艦隊これくしょん ー夕霞たなびく水平線ー   作:柊ゆう

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今回までが序章となります。
それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


彼方の選択

「はぁ!?彼方を提督にする、ですって!?」

 まだ日が登ってそれほど時間もたっていない早朝、穏やかな空気が流れていた執務室に驚愕の声が響き渡る。

「そうだ。将来的にはね。もちろん、彼がそれを望むのであれば……の話ではあるが。」

 落ち着いた様子で返す提督に、霞は一度冷静になって考えを巡らせ、一つの推測に行き当たる。

「口封じってわけね?」

 先日、霞が彼方と出会い鎮守府に帰投してきた際の提督や足柄とのやり取りを思い出す。

 足柄も冗談めかして言っていたが、深海棲艦を見てしまった彼方を放っておくわけにはいかないというのは間違いないことなのだ。

 もし私達が動かなかった場合、最悪軍の情報部がいつの間にか手を回していて、気づけば手遅れになっていたーーという可能性もないとは言えない。

「有り体に言ってしまえばそうなる。彼が了承してくれれば……私は彼の後見人であり、緊急時には彼に提督代理の権限を与えていたと説明することもできる。彼の『提督』としての適性の高さは軍としても無視できるレベルではない。軍上層部に私に対して大なり小なりの不信感が抱かれるのは承知の上だが、彼のことを上に認めさせることくらいは何とかできるだろう。まぁ……もし彼に断られたとしても、先んじてこちらから彼を監視するための人材を派遣しておきさえすれば、大事にはならないさ。」

 確かにこれなら、どちらにしても鎮守府が後ろ楯についたことになり、実質的には処分を与える必要がなくなる、というわけだ。

「軍はどうとでもなる。私の管理責任は多少問われることになるだろうが、大した問題ではない。彼に対しては、私が直接会って話をしてみようと思う。今日の昼過ぎにお邪魔すると彼の母親には伝えてあるから、霞も同行するように」

 提督はそう言うと、霞に退室するよう促す。

 あの出会いから僅か数日。早くも訪れた再会の時に喜ばしい思いもないわけではなかったが、今回の目的は彼方を深海棲艦が蔓延る海に引きずり出すことだ。

 霞は浮かない顔で頷くと、退室しようと踵を返した。

「彼は我が国の未来にとって必要な人材だ。多少の痛手を負ったとしても、こちらの手元に置いておきたい。君の話を聞いた限りでは、色好い返事が貰えると思ってはいるが、彼はまだ子供だ。彼の母親の説得には必ず霞ーー君の力が必要となる。私に協力してほしい」

 提督はそう言うと、外出するための準備を始めた。

 霞は何と答えていいのかわからず、そのまま静かに執務室を後にした。

 

 

 

 正午過ぎーー霞は提督に連れられて、街の中心部に程近い位置にある屋敷へとやって来た。ここが彼方の住んでいる家らしい。

 二階建ての小ぢんまりとした家だ。良く手入れされた庭木と花が陽の光りを受けて美しく輝き、世話をしている者の内面の美しさを垣間見せている。

 提督が呼び鈴を鳴らすと、間もなく一人の女性が扉を開けて二人の前にやって来た。

「お久し振りです、樫木提督。ご壮健のようで何よりです。ーーどうぞ、お入りになって下さい」

 薄く茶色がかった髪を長く伸ばし、彼方と良く似た顔立ちをした女性は、そう言って柔らかな笑顔で二人を迎え入れる。

(この人が彼方のお母さんなのね……)

 やはり思っていた通りの綺麗な人だ。霞は緊張に堅くなる手足を懸命に動かし、彼方の家に入った。

 何とか家に入った霞の耳に、たったったと規則正しいリズムで足音が刻まれる。誰かが階段を降りてきたようだ。

「『霞』お姉ちゃん、来てくれたの!?」

 

 

 

「ひゃぁん!」

 数日ぶりに、霞は彼方に名前を呼ばれた。

 

 

 

 絶対に頭の可笑しい女だと思われた。不意に彼方に名前を呼ばれ醜態を曝すことになった霞は、死にたくなるほどの羞恥に襲われていた。

 提督と彼の母親は唐突に艶かしい声を上げる霞に目を丸くし驚いている。

 しかし、彼女は直ぐに納得したように彼方を流し見た。

「なるほど……。彼方に『提督』の資質があるっていうのは本当のようね」

 苦笑して暫く彼方を眺めた後、彼女は霞に微笑みかける。

「貴女が彼方を助けてくれたのね。本当にありがとう。感謝してもし足りないわ」

 

 

 

 提督と霞は、彼方と彼の母親と向かい合わせに座り、先日の事件についての説明を行っていた。

 彼が砂浜に毎日立ち入っていたことまでは聞いていなかったのか、驚いていたようだったが、その理由も説明すると彼女は納得がいったようだった。

 今回の件でもう砂浜には立ち入らないことを固く約束した彼方に微笑んで頷くと、彼女は表情を引き締めて提督に問いかける。

「それで……この子はどういった処分を受けることになるのでしょうか」

 彼方を守ろうとする強い意志が籠められた瞳に見つめられ、提督も居住まいを正して告げる。

「彼が望むのであれば……私は彼の後見人に就き、彼を提督にさせたいと考えております」

 その言葉に、彼方の母親は眉を潜めた。

「この子はまだ八歳です。そのような判断を下せるはずがないと思いますが。それに、この子は父親を海で喪っているんですよ?」

 びくりと、彼方が肩を震わせる。母親から飛び出した言葉に驚いたのだろう。彼方は気遣わしげに母親を見つめる。彼女の母親は優しい瞳で彼方を見つめ返し、彼方の手を握った。

 彼女の言うことは最もだ。やはり霞もそう簡単に飲み込める話ではない。

 出会って間もない霞でもそうであるのに、ましてや彼女は海で大切な伴侶を喪ったばかりの上に残された大切な一人息子なのだ。そのような提案を飲めるはずもないだろう。

 霞とて、護るべき対象を危険な場所に引きずり出す行為など、容易く認められるものではなかった。

「彼には、父親と同等かーーそれ以上の『提督』としての資質があると、私は考えております。彼の力は、私達人類に必要です」

 説得を続ける提督に、彼方の母親は厳しい視線を向ける。

 その母の様子を見ていた彼方がおずおずと口を開いた。

「お父さんは『ていとく』だったの?僕も『ていとく』になればお母さんを守ってあげられる?」

 

 

 

 霞は、彼方ならば恐らくそう言うだろうと思っていた。

 樫木提督は彼方の父親が『提督』であったことを意図的に仄めかしている。それは霞も彼方の母親も直ぐに気がついた。

 そして彼方がなりたいと望むーー母親を守ることができる存在になれるというのであれば、訳もわからず『提督』になりたいと言うに決まっていた。

「彼方、お父さんは確かに『提督』だったけど、お母さんは彼方に『提督』にはなってほしくないの」

 堪えきれないほどの深い悲しみを覗かせる瞳で、彼方の母親は彼方に語りかける。

「お父さんは『提督』だったから、もうお家には帰ってこられなくなっちゃったの。彼方も『提督』になったら、そうなってしまうかもしれないのよ?そうしたら、お母さんは今よりももっと悲しいわ」

 彼方の母親は必死に彼方を守ろうとする。

 しかし、母の愛情故の行動は、事このタイミングにおいては完全に悪手であった。

 

 

 

 彼方は、彼なりに母の想いをきちんと理解していた。

 その上で自分の無力さを痛感し、ただ守られるだけの自分に激しい憤りを感じている。

「……だったら、どうすればお母さんは笑ってくれるの?僕はどうしたら、お母さんを笑わせられるの?毎日、僕が寝た後お母さんが泣いてるのを僕は知ってる。僕がただ一緒にいるだけじゃダメなんだ」

 肩を震わせて彼方は声を絞り出す。

「僕がお父さんと同じ『ていとく』になれば、お母さんを守ってあげられる?……でも、僕が『ていとく』になったら、僕もお父さんみたいにお母さんと一緒にいられなくなるかもしれないんでしょ?僕は、どうしたらいいの……?」

 最後には嗚咽混じりとなり、彼方は膝を抱えて塞ぎ込んでしまった。

 彼の母親は、息子の慟哭に衝撃を隠しきれず、ただ茫然としてしまっていた。

 

 

 

「私が、彼方をどこへも行かせはしないわ!彼方は絶対に私が守ってみせる!彼方がお母さんを守るなら、その彼方を私が守る!」

 思わず立ち上がり、霞が声を上げる。

 しかし、この言葉だけでは彼方に届きはしない。彼はただ守られるだけの関係は望んでいない。

 それでは、母親が霞に入れ替わっただけだ。

 それを理解している霞は、更に言葉を紡いでいく。

「私、本当は深海棲艦と戦うのが怖くてたまらないの!怪我もするし、ひょっとしたら死んじゃうかもしれない。大切な仲間を失ってしまうのが何よりも怖い。……だけど、あなたが、彼方が隣にいてくらたら、私はーー」

 自分の弱さをさらけ出す霞は、彼方に懇願する。

「ーーお願い、彼方。私に勇気をちょうだい。あなたと一緒なら、私達はきっとどんなことだってできる。お母さんだけじゃない、沢山の人を笑顔にすることができる!」

 

 

 

「だから、私の『提督』になって!」

 

 

 

 結果としては、全て樫木提督の思惑通りに事は運んだ。

 彼方は将来『提督』になることを選択し、樫木提督は彼方の後見人となった。

 いいように操られた形になった、彼の母親は大層ご立腹のようであったが、息子の成長を見届けられたことで、幾分か晴れやかな表情で笑うことが出来るようになったようだった。

 霞は将来彼方が『提督』となった暁には、彼方の秘書艦となる約束を交わしたのだった。

 

 

 

 話し合いも終わり、帰ろうとする霞の下へ彼方の母親が近寄ってきた。

「家の息子を、よろしくお願いします。」

 頭を下げる姿に、逆に霞は申し訳なく思ってしまった。

 母としては辛い選択をさせてしまったーー後悔はないし、彼方を守り通すという誓いは確かなものだ。

 この信頼を裏切るわけにはいかないと決意を新たにする霞を見た彼方の母親は、引き締めていた表情を崩した。

「あの子の言い出したら聞かない頑固さは、父親譲りよ。女の子に優しいのもね。私も彼を手に入れるのはすっごく苦労したもの」

 すこし悪戯っぽく笑って、彼女は思いがけないことを口にした。

「あの子が『提督』になったら、それはもう大変よー?次から次へとライバルが湧いてくるわ」

 妙に実感の籠った言葉。

「もしかして、お母さんは…?」

「あら、もう嫁入り気分?まぁ、いいわ。ーーそう、私も元は艦娘だったの。『千歳』って、知ってるかしら?」

 今度からお母さんじゃなくて千歳さんって呼んでね?と笑顔で念を押され、霞は彼方の家を後にした。

 

 

 

「彼女とは、何度か共に戦場を共にしたことがある。優秀な空母でね。幾度も窮地を救われたよ」

 帰る道すがら、樫木提督は懐かしむように千歳さんのことを教えてくれた。

「今回は弱っていたところを不意打ちしたから勝利できたが、次はこうもいかないだろう。最も、次から彼女と戦うのは君だろうがね」

 恐らく最大の難敵になるだろう、と冗談なのか本気なのか判断がつかない言葉で締め括られた。

 

 

 

「私は、艦娘と人間が共に信頼しあい、本当の意味で力を合わせなければ深海棲艦には勝利できないと考えている」

 急に真面目な顔つきになり、樫木提督は霞を見つめた。

「君と彼方君には、その旗頭になってもらいたいと思っているんだ」

 

 

 

 数年後、樫木提督によって初めて提督と艦娘が共に学ぶことができる訓練校が設立された。

 その後一年という短い時間で樫木提督は病でこの世を去ってしまったが、今も多くの『提督』候補や艦娘達が訓練校にやって来る。

 多くの戦場を渡り歩き、正しく歴戦の艦娘となった霞は今、この訓練校で足柄と共に教鞭をとっている。

 

 

 

 あの出会いから十年、霞の下に待ちに待った人物がやって来る。

 少年から青年となった彼方は、霞の隣に立つために訓練校に入学した。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これにて序章は終了となります。

次は前回書こうと思っていた、空白の十年間の一部を書こうかな、と思っています。

また読みに来ていただけたら嬉しいです。

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