艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

更新にかなり間が開いてしまい、申し訳ありません。

そして、いつの間にかこの小説を連載し始めて一年が経ちました。
ここまで書いてこられたのも皆様に読んでいただけているお蔭です。
本当にありがとうございます。

それでは今回も、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。




鎮守府防衛戦

 鎮守府へと戻る道すがら、普段とは考えられない程乱暴に狙いをつけた砲撃が、目障りな深海棲艦の頭部を正確に撃ち貫く。

 既に機関部を破壊されていた軽巡ホ級が、のろのろと緩慢な動作ではあるものの、通り過ぎていく時雨を深海へと引きずり込もうと懸命に向かってきていたのだ。

 

 その往生際の悪さは確かに大したものであると感じはするが、当然時雨はそんな哀れな深海棲艦にわざわざ応えてやるつもりもない。自分の邪魔をするなら沈めるまで。

 いや、鎮守府(ここ)に深海棲艦がいる時点で既に邪魔なのだから――時雨の視界に入ったというだけで――沈められる理由としては十分だろう。

 そもそもこの戦場は、先程のような死に体の深海棲艦ばかりだし、いちいち構っていたらそれこそキリがない。

 

「……とは言え、これだけ沈めてもまだ見渡す限り敵ばかりか。手負いが多いのは助かるけどね」

 

 後から後から赤い海より湧き出てくる深海棲艦の群れを相手取っていた時雨は、もう何度目かと言う補給をするために、彼方の待つ工廠に戻っている道中だった。

 

 先程のような機関部や艤装が傷ついた深海棲艦が多いお陰で、迎撃を開始してから未だ彼方の艦娘三人は全くの無傷で戦い続けることができている。

 

 しかし、如何せん敵の数が多すぎた。

 沈めても沈めても尽きることのない深海棲艦に、時雨達の艤装に一度に積むことが出来る弾薬の量では、全く足りていなかった。

 そのために、時雨達はこうして定期的に戦闘中に鎮守府へと補給に戻るという行為を強いられているのだった。

 

(それにしても、これだけの数の敵艦を無力化しながら敵主力艦隊に突撃した教艦達って……やっぱりおかしくないかな?)

 

 先陣を切ったあの自分よりも小さな体の教艦は、一体どれ程の獅子奮迅の活躍を見せたのか。

 実際に目にすることが出来なかったことに僅かな悔しさを感じながらも無事戦域を離れた時雨は、程なくして普段出撃の際に出入りしている鎮守府正面の港とは違う、工廠と船渠(ドック)に直結した出入口に辿り着いた。

 

 時雨は速度を落とすことなく、その広いとは言えない通路を一気に通り抜ける。

 この出入口は、傷を負って一刻を争うような状態の艦娘を運び込んだり、建造したての艦娘を即座に海に送り出すために使用される非常用の通路だ。

 この通路を日常的に使用している鎮守府もあるらしいが、彼方が帰還した艦娘達を出迎えるのには表の港の方が適しているという理由で、今まで使用されたことはほとんどなかった。

 

(一分一秒を争うこんな状況じゃあ、彼方に出迎えてもらうことなんて出来ないし)

 

 鎮守府へと殺到する深海棲艦を迎撃し始めて少なくとも二時間以上は戦いっぱなしだ。

 戦闘開始時にはまだ高かった日も傾き、海だけでなく空までもが紅く染まり始めたこの世界は、今や血の紅と鉄の黒で構成されているかのように、時雨の瞳には映っていた。

 

(うーん……やっぱり僕は夜の海の方が好きかな)

 

 彼方と共に何度か見上げた、美しい夜空と月明かりに照らされた海を思い浮かべながら苦笑する。

 

 海や空の美しさはさておいても、日が沈めば身を隠しやすくなり、夜戦を得意とする時雨にとっては戦い易い環境にはなるだろう。

 だがそれはお互い様でもある。こちらが身を隠すことが出来ると言うことは、深海棲艦も同様に身を隠すことが出来るということ。

 今回の戦いは、こちらは敵を全滅させなければ敗北なのに対し、敵は彼方一人を殺せば勝利だ。

 夜戦となれば、どちらが有利かなんてわかりきっている。

 夜戦に持ち込まれれば、敗北するのはこちらの方だろう。

 それも、彼方の死という最悪の形で。

 

「やっぱり、もうあまり時間的な猶予は残されていない……」

 

 これまで何とか鹿島や吹雪とローテーションを組みながら弾薬の補給をしつつ戦い続けているが、やはり自分達の艤装ではこれ程の大規模部隊が相手だと、どうしても物足りなさを感じてしまう。

 一度の出撃で敵艦の数を十分に減らすことができないために、こうして小まめに弾薬の補給に戻る必要があり、結果的に常に戦場で戦っている艦娘は二人が限度。

 つまりこうしている今も、吹雪や鹿島が危険にさらされ続けているし、殲滅が遅れることで結果的に彼方を危険に晒しているということに他ならない。

 

(――とにかく、早く吹雪達のところに戻らなくちゃね)

 

 通路を抜けた先には、左手に簡易的な治療と艤装の修復が行えるスペースと、右手には弾薬の補給をスムーズに行えるように艦種毎に砲弾や魚雷が積み上げられている。

 彼方が指揮の合間を縫って、機材を使用して弾薬や資材を運び込んでおいてくれているのだ。

 

 手早く補給を済ませ、背中に背負い直した主砲と、両脚に装填した魚雷の重みをしっかりと確かめると、時雨は再び戦場へと戻るために立ち上がった。

 

「待って! ……時雨、怪我はない? 高速修復剤ならまだまだあるから、少しでも怪我をしてたら使って欲しいんだ」

 

 弾薬の補給を終えた時雨が再び戦場に戻ろうと振り返ると、工廠に簡易的に作られた指揮所に詰めていた彼方が慌てた様子で声をかけてきた。

 彼方は工廠で戦場にいる艦娘の戦闘指揮だけではなく、補給や修理を滞りなく行えるように立ち回ってくれている。

 補給に時間がかかってしまえば、それだけ戦場にいる二人の危険が増していく。

 妖精達が切り札である新造艦の建造にかかりきりになっている以上は、彼方が妖精達の役割もこなすしかないのだ。

 

「ふふ……うん、ありがとう彼方。僕なら大丈夫さ、怪我一つない。――吹雪達が待ってる、行ってくるよ。次は誰を?」

「鹿島に戻るように伝えたよ、フォローをお願い。時雨も、あまり無理はし過ぎないで」

 

 彼方に感謝の気持ちが伝わるように力強く頷くと、再び時雨は吹雪達の待つ戦場へと舞い戻る。

 時雨が戻った時間よりも僅かに短い時間で戦線にたどり着いた時雨は、その事の深刻さを強く感じ取っていた。

 

(……やっぱり、じりじりと戦線が後退してる。僕達だけじゃ、この群れを支えきることすら難しいか)

 

 傷つき機動力を削がれた深海棲艦が多いとは言え、練習巡洋艦一隻に駆逐艦二隻だ。これでは相手取ることができる敵艦の数にも限度がある。

 これでビスマルクや鳳翔のような戦艦や空母でもいれば、全く話は違ってくるのだが……。

 

(鎮守府中の妖精が集まって、高速建造剤をありったけ使ってもまだ出てこないような艦娘だ。きっとそれだけの戦力を持った艦娘が生まれてくるはず。彼方の護りを生まれたばかりの娘に任せるのは心苦しいけど、こればかりはね)

 

 駆逐艦のこの身では、今この状況で彼方をこの手で護りきることは正直に言って不可能だ。

 その事に口惜しさを感じない訳ではない。

 この戦闘中に限って言っても、自分にもっと力があればと、何度そう思ったかわからない。

 しかし、いくら無い物ねだりをしていたところで事態は好転もしないだろう。

 自らの艤装を目一杯駆使して迫る敵艦を屠りながら、時雨は鹿島の所へとようやく辿り着いた。

 

「時雨ちゃん、大丈夫ですか? 私もそろそろ弾薬がなくなりそうなので戻ります。ここはお願いしますね」

「はい、鹿島教艦もお気をつけて。ここは僕が護ります」

 

 言葉少なに鹿島と持ち場を交代する。

 ちらりと空を見上げれば、鹿島の放った水上偵察機が上空を飛んでいるのが目に入った。

 

 鹿島は、工廠で通常の指揮設備もなく通信機と紙の海域図のみで指揮を行っている彼方のために、戦闘だけでなく戦域全体の状況報告も同時に行っているのだ。

 それでいて自身は傷一つなく、周辺に浮かぶ敵艦の残骸は時雨が補給に向かったときよりも遥かに多い。

 

「まったく……うちの教艦達は一体どうなってるんだろうね」

 

 頼もしいことこの上ないが、追いかける方の身にもなって欲しい。

 恐らく吹雪もそう思っているだろう。

 

「負けてはいられない、よね」

 

 強く拳を握り締める。

 時雨の彼方を護りたいという気持ちは、教艦達にだって決して負けていないはずだ。

 途切れることなく迫り続ける深海棲艦の群れに、再び時雨は飛び込んでいった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「お願い、当たって!」

 

 何となく気の抜けたような声音ではあるが、吹雪本人は戦闘が始まってからいつにも増して必死に敵艦に狙いを定め、懸命に戦い続けていた。

 

 吹雪は今、一隻でも多く敵艦を沈めれば、それだけ彼方の命を護ることに繋がるということを強く実感している。

 戦う相手は変わらなくとも……この戦いにおける吹雪の役割の重さは、普段とは全く異なっているのだ。

 

(いつもは彼方君だけじゃなくて、人間皆を守るための戦いだけど……この戦いはそれだけじゃない!)

 

 もちろん艦娘にとっては、人類全体を護ることが使命であり存在理由である。吹雪もその事の重大さは十分に理解して普段から戦いに臨んでいるつもりだった。

 

(こんなことを考えちゃうなんて、私は艦娘失格かもしれない……だけど)

 

 だけど――恐らくは時雨も、鹿島も同じことを考えているだろう。

 その考えが浮かぶことに、艦娘として罪悪感を覚えないわけではない。

 だが、そうした理屈では抗えない感情が吹雪の中では渦巻いていた。

 

(私のせいで彼方君がいなくなっちゃったら、私はきっと……もう艦娘として戦えない)

 

 彼方以外の提督何て考えられない。

 彼方の代わりなんて何処にもいない。

 第一提督としてだけではなく、一人の男性として愛している彼方を守ることすら出来なかった自分には、それこそ戦う資格なんてないに決まっている。

 彼方よりも護りたいと思える提督など、この世の何処にもいないのだから。

 

 だから、ここで何としても敵の進行を食い止めて、絶対に彼方をこの手で護り抜かなくては――

 例えこの身がここで傷つき朽ち果てることになろうとも、彼方だけは、必ず。

 自分は死んでも構わない……なんて考えは、自分を信じて戦場に送り出してくれている彼方に対する裏切りだ。

 それをわかっていても尚、今の吹雪はそれほどの決意を籠めて、戦場に立たずにはいられなかった。

 

(……だって、それくらいのつもりじゃないと、私は――)

 

 

 

 ――時雨や潮は、強い。

 

 潮は練度で遥かに勝る霞達と共に、一歩も退くことなく強大な装甲空母鬼と渡り合った。

 時雨は吹雪と同じように彼方を護る任に就き、今もこの戦場で戦っている。

 だが同じなのは戦場だけで、その戦果の差は明らかだ。

 吹雪が一隻沈める間に、時雨はその倍は沈めている筈だ。

 時雨の補給の回数の多さが、それを如実に物語っていた。

 

 

 

 元々二人が持ち得る戦闘のセンスのようなものが、自分は劣っているのだと吹雪は考えている。

 

 鹿島や神通の訓練についていくだけでもやっとな自分。

 吹雪には、彼女達のように秀でた部分を自分の中に何一つ感じることが出来なかった。

 

 確かに訓練を経て自分も強くはなっている。

 訓練校にいた頃に比べればそれはもう比べ物にならないくらいに成長できただろう。

 それでも、あの二人に追い付くにはまだまだ足りないのだ。

 

 足りない分は、どう補うべきなのか。

 足りない撃破数を、どうすれば増やすことが出来るのか。

 

(少しくらい危ないと思っても、踏み込んでみるしかない……よね!)

 

 本来迎撃戦では持ち込むべきではない類いの焦りが、吹雪の中に知らず知らずのうちに芽生え始めていた。

 

 

 

 ――撃破数を稼ぐ事と、彼方を護る事がイコールとなってしまっている今。

 

 ――仲間と共に戦っているとは言え、個人の戦果が非常に重くなってしまっている今。

 

 ――そして、吹雪の焦りに気づくことが出来る仲間が側にいない今。

 

 吹雪は気がつかないうちに、だんだんと敵の群れの中に足を踏み入れていく。

 

 

 

「……っ! えいっ! やぁっ!」

 

 ひしめき合う敵艦の中心に魚雷を放ち、一撃で数隻の敵艦が吹き飛ぶ。

 その事に歓ぶ暇もなく、その空いた穴に別の深海棲艦が押し寄せてくる。

 更に放った魚雷が、また同じ数の深海棲艦を沈めた。

 

 金属のきしむ音が背中から聞こえてくる。

 振り向くと、軽巡ホ級が吹雪の艤装に手を伸ばしていた。

 

「邪魔しないで! あっちへ行って!」

 

 咄嗟に主砲で砲撃する。

 

 狙いをつける必要なんてなかった。

 撃てば当たる。

 当たれば沈む。

 それくらいの距離だ。

 

 吹雪の撃破数がみるみるうちに上がっていく。

 何て簡単なのだろう。

 初めからこうしていれば良かった。

 

(私だって、これくらい……!)

 

 主砲が失われ、その身その物を武器として突進してくる駆逐ロ級を視界の端で捉えていた吹雪は、飛びかかってきたその横っ面を全力で踏みつけるようにしていなす。

 

「くぅ……っ!」

 

 吹雪は特段超近距離戦が得意なわけではない。ただ必死で自分から敵艦の突進を逸らしただけだ。

 堪らずバランスを崩した吹雪の背中に、別の深海棲艦がぶつかる。

 

「ダメ、来ないで!」

 

 慌てて無理な体勢で背後に砲撃を行った。

 

「グ………ァ、アァ」

 

 浅い。沈めきることが出来なかった。

 何とか体勢を立て直した吹雪は、今度は体をくるりと正面に向き直して、もう一度砲撃する。

 今度こそ頭部を丸ごと失った敵艦は、深海へと還っていった。

 

「グォアアアッ!!」

「えっ!?」

 

 先程いなした駆逐ロ級が懲りることなく再び突進してきたのだ。

 先程の深海棲艦を沈めるために振り返っていた吹雪は、背後から突進された形になる。

 振り返ってからまた蹴って突進を逸らすには、どう考えても時間が足りないし、次も上手くいくという保証はない。

 

「……ひっ」

 

 僅かな逡巡の末振り返った時には、駆逐ロ級はもう目の前。

 その強烈な殺意に圧倒され、引きつるような悲鳴を上げた吹雪は、無意識に魚雷を発射してしまった。

 

 

 

 吹雪が持つ全て(・・)の魚雷を。

 

 

 

 不必要に激しい爆発を引き起こし、突進してきていた駆逐ロ級が跡形もなく弾け飛ぶ。

 

 だが、それだけだ。本来十隻以上は沈める事が出来たはずの魚雷を、ただの一隻に使い切ってしまった。

 

 大爆発で空いた空間も、直ぐに別の深海棲艦が埋める。

 

 

 

 この状況まで来て、漸く撤退を考えた吹雪は鎮守府の方向へと顔を向けた。

 

 しかしそこには、鎮守府へと続く道はなく、見渡す限りの深海棲艦。

 つまりは――

 

(……どうしよう、囲まれちゃってる!?)

 

 ――気がつけば、絶体絶命の窮地に立たされていた。

 

 

 

「ひ……ぅ、ぐ」

 

 漏れそうになる嗚咽を何とか我慢する。

 

(ダメ……泣いてなんかいられないよ! 戦わなきゃ、戦わなきゃ……じゃないと……)

 

 恐怖と後悔に埋め尽くされていく吹雪の心だったが、優しく見守り慰めてくれる深海棲艦など何処にもいない。

 あれはただ乱暴に吹雪を引き裂き、深海へと引きずり込むためだけの存在だった。

 最早向かってくる深海棲艦を死に物狂いで沈め続けなくては、吹雪に未来はない。

 

 冷静さを欠いて一人で突出した挙げ句、捌ききれない量の敵に混乱して招いてしまったこの状況。

 本当に、自分の弱さ、馬鹿さ加減に涙が出てくる。

 

 

 

『……カ…………ェ…………………テ……』

「――声? でも……一体、誰の?」

 

 

 

 か細い、本当に聞こえるか聞こえないかの境目のような不確かな声が吹雪の耳に入った。

 いや、声かどうかも定かではない。

 恐慌に近い精神状態に置かれている今の吹雪では、幻聴さえ聞こえてもおかしくはないだろう。

 

 今この場で意味のある言葉など聞こえるはずはない。

 聞こえるのは怨嗟の色濃い唸り声や、咆哮だけの筈だ。

 

 

 

 しかし、その声に気を取られたことが逆に吹雪にほんの少しの冷静さを取り戻させた。

 

「――そうだ! とにかく何とかして鎮守府に戻らなくちゃ! 彼方君!」

 

 乱戦で無くさないように懐にしまっていた通信機を取り出す。

 

『――吹雪、無事だよね!? 状況はわかってる! 今鹿島がそっちに向かってる! 焦らなくていい、もう少しの辛抱だ!』

「っぁ……うん、うん! 迷惑をかけちゃってごめんなさい! でも、私……私……!」

『いや、吹雪が無事ならそれでいい! とにかく、生き残ることだけを最優先に考えてくれていればいいんだ! もうすぐ新造艦も――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カ エ シ テ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅ……え?」

 

 バキリ、と酷く耳障りな音をたてて、吹雪の手の中の通信機が崩れ落ちた。

 

 彼方と吹雪を繋ぐ通信機。

 そこから最後に聞こえた声は、一体誰のものなのか。

 

 考える間も無く、紅から紫へと色を変えつつあった空が、突如として再び赤く燃え上がった。

 

 

 

 何かが、空で爆発したのだ。

 

 

 

「鹿島教艦の……偵察機?」

 

 

 他に考えられない。だって、敵に空母はいないのだから、爆発したのは鹿島の水上偵察機以外にはない。

 

 であれば、鹿島の水上偵察機は何故突然爆発した?

 

 そんなの、決まっている。

 考えなくてもわかることだった。

 

 

 

 空から、誰もが抗えない恐怖を煽る音が響く。

 

 気がつけば、あれだけ騒がしく周りを囲んでいた深海棲艦達が吹雪を遠巻きに眺めていた。

 まるで見世物を愉しむように、消してこの場から逃がさないように、片時も吹雪から目を放すことなく吹雪が沈むその瞬間を待っている。

 

「ぁ、はは……。嘘みたい。ここで、沈むのかな……私」

 

 この空にけたたましく響く音を聞けば、鹿島の到着を待つよりも、空から爆弾が落ちてくる方が早そうなのは感じ取ることはできる。

 

 もちろん諦めたくなどない。だが、この状況は駄目だった。

 完全に自分はもう詰んで(・・・)いる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんね、彼方君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空から飛来した黒い爆撃機の群れが海面に殺到したかと思うと、その場所一帯が大きな爆発を引き起こし、猛烈な水飛沫が巻き起こる。

 

 轟く爆音は勝利の咆哮か、たかが駆逐艦を一隻沈めただけでは足りぬという尽きることない怨嗟の叫びか。

 

 

 

 吹雪は轟音と爆風に巻き込まれながら、そのまま意識を手落とした。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 時は僅かに遡る。

 

「――彼方くん、吹雪ちゃんが突出し始めています! このままだと危険です!」

「吹雪が!? わかった。鹿島……補給の途中だけど、吹雪の撤退の援護をお願いしてもいいかな?」

「はい、勿論です! 私が必ず吹雪ちゃんを連れて帰ります!」

 

 

 

 偵察機から戦況の把握を行っていた鹿島は、いち早く吹雪の暴走に気がついていた。

 

 自分に才能がないと常々溢していた吹雪が、この状況でまさかこんな馬鹿げた行動に出るだなんて。

 

(いえ、逆に……でしょうか。時雨ちゃんはこういった乱戦を得意としていますし、目に見えて広がる撃破数の差に焦りを感じて……)

 

 ありそうな話だし、事実その通りでもあった。

 

 補給の最中だったため、弾薬燃料共にまだ心もとないが……とにかく早く吹雪を連れ戻さなくては、手遅れになりかねない。

 

「私は、もう教え子を喪うつもりはありませんよ! 吹雪ちゃん!」

 

 思うように速度の上がらない自分の艦娘としての性能を呪いながら、鹿島は偵察機からの視界を頼りに全速力で吹雪の待つ戦場を目指す。

 

 

 

「これは……まさか、足留めのつもりですか?」

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 ところが、何隻かの深海棲艦が鹿島の道を阻むように立ち塞がっていた。

 何らかの意図があっての行動だとしか思えない。

 

(私が吹雪ちゃんを助けにいこうとしているのを理解して、それを邪魔しようとしている……ということですか)

 

 この迎撃戦が始まってから組織立てた行動を一切してこなかった深海棲艦達が、ここに来て突然理知的な行動に出る。

 

 鹿島はその事の意味に直ぐ様思い当たった。

 

「彼方くん、敵に旗艦となる深海棲艦がいる可能性があります! 時雨ちゃんも吹雪ちゃんのように孤立させられてしまうかもしれません! 一度撤退をして体勢を立て直すべきだと思います!」

『旗艦が……!? わかった、時雨にもそう伝える! 鹿島は吹雪をお願い!』

「わかりました、ありがとうございます!」

 

 これで一先ずは時雨は安全な位置にまで下がるだろう。

 後は吹雪だ。

 偵察機で状況を伺えば、吹雪は敵に囲まれながらも一歩も引くことなく奮戦していた。

 

(吹雪ちゃんだって、決して二人に劣っているわけではないのに……)

 

 確かに吹雪の強さは時雨や潮と比較して、目に見えるような派手な物ではない。

 良くも悪くも、吹雪は得手不得手が少ないのだ。

 特別得意なこともなければ、不得意なこともない。

 どちらかと言えば強みが突出している時雨や潮と比べ、今はその強みが感じにくいのかもしれないが……将来は立派な旗艦として成長を遂げることだろう。

 

 それなりに何でも出来るというのは、集団戦では案外貴重な事なのだ。

 

 

 

 吹雪のいる位置まではあと少し。

 しかし、奮戦を続けていた吹雪だったが、とうとうある深海棲艦の突進を皮切りに急激に窮地に追い込まれていった。

 未だに熱心に鹿島の行く手を阻む深海棲艦を蹴散らしながら、吹雪を救い出すべく前進を続ける。

 

 

 

 ――突如、前方で大きな爆発。

 

 

 

 吹雪の放ったありったけの魚雷が、深海棲艦を吹き飛ばした。

 たかが駆逐艦一隻を沈めるのには、有り余る程の火力。

 

「吹雪ちゃん!」

 

 思わず声を上げるが、その声は吹雪には届かない。

 

 

 

 早く、早く辿り着かなければ。

 鹿島の視界に小さく映る吹雪は、恐らく酷く混乱している。

 

 戦場で恐慌状態に陥った艦娘に待つのは――死だ。

 

 

 

「吹雪ちゃん、今行きますから!」

 

 慌てて通信機に呼び掛けるが、吹雪には繋がらない。

 ただザーザーと無機質な音が聞こえてくるだけだ。

 

 しかし、鹿島のそんな焦りを知ってか知らずか、偵察機で捉えた吹雪の表情には一転して希望が見てとれた。

 

「……彼方くん、ですか」

 

 通信が繋がらなかったのは、どうやら彼方と話していたかららしい。

 鹿島は思わず胸を撫で下ろす。

 

 吹雪が冷静さを取り戻したのであれば、後は自分が吹雪のいるところに辿り着けさえすればいい。

 撤退するだけならどうとでもなるのだから。

 

 

 

 

 

 ――瞬間。鹿島の視界から吹雪が消えた。

 

 

 

 

 

 いや、鹿島のもう一つの視界が消えたのだ。

 

「偵察機が!? そんな、まさか――っ!?」

 

 空を見上げた鹿島の視界に映ったのは、無数の黒い何か。

 それが敵の艦載機だと気がついたときには、既に鹿島はなりふり構わず吹雪へと駆け出していた。

 

「お願い、退いてください! 吹雪ちゃんが!」

 

 懇願するような悲鳴にも似た叫び声を上げながら、力一杯海を蹴ろうと踏み込む。

 

 

 

 

 

「――そん、な……嘘っ」

 

 

 

 

 

 錆び付いた足の艤装が鹿島の体重すら支えることが出来ず、脆くも崩れ去った。

 支えを失った鹿島の体は無様に海面に倒れ込み、その視界が真っ赤に濡れる。

 

(魂を喰らう海……艤装の損傷がこんなに早いなんて……)

 

 ダメだ。直ぐには立ち上がることが出来ない。

 

「彼方くん、吹雪ちゃんが……私、間に合わない……っ」

 

 無力な鹿島を嘲笑うかのように、鹿島の周囲を深海棲艦達が取り囲む。

 

(また、喪ってしまうの……今度は、私の目の前で……)

 

 深い深い水底へと堕ちるように、鹿島の心が暗く沈み、絶望へと囚われていく。

 

 

 

 

 

 ――すがるような思いで見つめた鹿島の手の中にあった通信機は既に大半が崩れ落ち、彼方にその慟哭が届けられることはなかった。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!

次回はもう少し早く更新したいと思っておりますので、また次回も読みに来ていただけましたら嬉しいです。

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