それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。
半ばまで引き裂かれた剛腕に、霞の放った魚雷が突き刺さり、炸裂する。
轟音と爆風の吹き荒ぶ中で、ついに握力を失ったのか、掴まれていた潮が宙に放り出された。
しかし潮は気を失っているのか、ピクリとも動かない。
そのまま放物線を描き、海へと墜ちていく。
「潮っ!」
あわや海面に叩きつけられるかといった寸前で、どうにか霞が潮を抱き止めた。
霞の身体もボロボロだ。抱き止めたことによる激痛に顔をしかめるが、それよりも無事に潮を助け出せたという安堵が勝った。
霞はすぐに潮の状態を確認する。
か細いが呼吸はしているし、脈拍もある――潮は無事だ。霞は一先ずほっと胸を撫で下ろす。
次いで背中を確認すると、剛腕に握り締められたことで、背中の艤装は完全に潰されてしまっていた。
無惨に潰され裂けてしまっていた煙突が身体に突き刺さっていなかったというのは、不幸中の幸いか。
今現在無事だと言っても吐血もしていた跡があるし、素人目にもどう見たって危険な状態だ。
一刻も早く入渠させなくては、それこそ命にも関わるかもしれない。
「彼方、潮は無事よ! だけど、早く入渠させないと――」
『わかってる、霞は潮を連れて直ちに撤退を! ビスマルク、鳳翔さん、霞のバックアップをお願い! ビスマルクもそのまま霞を護衛しつつ撤退して!』
『ええ、わかったわ!』
『はい、お任せください!』
今すぐ離脱したとして、待っているのはあの深海棲艦の群れだ。
正直、離脱の可能性はあまり高いとは言えないだろう。
彼方もそれは十分にわかっているだろうが……しかし、事は一刻を争っている。
何としても潮を鎮守府へ連れ帰らなければ。
霞が決死の覚悟で足を前へと進めようとした時だった。
「グォオオオアァッ!!」
「――ああっ、もう! どれだけしつこいのよ!」
魚雷の爆発によって霞たちの背後に上がっていた水柱を真っ二つに断ち切って、装甲空母鬼が咆哮を上げながら突進してきた。
霞は潮の艤装に装着されていた爆雷を掴み取ると、そのまま円を描くように反転、装甲空母鬼の愚直な突撃をひらりと避ける。
怒りに身を任せただけのただの突進だ。潮を抱えていたとしたって造作もない。
通り過ぎようとしている装甲空母鬼を見てみれば、潮と霞が立て続けに雷撃を行った剛腕は、最早皮一枚で繋がっているような状態だった。
やはり大破状態の霞が行った雷撃では、十分な効果が得られなかったのかもしれない。
例えそうだったとしてもその生命力は驚嘆に値するが。
「いい加減にっ!」
霞は掴んでいた爆雷をすれ違い様に剛腕が千切れかけた傷口に捩じ込み、全速で後退しながら機銃を斉射する。
機銃の攻撃力では、装甲空母鬼には傷ひとつ与えることはできまい。
だが、装甲空母鬼の体内に捩じ込まれた爆雷を起爆するのには、十分な威力があった。
「吹き飛びなさい!」
銃撃によって破裂した爆雷が装甲空母鬼の装甲の内部を縦横無尽に蹂躙する。
体内を無遠慮に暴れまわる爆発の衝撃が、装甲空母鬼の剛腕を遂に食い千切った。
たっぷり数秒も弧を描いて吹き飛んだ剛腕が、霞から数メートル程離れた位置に着水し――霞の身長の三倍はあろうかというほどの水飛沫を上げた――そのまま浮かぶことなく沈んでいった。
遅れてまるで雨のように、立ち上がった飛沫が霞の立っている場所にまで降り注いだ。
「グアァアアアァア!!」
大顎が初めて悲鳴を上げ、その巨躯がぐらりと傾く。
漸く、これ程までに霞も潮も消耗して、とうとうその瞬間が
来たのだ。
『神通!』
「――沈めます!」
◆◆◆
無様に倒れこみ、海面に叩きつけられた装甲空母鬼の本体に向けて、神通が持てる砲、魚雷、全てを放つ。
戦闘が始まってから、どれだけ仲間が傷つこうと、じっと耐えてきた。
せめて神通かプリンツのどちらかが万全の状態でなくては、装甲空母鬼を倒しきるだけの攻撃力を失ってしまうからだ。
プリンツが潮を守ることを選択していた以上、神通は身を潜めて万全の体勢で、ひたすらにこの瞬間を待つ他なかった。
そしてプリンツが邪魔な浮遊要塞を破壊し、潮と霞が装甲空母鬼の体勢を見事に崩した。
後は、神通が装甲空母鬼本体を破壊することが出来れば、この戦いは終わる。
時間にしてはものの数分であったのだろうが、戦っていた本人たちからすると、とてつもなく長く感じられた戦いだった。
「アァアアアア!」
「……っ」
デタラメに放たれた殺意にまみれた砲弾が頬を掠めた。
装甲空母鬼は神通の攻撃によって頭部の左半分を失い、右半身は抉られ欠損している。
もう狙いをつけられる程の視力もないのだろう。
本当に動いているのが不思議なくらいの損傷具合だ。
艦娘であれば間違いなく沈んでいる。
構うことなく神通が攻撃を続けようとすると、突然装甲空母鬼が不可解な行動を取りだした。
「? 一体、何を……」
「ウゥ……ウウウゥ!」
低く唸り声を上げながら、装甲空母鬼が下半身の装甲を殴りつける。
何度も何度も殴りつけ、手の骨が砕ける音が聞こえてもその行為は続いた。
神通もその奇妙な行動に困惑し、攻撃する手を止めて呆然とその異様な光景をただ見つめる。
暫くそうしていたかと思うと、とうとう装甲に亀裂が走り――ずるり、と装甲空母鬼本体の埋まっていた太股が抜けた。
支えを失った身体はそのままびしゃりと海面に墜ち、それでも尚もがきながら神通へと這いずって向かってくる。
(まだ、戦う気なの……?)
砕けた手で、必死の形相で、怨嗟の呻き声を上げながらずるずると近づいてくる。
装甲空母鬼には、脚がなかった。
『神通、攻撃を続けて! これ以上近づかせたらダメだ!』
「!? ……は、はい!」
彼方に命じられるまま、慌てて神通が砲撃を再開しようと――
「ガァアアアァッ!!」
「――ッ!?」
本体から切り離された大顎が、無事な方の剛腕を使って飛び上がり、もう何度目かという突進を行う。
空中で姿勢を制御することも出来ず、ただ純粋に質量で押し潰すだけの、無様な突進。
しかし装甲空母鬼の鬼気迫る行動で呆気にとられていた神通は、この突進に気がつくことはできても、咄嗟に対応することが出来なかった。
――瞬間的に飛んでいた意識が戻ったときには、海の中だった。
大顎にのし掛かられ、そのまま海中に引き摺りこまれたのだ。
片腕となって、体内を爆雷でめちゃくちゃに掻き回され、本体からも見捨てられ、まだ抗う。
(……どうして、そこまで)
神通が以前戦った装甲空母鬼は、これ程までの生命力は持っていなかった。
一体この装甲空母鬼は、どれだけの怨みや憎しみを溜め込んでいたのだろうか。
それほどまでに艦娘が憎いのか。
その深く強い怨念に突き動かされ、瀕死の……というよりは、既に死んでいたとしても全くおかしくない状態で神通に立ち向かってくる深海棲艦に、哀れみにも似た感情が湧き上がってくる。
(もう、終わりにしましょう)
ここで神通が沈むわけにはいかない。
神通達には還らなくてはならない場所があるのだ。
霞や潮を無事に鎮守府へ還すためには、まだまだやらねばならないことがある。
神通は、持っていた最後の魚雷を取り出した。
爆雷によってできたらしい下腹部の傷口に突き刺す。
装甲のない下腹部の深く深く。
今度こそ二度と動き出すことのないように。
今爆発させれば自分も巻き込まれるが、のしかかられて動けない以上はそれも仕方がない。
せめて衝撃をまともに受けないよう装甲空母鬼の身体を盾にして、神通も爆発の衝撃を受けて吹き飛ばされた。
爆発に押し上げられ、海中から一気に海上、空中へと視界が切り替わる。
空中で姿勢を制御しつつ自分の損傷具合を確認するが、戦闘行動に支障はなさそうだ。
魚雷を突き刺して起爆した左腕の主砲は全損しているが、そんなことはその手で起爆した時点で折り込み済み。
少し戦いにくくはなったが、霞や潮に比べれば何てことはない傷だろう。
転がるように海面に着水し、衝撃を殺してすぐに立ち上がった。
まだ本体の方が動いていた、生きていたはずだ。
神通は魚雷を起爆した地点付近の装甲空母鬼本体を探す。
爆発炎上し、煙をもうもうと上げながら、大顎が声を上げることなく少しずつ沈んでいる。
這いずっていた本体の方は、大顎の傍らで倒れ、動かなくなっていた。
大顎が死んだことで、本体も死んだのか。
それともただ単に力尽きただけなのか。
そのどちらかはわからないが、装甲空母鬼はついに完全に沈黙したのだった。
「……提督、装甲空母鬼の撃破を確認しました。海域の解放は成功です」
『……うん、お疲れ様。本当に無事でよかった、神通』
達成感は、ない。
互いが生き残るために死力を尽くして戦って、何とか勝ちを拾っただけ。
だが、仲間は皆生き残っている。彼方の所に還ることが出来る。
やっと戦闘が終了したことで、神通は初めて自分の身体が小刻みに震えていたことに気がついた。
海の中に引き摺りこまれたから、だろうか。
本能的な恐怖心というのは、どれ程訓練を積んでいたとしても払拭出来ないものらしい。
「大丈夫ですか、神通さん。本体は、私が止めを刺しました」
「……そうですか」
「はい。……じゃあ、帰りましょうか! ねえ様も待ってますよ!」
いつものように明るい声でプリンツが声をかけてくる。
……いや、いつもと同じように努めてくれているのだろう。
プリンツも、あまり気分は良くなかった筈だ。
あの深海棲艦に止めを刺す、というのは。
それに、これからまたあの群れを突破しなくてはならないのだ。
干渉に浸っていられる余裕はない。
深海棲艦の群れに一足先に向かっていった霞達は――
「……群れが、いない?」
「あ、ねえ様! ほら、みんな無事みたいですよ、何故かわかりませんけど今がチャンスです! 私たちも撤退しましょう!」
装甲空母鬼の絶命と同時に、深海棲艦の群れが消えていた。
本来なら海域が解放されたからといって、そこに棲息していた深海棲艦が消えることはない。
それがこうして跡形もなく消えたというのは、一体どういうことなのだろうか?
(装甲空母鬼が産み出していた、というの? 深海棲艦達を……)
あり得ない、話ではないのかもしれない。
どこかあの装甲空母鬼は普通の深海棲艦とは違っていた。
生命力もそうだし、思考能力も通常の鬼級に比べても高かった。
だが、その特徴は――
「きゃっ!? 何ですかこれ! 急に海が……血みたいに……」
プリンツの慌てた声に、沈みかけていた思考から一気に引き戻された。
「そんな、まさか……」
「知ってるんですか、神通さん?」
知っているか知らないかで言うのならば。
神通はこの現象を知っている。
ただし、この海域では起こり得ない、起こってはいけない現象だ。
(これは、
神通の足の艤装の一部が、風化したように崩れ落ちた。
間違いない。
『魂を喰らう海』だ。
『神通、プリンツ! 今すぐそこを離れるんだ! 何かが、何かが浮上してくる!!』
「提督、霞ちゃん達に離脱を急ぐように伝えてください! 鳳翔さんもすぐに逃げてください!」
「え、え!? ちょっと、何ですかこれ、どうなってるんです!?」
隣で戸惑うプリンツを余所に、神通は覚悟を決めた。
申し訳ないが、プリンツにはもう付き合ってもらうしかない。
もう――逃げられない。
「ナンダ。『姫』ニ成ルト言ウカラ、ワザワザ迎エニ来テアゲタノニ。……死ンダノネ?」
装甲空母鬼よりも更に太い両腕を持つ、肩に巨大な主砲を乗せた大柄な深海棲艦に無造作に捕まれ、吊るされた装甲空母鬼の亡骸を眺めていた美しい女性が、さもつまらなそうに呟いた。
(……あれが、『姫』級)
勝てない。
少なくとも、今の状態では二人がかりでも手も足も出まい。
それがはっきりとわかるくらいの力量差を感じる。
「……オマエタチガ、ヤッタノ?」
ぴしりと、艤装の風化して崩れた破片が風に舞う。
神通達は、一歩も動くことが出来ない。
圧倒的な存在感に、完全に飲まれてしまっていた。
これが、彼方が初めて遭遇した深海棲艦の『姫』だった。
ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました!
一先ず海域解放は成功しましたが、直後にもう一山やって参ります。
それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです。