輝けぬダヰアモンド   作:矢神敏一

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汐の香る展望台

「提督さん。どっか行こうや」

 

 ウチは布団の上で寝そべりながらそう言った。

 

「お前さん、外に出る気ないだろ」

 

「てーとくがどっか連れてってくれる言うたら用意する」

 

 提督はこちらに背を向けて何やら書いている。

 

「どっかって、どこだい」

 

「そうじゃなあ、海とか?」

 

「海開きもまだなのに?」

 

「じゃけえ、ぶち暑いんやもん」

 

 これのどこが春じゃ。桜の樹も汗をかきだしそうな猛暑の中で、春服はとうに脱ぎ捨てた。

 

「まあ、夕方になったらお前さんを連れ出そうと思っていたところだ」

 

「あら珍しい。どういうつもりなん?」

 

「別に、特に意味はないさ」

 

 彼がこういう時は、だいたいにおいて本当に意味はない。

 

「ほんなら、行こうかね」

 

「じゃあ、ちょっと本部に書類を出してくる。ちょっと長い間留守にするぞ」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 そう言って彼は部屋に私一人だけを残して出ていった。

 

 これは、信頼の証と受け取っていいのだろうか。

 

 

 

 私は、彼の秘書艦でもなければ、彼の艦隊の艦でもない。書類上は、赤の他人なのだ。

 

 故に、私にここに居る権利はなく、意義もなく、彼の怠惰に、甘えているだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりは、かなうはずのない恋だった。

 

 あの人は、姉御が好きじゃった。もちろん姉御は他に好きな人がおったから、その恋は決して叶うはずはないのだけれど、それでも彼はその恋を追いかけ続けているようだった。

 

 ウチは、彼の隊の隣に執務室を構える隊に所属していた。

 

 彼が直接言い寄るところを見たわけではない。ただ、彼の目線は常に、姉御へ向けられていた。

 

 そんな男の事を、いつから愛したのかはわからない。ただ、気が付けば彼の部屋に押しかけていた。

 

 最初は、伝令かなんかだったと思う。

 

 司令に頼んで、彼への言付けを得たのだ。

 

 その後、彼の姉御への恋慕の、その相談相手になった。我ながら、なんでこんなことをしているのだろうとも思った。

 

 最も自然に彼に触れ合える方法ではあった。でも、その度に私の心は、アイスピックで砕かれる氷のように削れていった。

 

 なんでこんなことになったのだろうか。

 

 自分で自分を呪ったことは、何回あっただろうか。

 

 彼の恋愛相談は、かなり熱の乗ったものだった。

 

 それも当然。私はそれほどまでに、姉御に似ていたのだ。

 

 私はそれを利用した。彼がうまく行けるように、練習台になってみたりして。彼の“練習”は真に迫ったもので、私は一人身もだえした。嬉しさに体が震えた。それを見透かされないように、彼にもっともらしくダメ出しをして、次を次をとせがんだ。

 

 虚しさを、感じなかったと言えば嘘になる。

 

 まるで、路傍に生えた草花の様に、そのアスファルトの舗装を割って出た雑草のように、虚しさが顔を見せる事なんて、一度や二度ではない。いや、ずっとだった。

 

 その度に、私はそれを摘み取って捨てた。

 

 鉢植えに植えられた観葉植物の新芽を摘んでいけば、いずれ葉は生えなくなり、そして枯れていくと信じて。

 

 しかし実際にはこの虚しさは雑草で、いくら摘み取っても枯れることはなく、根がある限り育ち続け、根ごと葬り去ってもまたどこかから種が飛んでくる。

 

 まるで荒れ荒んだ溶岩台地に、苔が生して葉が生え溶岩を侵食していくように、私の心は浸食されていった。

 

 そのうち、姉御への恋愛相談も少なくなって、私は自然と彼の部屋に入りびたるようになった。軽くなるかと思った心は、その重さを増していった。

 

 栄養を与えなかったとしても、虚しさと言う植物は育ち続けるらしい。

 

 

 

 こんな心持ちで、私は醜い顔をしていないだろうか。きちんと笑えているだろうか。

 

 快活で、愉快で、貴方を元気づけるひとりの少女に、慣れているだろうか。

 

 どうせ、かなうはずのない恋である。

 

 捨ててしまえば、諦めてしまえば、楽になれる。

 

 それをしないのは、きっと、あなたと同じ理由。

 

 だから苦しくて、だから辛い。

 

 まだ高く昇っている日を見ながら、心のどこかでどうか沈まないでくれと願っている。

 

 そうすれば、ただ君の事を想っているだけでいいから。

 

 君の気持ちは、シュレディンガーの猫でいられるから。

 

 そんな願いもむなしく、17時の鐘がなった頃、貴方は帰ってきた。

 

 いつものような笑顔で、私は貴方を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、行こうか」

 

 私服に着替えた彼に連れられて、私は部屋を出た。

 

「どこに連れてってくれるんじゃ?」

 

「そうだなあ、こんないい天気だし、綺麗なところに行きたいねえ」

 

 彼はそう言うと、私を車に乗せた。

 

「峠でも行くか」

 

「車に乗りたかったん?」

 

「まあ、それもあるな」

 

 彼は愛車を転がして、山道へ入っていった。

 

「F4のエンジンは良い具合に回るねえ」

 

 彼は滑らせるように峠道を上っていく。そのハンドルさばきは、いつも踊っているように見える。

 

「なんか変じゃね」

 

「ああ、車を車検に出してな。その時にシステムの更新もしてもらったんだが……。システムの変更で走りに違いが出すぎてる。慣れないうちは、ちょっとごめんだ」

 

 ぎこちないように見えるのはそのせいか。大方、慣らし運転に道連れが欲しかったとか、そういう事だろう。

 

 どんな風の吹きまわしかと蓋を開けてみれば、こんなものである。

 

「よし、ここにしよう」

 

 彼はそう言って、物見台で車を止めた。

 

 そこは、風光明媚と言うに尽くしがたい見事な物見台だった。そこは丁度谷間にあり、奥に海が開けている。その海越しに、見事な真ん丸の夕陽が見える。

 

 黄金色に染まった海が、太陽への道を作るように横たわる。その中を、内航船が太陽に吸い込まれるがごとく進んでいく。

 

「はは、こりゃ交通の便さえよければ金がとれるぞ」

 

 あいにく、急な坂道を曲がりくねりながら越えていかねばならないのが、玉に傷だ。

 

 掌を広げて、薬指に太陽を重ね合わせる。何をやっているのかと、自分でも笑えてくる。

 

「嘘と手に入らない本物だったら、どっちが欲しい?」

 

 口から滑り落ちた言葉が、そのまま声になる。くだらない問答に、彼は律義に答えた。

 

「本物だね」

 

「そうじゃろうな」

 

 私だってそう答える。

 

「じゃけえの、提督さん」

 

 でも、でも、たとえ嘘でもいいから。

 

「たとえ偽物でもいいから、欲しいもんがあるんじゃ」

 

 失敗した時の保険でいいから。都合のいい予備でいいから。うまくいかない恋慕の、その代償行為でいいから。

 

「ウチはニセモンが欲しい」

 

 瞳からしずくが漏れる。きっと、このひとしずくは、夕陽にアテられた私の邪念。指輪みたいに綺麗な、真ん丸の夕陽に、ついつい求めすぎてしまった私への、罰。

 

「君が得るのは本物さ」

 

 まるで突き放すように彼は言う。

 

 本物なんて、どこにもないのに。

 

「本物なんて、どこにもありゃあせんよ」

 

 子供じみた、反抗をしてみる。もし、この気持ちに貴方が気が付いているのなら、貴方はずるい。

 

「あるんだ。あるんだよ」

 

 まだそんなことを言う彼に、私はつい、声を荒げる。

 

「何が解るんじゃ!」

 

 叫びながら振り返ったその先には、光るものがあった。

 

 それは、ずっと求めていたもので、絶対に求められないと思っていたもの。

 

「君への想いをニセモノなんて、絶対に言わせない。これは本物だ」

 

 それだけ言って、彼はそれを私の薬指に付けた。

 

「受け取ってくれるかな」

 

「なんで、なんで……」

 

 汚したくなくて、涙を右手だけで一生懸命に拭う。もっと見てたくて、顔をぐしゃぐしゃにしながら目をこする。

 

「君に、これが代償行為だと責められたら、あの頃は否定できなかった。でも、今日ははっきり言える。君を、愛してる。どうか、ずっとそばに居て欲しい」

 

 そう言って、彼は私を抱きしめた。

 

 練習の時よりも、ずっと強く。

 

 私は、声なんか出なかった。ただずっと、声にならない泣き声で、ただただありがとうを言った。

 

 そうして私は、本物を手に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、数年前の春の終わりの事。

 

 今再び季節が巡ってきて、なんだか思い出してしまった。

 

「提督さん。どこか連れてって」

 

「わかった。あとちょっと待ってくれ」

 

 本物を手に入れた私たちは、前と特に変わらない日々を過ごしている。

 

 結局“本物”なんていうのは、日々のそれそのもので、私たちはそれに気が付いていないだけだった。

 

 もう、虚しさと言う名の植物は、絶滅したようだ。




 結婚して早何年。
 新規改装、おめでとう。

 これからもどうか、よろしくお願いします。

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