれぞれ【はれかぜ】航海長と【こんごう】副長だった。【こんごう】は3年生と2年生しかいない為、もえかは1年生の時こそ違う艦だったが明乃は1年生の時からずっとはれかぜである。
移動が有るのは2年生への進級時に【こんごう】へと移動するか、その【こんごう】で成績が振るわず他艦へと移動する場合程度である。
「【こんごう】への移動なら分かるんだけど...」
「問題行為を起こしたって話も聞かないし、不思議だよね」
明乃ともえかが2人揃って首を傾げたところに
-PiPiPi-
明乃の携帯が鳴り響く、画面を見てみるとそこには「ココちゃん」と表情されている。
「あれ?ココちゃん?モカちゃんちょっとごめんね」
「ううん、急ぎの用事かも知れないし、どうぞ」
ココちゃんと言う名前が【はれかぜ】のクルーの納紗幸子であると知っているもえかは断りを入れる明乃に微笑む。
「はいもしもし明乃です」
『幸子です、ミケ艦長任命式お疲れ様です。ちょっとお時間宜しいですか?」
「うん大丈夫、何かあった?」
『はい、私今日は朝から【はれかぜ】に居たんですけど、今し方2年生の宗谷ましろさんがいらして、艦長に連絡して欲しいと』
「宗谷さん?ああ成る程、分かったすぐ【はれかぜ』に戻るね」
去年【はれかぜ】に関係が無かったましろが何故【はれかぜ】へやって来たのか、分かっていない様子の幸子たが、明乃はましろが艦長である自身へ【はれかぜ】への移動の挨拶をしに来たのだと察する。
『わかりました、では宗谷さんは艦内にお通ししておきますか?』
「それはちょっと待ってて、乗艦は私が戻ってからで」
『了解しました、ではタラップ前でお待ちしています』
所属艦では無い教導艦への乗艦は艦長の許可が無ければ基本的許されない。
単なる客であれば電話越しでも良いのたが、
ましろは本年度から【はれかぜ】所属だ、お客さんでは無い。
前年度迄は他艦の所属であった為、艦長である明乃への挨拶と直接の乗艦許可が無い為に、まだ【はれかぜ】へと乗艦する事は出来ないし、それは電話越しでは行えない。
電話を切った明乃はもえかに向かって手を合わせる、
「ごめんモカちゃん、宗谷さんが挨拶に来てるみたいで、【はれかぜ】に戻らないと」
「ふふ、就任早々お仕事だ。頑張ってねミケちゃん」
「うん!それじゃあまた明日!」
◆
「直接教導艦【はれかぜ】艦長、3年航海科の岬明乃です」
「2年航海科宗谷ましろです」
【はれかぜ】のタラップの前で明乃とましろは敬礼を交わす。
副長飾緒を付けしっかりと制服を着こなした真面目な子、それが明乃から見たましろの第一印象だった。
とても問題行為を起こすような子には見えない。
「2年1組航海科宗谷ましろは、本年度より直接教導艦【はれかぜ】へと移動。同時に同艦副長を拝命しました!【はれかぜ】への乗艦許可願います!」
そう言いながらいくつかの書類が入った封筒を明乃へ差し出すましろ。
事前に知っていたら為驚く事なく受け取る明乃と違って、彼女の後ろに控えて居た幸子は驚きから僅かに目を見開く。
幸子達【はれかぜ】クルーの3年生達は、成績的に砲雷科の西崎芽衣か航海科の万里小路楓辺りが副長になるものと思っていたので、まさか外部からやって来るとは思ってもいなかったからだ。
「はい、宗谷ましろさん【はれかぜ】への乗艦を許可します。ようこそ【はれかぜ】へ」
「ありがとうございます!」
明乃からの乗艦許可に敬礼するましろ、明乃はそれに返礼する
「宗谷さんは去年どの船に?」
「はい去年度は直接教導艦【はるな】に乗艦していました」
「それじゃあ一応“旅行”はしておいた方が良いかな?納紗通信長、宗谷副長を案内してあげて。それから伊良子給養長に今夜の歓迎会は1年生だけじゃなくて、宗谷副長も主役だって伝えておいて」
驚きから帰ってきた幸子は、明乃の指示に了解を返しましろへと声をかける
「改めまして3年通信科納紗幸子通信長です、宗谷副長の乗艦を歓迎します。宜しくお願いしますね」
「此方こそ宜しくお願いします納紗通信長」
「では【はれかぜ】艦内と宗谷副長の部屋の案内をしますのでどうぞ」
「お願いします」
タラップを登り早速ましろの艦内旅行へ向かう2人を見送り、明乃は艦長室へと足を向けた。
〜〜〜
「宗谷ましろさん、2年1組航海科。1年時の成績は極めて優秀で年間を通して学年主席。“宗谷”の名前に恥じない真面目な生徒で、問題行為を起こすと言った事も無し。
うーん益々なんで【こんごう】副長じゃ無いのか分からないなぁ」
艦内室へ入り鍵を閉めると、封印がされていた封筒を開け中の書類を取り出し、それらを確認する。
そこには「宗谷ましろ」と言う生徒の成績や、教員からの評価が記されている。
本来これらは1年生の物だけが渡されるのだが、ましろは去年別の艦に乗っていたので、用意されていた。
尚、個人情報も含まれるので艦長以外には閲覧は許されず、厳重な保管を行なう事が義務付けられている。
「うん?進級試験の成績が...えぇっと名前の書き忘れ?」
学年末に行われた進級試験の筆記試験の成績の項目に、そう記載されているのを見つけた。
「解答こそ学年トップの成績であったものの、数科目で名前の無記載が有った為にそれらは認められず。
あ〜ええ〜」
なんと言って良いのか分からない。
つまり名前の書き忘れによる成績不振により、予想されていた【こんごう】副長では無く、【はれかぜ】の副長となったと言う事だろう。
まぁ進級試験でポカをやらかして尚、副長へと任命される成績は素晴らしいと言えるだろうが。
「優秀である事は確かなんだろうけど、うーん本番に弱いタイプかなぁ」
だとすれば若干不安になる。
航海試験の時にでもポカをやらかされれば、問題は彼女だけで無く艦全体のものとなってしまう。
「あーちょっと不安になってきた」
◆
夜
【はれかぜ】の食堂はガヤガヤと賑わっていた、食堂内は折り紙で彩られ「ようこそはれかぜへ!!」の文字が掲げられている。
【はれかぜ】の新しいクルーである1年生24人とましろの歓迎会である。
テーブルには【はれかぜ】給養長伊良子美甘による渾身の料理が並べられ、主役であるましろ達を含め全員のグラスには飲み物が注がれ、皆んなが今か今かと待っている状態だ。
とは言え、まだ始める訳にはいかない、何故なら
「ごめんね、遅れちゃって」
今し方食堂に入ってきた明乃が原因だ。
艦長抜きにと言うか艦長の許可なく始める訳にはいけなかった為である。
「どうぞ、艦長」
「ありがとう」
幸子からグラスを渡されると、明乃は全員から見える位置へと移動する。
そして
「堅苦しい話は無しにして、新しい【はれかぜ】の仲間を私達は歓迎します。ようこそ【はれかぜ】へ、皆んなの航海の安航を願って、乾杯!」
-乾杯!!!-
明乃の挨拶をスタートの合図に、歓迎会が始まった。
あちこちで乾杯が交わされ、一気に騒がしくなる。
立食パーティーの形で席は決まっていない為、1年生達は同科の上級生に早速絡まれているし、ましろもまた同級生達に囲まれている。
「艦長お疲れ様でした」
「ココちゃん、ありがとう」
明乃が遅れていた理由-1年生達の挨拶の後彼女たちの資料に一つ一つ目を通していた-を知っていた幸子が労いの言葉をかける。
「どうでしたか?今年の1年生は」
「うーん、海洋学校に入学できるだけあって皆んな優秀だよ。まぁ入試テストで判るのは成績だけだから、本人に関してはまだなんとも」
「それもそうですね」
明乃と幸子が話していると、数人の1年生が興奮した様子で近づいてきた
「あっあのっ!岬艦長!」
「うん?どうしたの?若狭さん」
「あのっ艦長が推薦任命ってホントですか!?」
「ああ、うんホントだよ」
質問してきた1年生、若狭麗緒にそう答えると彼女達はワッと歓声を上げる。
「凄いですっ!!5年ぶりだって聞きました!!」
「あはは、ありがとう」
年下の少女達の無邪気な様子に思わず笑みがこぼれる
-私ねブルーマーメイドになれなくなっちゃったの-
病室で窓から差し込む夕陽でよく見えなかった彼女の顔がチラついた
「ッ!」
「艦長?どうかしたんですか?」
「あ、ううんなんでもないよ大丈夫」
思わず一瞬顔をしかめた明乃に、どうしたのかと尋ねる麗緒に何でもないよと微笑んで答える。
「・・・・」
明乃は、興奮覚めぬまま話しを聞きたがる麗緒達に答える。
そんな彼女を心配そうに見る視線に気づく事は無かった。
〜〜〜
歓迎会も終わり、1年生達を陸の寮へと帰した後、静かになった【はれかぜ】の後部甲板で明乃は1人、海を眺めながら夜風に当たっていた。
「おう艦長、どうしたんでい」
「マロンちゃん」
そんな彼女に声がかけられた、機関長の柳原麻侖だ。
麻侖に答えながら海を眺めていた体を反転させると、驚いた事に【はれかぜ】の3年生全員がそこにいた。
「えっとどうしたの?皆んな」
「あっあの、そのっココちゃんがねっ皆んな艦長がえっとその」
「うぃ、1年生と話して、悲しそうな顔したって」
明乃の疑問に航海長の知床鈴と砲雷長の立石志磨が答える。
その言葉に「ああ〜」と目を泳がせる明乃。
「そのね、今日任命式があって、正式に貴女が“艦長”だって言われて、皆んなにも艦長って呼ばれて、私艦長になったんだなって」
「おめぇさんそれは......」
ここに居る全員が事情を知っている。
去年、2年時に航海長だった明乃が何故推薦されたのか。
そもそも何故去年の年末辺りから、明乃が副長扱いされていたのか。
「
「「「「「「「「......」」」」」」」」
だから誰も何も言えなかった
彼女達は知っているから
明乃が【はれかぜ】クルーの中では“彼女”と1番中が良かったと知っていたから。