今回はちょっと痛い描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
それでは、今回も少しでもお楽しみ頂けましたら嬉しいです。
「――ッ!! 潮ちゃん、私から離れて!」
咄嗟に叫ぶと、プリンツは次々と迫り来る大量の魚雷を引き付け、潮から離れるように全速力で走りだす。
一発一発が必殺の一撃であると予想される敵の雷撃だ。
駆逐艦である潮が直撃すれば、ひとたまりもないだろう。
(私だって、こんなのに直撃したら沈むかもしれない……。だけど、ねえ様ならきっと迷わない!)
一抹の不安が脳裏を過るが、そうしている間にも数十本の魚雷が絶え間なくプリンツを屠ろうと殺到してくる。
その隙間を縫うように避けながら、プリンツは敵の攻勢が緩まるのを堪え忍ぶ。
一瞬でも判断を躊躇すれば、たちまち魚雷の餌食だ。
今はとにかく自分も生き残るために、ただ全力で魚雷を避け続けることしか出来なかった。
薄氷の上を跳ね廻るような危うさで、幾重にも重なる白い軌跡を飛び越え、やり過ごし、すり抜けていく。
触れれば終わり。もし至近距離で爆発されても、体勢を崩してしまえばそれ以降の魚雷がかわせなくなる。
永遠にも感じる死の濁流を、プリンツは翔ぶように駆けていく。
「これはっ……生きた心地が、しませんね! だけど、私だって幸運艦と呼ばれてたんです! この程度かわしきって――っ!?」
突如爆発音と、それに伴う衝撃がプリンツの身体を震わせる。
前方で一つの魚雷が派手な水飛沫を上げて爆発したのだ。幸い距離はある程度離れているため、体勢を崩してしまうほどの衝撃ではない。
しかし、隣り合っていた魚雷と衝突したのか、それとも敵の意図によるものか――どちらにせよ、突如発生した爆発によって視界が遮られたプリンツには、後続の魚雷の軌跡を読み取ることが一切出来なくなってしまった。
(マズイ……ですけど、考えてる時間はありませんね。早くここから離れないと――)
即座にプリンツは装甲空母鬼から離れる方へと進行方向を切り替える。
少しでも距離を取らなければ、いつあの水柱を越えて魚雷がやって来るかわからない。
誘爆を起こしているのか、次々と轟音と共に上がる水飛沫を注視しながら、プリンツは身構えた。
『――プリンツさん、潮が時間を稼ぎます!』
「潮ちゃん!?」
唐突に入った潮からの通信に面食らったプリンツには、その発言内容が上手く頭に入ってこない。
現状ではプリンツでさえ敵の攻撃を捌くのに精一杯だというのに、まさか潮がプリンツを守ろうと言うのか。
プリンツは残る魚雷の対応で身動きがとれず、潮が今どこにいるのかもわからない。
未だ爆発で起きた水蒸気や水飛沫で閉ざされている視界の中、困惑のあまり魚雷のことなど忘れて立ち尽くす。
ただ相手の魚雷がやって来るのを待ち続けるしかなかったプリンツを嘲笑うかのように、なぜか後続がやって来ることもなく立て続けに上がっていた水柱が消え去り、視界が開ける。
そして漸く開けたプリンツの視界に飛び込んできたのは――
「……あの子、何やってるの!?」
先程までプリンツが必死に守っていた相手――潮が、装甲空母鬼と一歩も退くことなく戦っている姿だった。
◆◆◆
「く、ぅ――!」
耳元をギリギリでかわした敵の砲撃が掠めた。
砲弾が横を通り過ぎただけで、ヒリヒリと焼けつくような殺意を肌で感じる。
直後に砲弾によって切り裂かれ押し退けられた空気に、頬に殴り飛ばされたかのような衝撃が走る。
一瞬眩暈のような感覚と共に意識が飛ばされそうになったが、なんとか歯を食いしばって耐えた。
中々思い通りに沈まない潮に対して、装甲空母鬼は明らかに苛立っている様子だ。
必殺の魚雷の全てを潮一人に処理されたことも気に入らないのだろう。
赤く、昏く、潮を睨みつける双眸が怨嗟の言葉を投げつけてくる。
――沈メ、死ネ、憎イ、恨メシイ。死ネ、死ネ、沈メ、沈メ、沈メ沈メ沈メ沈メ――
放ってくる装甲空母鬼の攻撃の全てに、直撃すれば駆逐艦などあっという間に沈んでしまう程の威力がある。
もし当たってしまえば、自分は霞のようにはいかないだろう。
潮の最も尊敬する教艦である霞が、敵の砲撃で吹き飛ばされたとき……潮は恐ろしさのあまり足がすくんでしまった。
自分とは壁を隔てて更に遠くにある強さを持った艦娘として、絶対的な信頼を置いていた霞の負ける姿など、全く想像もしていなかったのだ。
(……恐い。深海棲艦をこんなに恐いと思うなんて……)
深海棲艦と戦うことを定められて生まれてくる艦娘は、当然深海棲艦と戦わなくては存在している理由がない。
そのためか、今まで戦ってきて深海棲艦にここまで恐怖を感じたことなど、一度たりともなかった。
それが……今はこんなにも、足がすくみ、砲を持つ手が震えるほどに恐ろしく感じている。
やはり『鬼』というのは、普通の深海棲艦とはどこか違っているのだろう。
潮はこれまで彼方を守るために、そして仲間達を守るために戦ってきた。
だというのに先程までの潮は、霞が敗北したことで身動きが取れなくなり、プリンツの後ろでただ守られていただけ。
――お荷物。足手まとい。
現状の戦場での潮の自身に対する評価はそんなところだ。
実際は、群れを抜けた時点で潮の働きは既に大変大きなものであったのだが……当の潮本人がそうは思っていない。
装甲空母鬼がプリンツに向けて大量の魚雷を発射した時、潮は自分から離れるように動くプリンツを見送って、自分が装甲空母鬼と戦いだしてから一歩も動いていなかった……否、動くことができなかったことに、初めて気がついた。
守られている。自分のために、仲間が窮地に立たされている。
そのことに気がついた次の瞬間には、無意識に駆け出していた。
魚雷群の軌道や速度を瞬時に読み取り、最小限の兵装で敵の魚雷を撃ち落とす。
装甲空母鬼と戦って倒すのではなく、仲間を助けたい、守りたいと思うことで、先程まで頑なに動こうとしなかった足が動き出し、嘘のように身体が軽くなった。
恐怖心は当然ある。
現に身体は未だ小刻みに震え続け、ここから逃げ出したいという気持ちを訴え続けている。
しかし、潮は逃げるわけにはいかなかった。
彼方が全員無事の帰還を望む限り、潮はそれを全力で叶えたいと思っている。
彼方の笑顔を失う恐怖に比べれば、鬼への恐怖など……決して乗り越えられないものではない。
震える脚を動かしながら、潮は必死に敵の攻撃を掻い潜る。
今や浮遊要塞の全てが潮の周囲を取り囲むように配置され、躍起になって潮を沈めようと砲撃を放ってきている。
それを潮は敵の砲搭の向きから弾道を予測し、最小限の動きで回避、回避が難しい位置にいる浮遊要塞には牽制の砲撃を行いタイミングをずらすことで、回避不能の砲撃を回避可能なものとする。
先程は距離が近すぎたために砲弾が纏う衝撃波によりダメージを受けた。
次の砲撃からはもう少しだけ距離をとって回避する。
大きく動きすぎては次の攻撃に対応が出来ないばかりか、牽制することすら難しくなる。
そうして、全方位からの攻撃を紙一重でかわし続けている潮だが、少しずつだが確実に小さな傷は増えていった。
プリンツを襲う大量の魚雷に対処するため、持っていた爆雷は大半を使いきり、魚雷も残り三本。
敵の攻撃の間隙を狙って装甲空母鬼本体に行った砲撃は、その全てを装甲部分より生えている剛腕によって防がれた。
自分では装甲空母鬼を倒すことは出来ない。それはこの攻防を繰り返す内に既に理解できてしまった。
しかし、何か……せめて攻略の糸口くらいは掴みたい。
自分に出来ること、すべきことを成すまでは――
「っ! させません!」
全く沈む様子がない潮から離れ、プリンツを狙おうする浮遊要塞に牽制の砲撃を放つ。
大してダメージは与えられないが、逸れかけた敵の意識をこちらに向けることは出来た。
着実にダメージの蓄積は行えている。
こちらに向き直ったのはその証拠だと言えた。
「……潮だって、皆を守るために努力してきたつもりです! 貴女にこれ以上仲間を傷つけさせはしません!」
先程から回りで自分の邪魔ばかりしてくる潮にいい加減苛立ちが限界に達したのか、装甲空母鬼が完全に潮に標的を定めた。
漸く潮を対等な敵だと認識したということだ。
――この時を潮は待っていた。
(……潮だけでは、どう頑張ったところで貴女を倒すことは出来ません。……ですけど、今その糸口は掴むことが出来ました!)
「Feuer!」
「行って!」
潮を包囲していた浮遊要塞の全てが、絶好のタイミングで放たれた砲撃によって貫かれ、撃墜される。
盛大に爆発する浮遊要塞達を目の当たりにして驚愕に目を見開く装甲空母鬼の致命的な隙を逃すことなく、潮のなけなしの魚雷が装甲空母鬼の豪腕に向けて放たれた。
(あの腕を破壊できれば、装甲空母鬼の体勢を大きく崩すことが出来ます! そうすれば、霞教艦達が、きっと――)
煙を吐きながら墜落していく浮遊要塞の隙間から、装甲空母鬼の剛腕に放った魚雷の全弾が直撃、爆発するのが見えた。
あの腕は、装甲空母鬼にとって最も重要な部位だ。砲撃時に反動を抑制する役割だけではなく、急制動や急加速、更には防御や攻撃にも使用していたのは確認済みだ。
あの腕を一本でも失えば、かなりの弱体化が望めると言うことに、激戦の中で潮は気がつくことができたのだった。
「――こふ」
やけに近くで聞こえた奇妙にひび割れた声は、一体誰の声だったか。
あの剛腕を破壊できたとはいえ未だ十分に装甲空母鬼は脅威だ。
とにかくこの場を離れなければ、と踏み込もうとしたが、潮の脚は何故か虚しく空を切る。
それもそのはず、潮の足は海面を捉えてはいなかった。
海面は、潮の視界に映っていない。見えているのは海のように青い空だけだ。
こぽり、と突然口から何か温かい液体が漏れだす。
口の中いっぱいに鉄の味が広がっていく。
「………?」
見下ろせば、自分の身体が黒い何かに掴まれていた。
根本が半部ほど裂け、筋肉は露出し、骨まで見えているような有り様だが、まだあの剛腕は繋がっていた。
潮は、失敗した。
「……ひ……ぃ、た……」
痛い。
痛くて痛くてたまらない。
痛くて痛くて痛くて痛くて――
「か……た、さん……た、けて……」
――思わずこの場にいない、潮の大切な人に助けを求めた。
(ああ……、でも、よかったかもしれない。彼方さんが、ここにいなくて。だって、これじゃあ……)
あの人を、守ることが出来ない。
先程よりも更に空が近くなる。
直感的に、海に叩きつけられるのかな、というのがぼんやりと理解できた。
(彼方さん、ごめんなさい。潮は、もう還れないかもしれません……)
地面に落ちた赤い果実のように、自らが海に叩きつけられた様子を想像すると、何だか現実感が無さすぎて逆に笑えてくる。
悪い冗談のようだった。
『霞!! 潮を助けろ!』
「うちの大事な元生徒に、ふざけたことしてんじゃないわよ!」
遠退く意識の向こうで、潮は今一番聞きたいと思っていた二人の声が聞こえた気がしていた。
ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!
また読みに来ていただけましたら嬉しいです。