艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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いつも読みに来てくださいまして、ありがとうございます!

それでは今回も少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。


ドイツ艦とデート(後編)

 軽く身体を拭いて軍服の上着を雑に羽織った彼方は、すぐにまだ誰もいない食堂へと足を運び、目的の物をこっそりと持ち出した。今は火急の事態だ――食堂の管理をしてくれている鳳翔には後で平謝りするとして――とりあえずの書き置きだけ残して彼方は急ぎ食堂を後にした。

 

(思っていたより時間がかかったな……。早く二人のところに戻らないと……)

 カラカラと両手から硝子の擦れ合う涼しげな音を響かせて、彼方は走らないように出来るだけ急ぎ足で歩きながら先程のプリンツ達の異変を思い起こす。

 

 

 

 ビスマルクもそうだが、特にプリンツの様子は海へと歩みを進める度に明らかにおかしくなっていた。

 身動きが取れなくなって、抱えられるようにして彼方に連れられて陸に辿り着いた瞬間――ビスマルクが見せたような恐怖から解放された安堵の表情ではなく、やるせなさや悔しさを滲ませるような表情をしたプリンツを見てしまった彼方は、彼女の傍にいてあげたいという気持ちを振り切って一度鎮守府へと戻ってきていたのだった。

 

 先程の彼女達の様子を考えれば、一刻も早く戻りたいところではあったのだが――何の策もなくただタオルだけを持って戻るだけでは不十分だと感じた彼方は、ある秘策を用意することにした。

 幸い彼方には彼女達に笑顔を取り戻すことが出来そうなものに心当たりがあった。

 

 

 

 何とか用意することができた秘策と来客用の肌触りの良いタオルを抱えて足早に廊下を歩く彼方の向かいから、すっかり見慣れてきた姿が歩いてきているのが目に入る。

 

「あっ提督、お疲れ様で――っ!? ……そ、その……久しぶりの休暇は……いかが、ですか?」

「うん、神通もお疲れ様。朝の哨戒任務ありがとう。それはともかく、こんな格好で鎮守府を彷徨いちゃってごめん! 一応水気は拭き取ったから、床に水が滴ってたりはしないと思うんだけど……」

 遠目から彼方を見つけて駆け寄って来てくれた神通が、一目彼方の姿――今は水着に軍服の上着しか羽織っていない――を見た瞬間、顔を赤らめて伏し目がちに挨拶する。

 彼方はその神通の挙動不審な様子が、濡れたまま鎮守府を彷徨いたことを咎めたいのに咎めることが出来ないためだと考え、慌てて弁明した。

 

「い、いえ! それは問題ありません。見たところ確かに床も濡れてはいませんし……。ですが、そのような……ええと、肌を――うぅ」

「う……ごめん。すぐ裏手の砂浜に戻らなくちゃだから、ついつい上着だけ羽織って来ちゃって……。見苦しかったね、次からはきちんと着るようにするよ」

 チラチラとこちらを窺う神通は、結局最後まで言葉を続けられず黙り込んでしまった。

 他の皆が仕事をしてくれている以上、目に触れる位置で遊び回っている姿を見せるのは確かに失礼にあたるだろう。

 彼方の艦娘の中でも特にしっかりしている神通は、彼方のだらしのないところを見て幻滅してしまったのかもしれない。

 深く頭を下げた彼方は、プリンツ達二人を待たせているから――ともう一度謝罪すると、その場を立ち去ろうとした。

 彼方が動き出したことで、再びカラカラと手にある硝子の瓶がその存在を主張する。

 

「……そろそろ暑くなってきましたものね。きっととても美味しいと思います」

「ん……そう、かな? 喜んでくれるといいんだけど」

 彼方の手にあるものに気がついたのか、呟くように聞こえた神通の言葉に彼方は振り向いて笑顔で応えた。

 

 落ち込んだときは美味しいものを食べたり飲んだりすればすぐに元気が出る――なんて子供染みた発想だが、彼方にはこの状況ですぐに打つことが出来そうな手は結局それしか思いつかなかった。

 彼方の脳裏を暗く沈んでしまったプリンツの表情が過る。

 

「は、はい。提督のその気持ちだけでも、きっと嬉しいはずです。少なくとも私だった、ら――」

 先程は独り言のつもりだったのか、思いがけず反応した彼方に僅かにはにかみながら言葉を返していた神通の動きがまた急に固まり、その顔がみるみるうちに耳まで赤く染まっていく。

「神通?」

「――い、いえ……何でもありません! その……お小言を言うような形になってしまいましたが……水着、とても良くお似合いです。あの、それでは、私はこれで――」

 急変した態度に困惑する彼方を置き去りにして、神通はゆっくり踵を返して歩き出したかと思うと、突然風のように走り去っていった。

 

 挙動不審な動きが目立った神通のことも気にならないわけではないが、今はプリンツ達の方が先決だ。

 彼方は最近見せるああした神通の態度に少し引っ掛かりを感じながらも、急ぎ鎮守府を後にしたのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 正直なところ――彼方は酷く取り乱した自分に疲れ果てて、しばらく戻ってきてはくれないのではないかとプリンツは考えていた。

 そのため折角大好きなビスマルクが話し相手になってくれていても、プリンツの心は見上げた空のように晴れやかにはなってくれなかったのだった。

 思い描いていた憧れのデートというものから、あまりにもかけ離れてしまった現状に、溜め息しか出てこない。

 

(カナタくんに、嫌われちゃったかな……)

 

 自分達を置いて去っていった彼方の気持ちを考えると、ついつい悪い方へ悪い方へと考えが巡っていってしまう。

 それもこれも、自分が艦娘であるためだ――艦娘であるプリンツは、彼方とまともにデートすることさえ許されなかった。

 もし自分がただの人間だったなら、こんな酷い失敗はしなくて済んだはずなのだ。

 艦娘として生まれたことを後悔するつもりはないが、人として生まれなかったことはどうしても残念に思えてならない。

 

(私、欲張りなのかな……?)

 

 別に彼方とデートをするという思いつきだって、そこまで大それた理由があった訳でもない。

 ただ、以前から物語で読んだような男女の恋人同士の関係に密かな憧れを抱いていたプリンツは、『失敗』という現実を突きつけられて自棄になっていたのだと思う。

 

 しかし、自分が思っていたよりその衝撃は大きかったらしい。

『たかがデート』に一度失敗しただけだと思う一方で、『たかがデート』すら満足にこなすことができないとも考えてしまう。

 自分の手の中にあると思い込んでいた色とりどりの煌めきは、実は掬い上げた水面に映った星々の放つ輝きで――ただ海に浮かんでいることしかできない自分には、その光を掴むことなど永久に出来はしないのだということに気がついてしまった。

 

 鬱々とした思考に囚われていたプリンツは、ふわりと頭にかけられた柔らかなタオルの感触に包まれてようやく――彼方が帰ってきてくれたことに気がついたのだった。

 かなり長い時間うじうじとしていたように思うが、実際は彼方が去ってからまだ10分程度しか経っていない。きっとかなり急いで来てくれたに違いない。

 

 

 

「――プリンツ、大丈夫?」

「っぁ――」

 待ち焦がれていた人物から名前を呼ばれ、プリンツの渇ききった喉から反射的に吐息が漏れる。

 

(カナタ君の私を呼んでくれる声……暖かい――)

 悲劇のヒロインめいた感傷に浸っていた自分の意思とは無関係にいとも容易く湧き上がってくる力に、思わず失笑する。

 しかし、彼方の言葉からプリンツを気遣う心が実感として確かに伝わってきてしまうのだ。

 この暖かさは、プリンツの重巡洋艦としての魂が提督(彼方)の呼び声に応えたからこそ感じられる物だった。

 ただの人間ではこうはいかないだろう――なのに、その暖かさをプリンツは嬉しく思ってしまった。

 人間ではないことに不満を持っていたかと思うと、今度は人間ではなかったことを喜ぶ――何とも自分勝手な話だ。やはり自分は欲張りなのかもしれないと、考えながらプリンツは慌てていつもの笑顔を取り繕う。

 せめて彼方とビスマルクが今日この日のことを後悔しない程度には、楽しませてあげなくてはならないと考えてのことだった。

 

「――う、うん、大丈夫! みっともないところ見せちゃって、ごめんなさい!」

「ん……少し顔色は良くなったみたいだね。喉、渇いてるでしょ? 三人で飲もうと思って、食堂から持ち出してきたんだ」

 誤魔化すことなど全く出来なかったのだろう――苦笑するように笑った彼方は、プリンツの先程の取り乱しようを問い詰めることもなく、手に持っていた瓶を差し出してきた。

 心配をかけてしまった手前、てっきり原因を話すまで問い詰められるかと覚悟していたのだが、戸惑いながらもプリンツは差し出された瓶をおずおずと受け取る。

 

「これって……Limonade?」

「ん? あー、うん。きっとそうかな。日本ではラムネって言うんだ」

 彼方はにっこりと笑顔を浮かべて頷く。余程喉が渇いているのか本当に嬉しそうな顔だ。この暑さだ――鎮守府と砂浜を往復した彼方にとって、このラムネは本当に魅力的な物なのだろう。

 少年のような屈託のない笑顔に見つめられ、プリンツの胸がドキリと跳ねる。

 

「プリンツ。カナタが折角持ってきてくれたLimonadeよ? ぼーっとしていたらすぐに温くなっちゃうわ」

 冷たいうちに飲まなくちゃカナタに失礼ね! と、ビスマルクがいつになくそわそわしながらプリンツを急かしてきた。確かに彼女も相当喉が渇いていた筈だ。いつも隣で煩くしている奴が急に黙りこくったせいで、いつも以上に沢山喋らされたのだから。

 

 しかし、そんな声はプリンツには聞こえていなかった。

 

 早鐘を打つような鼓動の音が煩いくらいに鳴り響き、プリンツの頭は真っ白になっていた。

 こんな事は初めてだった。彼方にハグされた時だって、ここまで動揺してはいなかったというのに。

 

(あ、あれぇ? まともにカナタくんの顔が見れない……)

 

 見かねた――単に待ちきれなかったのか――彼方がラムネの蓋を開けてプリンツに手渡しビスマルクと二人で飲み始めるが、そんな抜け駆けのような行為が行われていることにすら気づくことが出来ないプリンツは、しばらくただ惚けるように砂浜に座り込んでいたのだった。




ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

プリンツとビスマルクとのデートですが、まとめきれず次話まで引き摺ります……。

それではまた読みに来ていただけましたら嬉しいです。

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