輝けぬダヰアモンド   作:矢神敏一

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陸戦艦

 夜道というものはなるべくなら歩きたくないものですが、今の自分にはここが戦場であります故に仕方がないことであります。

 

 足元も見えぬような暗闇の中、街燈が作る灯りの陰に隠れて目的の人物は立っておりました。

 

 彼女は名は大淀、艦種は軽巡洋艦である者であります。

 

「申し訳ないであります。ご足労いただき感謝いたします」

 

 と言いますと

 

(おか)の人の事情は心得てるつもりですよ。……しかし、件のは」

 

 と彼女は言います。それを言い終わる前に

 

「本当であると確信しています。何分、()()から直々のお達しでしたので」

 

 と言います。すると横須賀の(かみ)は静かに外套の内から(てっぽう)を取り出し、そっと自分の掌に載せるのであります。

 

「聯合艦隊連絡官として命じます。目標を討ちなさい」

 

 と言いましたので

 

「了解であります」

 

 とだけ返し、その筒を受け取ったのであります。

 

 今は平時。仮の姿である輸送屋稼業も今はお暇をいただいているところ。本分たる公安任務へと戻る時が来たようであります。

 

 自分は踵を返し、その黒い衣を真っ暗闇に溶かしていたのであります。

 

 

 

 数日後、自分の黒服は、その黒色が少しにじんでいるように見えるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、言うのが世間一般の自分への評価なのであります。誠に失敬な話極まりません。大体陸の人間であろうとも、船である限りは海の上が戦場であります。その分際を侵すことなどできましょうか。

 

 自分の仕事は確実に目的地まで人をモノを届けることであります。それ以上でもそれ以下でもないのであります。

 

 平時であるこの時分には特に海ですることがないのも事実ではありますが、しかしだからと言って公安や憲兵の真似事をするわけにはいきません。荒事には慣れていません故。

 

 平時は専ら訓練であります。それ以外はこうして暇を満喫するのが常であります。

 

 夏の日差しは暑く、黒色の上着はあまりにも煩わしいものであります。今はシャツのみを着ています。それでいても汗が滝のように流れ出でて、少し硬質な服を濡らしていきます。張り付いたシャツの涼しいことは何にも代えがたく心地いいように思われるであります。

 

 いつもなら胸を押さえつけているものも外し、久しぶりに胸に風が通りまして。身体の全てが冷えていく用であります。

 

 

 

 提督殿はあまりの暑さに耐えかねて、平易な服装に着替えています。その服は胸元が大きく開き、少し自分には眩しいのであります。

 

 廃駅舎を間借りした二人だけの隠れ家で、木陰に隠れてかき氷をいただきます。悪趣味な青いシロップがたまらなくおいしい。でも、頭が打ちつけられたように痛むであります。

 

 プラットホームに腰掛けて、錆び付いた線路の方へ足を投げ出し山の隙間から見える海を眺めます。まさに絶景。ここは誰にも渡しません。自分と提督殿だけの空間なのであります。

 

 枕木は土に返っています。こんな状態でもまだ列車は走るようであります。その証拠にレールの車輪と接する面である踏面は少しばかり輝いているであります。

 

「かき氷、おかわりいるか?」

 

「お願いするであります」

 

 蝉の音が心地いい連続音となって身体中を叩くであります。

 

「夏も中盤でありますねえ」

 

 とんびが空高く舞い、くるくると回っているであります。そこからの景色はいかようであるのでしょうか。

 

「お前は遊びに行かなくていいのか」

 

「もうすでに遊んでいるであります」

 

 提督殿は熱く燃えそうなプラットホームのアスファルトに水をかけています。時々その水がこちらにまで振りかかってきて、その涼しさを求めて少し体を提督殿の方へ寄せるのであります。

 

「年頃の女なら、どこか気の利いたオサレなとこに行きたいものだろう?」

 

「生憎、実艦から数えるならば70歳はとっくに超えているであります」

 

「屁理屈を……。いいのか? 俺はどこにも連れてかないしどこにも連れてってやれないぞ?」

 

 提督殿は昼間から麦酒を飲んでいるであります。これでは運転は無理そうでありますな。もっとも、そんなことは微塵も期待していないのでありますが。

 

「いいでありますよ。自分は提督殿のところに居たいだけでありますから」

 

「こんなむさくるしいオヤジと一緒に居て楽しいかい」

 

「楽しさだけが、人生の華ではないでありますよ。提督殿」

 

「楽しくないんかい」

 

「楽しさなんかより、もっと大事なものがあるでありますよ」

 

「やっぱ楽しくないんじゃないか」

 

 口をとがらせる提督殿に、おもわず声を上げて笑ってしまいました。

 

「で、お前はいつまでそんな暑苦しい服を着てるつもりだ?」

 

「これが自分の服であります」

 

「上を脱いでも暑いだろう」

 

「このぐらい我慢であります」

 

「……透けてるぞ」

 

「は?」

 

「白いシャツだからな。汗ですっけすけだよ。見てみろ。服が張り付いて肌色が見えてるし、その無駄にでかい胸の……」

 

「や、やめるであります!これでも年頃の女でありますよ!」

 

「さっきは否定してたじゃねえか」

 

「女はいつまでたっても乙女なのでありますぅ!」

 

 提督殿は本当になんでもあけすけに言うであります。女には触れられたくないところがあるであります。特にこういう……恥ずかしいところは。

 

「……そんなに言うなら、提督殿が自分を剥きますか?」

 

「はあ?」

 

「愚考しますに、提督殿はこの自分の服を脱がせたいと思っているとお見受けします。今なら無抵抗ですので、どうぞ」

 

 自分はプラットホームの上に寝っ転がるであります。冷たいアスファルトが気持ちいいであります。

 

「アホ抜かせ」

 

「提督殿の命令は絶対であります。提督殿が自分の服を剥きたいというのであれば、それに逆らう権限は持ち合わせてないであります」

 

「今は非番だ」

 

「非番でも上下関係は変わらないでありますよ」

 

 そう言いながら一番上のボタンを外すであります。胸元に風が直接入ってきて、汗に濡れた肌を撫でていくであります。

 

 自分は目をつぶりました。足音が着実に近づいてくるのがわかるであります。耳元に提督殿の足を感じます。そして……。

 

 

 

 ばっしゃーん。

 

 

 

「コホッコホッ!何するでありますか!」

 

「大人をからかった罰だ!とっととその乳首を仕舞え!」

 

「なっ……!そういうことはこういう時にいうものではないであります!」

 

 提督殿は打ち水用に汲んでいた水を、それもかなりぬるくなった水を頭にかけてきたであります。虐待であります。艦娘に対する不正行為であります。

 

「ほらよ!目に毒だ!」

 

 提督殿はタオルを投げてよこしました。……提督殿の趣味で、それは某トラの球団の「アニキ」のフェイスタオルであります。

 

 提督殿はいけずであります。こんなにしてもこちらの想いに気が付かないとは、唐変木も過ぎるであります。とんだ分からず屋であります。

 

 熱い水がアスファルトを流れ、こちらまでやってくるであります。アスファルトの持つ熱はすさまじく、熱湯の様になってしまっているであります。

 

「しょうがねえなあ」

 

 提督殿はそう言って自分の隣に腰掛けました。

 

「まあなんだ、いずれはそういうことも、な」

 

「日本人らしいきわめて不明瞭で曖昧な灰色的表現でありますね」

 

「どこぞの二枚舌よりマシだろう」

 

「嘘でもささやいてくれた方がマシでありますよ」

 

 なんだか悔しくなって、提督殿の腕に抱き着きました。

 

 不意に提督殿が体勢を変え、腕を振りほどかれてしまいました。

 

「あっ……」

 

 寂しくなってそんな声を出してしまいました。でもその声は、すぐにくぐもったものに変わってしまったのであります。

 

「提督殿……」

 

「ま、そういうことだ」

 

 提督殿はすぐに顔を伏せてしまいました。耳が猿の顔みたいに赤くなっていくのが見えます。

 

「提督殿は全く、とんだ臆病者であります」

 

「戦略は慎重に組むものだ」

 

「時には大胆さも必要でありますよ」

 

「堅実さこそが陸軍だ」

 

「提督殿は海の人間でしょう……」

 

 

 

 蝉は変わらず鳴き続け、とんびは相変わらず楽しそうに空を飛んでいるであります。

 

 いつの間にかに目の前に、とんでもない大きさの入道雲ができました。

 

 

 

 夏なのに、夏なのに。腕の中のぬくもりが、これ以上ないほどに心地いいのであります。


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