艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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こんばんは!

今回も読みに来ていただきまして、ありがとうございます。

少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


潜む影

「――で、そろそろ『男同士の話』っていうのは終わったのかしら?」

 

 彼方が草薙に勝負を挑み、その答えを草薙が返そうとした瞬間、図っていたかのようなタイミングで、本来のこの部屋の持ち主――樫木楓が彼方の背後にある扉をノックした。

 

「あぁ、いいぜ。こっからはお前にも関係ある話になるからな」

「そう。わかったわ」

 

 草薙の許可を得た楓が応接室へと入ってくる。傍らには、楓の秘書艦を務める足柄の姿もあった。

 普段楓の補佐だけではなく教艦として生徒の指導も行っている足柄は、学内で楓とセットでいるところはほとんど見ることができない。その二人が揃って自分の前に現れたということは、これより行われる話がそれだけ重要な意味を持つものであることを彼方に予感させていた。

 

「わりぃな、席を外してもらってよ」

 

 楓は草薙の謝罪に応えることなく、黙って彼方の隣のソファへと腰を下ろした。

 その瞳は真っ直ぐと草薙へと向かい、彼方には一瞥もくれることがない。

 その代わり、足柄は彼方と霞をちらりと見て、ふっと口角を緩めた。ぱくぱくと動いた口からは、声こそなかったものの『おかえりなさい』と言ってくれたのがわかる。

 教艦や楓の補佐として行動している時は生徒に対する厳しさや苛烈さが目立っていたが、そういった役割の課せられていないところでは、今のような面倒見の良い姉のような一面も見せてくれるのが、足柄という艦娘だった。

 

 楓が連れてきた足柄が、敢えて自らそうした態度を見せてくれたことで、楓が今どういったつもりでここにいるのか、彼方には何となく察することが出来た。

 

「彼方くん。姫級の情報はちゃんとこいつから引き出せたかしら?」

「え、あ……はい! 草薙提督からある程度は……」

 

 本人の目の前だというのに、楓はあまりにも堂々たる態度だった。その言い種から、彼方は驚いて返答が遅れてしまう。

 

「結構。その情報は海軍上層部でも、ほんの一握りしか知り得ない情報の筈よ。何せ、今まで私にすら姫級の情報なんて一欠片も掴ませなかったんだから」

「それについては俺からは話せねぇし話す気もねぇが、理由はちゃんとある。それに、この訓練校を運営するお前には不要な情報の筈なんだがな」

「えぇ、そうね。だけど、私は今彼方くん()の後見人としてここにいるのよ。弟を心配するのは、姉として当然の事でしょう?」

「は? ……いやいや、弟をスパイに使おうとする姉がいるかよ!? 今のお前の心配はこいつじゃなくて、こいつが情報を引き出せたか、だっただろうが!」

 

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした草薙は、慌てて楓の言い分を否定する。一瞬でも納得しかけたのが余程悔しかったらしい。やって来るなり場は完全に楓のペースとなってしまったようだ。そもそも後見人という立場は彼方が提督となったときに失われている。単に草薙をからかうためなのか、そうではないのか、楓の本心は彼方にとっても難解で見通すことなど不可能だった。

 草薙も楓に対しては彼方に対するような大人の男というよりかは、子供のような態度へと変わってしまっている。草薙も彼方と同じく腹芸を苦手とするタイプなのは、楓に振り回される様子からも明らかだ。自分とは違い粗暴な態度の草薙ではあるが、彼方はそこに妙な親近感を覚えて、強張っていた頬が少しだけ緩むのを感じた。

 

「あぁ、くそ。お前と話してると疲れるんだよ……。とっとと本題に入るぜ」

 

 頭をがしがしと乱暴に掻きながら、草薙は強引に話題を引き戻す。

 本題とは、間違いなく彼方が草薙へと申し込んだ勝負の件だろう。確かに彼方が草薙と連合艦隊を組むとなれば、彼方の上官である楓にも関係してくる話ではある。

 

 草薙は、楓が何か反応を返す暇を与えず口を開いた。

 

「朝霧と俺は、近いうちにあることを賭けて勝負をする。互いに全力で、男と男の真剣勝負だ。その勝負で俺が負ければ、俺は朝霧と連合艦隊を組み、責任持って深海中枢へと連れていく。だが、もし()が勝てば――」

 

『俺が勝てば』

 

 その言葉は彼方が予想していなかった言葉だった。

 彼方が草薙へと勝負を申し込んだ理由は、草薙の隣に立つ資格を持つだけの力を示すためだ。その力を示すことさえ出来れば、彼方は吹雪を救うための足掛かりを得ることが出来る。しかしそれが出来なければ、吹雪を救いだすことを諦めざるを得なくなり、当初草薙が言っていた通りに、この楓の鎮守府を守る役割を与えられることになると思い込んでしまっていたのだ。

 草薙から彼方が敗北したときの条件を提示されるとは、思ってもみなかったのである。考えてみれば当然の話だ。そこに思い当たらなかったのは、間違いなく彼方の甘えだった。

 

「俺が勝てば、霞を含むこいつが持つ艦娘全て(・・)を戴く。勝負の内容は六対六の艦隊戦だ。場所は海軍司令部の演習場、時間は再来月の司令部が主催する合同演習の中で行う。そこでお前の力を示すことが出来れば、俺の相棒として俺と連合艦隊を組むことを大本営に認めさせてやる。……どうだ、朝霧。びびって取り止めるのなら、今しかないぜ?」

 

 そう言って、草薙は瞳に戦意を漲らせ、獰猛に笑った。

 

「………………っ」

 

 彼方は、言葉が出てこなかった。頭が真っ白になってしまったのだ。草薙に勝負を挑んだ気持ちは、決して軽いものではない。だが、霞達仲間全てを失うという覚悟を賭けてまでの発言だったのかと言われれば、彼方には頷くことは出来なかった。

 

(もう一人の吹雪と、霞達皆を天秤にかけろってことなのか……?)

 

 常識的に考えれば、そんなものは考えるまでもなく霞達艦娘を取るに決まっている。片方は艦娘ですらない、深海棲艦じゃないか! 自分の中で、今更――本当に今更だ――己に常識を説こうとする声が囁く。だって、深海棲艦と艦娘だ。敵と味方を秤に掛けるだなんて、普通に考えれば馬鹿げている。

 

(――いや、違う! あの吹雪は深海棲艦ではあっても、僕の艦娘なんだ!)

 

 ここで怖じ気づきもう一人の吹雪を見捨て今いる皆を守ったからといって、彼方は自分のことを父に誇れるだろうか。いや、決して誇ることなど出来やしまい。

 そんな選択をすれば、あの吹雪の助けを求める声が自責の念となり、必ずや彼方を苛み続けるだろう。

 

 そうは言っても実際問題として、あの提督筆頭である草薙に本当に勝てるのか。勝算は? 反撃が出来ない状況だったとはいえ、島風一人に彼方の艦隊は全滅させられたと言うのに。

 見栄を張った挙げ句に、霞達全てを失うことになってしまえば、それこそ彼方は二度と立ち上がることが出来ないほどに、うちひしがれてしまうのではないのか。

 零か一か。生か死かに等しいほどに、これは重い選択だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼方くん。受けなさい」

「……楓さん?」

 

 想定外の事態に深く思い悩んでいた彼方に、楓が毅然とした声で命ずる。

 

「この話、貴方には受ける以外の選択肢はないわ。貴方がどうしてこいつと連合艦隊を組みたいのかは知らない。けれど、もし貴方がここに残っても、霞ちゃん達を失うことには変わりがないのよ。……というか、分かってて言ってるんでしょう、草薙(貴方)も?」

「………………あぁ、まぁな」

 

 つまり、彼方が今ここで勝負から降りたとしても、霞達を失うだけでなんの意味もない、ということなのか。それは、一体何故なのか。目まぐるしく変わる状況に飲まれ、すがるような目で楓を見つめることしか出来ない彼方に、小さく嘆息した楓は先の発言に対する説明を始めたのだった。

 

 

 

 まず、彼方は既に大本営からかなりの注目を浴びていしまっているというのが一つ。

 それは、現時点で彼方の保有する戦力が海軍で草薙に次ぐ第二位にあたり、更には半年足らずで西方海域を解放したという功績もあったことに起因する。

 因みに草薙の補足した情報によると、彼方が姫級と遭遇したことは、既に大本営も把握済みらしい。姫級と遭遇して生き残っている提督という時点で、大本営としては最重要人物として彼方をマークしてしまったのだと、草薙は苦々しく呟いていた。

 何故大本営から注目を浴びると不味いのか。その理由は、この次に挙げられた。

 

 第二は、先任提督達の一部の者達の間で彼方を深海中枢への先遣隊として推薦しようとしている動きがあるらしい。

 楓が彼方の西方海域解放任務の完遂を報告し、それを受けた大本営は直ぐ様大々的に若き新人提督の挙げた大きな戦果を発表していたのだそうだ。その結果、突然の朗報に海軍の士気は大いに上がったのだと言う。鎮守府が破壊され、ろくに通信設備も使用できなかった彼方には知る由もないことであったが。

 ともかくそのお陰で、彼方は提督達の間で若く力のある提督だと帝国軍内部で広く認められた。しかしその一方で、彼方は若さ故に戦果を挙げることにのみ執心し、鎮守府の守りを放棄した愚か者だという噂が一部で囁かれ始めた。耳敏い一部の先任提督達が彼方の華々しい功績に嫉妬し、その裏にある鎮守府防衛の失敗という失態を聞きつけたのだ。

 確かに西方海域の鎮守府は深海棲艦の襲撃により大きな損傷を受けてしまったことは紛れもない事実だ。損壊した鎮守府を再建する必要もあるし、楓とてそれを報告しないわけにはいかなかったのである。

 ところが彼らは水面に投げ込まれたパン屑の一欠片に群がる鯉の如く、彗星のように現れた新進気鋭の新任提督の唯一の汚点を悪し様にあげつらった。

 そしてついにはその声に呼応するように、彼方がその汚名を濯ぐには最前線で再び大きな戦果を挙げることが必要だろう、と善意(・・)で申し出る者達が現れた。

 それらの声をあげているのは、何れも戦力的には既に彼方に遠く及ばない程度の力しかない、取るに足りない者達ではあるものの、持ち得る権力の大きさは楓の庇護下にある彼方とは比べるべくもない大きさだ。その権力は決して軽視できるようなものではない。これでもし大本営から勅命が下れば、彼方が深海中枢に単独で向かわされるのは避けられなくなってしまうだろう。

 そして羅針盤も無しに深海中枢に向かえば、彼方を待っているのは全滅以外にはない。

 

 

「……相変わらず他人の足を引っ張るのだけは上手い奴等だ。余程朝霧の存在が邪魔らしいぜ」

「そうね。それに、あまりにも周囲の動きが迅速過ぎるわ。何も知らないで煽られるままに騒ぎ立てている有象無象の提督達はともかく、私にはこの動きを煽動しているものがいるように思えてならない」

 

 楓と草薙は深刻な表情のまま、事態の説明を終えた。

 彼方は語られた事態の重さに目が回る思いだったが、二人の様子から、彼方のことを心配して頭を悩ませてくれているというのが良くわかった。

 

「それで……もし勅命が下ってしまえば、僕は前線に出ることを拒むことは出来ないんですよね?」

 

 命じられるままに深海中枢へと突撃すれば、霞達の全滅は必至。姫級と戦うことすら出来ず、ただ無意味に彼方の艦娘達は沈むことになるだろう。母国のために犬死してこいと言われているのと同じだった。

 それで人類が救われるというのならともかく、そんな命令は、断じて受け入れられる筈もない。そもそも彼方では姫級に勝てないというのは、大本営ならば知っているはずなのだ。その大本営から勅命が下るというのであれば、それは彼方達に対する明確な殺意であることに他ならない。

 

「そこなのよ。貴方はその命令を、とある条件を飲むことで事前に辞退することが出来る。その条件っていうのが、彼方くんの艦娘全てを海軍司令部に引き渡すこと。それを条件に、勅命を下すことなく、彼方くんは私の補佐として提督を続けることが出来るようにされているらしいの」

 

 それを聞いた彼方は、思わず草薙に視線を向けた。

 

「………………」

 

 無言で草薙が頷く。

 それで、全てに合点がいった。

 大本営が殺意を向けているのは、彼方にではなかった。

 彼方の艦娘(・・)に向けていたのだ。

 このまま手をこまねいていれば、どうあっても彼方の大切な仲間達は全て奪い去られるだろう。大本営が持つ何かしらの理由によって。

 

「実をいうとな。俺は今日初めからお前に勝負を吹っ掛けるつもりだった。喧嘩っ早いうちの島風をけしかけたのも、そこから適当にお前と演習する理由を作り出すためだ。いや、まさかあそこまで冷静に対処してくるとは思わなかったぜ。俺なら間違いなくこいつを沈めてる」

「あぁっ、颯人! やっぱりそれを期待してたんじゃない!」

「そりゃそうだろ。才能のある提督とみれば何処でもかしこでも襲いかかりやがって。お前が俺の初期艦じゃなかったら即効解体してるぜ」

「はぁ!? 私より速い艦娘なんていないんだから、喧嘩っぱやさだって誰にも負けないもん!」

 

 とんでもない艦娘だ。やはり草薙でなければ彼女を制御なんて出来ないのだろう。少なくとも彼方は島風を上手く扱うことは出来そうになかった。

 

「……相変わらずね。昔と何にも変わっていないのね、貴方達」

 

 酷く疲れたような顔で楓が溢す。何かしら彼女も島風に対して思うところがあるのだろう。その瞳からは何処か昔を懐かしむような暖かな光と共に、それを覆いつくすほどの苦労が見てとれた。

 

 

 

「……とにかく! 大本営の裏で操っている何かにお前の艦娘を渡さないためにはそれしかねぇ。お前が勝って俺と組むか。俺が勝ってお前の艦娘を預かるか。二つに一つだ。断れば、この場で問答無用でお前の艦娘達は連れていく。霞はお前の(もん)なんだろ、ここで尻込みするような奴には勿体なくて任せちゃおけねぇからな」

 

 どうする、と再び草薙が彼方にその目で問いかける。

 しかしその態度とは裏腹にその瞳の奥に潜む本心は、彼方が断るだなんて一欠片も疑ってはいなかった。

 

「その前に、一つだけ聞かせてください」

「いいぜ、なんだ」

 

 彼方はここまで話を聞いていて、ずっと疑問に思っていた。

 何故草薙はここまで彼方を気にかけてくれるのだろうか。

 先の話は、草薙が渡る必要のない危ない橋を渡ることに他ならない、危険な内容だ。大本営に逆らって彼方の艦娘達を匿うというのも、決して簡単なことではない筈。草薙が我が儘を通すことで、彼がそれなりのリスクを背負わされるのは目に見えている。

 

 権謀術数とは無縁の、ただただ力が強いだけの英雄。

 草薙はそういった部類の人間だ。権力というのは、いつだってそう言った英雄の天敵なのだ。

 だというのに、どうしてそこまで危険をおかしてまで彼方の力になろうとしてくれるのか。一体彼は、彼方に何を視ているのだろうか。ずっとそれが疑問だった。

 

「草薙提督は、父さんに助けられたことを今でも悔やんでいるんですか?」

「………………ッ」

 

 草薙は咄嗟に答えを返すことが出来ず、言葉に詰まった。

 咄嗟に否定の言葉が返せないということは、少なくとも心の何処かにそれを認めている自分がいたということ。彼方の父親――朝霧真が戦死する原因を作り出したのは自分自身だと思い込んでいる草薙にとって、彼方を可能な限り助けるというのも、彼の中では朝霧真に対する――あるいは、草薙が囲っているという朝霧真の艦娘に対する、罪滅ぼしのうちの一つだったのだ。

 

「……だったら、尚更もう後には退けません。父さんや母さんに守られ、霞に守られ、樫木提督に守られ、楓さんに守られ、貴方に守られ。僕はまだ肝心なところで誰かに守られてばっかりだ。だけど、そんな僕でも……せめて霞達だけは、僕の力だけで守りたい。いや、守らなくちゃ駄目なんだ!」

 

 彼方は本当に恵まれている。何せ提督として一応は一人前となった今でも、彼方を全霊で守り導いてくれる先達が二人もいるというのだから。

 

 だが、暖かな腕に守られるのも、これで終わり。

 このまま二人に守られ続けていては、いつ彼らにその矛先が向けられるとも限らない。

 相手は大本営を意のままに操るような人物なのだ。本気で草薙や楓の排除に乗り出せば、きっとこの国全体を巻き込む大変な事態になるだろう。それは彼方の望むところではなかった。

 

「はっ! 言うじゃねぇか、ひよっ子が。上等だ、全力でかかってこい! 心配すんな、お前が負けても霞達は俺が丁重に扱ってやるよ」

「ハァ!? そんなの余計なお世話よ! アンタ達なんて私があっという間にけちょんけちょんに()してやるんだから!」

「へぇ~? ついさっき私にあっさり負けた癖に、良くそんな事が言えますね。それとも、もう忘れちゃったんですか? 仕方ありませんね。物忘れの早さの一番だけはあなたに譲ってあげてもいいですよ?」

 

 彼方が切った啖呵によって、草薙や艦娘達に戦意の炎が燃え盛る。

 互いに見えない火花を散らす霞と島風を見て、草薙は不敵なな笑みを浮かべたまま、彼方に告げた。

 

「なら、本番までに少しでも強くなっとけ。悪いが今回は俺も全力でいかせてもらう。でないと大本営(あいつら)はお前を認めねぇだろうからな。ここには大井もいるんだ。アイツを頼れば力になってくれんだろ。恐らくな」

 

 そう言うと、草薙はもう用はないと彼方達を応接室から追い出した。

 霞はまだ色々と言い足りなかったのか未だ肩を怒らせて、扉の向こうを睨み付けたままだ。

 

「……霞。皆に何も言わず、勝手にこんなに大事なことを決めちゃって、ごめん」

 

 最初に霞に謝った彼方を不思議そうに見た霞はすぐに笑みを浮かべながら首を横に振る。

 

「何言ってるの、大丈夫よ! 私達皆が彼方と一緒にいるためには、これしかなかったのよ? 皆も満場一致で言うわ、アイツに勝つって」

「……うん、そうだよね。草薙提督に勝つ以外に、皆を守る術が、僕にはない」

 

 本来はもっと徐々に力をつけ、周囲との摩擦にも気をつけながら慎重に彼方を育てるつもりであった楓の思惑からは大きく外れる形で、彼方は急速に力をつけた。

 しかし、もともと楓が想定していた全力で西方海域の解放に当たっていれば、姫級に覚醒した装甲空母姫に遭遇していた事を考えれば、それ以外に彼方達が生き残る道はなかったのだと、今になって思えば確信できる。

 

 彼方の行く手に待ち構えた姫級の影と、彼方の艦娘を狙う海軍の裏に潜む影。

 

 思っていたよりも遥かに、彼方を取り巻く環境は大きな変化を迎えていたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……あまり我が儘放題振る舞っていると、どうでもいい石ころに足を掬われるわよ?」

「うるせぇな、わかってるよ。だがな、今のあいつを助けてやれんのは俺しかいねぇんだ。だからお前もこれ以上、下手に動くな。お前まで俺に守ってもらうつもりか?」

「冗談言わないで。私は私の目的があって動いてるの。彼方くんを助けてくれるのは素直に感謝してあげてもいいけど、貴方こそ余計なお節介はやめてくれるかしら」

 

 彼方が退室した後、残された二人は目を合わせることすらなくお互いの主張をぶつけ合う。

 提督候補生時代からのライバルだった楓と草薙は、元々犬猿の仲だった。幾度となくぶつかり合い、切磋琢磨していた二人だったが、それでも唯一と言っていい好敵手の存在を心のどこかで認めあっていたのだ。

 

「大淀もお前には関わって欲しくないって言ってたぜ。お前は爺さんの作った訓練校を守ってくれってよ」

「………………そう」

 

 その悪友とも言える存在が、決定的に失われたのは、楓の身に起きたある事柄がきっかけだった。

 

 

 もう十年近く前の話。楓の祖父――樫木重光が急逝した。

 公には病に倒れたということになっているが、楓と重光の艦娘のごく一部の者はそうは考えていない。

 

 重光は艦娘と提督の間に確かな信頼関係を築くための土壌を作ろうと、日々奮進していた。訓練校の設立もその一貫だった。鹿島のように虐げられる艦娘を見つければ、可能な限りそこから救いだす努力をしていた。

 

 楓はそうした祖父が誇らしかったし、憧れていた。

 自分も祖父のようになるのだと、幼い頃より鍛練を続けてきた。

 やがては訓練校を次席で卒業し、晴れて新人提督となった楓は、その手腕を遺憾無く発揮し、破竹の勢いで深海棲艦を打ち倒していく。

 

 そんなある日のことだ、楓の祖父――樫木重光が亡くなったという知らせを受けたのは。

 

「……よぉ、楓。爺さん、残念だったな」

「………………颯人っ」

 

 しとしとと降りしきる雨の中行われていた葬儀中、悲しみに暮れ涙を流す楓の元に、草薙颯人が現れた。

 

 草薙は当時から既に提督筆頭として、名だたる提督達を押し退けて最強の座を欲しいままにしていた。

 楓からすれば、羨望の対象にも等しい存在だ。認めたくはなかったが。

 しかし、そんな常に最前線に立ち続けていた男が、態々自分の祖父の葬儀へとやってきてくれるとは。嬉しさが込み上げると共に、弱った自分を見られたことによる羞恥に、頬がさっと熱くなる。

 

「こんなときに悪いが。樫木提督の艦娘、大淀、川内、清霜が今日付けで俺の艦隊に転属になった。あいつら自身が希望してのことだ」

 

 楓は自分が何を言われてるのか、全く理解が出来ていなかった。

 友人とは言えないまでも、唯一の気のおけない相手だと思っていた草薙から出てきたのは、慰めとはあまりにも遠い、予想だにしない言葉。

 

「残りはお前の艦隊に転属を希望したそうだ。訓練校、頑張れよ」

 

 簡潔に要件だけを伝えて、草薙は楓の前から立ち去った。

 残された楓は一人、涙を溢すのも忘れてただその後ろ姿を眺めていることしか出来なかった。

 

 ――どうして、と。声にならない声で呟きながら。

 

 

 今にして思えば、重光の死には不審な点が多々あった。

 艦娘を兵器として扱うのが主流であった時から今の艦娘と信頼関係を結ぶべきという思想で動いていた重光には、敵も多い。

 

 重光の補佐官を務めていた大淀には、何か確信めいたものがあったのだ。だからあの時既に大本営に近い位置に立っていた草薙についていった。何故か隠密行動が得意な川内を伴って。

清霜は単純に力を求めてだろう。彼女は人一倍強さに拘る艦娘だ。きっと訓練校の運営をしなくてはならない楓の元にいては、自分は強くなれないと考えたのだ。

 

 今となって考えれば、あの時多くを語らなかったのは草薙なりの不器用な優しさだった。

 もしあの時そんな話を聞かされていたら、楓は我を忘れて復讐のためのみにこの人生を費やしていたかもしれない。

 

 だから、今はその上から目線の行動を憎たらしくは思っていても、嫌っているわけではない。素直になるきっかけがないだけだ。

 

「爺さんのことは、俺もあいつらも調べてる。お前には俺とは違って守らなくちゃいけないもんがあんだろうが。それに、ここには俺の(・・)大井もいるんだ。ここがなくなっちまったらあいつが泣くだろ。だから余計なことはするな」

「……わかったわよ。」

 

 そう言ってそっぽを向いた楓は、それでも一応の納得をしてくれたようだった。

 一先ず安心した草薙がふと視線を感じて顔をあげると――

 

 

 

「草薙くん、ありがとう。私からもお礼を言わせてちょうだい。この子は私がどれだけ言っても止まらないから……」

 

 そう言って、かつての教艦が優しげに微笑んでいるのだった。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

また読みに来ていただけましたら嬉しいです。

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