艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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本当に久し振りの更新となってしまいました。
お待ちいただいていた皆様には申し訳ありません。

完結までは何とか少しずつでも続けていくつもりですので、お付き合いいただけましたら幸いです。


帰途

 西方海域にやって来た時と同じように、彼方は一度は戦場を共にした事もあった小型舟艇に乗って、ほんの数ヶ月ぶりではあるものの懐かしい故郷へと帰ってきた。

 船室の窓から望む、四角に切り取られ絵画のようになった風景が、彼方の内にある郷愁の念を煽る。

 

「街、見えてきましたか? 彼方くん」

「うん、大分ね!」

 

 意識していたわけではないのだろうが、いつもよりも少しだけ弾んでいた彼方の声に、鹿島は彼方に気づかれぬようにこっそりと笑みを溢した。

 

「そういうところはまだまだ、子供みたいですねー」

「……本当に? そんなにはしゃいでたかな?」

「ええ、ほんの少しだけですけど。……うふふ、でもいいんですよ? 彼方くんのそういう素直なところ、素敵だと思いますし、可愛くて私は大好きですから」

「それは……。ありがとう、でいいのかな。男としてはどうかと思わないでもないけど……」

 

 にこにこ顔で微笑む鹿島が、冗談で彼方のことをからかっているわけではなく、本心からそう言ってくれているという事がわかっている彼方は、素直に礼を言うことにした。もちろん可愛いと言われて礼を言うのは、照れ臭いことであるのは間違いないのだが、だからと言って鹿島の言葉を意固地になってまで否定する気にもなれないのは、彼女の笑顔を見てしまえば仕方のないこと……の筈だ。

 

 だから彼方はそれ以上口を開くことなく、黙って四角く切り取られた故郷へと再び目を向けることにした。

 鹿島も彼方に気を遣ってくれたのか、それ以上は何を言うでもなく、操船に戻ってくれたようだ。

 

 

 

 舟艇が波を掻き分ける音と、海風が吹き抜けていく音だけが彼方の耳朶に触れる。

 

「………………」

 

 静かになったらなったで、何となく手持ちぶさたとなってしまった彼方が船室に備え付けられた時計を確認してみれば、時刻はそろそろ正午といったところになっていた。

 彼方はそのまま船室の中をくるりと見渡す。今現在この船室にいるのは、彼方以外では西方海域からついてきてくれた何人?かの妖精達と、鹿島だけである。

 その妖精達は何やら海域図の上に集まって、ああでもないこうでもないと話し合い?をしているように見える。

 鹿島は彼方と目が合うと、僅かに目を細めて微笑みかけてくれた。

 

 航路の選択や舟艇の操舵の補助を担当してくれていた鹿島以外の艦娘達はと言うと、小型舟艇の周囲に展開し、哨戒と護衛の任務にあたってもらっているのだ。

 楓の命令を受けてからそれほどの猶予もなく出発し、更に数日間かけての長旅となってしまったために、彼女達には中々神経を使う旅になってしまっていただろうが、幸い一度として戦闘をすることなく、無事に目的地に辿り着けそうだ。

 人類の制海圏のみを通っての帰還だったとは言え、もちろんそれでも敵に遭遇する可能性がゼロというわけではない。

 特に、彼方は『どこにでも現れる』と言われている姫級にも実際に遭遇してしまっているのだ。ここが人類の制海圏だからと言って、楽観視出来よう筈もないだろう。

 

 そんな中、彼方の故郷でもある楓の鎮守府へ、誰一人傷つくことなく無事に帰還出来そうなところまでどうにかやって来ることができたのだ。

 そうした事情もあり、道中緊張状態が続いていた彼方の様子を間近で見ていた鹿島は、ここに来てようやく緊張が解れてきた彼方の様子を見て、心の底から安堵してくれていたのが、彼女の柔らかな笑顔を見た彼方にも理解できた。

 

「ありがとう、鹿島」

「これも補佐艦の役目……というか、役得ですからね」

 

 そうして悪戯っぽくウインクをする鹿島に、つい照れ臭くなった彼方は、とうとう目的地が肉眼で確認出来る位置にまで近づいてきたこともあり、一度船室を出てみることにした。

 

「ん……えっと、鹿島。少し外の様子を見てくるから、ここをお願い」

「うふふ、わかりました。操舵は任せてくださいね!」

 

 快く彼方を送り出してくれた鹿島を残し、少しだけ熱を持った頬を片手で押さえながら、彼方は船室を出るための扉を開けた。

 

 

 

「――っ」

 

 びゅうびゅうと、思っていたよりも強かに吹く風が、彼方の頬を荒っぽく撫で付けていく。

 

 船首の方へとやってきてみると、心地好い海風が感じられる。いつの間にか船室から一緒についてきたらしい彼方の肩の上に乗った妖精も、どこからか取り出した双眼鏡を覗き込んでいる。

 彼女?も新しい居場所が気になるのだろう。

 彼方がこうして古巣を捨てて自分についてきてくれたことに感謝の意を込めて、頭を指先で軽く撫でてやると、くすぐったそうに身をよじる。気分を害してしまった訳ではなさそうだが、妖精は彼方の肩を飛び降りて船首の先端の方へと走っていってしまった。少し気安過ぎただろうか。

 

 未だに何を考えているのか、喋っているのかは理解できない部分が大半ではあるものの、あの戦闘がなければ、彼方が妖精達とここまで近づくことは到底出来なかっただろう。

 その点において言えば、あの戦闘も悪いことばかりではなかったのかもしれない。

 

『……そろそろ私も舟を降りなくてはいけませんね。彼方くん、操舵をお願いできますか? 私は皆を呼び戻してきますので』

「うん、わかった。よろしくお願いね、鹿島。皆、そろそろこの舟の近くまで戻ってきてくれるかな?」

 

 船室へと戻り、彼方は鹿島の要請に応えて舟艇の操舵を交代する。とは言えもう目的地は目の前。ただ舟を真っ直ぐ進めるだけだ。

 彼方が操舵を代わりながら通信機越しに艦娘達に指示を伝えると、仲間達からは一様に元気な返事が返ってきた。皆長旅の疲れをまるで感じさせない、明るい声だ。突然の帰還となってしまったが、どうやら艦娘達に大きな不安はなさそうで、彼方はまた少しだけほっとした。

 

 

 

『ねぇ、プリンツ! あれがカナタの生まれ育った街なのよね?』

『はい、そうらしいですよ! むむ……まだ遠いですけど、電探に沢山の艦娘の反応がありますよ、ねえ様! あの辺りに吹雪ちゃん達のいた艦娘とアドミラルの学校があるんでしょうか?』

 

 かしましいドイツ艦達の会話に耳を傾けながら、前方に見えてきた鎮守府の、その変わらぬ懐かしい佇まいに安堵の表情を浮かべる。

 何せ自分達が旅立った鎮守府は、訪れた時と比べて変わり果てた姿になってしまっていたのだ。

 それを提督として未熟な自分の責任だと強く感じていた彼方にとっては、色々な意味で溜め息の出る光景だった。

 

『ええ、そうよ。あれが私達の暮らしていた鎮守府。今は艦娘や提督の育成を行う訓練校としての側面の方が強いけれどね』

『楓に直接会うのは本当に久しぶりですね。私は、あまり教艦には向いていないようでしたから……』

『あぁ……懐かしいですね。もうやめてくれと泣き叫ぶ崩れ落ちた生徒達と、それを立ち上がるまでただ黙って眺める笑顔のままの神通さん……。あれは、そう。まるで――』

 

『――地獄、だったわね……』

『――地獄、でしたね……』

 

 彼方と同様に懐かしい鎮守府を前に三人揃って表情を緩めていたであろう筈の霞、神通、鹿島だったが、掘り起こしてはならない記憶まで掘り起こしてしまったのか、霞と鹿島の声に苦悶の色が混じる。

 その声音からは、当時の惨劇がありありと思い出されるようで、彼方は前方に小さく見える彼女達の影を背負った背中から目を逸らさずにはいられなかった。

 

 

 

『あ、いえ、神通さん! わ、私だって、鬼教艦って訓練生達には呼ばれてましたから!』

『霞ちゃん、それは自慢するような事じゃないんじゃ……。――でも、神通さんが教艦に向いてないなんてことは、ないと思いますよ? ね、彼方くん?』

 

 鹿島の取り成すような言葉に、しかし彼方は迷うことなく頷いた。

 

「うん、勿論だよ。今こうして皆揃ってここに帰ってこられてるのも、神通の訓練があってこそのものだしね」

 

 特に潮はそうだと言える。

 あとほんの少しでも練度が低ければ、そして運が悪ければ、彼女は今ここにいなかったかもしれない。

 それを思えば、神通が教艦に向いていないだなんて、彼方には考えることが出来なかった。

 

『そ、そうですか……? 実を言うと、少しだけ気にしてはいたんです。当時私の課した訓練で提督を諦めることになってしまった候補生達は、かなりの人数でしたから……』

『あれはなるべくしてなった結果ですよ。もしあのまま提督になっていたとしたら、彼らはあっという間に御自慢の(・・・・)艦娘達を失っていたと思います』

『当時はまだここの工廠から生まれていない娘も受け入れてたから。既に実践経験済みの艦娘を連れてきた奴らもいたのよねぇ』

 

 当時はまだ、既に提督として名を上げていた人物の子息や権力者の子息がやって来る際、親や他所の提督に仕えていたベテランの艦娘を貰い受けて、『艦娘付き』で入学してくる候補生達が多かったそうだ。

 そう言った人物は、提督としての資質はそれなりに持ち合わせていても、大抵はその資質以上に増長し、周囲の候補生を見下し軽んじる傾向が強かった。

 

 その為当時教艦に就いていた神通は、その艦娘達を通して、彼らに身の程を知らしめてしまったらしい。

 勿論、神通としては完全に善意の上での行動だろう。提督としてやっていくためには、慢心は絶対にあってはならないことだと、身をもって教えただけに過ぎないのだから。

 だが神通のその行動が、候補生達のちっぽけな自尊心を、完膚なきまでに破壊し尽くしてしまったのは言うまでもない。

 

『結局訓練校を退学してコネで無理矢理提督になったと思ったら、彗星のように消えていったわね、あいつら』

『まぁ、当然の結果と言ってしまえばそれまでですけれど』

 

 事も無げに続ける、我らが教艦二名のドライな反応に、彼方は苦笑いを浮かべるより他はない。

 

 

 

『提督というのは、やはり貴方のような方ばかりではないのですか?』

 

 霞達の会話を聞いて、驚き戸惑ったように声をかけてきたのは、彼方の艦娘となって最も日が浅い、大鳳だ。

 

「うーん……確かに訓練校ではちょっとだけ浮いてた、かも……?」

 

 何せ彼方には、提督の訓練生だった友人は、たった一人しかいない。

 唯一の友人と言っても何ら差し支えない日引太一という存在がなければ、常に霞と鹿島に挟まれていた彼方は、周囲から更に奇異の目を向けられることになっていたであろうことは、想像に難くないだろう。今思えば、彼方の訓練校生活は、太一には相当に助けられていた。

 卒業間際に起きたある騒動によって、別れの挨拶一つすることは出来なかったが……。

 

 横道に逸れた彼方の思考を引き戻すように、大鳳に霞とプリンツが応える声が耳に届いた。

 

『大鳳。彼方みたいな提督は、この国のどこ探したって居やしないわよ』

『そうそう、ドイツにだってカナタくんみたいな変わったアドミラルはいませんよー』

『えっ……そうなんですか? やっぱり……一般的な提督は、深海棲艦と話をするためや、危なくなった艦娘を助けに自らが海に出てきたりは――』

 

『――しないわよ? いたらそいつは既に死んでるわね』

『――するわけないじゃないですか? 自殺志願者でしかないですよ、そんなの』

 

 切り捨てるような二人の言葉。

 だが、そんな二人の多分に棘の含まれた言葉とは裏腹に、その声音にはどこか誇らしげに、大鳳には感じられた。

 

『……そうですか。ですがそんな提督だからこそ、提督は皆さんにこれほどまでに慕われているのですね』

『そうよ、わかっているじゃない。彼方には、私達全員が揃っていなくちゃダメなのよ。誰一人欠けてはならない。もちろん貴女も、その一人なのよ、大鳳』

 

 霞が優しく諭すように、大鳳に言葉をかける。

 

 ……確かに、あれは我ながら命を投げ棄てるような行いだったのは否定のしようもない。

 ただ、不思議と確信が持てたのだ。彼女(吹雪)は彼方自身に決して危害を加えないと。そして、彼女が彼方の仲間の艦娘を本気で殺そうとしていることも。

 だから、彼方は自ら深海棲艦となってしまった吹雪を出迎えた。全員が揃って無事に生き残るために。

 

『……提督。一般的な観点から言えば、貴方のあの突飛な行動は、指揮官としては自覚が足りていなかった迂闊な行動であったのだと思います。もしそれで貴方が死んでしまえば、私だけではなく、貴方を含めた鎮守府の仲間皆が死んでいたのですから。本来であれば、あの場面なら私を切り捨てるべきでした。ですけど、貴方は自らの命すら厭わずに私を助けてくれました。

 私は、一兵士としては失格かもしれませんが……本当はそれがとても嬉しかったんです。提督という存在は、これ程までに艦娘にとって大きなものなのかと。提督にとって艦娘()は、命を懸けるに値する存在なのかと。ですが、それは貴方が提督だからではなかったのですね。私の提督が貴方だったからこそ、私はあの戦場を生きて還ることが出来た』

 

 大鳳が、その想いを吐露する。

 自らの想いを確認するように少しずつ吐き出されたその想いは、戦いの最中(さなか)からずっと大鳳の中に燻っていた、複雑な感情そのものだ。

 戦闘の真っ只中に生まれ、直ぐ様戦禍に巻き込まれ、そして命からがら生き残った。

 

 戦うために生まれた艦娘が、その宿命のままに生まれ、戦い、沈む。

 たった一日でその生を終えるかと思われた大鳳は、しかし一人の人間の手によって生き長らえることとなった。

 それも、大鳳を戦いに放り込んだ当人の手によって。

 

「あはは……そんなに大逸れたことをしたつもりはないんだけどね。でも、大鳳の命が僕の命より軽いなんてことは、ある筈がないんだ。僕の艦娘として、君が生まれてきてくれた以上、君は僕の欠けがえのない仲間だ。僕の手が届く範囲にいるのなら、命を懸けてでも助けようとするのは、当たり前の事だよ」

 

 その結果、失敗して全滅する恐れがあるのは承知の上だ。

 だが、彼方はそれを理由に、仲間を見捨てることなど出来はしない。どんなことがあったとしても、仲間全員揃っての勝利を諦めない。彼方と、そして霞達の望む提督であるために。

 

 それが、彼方の目指す提督だった。

 

 

 

『――彼方、前方から所属不明の艦娘が接近してくるわ! 何よこいつ……あり得ない! とんでもない速さじゃない!』

 

 突如船室に響くけたたましい警報音と共に、霞の驚愕に染まった声が彼方の鼓膜を振るわせる。

 

『そこの所属不明艦、止まりなさい! 直ちに所属と艦名を名乗り、武装解除しなければ、敵性反応と見なして攻撃を開始します!』

 

 鹿島の切迫した声が続く。彼方には何が起こっているのか、全くわからない。何故艦娘(・・)が彼方達を襲うのか、楓の鎮守府に何が起こっているのか。あまりに突然のことで、思考が追いついてこないのだ。わかっているのは、霞達が危険に晒されているということだけ。

 

 ならば、現在彼方にとれる行動は、取るべき行動は、一つだけだった。

 

『不明艦、速度を更に上げました! ……彼方くん!』

「霞、不明艦を敵性反応と断定! 攻撃を許可する!」

『わかったわ! 皆、彼方を守るのよ! ――って、ちょっとアンタまさか!?』

 

霞の上げた声の意味を問いかけようとしたその瞬間。

 

ドンと低く大きな音が鳴り響いた。間違いなく主砲の発砲音だった。所属不明艦との戦闘が始まってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからは、今まで以上に彼方の理解の範疇を超えた現実が彼方を待ち受けていた。

 

 思わず船室を飛び出した彼方は、目の当たりにした光景に呆然と甲板に立ち尽くす。

 

「そん、な……」

 

 全滅。

 ものの数分で、彼方の艦隊に所属する全ての艦娘があっという間に撃破されたのだ。

 海上に倒れ伏した彼女達を見れば、どんな武装を使われていたのかは一目瞭然だ。

 

「演習用の武装で、実弾装備していた霞達を……?」

 

 演習用の武装ということは、初めからその所属不明艦に彼方の艦娘達を害する目的などありはしなかったということ。

 恐らく霞達はこの艦娘を遣わした何者かに試されたのだ。その実力を。

 

 

 

 そしてその艦娘は、未だどうすることも出来ず立ち尽くしていた彼方の前に超然と現れた。

 

「こんにちは、貴方が朝霧彼方提督ですね! それにしても、貴方の艦娘って皆おっそーいー! あんなのでホントに姫級を戦ったんですか?」

 

 長く美しい金髪を吹き荒ぶ海風に流し、頭の上に兎の耳のように長いリボンを靡かせた、大胆に露出した肌を惜し気もなく晒す少女が一人。心底詰まらなそうな顔をしながら彼方の前に立っていた。

 

「君は一体……誰なんだ?」

 

 彼方の口をついて出た言葉の真意は何だったのか。

 それを彼女は知る由もないが、そんな彼方の言葉にその艦娘は律儀に答えた。

 

 

 

 

 

「私は最速の艦娘、島風! 貴方をお迎えに来ました!」




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました。

これにて二章は終了。
次回からは終章となります。

また次回も読んでいただけましたら嬉しいです。

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