艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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いつも読みにきてくださいまして、ありがとうございます!

かなりの間が空いてしまいまして、申し訳ありません。

それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


潮の帰還

「――んぅ……」

 

 目蓋の向こう側から感じる穏やかな光を受けて、潮は自然と漏れ出た吐息と共に、ゆっくりと目を覚ました。

 横たわっている潮の身体をふんわりとした布団が優しく包み込み、目の前には対称的に無機質な天井が広がっている。

 

 どうやら、潮はどこかの部屋のベッドで眠っていたようだった。

 

(ここは……どこ? もしかして潮、夢でも見てたのかな……?)

 

 潮の記憶では、自分は今戦場のど真ん中にいる筈だ。

 あの恐ろしい敵と、一対一で対峙していた筈なのだ。

 決して夢ではあり得ないような、現実感の籠められた記憶が、潮の背筋を凍らせる。

 

 

 

 しかしどういう訳か、潮はつい先程までベッドの中でぬくぬくと寝入っていたらしい。

 横になっていたベッドの左側にある窓の方へと目を遣ると、暖かな陽の光が射し込み、心地よい爽やかな海風が潮の頬をさらりと撫でていった。

 

 何とも清々しい目覚めだ、これだけであれば。

 あんな戦場はただの悪い夢だったというほうが、余程信憑性があるように思える。

 潮自身がそう思いたい気持ちもあったのか、目覚めても未だ覚めやらぬ夢の中にいるような感覚が、潮の意識を靄のように包み込んでいく。

 

 

 

「……でも、やっぱり」

 

 窓から見渡せる風景が、いつもと違っている。

 

(このベッドは潮のじゃない。だったら、あれは……夢じゃない……!)

 

 ――アレ(装甲空母鬼)が夢ではなかったのならば、何故自分は今まで誰かの部屋で眠っていたのか。

 

 脳裏にあの黒い剛腕が蘇り、恐怖に震えだす身体を止めるため、潮の右手は無意識に強く自らの左腕を掴もうとする。

 

(潮は、あの時……あの腕に捕まっちゃって、それで――)

 

 

 

「……おかえり、潮」

「………………ぇ?」

 

 

 

 不意にすぐ隣から聞こえてきた声で、潮の頭の中は一瞬のうちに真っ白になった。

 

 声と同時に感じる、右手に伝わる温もり。

 少しだけ硬さを感じさせるものの、逆にそれが彼に触れているという安心感を潮に与えてくれる。

 今潮の手が握っているのは、仲間や潮自身の命を護り、害する敵を殺すための硬く冷たい艦砲や、恐怖に震える自身の腕ではない。

 

 潮が必ず護ると誓っていた、潮にとっては自分の命よりも大切だと思える、想い人の温もりだった。

 

 

 

 

「……彼方、さん」

「本当に良かった。君が目覚めた時に、傍にいられて。一番に『お帰り』って、言ってあげられて」

 

 相変わらず、聞かされた側が恥ずかしさのあまり逃げ出したくなるようなことを平気で言う人だと、潮は思った。

 

 だがそう思うと同時に、冷やかすように頬を撫で付けていく――何故か先程よりも急に冷たくなったように感じる――海風を煩わしく感じながらも、その風が二人の熱を奪い去ってしまわないように、潮は彼方の手を両手でそっと包み込んだ。

 

 目覚める前……戦場では遥か遠くに感じていた彼方の温もりが、今は潮の手の中にある。

 

 

 

「ぁ、あの……彼方さん……ただいま、です」

「うん。おかえり、潮」

 

 

 

 潮は、還ってくることが出来たのだ。

 あの地獄のような戦場から。

 彼方の言葉を受けて、彼方にその答えを返して。

 潮はようやく、その実感を持つことが出来たのだった。

 

 禍々しい異形を前に、彼方を思うことでどうにか己を奮い起たせ。

 幾重もの砲弾、魚雷を掻い潜り、ただ皆を――無事に全員が還ってくることを信じている彼方を護ることだけを考えて必死に戦った。

 

 

 

 自らの帰還を言葉にして彼方に伝えた瞬間、走馬灯のように潮が戦ってきた戦場が思い起こされる。

 

 あの敵を前にしても、こうしてまた彼方に会えたということが、潮には奇跡としか思えない。それ程に強く、恐ろしい敵だった。

 

 

 

「……潮が無事でいてくれて、本当に良かった。皆が揃って無事にここに帰ってきてくれたのは、君のお陰だよ」

「……潮、彼方さんに絶対にもう一度会いたくて……。皆と一緒に、胸を張って――ただいま、って……言いたくて」

 

 だから……潮は今、とても嬉しいです。

 涙混じりの声で、潮はそう呟いた。

 

 

 

 きちんと、自分は仲間を護ることが出来ていたのだ。

 彼方を護ることが出来た。

 

 それが、本当に嬉しかった。

 

 

 

「……今回の戦闘で、君は装甲空母鬼によって酷い怪我を負わされた。あと本の少しでも運が悪ければ、死んでしまってもおかしくなかった酷い怪我だ。……それは、紛れもなく僕の責任だ」

「いえ、それは……彼方さんのせいなんかじゃ! 潮がもっと強ければ……!」

 

 彼方の言葉も潮の言葉も、互いに結果論でしかない。

 出撃の時点で、既に彼方は自分が出来る万全の備えをして潮達に出撃を命じていたし、潮も今出せる最大限の力以上の力を発揮して戦った。

 

 その上で今回のような結果になってしまったのは、(ひとえ)に通常の鬼級ではありえない程の強さを持ち得ていた今回の敵が、彼方の鎮守府全員にとってイレギュラーな存在となっていたからだ。

 

 それを今更彼方や潮が自分のせいだと断じて己を責めても、意味がない。

 それがわかっていても、そのイレギュラーな存在すらも御しきれる強さを持つことが出来ていなかった自分自身に問題がある。

 彼方も潮もそう考えてしまうのだった。

 

 実際はそのように簡単な問題ではなく、姫級に限りなく近い強さを持っていた装甲空母鬼を相手に、手負いとはいえたったの四隻で戦いを挑んで、その上で誰一人沈むことなく勝ちを拾えたという事実こそが最早奇跡そのものだったということに、二人は気がついていなかった。

 

 

 

「あはは……埒があかないね、やっぱり」

「そう、ですね。……今はこうして、ただもう一度彼方さんに逢えたことを歓ぶべきなのかもしれません」

 

 潮が両手に握った彼方の手を、そっと自分の胸元に引き寄せる。

 その潮の行動に、少しだけ彼方の頬が朱に染まるのを俯きがちな視界の端から認めた潮は、これから彼方にお願いすることを考え、不謹慎にもつい緩みそうになる口許を意識して引き締めた。

 

「……潮? あ、あの……どうしたの?」

 

 

 

 

 

「……彼方さん。潮の身体を、()てもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「……うん。霞達からも聞いていたけど、傷はどこにも残っていないよ」

「……そうですか。でも……少しくらいは残っていた方が、彼方さんを護れたことを誇れて、良かったのかも――」

「そんなわけない! 女の子の身体に傷があった方が良かったなんてこと、あるはずないよ……」

 

 彼方は今、潮が装甲空母鬼より受けた傷の痕を確認するため、毛布一枚で他に何も身に纏っていない潮の背中を眺めていた。

 

 潮はベッドに座って背中を丸めるようにしているため、つるりとして起伏の少なくなっている少女の背中は、まるで白磁のよう。

 これが傷ついていた方が良かったなどとは、彼方には逆立ちしても言うことは出来ないだろう。

 

 

 

「……そうですよね。ありがとうございます、彼方さん」

 

 くすりと、背中を()てくれていた彼方に届くか届かないかくらいの小さな声で微笑むと、潮は彼方に背中越しに視線を向けた。

 

「あの、それじゃあ今度は前の方を……」

「い、いや! あの、それは……困る。というか――」

 

 彼方を試すように見るその瞳に、彼方は慌てふためく。

 ただ傷痕の確認をするためとはいえ、潮の身体を邪な目で見ないでいられる自信が、彼方にはあまりない。

 

 とは言え仮に邪な目で見ずにいられたとして、それはそれで潮としても由々しき事態である。

 それに、喜んで見せろと彼方が言うとも思えない。

 そのため、彼方のその反応が見られた時点で、潮としてもある程度の満足はしたようだった。

 

 潮はちらりと舌を覗かせて――冗談です、ごめんなさい。と付け加えると、眠っていた時に来ていた寝間着を再び着直す。

 

 

 

「そう言えば、この寝間着って……?」

「あぁ、それはプリンツの物を借りたんだ。その、下着は……君に合うサイズの物がなかったらしくて……」

 

 そう、先程潮が着直した寝間着というのは、潮の物ではなかった。

 第一部屋も潮の部屋ではない。

 

 一体どういう事なのか、潮は彼方に訪ねた。

 

 

 

「実はね。深海棲艦がこの鎮守府へ攻め込んできたんだ」

 

 

 

 彼方は潮達が出撃している間にこの鎮守府に起こったことを、潮に説明した。

 

 吹雪達の奮闘と、新しい仲間、大鳳の建造。

 そして、姫級と思しき深海棲艦との激闘の末に、敵を無事退けたこと。

 その際に撃ち落とした敵艦載機が鎮守府の建屋に墜落し、建屋の一部が損壊したこと。

 損壊したのは彼方の私室が主で、隣り合った霞と潮達の部屋だった。

 

 しかしその後艦載機に積み込まれていた爆弾が爆発し、彼方の執務室等も根こそぎ吹き飛ばされ、その消火作業等にかなりの時間を要した。

 実際には鎮守府の司令部としての機能をほぼ喪失した、と言っていいほどの被害を受けてしまっていたという訳だ。

 

 つまり彼方が司令部を工廠に移していなければ、今頃彼方は死んでいた。

 その事に気づいた大鳳が自身の解体を望んで工廠に走り出したのを、必死で彼方が引き留めたのは余談であるが。

 

 

 

 とにかく今は妖精達によって応急措置を終え、無事だったプリンツ達が使用していた建屋の端の方の空いていた部屋を各自使用しているということだった。

 

「だから、潮の私物はもうほとんど焼けて残っていないんだ。ごめんね、潮」

「いえ、そんな! 潮の還りたい場所は彼方さんの所だけですから……。彼方さんが無事で、本当に良かったです」

 

 心の底から潮がそう思ってくれているであろうことを、その手に伝わる潮の手のぬくもりから感じ取った彼方は、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 まさか潮がこのことで彼方を糾弾するなんてことはないだろうと思ってはいたが、実際に言葉で聞いてみないと不安なものである。

 

 彼方だって、多くの思い出の品を失ったのだ。

 それなり以上の喪失感はある。

 もっとも、命と比較できるほどの物は一つもない。

 今はこうして仲間全員と無事に今回の戦いを乗り越えることが出来たという歓びの方が勝っていた。

 

 

 

「……ところで、潮。身体の方に違和感はない? 傷がないのは、確認させてもらったけど……他には、何か異常があったりは――」

「……? 異常、ですか?」

 

 彼方は、一頻り彼方達を取り巻く現状を話した後に潮が一定の落ち着きを見せたことを確認し、潮が目覚めてからずっと気になっていたことを訪ねてみることにした。

 

「いえ、特には……。えっと、何か?」

 

 潮は、彼方が何を気にしているのか全く分からない様子で首を傾げる。

 どうやら、本当に何も違和感を覚えていないらしい。

 

 

 

「そっか。でも、それが自然なのかな……? 潮、君は今回の大怪我から復帰する際に、改二になったんだ」

 

 改二――艤装の修理だけに留まらず、大幅な改装が行われた結果。

 その改装は、ただの改とは違って、艦娘の肉体にも大きな変化をもたらす。

 

 霞も元々彼方が出会ったばかりの頃は今のようなある程度の成熟をした少女のような姿ではなく、未成熟な少女の姿だった。

 

 今の潮は元より豊満な胸元はともかく、四肢は以前よりもしなやかに伸び、全身の肉付きもメリハリがつき、より女性的な印象を持たせた少女へと姿を変えているのだ。

 

 幼さの残っていた体つきや顔立ちが、すっかり女性として魅力的な物へと変貌を遂げていた。

 

「………………えっと?」

「……うん?」

 

 潮は、今一現在の自分と今までの比較することが出来ないのだろうか。

 その首を傾げたままだ。

 

 確かに、ベッドに座っていては、その身体の変化は分かりにくいだろう。

 

「手を貸すから、立ってみようか」

「ん……はい。ありがとうございます」

 

 彼方は潮の手を再び握ると、潮が立ち上がるのを手伝う。

 

 手伝うといっても、潮の傷は既に癒えていて、日常生活に支障はない範囲にまで回復しているため、然程苦労することなく潮も立ち上がることが出来た。

 

 以前は顔を上に向けて見上げなくてはならないほどに大きかった彼方との身長差が、今は目線を上げればなんとか彼方の顔を見ることが出来るようになっている。

『(身長が低めの)女性と男性』で通りそうなくらいの身長にまで伸びた、ということだ。

『子供と大人』ではない。

 

「わ、ぁ~……。本当に、潮、大きくなってます」

「うん、そうだね。元は僕の胸元くらいに顔があったものね」

「はい。これなら、もう彼方さんと並んで歩いてもおかしくない……ですよね?」

「ん? まぁ、もともと別におかしくはなかったけど……」

 

 彼方の間の抜けた返しに、潮は頬を膨らませると、更に一歩、彼方に密着するほどに近づいた。

 

 

 

「彼方さん。()、大きくなってます」

「う、うん。そう、だね?」

 

 彼方はその無言の圧力に圧され、首を縦に振ることしか出来ない。

 潮は、更に彼方との距離を詰めてくる。

 

 二人の間の距離はもはや密着する程、ではない。

 

 

 

「改二、だそうです」

「……うん」

 

「私……深海棲艦と戦っていて、あれ程深海棲艦が恐いって思ったのは今回が初めてでした」

「っ……そう、だよね」

 

 彼方は、とつとつと溢れてくる潮の独白を、ただ潮の――大きくはなったもののまだまだ――小さな身体を抱き留めて受け止める。

 

「……ですけど。私は、彼方さんがまたあの敵と戦って欲しいって言うなら、何度だって戦います」

 

 ぎゅっと、彼方の背中に回された潮の腕に力がこもる。

 

「どんなにこの身体が傷ついても、構いません。……だけど、それでも私は決して沈みません。私が、彼方さんを守ります。絶対です」

 

 襲い来る外敵から、仲間を失う恐怖から。あらゆる彼方を脅かす驚異から、潮は彼方を守ると誓っていた。

 

 潮が新たに手に入れた力は、そのためのものだ。

 潮の能力とその誓いによって最適化されたこの力は、それを可能とするだけの潜在能力を秘めている。

 

 

 

「……ですから。彼方さんは、その分()にもっともっと甘えさせてくれなくちゃいけないんです」

「うん……うん?」

 

「潮がここ(・・)に還ってきたくなる気持ちが強ければ強いほど、皆が無事に鎮守府(ここ)に戻ってこられる確率が上がりますから」

 

 それは、確かにそうなのだろう。

 潮は彼方の艦隊の守りの要だ。

 潮が仲間を護ってくれることで、他の仲間が安心して攻勢に出られ、結果として全体の生存率が向上するというのは、間違いではない。

 

 

 

「……ですから、彼方さん。頑張った潮に、ご褒美をください」

「えっと、それはもちろん、今回本当に頑張ってくれた()には、僕に出来るだけの労いはさせてもらうつもりだけど――」

「ダメ、です」

「えっ」

 

 

 

「彼方さんの皆さんと平等に接したいという気持ちは潮にも分かります。でも、それとこれとは話が別です」

 

 ずいっと、じとっとした瞳で潮が彼方を見つめる。

 潮が言っているのは、提督と艦娘の間での話ではないのだから、彼方のそんな言葉で納得する筈がない。

 

「――だって。彼方さんは、潮がこれから彼方さんにしようとしてること。鎮守府の皆さんとするつもりなんですか?」

 

 じっとりとした責めるような瞳から、一転して物欲しそうな潤みきった瞳で、潮が彼方の頬にその手を添えて、彼方のことを真っ直ぐに見つめる。

 

 

 

 そっと窓を締める直前に吹き込んできた往生際の悪い海風は、二人の頬には殊更冷たく感じられたのだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

これから今回の戦闘の事後処理等入りまして、終章に突入する予定です。

それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです。

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