それでは、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!
「ーー鹿島教艦。母も今日は家にいるようですし、行きましょうか」
出掛ける準備を終えた彼方は、自宅にいる母ーー千歳と連絡をとってくれていた。
(今日の今日なんて、本当に彼方くんのお母様には申し訳ないけど……大丈夫そうでよかった。ーーって、私手土産も何も用意してないじゃない!?)
彼方の言葉に安堵したのもつかの間、大事なことをすっかり忘れていたのを思い出した。
これでは相手の都合も考えず突然押し掛けてきた、恥知らずな女として見られてしまう。
彼方の母親との関係は、鹿島の将来的に考えてーーある意味では最も重要な位置にあると言える。
「か、彼方くん!ご実家に向かう前に、お母様への手土産を用意したいんですけどーーどこか良い所知りませんか!?」
「え?いや、そんな気にされることありませんよ。家庭訪問みたいなものだって言ってありますしーー」
彼方は鹿島の焦りなど知るよしもなく、鹿島から見れば随分と暢気なことを言っていた。
「そんなわけにはいかないですよ!彼方くんのお母様ですよ?私にとっては最重要人物なんです、粗相は絶対に出来ないんです!」
鹿島は必死だ。
想いを受け入れてもらえるかどうかよりも先に、彼方の母親を味方につけられるのかも重要だからだ。
ここで失敗は絶対に許されない。
「そこまで大事に考えなくても……。でも、そうですね。じゃあ、母さんが好きなお菓子でも買っていきましょうか」
彼方は一応納得してくれたようだ。
本当に助かった……。
「鹿島教艦、着きました。ここが僕の家です」
「ここが……彼方くんの生まれ育った場所、なんですね……」
彼方がそう言って呼び鈴を鳴らす。
鹿島には、生まれ育った場所などない。
工廠で建造された時には既に完成された存在である艦娘には、持つことが出来ないものだ。
人間と艦娘は違う。
その差を少しでも埋めるため、鹿島は彼方のことをもっと深く知るために今日ここへ来た。
「彼方、おかえりなさい。ーーそちらが、彼方がお世話になってる教艦かしら?」
扉を開けて、女性が家の外へとやって来た。
彼方と同じ髪の色、優しそうな目が彼方とそっくりだ。
この女性が彼方が最初に笑顔を見たいと思った女性ーー彼方の母親。
「は、初めまして!私、朝霧くんの副教艦を務めさせていただいております、練習巡洋艦の鹿島と申します!本日は、突然朝霧くんのご実家に押し掛けるような形になってしまい、本当に申し訳ございません!」
ガチガチに緊張しながらも、何とか挨拶することは出来た。
「ふふ、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ?私は彼方の母で、千歳と言います。ご存知かも知れませんが、元々は貴女と同じ艦娘です。ーー今日は来てくださって本当に嬉しいです。私も彼方にたまには顔を見せるように言っていたんですけど、忙しいからって中々帰ってきてくれなくて……。鹿島教艦が家にいらっしゃらなければ、彼方はきっと卒業まで帰って来なかったと思いますよ。ね?」
「ーーい、いや……さすがにそれは」
千歳の言葉を否定しようとするが、彼方は口ごもってしまった。
鹿島も千歳の言葉は尤もだと思う。
彼方は真面目すぎるのだ。
休日も彼方は必死に提督としての訓練や勉強に明け暮れている。全て鹿島達を守るためだ。
それはとても嬉しいし、最近は随分と逞しくなったと思う。
だけど、心配でもあるのだ。
これからは、霞と鹿島で休日は彼方を無理矢理休ませるくらいのことは考えなくてはならないかもしれない。
「いいのよ、こうして顔を見せに来てくれたんだから。ーーあ、立たせっぱなしですみません。どうぞ、上がってください」
千歳に案内され、鹿島は玄関へと入った。
彼方の家は、一般的な家庭というのはよくわからない鹿島ではあったが……暖かさのようなものがあるような気がした。
棚の上に赤ちゃんの頃の彼方の写真が飾ってある。
その隣にはウェディングドレスを着た千歳と、彼方を少し男らしくしたような男性の結婚式の時の写真が飾ってあった。
(この人が彼方くんのお父さん……。艤装を解体した千歳さんはこの人と結婚して、彼方くんを産んだのね……)
鹿島には正直未知の領域だ。
妖精達に建造されて生まれてくる存在である艦娘が、人間との間に子供を授かる。
こうして彼方の両親をこの目で見ることで、鹿島は初めてそれを実感したのだった。
(私も、お母さんになれるのかな……)
不安な気持ちと、大きな幸せへの期待。
鹿島にとって幸せとは何なのかーー少なくとも千歳にとっては、この男性と結婚し彼方を授かったことは、とても幸せなことだったのだと思う。
「いいなぁ……」
鹿島も、いつかは彼方の子供を授かることが出来るのだろうか。
今は全く実感のない話だが、もしそうなったら、それは鹿島にとってとても幸せなことのような気がした。
「鹿島教艦、どうしました?」
ついつい立ち止まってしまっていたのを彼方に不審に思われてしまったようだ。
居間の方から彼方が覗きこんでいる。
「あっ、すみません!すぐ行きます!」
鹿島は慌てて彼方の後を追ったのだった。
「ーーそれで……本日はどういったご用件でこちらへわざわざ足を運んでくださったんですか?彼方からは家庭訪問のようなものだと伺ってはいるのですが……」
手土産も無事喜んでもらえて、お茶とそのお茶菓子を用意してもらって人心地ついた頃、千歳が今日の訪問の意図を確認してきた。
「私ーー今日はお母様にお願いがあって参りました」
鹿島は居住まいを正すと、千歳に用件を切り出した。
「お願い?……彼方のことで、ですか?」
鹿島の様子に何か感じるものがあったのか、千歳も姿勢を正して鹿島の次の言葉を待つ。
「はいーー私、朝霧くんが産まれてから今までの全てが知りたいんです。……教えていただけませんか?」
ーー瞬間。敵艦載機の索敵に引っ掛かってしまったような感覚が鹿島の背筋をざわつかせた。
「ーーそれは、教艦として……ですか?」
ーー観られている。
千歳の視線が今までの柔らかい物から鹿島を値踏みするような視線へと変化した。
鹿島はその変化に戸惑いつつも、覚悟を決めた。
「……いえ、私個人としてーー私は彼方くんの全てが知りたいんです。……お願いします、お母様ーー」
「千歳よ」
不意にプレッシャーが霧散したかと思うと、千歳に言葉を遮られた。
「え、あっ……えっと?」
「今度からは千歳さんって呼んで?鹿島ちゃん。……霞ちゃんにも、そう呼んでもらうようお願いしてるの」
ーー言っている意味、わかるわよね?
鹿島の目には千歳がそう言っているのがありありと見てとれた。
「あ……は、はい!千歳さん!」
「よろしい。彼方のことを教えてあげるには、条件があるわ」
千歳の視線がまた元通りの優しい柔らかな視線へと戻った。
「その……条件とは?」
和らいだ千歳の雰囲気に安堵すると共に、提示される条件について、鹿島は千歳に確認した。
「難しいことじゃないわ。彼方の訓練校の様子が聞きたいって言うのと、貴女のことも教えてほしいってことね」
ーーなるほど、確かにこちらが聞いているばかりではフェアではない。
鹿島の想いを正しく千歳に理解してもらうためにも、好都合な条件だった。
「はい、喜んでお話させていただきます!」
「そう、良かったわ。それじゃ、そうと決まったら準備しないとね。彼方、アルバム持ってきてーー全部」
ぱっと花が咲くような笑顔と共に、それまで黙って様子を伺っていた彼方に急に矛先が向く。
「え?全部!?……わかったよ、待ってて」
彼方はかなり驚いていたようだが、文句ひとつ言うことなく部屋を出ていった。
ーーあの驚きようからして、かなりの冊数なのだろう。
見るのがとても楽しみだ。
「鹿島ちゃん。彼方は席を外させるから、たっぷりお話しましょう。ーー実は、霞ちゃんから貴女の話は少しだけ聞いていたのよ。だから、私も貴女から直接色々なお話を聞きたいって思ってたの」
霞はここまで根回しをしてくれていたのだろうか……。
もしそうだとすれば本当に感謝してもしきれない。
そのお陰もあってか千歳は楽しそうに鹿島に話しかけてくれている。
本当に気さくな人で良かった。
「ーーか、母さん。持ってきたよ」
彼方が大量のアルバムを抱えて持ってきた。
本当にものすごい量だ。彼方が持てるぎりぎりくらいはあるようだ。
「ありがとう、彼方。それじゃあ、彼方は鹿島ちゃんが部屋に行くまで自分の部屋で待っててくれる?」
「えっ、折角帰ってきたのに?」
「いいから、鹿島ちゃんのためなのよ?」
「わ、わかったよ。じゃあ……鹿島教艦、またあとで」
彼方は千歳の言いなりのようなものらしい。
言われるままに自室へと歩いて行ってしまった。
「ーーよし、じゃあ……始めましょうか!」
千歳は最初の一冊目を手に取り、うきうきとした様子で鹿島の前に座った。
長くなりそうな予感はしたが、こちらとしてもその方がありがたい。
鹿島は彼方の全てが知りたいのだ。
どんなことでも教えてもらいたい。
「はい、お願いします!」
気合いと共に鹿島は答えた。
ーー鹿島は千歳から色々な話を聞き、色々な話を聞かせた。
彼方を授かってから産まれるまでの話から、彼方が高校を卒業するまで。
艦娘として生まれた千歳は、人間の持つ慣習に疎い。
色々と苦労は絶えなかったようだ。
しかし、その苦労があったとしても、彼方を授かることが出来て本当に良かったと千歳は言っていた。
どうやら彼方は中学時代から既にかなりモテていたらしい。
卒業式等は追い剥ぎにでもあったのかといった様子で、家に帰ってきたのだそうだ。
しかし、そんな状態でも特定の相手と付き合うことはなかった。
恐らく、霞がいたからだ。
無意識に、彼方は自分が霞を異性として好きなのを自覚していたのだろう。
ーー鹿島からは訓練校に入学してからの話だ。
いかに彼方が努力家で、提督として艦娘に対し真摯に向き合っているか。
特に草薙提督の艦娘を破った時の話等は、鹿島も興奮気味に語り聞かせたのだった。
そしてーー鹿島の過去と、自分が彼方にしてしまったこと。
彼方がそれを許し、鹿島を救ってくれたこと。
鹿島が彼方に本気で好意を寄せていることも話した。
ーーかなりの時間が経った気がする。
時計を見ると、二時間ほどが経過していた。
「ーーそう。鹿島ちゃんーー彼方は、今はもう霞ちゃんとお付き合いしているのよね?」
鹿島の話を聞いた千歳は、少し辛そうな顔をしながら鹿島にそう問いかけてきた。
霞から報告は受けていたようだ。
「ーーはい、そうです。ですが……私も彼方くんのことが本当に好きなんです。どんな形でも、彼方くんの傍にいたいんです」
それは鹿島の真摯な気持ちだ。
今日鹿島は彼方の話を沢山聞くことが出来た。
彼方本人には言いにくい内容もあったし、ここまで多くのことは語ってくれなかっただろう。
今日千歳と話せたことで、鹿島の想いはより強まった。
「ーー鹿島ちゃんが、霞ちゃんの最大のライバルになりそうね。……榛名ちゃんを思い出すわ」
やっぱり彼方はお父さんそっくりね。と笑いながら、千歳はアルバムの中の彼方を指で撫でた。
ーーふと外を見ると、雨が振りだしていた。
夕立だろうか。暫くは帰れそうにない。
「鹿島ちゃん。ここなら邪魔も入らないわ、彼方とゆっくり話してらっしゃい」
千歳は、心情的には霞の味方なのかもしれないが、鹿島に対しても平等に優しく接してくれた。
本当に、こういうところは彼方によく似ている。
「ありがとうございます。私ーーいってきます」
鹿島は覚悟を決めて、彼方の部屋へとやって来た。
ノックすると、彼方が顔を出した。
「ーーあ、鹿島教艦。母さんとの話は終わったんですか?」
「はい。あの……彼方くん」
「ちょっとーーお話、しませんか?」
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます!
ちょっと鹿島については書きたいことが多すぎて、三話構成になってしまいました。
次回で鹿島の告白編は終了になります。
一章が終わらない……。
それでは、また読みに来ていただけましたら嬉しいです!