艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

74 / 75
いつも読みに来てくださいましてありがとうございます!

今回から終章、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


終章 夕霞たなびく水平線
提督としての矜持


 しんとした室内に漂う、ピリピリとした緊張感が彼方を包む。

 

「………………」

 

 ここは、楓の運営する訓練校の応接室だ。

 彼方の掛けている来客用ソファの隣に苛立たしげに立っているのは、彼方の秘書艦である霞。

 そして、この緊張感を生み出す最大の原因となっているのが、机を挟んで彼方達の向かいにいる者達である。

 勿論楓ではない。この部屋の持ち主でもある楓は、再開の挨拶も早々に目の前の人物に締め出されてしまった。それも霞の苛立ちの一因となっていることは言うまでもない。

 

(うーん……。霞が怒るのも、わかるんだけどね……)

 

 彼方とて先の唐突で、しかも一方的に開始された演習に対して思うところがないわけではない。ないのだが、当の演習相手が誰だったのか、分かってしまえば早々に諦めもついた。結果としてたった一人の艦娘に彼方の艦隊が破れ去ったことは覆すことのできない事実でもあるし、己の力不足を指摘されても、全く反論のしようものないことだともわかっていた。

 そのため、彼方は特に抗議することなく自分の艦娘の治療と補給を済ませ、今この場へとやって来ていたのだった。

 

 ところが、既にすっかり落ち着きを取り戻している彼方に対し、霞はそうではなかったようだ。

 今にも怒鳴りつけそうな勢いで、彼方の正面に座る()を睨み付け続けている。

 

「……で、どうしてアンタがここにいるのよ!? 大体どういうつもりであんなことしたわけ!? 答えなさいよ、このクズ!!」

 

 というか、怒鳴りつけていた。

 普段はどちらかと言えば落ち着いていて、彼方の艦娘達のまとめ役を買って出てくれている霞とは思えない怒りようだ。

 やはり霞にとって、この人物には度し難い何かがあるのかもしれない。その事について詳しく聞こうと思ってみたこともあるのだが、決まって霞の機嫌が悪くなるので、あまり突っ込んだ話を聞くことが出来なかったのだ。

 

「いや、だから悪かったって言ってるだろ……。俺だってまさか朝霧を迎えにいかせた筈のこいつがそんな行動取るだなんて、予想できなかったんだよ……。おい、島風。お前何とか言えよ。俺が怒られてるだろうが」

「えー? ちょっと試しただけですよ? もう皆ぴんぴんしてますし、この人達の実力も測れましたし、いいじゃないですか?」

「こっちは実弾装備だったのよ? 仲間に銃を向けられる訳ないでしょう!」

「ふーん? 聞いていたのとは違って、随分とお優しいんですね」

 

 煽るように答える草薙の艦娘――島風と名乗っていた――の様子に、霞の目が普段彼方に見せているものとは比べようもないほどにつり上がっている。余程腹に据えかねたのだろう、これ程まで怒っている霞を見たこと等初めての経験だ。確かに霞が他の艦娘に敗北するところなど彼方は始めて見たのだから、霞としても相当に悔しい結果だったことは疑いようもないが……。

 

「霞、そんなに怒るなよ。お前の実力は俺もよく知ってるから――」

「気安く私の名前を呼ばないで!」

「――とりつく島もなしか。……おーい、朝霧。ちょっとこの猪娘を止めてくれ」

「誰が猪よ!」

 

 草薙の言う通り、これでは会話もろくに進めもしないまま、時間だけが過ぎていくことになる。帝国海軍提督筆頭の草薙が暇な筈もないだろうし、彼方は仲裁役を買って出ることにした。

 彼方は霞の肩に優しく触れ、その手を握る。

 

「……霞、それくらいにしておこう。僕としても島風(彼女)の行動に完全に納得が出来ているわけじゃない。だけど、負けは負けだよ。咄嗟の事に対応が遅れてしまった、僕の責任だ」

「――っ! ごめんなさい、彼方……。みっともないところを見せたわ……」

 

 これ以上無様に喚きたてるのは、敗北を喫した彼方の恥を上塗りすることに他ならないと思った霞は、直ぐ様口を噤んだ。

 

 向かってきた島風の姿を見て驚き攻撃の手を止めてしまった霞、神通、鹿島の三人という彼方の艦隊の司令塔達が真っ先に倒され、その三人が沈むことなく海上に倒れ伏していた時点で相手にこちらを沈める気がないとわかった彼方は、戦意をほとんど喪失してしまっていたのだ。勝ちに拘る必要性を感じなかったのである。ここで無理にでも彼方達が勝利してしまえば、それ即ち島風の撃沈ということになるからだ。

 そのため、残っていた艦娘達には牽制と防御、回避に集中するよう命じたのだが……相手はそんなことはお構いなしに大暴れしてくれた。

 その結果が、彼方の艦隊の全滅だ。つまるところ、敗北の責任は彼方の采配によるところが非常に大きい。

 

 見上げた霞の瞳から険のある光が少しずつ薄れ、次第にすまなそうに眉尻が下がっていく。どうやら冷静になってくれたようだ。

 彼方はほっと一息吐くと、目の前に黙って座っている草薙へと目を向けた。その表情は以前顔を会わせたときと何一つ変わってはいない。相変わらずの自信に満ちた表情に挑戦的な笑みを浮かべたままだ。

 

「それよりも、草薙提督。……貴方は何故この鎮守府にいらっしゃったんですか? まだ訓練生の試験の時期には早いと思いますが……」

 

 草薙は、どこでその情報を得たのか不明ではあるが、恐らく彼方が姫級と遭遇し、戦ったことを確信している。草薙の艦娘である島風の言動から、それは明らかだ。

 そして島風の放った言葉は、これまで公には姫級の存在を認めていなかった筈の草薙が、間接的にとは言え姫級の存在を認めたということにも繋がる。つまりは、これまで草薙は姫級が実在することを知っていながらも秘匿し続けていて、今この時点で彼方に対してだけは秘匿する必要がなくなったということだ。

 

 どうやら彼方は知らず知らずのうちに、相当な軍事機密に触れてしまったようだった。

 

「はっ! 似合わない腹芸は必要ねぇよ。俺は別にお前をどうにかしに来た訳じゃない。そのつもりなら島風は実弾を装備してただろうしな」

 

 草薙は彼方の上辺だけの問いを一蹴すると、彼方を真っ直ぐ見返して重々しく口を開いた。

 

「……朝霧。姫級には手を出すな。今回は、俺が間に合わなかったのにも関わらず、お前が生きていたことそれ自体が、丸っきり奇跡みたいなもんなんだ。西方海域の解放は本当にご苦労だった。並みの提督じゃ越えられなかった激戦だった筈だ。お前は十分によく戦った。後は樫木の下について、この鎮守府を守ってくれりゃ、それでいい」

 

 草薙はゆっくりと、諭すように彼方にそう伝えた。

 それは、純粋に彼方の身を案じていたからこそ出た言葉なのかもしれない。彼方とこうして顔を合わせることが出来たとき、本当に嬉そうにしていた彼の表情からは、嘘を読み取ることは出来なかった。

 

 しかし、例えそうだったとしても、草薙のその言葉に彼方は頷くことが出来ない。

 

「それは、できません」

「……あー……一応、理由を聞いてもいいか?」

 

 上官からの心からの忠言に大人しく首を縦に振らない彼方に、僅かに瞳を鋭くした草薙が問う。

 

「戦った姫級のうちの一人が、僕の艦娘――吹雪だったんです。彼女は僕に助けを求めていた。……だから、僕は――僕が吹雪を助けなくちゃいけないんです!」

「……そうか」

 

 彼方の言葉に言葉少なに頷いた草薙は、目を伏せ、加えていた煙草を灰皿に押しつける。

 その表情は、苦渋に満ちたものであるように彼方には見えたが、彼方としてもこの件は出来れば退きたくはない問題なのだ。上官からの命令であれば逆らうことなど出来ないが、それでもどうにか説得出来ないかと、彼方は考えを巡らせていた。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 先程とは打って変わって、カチカチと、耳障りな時計の針が刻む音だけがやけに部屋に大きく響く。

 霞や島風も互いに口を開くことなく、己の信頼する提督の動きをただ静かに待っているようだ。

 

 

 

 そのまま数分間沈黙を守っていた草薙が、ゆっくりと彼方へ目を向ける。

 

「……なぁ、朝霧。深海棲艦ってのは、何だと思う?」

 

 突然の問いかけに彼方は虚を突かれた。

 深海棲艦とは何か。

 人類の天敵、絶体的な悪……そんな分かりきったことは、草薙が求めている答えではないだろう。

 

 彼方は現在持ち得る深海棲艦の情報を頭の中で整理する。

 

 

 

 ――深海棲艦。

 意思のない、人類を無差別に殺戮するためだけに存在する自律兵器。

 そして深海棲艦には人類の持つ兵器が有効ではなく、艦娘の持つ艤装でのみ破壊が可能である。

 数十年前、突如深海から湧き出してきたそれは、圧倒的な物量と人類の持ち得る兵器の悉くを無効化する不可思議極まりない性質によって、瞬く間に人類から海を奪い取っていった。

 艦娘と、艦娘を従える提督という存在が人類の前に現れるまでは。

 

 彼方が訓練校で教えられたのは、そんなところだ。

 ここからは、彼方の経験から補足していくことになる。

 

 基本的な部分では、概ね教えられた情報に齟齬はない。

 深海棲艦は、ある程度の艦隊行動をとることはあれど、明確にその意志が確認できたことは今までなかった。

 ただ決められた航路をとり、敵対する存在があれば攻撃する。それだけを繰り返していたように、彼方にも思えた。

 

 しかし、彼方は姫級と出会ってしまった。明確な意思を持つ、深海棲艦と。しかもそのうちの一人は、彼方の艦娘である吹雪だった。

 ただ見た目が似ているという理由ではなく、彼方の提督としての直感のようなものが、あれは吹雪本人だと彼方に確信させていた。

 

 

 

 艦娘の吹雪と、深海棲艦の吹雪。

 提督として、全く同様の繋がりを感じることが出来たという事実。

 それが意味するところは――

 

 

 

「――艦娘と、本質的には同じ存在です」

 

 そう答えた彼方に、草薙は魂が抜け出しそうなほどの大きな溜め息を吐いた。

 

「やっぱりそうくるよなぁ。……お前、俺より上の人間にそれ言ったら間違いなく消されるからな。同じ問いを受けたって、二度とそう答えるなよ……」

 

 首を掻き切られるような仕草とは裏腹におどけたようにそう言うと、草薙は懐から何かを取り出した。

 それは、手のひら大の羅針盤。

 草薙はその羅針盤を弄びながら続ける。

 

「艦娘は、人類の危機を救うために現れたって言われてる。深海棲艦が悪であるならば、艦娘は正義。つまり艦娘は、常に人類にとって正義の、希望の象徴でなくちゃならねぇ。その艦娘が深海棲艦と同じだ、何て知れたらどうなる。提督(俺達)は何を使って、何と戦ってるんだ……ってことになっちまうだろ?」

 

 草薙は抽象的な言葉を使いその真意を濁したが、つまりこういうことだろう。

 艦娘と深海棲艦が同じ存在であるならば、艦娘が人類の味方であるという前提が、根底から覆されかねない。

 深海棲艦が人類の敵であることは疑いようがなかったとしても、本質的には深海棲艦と同じである艦娘が、人類の味方であると無条件に信じる理由にはならないということだ。

 そうなれば、提督と艦娘の……引いては人類と艦娘の間にある信頼関係が崩れ去ってしまう恐れがある、と草薙は暗に指摘していた。

 確かにその通りの話ではあるし、軍全体にそれが伝われば、漏らした人間は反逆者の謗りを受けることも避けられまい。

 但し、それは彼方の考えが事実であったなら、ということが前提にある。根も葉もない世迷い言であれば、切って捨ててしまえばいいのだから。

 

(それにしたって、命まで奪われると言うのは大袈裟すぎやしないか、とは思うけど……。草薙提督が冗談を言っているようにも見えない。ってことは――)

 

 上方へと放り投げていた羅針盤を掴む乾いた音で、彼方は反射的に草薙へと視線を戻した。

 

「まぁ……というわけで概ね正解だ、恐らくな。艦娘と深海棲艦に、本質的な違いはねぇ。特に姫級はそれが顕著だ。いや、正確には姫級(あいつら)艦娘(こいつら)の上位互換なのさ。少なくとも兵器としては、な」

 

 彼方の隣で霞が息を飲む気配が伝わってくる。

 彼方が辿り着いていた考えだ。きっと霞もその答えには辿り着いていたのだろう。ただ霞はその当事者だけに、受けた衝撃も彼方の比ではなかった筈だ。

 

「ぁ……彼方?」

「大丈夫だよ、霞」

 

 彼方は霞の抱く不安を払拭するように、その小さな手を今一度優しく握る。

 霞がおずおずと握り返してくれたので、彼方はにこりと微笑んだ。

 

 そう――この話は、霞達艦娘にこそ問題となるものだ。

 人間はどうせ艦娘に守られなければ生きていくことが出来ない。でなければいずれは滅び去ってしまう運命だ。

 だから、艦娘と手を取り合って生きていく他生き残る道がない。

 

 ところが、艦娘にとっては必ずしもそうではない。

 もし仮に艦娘と深海棲艦が同じものだとするならば、艦娘はどうして生まれてきたのか。

 

 深海棲艦は人類を滅ぼすために深海より発生した。

 

 艦娘は人類を深海棲艦から守るためにどこかからやって来た。

 

 本能的に深海棲艦を忌避し、人類を守護する役割を与えられているという自覚を持つ艦娘。

 その役割を与えたのは一体何者なのだろうか。

 

 

 

 艦娘である霞にも、それはわからなかった。

 

 

 

「……霞。生まれた意味や定められた役割にどんな理由があったって、君は僕の一番大切な人なんだ。だから、不安に思う必要なんかない。君の居場所はここにしかないんだから」

 

 不安気に瞳をさ迷わせる霞を立ち上がって抱き寄せると、胸の辺りに収まっている丸く可愛らしい頭を優しく撫でる。

 

「……ん。うん、ありがとう……彼方。大丈夫よ、ちょっとびっくりしただけだから」

 

 えへへ、と照れ隠しのように微笑みかける霞に安堵した彼方は、漸く好奇心旺盛な視線に気づくことができた。

 

 

 

「提督ー。私達出汁にされてますよ?」

「……あの霞がなぁ。この目で見ても未だに信じられん。一瞬で入れ替わったのか?」

「ぅ、うぅるっさいわねぇ! 見世物じゃないっての! 目を潰すわよ!?」

 

 流石にそれは理不尽な気がする。

 脱線したのはこちらの責任でもあるし、彼方は素直に謝ると、元いたソファへと腰を下ろした。

 

「お前ら本当に仲がいいのな。この話を知った上でその反応なら、今更それをどうこう言うつもりはねぇが……」

「はい。霞や、僕の仲間達の生まれがどうであれ、彼女達は僕の欠けがえのない大切な仲間です」

 

 それだけは自信を持って言える。

 彼方の強い意思を込めた瞳を見て、草薙提督は満足そうに頷いた。

 

「わかった。だが、そこまで知った上でそれでもそう言い切れたとしても、お前に姫級と戦わせるわけにはいかねぇ。――お前じゃ絶対に姫級には勝てないからな」

「……それは、どうしてですか? 先程の演習に敗れたからでしょうか」

 

 そう問い返した彼方に草薙は慌てたようすで手を振った。

 

「い、いや……あれは全く関係ねぇ。あれは本当にうちの阿呆が暴走しただけだ。あれでこいつが沈んでたらそれこそ大問題だったんだ、お前の冷静な対応には心底感謝してる」

「自分の艦娘もまともに制御できないだなんて、提督筆頭が聞いて呆れるわ!」

 

 草薙ががっくりと肩を落とす。

 反論の余地もない、と言うことなのだろう。ということは、島風の行動は彼にとっても完全に予想外だったということか。

 

「……あ、あー……まぁ、その、なんだ。お前が姫級に勝てない理由なんだが、至極単純な話でな。姫級は、俺にしか(・・・・)倒せねぇんだよ。少なくとも、この国ではな」

 

 そう言うと同時に、先程懐から取り出していた羅針盤を机の上に置いた。

 これは何かと目で問う彼方に、草薙は軽く頷くと説明を始める。

 

「こいつは、妖精が造った羅針盤だ。この羅針盤は、姫級かが海上に浮上してくると、その方角を指し示す。こいつのお陰で、俺はお前が姫級と遭遇したことに気がつくことができたのさ」

「なるほど……楓さんから話を聞いたのでなければ、一体どうやってこの事を知ったのか、と思っていましたが……」

 

 そういうことらしかった。妖精の力であれば、こちらとしても疑いようがない。

 だが、それと姫級を倒すこととは、直接的な繋がりはないように思える。恐らくこの羅針盤が持つ力は、それだけではないのだろう。

 彼方は納得したように頷くと、話の続きを促した。

 

「この羅針盤の持つ役割はもう一つある。羅針盤を持つ提督が従えた艦娘のいる海域に姫級を縛りつけ、その存在を固定する役割だ」

「存在を、固定……?」

 

 そうだ、と頷くと草薙は羅針盤を懐にしまった。

 

「姫級とやりあったんなら、『血海(けっかい)』は見ただろ? あの海が赤くなる現象だ。」

「あ、はい。『魂を喰らう海』、ですか?」

 

 ぶっ、目の前から何かが吹き出す音と彼方の顔にまで飛んできた飛沫。

 いや、何かではなく草薙提督だが……。

 

「お、お前……その呼び方は誰に聞いたんだ……」

「え? 神通ですけど……何か、可笑しかったでしょうか」

「そうか……。いや、いいんだ。確かにそう呼ぶ奴もいる。ごく一部の筈だがな……」

「はぁ……」

 

 何故かぐったりとした様子の草薙に、彼方は首を傾げた。

 

「話の腰を折って悪いな。で、その海には艦娘の艤装を腐食、分解する力がある。姫級と戦うためには、その迷惑な海の上でなくちゃならねぇ。それなのに、あいつらの居場所はその海をうろうろ探し回らないと見つけることすら難しい。更にあいつらは、あの海の範囲内でなら霧のように消えちまったり現れたり、どこへでもひとっ飛びすると来た」

 

 確かに、あの時は向こうから彼方の方へと近づいてきてくれたから、姫級と遭遇することが出来た。

 普通であれば、あの海の中を敵を探して彷徨こうなど思えないだろう。姫級に出会えたときには既に満身創痍だなんてことも十分にあり得る。しかも見つけたと思ったら移動されたのでは、それこそこちらに手の打ちようがないだろう。

 どうりで今まで姫級との遭遇報告や撃破報告がないわけだ。

 

「それを防いでくれるのが、その羅針盤だということですか」

「あぁ、そうだ。羅針盤は、姫級までの最短ルートを示してくれる。そして、例え血海(けっかい)の中だとしても、あいつらお得意のイカサマを防いでくれるんだ」

 

 確かに、そんなオカルト染みたものを相手にするには、羅針盤のあるなしは非常に大きい。

 そして彼方の目的を果たすためには、その羅針盤は必要不可欠だということも理解できた。

 

 であるならば、彼方はこれからどうするべきか。

 彼方の提督としての最大の目的――それは、父のようにこの海を、そして艦娘達と結んだ絆を守ること。

 姫級となってしまったもう一人の吹雪を助け出すことは、決してその目的に外れた行いではない筈だ。

 

「僕一人では姫級には勝てないということは理解しました。――ですが、草薙提督。僕は吹雪をどうしても助けたいんです! お願いします。吹雪を助け出すために、僕に力を貸してください!」

 

 彼方は椅子から立ち上がると、精一杯頭を下げた。

 手を出すなと命令された。それはわかっている。彼方だけでは姫級に勝てないことも十分に理解した。

 その上で、彼方が己の目的を果たすには、草薙に懇願するより他になかった。

 

 草薙が頷くまで頭を下げ続けるであろう彼方に、とうとう草薙の顔から笑みが消える。

 

「ここまで言ってやってもわからねぇとはな。……俺に、お前の艦娘を使えってのか? それとも、この羅針盤をお前に差し出せと? この羅針盤が提督(俺達)にとって何を意味するのか、わからない訳じゃないだろう?」

 

 草薙から放たれるビリビリとした気迫に、じっとりと背中を汗が流れる。

 

「違います! 霞達は僕の艦娘です。他の誰にも委ねるつもりはありませんし、提督筆頭になる事にも興味はありません。だから――」

 

 草薙は黙って彼方の続く言葉を待っている。

 その威圧感は揺るぐことなく彼方へ向けられているが、ここで退くわけにはいかない。

 軍という巨大な組織の中で己の我が儘を通そうと言うのだから、それ相応の対価が必要とされる。

 彼方はそれを草薙に示さなくてはならないのだ。

 

 

 

「………………!」

 

 

 

 ぎゅっと、汗ばんだ手が温もりに包まれる。

 頭を下げている彼方には見ることは出来ないが、確かに霞が力強く頷いてくれているのがわかった。

 大丈夫だと、声はなくともそう言っているのが伝わってきた。

 

 

 

 彼方には、提督として誇れるものはほとんどない。

 資質の高さは飛び抜けていると言われていたが、それを活かせるほどの戦略眼もなければ、最小の犠牲で最大の戦果を得ようとするための冷徹さを持てる程の勇気もない。

 

 けれども、だからこそ彼方にはどうしても失いたくないものがある。

 あの吹雪は彼方以外の提督からしてみれば、ただの深海棲艦のうちの一隻に過ぎない。それは草薙にとっても同様だ。救う必要など、これっぽっちもない。

 だが、彼方にとってはそうではない。あの吹雪は、確かに彼方に救いを求めた。深海棲艦となってしまった吹雪を救うことが出来るのは、彼方ただ一人だけなのだ。

 

 

 

「――だから、僕と勝負をしてください! そして、もし僕が勝てたら、僕と連合艦隊を組んでください! 僕に吹雪を救い出すチャンスを下さい! お願いします!」




ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

また次回も読みに来て頂けましたら嬉しいです。



因みに『魂を喰らう海』と名付けたのは、当時神通のいた調査団の隊長を務めていた、眼帯の似合う五人姉妹の末っ子のあの子です。『血海』ではインパクト不足だとか何とか……。
その内とある人物と共に登場するかもしれません。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。