それでは、今回も少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!
夜明けのまだ少しずつ白み始めたばかりの空を、数機の零式艦上戦闘機52型が美しい弧を描いて飛んでいく。
続いて飛ぶのは九七式艦上攻撃機だ。
九七式艦上攻撃機は水面近くを這うように飛び、標的に向かって雷撃を放つ。
大きな水飛沫をあげ、五つあった標的の全てがその水飛沫の中に消えていった。
「ふぅ……」
一連の動きが上手くいって、鳳翔はついつい安堵の溜め息を漏らした。
「鳳翔、貴艦の艦載機の扱いは……柔らかくて、美しいな。日本の空母は弓を使うと聞いてはいたが、なるほどーーこれは素晴らしいものを見せてもらった」
少しいつもよりも饒舌になっているグラーフが、鳳翔の訓練をそう評した。
「ええっ? あ、ありがとうございます。やっぱり褒められると、照れてしまいますね」
鳳翔はグラーフの称賛に頬を染めて照れ笑いを浮かべるが、今回は謙遜することなく素直に賛辞を受け取っていた。
「ーー私はやはりクサナギ提督のところへ着任するつもりだ。数日後にはこの鎮守府を離れるが……あちらへ行っても、いつかどこかの戦場で共に戦えることを願っている」
「私もです、グラーフさん。お互い戦う場所は違いますけど、この海を守るために頑張りましょう」
握手を交わし笑いあった二人だったが、急にグラーフが何かを思いついたように声をあげた。
「そうだ、鳳翔。これを受け取ってくれないか」
グラーフは腰のホルダーから、カードを数枚取り出し、鳳翔に手渡した。
「これは……?」
鳳翔に手渡されたのはグレーと緑のカードが数枚ずつだった。
「それは、私が使用している艦載機ーーFw190T改とJu87C改だ。妖精に最適化してもらう必要はあるだろうが、きっと鳳翔にも使いこなせるはずだ」
「そんな……こんな大切なもの、いただいてしまっていいんですか?」
「ああ、構わない。予備の物だしな。私から貴艦への友好の証として受け取ってくれ」
戸惑う鳳翔の手にカードを握らせ、グラーフは頷く。
鳳翔も少し強引とも言えるグラーフに押され、その厚意をありがたくいただくことにした。
深々と頭を下げる鳳翔をグラーフも慌ててやめさせようとするが、結局はその礼を受け取っておくことにしたようだった。
「それにしてもーー貴艦のAdmiralは随分と難儀な性格をしているようだな。あれでは仲間を失ったことなどないのだろう?」
大事そうにグラーフからもらった艦載機を懐にしまった鳳翔から目をそらし、水平線を見つめながらグラーフがぽつりと漏らす。
「はい。彼方さんは、私達の誰も失いたくないと思っています。もし失ってしまえば、彼方さんはーー」
「昨日の酔いっぷりを見ていればわかる。……私達は軍から見ればただの喋る兵器だ。艦娘を恋人のように扱う人間などドイツにはいはしない。しかしアサギリ提督は貴艦ら全員を人間と同じように扱い、あまつさえ恋人になっている者すらいる。それ故に貴艦らを戦場に出すことを苦悩し、帰らぬ恐怖に怯え続けているというのに……」
グラーフは眉間にシワを寄せ、唇を噛む。
グラーフは彼方のその行いに、何とも言えない苛立ちのようなものを感じているのだ。
「私達は兵器だ。戦って沈むことも役目の一つ。そしてAdmiralの役目は私達を使って人類を勝利に導くこと。ただそれ一点のみ。私はそう思っていた」
いつの間にかグラーフの手は固く握られ、沸き上がる感情を抑えようとしているのが見てとれる。
「ーーああして艦娘をただの人と同じように扱われては、いずれ艦娘が沈むことを恐れるようになってしまう。ビスマルクやプリンツも、恐らくそうなるだろう。彼のやり方は、
鳳翔は苦々しく想いを吐き出すグラーフに、嘗ての自分が重なる。
兵器か人間かーーその悩みは鳳翔も抱えたことがある悩みだ。
鳳翔は人間を選んだ。
そして、グラーフは兵器を選んだということだ。
「グラーフさん……確かに私は沈むのが怖いです。遭難したとき、彼方さんにもう会えなくなるって思って……苦しくて怖くてたまりませんでした。ですけど、こうなったことを後悔もしていないんです。……私、彼方さんを愛することが出来て幸せです。帰ってこられた時、強く抱き締められてわかりました。この人のために生きていきたいって思ったんです」
鳳翔はグラーフの心の吐露に真摯に向き合って答えを返す。
鳳翔の嘘偽りない言葉に、水平線を見つめていたグラーフが振り向いた。
「……そうだな、それも一つの強さなのだろう。だからアサギリ提督の艦娘は、全員が生き生きとしている。ーーだが、それだけにその状態を維持し続けるのは困難を極める。誰もを守って無事に全員がここへ帰って来続けなければならないのだから。……鳳翔に渡した物は、それを叶えるための力になる。ビスマルクやプリンツを、私に代わって守ってやってほしい」
顔を引き締めたグラーフは、今度は鳳翔に深々と頭を下げた。
自分はやはりここに残ることは出来ない。
今まで生きてきた価値観の根底から崩されて、今まで通り戦える自信がない。
軍の中で生きる、兵器としての人生を選んだグラーフにとっては、彼方の提督の在り方は劇薬になり得る。
短い付き合いではあるが信頼のおける相手だと確信した鳳翔に仲間を託す以外に、グラーフに出来ることはなかったのだった。
「わかりました。ビスマルクさんもプリンツさんも、必ず私がお守りします!」
鳳翔はグラーフのその想いに全力で応えた。
元よりそのつもりだ。
彼方の艦娘は、全員が全員を守るために戦っている。
彼方の力になることを選択してくれた彼女達は、もう鳳翔達の仲間なのだ。
「ーーああ、良かった。ありがとう、鳳翔」
グラーフは破顔し、心から安堵の笑みを浮かべた。
鳳翔なら、信じられる。
グラーフはそう確信を持ってこの鎮守府を去る決意を固めることができた。
ーーその頃、執務室では彼方が二日酔いによる頭痛に苛まれていた。
「……うう、昨日最初の一杯を飲んでからの記憶がない……。朝起きたら霞と鹿島が横にいたし、何をしてたんだろう、僕は……」
当の霞と鹿島は彼方の部屋で目覚めてから、今は自室で身支度を整えている最中だ。
無論全員衣服は身に付けていた。念のため。
そこまで自分を無節操だと思いたくはないが、何分記憶がないため自信が持てない自分が情けなかった。
しかし、本当に彼方は昨晩どうしていたのだろうか。
朝食をとりに食堂へいった時に出くわしたレーベとマックスは、相変わらず曖昧な笑みを浮かべて彼方を見つめるだけだった。
ビスマルクとプリンツはまだ姿を見かけていない。
神通と吹雪達はユーに手伝ってもらって対潜水艦の訓練に行ってしまったし、誰も昨日の彼方を教えてくれる人がいなかった。
「何も変なことをしていなければいいんだけど……。とりあえず戻ってきたら鹿島に聞いてみよう」
憂鬱な気持ちのまま、彼方は執務を続けることにした。
窓の外から見える海を眺めれば、鳳翔が訓練で飛ばしている艦載機が目に入る。
昨日は見ることが出来なかった光景だ。
何気ない窓からの風景が今はとても貴重な物に感じられる。
昨日一昨日が嘘のように穏やかな朝だった。
「カナタ、居るかしら?」
「カナタくーん、Guten Morgen!」
ノックと共に、今朝から姿を見かけていなかった二人の声が執務室の扉越しに聞こえてきた。
「あ、はい。居ますよ、どうぞ」
彼方が返事をすると、早速二人が部屋の中に入ってきた。
「おはよう、カナタ。さ、今日はどこに出撃するの? 私、昨日の夜から早く暴れたくてうずうずしてたまらないのよ!」
「そうです! 折角カナタくんの艦娘になったんですから、この力を姉さまと試してみたいんですよ!」
グイグイと迫ってくる二人に、彼方は驚いて戸惑うしかない。
昨日の夜まではここまで近い距離感ではなかったような気がするのだが……。
「あ、いや……今日は訓練にあてようかと思ってたんだけど……。それはともかく、プリンツさんも呼び方変わってるし、もしかして昨日僕何かしました……?」
「ええっ、覚えてないのぉ!? あんなに情熱的に迫ってきた癖にぃ……」
「意外と男らしいところもあったのね、カナタは。私も感心したわ。それより、もうこの際演習でも何でもいいから出撃させて!」
彼方の無責任な発言にプリンツが憤慨して唇を尖らせる。
逆にビスマルクは大して気にした様子もない。
それよりも暴れたくて仕方がないようだ。
「わかりました、今神通達は対潜水艦訓練を行ってますから、その後! その後みんなで二つの艦隊に分かれて模擬戦をやりましょう」
「やったわ! 約束よ、カナタ!」
ビスマルクは言うが早いか、颯爽と部屋を出ていってしまった。
しかし、プリンツは黙ってこちらを見つめたまま立っている。
「……ど、どうかしました? プリンツさん」
自分が知らないうちに縮まってしまった距離感に、彼方は戸惑ってしまってどう接したらいいのか分からない。
それを知ってか知らずか、プリンツは彼方のすぐ目の前ーー手を伸ばせば届く距離よりも更に近づいてくる。
「え、ちょ!? プリンツさーー」
「『プリンツさん、貴女はもう僕の物です。絶対に沈ませないし、仲間を失わせるようなことはしません。僕が貴女を守ります!』」
「……へ?」
「昨日Admiralさんが私に言ってくれた言葉です。私、生まれて初めてそんなこと言われちゃいました。日本の男性ってナヨナヨしててかっこよくないと思ってたけど、昨日のカナタくんは……ちょっとかっこ良かったよ?」
一生懸命低い声を出して彼方の物真似をするプリンツは可愛らしいが、その内容に彼方は頭を抱えた。
確かに常日頃彼方は自分の艦娘を守ろうと考えている。
それが表に出ただけといえばそれまでだが、会ったその日に自分の物だと豪語するとは……正気の沙汰とは思えない。
羞恥に悶える彼方の側にいつの間にかプリンツが寄ってきていたことに、彼方は肩に腕を回されてようやく気づいた。
「カナタくん、昨日はDanke. 姉さま共々カナタくんの物になったんだからーー私のこともよろしくね?」
頬に柔らかな感触を残し、プリンツは手を小さく振りながら部屋を出ていった。
「ーー海外艦って、凄いな……」
二日酔いと柔らかいプリンツの感触に、彼方はそれだけ溢すのがやっとだった。
もちろんこの後やって来た霞と鹿島にはたっぷりと昨日の件で絞られた。
ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!
プリンツがグイグイと近寄ってきます。
それではまた読みに来ていただけましたら嬉しいです!