輝けぬダヰアモンド   作:矢神敏一

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夜の蜃気楼

「ありがとうございました。ありがとうございました」

 

 今時駅員さんが手で切符を回収する改札を抜けると、貴方が待っていた。

 

「お待たせしました」

 

「おう、来たか」

 

 国電の駅からここまで、5分ぐらい。この人の列車は7分に着く。だからここに着くのは13分。

 

 私の電車は18分に着く。どう頑張っても5分の遅れだ。

 

 私の一本前の電車は3分にここに着く。あえてそれに乗らないのは、不可抗力でもあるし、わざとでもある。

 

「寒いだろう」

 

「寒いですね」

 

 それだけの会話を交わして私はこの人の手を握る。この人は何も言わず、私の手を外套のポケットにしまった。

 

 

 

 お互い無口なこともあってか、特にこれと言って会話をしたことはない。

 

 近所のスーパーに向かって、ただ歩く。

 

「生協のカードは?」

 

「持ってきました」

 

「何にする?」

 

「何にしましょうか」

 

「魚?肉?」

 

「肉がいいです」

 

「魚は飽きたか」

 

「海の上で嫌というほど見ました。もういいです」

 

「もう魚は嫌か」

 

「深海魚なら考えます。まだ見たことないですし」

 

「冬は魚がおいしいんだがな」

 

「あいにく鍋は苦手です」

 

「そうか。じゃあ何にしよう」

 

「普通に焼肉でいいんじゃないですかね」

 

「それでいいか」

 

 国電のガード下を越えて、国鉄の貨物線の高架を過ぎると、幹線道路に当たる。そのまま道なりにゆっくり歩いて10分もかからないところ。そこがふたりのいつものところだった。

 

 二つの自動ドアを過ぎると、生鮮品の匂いとともにチープな曲調に改変された流行曲が聞こえてきた。

 

「野菜は?」

 

「いらん」

 

「そんなこと言ってるから口内炎だらけなんですよ」

 

「ビタミンドリンクで……」

 

「ダメです」

 

「っけー。しょうがねえなあ」

 

「野菜がお嫌いなら果物でも?例えばみかんとか」

 

「あー、柑橘系は苦手なんだ。普通に野菜でいい」

 

「じゃあ適当に野菜炒めにしましょうか」

 

「いいねえ」

 

 適当な野菜パックを手に取り、特売な肉をカゴに入れ、買い物は終わった。

 

「帰りますか?」

 

「帰ろうか」

 

 もと来た道を引き返し、駅へと向かう。

 

 国鉄の貨物がけたたましい音を立てて通過する。

 

「軍への輸送だな」

 

「何故判るんです?」

 

「コンテナだ。危険物コンテナだった。あのコンテナを使ってるの、海軍以外に見たことがない」

 

「海軍も不用心ですね。一目でわかるコンテナに物資を載せるなんて」

 

「ここを通るってことは、市原のあたりからの艦娘擬装じゃないか?たぶん横須賀行だなあ」

 

「ますます呆れますね」

 

「まあ言ってやるな。こういうのは予算の兼ね合いとか、いろいろあるんだよ」

 

 電車の駅に着いた。暗い無人の改札を抜けると、ほどなくして電車がやってきた。

 

「今日はどっちの家にします?」

 

「お前の家で」

 

「最近いつもそれですね」

 

「俺の家は悪魔が住んでいるんでね」

 

「……。今度掃除に伺いましょうか?」

 

「お前に掃除されると面倒なことになるから断る」

 

「なっ。私の掃除に何か落ち度でも?」

 

「違う。ベットの下に男はいろいろと隠し物をしているんだ。言わせんな恥ずかしい」

 

「ああ、はい。私が野暮でした」

 

 轟音と共に電車が動く。少し整備の行き届いていない線路の上を、心地よく揺れながら電車は走る。

 

「艦娘さん?」

 

 発車してすぐ、いきなり声をかけられた。初老の男性だった。

 

「ええ。退役しましたが」

 

「そう。軽巡か重巡か、それとも空母か何か?」

 

「いえ、駆逐です」

 

「それにしてはしっかりとした娘さんだ。ああどうぞ、席に座って」

 

「いえいえ、そんな」

 

「座ってください。そのマーク(紅白の十字)はあなたが傷痍艦娘である、勇敢に戦った艦娘であることの証拠だ。どうぞ座ってください」

 

「すみません、ありがとうございます」

 

 少し、申し訳なく思った。私の素性を知れば、この男性は私に席を譲ったことを、後悔するだろうか。

 

 次の駅で向いの電車と行き違い、また二つの駅を越えて、終点に着いた。

 

「降りるよ」

 

「分かってますよ」

 

 少しドアから段差のあるホームに、慎重に足をつけて。ゆっくりと改札の方へ歩き出す。

 

「ありがとうございました。ありがとうございました。はい、はい、赤城台から?はい120円。はいどうも。はいありがとうございました」

 

 いつもの改札。いつもの駅員さん。

 

 いつも通り、切符を差し出す。

 

「はいありがとうございました」

 

 駅からここまで170円。一区間120円。一日乗り放題だと500円。正直言って地方の電車としては破格だと思う。経営は大丈夫なのか。毎日乗っている人間として、未来永劫走ってもらわなければ困る。なんなら意味もなく一日乗車券を買ったって良い。往復500円なら喜んで出す。

 

 駅を出ると、広場ではイベントをやっていた。たいそう盛り上がっている。

 

「ここにこんなに人が集まるなんてね」

 

「一応これでも17万人規模なんで」

 

「市全体だろ、それ」

 

「観光名所だって」

 

「半分隣の市じゃないか」

 

「良いんです。わが市は隣町と連携し未来永劫発展するんです」

 

「沿線人口は減り続けてるらしいけど?」

 

「隣の市の治安が不安定なせいです。我が町に落ち度はありません」

 

 そう言うとこの人は呆れながら笑った。

 

 

 

 

 朝起きると、あの人はもう出かけていた。

 

 いつも通りの朝、いつも通りの起床。

 

 一人静かにドアを開けて、私は今日も仕事へ向かう。

 

 この仕事を紹介してくれたのはあの人だった。姉妹や十八駆の子達と分かれたことは一抹の寂しさを感じさせたが、それでも生活の為には仕方がないことだった。

 

 北方で潜水艦の奇襲を受けて以来、今でも少し体に不自由を感じる。

 

 一緒にいた姉は無事だった。今でも元気で前線にでずっぱりらしい。

 

「あ、すみません。これやっといてくれる?」

 

「了解しました」

 

「ぬいちゃーん、いつも悪いね」

 

「いえ、これぐらい」

 

 同僚女性の過剰なスキンシップを受け流して、頼まれた仕事をこなす。いつも通りの、代わり映えしない日常。

 

 

 

 

 17時ぴったりにベルが鳴って、17時ぴったりに仕事が終わった。手早く手荷物をまとめてさっさと職場を去る。

 

 跨線橋(こせんきょう)を駆け下りて改札を抜け、電車に乗った。

 

 17時10分。電車は定刻通り発車した。

 

 17時11分。赤城台の駅に到着した。赤城さんは元気だろうか。

 

 17時14分。ヒレが食べたくなってきた。今日はヒレカツにしようか。

 

 17時16分。向いの電車と行違う。

 

 17時18分。駅に着いた。

 

「ありがとうございました。ありがとうございました」

 

 改札を抜ける。あの人の姿はない。

 

 7分の国電の次は18分のはずだから、もうすぐ来るに違いない。

 

 17時25分。あの人はまだ来ない。

 

 情報端末を開いて時刻表を確認する。次の国電は25分。つまり今ちょうど着いたはずだ。30分には顔を見せるだろう。

 

 17時30分。あの人はまだ来ない。

 

 18時00分。轟音と共に貨物列車が通過する。昨日と同じ、海軍のコンテナをのっけて。

 

 我が姉の、陽炎の擬装もあの中にあるのだろうか。十八隊の、二水戦の仲間の擬装もここにあるのだろうか。

 

 ……。みんなは、元気だろうか。

 

 肌寒くなってきた。陽はとうに落ちた。海の上はもっと寒かった。陽が落ちたら潜水艦が怖かった。

 

 姉はそろそろ予備役に入ると聞く。あの鬼もそろそろ退役だそうだ。

 

 またいつか会えるのだろうか。今は、姉との小さないさかいが懐かしい。あの鬼の叱咤でさえも恋しく感じる。

 

 18時13分。

 

「すまん!遅れた!」

 

 やっと来た。

 

 

 

 

「いやあ申し訳ない」

 

 電車に揺られながら、この人はしきりに謝った。

 

「まったく、急行が止まりやがった。迷惑なものだよ」

 

「一時間も?」

 

「ああ。なんでも車両故障らしい。外国製の装置なんか入れるからだ」

 

「欧州製は品質が高いのでは?」

 

「機械には向き不向きがあるのさ。なんでもかんでもいいものを持ってくればいいってもんじゃない。適材適所だよ。まったく、1時間も遅れやがって」

 

「大変だったでしょう」

 

「ああいやそっちこそ、立ちっぱなしで大変だっただろう」

 

「地面が波打っているわけではないので平気でしたよ」

 

「まったく、すぐにそういうことを言う」

 

 終点に着いた。

 

「はいどうも。はい、ありがとうございました。はい、赤城台から?ええ120円。はいどうも。ありがとうございました」

 

 いつもの駅員さん。

 

「はい、ありがとうございました」

 

 いつもの改札。

 

「じゃ、帰ろうか」

 

 いつもの、あなた。

 

 いつもの、帰り道。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 この人はヒレカツをきれいに平らげてくれた。

 

 ごはんが終わると、この人は仕事を始めた。今日の夜は忙しいらしい。

 

「ああ、すまんな。退屈だろう」

 

「決して退屈なんてしませんよ。ええ」

 

 嘘だ。

 

「……いえ、構いませんよ。どうぞご自由に」

 

「そういう風に言うときは、寂しい時だな」

 

 この人はそうやって、見透かした目で私を抱きかかえる。

 

「……姉たちは、元気にしていますか」

 

「ああ、たまに会うよ。壮健そうでなによりだ」

 

「そうですか」

 

 姉は今でも海を駆けている。私は、何をしているんだろう。

 

 私は海に生きるために産まれたのに、今私が居るのは内陸のオフィスだ。

 

 ああ、また自己嫌悪だ。

 

 姉たちが今も戦っているのに、私は体の不自由を理由にこうして陸に下がっているのだから。

 

 大した戦果もなく不調を抱え、むざむざと陸に上がったのだから。

 

 私は、なんだったんだろうか。

 

「どうした?痛むか?」

 

「いえ、別に」

 

「だが、苦しそうだ」

 

 この人は見透かす。いつの時も。私の異変に最初に気が付いたのも、この人だった。

 

「ではひとつ、質問があります」

 

「なんだ?」

 

「ものに適材適所があるというならば、私の適所は何処でしょうか」

 

 この人は虚を突かれたような顔をする。そして少しばかり逡巡したあと、この人はこう言った。

 

「それは……。ここじゃないかな」

 

 この人はぎゅっと私を抱きしめた。そして私の目の前に、光るそれを差し出した。

 

「どうだろう。ずっと、隣に居てはくれないかな。もちろん、君が望む限り」

 

「……こんな私を、司令、あなたはどう思っているのですか?」

 

「君は勇敢で、冷静で、そして頼もしい。素晴らしい相棒さ。そして、この人生の中で、一番愛おしく思った人でもある」

 

 耳元に吐息が聞こえる。

 

「僕が最も尊敬する君。君を、愛しているよ」

 

 こんな言葉、初めてだ。

 

「あら、そう。じゃあ、いいんだけれど」

 

 嬉しすぎて、こんな言葉しか出てこない。本当はもっと言いたいことがあるのに。

 

「はは、君は本当に、本当に感情を隠すのが下手だなあ」

 

 そういってこの人は、私に口付けた。

 

 

 

 けたたましく目覚ましが鳴る。

 

「おはよう。朝ご飯はできてるよ」

 

 いつもと違う朝。

 

「ありがとうございます。あなた」

 

 いつもと違う起床。

 

「俺は先に出るぞ。すまんな」

 

「いえ。……いえ、あなた」

 

「なんだ?」

 

「あなたの妻になります。ご指導、ご鞭撻、よろしくです」

 

「ああ、こちらこそ。よろしくだ」

 

 新しい朝と共に、いつも通りの一日が始まる。


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