それでは、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
「……ごめんね、彼方。こんな遅くに押しかけてしまって」
先程まで彼方が寝ていたベッドに腰かけて、時雨は彼方に謝った。
微かに残る彼方の温もりが手や腰から伝ってきて、少しだけ気恥ずかしい。
時雨は彼方に告白してからここ数ヵ月、こうして彼方と二人きりで過ごしたことが何度もあった。
しかし、その度に思っていたことがある。
彼方は自分のことをどう思っているのかーーということだ。
時雨はせめて二人きりでいる時くらいは、彼方に自分だけを見て欲しいと思っている。
時雨が彼方に膝の上で頭を撫でてもらうのが好きなのは、その時間は彼方が自分だけを見てくれているという実感があるからだ。
声をかけたら終わってしまう気がして、いつも黙って彼方の膝に座っている。
それも会話というコミュニケーション手段が取れないので、物足りなさを感じないわけではないのだが……。
だけどーーそうして時雨が精一杯近づいても、彼方はそれ以上は自分から時雨に近づいて来てはくれない。
もっと彼方の方からも近づいてきて欲しい。
彼方と二人きりで過ごす度に、その気持ちは大きくなっていった。
振り向いてもらおうと、二人きりでいられる日はあれこれと試してみた。
正直恥ずかしくて堪らないこともあったが、彼方がそれで時雨を見る意識が変わるのであればという思いで努力を尽くした。
しかし、彼方は困ったような顔で誤魔化すだけだ。
さっきの部屋割りの時もそう。
こちらが精一杯アピールしたというのに、逃げられた。
「……時雨、何かあったの?」
彼方は元気がない時雨を心配そうな目で見ている。
時雨も彼方のその気持ちは嬉しいことは嬉しいが、時雨にその顔をさせているのもまた彼方だ。
正直なところ、ほんの少し苛立ちを感じないでもない。
(ーーどちらかというと、何もないから困ってるところだよ……)
あの時、潮の勢いに乗せられて吹雪と時雨も告白した。
その事自体は時雨は後悔していない。
あの場で告白したのは、恐らく時雨達にとっては最善手だった。
しかしーー
「ねぇ、彼方。彼方は……僕のこと、どう思ってる?」
時雨は、思いきって彼方に聞いてみた。
今まではこれを聞くのが怖くて、ただ彼方に自分の気持ちを理解してしてほしくて行動で示してきた。
ただ……明日からは深海棲艦との戦いが始まるのだ。
ひょっとすると、もう二度と聞くことが出来なくなる可能性だって、ゼロではない。
それを考えると、どうしても彼方にその事を聞いておきたくなったのだった。
「ーー僕は時雨のこと、いつも落ち着いて周りを良く見てくれていて、いざという時とても頼りになる仲間だと思ってるよ」
ーー仲間、かぁ。
それは時雨にとっては予想通りの言葉だったし、聞きたくなかった言葉だ。
何故なら、霞のことを彼方は仲間だとは思っていないだろうからだ。
「ーーでも」
と、彼方が言葉を続ける。
「告白されてからは、それだけじゃなくなった。時雨が一生懸命気持ちを伝えてくれる度に、ドキドキさせられるんだ。ーー本当は、さっきもドキドキしてた。……でも、まだこの自分の気持ちの通りに行動する踏ん切りが着いてないんだ。だから、つい強引に話をまとめて逃げた……。」
彼方は、心底申し訳なさそうに己の内心を打ち明けた。
時雨の努力は無駄にはなっていなかったらしい。
それは、素直に喜ばしいことだった。
ーーが、どうやらあと一歩が足りない。
何か切欠が必要なのだ。
彼方を一時でも時雨のものとするにはーー
小手先の手では彼方には届かないだろう。
何かーー
「あ、そうだ。彼方ーー」
「僕と一緒に、お風呂に入らないかい?」
ーー聞こえるのは穏やかな波の音だけ。
空には満点の星空が広がっている。
水面に写るのは柔らかな光を帯びた月。
雰囲気としては満点だろう。
我ながらベストなムードの演出が出来たと思う。
「……か、彼方。どうかな、そっちからも月は見えるかい?」
柵を隔てた向こう側にいるであろう彼方に、時雨が声をかける。
緊張のあまり声が震えてしまっていたが、時雨にはそれを気にしていられる余裕なんてなかった。
「あ、う、うん……見えてるよ。ここの夜空は凄いな……僕の街とは別世界だよ」
時雨も改めて夜空を見上げてみる。
本当に美しい星空だ。
月が出ているというのに、訓練校から見上げた夜空とは比べ物にならないほどに多くの星々が瞬いている。
「ーー僕はね、彼方。ほんとは、彼方に声をかけてもらえるのをずっと待ってたんだ」
ぽつりと時雨が呟くように彼方に語りかける。
「最初は君の能力に興味があったから、君とチームを組もうと思ってた。僕は幸いクラスでも強い方だったからね。チームを組んでいなければ、彼方の方から声をかけてきてくれるんじゃないかって思ってた」
初めて時雨と話したときの話だ。
当時の時雨は己の力にある程度の自信を持っていて、その自信を肯定するように他の提督候補生から実際に声もかけられていた。
しかし、当の彼方は時雨よりも実力で劣っていた吹雪に自ら声をかけた。
その事を知ったとき、時雨は生まれて初めて焦りを感じたのだった。
「だけど、待ちきれずに声をかけた僕のことなんて君は最初は大して興味もなさそうだった。沢山いるクラスメイトの艦娘の中の一人。……でも、僕も最初はそうだった。彼方のことを、ただ変わった力を持った提督候補生だと思ってたんだ。」
当時時雨の心にあったのは、彼方に対する所有欲に近い感情だった。
彼方の能力を自分の物として、使いこなしてみたかったのだ。
「彼方の力は確かに凄い。あの球磨さん達との演習で僕があれだけ活躍出来たのは、彼方の力があったからだ。……でも、結局は僕が彼方に惹かれたのは、彼方のその力にじゃなかった」
彼方は初めて聞かされる時雨の内心に驚いているのだろうか。
今はただ黙って時雨の話を聞いている。
「僕はねーー彼方の艦娘になるって心に決めたとき、彼方を守るためなら沈んだっていいと思ってたんだ。草薙提督はそれを見抜いていた。だから僕はあの時草薙提督の言葉を否定出来なかったんだ」
その後の彼方の動揺振りは、正直見ていられないものだった。
艦娘にとって提督は一人しかいない。
しかし、提督には艦娘は……言ってしまえばいくらでもいる。
少なくとも時雨はそう考えていた。
彼方を守るために多くの中の一人である時雨が役に立てるのであれば、それは十分に有意義なことであると思っていたのだ。
ところが彼方はそうではなかった。
彼方にとって時雨は多くの中の一人ではない。
彼方にとって時雨は、他の何者にも変えられないものだった。
だから、あれほどに取り乱し、失うことを恐れた。
その時、初めて彼方が時雨を艦娘としてだけではなく、一人の人間として扱ってくれていたことに気がついた。
「……でも、今は違う。ーー彼方は僕が沈んだら泣いて悲しんでくれると思う。簡単に死を選んだ僕を怒ってもくれると思う。そして立ち直れないくらいに傷ついてくれると思うんだ。」
ーーそれは、なんて幸せで罪深い事なんだろう。
「……時雨。僕は君が沈むなんてこと絶対に許さない。君は僕のものだ。勝手に沈むなんて、認めない」
彼方も時雨の今の言葉に少し怒ってくれているみたいだし、嬉しい言葉もおまけでついてきてくれた。
本当に、いい
「当たり前だよ。僕は彼方を悲しませたくなんかないからね。どんなことがあっても必ず帰ってくるさ。……でも、彼方がそこまで言うならーー僕に自分は彼方のものなんだって自覚させて欲しいところではある……かな?」
自分で言っていてとんでもなく恥ずかしい言葉ではあるが、時雨が彼方から出てくるのを望んでいたのはその言葉だ。
「……時雨?」
ーー彼方の声に答えることなく、時雨は音もなくゆっくりと立ち上がった。
ーー柵に背を向けて、彼方が露天風呂に浸かっている。
まだこちらには気づいていないようだ。
「ーー彼方。隣、いいかい?」
「って、え……時雨!?い、いつの間に……?」
時雨は彼方に気づかれないように、提督用の露天風呂へと忍び込んでいた。
「……あ、あんまりこっちは見ないでほしい、かな。まだ、ちょっと恥ずかしいから……」
タオルを巻いているとはいえ、直接見られるのはまだ心の準備が出来ていない。
時雨はゆっくりと彼方の隣に座った。
お風呂にして本当によかった。
きっと今の時雨の顔はゆでダコのように真っ赤になっていることだろう。
真っ赤になっているのも言ってしまえばお風呂のせいだが、その事には時雨はもはや頭が回っていなかった。
「僕はさ、こうして彼方の隣にいられることが何より幸せだよ。いつかは、本当に君の物になれるのを期待して……待ってるからね?」
ぴとりと、彼方の肩に頭を乗せる。
「……時雨といると、ほんとに驚かされてばっかりだよ」
彼方が優しく頭を撫でてくれた。
今日は、彼方と話せて本当によかった。
ーー結局二人はのぼせる限界まで、そうして身を寄せあって夜空を眺めていたのだった。
(こ、これ……立ち上がったら彼方に見えちゃうよね!?タオル濡れちゃってるし!どうして僕はこう詰めが甘いんだろう……どうしよう……)
(……立ち上がれない。タオル持ってないし……時雨は空眺めてるし……どうしよう……)
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました!
時雨の心情は出会ったとき以来ですよね、確か……
今回書けてよかったと思います。
それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!