輝けぬダヰアモンド   作:矢神敏一

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鈴が鳴る鳴る夏の日の

 それは暑い暑い夏の昼下がりでございました。何分平時でございます故に私も彼も勉学を強いられ学徒の身分となりまして、近頃は人権だとか子どもの権利などという言葉が流行っているやうですがそんな言葉がまるで存在しないかのやうな教室の中で、英語だの数学だののわかりもしない退屈な授業を聞いてきたのであります。

 

 やっとのことで放課後になりますと、同じく学徒の身分に身をやつした彼が下駄箱で待ち構えていまして、今日は近くの公園で花火があるから見に行きませうかと言うのです。

 

 正直に申せばこのまるで人を殺さんばかりに暑い中でわざわざ歩き回りたくもないし、夜になってもそれは変わらぬし、少しでも涼しくなろうもんなら煩わしい羽音が血を吸いに来るし、大体人込みだらけでロクに花火なんか見れたもんじゃないのでお断り申し上げたかったのですが、しかしながら彼からそんなお誘いが来るだなんて水筒の中の麦茶が気が付いたら麦酒に変化するぐらいの確立でございますし、何よりも彼と一緒に居られるということがうれしく感じられて、二つ返事で了解してしまったのです。

 

 しかし、まだ昼下がり。どうやって時間を潰しませうかと尋ねれば、彼は笑って「二人でこの街でもしばらく歩きませうか。新しい何かが見つかるかもしれません」と言うのであります。私は何か案でもあるかと聞けば、彼は何もありません、と答えるのです。

 

 私はおかしくなって「それじゃあ初めから私がこのデートを承知するとは思っていなかったみたいね」というと、彼はそうなんだ、と困った顔で笑うのです。

 

 私はなんだか彼らしいなあと思い、笑いがこみあげてきてしまいました。そして困ったように頭の後ろをポリポリとかいている彼の手をつかんで、まだ静かな町へ繰り出したのであります。

 

 

 

 彼は特にこれと言った趣味はございませんでした。強いて言えば読書ぐらいでございますが、読む本と言えば若い女の子が剥かれながら戦うやうな少女趣味の本でございます。当然彼も読書の趣味を公にすることはございませんでした。

 

 私も特にこれと言って趣味はなく、まあ年頃の娘と同じようにお洒落やなんかには人一倍気を遣うわけではございますが、とにかくなにかこれをやるということはなかったのでございます。

 

 そうなるとこの暇な時間の潰し方というのがしごく面倒なことになってくるのでございます。

 

 「さて、どこに行きませうか」と彼が問います。これが非常に難しい問いであるわけでございます。当然、二人にアテなどないのでございますから、まったく意味のない問いなのでございます。

 

 仕方がありませんので、二人して手をつないで、ゆっくりと商店街を歩きました。

 

 学校の通学路の途中には、今やアーケードが取っ払われてしまった商店街があるのです。商店街といいましても何分学生の街でございますから、あるのは文具やと本屋でございます。代わり映えもしなければ面白くもない通りでございます。

 

 さて、時刻は昼すぎでございます。私はお腹がすいてきました。丁度それは彼も同じだったやうで、二人して食堂に入りました。

 

 デートで食堂というのはまあなんとも色気のない限りでございますが、しかしながらお互いに制服に、それも学校の制服に包まれた身分でございますので、それも何か身分相応に思えて、この上なくよいものに感じられたのでございます。

 

 注文したのはうどんでございました。何もない、ただの素うどんでございます。しかしながら、これが普段の食事に比べて贅沢に感じるほど美味であるのです。しっかりとしたコシと薄い味付けに舌鼓をうちながら、二人とも黙って汗を流しても食べるのであります。二人いるのに何も喋らないわけでございますが、この風鈴が静かに鳴るだけの沈黙がまた、心地よいものに感じられるのでございます。

 

 食べ終わると勘定を済ませ店を出ました。扉を開けた瞬間に熱気が舞い込んできますが、冷房で冷えた身体にはそれがなんとも暖かく優しいものに感じるのでございます。ただ、それも数瞬だけ。それが過ぎればただただ不快な暑さとなるのです。

 

 彼は私の手を引き、横道へと入っていきました。実のところ、この街になんら興奮を感じていなかった私は、通学路以外の道に入ったことがなかったのでありますが、その道はなぜだか興味深いように思えました。

 

 白塗りの壁が道を囲っています。壁の向こうには古そうな蔵がありました。チリチリと涼し気な鈴の音がします。道の端には水路が通っています。いままでドブ川だと馬鹿にしておりましたが、意外や意外カメが泳いでおりました。その横では金魚のような魚がぴちぴちと跳ねているのでございます。

 

「ねえあなた。この子たちは逃げて来たのか、棄てられてきたのかねえ」

 

 一見生き物なんかいつかなそうな川だっただけに、こんなことを言いました。すると彼は言います。

 

「いやきっと、この近くの人に飼われているんでしょう。一匹、白斑のついている金魚がいますが、そいつだけ別にされて、きちんと治療されています」

 

 見ると確かに水槽が一つ。その中に病気の金魚がいました。私は合点がいきました。よく見れば金魚のいるところは金網で囲われていました。

 

「金魚とはまた夏らしいものを見たものですね。まことに風流なものです」

 

 彼が言いますと、私もええ、ええと相槌を打ちました。

 

 

 

 道を進んでいきますと、古びた店がありました。ムジナの店と書いてあるそこは、雑貨屋かなにかのやうでした。二人とも特に打ち合わせることなく自然にその店に入りました。綺麗な鈴の音がして扉が開きました。店の中は適度に涼しく、暑い外から来た我々にとっては不満のある涼しさでございました。

 

「ああ、いらっしゃい」

 

 店主がはにかんで挨拶をしてくれました。店主は室内なのに頭をハットで隠していました。その下はきっと、触れてはならぬのでせう。

 

 店は古めかしいものがたくさん置いてありました。ですがそのほとんどはマニヤ向けの趣味用のものであるやうに思えました。

 

 私は特に興味もなく眺めておりましたが、その一角になぜだかとても目を奪われたのでございます。

 

「ああ、これがお気に召しましたか」

 

 それは骨董品のカメラが置いてあるところでした。カメラの一つ一つに擦過傷や色剥げがあり、年季を感じさせるのです。

 

「これは、使えるものなのですか?」

 

 店主に問いかけると、店主は破顔して言いました。

 

「もちろんでございます!たとえ動かないものでもわたくしが責任をもって動くやうに仕上げますとも」

 

 つまりこれは、どんなに古びて見えたとしても現役なのである。

 

「どんなに壊れていても、たとえそれが表からは見えないものでも直すのですか?飾り物にするのでも十分ではないのですか?」

 

 彼はそういうのです。そして私は彼の論に一理ありと考えています。しかしながら店主は言いました。

 

「そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、私は違います。カメラは動いてこそ、そして撮ってこそなのです。カメラは写真を撮るための存在なのです」

 

 そう言われてみると、棚の中の彼らは年寄りのはずなのに生き生きとしているやうに感じられるのでありました。聞けば私が海の藻屑と消えてから数十年後のものだとか。それが今もこうして生きていると思えば、嬉しく感じてしまうのでございます。

 

 店主に別れを告げ、店を出ました。もうすでに陽が赤くなりかけていました。さてこのあとどうしたものかと思えば、彼はそそくさと歩いて行ってしまうのです。

 

 どこへ行くのかと問いただせば、彼はただ行けば分かりますと言うのみで話になりません。私は黙ってついていきました。

 

 道はどんどんと上り坂になってまいりました。花火の会場とは方向がまるで違いました。

 

 途中で彼が手をつないでくれました。それがうれしく感じられて、彼に身を寄せて黙って隣を歩きました。

 

 陽はすでに真っ赤になりました。それでもまだ着きません。

 

 とうとう陽が地平の影に隠れました。すると彼はここですと言って指をさしました。そこは小高い山の上の物見台で、その近くの売店でお茶を買って飲みながら町がきれいに見下ろせるのでした。

 

 空が仄かに橙色に染められます。そのうちにどんどん群青がやってきて、あたりも暗くなっていきます。

 

 やがて群青が地平線のすぐそばまでやってまいりました。

 

 群青と地平線の境界線が赤く光ります。そして空の蒼が一層美しく見えるのでございます。これを世間様一般には蒼の時間「ブルーアワー」と呼ぶそうなのでございます。

 

 その美しさに感嘆していると、ドンと音がしました。

 

 仮にも軍属の身でありますので身構えてしまったのでございますが、そんな私の目の前に現れたのは美しい花でございました。

 

「花火を見ようといったでしょう」

 

 彼はそんな私を見て笑うのです。嫌味の一つでも返してやろうかと思いましたが、目の前の美しさにそんな気も失せてしまいました。

 

 そして私は気が付くのです。

 

「あら、ここからだと花火が下に見えるわ」

 

 どうやら花火が上がる高さよりも高いところに来たらしく、花火が下に見えるのです。普段は見上げて首が痛くなる花火を見下ろすというのは新鮮でいささか滑稽でありました。そして決して悪くない心持でございました。

 

 花火が打ちあがるところもよく見えました。そしてまだ少し明るかったものですから、そのそばの人が見物している広場も少しだけ見えました。

 

 その黒山の人だかりをいていると、嬉しい気持ちに包まれるのです。

 

 不意に彼が身を寄せました。私も彼の制服をつかみ、身体を密着させます。

 

「このことを、平和と呼ぶのでしょうか」

 

 ついつい、そんなことを考えてしまいます。

 

 我々は今でこそ平時でございますのでゆっくりと勉学に励んでいるのでございますが、またひとたび命が下れば戦いに赴かねばなりません。

 

 不意に、足元をかすめた敵弾の事を思い出します。あの敵弾の破片がもし足に命中していれば、私は歩くことがままならなくなるどころか、今こうして花火を見つめることさえできなかったかもしれないのです。

 

 そんな日常から離れ、平穏を享受する。それが少し、怖くも感じるのでした。

 

 彼は問いに応えず、不意に私の唇に接吻をしました。そしてただただ私に微笑むのです。

 

 閃光が辺りを照らします。煙が立ち込めて、花火が見えずらくなります。

 

 今はただこれを、何も考えず見つめている。それでいいのだと思いました。

 

 ひときわ大きいのが空に上がりました。これで終いのようです。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 

 どこかで鈴の音がなりました。その音はすぐにはかなく消えてしまうのですが、その音がずっと鳴っているように聞こえました。

 

 たとえすぐに消えてしまうものだとしても、私はその音を忘れはしない。そしてその音を胸に抱いて、私はこれから戦っていける。幸せとはこの鈴の音のような、花火のようなものだと思いました。

 

 夜風がうなじに流れた汗を撫でました。その風がまた鈴を鳴らしました。

 

 私と彼はこれから先いつでも戦ってゆけます。

 

 花火はまた来年空に咲き誇り、鈴はまた風が吹けば鳴るのですから。


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