艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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いつも読みに来ていただきまして、ありがとうございます!

それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです!


姫級

(……『魂を喰らう海』と、人語を操る深海棲艦)

 

 そして装甲空母鬼のような不完全な人型ではなく、完全な人型。

 頭部には一本の角。身長に迫ろうかというほど長い黒髪に、細く伸びた美しい腕には黒いロンググローブ、華奢な肩と胸元までを大胆に露出した黒いドレス、脚には黒いストッキングとブーツ。一見上品にも見える洋装の中で、手足に取り付けられた刺々しい枷と首輪が、内に秘めた妖艶さと攻撃性をより一層際立たせている。

 黒の中で一際目立っている妖しげに揺らめく瞳は血のように紅く、覗きこめばどこまでも堕ちてしまいそうな程に、深く(くら)い深淵を思わせた。

 

 対して傍らに立つ深海棲艦は、装甲空母鬼の下半身の大顎を遥かに越える異様さだ。

 何せ、あの大顎よりも更に巨大な顎が頭部に二つもついていて、なおかつ拘束された両腕は装甲空母鬼の豪腕よりも遥かに太い。

 肩の主砲も装甲空母鬼が持っていたものとは比べ物にならないほどに巨大で禍々しい威圧感を放つ。

 その解り易過ぎるほどの凶暴性は見る者全てに等しく絶望を与え、その戦意を著しく奪い去る。

 

 何よりも、二体の深海棲艦のその身に内包する負の感情――深海棲艦の魂とも言えるものの強さに圧倒された。

 ひょっとするとこの赤い海は、彼女から抑えきれず漏れだした負の感情に侵されてしまった結果なのではないか、とさえ感じさせる程だ。

 

(姫級と呼ばれる深海棲艦が、ここまでの存在だったなんて……)

 

 

 

 

 

 ――三年前。当時はまだ深海棲艦の支配海域であった鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)で、神通は視界一面に広がる赤い海を見た。

 極めて練度の高い日本帝国海軍が誇る主力艦隊も投入された、大規模反攻作戦。

 神通の提督だった楓はその時既に教職に就いていたため、神通は後方で鉄底海峡周辺に広がる異常の調査に当たることになっていた。

 

 問題の海域に入ってすぐに分かったのは、その海が艦娘の艤装を風化させ、損耗させていくということ。

 しかもその損耗は留まるところを知らず、艦娘の艤装が完全に無くなるまで続くという悪辣さだった。

 

 実際に海域で艤装に大きく損傷を負った艦娘達の中には、戦闘終了時にはまだ辛うじて航行能力があったにも関わらず、帰還途中に艤装が喰い尽くされて沈んでしまった艦娘や……運良く帰還は出来たものの、その後は二度と艤装の展開ができなくなってしまったために、やむなく解体処分となってしまった艦娘も少なからず存在していた。

 

 艤装とは、艦娘の象徴だ。そして艦娘が持つ軍艦としての魂そのものと言える。

 その魂を喰らい尽くした赤い海は、『魂を喰らう海』と呼ばれるようになった。

 

 当時神通の所属していた調査艦隊はこの特異な現象を、深海棲艦の新たな兵器によるものと見て調査を続けていたが……結局その異常の原因を解明することが出来ないまま、海域を支配していた深海棲艦が倒されたことで、唐突に海は平静を取り戻した。

 

 

 

 

 

(赤い海それ自体が姫級の正体なのでは、という噂もありましたけど。当たらずとも遠からず、と言ったところだったのかもしれませんね)

 

 実際には赤い海は姫級の付属品に過ぎないという、更に悪い結果だったようだが――

 

 

 

「――黙ッテイタラ、ワカラナイワ。ソレトモ、今スグ死ニタイノ?」

「………………っ」

 

 そう問いかけてくる姫の表情は能面のように無表情で、しかしその声音からは明らかな苛立ちを感じさせる。

 何か答えなくてはまずいのはわかっているのだが、どう答えれば正解なのかがわからない。

 

 自分達が装甲空母鬼を倒したことを肯定すれば、報復されるかもしれない。

 否定しようにも、たまたま通り掛かっただけだ等と言い訳して通じるはずもない。

 だからと言って、このまま黙っていれば苛立ちのままに攻撃されてしまうだろう。

 

 とは言え僅かでも時間が稼げれば、それだけで霞達の生存確率は少しずつ上がっていく。

 口惜しいが、今はこうして黙っていることが今の神通とプリンツに出来る最大限の時間稼ぎと言えるのだった。

 

 

 

(だけど、こうしているのもそろそろ限界ですね……せめて霞ちゃん達が逃げ切れるくらいの時間は、稼がなくては)

 

 客観的に見ても現状で姫級と戦うのはあまり賢明とは言えない選択肢だ。神通もプリンツも先の戦闘で既に傷だらけだし、弾薬も残り少ない。

 もし仮に万全の状態だったとしても、装甲空母鬼よりも遥かに強いと推測される相手。二人がかりだとしても分が悪いと言わざるを得ないだろう。

 かといって今更逃げを選択したとして、相手はあの大口径主砲から見て恐らく戦艦。ただ背中を向けても撃たれるだけ。

 

 思考が堂々巡りする中いくら考えてみたところで、結局最終的には一つの結論に収束していってしまう。

 

 

 

『最早神通とプリンツに退路はない』

 

 

 

 ならば、不退転の覚悟で迎え撃つ以外にはないという結論に。

 

 どうせ時間を稼げば稼ぐほど、神通とプリンツの艤装()は蝕まれていくのだ。

 霞達が助かるには、自分達が犠牲になる以外にはないように、神通には思えた。

 

「…………」

 

 プリンツと目を合わせ、頷き合う。

 彼女も神通の意図を正しく汲んでくれたのだろう。

 僅かに強張る表情と、微かに震える腕がそれを物語っていた。

 彼女も、ビスマルクや彼方を守るために覚悟を決めたのだ。

 

 

 

「……オマエタチハイツモソウ。ツマラナイ。クダラナイ。ソンナニ死ニタイノナラ――」

 

 失望を色濃く感じさせる溜め息を、姫級が吐く。

 仲間を想っての挺身など、深海棲艦にはわかるまい。

 負けると分かっていても、自分の生がここまでだと分かっていても、戦わなくてはならない時がある。

 

 

 

 ゆらりと、まるで山が動くように、巨大な深海棲艦が動き出す。

 重く歪んだ金属音。肩の見たこともないような大口径主砲が神通とプリンツに狙いを定めている。

 あれでは掠めただけでも致命傷だろう。

 

 だから、どちらかだ。

 神通かプリンツ、どちらか初撃を凌げた方が次弾までの間に可能な限り全力の攻撃を叩き込む。

 

(……ただで負けてあげるつもりもありません。どんな手を使ってでも、必ず一矢報いてみせます!)

 

 神通に残された武装は右腕の主砲のみ。

 あれには傷一つつけられないかもしれない。

 だが構うものか。水底に沈むその瞬間まで、ただ抗うのみ。

 

 それが神通の――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――そうだ。僕が彼女達に命じて、装甲空母鬼を倒した。僕が(・・)殺したんだ』

「かなたさん!?」

「か、カナタくん……?」

 

 死を覚悟して戦闘に入ろうとしていた神通とプリンツに代わり、通信機のスピーカー越しに彼方が返答する。

 

 考えてもいなかった選択肢。

 彼方の突然の横槍に、二人の目が驚愕で見開いた。

 

 人間が深海棲艦と対話を試みるという、今まで耳にしたことのない状況。

 深海棲艦は人類に対する絶対的な悪――敵対者だ。

 そんな存在に、彼方は通信機越しだとしても人間の存在を主張するどころか、報復すべき相手として名乗りをあげてしまった。

 深海棲艦が『提督』という存在を認識しているのかすら定かではないというのに、これはあまりにも危うい行動なのではないか。

 こんなことをすれば、姫級が彼方の方に意識を向けるだろうということは、神通にも容易に想像できた。

 

(そんな、これでは……狙いが彼方さんに向くだけでは――っ!)

 

 

 

 それはつまり……その場しのぎだったとしても、この場にいない彼方が二人を守るために取れる、唯一の行動だったのだ。

 

 

 

「……ソウ」

 

 ぽつりと一言相槌を打つと、それきり姫は黙りこむ。

 その声からは、再び感情と呼べそうな抑揚は消え去り、何も読み取ることが出来なくなった。

 そんな様子を見ることが出来ない彼方は、相手の反応を待つことなく更に言葉を続ける。

 

『君は、深海棲艦の姫、なのか?』

「……ソウ。コレ(・・)モ、ソウナルハズダッタ」

 

 肯定と共に『コレ』と言いながら差し出したのは、先程の装甲空母鬼の亡骸だ。

 未だ大きな深海棲艦に掴まれたままのそれは、目に光がなく、腕も力なく垂れ下がり、ぴくりとも動かない。

 無造作に差し出されたことで、幽鬼のように揺らめいてはいるが――間違いなく、死んでいた。

 

 まさか本当に姫級は仲間を奪われたことに、憤りを感じているのだろうか。

 人間や艦娘と同じように、仲間を想う心が、深海棲艦にもあるというのだろうか。

 全く表情に変化がないため、その心の内側を推し量ることは出来そうもない。

 

 

 

「オマエタチガコレヲ殺シタナラ、ワタシガココニイル意味ハナイ」

「え……?」

『………………』

 

 そう告げると、装甲空母鬼の亡骸を持ったまま、姫級は早々に立ち去ろうと背を向ける。

 何を考えているのかはわからない。わからないが……彼女の言葉を信じるのであれば、彼女は今この場でこちらと事を構える意思はない、ということになる。

 

 深海棲艦の姫は、神通が思っていた以上に遥かに理性的なのかもしれない。

 それとも、深海棲艦達が持つ何か……独自のルールのような物に縛られているのだろうか? 特定の海域でしか戦うことを許されていない、とか。

 姫となった装甲空母鬼を迎えに来たと言っていたのだから、彼女の棲家は別にあるのだろうし。

 

 何はともあれ、これで助かるかもしれない、という安堵の気持ちに包まれる神通とプリンツだったが、深海に戻ろうと半分ほど海に身を沈めていた姫級が不意に振り向いたことで、再び緊張を余儀なくされる。

 

 

 

「――カナタ」

 

 

 

 強張る二人の耳に届いた言葉は、一体何を意味しているのか。

 何か、とてつもなく嫌な予感が二人を包む。

 

 

 

「オマエタチ()……還レルトイイワネ?」

 

 初めて、姫級の口が弧を描き、歪む。

 愉悦の入り雑じった、醜悪な笑み。

 

 

 

 強烈な不安感を神通達に植え付けた深海棲艦の姫は、満足したのか唐突に闇に紛れるようにして、消えた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 通信機越しに姫級の残した不吉な言葉が耳に入った瞬間、執務室全体が暗くなった。

 先程まで快晴で陽の光が差し込んできていた窓の外に目を向ければ、空には暗雲が立ち込め、海は――

 

 

 

「海が、赤い……」

「これは……! 時雨ちゃん、吹雪ちゃん! 今すぐ出撃準備を! 私も出ます!」

「はい!」

「わ、わかりましたぁ!」

 

 鹿島、時雨、吹雪が外の異常にいち早く気づき、執務室を飛び出していく。

 加えて姫級が出現した途端大慌てで部屋中を右往左往していた妖精達も、どこかへ消えてしまった。

 管制を担当してくれていた妖精も含めて、一匹残らずだ。

 今はそれだけの非常事態ということなのだろう。

 

 

 

『かなたさん、姫級が消失しました! まさか――』

「神通、深海棲艦の群れが鎮守府近海に突然現れた。海も赤くなってるし、多分姫級の仕業だと思う」

 

 窓から望むことができる海には、無数の深海棲艦が見える。

 ひしめき合ってもがくように蠢く深海棲艦達の動きは、とても統制がとれているとは言えない物だ。

 彼方は傍らに置いてあった双眼鏡を手に取った。

 

 

 

(……傷ついている深海棲艦が多すぎる。あれは、さっきまで霞達が戦っていた深海棲艦の群れなのか?)

 

 よくよく見てみれば、既に傷だらけで部位を欠損している深海棲艦までいるようだ。

 恐らくは、霞達がつけた傷。

 爆撃や大口径の砲撃を受けたような深海棲艦も見てとれたことから、彼方はそう判断せざるを得なかった。

 

(『姫級はどこにでも現れる』……これが本当かどうかはわからない。だけど、姫級があの海域に突然出現したのは確かだ。ああして僕が通信機越しにでも注意を向ければ、もしかしたら姫級がここに現れるんじゃないかとは思ってたけど……)

 

 結果としては、彼方の挑発に乗って姫級が現れることはなかったが、装甲空母鬼の取り巻きは現れた。

 一体どうやって場所を知られていない筈の鎮守府までやって来ることができたのか。

 それに海域の中枢からこの鎮守府までは、かなりの距離がある。

 霞達が還ってくるまではまだまだ時間がかかるというのに、深海棲艦の群れはほんの数分。

 

 どうやら、姫級というのは噂通り本当にオカルト染みた存在のようだった。

 

 

 

「あれは、多分神通達がさっきまで戦っていた深海棲艦の群れ……だと思う。何らかの方法で、ここに赤い海を通じて送り込まれたんだ」

『そんな……! ここから鎮守府まで全速力でも相当な時間がかかります! 一体どうやってそのようなことが……』

 

 神通もかなり混乱しているようだが、姫級も消失したならば一先ず彼女達の安全は確保できたと見ていい筈だ。

 次は自分達の身を守らなくてはならない。

 

「わからない。……だけど、敵がここに来てしまった以上は戦うしかない。神通とプリンツは霞達と合流してから、鎮守府に帰還して欲しい。こっちはそれまでになんとかしておくから」

『そ、そんな……無茶です! 鹿島さん達だけでは――』

 

 

 

 神通には申し訳ないが、これ以上は時間がもったいない。

 霞にも事情を説明しなくてはならないし、鹿島達の指揮もある。

 通信を強引に打ち切った彼方は、通信機だけを引っ掴むと執務室を後にした。

 

 向かうは工廠と船渠(ドック)のある建屋だ。

 彼方が一目散に駆け抜ける廊下は、普段なら騒がしく走り回る妖精の姿が見られるのだが、今はただ彼方の足音だけを空しく響かせている。

 

 

 

 思っていた通り、妖精の姿がどこにもない。

 もし妖精達が彼方達を見捨てて逃げ出したのでないとするならば――

 

 

 

「鹿島、僕達が守るのは工廠と船渠(ドック)だけでいい。他は今壊されたって後でどうとでもできる。霞達が無事に還って来られるように、その二ヵ所だけは何とか守ろう」

『ですけど……私達三人だけじゃ、それでも厳しいと言わざるを得ません。どうか彼方くんだけでもここから逃げてください!』

 

 鹿島は彼方に鎮守府を脱出するよう呼びかけてくる。

 確かに、鹿島の言う通りだ。

 三人だけでは、あの数の深海棲艦からここを守りきることは難しいだろう。

 

 

 

 三人だけ、ならば。

 

 

 

「鹿島。工廠に妖精が集まってないかな?」

『え? あ……はい、確かに工廠に見たこともないくらい沢山の資材を持った妖精達が詰めかけて……って、まさか! このタイミングで、ですか!?』

 

 読み通り、と言うほど大層な物ではない。

 しかし、ひょっとするとこうなってくれているのではないか、という気はしていた。

 

 

 

「妖精は、人類に必要な場所で、必要な時に、必要な艦娘を建造する、だよね」

 

 

 

 姫級と遭遇した時の妖精達の驚き様は、今まで見たこともないような物だった。

 直ぐに何処かへ連絡を取るような素振りを見せたかと思うと

 、慌てて執務室から飛び出していってしまった彼女達?を見て、彼方はそこに思い至った。

 

(妖精が人間や艦娘の味方だと言うのなら、今この時、この状況で……僕達全員を救えるのは妖精だけなんだ)

 

 彼方は、人間でもなく艦娘でもないが、紛れもなくこれまで共に戦ってきた仲間である妖精達に賭けたのだ。

 

 

 

 もしあの時神通達を見捨てていれば……彼方は提督としての自分を許すことが出来なくなっていた。

 かといって霞達に助力を頼んだところで、全員無事に姫級を撃破することなど到底出来なかっただろう。

 

 全員が生きてこの危機を脱するためには、彼方も命を懸けなければ。

 全員で生き残るか、全員で死ぬか。

 彼方は、そういう選択をした。

 彼方を守る立場の艦娘(彼女達)からすれば、馬鹿げた行動に映るかもしれないが、彼方一人生き残ったところで、どうしようもない。

 それは、彼方の望む提督の姿ではないからだ。

 

 

 

 案の定姫級に声をかけた彼方を見て、妖精は更に輪をかけて大慌てになった。

 

 今思えば……深海棲艦がこの鎮守府に現れるという可能性は、彼方が姫級に声をかける前から存在していたのだろう。

 その危機に備えるために、あの海域に姫級が現れた瞬間から妖精達は既に動き出していた。

 

 それを彼方は自ら姫級を挑発することで、神通達から狙いを遠ざけると同時に妖精達に発破をかけた。

 どうやって妖精達がここに深海棲艦がやってくることを察知できたのか、という疑問も浮かんでいたが……それは生き残ってから考えても遅くはない。

 

 

 

 賭けに勝った彼方は、後は全員無事にこの危機を乗り越えればいいだけなのだから。

 

 

 

『……彼方くん、今日は随分と無茶をなさるんですね。ですけど、たまにはそう言った豪気さも必要かもしれません。わかりました、私達は工廠、船渠(ドック)施設の防衛戦に入ります!』

「うん、お願い。僕も戦場で戦うことは出来ないけど、出来る限りのことをするよ。吹雪、時雨。君達もくれぐれも無茶はしないで。時間さえ稼げれば僕達は絶対に勝てる」

『うん……わかったよ。彼方は僕が必ず守るから』

『彼方君! 私、頑張るからね!』

 

 

 

 これから多数の深海棲艦と戦うことになるというのに、不安をまるで感じさせない時雨と吹雪の声に安心した彼方は、次いで姫級と遭遇してから敢えて通信を遮断してあった霞、ビスマルク、鳳翔、そして未だ意識が戻らない潮に通信を繋げた。

 霞が聞けば、神通のところへ戻りかねない。そう思っての事だったが、今思えばその判断は正解だったろう。

 

「――聞こえるかな、霞」

『彼方!? 急に通信が繋がらなくなったと思ったら……! それより、神通さん達は無事なの!? 後方の海が赤くなっていたのよ、一体何がどうなっているの!?』

「うん、今のところは全員無事だよ、安心して。だけど、今この鎮守府にはさっきの深海棲艦の群れがいる。これから防衛戦に入るけど、船渠(ドック)だけは何があっても絶対に守りきるから。霞達は神通、プリンツと合流してから帰還してほしい」

『は、ハァッ!? ちょっと、どういうことなの!? 全然状況が読めないわよ!』

 

 確かに、装甲空母鬼と戦闘していた時とは状況が短時間で変わり過ぎだろう。彼方も目の前で見ていなければ、そう思っていたのは想像に難くない。

 

「神通達の前に姫級が現れたんだ。姫級は何もしないで姿を消したけど、代わりに鎮守府近海にさっきの深海棲艦の群れを送り込んできた」

『ひ、姫級!? そんなものが本当に実在したって言うの?』

「そうらしいね。本人……って言っていいのかわからないけど、姫級自身がそう言ったんだ。……それはともかく、霞達は全員無事にここに帰ってきてくれればいい。到着する頃には、深海棲艦も掃討出来ていると思うから――」

『ちょっと、待って! 彼方!』

 

 用件を伝えて鹿島達の指揮に戻ろうかとしていた彼方を、霞の必死な声音が制止する。

 

 

 

「……? どうしたの、霞?」

『……お願いだから、無茶はしないで。彼方にもし何かあったら、私は――』

 

 

 

「――僕も、いつもそう思ってた。霞達にもし何かあったらって。だから、今は少しだけ嬉しいんだ。死ぬような状況に置かれて嬉しいっていうのも、おかしな話だけど」

 

 屈託なく笑う彼方のズレた言葉に盛大な溜め息で返すと、霞が呆れを含んだ声で言葉を続けた。

 

『鹿島達をお願い。潮は必ず無事に連れて帰るわ。だから、彼方も敵を全部片付けて……必ず潮を出迎えてやってよね?』

「……うん、わかった! 霞も気をつけて」

 

 

 

 通信を終えた彼方は港にたどり着く。

 目の前の海はプリンツが表現したように、血のように赤い。

 まだ距離はあるが、深海棲艦の群れも肉眼で個体が確認できる距離にまで近づいてきていた。

 

(これが……いつも霞達が見ている景色。海が赤いと、本当に地獄みたいに見えるな……。)

 

 怖くない筈がないだろう、霞達だって。

 いつも彼方の前で笑ってくれている彼女達は、地獄のような戦場に身を置いて良いような存在ではないのだから。

 

 この風景は彼方の罪の具現だ。

 彼方はこの地獄を強く目の奥に焼き付ける。

 忘れてはならない。彼女達が常に命懸けであることを。

 

 

 

「か、彼方君!? こんなところに来たら危ないよ!」

「――吹雪。ありがとう、大丈夫。すぐに下がるよ」

 

 ちょうど施設防衛のためにやって来た吹雪に見咎められ、避難するよう促された。

 吹雪は緊張しているものの、恐怖しているような素振りは少しも見せない。

 

「吹雪、頼りにさせてもらうよ。僕は、まだ皆と一緒にいたいんだ」

「う、うん! 任せて! 私も精一杯頑張るから!」

 

 元気よくガッツポーズで応えてくれた吹雪に手を降り返すと、彼方は工廠へと踵を返した。

 

 

 

「鹿島、吹雪、時雨……抜錨! 敵艦隊を迎え撃て!」

『はい! 行ってきますね、彼方くん!』

『はいっ! 私、頑張るから!』

『了解だよ、彼方! 潮を傷つけた報いは、受けてもらう!』

 

 

 暗雲立ち込める地獄のように変貌した鎮守府で、彼方達の初めての防衛戦が幕を開けた。




ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました!

また読みに来ていただけましたら嬉しいです。

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